騎士王の影武者   作:sabu

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 勝利を分かつこともなく
 Have withstood pain to create many weapons.
 


第98話 最期に花を持たせたまえ

 

 

 

 実を言うと、ギネヴィア王妃は彼女達を羨ましいと感じる事があった。

 

 彼女達の在り方はおそろしい。何かがおかしい。

 時折、致命的な一点がずれているような違和感がするのに、その違和感は形容出来ず、周りから讃えられる。アレを、ただ素晴らしいモノだと褒め称える事への忌避感。

 複雑な胸中の中、そういう事を思った事が確かにあった。

 でも確かに、ギネヴィア本人も——その在り方を、美しいモノだと感じていた事があった筈なのだ。

 

 人はどうしても零落する。己の限界に直面する時期がある。

 当然の摂理。人は老いるから。

 だから、あの在り方が怖い。いつまでも零落しないあの在り方が恐ろしい。

 でももしかしたら。零落した我が身だからこそあの輝きは眩しい程に美しく、綺麗に見えていたのではないか。

 

 英雄という者は、皆一様に美しかった。

 しかし。その美しさと在り様を素晴らしいの一言で片付けてはならない。

 英雄というのはあのような人物をそう称するのだろう。だから決して、只人に英雄になれと嘯いてはいけないのだ。

 英雄という存在を讃えるのではなく……そのような存在を生み出す世界を作ってはいけないと、戒める事が人類の使命ではなかったか。

 

 でもそれでも。

 確かにあの在り方は美しく、綺麗だった。

 だってもしも、騎士王がただの俗人であるのなら。

 途中で何もかも諦めてしまうような人だったのならば、決して彼女に心を——

 

 

 ………そう、それはいつの日だったか。

 

 

 現実と理想にどうしようもない隔たりがあるように。

 あの在り方に、恐怖と憧憬なんて矛盾した二つの感情を抱くようになったのは。

 そう。それは確かきっと。

 

 

 

「あぁ………………」

 

 

 

 目が覚めた時には、辺りには赤い花々が咲いていった。

 真っ赤な花。太陽の光を浴びて真紅に輝く、炎のような花々。温かな風が吹いて、炎のような花々が空へと舞い、蒼穹の青空へと流れていく。

 それを、ギネヴィアは美しいと感じていた。

 伝説に伝え聞く彼方の理想郷。罪が洗い流される土地。アヴァロン。

 この場所がそうだと言われたら、戸惑いもなく信じれるだろう。

 赤い花々が空を舞い、ギネヴィアの周りで旋転する。

 彼女は楽園の中心にいた。その光景に見惚れていれば、いつしか赤い花束の風が解けていった。

 その先には凛々しい顔立ちをした少女がいる。

 特徴的な騎士鎧。澄み切った輝き。

 そこにいるのはアーサー王。否——アルトリア。

 

 彼女に駆け寄る。

 蒼穹の青空の下。赤い花畑を駆け抜ける。

 今じゃないといけない。

 アルトリアに伝えたい事があった。謝らないといけない事があった。

 

 駆け寄ったその先、アルトリアの輪郭が浮かび上がって鮮明になる。

 彼女は申し訳なさそうな顔をしていた。いつもそうだった。いつもアルトリアは、仮初めの関係を案じていた。

 違うそうではない。そんな顔をさせたいんじゃない。だってそれは、決して貴女が悪い訳ではないから——

 

 

 

「え——?」

 

 

 

 後悔を胸に駆け寄るギネヴィアの不意を突き、アルトリアは、はにかんだ表情をしていた。

 次にゴホンと分かり易く咳き込んで、背中に隠していたそれをギネヴィアに向かって差し出す。

 それは、美しい黄色の花束だった。

 陽光に照らされて、まるで黄金色に輝いて見える。周囲の赤い花々に映えて、美しかった。

 目を逸らし、人差し指で頬を掻きながらアルトリアは言う。

 美しい白銀。銀色の頭髪。だから金色……はなかったから黄色の花束がギネヴィアには似合うんじゃないかと。

 早口で言う。花束を渡すなんて慣れない事をして。照れを隠すようにアルトリアは目を逸らしている。

 

 あぁ、何を勘違いしていたんだろう。

 

 そうだったじゃないか。

 たとえ仮初めの関係でも、アルトリアは嘘をついた事なんてなかったし、ずっとずっと真剣だった。

 いつも申し訳なさそうに此方を見ていた。

 でもずっと、案じていた。彼女はいつだって本気だったのだ。

 

 黄金に輝く花束を抱きしめて、ギネヴィアも笑う。

 

 人の幸福を知らないモノが、人の幸福を愛している。

 竜として生まれた王には、人の心が分からない。

 そう言って、そうやって差を決めて、溝を深くしたのはどちらだっただろう。

 アルトリアはいつでも真摯だったのに。

 そんな事、知っていたのに。

 王妃だから。アルトリアの隣にいたから、分かっていたのに。

 

 

 

「ごめんなさい、アルトリア——」

 

 

 

 あの日。遠い彼方の日に夢見た少年王。

 その少年王は、決して自分の夢の形ではなかったけど、決して子供の頃に夢想した王子様ではなかったけど、でももう良いではないか。これが贖罪だとは言わないけれど、どうか許して欲しいとは願えないけれど。

 でもこれで良い。

 王妃として、唯一の理解者として。アルトリアのそんな何処か可愛らしくて真摯で、少しだけズレている姿を見れれば、それで。

 

 ごめんなさい、アルトリア。

 瞳に一筋の涙を流し、しかし笑いながら、ギネヴィアはアルトリアを抱き締める。落ちた黄金色の花束が、大地の赤い花束に混ざり合う。

 ようやく見つけられた。

 やっと、貴女の星を見つけられた。

 何年もかかったけど。本当はずっとそこにあったけど。

 だから、ごめんなさいアルトリア。

 

 ギネヴィアはアルトリアを抱き締めて、泣きじゃくりながら、でも安堵するように笑う。

 もう次は見失わないようにと、すぐ近くのアルトリアを必死に抱き締める。

 

 二人を祝福するように、柔らかく風が吹いた。

 炎のように赤い花々だけが、空に舞い上げられて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランスロットはその光景を見た時、まるで——赤い花々と金色の花束のようだと思った。

 灼熱の炎に包まれた玉座の間。崩落し、崩れた廃城の底で行われたやり取り。

 溢れ出る陽炎と先程の衝撃で視界が眩む中、ランスロットはその光景を瞳に焼き付けた。

 

 背中から溢れる鮮血が、咲き誇る赤い花のように舞うそれを。

 背中を貫通し、鮮血と混じり合った黄金の刀身が光り輝いているそれを。

 彼は、赤く舞う花々と金色の花束を見ていた。

 ルーナが——ギネヴィア王妃をカリバーンで刺し貫いている光景に。

 

 黄金の刀身はギネヴィア王妃の心臓を貫き通し、背中を貫通している。

 溢れ出るギネヴィア王妃の鮮血が黄金の刀身を濡らし、しかし瞬時に蒸発して、赤い蒸気が炎の陽炎と混じり合って舞い上げられている。

 

 ルーナを力無く抱き締めているギネヴィア。

 いや、それはもはや抱き締めていると言うより、ただもたれ掛かっていると称した方が良いかもしれない。

 そしてそんなギネヴィア王妃を、ルーナは残酷に剣で貫いている。

 表情には欠片程の変化もない。極めて無表情のまま、彼女は淡々とギネヴィア王妃を手にかけていたのだ。

 

 

 

「ごめん、なさい…………アル、ト、リ………ァ、……——」

 

 

 

 かすかに悶く、小さい小さい譫言を最期にして、ギネヴィア王妃は動かなくなった。

 体が倒れ落ちる。ギネヴィア王妃の遺体がルーナに完全に覆い被さる。

 その体には大した重さもなく、故に僅かにもルーナは体勢を崩さない。彼女は無言で、黄金の刀身を真横に振り放ち、剣を引き抜いた。

 遠心力によって投げ出されるギネヴィア王妃の遺体。その遺体は、ランスロットの目の前にまで転がって停止する。

 

 

 

「流石に恐怖を禁じ得ない。どうやって生き残った?

 それともまた、危機的状況時には優先的に幸運を集める精霊の加護か?

 言葉を選ばないのなら、先程の一撃で死んでいてくれた方がマシだった」

 

 

 

 ギネヴィア王妃に抱き付かれて汚れた頬。

 返り血を拭いながら、彼女はランスロットを睨む。

 もはや演技も同じ円卓を戴いた騎士としての親しみもない。

 竜のような金色の瞳に映る湖の騎士は、今から殺す敵としてしか映っていなかった。

 当然だろう。湖の聖剣は、心の折れた所有者を表すように光を無くし、ランスロット本人も重傷だ。

 剣を杖にしなくては立ち上がる事すら危うい。目も耳も正しく機能しているかどうか。

 

 

 

「——何故だ………」

 

 

 

 目の前に転がるギネヴィア王妃の亡骸を前に、当代最強とされた騎士は問いを繰り返す。

 それは嘆きと同じだった。何故自分が、本当に最後まで生き残ってしまったのかの絶望でもあっただろう。

 だがそれも終わり。彼女が偶然、死体の確認を行わなかったなんて幸運は、如何なる運命にもなかった。

 

 

 

「私には愛など分からないがその重さを推し測る事くらいは、恐らく出来た」

 

 

 

 ランスロットの絶望を、彼女は純然に受け取ったのか、律儀に返す。

 彼女は王妃の亡骸を一瞥し、ランスロットに視線を向けた。膝を突くランスロットの、その首元へ血に濡れたカリバーンを突き付けて。

 

 

 

「ここで生き延び、残りの生涯を全て苦悩と後悔に生きるのなら、ここで潔く死んだ方が良い。そう考える私は、果たして偽善を振り翳す破綻者だろうか」

 

 

 

 言葉とは裏腹に、彼女は一切悩める語調ではない。

 ただ己を客観的したら、そう見えるのだろう。その程度の意識。

 偽善を振り撒く破綻者だと誰かに言われたら、そのまま納得してしまうような希薄さだった。

 

 

 

「お前はどうなんだ」

 

 

 

 首元に添えられる剣の圧力に気付いて、ランスロットは顔を上げる。

 もう、全てが遅かったのだ。

 辺りは灼熱の火炎に支配され廃城はボロボロとなっている。

 今にも炎に呑まれて消えてしまいそうな有り様のそれは、地獄の業火が現世に蘇ったかのような光景なのだろう。

 生き残ったのは自分一人だけ。

 全員死んだ。ボールスも、ライオネルも。共にした仲間も全て。

 何たる運命の果てだろう。どうして自分が、一番最後まで死なずにいるのか。

 

 

 

「なぁ、ランスロット」

 

 

 

 ランスロットは呼吸を詰まらせて彼女を見つめる。

 瞳の先にいるのはもう、あの日の少女ではない。

 

 それはブリテン島が産み出した化け物。

 人には抗えぬ理不尽を体現した、嵐の権化。彼女がそうなったのではなく、なるしか道がなかったとするなら。

 あぁ、何たる皮肉な運命だろう。

 抗えぬ災厄を振り撒けられた少女は、その何倍もの災厄である事を選んだ。

 同情や善意で己と同じ境遇の人を救う事を選ばず、その災厄を為した者達に復讐する事もなく。

 多数を生かす為に、少数を殺戮する。

 あの日、目の前の少女に振り撒いた理不尽。

 ただの人間を化け物に育て上げたのは、本当は一体何者だっただろう。

 

 

 

「それでも騎士として、没義道を貫く事が出来ないのか?

 多くの者を天秤にかけ、尚お前は、王妃の手を——」

 

「——違う………違うんだ、私は……」

 

 

 

 彼はごく自然と語りかけた来た彼女の言葉を、ランスロットは遮る。

 

 

 

「私は、誰も……」

 

 

 

 手を取った。

 あの時、ギネヴィア王妃の手を取った。

 

 ——本当にそうだっただろうか?

 

 あれは単に、ギネヴィア王妃の手を振り解けなかっただけ。

 振り解くのは違うだろう、という考えが働いた程度の事ではなかっただろうか。

 思えばずっとそうだったのかもしれない。

 ギネヴィア王妃も……エレイン姫も。何処にも愛はない、冷たい関係だった。

 そして実の息子とすら、すれ違い続けていた。

 

 一体己が何を成しただろう。

 ギネヴィア王妃の手を取った時、まるで断罪の刃に死を望む罪人のような姿に、理想の騎士として自らは一体何を見た。

 殺してくれ、と。

 そう頼んで来た王妃に——……それは何か間違っている。そう感じ、手を引いた事そのものが間違いだったか。

 

 

 

「誰も——」

 

 

 

 今度は間違えないと誓った筈なのに。

 そう——今度は、手を握って守り通すと誓った筈なのに。

 何故だろう。何処が、何処から間違えていたのか。

 ランスロットは、何故と意味のない問いを繰り返す。

 

 

 

「そうか。選択の是非に愛の有無は関係なかったか。それは、なんとも……」

 

 

 

 次は決して間違えないと誓った——その少女に剣を向けられているとしたら、これほど愚かな末路はない。

 彼女が続けずに黙した言葉には一体何の言葉が続けられていたか。

 愚かな。哀れな。もはや何も分からない。

 どんな在り方が。どんな選択なら、正しかったか。

 非情に徹し、真に理想を貫くべきだったか。罪を背負ってでも意を決し、愛を貫くべきだったか。

 あの時、ギネヴィア王妃の苦悩を測り、剣で亡き者にしていたとしたら。

 あの時、ギネヴィア王妃を絶対として分かち合い、抱き締め返していれば。

 

 いや違う。もっと……もっと最初からだった筈だろう。

 

 そう。あの日。あの場所で。

 騎士道というモノに限界と揺らぎが生じた、始まりの日で。

 森に囲まれた集落の中で唯一の子供だった、あの少女を——

 

 

 

「ルーナ………教えてくれ、私は一体どうすれば正しかった………」

 

 

 

 理想の騎士の限界。

 否。根底である、騎士道の限界。

 それはもう、あの瞬間だったのかもしれない。

 

 

 

「私は——私達は一体どこから間違えていた………」

 

 

 

 であるのなら、彼女には分かるか。

 騎士達の限界を見た無辜の民。騎士道の裏切りを浴びた彼女。

 円卓の中で、唯一アーサー王の騎士道に身を預けなかった騎士ならば。

 この世の地獄を覗き、この世にどうしようない絶望を抱いたただの人間だったのならば、円卓の騎士達が目指したモノの是非を説けるのではないか。

 

 燃える炎の中、二人は互いに相対する。

 首元に添えられた黄金の聖剣とは対照的に、湖の剣はもう、僅かにも輝きを放っていなかった。

 

 

 

「………………」

 

「………………?」

 

 

 

 不意に、首元に添えられていた聖剣が外れた。

 思わず、ルーナの事をランスロットは見上げる。

 殺意も圧力も終始希薄な人形のような彼女。その彼女はランスロットから視線を外し、佇んでいた。

 

 

 

「さぁ。知らない」

 

 

 

 呟くように、彼女は答えた。

 

 

 

「仮に知っていたとしても過去は変わらない。

 ……ただ——その時の間違いを精算する事は、今からでも叶う」

 

「………………」

 

「だから、今、私は——」

 

 

 

 剣を握りしめ、呟く。

 ランスロットを見下ろし彼女は告げる。

 

 

 

「私は、何をすれば良いかは、分かる」

 

 

 

 そう言うや否や、彼女は膝を突いて目線をランスロットに合わせて来た。

 昏い目だった。

 

 

 

「お前は? お前はどうなんだ? ランスロット。

 過去に犯した間違いを、今、精算出来る事は叶わないと言うのか?」

 

 

 

 覗き込むような彼女の瞳には、きっと底がないのだろう。

 ただ、何も映す事のない彼女の冷たく空虚な瞳の裏側には、何かの揺めきが見え隠れしている。幾度と幻視して来たそれ。黒い焔。あるい脈動。

 

 

 

「何故剣を取らない。

 先程は私の首元目掛け、剣を振り抜いておきながら」

 

「何、を」

 

 

 

 思わずランスロットは目を逸らす。

 それ以上、彼女の瞳を見ていてはならない。

 本能的な忌避感が、ランスロットを逃避へと導く。

 

 

 

「ここから一人二人も変わらないだろうに」

 

 

 

 だが意味がない。

 耳を塞がなければ、魔女の甘言から逃れられないように。

 ケイより受け継がれ、アグラヴェインより学び、マーリンによって補完された彼女の囁きが、湖の騎士を引き摺り込む。

 

 

 

「同胞の血に染まった湖の剣で、何を今更」

 

 

 

 彼女の視線から逃れた先にあるのは、星の聖剣エクスカリバーと同じ意匠を持つ、湖の聖剣アロンダイト。

 その湖の聖剣は、彼女の手が触れた先から漆黒に染まり始めていた。

 まるで湖に黒い液体が流れ込んで汚れていくように、聖剣の輝きを放つアロンダイトが堕ちていく。

 

 

 

「————ッ」

 

 

 

 聖剣を呑み込む影。凄まじい重さと密度の闇。

 それは瞬時に迫り、ランスロットの手をも呑み込もうとした時、彼は思わず剣を引き戻し、後退りをしながら彼女の闇を振り解いた。

 似ていた。それは姫であり魔女でもあったエレインに襲われた、正気を奪われた時の様に。

 

 

 

「一体どうすれば正しかったのか………か。

 その答えを解けるのは、少なくともまともな感性、正気を持つ者に限られる」

 

 

 

 その様子を一瞥した彼女は、ゆっくりと立ち上がる。

 地の底から這い出る瘴気のように、立ち上がった彼女はランスロットを睨んでいた。

 いや、本当は睨んでいないのかもしれない。

 ただランスロットが、彼女の瞳に囚われているだけだ。

 

 

 

「では果たして、私が事の正しさを説けるような正気を持っているように、見えるのか。

 必要性の為ならば、如何なる者であろうと手にかける覚悟を得た私が、本当に?」

 

 

 

 そうして、ランスロットは——彼女の瞳の裏側にて揺らめく狂気と相対する。

 先程から逃げていた視線が、再び彼女と交差した。

 それはただ、普段は確かにバイザーの裏に隠れていたモノでしかない。

 無表情の彼女は、しかし貫くような眼光を迸らせており、織火の様に揺らめく双眸が、彼女の激情と怨嗟を物語る。

 その様な瞳で、彼女は騎士達と人々を覗いていたのだ。

 

 ランスロットはそれを、今知った。

 

 理不尽に全てを奪われながら、復讐を選ばなかった少女。

 それは類い稀なる精神で、自らの激情を呑み込んだから、とそう思っている。

 

 

 

「騎士達を扇動し、騎士道と名を騙って殺戮する狂気を蔓延させた当の本人が、まさか正気であると、本当に?」

 

 

 

 だが果たして、目の前にいる少女は……本当にそうだったのかどうか。

 自らの頭に落とされる彼女の声が嫌に響いた。

 彼女の口から出る言葉が、全て呪詛のように聞こえた。

 もっと恐ろしいナニかがそこにいるような気がしてならなかった。

 本当に別のナニかに無理矢理呑み込ませて封印しているだけで、少しずつ確実に、災厄を累積させているような、そんな予感。

 おぞましい化け物を胸の中に住まわせている怪物が、目の前にきっといる。

 

 

 

「まさか。人を殺す事に何の抵抗も未練もなく、お前達が拒む没義道を貫く事に一切の違和感も感じてない者が、次の王に選ばれたその意味が分かってないのか」

 

 

 

 それでも、それでも目の前の彼女は、普通の少女にしか見えない。

 佇まいも立ち振る舞いも、どこまでも理性的ですらあり、その選択は正気のように見える。

 狂っているのは彼女か、彼女にそうさせた世界か。

 あぁ、だが考えればそうだった。

 凄まじい憎悪と絶望からなる復讐心を、ただ類い稀なる精神で呑み込んだなどと、どうしてその一言で片付けてしまったのだろう。

 ただの少女が、そうなるまでの運命の反動に、何故を目を向けなかった。

 少し考えれば分かる事だったのに。

 

 彼女は、歪んだのだ。

 

 擦り切れ、摩耗し、尚も立ち上がればどんな存在でも壊れはする。

 幾度と身を脅かせばやがて致命的なまでに広がる筈のそれ。

 だが彼女は壊れなかった。壊れない代わりに、壊れる事が出来なかった代償に、歪んだ。

 ただそれだけの事。

 それは在り方。心の向き。子供の頃の夢や理想と言った、善性の全てに関わる。

 彼女は理性的なまま狂っている。

 ランスロットが覗いている狂気は、測る事が出来ない程に底がなく、狂気に身を浸し自らを見失える……そんな僅かな救いすら見当たらないだけの、昏い闇があった。

 

 

 

「人は、理性を持ったまま正気を失えるのだと、お前は知っている筈だろうに」

 

 

 

 彼女の心に巣食う闇は、栄光や名誉で覆い隠した騎士道の陰や世界の闇の集合で作られている。

 直視し難いモノであり、人々が置き去りにしたもの。

 それを振り撒く暴威は、この国の誰もが知っている。

 ランスロットは見ていた。

 彼女は戦場に於ける神、戦神にも等しかったのだから。

 死を振り撒く風。彼女の周りだけは常に血に濡れている光景は、人によるモノではあり得ない。

 そして同じく、ランスロットは知っている筈だった。

 彼女の言葉に。彼女の行動に。枷が外れたように剣を振るう騎士達。

 アーサー王の下に集った騎士達が、自らの手が汚れる事を厭わなくなり始めた瞬間。

 

 約束された勝利など甚だしい。

 死体に群がる鴉のように、彼女は死を運ぶ。

 彼女にとって、勝利とは敵軍の死と同義だからだ。

 そこに善なるモノはない。

 それが彼女の本性。

 少女の心の中に蔓延るモノの正体。

 黒い焔の如き呪いの塊として、時に感情の揺めきと共に迸るそれは、人類の闇を喰らい続けて肥大化した澱みそのもの。

 人の鋳型によって作り出された厄災だ。

 

 

 

「それで——お前は?」

 

 

 

 "——貴方はあの時、あの少女を殺すべきだった——"

 

 

 

「私には分かる。何をすれば良いのかだけは、分かる。

 お前は? ランスロット。お前の成すべき事はなんだ?」

 

 

 

 不意に——右手に残された剣の感触が蘇った。

 それは、先程。騎士として在る時に、彼女がぶつけて来た言葉が頭の中で反響するから。

 何故か再び繰り返される。ランスロットの頭の中で永遠に再生される。

 

 

 

「何故だ………何故———」

 

「さぁ。私はその答えを知らない。

 私もあの日、どうして、何故と繰り返した」

 

 

 

 大義も、誇りも、誉れも、人道も、騎士道も。

 最期の瞬間は全て遠くから見ているだけで、何も味方してはくれない。

 その事を悟った黒い出立ちの騎士が、湖の騎士に向けて剣を向ける。

 

 

 

「さぁどうする。

 今を生きる人の想いを踏み躙ってでも。

 彼らの命を無益にしない為、私を殺すか。彼らの献身に報いる為、剣を取るのか。

 それともまた、別の理由で剣を取るのか」

 

「ぅ、ぅ………ぐっ、ぅあ」

 

「選べ、ランスロット」

 

 

 

 "——貴方はあの時、あの少女を殺すべきだった——"

 

 それは、都合の良い償い。

 正しさは欠片もなく。騎士道はおろか人道にすら叛いた贖罪。

 過去の選択は精算出来なくとも、その間違いは精算出来るのだから。

 この世全ての苦しみを浴びせる事によって産まれた怪物を、産み出させた誰かが倒さなくてはならない。

 いつの日か。本人自身すら分からなくなるほど致命的に壊れる前に、誰かが律さなくてはならない。

 本当に都合の良い、償い。

 

 

 

「私は選ぶぞ」

 

 

 

 そんな悲しき責務。

 

 

 

「ぅ———ぁあああああッッ!!」

 

 

 

 立ち上がり、踏み込む足で床が割れた。

 湖の聖剣から泥が溢れ出るが如く、漆黒に染まった魔力が迸る。

 その咆哮は、半ば悲鳴と変わらない。

 血走った瞳を涙で滲ませながら、悲壮なる湖の騎士は疾走する。

 漆黒の魔剣と化したアロンダイトの切先は、彼女の心臓を完璧に捉えきった。

 

 

 

「——あぁランスロット。だからお前は」

 

 

 

 だが、彼女の顔に浮かぶものは恐怖ではなく、また高揚でもない。

 あらゆる感情が通り過ぎてしまった黒い騎士は、その様子を見守る。

 浮かぶのは微笑み。憐れむような、慈しむような瞳。いっそ慈悲深いそれが、しかし湖の騎士を捉える事はない。彼女の剣だけは絶対に鈍らない。

 

 

 

「最後——」

 

 

 

 迫る湖の騎士。

 絶対生命線たる剣の間合いが近付く。

 湖の騎士との斬り合いは、竜として暴威を振るう彼女の間合いではない。

 しかし彼女は剣を構えない。

 構えない形こそ、あらゆる型に変貌する彼女の武芸。その真髄。

 それでも、彼女が自らの才で磨き上げた技がない訳ではない。

 だらんと下がった両手。

 その右手にある聖剣。

 順手に握っていたカリバーンを振り上げ。

 

 

 

「——何かに負けるんだ」

 

 

 

 刹那の挙措で——逆手に握る。

 否、明確には握っていない。

 逆手に構え直す勢いそのまま、彼女は湖の騎士に向けてカリバーンを投擲する。

 迫る聖剣の切先は、ランスロットの脳天を捉えていた。

 力量の測り合いや小手調べではない、本気の殺し合い。

 彼女は、自らの息吹に拮抗しえる愛用の聖剣を手放し、今度こそランスロットを亡き者にせんと己が牙を向いたのだ。

 

 しかしこれで死ぬのなら、湖の騎士はただの武練を以って無窮を戴く事はなかった。

 

 半ば狂乱しながら、野獣の如き突進しながらもその業は何一つ掠れない。

 眼前に迫るカリバーンを、居合抜くかのような形でランスロットは弾く。避けず、故に速度は揺らがない。

 後方に退きながら投擲したとて、ランスロットとルーナの間合いは何も縮まらなかった。

 

 

 

「ぁ——」

 

 

 

 その、土壇場で。

 唐突にランスロットは思い出した。

 

 まだあの庭園に、大木と花畑がなかった頃。

 初めて彼女と剣を交わした、あの日。

 剣を預ける騎士がまずやらない、剣を投げるという行為。

 弾いた剣。その視界の裏で、必殺を狙っていた少女。

 

 

 斯くして、あの日の雪辱は精算される。    

"投影、開始(トレース・オン)"     

 

 ランスロットの肉体を——三本の刃が貫いた。

 肺。胴体。足。

 生命活動時間。継続戦闘能力。機動力。

 肺を貫かれ後は凡そ数分で死亡する。胴体を胃を貫いていた。

 単純な肉体の損傷の問題でまともに戦えない。

 片足を貫通した足では、もう二歩歩けば神経を失って二度と動かなくなるだろう。

 刹那の内に致命傷となる心臓と頭を除いた、ほぼ全ての起点をランスロットは失った。

 体を貫いていたのは何の変転もないただの騎士剣。

 アグラヴェイン卿。ケイ卿。ベディヴィエール卿。彼ら三人の騎士剣。

 たとえ武練が鈍らなくとも、戦闘に於ける趨勢と虚実までが鈍らない訳ではない。

 獣を追い詰める狩人のような彼女の刃は、ランスロットの心技体への攻撃。

 精神。肉体。思考の裏。

 その三重苦と彼女の執念を以って、只人の剣が、遂に無窮の武練を貫き通す。

 

 

 

「———ぅぅう、ああああア゛ア゛ア゛ッッ!!」

"投影、装填(トリガー・オフ)"     

 

 

 だからこそ、それでも尚立ち上がり剣を握るというのなら。

 それは彼がこの場面で手に入れた、自らの誉れである武練とは全く関係のない力でしかない。

 それは執念。それは妄執。

 彼女と同じ、自らを追い立て自らを殺し、しかし自らが果てるよりも早く他者を殺す為の力。

 敵の死亡を自らの死亡よりも加速させる、人類最凶の刃。

 

 

 

「ルゥゥゥ——ナァァッ!!」 

"全工程、投影完了(セット)"     

 

 

 肺と胃に血が溜まる。足の神経が砕け散る。

 彼女まで、残り一歩。剣が捉える間合いは後一歩。

 その一歩で全てが決まる。その一歩分しか、円卓最強と謳われたランスロットは生存出来ない。

 

 "極光よ、湖面より残撃を晒せ"

 

 ランスロットがその汚れた湖の聖剣を解き放つ。

 その怜悧なる刃の照り返しは、まるで月下に輝く湖水の如し。

 自らの全てをかけ、湖の騎士は湖の聖剣を振り上げた。

 

 

 

偽・縛鎖全断(アロンダイト)——」

 

 

 

 それでも尚——湖の騎士は間に合わない。

 その名前を言祝いだのはルーナの方だった。

 彼が剣を振り上げたその時にはもう、彼女は自らの鍛造(剣製)を終えている。

 彼女の両手に握られているのは、盾と槍だった。

 中心から半分ほど溶け落ちた無骨な盾と、三メートルはあろうかという巨大な馬上槍。

 

 彼女は突進する。

 何とまさか、彼女は湖の騎士が望みに望み抜いた一歩を、逆に踏み込んで来ていた。

 彼の心臓に、強大な馬上槍の切先を当て抜いて。

 ランスロットは対応出来ない。

 何故ならそれは狼。それは必殺の牙。

 振り上げ切った聖剣の刃が振り下ろされるより早く、その隙に喉元を噛み砕く一牙。

 あらゆる防御を打ち崩す、槍による攻防全ての冴え。

 

 その業の名前は、猛り狂う天稟狼(イーラ・ルプス)

 

 騎士を目指し、騎士に憧れた一人の少女が、無窮の彼方の一端にすら届かせた。

 円卓の騎士サー・ガレスの絶技だ。

 湖の騎士と彼女の間に、もはや剣の間合いはない。

 前方に跳躍し、限界まで引き絞った槍の一刺を以って、彼女はその槍に刻まれた無念を果たす。

 少女の憧れの的だった騎士の淡い光の絶技を再現して。

 過負荷を与え、込められた魔力が槍から漏出する。

 その漏出する青い光は、まるで湖の如く輝き——ランスロットの心臓を捉えた。

 

 

 

「——過重湖光(オーバーロード)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間にして見れば呆気なかった。

 いや、そもそも人を殺すなんて行為そのものが呆気ないのだろう。

 殺人で何かが満たされた事が、一度足りともあった事がないのだから。

 

 

 

「さようなら。サー・ランスロット」

 

 

 

 振り抜き切った槍。

 その切先には、確かな死の手答えがあった。

 振り返った先では、ランスロット卿が倒れ地に伏していた。あのアロンダイトは、最後まで手に握られている。

 

 瞳に光はない。体は急速に冷えている。

 もはや確かめるまでもない。

 心臓部には、穴が空いて背中を貫通しているのだから。

 たとえ竜の化身であろうと即死。

 だから、彼は死んでいる。

 円卓最強と謳われた騎士を、今確かに、この手で殺した。

 

 

 

「………そうだ、お前が憎悪する対象は私だとも」

 

 

 

 ランスロットの瞳をそっと閉じさせ、呟く。

 黒く染まったアロンダイトを眺めながら。

 

 

 

「決して、あの日、騎士道に叛いた選択をしたアーサー王ではなく。

 それを咎められなかった己でも、ましてや周りの騎士でもなく。

 そう選択させた世界でもなく」

 

 

 

 先程の刹那、確かに鈍い輝きを返した湖の聖剣。

 黒く染まったアロンダイトを握り、完全な崩落を始める城から去っていく。

 焼け溶け行く城が、全ての痕跡を拭い去っていくだろう。

 

 

 "ルーナ………教えてくれ、私は一体どうすれば正しかった………"

 

 

 一人の女性の想いも。

 一人の騎士の慟哭も。

 

 

 "私は——私達は一体どこから間違えていた………"

 

 

 あぁ、だが。

 何故それを、私に問うのか。

 そもそも彼らの行いは間違いではなかった。

 他ならぬ私がそう断言する。

 あの日、自らが彼らの立場でも同じ事をしただろう。

 正しくはなかったとしても、最悪の中の最善だったと。

 ならば、それを間違いにした者がいるとするなら。

 

 

 

「お前は、騎士道を奪った私を恨め」

 

 

 

 ……それは私自身。

 理想の騎士から、騎士である意義を奪い、理想すら踏み砕き。

 文字通り、理想でしかないと、彼らの全てをただの形骸に堕とした者。

 彼らの志したモノごと、人の凶性で塗り潰した存在。

 だから、騎士である以上、私を恨まなくてはならない。

 それで良い。

 私がいる限り、騎士道はただの幻想だと貶められる。

 ならば恨め。

 私だけを瞳に映し、私だけを思い、私だけに憎悪を向けろ。

 私の影に怯え、私の存在を忌むべきモノと刻み付け、その闇を祓うように剣を振るえ。

 あの日、私を殺していれば。

 あの時、いずれ国を脅かす者として消していたならば。

 まるで騎士道の陰で犠牲になった全ての代表者のように振る舞う者を、憎んでいたのなら。

 自らの騎士道を貫き、誰かを救えていたかもしれないのだから。

 

 湖の騎士が剣を向けるは、ただ一人で良い。

 憎悪と怒りを向けるのも、一人で良い。

 それは決して、アーサー王ではない。

 彼が疎むべきは、光ではなく影そのもの。

 だから恨め、ランスロット。

 どうか、一人でも良いから、恨め。

 

 

 ただ——私を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリテンから離れた地——大陸のローマは荒れていた。

 帝国最強と名高く、文字通り大陸全土を治めた皇帝の死。

 国が傾く程の死者を出した竜との戦争を経て数年。新たに、傾いた国を立て直す指導者がいないのだから、荒れるのは当然の出来事だったと言える。

 

 竜が住まうあの島を、今度こそ打倒しなくてはならないという考えはあれど、それは余りも微弱だった。

 脅威論は、ただ論のまま。竜の影に怯える日から逸脱出来はしない。

 皇帝と竜。魔剣と魔剣が織り成した刃のぶつかり合いは、人智を凌駕した武神と戦神の殺し合いも確たるものとして刻みつけられている。

 そも生き残った元老院の人間は、ローマの衰退を前に忙殺されていた。

 大国と言われたローマに、再びガリアの地からブリテンへと攻め入る選択などありはしなかった。

 それが数年と続き、後何十年と苦難が続くのではないかと思われた時だった。

 

 

 ——ローマの闘技場にて、一振りの剣が、誰かに抜き放たれる。

 

 

 それは、皇帝ルキウスが残した遺物。

 ガリア支配を示す宝剣、クラレントの兄剣に値する剣——フロレント。

 花神フローラの加護を受けた聖剣でありながら、魔剣の加護を受け、赤雷を纏った真紅の宝剣。

 報告を受けた元老院の人間は、その剣の威権を再び垣間見た。

 彼以外にローマで扱えなかった筈の剣が、再び血染めのような光を灯す。

 

 即ちそれは、大陸全土の支配を冠するフロレントが、剣の所有者を選んだという事だった。

 聖剣ではなく、魔剣として。

 生命を示し剣の喩えである花神フローラの百合華の紋章が、血に染まる事を良しとして。

 

 その剣を抜いた一人の騎士は、かつての皇帝に呼応するが如く緋色の稲妻を纏い、人智を凌駕するモノとして存在していた。

 かの皇帝と同じように、繁華と殷富を誇ったローマの闘技場を衰退させる程の力を解き放ち、その騎士は、遂には元老院にすら言の葉を叩き付けるまでに成り上がって見せる。

 

 

 

「なぁ、黒き竜を倒せるとしたら——お前達はどうする?」

 

 

 

 生命と剣の例えである花が、最期に人を選んだ。

 血に染まった白百合に。帝剣フロレントに。

 赤雷を滲ませて。

 

 

 

 




 
【WEAPON】

 サー・ランスロットの聖剣
 詳細

 アロンダイト
 アーサー王の聖剣と同じく、湖の精霊から委ねられた至高の宝剣。
 絶対に刃が毀れることのない名剣とされ、その強度は絶世剣デュランダルと同じだともされる。
 竜殺しの属性をも持つ。
 同胞の親族を手にかけた事で、魔剣としての属性を手に入れた。

 円卓最強とされた騎士の武練は、未だ洗い流されていない。
 少なくとも、彼女の手にある限り。

  

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