讃州の海に刺さる夕陽は、燃えるような朱と深い藍の交じり合う、綺麗なグラデーションを描いていた。穏やかに砂浜を撫でる音は、春の終わりを告げている。
「──夏凜ちゃん! こっちの大きい瓦礫、運ぶねぇ〜!」
「待ちなさい友奈! それ、大人四人がかりで運ぶやつでしょうが!」
私=三好夏凜の制止も虚しく、友奈は軽々と戦いの残骸と思われるコンクリートの塊をゴロゴロと転がせてみせた。筋肉を極限まで躍動させている風でもなく、ごく自然に、まるで公園のドッジボールでも拾い上げるかのような軽快さである。
復旧作業は着々と進んでいた。勇者部も放課後や週末を利用して、こうしてボランティアという名目の瓦礫撤去作業に精を出している。特に体力に優れる夏凜や友奈は、防人のメンバーとともに過酷な浜辺の清掃を担当することが多かった。
作業の手を止め、汗を拭いながら夏凜は深いため息をついた。
「……はあ。あんたね、自分が今どういう状況か分かってるの?」
「えへへ……でも、困ってる人たちの役に立ちたいし。それに、瓦礫撤去くらいなら大丈夫かなって」
「大丈夫なわけないでしょ、力が出過ぎて制御できてないって言ったのは誰よ」
友奈は申し訳なさそうに頭を掻いた。
イザナギとの最終決戦にて、神樹からさらなる超次元的な力を引き渡された友奈の身体には、目に見える変調が生じていた。身体の力の加減が利かなくなっているのだ。本人は極力身体を動かすのを躊躇っていたのだが、今日は「重いものを運ぶくらいなら」という勇者部全体の判断で参加していた。
だが、蓋を開けてみればこの有り様である。
友奈が普段、その力を抑え込めているのは、ひとえにある「存在」が近くにいるからに他ならなかった。
夜継が居れば、また違ったんだが。
大葉継人が作り上げた遺伝子技術によって生を受けた赤ん坊、大葉夜継。友奈の持つ膨大な「救世の力」は、なぜか夜継の近くにいる時だけ素直に制御できるという特性があった。
まるで、制御を補助しているようだ。
しかし今日、夜継は浜辺にいない。
今朝から高熱を出し、大葉の家で寝込んでいるのだ。
勇者と人類の遺伝子工学という、異常な出自を持つ赤ん坊である。当然、市販の解熱剤や小児科の薬がそのまま効く保障はどこにもない。現在は桑折春雄による精密な血液検査と成分解析が行われており、迂闊な投薬ができないため治療が後手に回っていた。
そのため、真優も今日は作業を休んでつきっきりの看病に回っていた。
真優は前々から「海の復旧の時に夜継に海を見せてあげたい」「かわいい水着を着せて遊ばせたい」と張り切り、わざわざベビー用の水着まで用意していたのだ。
あの子の母親の代わりなんて到底務まらない、と言っているものだが。
だが、今の真優の姿を見ている夏凜からすれば、そんな弱音は不条理でしかなかった。
夜継が熱を出したと知るや否や、青ざめた顔で看病を始めた真優。あの無償の優しさは、間違いなく一人の「母親」そのものだった。
私に『母親の代わりをやれ』なんて言われたって、逆立ちしたって無理である。
真優は本当に母親をやれている。
そんなことを考えている間にも、友奈の超人的な作業効率のおかげで、浜辺の一角にあった大量の瓦礫はあっという間に片付いてしまった。
「……ふう! これでこのエリアは終わりかな!」
「まったく、あんた一人で十人分くらいの仕事しちゃってるわよ……」
夏凜が呆れていると、少し離れた場所で端末を操作していた楠芽吹が歩み寄ってきた。
「夏凜、友奈。風先輩にこちらの作業完了の報告を入れた。本日の撤去作業はこれで終了だ」
「お疲れ様、芽吹ちゃん!」
芽吹は淡々と答えると、手にした端末の画面を消し、実に丁寧な手つきでクロスを取り出して端末を拭き始めた。
夏凜はその手元をじっと見つめる。
芽吹が手にしている端末のカバーは、日に日に装飾が増え、豪華になっている。勇者部が使っている現行の端末に比べて型自体は古いはずなのに、傷ひとつなく、鏡のように磨き上げられていた。
本当、大事にしてるわ。
いつだったか、昼休みに教室で、芽吹が一人黙々と端末を磨いていた姿を夏凜は知っていた。
勇者システムが組み込まれたその端末は、単なる通信機器ではない。かつて散っていった勇者たちの遺品であり、生きて戦った証そのものなのだ。
先代の勇者であった桑折晴美──桑折春雄の妹の想い。
そして、夏凜が持つ端末に刻まれた、大葉椿──大葉継人の姉であり、東郷たちの恩師であった女性の端末。死者の遺志をその手に受けて今を生きている。だからこそ、芽吹はこの古い端末を誰よりも愛おしそうに扱うのだ。
「……ぐへへ、私の勇者端末、キレイにしましょうねぇ、傷なんて貴女には似合わないわ……」
うん、私の考えてた奴と何か違う気がする。
芽吹が満足そうに端末をポケットに収めた、まさにその時だった。
「わあ、海の水、あったかいよ!」
友奈が何気ない動作で、波打ち際へと足を一歩踏み入れた。
濡れた砂に足先が触れた、その瞬間のことである。
バシッと大気が鳴動した。
友奈の足元を中心に、半径数メートルの空間に目も眩むような「白い光」が血管のように走った。
「あ……っ!?」
友奈の驚いた声が上がる。
次の瞬間、空中に無数の桜の花弁が舞い散った。勇者システムを起動させていない。それにもかかわらず、友奈の肉体に宿る強大な「救世の力」が発動し、現象としての【焚骸】が自発的に発動してしまったのだ。
波打ち際に漂っていた魚や小海老、小さな蟹たちが、一瞬でその生命力を吸い上げられ、花弁になって消滅した。
「友奈! 動くな!!」
夏凜はとっさに叫び、手で止めた。
「そのまま一歩も動いちゃダメよ!力を抑え込みなさい!芽吹!連絡!」
「う、ううん……ごめん夏凜ちゃん。また……力を使いすぎちゃったみたい……」
友奈は海の中に突っ立ったまま、困り果てたような、泣きそうな顔で両手を上げた。
幸いにも、被害は周囲数メートルの小さな海洋生物だけで済んだが、もしこれが市街地や人が密集する場所で起きていたらと思うと、夏凜の背中に冷や汗が流れた。
夏凜に指示され芽吹が叫ぶ。
「作業員の皆さん!不発弾を発見しました!これより周辺の安全点検を行います! ただちに防波堤の上まで退避してください! 」
流石は防人の指揮官というべき手際で、芽吹たちは周囲にいたボランティアや作業員たちを退避させ始めた。継人へ緊急の連絡を入れ、迎えの車が到着するまでの間。
夏凜は、友奈から数メートル離れた乾いた砂浜の上に、ドカリと腰を下ろした。
海風がふたりの髪を揺らす。舞い散った花弁の残骸が、波に洗われて消えていく。
「……ごめんね、夏凜ちゃん、こんなことなっちゃって」
友奈がポツリと謝った。
「謝るんじゃないわよ。怪我人が出なかっただけ儲けものじゃない」
夏凜は膝を抱え、波を見つめたまま答えた。
「……まだ、コントロールできないの?」
「うん……」
友奈は困ったように微笑み、自分の手のひらを見つめた。
「力が入ってないつもりでも、急に身体の底から『溢れて』きちゃうんだ。家でもね、すっごく気をつけてるんだよ? ドアノブを回す時も、階段を降りる時も、壊しちゃわないようにずっと集中してて……」
「……はあ。想像するだけで肩が凝りそうね」
「でもね、この前……廊下にゴキブリさんが出たでしょ?」
「出たわね。風先輩が悲鳴上げて逃げ回ってたって聞いたわ」
「私、びっくりして『きゃっ』て言っちゃったの。そしたら……不意に力が漏れちゃって。ゴキブリさん、一瞬で綺麗な花弁になって消えちゃったの」
「……」
「へへ、笑っちゃうよね」
無邪気に笑う友奈だったが、その瞳の奥には隠しきれない疲弊と恐怖が滲んでいた。自分の肉体が自分のものでなくなったかのような感覚。いつか大切な人を傷つけてしまうかもしれないという恐怖。
「笑い事じゃないでしょ……」
呆れ声で突っ込もうとした夏凜だったが、友奈のその繊細な表情を見て、言葉を呑み込んだ。
この少女は今、誰よりも己の『強すぎる力』に怯えているのだ。天を穿ち、神をも退けたその強大すぎる力が、平和になった世界で自分自身を阻害している。
夏凜はふっと息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がった。
「……あんたの力、ホント凄かったわね」
「え?」
「手も触れずにバーテックスをエネルギーに変えちゃったりさ。私達の力まで全部ひとりで使いこなしたり。ホント、何でもありじゃない。勇者の私から見ても、引くレベルで無茶苦茶よ」
友奈は「えへへ……あの時は夢中だったから」と照れくさそうに頭を掻く。
「でもね」
夏凜は友奈の言葉を遮り、まっすぐにその瞳を見据えた。胸を張り、指を突きつける。
「私、あんたより強くなるわよ」
「……えっ?」
友奈が呆気にとられたように目を丸くした。
「継人さんの最新技術も、新しい装備も全部取り入れて、いっぱい訓練して、いっぱい、いっぱい強くなってやる、あんたみたいな超次元の神様みたいな力を使えなくたって……絶対に、あんたを超えてみせるわ」
「夏凜ちゃん……?」
「だから──ビビるんじゃないわよ、その力に、自分自身に」
夏凜の言葉が、浜辺に響き渡った。
「あんたがどれだけ恐ろしい力を手に入れようが、私達はこれっぽっちも怖くない、あんたがどうなろうと、暴走しそうになろうと、私達が全員で……この三好夏凜が、全力であんたを止めてやるわ」
言い終えるやいなや、夏凜は迷わず靴のままザブザブと海へ踏み込んだ。
先ほど友奈が【焚骸】を起こし、生命力が吸い尽くされた『危険領域』。白い光が再度展開するかもその場所へ、何のためらいもなく踏み込んでいく。
「あっ、夏凜ちゃんダメ! 入って来ちゃ——」
友奈の制止を無視して、夏凜はその小さな手を、ガシッと力強く掴み取った。
「だからあんたも怖がるな! その力をちゃんと自分のものにしなさい! いいわね!?」
夏凜の手のひらから伝わる、熱いほどの体温。人間としての、泥臭くも圧倒的な生の奔流。
神の領域に足を踏み入れかけ、孤立しそうになっていた友奈の魂を、夏凜の握り拳が強引に人間の世界へと引き戻した。
友奈はぽかんと目を丸くしていたが、やがて──その瞳にぽろぽろと涙を浮かべながら、太陽のような笑顔を咲かせた。
「……へへ。……うん! わかった!」
その時だった。
グオオと遠くの空から、空気の壁を突き破る猛烈なプラズマジェットの衝撃音が鳴り響いた。
音速を超えて空を切り裂き、急降下してくる一筋の影。
「友奈ちゃぁぁぁぁぁぁぁっっっんんん!!!」
「東郷さん!!!」
「うわ来た」
着陸の減速すら満足にしないまま、血相を変えた東郷美森が海面へとダイブした。
盛大な水柱が上がり、バシャーン! と激しい水飛沫が夏凜と友奈を襲う。
着地寸前に変身を解いた東郷は全身びしょ濡れ、高そうな私服を台無しにしながら、膝から崩れ落ちるようにして友奈へと抱きついた。
「友奈ちゃん! 無事!? 怪我はない!? 連絡を受けて居ても立ってもいられず、無許可で変身して飛んできたの!!」
「と、東郷さん!? 落ち着いて、服がすごいことになってるよ!?」
止める隙すら与えない怒涛の勢い。
濡れ鼠になりながら友奈の顔や身体をなで回し、無事を確認して半泣きになっている東郷の姿を見て、夏凜は肩をすくめて友奈に耳打ちした。
「ほらね。……私よりビビってない奴が来たでしょ?」
友奈は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「……そうだね! 東郷さんは、いつだって私よりすごいよ!」
遠くから、継人が手配した回収用の輸送車が音を立てて近づいてくるのが見えた。
夕陽に染まる浜辺で、少女たちの賑やかな笑い声が、どこまでも遠く響いていた。
「そういえば、さきほど夏凜ちゃんが友奈ちゃんの手を握って泣かせてるのを見たんですが」
「うぇ!?な、何もしてないわよ?!」
「夏凜は友奈の手を強引に引き寄せてましたよ、東郷、あー、乱暴されたんですかねぇ」
「夏凜ちゃん?」
「事実はそうだけど!違う!話を聞きなさい!」
「マッハ2で吊るされるのはさぞ辛いでしょう、出来るだけ耐えてくださいね」
「や……、やめなさいっっ!!?東郷!?わ、うわ、近付くな!!?!ぎゃー!!!」
◆
「……『救世の力』が勇者システムを介さずに発現した……、あれはシステムとは違う形で友奈君達に介入している……、だがなんだ?何が力の発端になっている?」
桑折家の研究室。
各種測定機器とモニターが明かりを放つ暗がりのなかで、桑折春雄は送られてきた浜辺のデータを検証していた。
モニターには、結城友奈の足元から発生した【焚骸】の局所的波形と、散華した海洋生物の生体データの変化が克明に記録されている。
「勇者システムを介さない自発的な焚骸……神樹の力をダイレクトに行使している証拠だが、出力の揺らぎが大きすぎる。その揺らぎは何に起因している?」
春雄は白衣のポケットから眼鏡拭きを取り出し、レンズを丁寧に磨いてからかけ直した。最近、少し老眼が出てきた。モニターを見るのが辛い。
彼の視線は次に、隣のモニターへと移る。そこには、すやすやとベッドで眠る幼子のバイタルデータが表示されていた。
大葉夜継──人類最高の遺伝子工学と勇者という神樹の力の結晶。
夜継の熱は、市販薬の投与により下がり始めていた。
その血液検査データには彼が普通の人間であることが記されている、普通の血液、おかしいのは改造された遺伝子のみ。
「……おかしい……何もかも……」
春雄はフッと息を吐き、自らの手のひらを見つめた。
皮下に流れる脈拍を感じる。かつて己の体を静かに、だが確実に蝕んでいた「絶望の病巣」は、今や跡形もなく消え去っていた。
イザナギとの決戦、そしてその散華。
あの日を境に、春雄だけでなく、病院に収容されていた複数の不治の病の患者から、病巣の完全消滅が報告されている。
「何が起こった……? 簡易的に考えれば、あの最終決戦時、神樹の『再生システム』の効果範囲が我々人間にまで及んだと見るのが妥当だ。だが……何故だ?」
結果には必ず原因がある。因果律はすべからく存在する。それが春雄という人間の揺るぎない信条であった。
神樹は我々人間を「理解した」と友奈や真優は言っていた。
では、どのように理解したのか?
なぜ神樹は、自らの領域──再生の奇跡の対象として、人間という種を「効果範囲に入れても良い存在」だと判断したのか?
「人を……『自らを守る兵器』として理解したのか?」
春雄の指先がキーボードの上で止まる。
神との戦いにおける、効率的な兵器。
勇者システムの始まりは、神樹が人間を守るため、人間に力を与えたことに端を発する。
ならば、神を守る者はどこにいる?
本来ならば神自身であるべきだ。しかし、天の神と神樹の間には絶対的な力の隔たりが存在した。神樹では、天の神と真っ向で戦うことはできなかった。
「だが……そこに『人間』という要素が加わった」
最初は弱かった。勇者の力も、人類の技術も。
しかし、大葉継人という人類史における致命的な「外れ値」の登場により、勇者システムは狂暴なまでの進化を遂げた。神の力を効率よく引き出し、増幅し、果ては神を殺す事象すら引き起こしてみせた。天の神の予測を遥かに上回るレベルで。
「神樹はその結果を認識した。だからこそ……人を『神を屠るための道具』として認めてしまったのではないか? だからこそ再生の対象に人間を入れ、友奈君や真優君に更なる力を与えた……?」
ぞっとするような仮説だった。
だが、春雄の脳裏にはもう一つの可能性が浮かんでいた。
「……いや。もし『神託』という未来予測の概念が存在するならば。神樹は、人が辿り着くその先にある『何か』を見ているのではないか?」
人が生き、命を繋ぎ、遥かその先。
神樹が自らのすべての力を投げ打ってでも、護り、育むに値する「何か」へ、人類が到達することを見越しているのだとしたら──。
「ふっ……人間が神の意志を推し量るなど、不遜もいいところだな」
春雄は自嘲気味に呟くと、夜継の血液検査データの最終ページを印刷し、ファイルに収めた。
そこには、夜継の遺伝子配列が記載されていた。それを見るとあまりにも予想以上に予想以下の事実が記されていた。
「はは、少しは笑える事もあるものだ」
◆
その頃、大赦の執務室。
「……はぁ。死ぬな、これは」
高級感あふれる革張りの椅子に深く腰掛け、俺=大葉継人は山積みにされた書類の山を前に、心底嫌そうな顔で呟いていた。
先の「四国戦災復興ならびに総力結集懇親会」を経て、継人の政治的立場は乃木家の威光と相まって不動のものとなった。
それはそれとして「仕事が多い」のである。
大赦上層部の旧態依然とした利権の調整、復興事業の予算配分、防人の再編、そして神樹なき後の新たな行政システムの構築。継人の超人的な情報処理能力をもってすれば書類自体は処理できるのだが、問題は「周囲の人間」だった。
「俺ひとりが書類を10倍の速度で裁いたところで、決済を回す現場や他部署が追いつかない……。組織として破綻している」
継人は上を見上げた。
自分がこの「最高神官」というポジションに長く留まるつもりは毛頭ない。自分がいつまでもトップに君臨していれば、組織は自分という個人のスペックに依存し、自分が倒れた瞬間に崩壊する。
俺が去っても回る組織を作らなければならない。俺は一番上に立つべき人間じゃない、能力的にも、何より『資格』的にも。
冷静に己を評価して上での判断。平和な時代のリーダーには相応しくない。目を瞑った時に自分の手が血で濡れているのをいつも思い出す。
「次の最高神官……候補は乃木家の現当主か、桑折春雄、あるいは三好春信か」
最有力候補は、三好春信だ。
大赦としての実績、若いゆえの柔軟性と実行力、そして何より能力がある。
さらに言えば、春信は乃木園子との間に妙な「繋がり」が生まれつつある。将来的に彼が最高神官となり、乃木家との良好な関係を維持できれば、大赦の権力構造は完璧な安定を迎えるだろう。
「まあ……本人がどう思っているかは別だがな」
継人はフッと薄く口角を上げた。
春信の動きは把握しているが、彼は乃木園子と接触する際、あからさまに緊張している。
「家の格」という政治的な圧迫感もあるだろう。だが、一番の理由は明白だった。
腕を切られたから。
我々と袂を分け、争ったあの時、園子が春信の腕を切り落としたという悲惨な結果。
春信は大人としてそれを割り切り、咎める素振りも見せないが、生理的な恐怖や気まずさまで完全に消し去ることはできていない。
一方の園子もまた、春信に対して深い罪悪感を抱えており、謝罪の機会を探りながらも、持ち前の突飛なコミュニケーションが裏目に出て上手く距離を縮められずにいた。
「園子君も、器用なのに不器用だからな……」
手元のタブレットを操作し、あるイベントのスケジューラーを開いた。
「よし。少し、やり返してやるとするか」
自分をあのお披露目パーティーという面倒な社交場に引きずり込んだ、園子へのささやかな「復讐」兼「後押し」である。
◆
翌週末。高松市内にある、先日パーティーが行われたあの結婚式場。
「……なんで俺が、こんなところに呼び出されてるんだ?」
三好春信は、式場の豪華なロビーで、椅子の背もたれに寄りかかるようにして天を仰いでいた。
事の発端は数日前、継人から直接下された指示だった。
『結婚式場から、勇者たちに対するモデルのオファーが来ている。広報活動の一環として手伝いに行ってくれ』というものだ。
式場側としては、四国を救った「勇者」たちを起用して、戦勝と復興の象徴として華やかな花嫁衣装のパンフレットを作成したいらしい。対象として指名されたのは、広報として顔が売れている防人の面々と、乃木園子、大葉真優、そして結城友奈であった。
春信としては、妹の夏凜がドレスを着るというならカメラマンとしてでも気合いを入れて参加しただろう。しかし、夏凜は「そんなヒラヒラした服、着るわけないでしょ!」と即座に辞退し、補助に回るとのことだ。
さらには、苦手意識のある乃木園子がバッチリ参加する。
正直、めちゃくちゃやりづらいと思っている。
モニター越しやインカム越しの指示なら、冷静に対処できる。だが、直接対面となると、どうしても右腕の義手が疼くような錯覚に襲われるのだ。
園子と目が合うたびに、彼女の瞳の奥に潜む「底知「人間を品定めするような鋭さ」を感じ取ってしまう。
夏凜が横にいてくれれば、まだマシである。
そう思って溜め息をついた瞬間、ロビーの奥からゾロゾロと賑やかな「おじさん集団」が歩いてきた。
「おお、 春信もう来ていたか」
「いやぁ、素晴らしい、中高生の勇者たちが花嫁衣裳を着るなんて、復興の象徴としてこれ以上の広報はないな」
「うちも此処に衣裳降ろしてるからそれも来てくれよな」
「終わったらみんなで焼肉だからなー!」
声をかけてきたのは、桑折春雄、早崎、御柱をはじめとする、かつて「鏑矢」として死線をくぐり抜けてきた大赦の重鎮たちであった。さらには、なぜか一番忙しいはずの大葉継人までが、当然のような顔で混ざっている。
春信は目を点にした。
「……え? 継人さんに春雄さん……なんでこんな名だたる面々が揃ってるんですか?」
「何って、手伝いだよ手伝い。勇者たちの晴れ姿を記録に残すのは、大赦幹部の重大な責務だからだよ、それに一部の子達は親御さんとも知り合いだからね」
春雄が至極真面目な顔で、最新型の超高画質一眼レフカメラを首から下げながら言った。
おじさんたちは「みんな可愛らしいから似合うだろうなぁ」「絶対に似合うぞ」とキャッキャウフフと盛り上がっている。死線を潜り抜けてきた熟練の戦士たちが、ただの親バカ集団と化していた。
勇者部と防人達は「げぇ、教官達揃い踏みですわ」「おじさんばっかり」「あれ一応大赦の一番上の人達なのよね?」「ほとんど昼間から飲んでるおじさん集団」「「教官おはようございます!!!」」「夏凜と芽吹が野球部みたいになってるわ」
どういうことだ。何なんだこの現場は。
頭を抱える春信。
すると、継人がスッと春信の隣に歩み寄り、その肩をぽんと優しく叩いた。
「春信。お前は別行動だ」
「え? 別……ですか?」
「ああ。防人と友奈君達の撮影補助は、俺たち『おじさん』が責任を持って担当する。お前は……あっちで、乃木園子のエスコートと撮影補助を担当しろ」
「え、はい!? ちょ、継人さん、俺一人で乃木さんと!?」
驚愕する春信を置き去りにして、継人たちは「さあさあ、撮影開始だぞ〜!」と勇者部&防人メンバーを引き連れて、ゾロゾロとどこかへ消えていってしまった。
取り残された春信。
そして、同じように取り残されてる乃木園子であった。二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
◆
「……なんで、こんなことになっちゃったのかなぁ〜……」
式場の隅で、私=乃木園子は重厚なドレスの裾を小さく持ち上げながら、深々とため息をついた。
状況を整理しようにも、頭が追いつかない。
今日は結婚式場からの依頼で、復興の象徴として花嫁衣装のモデル撮影をするはずだった。それなのに、気がつけば自分は三好春信と二人きりで、別館の静かな式場に取り残されている。
直前、継人が春信の肩をぽんと叩き、どこか意地悪で楽しそうな笑みを浮かべて去っていった姿が脳裏に浮かぶ。
完全に騙された。担がれた。継人さん、パーティーの時のお返しに、私と春信さんを二人きりにしたんだ。
心の中で頭を抱えた。
継人さんは、私が春信さんに対して「右腕を落としてしまったこと」への強い罪悪感を抱えており、謝罪したいのに上手く距離を縮められずにいることを見抜いていたのだ。だからこそ、逃げ場のないこの状況を作り出したのである。
やり返された。
どうしよう何を話せばいいのか全然分からない。
対する春信さんもまた、固まったように立ち尽くしていた。
いつもなら大赦の幹部として、あるいは夏凜の兄として冷静に振る舞えるはずの男が、あからさまに距離を置き、視線を彷徨わせている。
「どういうことなんだ……」
春信は弱り切った声を漏らすと、首の後ろを掻きながら、慎重に言葉を選んで話しかけてきた。
「……えっと、園子君。とりあえず……仕事、始めようか」
「……うん。そうですね、春信さん……」
何とか声を出して頷いた。
結婚式場が用意した衣装の数は膨大だった。大きな式場ということもあり、専用の衣装担当者が撮影する各勇者に1名ずつ付き、個人の雰囲気や体型に合わせたドレスを提案してくれるシステムになっている。
モデルという名目上、衣装の決定権は基本的に式場側にあった。
そして、園子に「とてもお似合いになりますよ」と笑顔で手渡されたのは──黒と深紫を基調とした、ゴシック調の非常に絢爛で重厚なドレスだった。
落ち着かない色。
着替えを終えて姿鏡の前に立った時、素直にそう思った。
デザイン自体は美しく、生地の質感も最高級品だ。だが、花嫁衣装としてはあまりにも重厚で、どちらかと言えば「威圧感」や「重圧」を感じさせる色合いだった。
衣装担当者は園子の持つ「乃木家」という名家の格や、どこか神秘的な雰囲気に合わせて選んでくれたのだろう。だが、もし本当の結婚式で花嫁になるのだとしたら、園子は絶対にこの色を選ばない。
「……じゃあ、撮影、お願いします……」
スタジオのカメラマンの指示に従い、ポーズを取っていく。
大きな式場だけあって、館内にはロココ調の庭園や重厚な階段、光の差し込むチャペルなど、撮影場所に事欠かない。
本館からは、友奈たちの「わあー! ドレス可愛い!」「ほら芽吹ちゃん、もっと笑って!」「亜耶ちゃん可愛いー!」「雀、亜耶ちゃんのデータ後でこっちにも寄越しなさい」「うおぉおぁぉ、ドレスきっちぃですわぁ……っ!」「弥勒さん昨日食べ過ぎなんだよぉ」「気合い入れる為ですわぁ…!」「その気持ちわかるわ、弥勒」「お姉ちゃんのはただの大食い」「友奈ちゃん友奈ちゃん友奈ちゃん友奈ちゃん友奈ちゃん友奈ちゃん友奈ちゃん」
といった賑やかな歓声やカメラのシャッター音が聞こえてくる。
だが、こちらの二人がいるスタジオには、静寂だけが漂っていた。
会話が続かない。
普段から全くコミュニケーションを取っていないわけではないのだ。
夏凜の近況や勇者部の活動について何かあれば、園子は春信のスマホへメッセージを送っている。春信もそれに丁寧に対応してくれる。だが、メッセージの文面は常に必要最低限で、どこか形式的だった。春信は大人として、しっかりと「一線」を引いていたのだ。
ときおり、春信は胸元から取り出したインカムで誰かと短い通信を行っている。
「ええ、こちらは問題ありません」「そちらの進捗は?」と淡々と会話しているが、園子が視線を向けると、何を話しているかは教えてくれずにスッと通信を切ってしまう。
撮影がひと区切り着き、15分ほどの休憩に入った。
園子は重いドレスのスカートを整え、椅子に腰を下ろした。
すると、春信が冷えたジュースのグラスをふたつ手に持って近づいてきた。
「どうぞ。喉、乾いたでしょう」
「あ……ありがとう」
春信は少し離れた位置にある椅子を引き、距離を保ったまま腰掛けた。彼もまた、手に持った飲み物を静かに口に運んでいる。
その時、園子の視線が、春信の「右手」に吸い寄せられた。
春信は薄手の手袋を着用している。その下に仕込まれた精巧な「義手」を隠すためだ。
園子の視線に気づいた瞬間、春信はビクッと肩を跳ねさせ、咄嗟に右手を背中の後ろへと隠した。
スタジオに、氷のような気まずい空気が流れた。
胸がキュッと締め付けられる。
やっぱり、彼はこの手を気にしている。私に腕を切り落とされたことを、ずっと忘れられるはずがないのだ。
言わないと、今謝らないと。
園子はぎゅっとドレスの生地を握り締め、口を開こうとした。
「あの……春信さん、私——」
「園子君」
私の言葉を遮るように、春信が落ち着いた、だが静かな声で呼びかけてきた。
春信は隠していた右手をゆっくりと膝の上に戻すと、手袋越しにその義手を私に見せた。
「……もう、この手には慣れましたよ」
「え……?」
園子は目を丸くした。
春信は少し照れくさそうに、どこか遠くを見るような目で微笑んでいた。
「リハビリも終わりましたし、日常生活にも、仕事にも何の支障もありません。だから……貴女が気に病む必要はないですよ」
「でも……! 私が、あの時……!」
「あれは、事故みたいなものです」
春信はハッキリと言い切った。
「俺たち大人や大赦の人間は、貴女たち少女に戦いを押し付け、助けられて生き延びてきた。あの過酷な戦いの中で、貴女たちがどれほどの重荷を背負っていたか……俺は痛いほど知っています。だから、あの混乱の中で起きたことは、誰のせいでもない。ただの行き違いによる事故なんです」
「……っ」
園子の喉が詰まった。
「事故」として割り切ってくれている。大人として、大赦の幹部として、自分を責めないでいてくれている。
けれど、園子の中に渦巻く罪悪感は、そんな綺麗な言葉だけで消え去るものではなかった。
「……事故だとしても」
私は俯き声を絞り出した。真っ直ぐ彼を見れなかった。
「事故だとしても……私は、春信さんにちゃんと謝りたいです……。私のせいで、春信さんを傷つけてしまったこと……ずっと、ごめんなさいって、言いたかった……」
春信は少し驚いたように目を見開き、それから困ったように眉を下げて、うーんと唸って長考に入った。
数十秒の静寂の後。
春信はふっと口元を緩め、どこか悪戯っ子のような優しい笑みを浮かべた。
「……じゃあ、園子君。ひとつ、お願いを聞いてくれますか?」
「お願い……?」
「夏凜には……『この手はバーテックスとの戦闘で負傷して、義手になった』ってことにしてるんです」
「え……」
「あいつに余計な真実を教えて、変に気を揉ませたくないんです」
春信は口の前でそっと人差し指を立ててみせた。
「だから……園子君も、俺と一緒に『嘘』をついてくれませんか? 夏凜の前では、この手は名誉の傷だってことにしておいてほしいんです。……それで、この件は貸し借りなしで」
優しい落としどころだった。
自分の胸の奥につかえていた重い塊が、すーっと溶けていく気分だった。
「……ふふっ」
「了承してくれるかい?」
「うん……わかりました。夏凜ちゃんには、内緒ですね」
園子はドレスの裾を少し持ち上げ、心からの笑顔を春信に向けた。
春信もまた、「頼みますよ」と笑い返した。
二人の間に漂っていたピリピリとした緊張感は完全に消え去り、穏やかな春の陽射しのような温かい空気が満ちていた。
◆
──と、そんな光景をおっさんどもと勇者部が見ていた。
スタジオの扉の隙間から、ゾロゾロと覗き込んでいる。
「お〜お〜、見てみろよ春雄。春信のやつ、すっかり園子君と打ち解けてるじゃないか」
「春信は年下や子供に対して、結構こういう茶目っ気を出すしな、すぐに仲良くなれるとは思っていたよ」
「20代が女子中学生にあんな笑顔向けちゃダメだよなぁ~、アイツ顔良いからあんまりやっちゃダメだぜ、あんなこと」
「おい、アイツ今日の焼肉時飲ませて喋らせるぞ」
カメラのレンズを覗き込みながらキャッキャと囁き合っているのは、継人、春雄、早崎、御柱たち「おっさん集団」であった。
「「……おおおおお!!」」
その横で、興奮していたのは銀と東郷だった。
「な、なんであの二人、いい雰囲気になってるんだよ!? どういうことだ!?誰か説明してくれよぉ!?!!」
「そのっち!?聞いてないわ!!どういうことなの!!!!」
「良いから、銀、東郷、落ち着いて、あれウチの兄貴だから、やめて」
「気になってんだろぉ?!夏凜!」
「気になって夜しか眠れなくなるわよ夏凜ちゃん!!」
「自分の兄貴が自分の同級生とイチャイチャしてるのみたいの?」
「あー、ごめん、落ち着いたわ」
「冷静になりました友奈ちゃん吸います」
「うわー!吸われるよぉー!!!」
どんより夏凜とスンとした銀、友奈スンスン東郷。その少し後ろでは──
「ぐ……ぐえぇ……っ! は、吐く……吐く……っ……! 息が……吸えない……っ!風ちゃん……!風ちゃんっ!」
大葉真優が、顔面を蒼白にして壁に手を突いていた。
原因は、彼女が着用させられている特注のウェディングドレスであった。
規格外すぎる「胸の存在感」をどうにかドレスのシルエットに収めるため、衣装スタッフによってコルセットが極限まで固く締め上げられていたのだ。
「僕……元は男なのに……なんでこんな拷問みたいな目にあわなきゃいけないの……お父さん、風ちゃん助けて……」
白目を剥きかける真優。
「ちょっと! シャキッとしなさい真優! これから集合写真の撮影なんだから!」
風の怒声が響く中、賑やかで、どこか騒がしい撮影会は夕方まで続いていくのだった。
訪れた平和は、こうして少女たちと大人たちの穏やかな日常を、しっかりと紡いでいた。