イザナギとの決戦が終わり、四国に訪れたのは穏やかな春の気配だった。讃州中学校への入学や戦後処理が着々と進む中、乃木園子は讃州駅のすぐ近くに佇むマンションの一室で、パタパタとスリッパを鳴らしながら夕食の準備を進めていた。
讃州中学に通うにあたり、園子は乃木本家から離れ、このマンションで一人暮らしを始めている。そして、それは彼女だけではなかった。神樹の奇跡によって2年ぶりの復活を果たした三ノ輪銀もまた、同じマンションに部屋を与えられていたのだ。
だが、中学生の身で一人暮らしというのは、いくら勇者としての修羅場をくぐり抜けてきたとはいえ、少々寂しさが募るものである。そのため、どちらからともなく声を掛け合い、二人は頻繁に互いの部屋を行き来して一緒に夕食を取るようになっていた。
今夜の夕食の舞台は、銀の部屋である。
「はい、ミノさん! 今日は園子特製・豆腐入りふわふわハンバーグだよ〜!」
「おー! うまそうじゃん! サンキューな園子!」
リビングのテーブルに料理が並ぶと、銀は元気いっぱいに箸を伸ばした。2年分の空白を埋めるように背が伸び、少し大人びた体つきになった銀だが、豪快な食べっぷりは昔のままである。
パックのご飯とハンバーグをモグモグと頬張る銀の姿を、園子は手料理をつつきながら微笑ましく見つめていた。しかし、ふと頭に浮かんだ疑問を、何気ないトーンで投げかけてみる。
「ねえ、ミノさん。……実家には帰らないの?」
「ふぐっ!?」
銀の手がぴたりと止まった。喉に詰まらせかけたハンバーグをお茶で流し込み、驚いたように目を丸くする。
「えっ? な、なんだよ急に……」
「だってさぁ、ミノさんが戻ってきたとき、弟さんたち、泣いて喜んでたでしょ? なのに、週末になっても実家に泊まりに行ったりしないのかなーって」
園子の素朴な問いかけに、銀は苦笑いを浮かべ、持っていた箸をゆっくりと置いた。視線を少し落とし、どこか遠くを見るような目になる。
「……そりゃまあ、帰りたくないわけじゃないんだけどさ」
銀は頭の後ろで両手を組み、背もたれに深く体重をかけた。
「私が居なかったこの2年間、家族は……私が死んだってことを、ちゃんと納得して生活してたんだよな。最初はそりゃ荒れたみたいだし、悲しませちまったけどさ。私がいなくても、ちゃんと家が回るようになってたんだ。この前、久しぶりに家に顔を出したときに、それがなんか……分かっちゃったんだよね」
「ミノさん……」
「みんなが前を向いて生きようとしてる場所に、急にでっかくなって戻ってきた私が割り込むのもさ。なんだか、自分の居場所がもうそこに無いような気がしちゃってさぁ」
銀は「へへっ」と自嘲気味に笑ってみせた。その笑顔には、どこか諦念のような、寂しげな色が混ざっている。
「まあ! いずれは自立して家を出るわけだしさ! それがちょっと早くなっただけだって! だから大丈夫、問題なし!」
明るく締めくくろうとする銀だったが、その言葉の裏にある深い孤独を、園子が見逃すはずもなかった。
◆
「——というわけで! ミノさんのあの頑固な思い込みを何とかしたいんだけど、みんなどうしたら良いと思う〜?」
翌日、放課後の勇者部部室。
銀が真優たちと一緒に市街地の復旧の手伝いと巡回に出かけている隙を狙い、園子は部室に残っていた犬吠埼風と樹に向かって両手を広げた。
「はぁ……銀も、妙なところで遠慮深いのよね」
風は腕を組み、深々とため息をついた。
「居場所がないなんて絶対に気のせいよ。ご両親だって弟さんたちだって、生きて戻ってきてくれただけで感無量に決まってるじゃない。早めに家族としっかり話し合わせるべきだわ」
「私もお姉ちゃんと同感です。ちゃんとお互いの気持ちを言葉にしないと、すれ違ったままになっちゃいますよ」
樹も優しく頷く。二人の意見はもっともだった。しかし、園子はうーんと唸って首をひねる。
「でもねぇ〜、今のミノさんに『実家に帰りなさい』って言ったところで、あつあつのコンクリートに水を撒くくらい効き目がないと思うんだよねぇ。『大丈夫大丈夫!』って笑って流されちゃうのが目に見えてるの」
頑固で、自分のことになると途端に不器用になるのが三ノ輪銀という少女だ。普通に促すだけでは、彼女はその意思を曲げない。
「実家に直接帰らせるのがダメなら、逃げられない状況を作っちゃえばいいんじゃない……?」
園子の頭の上に、ピカーンと怪しいひらめきの電球が点灯した。
彼女はポケットからスマートフォンを取り出すと、迷わずある人物へ電話をかけ始めた。
「あ、もしもし〜? 継人さん? 園子ちゃんでーす。ちょっとご相談があるんですけど〜」
電話の向こうで大葉継人が胃の痛そうな声を上げるのが聞こえてくる。その様子を横で見つめていた風は、額に青筋を浮かべながら確信していた。
「……絶対にロクでもないこと考えてるわね……」
◇
そして、ゴールデンウィークの初日に高松市内にある最高級の結婚式場・披露宴会場はパーティー会場となった。
会場を借り切って開催されるのは、「四国戦災復興ならびに総力結集懇親会」。
大赦の上層部や名家、政治・経済の重鎮たちが一堂に会する一大パーティーである。
名目上は戦災復興の激励会であったが、開催者の一人である大葉継人本人は、こうした権力者たちの社交場に極めて後ろ向きだった。しかし、乃木園子と桑折春雄の強い勧め、というより強力な外堀埋めにより、開催せざるを得ない状況に追い込まれたのだった。
勇者部員全員が招待されたわけではないが、いくつかの「特別な理由」を持つメンバーが着飾って出席する運びとなった。
乃木園子、東郷美森、三ノ輪銀は言うまでもなく大赦を支える名家の出身である。三好夏凜は三好春信の家族として、そして大葉真優には、二つの重大な立場が存在していた。
一つは、大葉継人の「子女」としての立場。
そしてもう一つは、乃木家の「親族」としての立場である。
真優の半身である相良二夜の出自は、先代乃木家当主の兄が、内縁の妻との間に設けた娘であった。非常に複雑で微妙な立ち位置であったが、二夜と真優は書類上において同一人物として認識されている。
そして何より、現在の真優は、現実世界においてイザナギ撃破という超次元的な力を提示してみせた、人類および大赦における「最高戦力」の一角なのだ。 樹海の中であればその政治的価値は薄かったかもしれないのだが。
現実に平和が戻った今、彼女の存在感は巨大すぎた。
そこで乃木家は、園子の巧みな「入れ知恵」もあり、「真優は幼少期より乃木家から大葉継人へ養女に出されていた」という筋書きを正式に作成・公認したのである。これにより、乃木家と継人の政治的立ち位置は揺るぎないものとなる。
つまりこのパーティーは、復興の激励会であると同時に、新生・大葉真優の「大赦・名家へのお披露目会」という裏の目的を兼ねていたのだった。
◆
「——というわけで! 真優ちゃん! 乃木家の総力を挙げて、最高にかわいくおめかしさせてもらうからねーっ!」
「嫌だあああああーっっっ!!! 」
パーティー当日の朝、乃木本家の広大な和室に、悲痛な叫び声が響き渡っていた。
暴れる真優は、勇者部によってすでにあれよあれよと簀巻きにされ、まるで獲れたての巨大なマグロのように畳の上をゴロゴロと転がされていた。
部屋の隅では、友奈が赤ん坊の夜継を抱っこし、「真優ちゃんがんばれー」と離れた場所からニコニコと見守っている。
「暴れないの真優! 往生際が悪いわよ!」
腕まくりをした風が、山のように積まれたドレスの山を背にして仁王立ちしていた。
「だいたいねぇ! 最近のあんたの私服、なんなのよ! 動きやすいからってジャージか男子高校生みたいな格好ばっかりして! ここいらで気合い入れてめかしこんで、乙女としての意識を根底から変えなさい!」
「無理に決まってるよ! 僕、元は男なんだよ! 意識を変えろとか無茶苦茶言うなーっ!」
ジタバタと悶絶する真優。
そう簡単に意識を変えろっていうのは無理があるよね。
と、その場にいた東郷や夏凜も心の中で突っ込んでいたが、日常の真優の格好が時折「完全に男子高校生」なのは事実だったため、誰も風を止めようとはしなかった。
「まあ、これで私達も余計な気を使わなくて良くなりますね、真優さんこの前タンクトップとか着てましたし」
「メブも着そうなのに」
「雀、私の胸はあんなにでかくないわ、見たでしょ動くたんびにブルンバルン揺れて、小学生の目線が上下してたわ」
「オホホこの弥勒も着てましたわよー!小学生に悪いことしましたわねー!」
「……弥勒、タンクトップにツナギだったからほとんど土木工事のおじさんだったよ」
「オホー!!」
「話せ! ほどけ! 僕はこんなヒラヒラした布の塊何か着たくないいい!!」
暴れ狂う真優。その時、園子がスーッと忍び足で近づき、簀巻きにされた真優の耳元へ口を寄せた。
「……マユマユ、ここでちゃんとした服を着ないとねぇ……」
園子は悪魔のような笑みを浮かべ、甘い声で囁く。
「……大赦の偉い人たちから、継人さんが『自分の子供に満足な服一着すら着せられない、ダメな親』として見られちゃうよぉ〜? 『やっぱり継人はダメだな』なんて言われちゃうかもねぇ〜……」
「……っ!?」
真優の動きが、ピタリと止まった。
引きつった顔で園子を見つめ、ぐぬぬ……と鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。
「……お父さんに……迷惑がかかるのは……それは……ダメだ……」
一瞬でしおらしくなり、大人しくなる真優。本人的にも多大に心配かけているのか、継人さんに負担を負わせるようなことはしたくないようである。
それを見た園子は「ガハハハ!」と大赦の名家らしからぬ豪快な笑い声を上げ、次々と高級ドレスを引っ張り出してきた。
「よーし、マユマユが落ちた!落ちたぞ! 着せ替え人形タイム開始〜!」
「ちょっとそのっち!? 待ちなさい、なんで私までドレスをあてがわれているのですか!?」
「あはは! わっしーも夏凜ちゃんも、みんなまとめて可愛くなっちゃえ〜!」
「きゃあ! 園子、私に触るな! 自分で着るから!」
結局、園子の猛烈なノリに巻き込まれ、その場にいた女子全員が好きなように着せ替え人形と化す羽目になったのだった。もちろん、友奈に抱っこされていた赤ん坊の夜継までもが、天使のようなベビーフリルの服を着せられていた。
◆
晴れ渡る空の下、高松市の格式高い結婚式場。
一両の高級ワンボックスカーが滑り込み、ドアが開いた。
勇者部の面々は、継人の運転によって会場入りを果たしていた。
車から降り立った少女たちは、全員が大赦の宴席として恥ずかしくない程度に薄く上品なお化粧を施され、それぞれ美しいドレスに身を包んでいた。
真優は純白と紺青を基調としたシックかつ可憐なドレスを着せられ、魂が抜けたような顔で継人の後ろをついて歩いている。
「あーっ! 夏凜ちゃん! かわいいねぇぇ〜〜っ!!」
会場のロビーに入るやいなや、待ち構えていた三好春信が弾けたような笑顔で飛んできた。
「ちょっと兄貴! 人前で抱きつかないでってば! 服がシワになるでしょ!」
「いやぁ、うちの夏凜ちゃんが世界一かわいいよ! ほら、大赦の幹部たちに挨拶に行こうねぇ!」
「きゃあ! どこ引っ張っていくのよー!」
夏凜は春信に「かわいい、かわいい」と連呼されながら、ドタバタと会場の奥へと連れ去られていった。
「はぁ……似合わねぇなぁ、おい」
残された三ノ輪銀は、ロビーの巨大な姿鏡に映る自分の姿を見て、落ち着かない様子で首を捻っていた。
可憐なフリルが施された深緑のドレス。背が伸びたおかげでスラリとしたスタイルには映えているものの、普段ボーイッシュな格好ばかりしている彼女にとっては、むず痒くてたまらない。
「ふふっ、全然そんなことないよー、ミノさん。とっても素敵!」
園子がトコトコと歩み寄ってくると、銀の手をキュッと握った。
「うわっ、なんだよ園子?」
「いいからいいから! こっちに来て〜!」
「おい、引っ張るなって!」
困惑する銀を引っぱって、園子はパーティー会場の華やかな雑踏を抜け、少し静かなテラス近くの応接スペースへと向かった。
「はい、到着〜!」
「到着って……え?」
園子が手を離した先。そこに立っていた人物たちを見て、銀は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、銀の両親と、二人の弟たちだった。
「え……どういう、こと……?」
動揺して固まる銀を置き去りにして、園子は「ミノさん、頑張るんよ〜!」と可愛らしく手を振ると、風のようにパーティー会場の中へと消えていかせてしまった。
「あ、おい! そのっち待てって……!」
去っていく園子の背中を虚しく見送り、銀はおそるおそる振り返る。
家族の視線が、一斉に銀へと注がれた。一瞬の静寂の後、両親がいつもと変わらない穏やかなニコニコとした笑顔を浮かべた。
「久しぶりね、銀」
「元気にしてたかい?」
「あ……うん。久しぶり……」
気まずさに身を縮こまらせながら、銀は小さく挨拶を返した。
両親は銀のドレス姿を見て「すごく似合っているよ」と目を細め、当たり前のように近況を尋ねてきた。
「一人暮らしはどうだ? ちゃんとご飯は食べているかい?」
「学校の勉強はついていけてる? 友達とうまくやれてる?」
「問題ないよ。ご飯は……まあ、園子の部屋とかで一緒に食べたりしてるし。学校も、須美たちが教えてくれるから大丈夫」
銀が淡々と答えると、両親は「そうか、良かった」と満足そうに深く頷いた。そして、父親が隣に立っていた上の弟の背中を、ポンと優しく押した。
上の弟は、銀が不在だったこの2年間で目覚ましく成長していた。かつては銀の顎あたりまでしかなかった背丈が、今や2年分大きくなった銀の身長に負けず劣らずの高さにまで伸びている。
上の弟は、少し照れくさそうに鼻の頭を擦りながら、銀の目を見つめた。
「あのさ……ねえちゃん。俺、料理できるようになったんだ」
「え……?」
「父ちゃんも母ちゃんも仕事で忙しいからさ。俺がご飯作って、下の弟の面倒だってちゃんと見られるんだ。洗濯も掃除も、全部できるようになったんだぞ。だから、ねえちゃんが居なくても……俺たち、ちゃんとやっていけるんだ」
2年間で自分がどれほど成長したか誇らしげに語る弟の姿に、銀の胸がキュッと締め付けられた。自分が死んでいた間、弟は「長男」として必死に家を守り、成長していたのだ。
「……そうか。すごいな、お前。偉いぞ」
銀が頭を撫でてやると、弟は嬉しそうに笑った。
そこで、両親が少し真面目な顔つきになり、銀に向き直った。
「実はな、銀。私と母さん、大赦から少し大きな仕事を任されることになったんだ」
「仕事?」
「ああ。神樹様の結界拡大と崩壊した都市群の復旧計画だ。長期間の出張作業になる。家に戻れるのは、一週間に一回程度になってしまうだろう」
父親は言葉を切り、まっすぐに銀を見た。
「だから……弟たち2人を監督し、家を守る人間が必要なんだ。……銀、私達の代わりに、家を任せてもいいかい?」
「……私に?」
銀が問うと、両親は静かに首を縦に振った。
「親として、あまりにも非常識で勝手な頼みだということは分かっている。せっかく戻ってきたお前に、そんな負担をかけるなんてな。だが……お前が居なくては、どうにもならないのも事実なんだ」
両親は、娘に対して申し訳なさそうに頭を下げた。
深々と頭を下げる両親と、自分を見上げる弟たち。
豪華なパーティー会場の喧噪が遠く聞こえる中で、銀はしばらくの間、じっと黙り込んでいた。
そして、ぽつりと、静かな声で言葉を紡ぎ始めた。
「……私は、一度死んだんだ」
「銀……」
「神樹様の力で生き返った。……でも、これは戦うために生き返らされたものだ。自分が……人間らしく、普通に生きていて良いのか、ずっと分からないんだ」
銀の言葉は、感情を排したように淡々としていた。けれど、それ故に彼女の魂の痛みがダイレクトに伝わってきた。
「私以外にも、生き返るべき人がいたんじゃないかって、いつも考えちまう。……私たちのために、命を落とした椿先生の方が良かったんじゃないか。そんなことが、ずっと頭から離れないんだ」
かつて自分たちを庇って散っていった大葉椿の顔が、脳裏をよぎる。
「須美には『平和になったんだから、普通の中学生をしてて良いんだ』って言った。でも……私自身が、その中に居ていいのか分からない。私は、平和を享受して良い存在なのか……」
どこに行けばいいのか分からない。自分がなぜ今、ここに生きているのか分からない。
それが、三ノ輪銀という少女が抱え続けていた、呪縛だった。
話を聞き終えた両親は、悲しそうに目を細め、「そうか……」と低く呟いた。
「辛い思いをさせてごめんな。……私達の頼みは、断ってくれて構わない。お前の人生だ」
「……わかった」
銀がそう答えた瞬間だった。
ぎゅっ、と足元に温かい重みがしがみついてきた。
見下ろすと、下の弟が涙目になりながら、銀の足に必死で抱きついていたのだ。
「ねえちゃん……!」
銀は膝をつき、幼い弟をそっと抱き抱えた。ぎゅっと腕の中で抱きしめる。
伝わってくる体温。小さな吐息。トクトクと脈打つ鼓動。
それを自分が受けて良いのか、楽しんで良いのかは分からない。
けれど、その確かな暖かさは、間違いなく今、自分の腕の中に存在していた。
◆
同じ頃、パーティー会場のテラス付近。
東郷美森は、凛とした佇まいで一対の夫婦と向き合っていた。
鷲尾家の両親である。
記憶を取り戻し、失われていた両足の自由を取り戻して己の足で立っていること。それを報告するために、東郷は自ら彼らのもとを訪れていた。
「……美森さん。お元気そうで、何よりです」
両親は、東郷のことを「須美」とは呼ばず、「美森」と呼んだ。
記憶が戻ったとはいえ、今の彼女は「東郷美森」として生きており、鷲尾家との籍はすでに解消されている。
それを寂しいとは思う。だが、東郷は理解していた。
それが、鷲尾の両親なりの深い愛情であり、彼女の今の人生を尊重するための「線引き」なのだと。
だからこそ、東郷もまたその線引きを尊重し、感謝の言葉を述べようとした。
——しかし。
「美森さん。……これを見みなさい」
義父が重々しい面持ちでスマートフォンを取り出し、画面を東郷の目の前に突きつけてきた。
「……はい? 何でしょう、お父さ——」
画面を覗き込んだ瞬間、東郷の思考がフリーズした。
そこに映し出されていたのは、全身を軍服で包み、仮面をつけ、『国防仮面』と名乗って街中で暴れ散らかしている自分自身の姿だった。
「なッ………………ッッ!!!!????」
ドバァッ!と、東郷の全身から冷や汗が吹き出した。瞬時に血の気が引き、顔面が蒼白になる。
なぜ!? なぜこの映像を!? 通信ジャミングは完璧だったはずでは?
あわわわと金魚のように口をパクパクさせる東郷の耳元に、義父がそっと顔を近づけ、低い声で囁いた。
「……安芸先生からな。君が小学生の頃、国防仮面の格好をして下級生を洗脳しかけたことは、当時から報告を受けていたんだ」
「ひえっ……!?」
「それに、大葉最高神官からも連絡があった。『最近、美森さんが街で変な格好して跳ね回ったりして大変なんです』とな」
「あ、あわ……あの、これはですね! 国防意識の啓発活動といいますか、その、平和の萌芽を摘み取る邪悪な存在への警告でありまして——!」
支離滅裂な弁明を試みる東郷に対し、両親はクスッと優しく微笑んだ。
「勇者である君に、『危ないことをするな』と止める権限は今の私達にはない。……だが、元両親としてはね。もう少し落ち着いて、自分を大切にしてほしいんだよ」
「はいぃ……」
完全にしょぼくれ、肩を落とす東郷。そんな彼女の手を、義母が優しく包み込んだ。
「だから……どうか元気に、幸せに生きておくれ。何か困ったことがあれば、いつでも私達を頼りなさい」
「……っ、はい! ありがとうございます……」
恥ずかしさと温かさに胸をいっぱいにしながら、東郷は深々と頭を下げるのだった。
◆
会場の中央ステージでは、乃木家の権威をフルに活用した盛大な演出のもと、真優が「乃木家の親族・大葉真優」として名家の人々に紹介されていた。
引きつった笑顔でペコペコと頭を下げる真優を、園子が手際よく回収し、会場の外へと連れ出した。
「ふぅ……死ぬかと思った……。園子さん、どこへ行くの?」
「ん〜? ちょっと会ってほしい人がいてねぇ」
ガーデンテラスへ出ると、そこには継人が一人で立っていた。そしてその隣には、60代半ばと思われる品のある女性が佇んでいた。
真優が足を止めると、継人が静かに振り返った。
「真優。……こちらが、相良二夜の母親だ」
「……!」
真優の胸が、ドクンと跳ね上がった。
二夜から引き継いだ記憶の中に眠る、「お母さん」の面影と、驚くほどよく似ている女性だった。
真優がおそるおそる近づくと、女性は真優の顔をじっと見つめ、目元を和ませて嬉しそうに笑った。
「……本当に、二夜にそっくりねぇ。……特にその目なんて、あの人にそっくりだわ」
女性は真優の薄い茶色の髪にそっと手を伸ばした。
「この髪の色も、あの人にそっくり。……二夜は私に似て、真っ黒な髪だったから。あの子に妹が居たら、きっとあなたみたいな女の子だったんでしょうね」
真優は女性の手の温もりを感じながら、まっすぐに言葉を返した。
「……二夜は、僕のことを『妹』と呼んでくれました。僕も、それで良いと思っています」
真優の声に、二夜の魂の響きが重なる。
「僕の中に、二夜の記憶が残っています。二夜は……先の戦いで、あなたに最後に会えなかったことを、ずっと悔やんでいました。だから、僕が代わりに伝えます」
真優は深々と頭を下げた。
「『お母さん、先にいなくなってしまってごめんなさい。でも、私は精一杯、一生懸命に生きました。みんなと、妹のおかげで……私とお腹の子は、生を受けることができました。本当に、ありがとう』……と」
女性は息を呑み、涙を堪えるように深く俯いた。
やがて顔を上げると、震える声で尋ねた。
「……あの子の子供の顔を……見せていただけるかしら?」
「はい」
真優はスマホを取り出し、友奈に抱っこされている夜継の写真を見せた。
「名前は……『夜継』といいます」
写真に写る赤ん坊の愛くるしい笑顔を見つめ、女性はボロボロと大粒の涙をこぼした。
「……そう。あの子は……ちゃんと、生きた証を残せたのね。……良かった……本当に、良かった……」
女性は何度も頷き、真優の手を強く握りしめるのだった。
◆
無事にパーティーが終わり、参加していた勇者部の面々は、式場近くの最高級ホテルに泊まることとなっていた。
「俺は少し事務処理と挨拶回りがある。明日迎えに来るから待っててくれ」
継人はそう言い残すと、車に乗って夜の街へと向かっていった。
真優が呆れたように言うには、イザナギとの決戦が終わった後、継人とまともに夕飯を食べられたのはたったの1日だけで、それ以降は卒業式を除いてほとんど仕事で家に帰ってきていないらしい。
現在の大葉家は、マンションがイザナギの攻撃で破損した犬吠埼姉妹が居候しており、真優、風、樹、そして赤ん坊の夜継の4人で暮らしているのだという。
「ほら、これ見てよー」
園子がスマホの画面を東郷と銀に見せてきた。樹から送られてきた写真には、夜継を寝かしつけようとして抱っこしたまま、一緒にベッドで爆睡している風の無防備な顔が写っていた。
「風先輩、完全に相打ちになってるねぇ〜」
「ふふ、風ちゃんらしいよね」
◆
夜。ホテルの大浴場。
広々とした湯船から湯気が立ち上る中、園子、東郷、銀の3人は湯に浸かっていた。
「あ〜〜〜……極楽極楽……」
足を伸ばしてふぅーっと息を吐き出す。2年前と変わらない3人の時間。だが、確実に変わったものもある。身体の成長だ。
銀は自分の体を水面越しに見下ろし、ガックリと肩を落とした。
「はぁ〜……。2年分でかくなったとはいえさぁ。須美やそのっちに背丈も追い抜かれて、女らしさでも差をつけられたなぁ……」
「そうかしら?」
「そうかなぁ〜?」
東郷と園子は、自分の豊満な胸元やしなやかな体つきを見つめて首をひねる。特に東郷のプロポーションは中学生とは思えない域に達している。
「おのれぇぇ……成長期め……!」
歯噛みする銀。そこへ、「失礼するわよ」と夏凜と真優が大浴場に入ってきた。
真優はどこか及び腰で、「僕、やっぱり部屋のシャワーで良かったんじゃ……」と引き返そうとしているが、夏凜がその首根っこを掴んで引っ張ってくる。
「ほら、往生際が悪いわよ真優! みんなで入った方が楽しいに決まってるでしょ!」
夏凜のスレンダーで引き締まったアスリート体型を見て、銀は「そうそう! これだよこれ! 中学生女子の標準はこれくらいでいいんだよ!」と勝手に一人で納得していた。
一方、真優はバスタオルを体にぐるぐる巻きにした状態で湯船に入ろうとし、夏凜に即座に叱られていた。
「ちょっと真優! タオル巻いたまま湯船に入っちゃダメでしょ! 外しなさい!」
「いやでもぉ……僕は元男だし、やっぱり抵抗が……」
「ダメ! マナー違反!」
バッと夏凜にタオルを剥ぎ取られる真優。
その瞬間──湯船にゆらりと浮き上がる、圧倒的な存在感の二つの山。
「「「………………」」」
場に静寂が訪れた。
銀、園子、東郷、夏凜の視線が、一斉に真優の胸元へと集中する。
「……うおっ」
思わず銀の口から感嘆の声が漏れた。
「え、な、何… ジロジロ見ないで……」
顔を真っ赤にした真優が、慌てて両腕で胸を隠す。東郷も「そうです! 乙女のプライベートな部分を好奇の目で見つめるのは非紳士的です!」と真優を擁護しようとしたが——
「いやいや東郷、あんたも迫力あるからね!?」と夏凜が突っ込む間もなく、園子と銀がワシワシと真優へ詰め寄っていた。
「ねえねえマユマユ! 海の時から思ってたけど、すっごい大きいよねぇ!? 肩こらない〜!?」
「元男なんですよね!? 視界の下の方に常に何か映ってておかしいな〜とか思わないんですか!?」
「ひえ、 質問は一度に言わないでぇっ!」
真優が律儀に一つ一つ答えてしまうため、会話はさらにエスカレート。
「だめだ、温泉だけじゃ聞き足りない! 今夜はみんなで同じ部屋で寝て、徹底討論よ!」
「えぇぇぇ……」
園子の横で、夏凜は「……しくじったわ……」と頭を抱えていた。
◆
案の定、夜の部屋は女子5人の修学旅行状態と化した。
大きめの男子用っぽいジャージを着て座っている真優に対し、4人から一斉に苦言が飛ぶ。
「マユマユ、もう少し可愛いパジャマ着ようよ〜」
「そうですよ!真優先輩!せっかく女の子なんですから!」
「えぇ〜……これ、着心地が良くて一番落ち着くのに……」
「すげぇ、ジャージの前が締まりきってねぇ……」
「チャック可哀想ね」
しぶしぶと眉をひそめる真優。しかし園子は容赦ない。
「そんなことよりマユマユ! 女の子になった時の感覚のギャップとか、身体の変化の違和感とか、細かく教えて! 小説のネタにするから!」
「創作のダシにしないで!? 助けて東郷さん!」
最終的に、真優を救うために東郷が「……では、場を落ち着かせるために、私がとっておきの怪談話を披露しましょう」と恐ろしい怪談を話し始め、恐怖に震えた全員が強制的に布団に潜り込んで寝ることとなったのだった。
◆
夜更け。
ふと目を覚ました園子は、隣の布団に銀がいないことに気づいた。
静かに部屋を出ると、後ろからわっしーもついてきた。
二人がホテルの自動販売機コーナーへ向かうと、ジュースのボタンの前でどれにしようか腕を組んで悩んでいる銀の姿があった。
「ミノさん、喉乾いたの〜?」
「うおっ!? 園子、須美……びっくりさせるなよ」
「喉が乾いたなら、良い場所があるよー」
園子は銀の手を引くと、エレベーターに乗ってホテルの最上階へと向かった。そこには、高松の夜景が一望できる高級ラウンジがあった。
「えっ、ちょっと待てよ! ここ、ラウンジじゃないのか? 勝手に入っていいのかよ!?夜の時間は年齢制限が……」
東郷と銀が入口で尻込みするが、園子は「大丈夫〜! 継人さんが事前に大赦の名義で話を通してくれてるから〜」とズンズン進んでいく。
見晴らしの良い窓際のソファー席に、3人は並んで腰掛けた。
運ばれてきたジュースをチビチビと飲みながら、夜景を眺める。
やがて、銀がグラスを弄びながら、ぽつりと園子に尋ねた。
「……園子。パーティーにうちの両親を呼んだの、お前だろ」
「そうだよ〜」
園子は隠す様子もなく、ケロッと返答した。
「だってさぁ、ミノさん、自分から話す気なんて全くなかったでしょ?」
「うぐっ……」
図星を突かれ、銀は言葉を詰まらせた。
園子は優しく微笑みながら、銀の表情を見つめた。
「ミノさんが考えてること、園子ちゃんには全部お見通しだよ。『自分が人間らしく生きて良いのか』『誰かもっと別に生き返らせるべき人がいたんじゃないか』……例えば、椿先生とかね」
銀は目を見開いた後、ハァと大きなため息をついた。
「……なんだよ。本当にお見通しかよ……」
銀は背もたれに頭を預け、天井を見つめた。
「……両親にも言ったんだ。本当の気持ちだ。真優さんは、不完全だった神樹の復活システムを完成させるために、誰かを生き返らせる必要があって、たまたま直近で死んだ私が選ばれた。……ならさ、私じゃなくて椿先生でも良かったんじゃないかって思っちまうんだよ」
銀の握りしめた拳が、かすかに震えていた。
「生き返りたくないわけじゃない、でも……先生だって、死にたくて死んだわけじゃない、 先生だって、生き返りたかったはずだ。なら……生き返ったのが私なら、私は椿先生の代わりをやらなきゃいけないんじゃないかって……。誰かを守るために、先生みたいに死ぬことだって躊躇しちゃいけないんじゃないかって……」
自分を犠牲にして3人を守った大葉椿。その遺志を継がなければ、自分に生きている資格はないのではないかという、自己認識。
園子が「それは違うよ」と制しようとした、その瞬間。
「——それは違うわ、銀」
毅然とした声が、ラウンジに響いた。東郷美森だった。
「え……? 須美……?」
銀が振り返ると、東郷はまっすぐな目で銀を見つめていた。
「もし……あなたの言う通りだとしたら。椿先生と、そしてあなたに命を助けられた私も……残された者として、先生やあなたのように死ぬ事を覚悟して生きなければならなくなるわね」
「なっ……! 須美、お前は関係ないだろ!」
「関係なくありません」
東郷は強く言い切った。
「今の平和も、日常も……私たちや、私たちへと繋がる何人もの犠牲の上に勝ち取られたものよ。それを維持し、守り続けるのは、今生きている人間の役目です。神樹の力で生き返ったかどうかなんて、何の違いもないわ。それが……今、私たちがここに生きている理由よ」
東郷は銀の手を強く握りしめた。
「だから……銀だけじゃない。勇者部だけじゃない。生きている人間すべての義務なの。託された平和は、みんなで繋いでいかなければならない。そしてね……平和を繋ぐのは、戦いや犠牲だけではないわ」
東郷の瞳に、優しい光が宿る。
「だから銀。あなたには、あなたの平和を全力で享受する義務があるの。……それこそが、椿先生が私たちに命を懸けて託してくれたものなのだから」
「須美……」
「あなたは言われたはずよ。『勇気がある』って。だったら……平和に生きるために、勇気を奮いなさい」
東郷は力強く胸を張った。
「もし……誰かが銀の生き方に文句を付けたり、あなたの平和を脅かそうとするなら……私が絶対に許さないわ、国防仮面の出番よ!」
「……くっ、あはははは!」
シリアスな流れからの突然の「国防仮面」に、銀は思わず爆笑してしまった。
「おいおい! 国防仮面はみんなにバレて没収されただろーが!」
「なっ……! 新しいスーツと仮面を作るわ! 今度は光学迷彩付きよ!」
「変なの作るなよ!……たく、しょうがねぇな」
銀は笑いながらジュースを飲み干した。
「国防仮面を暴走させないためにも……少しは平和に、普通に生きる努力をしてやるとするか……」
その言葉を聞いて、園子はホッと胸を撫でおろした。銀の腹は、もう決まったのだと分かったからだ。
「あ〜! お腹空いた! このラウンジに置いてある食べ物って、自由に食べていいんだろ!?」
「えっ、ええ、軽食なら……」
そこからの銀の食欲は凄まじかった。
腹パンパンになるまでラウンジのサンドイッチや軽食をかき集めて食べ尽くし、大満足の笑顔で部屋へと戻っていったのだった。
部屋に戻り、布団で豪快にいびきをかいて眠る銀の姿を見ながら、東郷が園子の隣に寄り添った。
「……そのっちも、気負う必要なんてないのよ?」
「ふふっ……園子ちゃんは気負ってなんかいないよ〜」
園子は窓の外の星空を見上げ、一人静かに呟いた。
「……だって、先生との、約束だもんね」
◆
翌朝。
燦々と差し込む朝日で目を覚ました園子が目撃したのは、真優と東郷という、勇者部誇る巨大な二つの「山」の間に挟まれ、身動きが取れなくなった銀が、「ぐえぇ……息が……苦しい……」と悶絶しながら唸っていたのだった。
平和になった世界での、新しくも騒がしい日常は、こうして続いていく。