赤い彗星の襲来。生き残りをかけた最大の山場。それを乗り越えるべく、ネェル・アーガマの艦橋がにわかに慌ただしくなる。しかしその中にあって、別の理由で冷や汗をかいている2人の男がいた。2名は怒号飛び交う艦橋の隅で、その筋肉質ながらも無駄を極限まで省いた洗練された肉体に焦燥と困惑を滲ませながら、やや汗ばみ始めた手で通信機を握りしめている。地球連邦軍特殊部隊・ECOAS(エコーズ)に所属するダグザ中佐とコンロイ少佐である。エコーズ専用のチャンネルに合わせた通信機は今もリアルタイムで部下の悲鳴を吐き出している。
『み、緑の丸いのが暴れて!うわっ』
『くるなっ!くるなーっ!!』
「何が起こっている!状況を報告しろ!」
部下の断末魔とともに無線が途絶する。もう何度目だ。事の始まりはガンダムに乗っていた少年、バナージ・リンクスがいる尋問室の監視要員からだった。
『中佐!監視下にあった少年2名と少女が消えました!至急応援を!うわっ!?』
その通信を最後に、艦内で続々とエコーズの断末魔が上がり始めた。自分たちはいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた特殊部隊だ。大胆かつ油断のない動きでどのような状況でも相手に遅れをとることはない。自惚れではなく、それだけの自負と経験が自分たちにはある。しかし──
『ネオ・ジオンの新兵器かッ──』
今、最後の1人からの通信が途絶えた。一体、何が起こってるのだ……。
X X X
黒煙を吐き出す白亜の船体を、最大までズームされたカメラが捕捉した。宇宙を漂うデブリを蹴り付けながら、通常ではあり得ない速度で宇宙を駆けるのは、赤い装甲に身を包んだ《袖付き》のモビルスーツ、シャアの亡霊フル・フロンタルが操ると噂されるシナンジュである。シナンジュが補足した映像を即座に照合・解析し、己の腹の内に座す主人へと情報を伝達する。
連邦軍の強襲揚陸艦ネェル・アーガマのレーダーの補足距離、その更に外側から放たれたビーム狙撃は完璧に敵の意表を突いていた。やや遅れて艦載モビルスーツを発艦させる敵艦に対し、フロンタルは冷笑した。
「残党狩りはよほど諸君らの腕を鈍らせたと見える」
瞬く間に防空圏内に飛び込んできたシナンジュに対し、ネェル・アーガマの対空機銃座が火を噴き上げる。当たればモビルスーツとて致命傷である鉛玉の嵐の中を、シナンジュは嘲笑うかのようにくぐり抜けていく。迎撃に出てきた1機のリゼルが砲火の縫い目を鋭く突き込んで、ビームサーベルを振りかぶった。その動きに連動した隊長機らしい有翼のリゼルとジェガンタイプの2機は援護射撃で巧みにその突撃をカバーする。
「ほぉ……」
シナンジュは左腕に装備したシールド先端からビームアックスを発振させ、リゼルのサーベルを受け止める。ビーム同士の鍔迫り合いによって互いの粒子が撒き散らされ、シナンジュの赤とリゼルの青の装甲を激しく叩く。
『──袖付きの首魁がノコノコと!』
接触回線越しに敵パイロットの声が伝わってくる。──若いな。それでいてよく訓練されている。無謀に思える対空砲火中の突撃は、味方機の発艦を援護する為の陽動とみた。鍔迫り合うリゼルは背後の母艦を庇うように立ち位置を操作している。
「賢しいな、ロンド・ベル……!」
ネェル・アーガマから3機目のリゼルが飛び立つのを、フロンタルは暗い微笑を持って迎える。次の瞬間、鍔迫り合っていたシナンジュのビームがかき消え、リゼルのサーベルが空を切った。ビームアックスの発振を収め僅かに後退したシナンジュが、リゼルが見せた致命的な隙を見逃すはずもない。シナンジュは右脚を猛烈な勢いで叩きつけた。繰り出された蹴りをなんとかシールドで受けるも、リゼルは大きく後退する。
「まずはひとつ」
咄嗟に制動をかけ体勢を立て直そうともがくリゼルをカバーする為、ジェガンタイプの意識が僅かに逸れる。そのほんの僅かな意識の隙をついて放たれたシナンジュのビームライフルの閃光がジェガンタイプのコックピットを焼いた。リゼルはまだ宙で溺れたままだ。流れるような仕草で、その目の前でシナンジュはビームライフルを今まさに発進しようとしている艦上のリゼルへと向けた。
「ふたつ」
イエローの粒子が吸い込まれるようにしてカタパルトレールを滑るリゼルへと伸びた。
∀ ∀ ∀
「ガロム中尉か!?」
一瞬で味方が撃破された。自分の直線的な動きが連携に綻びを生み、味方に犠牲を強いたというのか。しかし後悔する時間すらシナンジュは与えない。次に狙いを定めたのは自分ではなく、発艦途中のホマレ中尉のリゼルだ。己の眼前で、赤い機体──アナハイムによれば強奪前の機体名を《シナンジュ・スタイン》と呼んでいたらしい──がビームライフルをネェル・アーガマへと向ける。やけにゆっくりとした感覚の中で、シナンジュと格闘戦を演じてみせたリゼルのパイロットであるリディ少尉はただ叫ぶことしかできない。
「ちくしょう……!」
蹴飛ばされたリゼルに制動をかけるも、大きく後退させられ体勢を崩した自機での援護は間に合わない。ノーム隊長のリゼルからシナンジュへの射線上には自分がいる。隊長の狙撃も届かぬ最悪の位置。否、自分はここに誘導されたのだ。
手玉に取られている。厳しい訓練を潜り抜け、最新鋭の可変モビルスーツのパイロットに選抜された自分たちすら歯牙にも掛けないプレッシャーがあの赤い機体にはある。赤い彗星の再来とまで言われた男が、自分の目の前で仲間を奪わんと牙を剥く。──自分たちでは、この男には勝てない。直感にも似たその考えがリディの頭をよぎる。その瞬間、モニターに映る赤い機体がモノアイを歪ませ嗤ったかのように見えた。無限に引き伸ばされた時間が再び動き出す。収束された粒子ビームがホマレ中尉の命を跡形もなく葬り去らんと加速した。
『『やらせるものか!』』
突如として、熱に溢れた少年と透き通るような少女の声が戦場を奔った。ホマレ中尉のリゼルを追い越すように飛び出してきた白い機体が射線上に躍り出た。シナンジュの放ったビームが、白い機体の構えたシールドを直撃するも、そのビームは装甲を焼くことなく不自然に歪曲し霧散した。
「あれは!?」
バリアーが盾になったのか……!?リディと同じく、目を見張るように僅かに固まったシナンジュに急加速をかけた白いマシーンが突撃する。──それは悪手だ。真正面からの突撃がシナンジュに通用しないのを先程身をもって経験したばかりのリディである。後退しつつ放ったビームを再度シールドで弾いた白いマシーンに対し、シナンジュが後退から急制動をかけ加速する。シールドの死角から掬い上げるように放たれた下段からのビームアックスが白いマシーンに迫る。流石のバリアーもあの距離ではビームを減衰できないのか、シナンジュの振り抜きと共にシールドが弾き飛ばされた。しかし、既にそこに白いマシーンの姿はない。バックステップするかのように身を引いて、両手に保持した専用らしいビームライフルを正眼に構える姿があった。
『たとえニュータイプでも、初めて見るコイツの威力を見切れるかッ!?』
『当たれよっ!』
少女の啖呵と少年の裂帛の気合と共に銃身が輝いて、まさしく火球と形容できるような巨大なビームの塊がシナンジュ目掛けてかっ飛んでいく。シナンジュもまた未来予知じみた脅威的な反応速度を持って回避したが、煮え立つマグマのようにエネルギーを射線上に撒き散らしながら直進したビームのマグナム弾は、その余波でもって掠めただけのビームライフルごとシナンジュの右腕の肘から下を喰い千切った。
「すごい……!」
『ネェル・アーガマのモビルスーツは援護を!』
『赤いヤツはユニコーンガンダムの俺達が叩きます!』
少女の声とその背後から聞こえる少年の荒い息遣いが、リディ達の動きを現実へと引き戻す。
「ガンダム……」
およそガンダムらしくないその外見を横目にしながらリディは呟いた。ガンダム。それは特別な名前。アレはまさしくスペースノイドの、ジオンの天敵なのだ。