目を覚ますと、そこは自宅の俺=大葉継人の寝室だった。
昨日は久しぶりに家に帰ることができた。真優と、居候している犬吠埼姉妹、そして幼い夜継が待っていてくれた。夜にはしこたま酒を飲まされた記憶がある。夜継と一緒にお風呂に入り、湯船の中で温まった後、ベッドに倒れ込むようにしてストンと眠りに落ちた──そこまでの記憶は鮮明に残っていた。
重たいまぶたをこじ開け、ふらつく足取りで居間に向かうと、どこか懐かしく、しかし確かな温もりを含んだ朝食の匂いが鼻腔をくすぐった。
「……作らせてしまったか」
少しばかりの罪悪感を胸に抱きつつ、木製の居間の扉に手を掛け、それをそっと押し開く。部屋のなかに漂う香ばしい匂いと共に向こうから聞こえてきたのは、決して聞き間違えるはずのない、凛とした女性の声だった。
"大葉椿"の声だった。
「ちょっと、あんた起きるの遅いわよ。いつまで寝てるつもりなの?」
その言葉に、継人は完全に虚を突かれた。心臓が跳ね上がる。
「なに……?」と声に出そうになったが、喉の奥でつかえて綺麗に出てこない。立て続けに、別の懐かしい声が響く。
「継人君、おはようございます」
それは、穏やかで礼儀正しい"桑折晴美"の声だった。乾ききった喉を必死に震わせ、継人はやっとの一思いでその言葉を漏らした。
「……何で?」
居間の中心に立っていた椿が、呆れたような、しかしどこか呆れと優しさが入り混じった顔でこちらを向く。
「何言ってんのよ。昨日から晴美達が泊まりに来るって、ちゃんと話してあったでしょ?私達が遊んで帰ってきたらあんたもう寝てたけど」
昨日?
その言葉に強い違和感を覚え、継人は不意に、壁際に掛けられていた鏡を見た。
そこに映し出されていたのは、見慣れた四十代の男の顔ではない。あどけなさを残した、中学一年生の頃の自分の姿だった。
あまりの衝撃に息を呑む暇もなく、真横から柔らかい声が掛けられた。
「おはよう、継人、あ、この前決めたあだ名の"つぐつぐ"が良いかしら?」
振り返ると、そこには"相良二夜"が立っていた。優しく微笑むその顔を見た瞬間、胸の奥底が鋭く、えぐられるように痛んだ。
夢だ。
頭の片隅で、冷徹な理性がそれが夢であるとすぐに告げていた。
彼女たちは目の前で生きている。だが、これは夢だ。とても懐かしくて、温かくて、そして二度と戻らない、俺が守れなかった夢。死者達との邂逅。
目の前で、彼女たちは和気藹々とした様子で食卓に朝の食事を並べていく。
正直に言って、この夢がこのまま続けばいいのにと、心の底から思ってしまった。あの時に強く望みながらも、自分の手からこぼれ落ちていった光景。未だに俺は、この過去の幻影に囚われ続けている。なんと情けない男だろうか。
食事が綺麗に並び終わり、三人がそれぞれの席につく。
二夜がふとこちらを向き、透き通るような笑顔で言った。
「やっぱ嫌だったみたいですよ椿、つぐつぐなんて可愛らしいあだ名」
「えー、二夜ちゃんが気にいってんだから『つぐつぐ』にしなさいよ、継人」
「やはり私考案の『つんぐ』にしましょうか」
「それはないわ晴美」
「なんで……!?」
「さあ、食事にしましょう、継人、席について」
その顔は、曇りのない笑顔に満ちあふれていた。だが、今の自分の顔がどうなっているのか、鏡に映る自分の顔はもうわからなかった。
──次の瞬間、世界が激しく揺らぐようにして視界が切り替わった。
目が覚める。
熱を持った眼から、自然と涙が零れ落ちていた。すっかり感傷に浸るような歳になってしまったらしい。
先ほどの夢の中の軽やかな少年の身体とは違い、今は紛うことなき年相応の重たさがあった。鈍痛を伴う四十代の肉体なのだと、重力と疲労感が強烈に現実へと引き戻してくれる。
飲み過ぎた後の頭の重さと、全身を包み込むような倦怠感が、夢の余韻を容赦なく打ち消していく。
『お前の居る場所は、こちらだ』
まるで現実世界がそう告げているかのようだった。
そして、脳裏に現実的な疑問が浮かぶ。
──朝食の匂い?
もしかして、まだ夢の続きか? と一瞬だけ勘繰ったが、どうやらそうではないらしい。
静かで穏やかな夢の中の食卓とは違い、現実の居間はいたって普通に、そして盛大に喧しかった。ギャンギャンと賑やかな声が外にまで漏れている。
おそるおそる居間の扉を開けると、そこにはカオスな光景が広がっていた。
テーブルの椅子に座り、朝ごはんを目の前にしながらコクンコクンと寝落ちしかけている樹君。それを慌てて揺り起こそうと必死になりながらも、自分の目の前にあるフライパンの卵焼きがじわじわと黒く焦げかけていることに気づいていない犬吠埼風。さらに、その近くでは離乳食を「ブーッ!」と盛大に噴き出す大葉夜継の姿があり、付近に飛び散るのを防ぐために文字通り身体を張って阻止している大葉真優がいた。
朝からここまで騒がしい理由が、一目で完全に理解できた。
居間の扉を開けた継人の姿を視認した瞬間、全員がそれぞれのペースで一斉に喋りかけてくる。
「大葉さん、昨日飲ませ過ぎましたね!すいません!」
「ちょっとお父さん、早く起きてよご飯冷めちゃうよ!」
「あ~継人さん、おはようございますぅぅzzzzz
」
そして極め付けに、
「ブビィーーッ!」
と、再び離乳食の弾丸が飛んでくる。顔面に米粒が着いた。
先ほどまでの感傷的な気持ちはどこへやら、目の前の圧倒的な現実と日常の光景を目の当たりにして、心の中で確信した。
──物思いにふける暇なんて、俺の人生には一生訪れないらしいな。
だが、悪くない。これが、皆が命を繋いだ先の平和なのだから。
◆
大赦の本部施設にて、四国外への遠征計画に関する重要会議が厳かに執り行われていた。
大型プロジェクターのスクリーンには、綿密に練られた遠征計画のルートと目標地点、そして観測されたばかりの北方および南方の生体反応データが青白く投影されている。
観測によれば、南は沖縄周辺、北は北海道付近の地域において、それぞれ生体反応が検出されていた。今回の遠征計画の主目的の一つには、その未知の反応の確認も含まれている。その是非を問うための会議だった。
出席している上位神官や名家の当主達の大半は、相変わらずどちらつかずの日和見的な態度をとっており、腕を組んで黙り込んでいる者が多かった。
そんな膠着した空気を切り裂くように、計画の立案者である三好春信が毅然とした声で言い放った。
ペンを走らせる音が止まり、全員の視線が春信に集中する。
「……我々の同胞が、まだあの結界の外で生きている可能性があります。過去、神世紀になる前、諏訪の人々を救えなかった痛切な記録が残っています。今度こそは、我々の手で助けるべきだと私は強く進言します」
春信のその力強い言葉は、会議室にいた人々の胸を打ったのか、あるいはその圧倒的な熱量に気圧されたのか、出席者の過半数が北方と南方への遠征計画を正式に承諾する挙手を行った。
その遠征を実行するための超大型葦原船の建造は、すでに一番艦と二番艦は終了し、三番艦の大半の工程が完了していた。
会議の席で、隣の座席に座っていた継人に、俺=桑折春雄は低い声で囁いた。
「……計画の承認はこのまま問題なく下りるだろうが、例の件はどうするんだ?」
継人は腕を組み、前方のスクリーンを見据えたまま、落ち着いたトーンで答えた。
「あぁ。近日中に、勇者部員達を1ヵ所に集める。その際に、例の件を本格的に進めるつもりだ」
「了解した」
短くうなずくと、手元の端末を取り出し、別場所で待機している御柱と早崎へ向けて連絡を入れたのだった。
◆
暦はすでに5月中頃へと差し掛かり、あと少しで新しい学校の新学期が本格的に始まろうとしていた。
今日も今日とて放課後、私=弥勒夕海子を含めた同級生である3人組で讃州高校から讃州中学の勇者部部室へと足を運ぶと、そこにはなぜか園子さんがゴソゴソとキャンプ道具を持ち込んでいる姿があった。
「ちょっと園子、部室で何やってんのよ?」
呆れたように風さんが声をかけると、彼女はニカッと満面の笑みを浮かべて答えた。
「キャンプなんよー!」
「……そりゃそうねぇ、見れば分かるわよ、いや、わからん、全然わからん」
風さんが頭を抱えて額に手を当てる中、ちょうどそのタイミングで、その日の夜継のお迎え担当だった東郷さんが部室へと戻ってきた。
「事情を知らない皆さん!そのっちの行動には理由があります」
彼女が言うには、少し前に春信から連絡があったのだという。勇者部が頼まれてる海岸の清掃を行った後、その付近のキャンプ場でそのままキャンプをしないかという誘いが、園子宛てに持ち込まれていたらしい。
「あー、なるほどねぇ」
その場の全員が、一斉に園子さんの顔に視線を向けた。当の彼女は、指摘されて図星を突かれたのか、いつも以上に妙な気合が入ったポーズをとっている。
「それで、そのキャンプっていつですの?」
ジト目を向けながら尋ねると、園子さんは堂々と胸を張って元気よく宣告した。
「明日!」
何で他の面子が居ないのか、買い出しに行っているのかと、直前までの謎が綺麗に氷解した。
「って、明日ですのーー?! 急すぎませんこと?!」
静かな部室に、私の絶叫がこだましたのであった。
◆
キャンプ当日。春信手配の大型バスが勇者部の一行を乗せ、海岸線へと到着した。早速、海岸の美化を目的とした清掃作業が開始される。
しかし、なぜかその場にはアルフレッド1号と2号こと赤嶺さんと桐生さんの姿までがあった。
「清掃なんだから、力仕事の男手はいるだろう?」という名目で、春信が独断で声をかけて誘っていたらしい。
当の赤嶺達は春信のことをすっかり師と仰いでいるのか、これまでに見たこともないくらいニコニコと、嬉しそうに熱心に清掃作業に勤しんでいた。春信の方も、男同士の連帯感とでも言うのか、終始にこやかでリラックスした表情を見せている。
その様子を少し離れた場所から眺めながら、私と園子さんは「何か、腑に落ちませんわね……」「何か楽しそうでムカつくね」と不満げな顔をひそめていた。
そんな二人を横目に、銀さんは近くにいた東郷さんにヒソヒソと囁きかける。
「ねえ須美、園子すごく青春してるよなぁ」
「そうね……あの子があんな風に素直にはしゃげるくらい、平和な青春を過ごせるようになったのは、本当に嬉しいことだわ」
東郷さんの言葉に深く頷きながら、銀さんは自分のほうを向いて小さく呟いた。
「あたしも、あんな感じで何か夢中になれるような、素敵な人ができるのかなぁ……」
「ふふ、銀ならすぐできるわよ」
東郷は優しい笑みを浮かべつつ、すぐに目を細めて付け加えた。
「――もっとも、私のお眼鏡にかなわなかったら、容赦なく追い返してやるけれどね」
「やめろ」
と銀さんが思わず突っ込むのを横目に、痺れを切らし、作業中の赤嶺達の元へとスタスタと歩み寄っていった。
「ちょっと、そこのアルフレッド1号と2号。あなた達、いつ頃春信さんに誘われたんですの?」
急な呼び出しに、赤嶺さんは「な、なんだよもぉ……!」と、春信さんと楽しそうにキャッキャしていた邪魔をされて盛大にイラついた顔を見せる。
「いきなり何だお前は! 俺達はだな……!」
「で、いつ誘われたんですの?」
「……き、昨日だよ!」
赤嶺さんがバツが悪そうに答えた。
「ふーん……。まあ、赤嶺さんの方はどうせ真優さんが来るからって理由でホイホイ着いてきたんでしょう?あー、わっかりやすいですわぁ」
「ちっ、違うっ!!」
赤嶺は顔を真っ赤にして、激しく首を横に振って拒絶した。隣にいた桐生は冷静に眼鏡の位置を直し、「俺は……春信さんには以前から多大な謝罪と恩がある。彼に頼まれれば、馳せ参じるのは当然だ」と淡々と答えた。
この二人が継人のクーデター後に大赦内で微妙な立場に追いやられていたところを、春信さんの進言によって救われたという経緯を本人達から聞いて知っていた。
それなら、誘われれば二つ返事で来るのも納得ではあるが、それにしても急すぎるスケジュールには何か裏があるのでは?と勘ぐりは消えない。
当の春信さんはというと、一人になったところを園子さんに待ち伏せされ、アタフタと対応に追われていた。
「春信さん、あっちにゴミあるから行きましょう、男とばっかりいると小説にしますよ?」
「わかった、わかったから引っ張るな園子君……!小説?!何の小説だい?!俺をどうする気なんだい?!」
楽しそうですわぁ。
何かと気になることが多いものの、「まあ、まずは目の前のキャンプの準備とゴミ拾いを終わらせよう」と、再びゴミ袋を手に取り、砂浜を歩き始めた。
ふと、海岸線の遠くの岩陰から、雀さんが小さなカニに足をガッチリと挟まれて、まるで世の終わりかのような絶叫をあげている鳴き声が微かに風に乗って聞こえてきた。
深く考えるのをやめて作業に集中することにした。
「メブゥー!!!!!蟹!蟹に鋏まれたよぉー!
助けてよぉー!」
「亜耶ちゃん、ここ危ないわ、違うところに行きましょう」
「メブゥーっっ!!!!!?!」
◆
建造されたばかりの超大型葦原船『ダイダラ』の一番艦から三番艦は、徳島県内に位置する大赦直轄の軍港の海上に、厳重な警戒態勢の中で係留されていた。その圧倒的な艦船のサイズゆえに、通常の岸壁に直接接岸することが物理的に不可能だったからだ。
この結界外遠征の為に総力を挙げて急遽建造された巨大艦船の中枢には、神樹の苗木が特別に設置されている。そのおかげで、個々の勇者が展開する防壁よりも出力こそ劣るものの、同質の強力なバリアを展開することが可能であり、さらに各部位に配置された大出力光輪を使用することによって、十数分というごく短時間ながらも空中浮揚・飛行を行うことができる設計になっていた。
しかし、その巨艦が持つ圧倒的な自重ゆえに、限界まで飛行させると光輪の使用限界を超えて船体が自壊・破損してしまうリスクがあった。そのため、大赦側としても「結界外へ出る時」にのみ使用を限定している。
その艦内には、各艦船にあらかじめ配備が進められていた衛使が30機、そして袿が3機ずつ配備されている。艦の武装自体も、多機能ミサイルランチャーや電磁式CIWSが隙なく装備されていた。
だからこそ──これがもしも「奪われる」ような事態に陥れば、それはそのまま計り知れない大惨事へと直結することを意味していた。
現在、この軍港周辺の警備に当たっていたのは、大赦から正式に委任された海上保安庁の部隊だった。
だが、その平穏は突如として破られた。
海上に停泊していた海保の警備艇の一隻が猛烈な炎に包まれて黒煙を吹き上げる。船員たちは辛うじて海へと飛び込んで決死の避難を余儀なくされた。
その混乱の最中、ダイダラの三番艦へと静かに接近し、頑丈なハッチに強引に接続する一隻の小型艦艇の姿があった。
そこから、十数人の人間が訓練された動きで次々と船内へと雪崩れ込んでいく。彼らの身に纏われているのは、大赦のマークが不気味に刻まれた『呪詛式装甲服』──それはかつて継人が開発した、極めて高い戦闘力を持つ対人用の最新鋭兵装だった。
その手には、狭い艦内戦を想定した銃身の短いライフル、あるいはサブマシンガンがしっかりと握られている。
装甲服を身に纏った人間たちは、まるで最初からこのダイダラの艦内構造のすべてを熟知しているかのように、淀みない連携で次々と船内を制圧・占拠していく。
その侵入者グループの中心に立つ男が、全員に支給されているインカムを通じて冷徹な通信を送った。
『艦内制圧まで残り五分。制圧が完了次第、大赦の中枢およびSNS全般に向けて犯行声明を流す。その後、第2目標の地点へと移動し、周辺の主要市街地に対して武力攻撃を加える。これは、現大赦体制に対する明確な抵抗であり、その独裁的な運営に対する断固たる抗議である』
その電子音声のような冷たい声が、艦内にこだました。
ダイダラの三番艦には、現状の維持と最低限のシステム管理を行うための必要最小限の人員しか配備されていなかった。
侵入者たちは、艦内に残っていた作業員や技術者たちを最も広いメイン食堂へと強制的に追い立てて集め、頑丈な出入口を完全に閉鎖した上で、外側からバーナーを用いて扉を分厚く溶接してしまった。
完璧な制圧劇に見えた。だが、艦内に詰めていた全人員のリストと、実際に確保した人数を突き合わせた際、わずか一人の人間だけが確認できていないことに、侵入者たちは気付いた
その人物こそ、この巨大艦の厨房を取り仕切るコック長であった。
◆
ダイダラの三番艦を占拠したのは、旧大赦の保守派閥の残党であり、その構成員のほとんどは、かつて武装組織『鏑矢』に所属していた過激派の元メンバーたちだった。
先のクーデターの混乱の最中、大赦本部の近くにある武器庫から、いくつかの重要装備が持ち出されていたことはすでにこちら側で確認が取れていた。それに加え、新体制へと移行する以前に極秘裏に使われていた大赦用の廃棄された秘匿回線の電波使用がキャッチされ、その暗号化のアルゴリズムも速やかに解読された。結果として、元鏑矢の残党によるテロ計画が水面下で進行しているという事実が、明確な可能性として浮上していたのだ。
彼らはSNSなどを通じて不満分子を先導し、暴力的な暴動を誘発しようとする動きも見せていた。
それを踏まえた上で、我々大赦側は、あえて向こうに「大赦の現体制には大きな油断や隙がある」と思い込ませるためのいくつかの情報工作を実行に移した。
名家や当主たちを招いた華やかなパーティーの開催、上層部や重要人物が総出で行う広報活動への積極的な参加、さらには最新鋭の衛使や袿達のデモ、そして丸亀城を舞台にした一時的な占拠事件などだ。
向こうの脳内での判断としては、こう映ったはずだ──『現在の大赦は、内部の些事や対外的なアピールにかまけており、組織としての警戒心や防衛の隙だらけである』と。
その狙い通り、秘匿回線には、テロ決行の時刻を告げる暗号化された通信が流れてきた。
テロリストたちが今回の標的として、超大型葦原船である『ダイダラ』を選ぶことは、こちらも完全に予測の範疇にあった。だからこそ、遠征先が正式に決定し、すでに工事と武装が完了していた一番艦と二番艦には厳重な警戒と多勢の人員を配置する一方で、建造直後でまだセキュリティの最終調整段階にあった三番艦には、あえて少数のみの人員しか配置しなかった。
それも、あえて非武装の第3セクターの民間人スタッフを使っていた。元鏑矢の連中なら、彼らを人質として利用しやすいと甘く見込み、飛びついてくると計算したからだ。
その思惑は、見事に的中した。
三番艦の艦内カメラの映像を確認する限り、船内にいた作業員たちは一番大きな食堂へと一箇所に集められ、見事に監禁されていた。
銃撃戦による人質の死傷という最悪のリスクは常に存在していたが、向こうが持ち出した弾薬の中に、船内などの閉鎖空間での銃撃戦で用いられるべき「フランジブル弾」が含まれていないことは事前に把握していた。通常の硬質な弾頭で艦内で無闇の発砲を行えば、跳弾による精密機器の破壊や、致命的な構造的被害が発生するリスクがある。それを計算に入れた上での危険な賭けではあったが、幸いなことに元鏑矢の連中も馬鹿ではなく、一般人に向けて無闇に発砲することはしなかった。
後は、我々で中の船員たちの安全を確保しつつ、元鏑矢のテロリストたちを各個撃破して無力化すれば、それだけで作戦は完璧に完了する──はずだった。
小型ボートを用いて、誰にも気付かれることなく4人でひそかに船内へと潜入する。
「さて、それじゃあ手際よく片付けるとするぞ」
継人がそう言って、さあ気合を入れて突入するぞという絶妙なタイミングで、船内の奥深くから、耳を劈くような盛大な爆発音が響き渡った。
「……は?」
春雄は思わず動きを止め、隣に立っている早崎の顔をジッと見た。
早崎は両手を軽く挙げ、呆れたような、あるいは気まずいような顔で首を横に振った。
「いや、俺の仕業じゃないし……」
「……は? じゃあこの爆発はいったい何なんだ?」
おっさん四人組が揃って激しく首を傾げた後、恐る恐る通路の曲がり角からひょこっと顔を覗かせる。
そこにあったのは、予想を遥かに超越した光景だった。
不気味な「狐面」を顔に装着した一人のコックが、たった一人で元鏑矢のテロリストたちを相手取り、船内を所狭しと暴れ回っていたのだ。
侵入者たちが纏っているのは、対人用の極めて堅牢な『呪詛式装甲服』であり、神樹の苗木が設置されているこの艦内においては、文字通り戦車並みの防御装甲と化しているはずだった。──だが、その圧倒的な防御力も、目の前の狂気の前には何の意味もなさなかった。
狐面のコックは、正面からの打撃では装甲を貫けないと一瞬で見切ると、「ならば関節を破壊すればいい」という極めてシンプルかつ暴力的な結論に至ったらしい。彼はテロリストたちの腕や脚を掴むと、人間の関節が絶対に曲がってはいけない不自然な方向へと、容赦なくバキバキと的確に折り曲げ続けていく。
ものの数分で、侵入してきた元鏑矢のメンバー全員が、床に転げ回って凄まじい悲鳴と悶絶のうめき声を上げていた。戦いの終盤には、パニックに陥ったテロリストたちが至近距離から普通に実弾を発砲していたはずだが、なぜか狐面のコックはその弾丸をすべて避けるかのように無傷のまま立ち回っている。
「……なんだあいつは、化け物か?」
おっさん組は、あまりのシュールかつ暴力的な光景に、言葉を失いながら怪訝な顔で見つめていた。
すると、暴れ回っていた狐面がふとこちらに気づき、荒い息を整えながらドタドタと走って近づいてきた。
春雄は反射的に手を挙げ、大声で叫んだ。
「まて、落ち着け! 我々は敵じゃない!」
その声を聞いて、狐面はピタリと足を止めた。そして、狐面の目の穴から真っ直ぐな瞳を覗かせながら尋ねる。
「……味方、なのですか? こいつらが、勇者である彼女たちを狙って裏でコソコソと企んでいる話を、厨房の換気口から聞きつけたのです。彼女たちを助けに行かねばと、つい体が……」
その説明を聞き、継人はやれやれといったふうに肩をすくめて答えた。
「あぁ、心配しなくても大丈夫だ。あの子たちには、ちゃんと優秀なボディーガードがついてるからな」
◆
キャンプ場の炊事スペースでは、勇者部員達と赤嶺達が、ワイワイと楽しげに夕食の調理に勤しんでいた。
「えへへ、今日の夕飯は私にお任せください! スパイスから本格的にカレー作っちゃいますよ!!」
樹くんが満面の笑みを浮かべ、大量のスパイスの小瓶を並べて気合を入れている。
「じゃあ、私はそれに合わせて特製のナンを焼くんよ!」
と園子君が言い出し、なぜかキャンプには到底似合わない、何とか人力で携行可能なサイズに特製された小型のタンドール窯をどこからか持ち出して設置しだした。
「肉のほうは、私と真優で切り分けるわね!」
風君と真優君が、クーラーボックスから取り出した凄まじい量の塊肉を豪快に切り分けていく。
「火のほうは、私に任せてください。しっかり炭を熾しますから」
芽吹君が手際よく薪を組み、ライターで火をつけながらテキパキと炭を熾していく。残りのメンバーもそれぞれの役割に従って、タマネギやジャガイモなどの野菜を次々と切り分けていった。
すっかりやることがなくなって暇を持て余した弥勒君は、なぜか赤ん坊の夜継を片手で器用に抱っこしたままパイプ椅子にドカリと深く腰掛け、近くにいた赤嶺達に向けて
「アルフレッド達!お茶を淹れてくださいまし!」
と偉そうに命令していた。桐生はそそくさと野菜切りの輪に参加し、残された赤嶺が心底イヤそうな顔をしながらお茶を淹れている。夜継のほうは、退屈しのぎにと持たされた麦茶のパックを両手で握りしめてズゴズコ吸い付き、ご機嫌だった。
過去に真優君に対して結構な変態じみた真似を働いた男である。こうしてパシリに使われているのを見ると、少しは因果応報かと思う。
そんなことを心の中で冷静にツッコミつつ、集めたゴミ袋などをまとめて、「ちょっと回収したゴミ捨て場まで捨ててくるね」と一人で車に乗り込み、キャンプ場の敷地から離れたゴミ捨て場へと向かった。
そして、そのゴミ捨て場を通り過ぎ、あらかじめ計画されていた指定のポイントへと車両を進めた。
海岸線沿いの農道脇に車をひっそりと止め、後部座席から専用の重い荷物を取り出し、そこから少し離れた視界の開けた小高い位置へと移動する。
周囲の景色に完全に溶け込む光学迷彩マントを頭からすっぽりと被り、湿った地面に腹這いの姿勢をとる。数日前にこのエリアへ密かに設置しておいた農業用の小さな物置小屋に隠しておいた、自律型の「衛使」を遠隔起動させる。
端末の画面を確認する。目標の車両がこちらの指定ポイントへと接近してくるまで、残りの時間はあとわずか2分。
春信は呼吸を整え、手元の荷物から素早く部品を組み立てていく。手際よく組み上がったのは、マークスマンライフル──『G28 E2』だった。
残り時間は十数秒。
春信は衛使をあらかじめ指定された道路のポイントまで先行して移動させる。
視界の端で、県道を猛スピードで走る目標の車両を目視で確認した。
「……捉えた」
目標の車両の進行を塞ぐように、衛使を道路の真ん中へと不意に飛び出させた。突然の障害物に驚いた運転手が、慌てて急ブレーキを踏んで車両を完全に停車させる。
車内には、四人の乗員の姿がハッキリと確認できる。
狙撃地点からの距離はおよそ500メートル。
春信はゆっくりと息を止め、胸の鼓動を鎮める。スコープの十字レティクルの中央に、目標が捉えられる。
1拍ずつ、間隔を置くようにして、慎重に引き金を4回引いた。
リアルタイムで手元の衛使の視界へと転送されてくる映像の中で、停車した車内にいた四人の頭部に、正確無比な穴が次々と開き、鮮血がガラスと車内を赤く染め上げていく。
銃口を収めると、衛使にそのまま目標の車両を道路脇の茂みへと押し退けさせた。直後、あらかじめ待機させていた大赦の大型回収車両が静かに到着し、衛使と標的の車両を、車内の人間ごと手際よく回収していった。
すべての処理を終えると、春信は使用した狙撃銃を素早く分解し、車のトランクの奥底へと完璧に隠し込んだ。
その後、当初の予定通り近くのゴミ捨て場に本来のゴミ袋を捨て、再び車を走らせて勇者部員たちが待つキャンプ場へと何食わぬ顔で帰還したのだった。
無煙火薬による微かな硝煙の匂いは、キャンプファイヤーや大量の炭火が発する煙の匂いに完璧に紛れ込み、周囲にいた誰も、春信の衣服から漂う微量の火薬の匂いに気づく者はいなかった。
◆
春信からの作戦完了を告げる暗号メッセージと、現地の回収状況を示す写真を確認し、俺=大葉継人は小型ボートに乗って近くの小さな港へと静かに上陸を果たした。
ダイダラ三番艦の内部で暴れていた元鏑矢の残党たちは、すでに別の専門部隊によって手際よく回収・拘束作業が進められている。
いま、港に上陸した人数は合計で「5人」──元々の4人に加え、先ほどの一件で同行することになった狐面の男が1人。
今回の騒動の動機や背景について直接状況を確認したいと申し出たところ、狐面の男は意外にも素直にこちらの後をついてきてくれたのだった。
ふと、その男が被っていた狐面の隙間から、現在の日本では極めて珍しい、絹糸のように美しい「金髪」の毛先がチラリと漏れているのが目に入った。さらに、狐面の目の穴から覗く瞳は、血のように鮮やかな「真っ赤な瞳」だった。
車にて出発する直前、車両のドアに手を掛けようとした春雄が、ふと動きを止めて振り返り、その男に声をかけた。
「乗車する前に、一応の身元を確認させてもらいたい。第3セクターが提出した三番艦のクルー名簿と照合すればすぐにわかることだが……その前に、君の口から直接聞いておきたい。名前はなんと言い、ここで何をしていた?」
男は、自分がすでに大赦側の監視網と身元把握の対象に入っていることに気づいているのだろう。ここで下手に嘘をついても無意味だと悟っているのか、焦る様子もなく、ただ静かに頷いた。
そして、彼は自らの手で、顔を隠していた奇妙な「狐面」をスリリと外した。
そこに現れたのは、若々しく、しかしどこか影を帯びた精悍な顔立ちの青年だった。
彼はまっすぐに俺たちの顔を見据えると、はっきりと、淀みのない声でその名を告げた。
「……『芙蓉・チークウッド・九十九』です」
芙蓉、その名字は覚えていた。270年にバーテックスとの戦いを引き起こし、二夜を実験台にした派閥の最高責任者と同じ名字。
過去から繋いで来た物が良いものばかりではないことをうっすらと俺は感じていた。
次の話で日常回は終了です。