騎士王の影武者   作:sabu

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 あぁそういえば、いつの日かボクに、王の教えを説いてくれても良いじゃないかと聞いた事があったよね?
 じゃあ代わりと言っては何だが、キミが望んだように賢者としての役割に甘んじよう。
 勿論キミなら、耳を傾けてくれるだろう?

 そうか、一応は聞いてくれるか。

 ならキミに聞く。
 定義付け——の重要性は分かるかい?
 古来より人は、分からないモノに名前などを与える事で理解可能なモノに収めた。
 未知という恐怖を、既知という殻に無理矢理にでも収めた。
 例えば神。現在ではただの自然現象に堕ちたが、雷も風も、星も、全ては神だった。
 キミが詠唱する魔術の言葉だって似たようなモノさ。
 形にするという行為。
 だからこそ、名前というのは意味を持つ。
 それ以上に、定義を定めるというのは魂レベルで重みを持つ。

 心外だな。ボクは本気で、キミに語りかけている。

 キミのそれは、うん。
 本来美徳と捉えられたモノなんだろう。
 一度やり切った後で、自分の辿った道を振り返る。
 走り切った先で、本当に正しかったかと思い直す。
 人が過去の歴史から学ぶように、見直す事は当たり前の事だ。
 でも、でもね。
 キミのはきっと仕方がなかったんだ。
 その振り返りを、キミは自分の生涯でやるしかなかった。
 
 だってキミは裏切られてしまったから。

 裏切られたんだから、自らの辿った生涯を、あり得なかった可能性を、自らの全てを裏切る事にも正当性が生まれてしまうのは仕方ない。
 キミは自らにも、自ら辿った道にも、その辿った先の運命にも、世界にも。
 全てに、裏切られた。
 何もかもが醜いモノに見えたというのなら、その通りなんだろう。
 あらゆるモノから色彩が消え、全ての人型がただ黒いだけのモノに見えたのならそうなんだろう。
 本当に——本当に何もかも間違いで、全てに於いて最善すらない最悪で、後に続くモノすら無意味だったのなら、間違いを正して、ようやく無から始まるモノもあるかもしれない。

 ……あぁ、うん。

 意味がなかったね。
 それはそうだ。ボクとキミはずっとそうだった。
 キミを言葉一つで変えられるだなんて思ってはいない。
 だからこそ、今ばかりは、ボクはキミに問わなくてはならない。
 ボクとキミ。ずっと何の意味もない者同士の関係だった。
 だから確認しよう。
 選択を選び切ったキミに意味の無いを問いを投げかけ、ボクの考えの一端でキミの思考に空白の隙を作り出す。
 肉体、精神、魂……その全てを以って思考するキミよ。
 そして、その三つのどれかが釣り合わなくなった瞬間、崩壊したキミよ。
 キミは、人の振りをする超越者か。
 キミは、超越者の振りをする人か。

 
 キミは今——自分をどう定義している?
 
 
 


幕間の物語 流伝の最終章(アバンタイトル)

 

 

 そこはまるで地獄のようだった。

 視界の端にまで広がる黒い荒野。

 焼け爛れ、随所に汚染された形跡が残る死の世界。

 焼けるように熱く乾いた大地は、吹き荒れる烈風によって死の匂いを運び込まれている。

 それが視界の端にまで続いていた。当然、視界を遮る物は一つも存在しない。

 

 強いて言う変化がその黒い荒野にあるとするなら、そこら中に戦いの跡らしいものがある事くらいだろう。

 錆び付いた剣が野晒しにされ、折れた槍が大地にいくつも突き刺さり放置されている。

 強大な爆発があったのかクレーターのような穴が幾つもあり、塹壕にしては広過ぎで、谷にしては浅すぎる溝が1km程の長さを以って刻まれてもいた。

 凡そ人が生きていける環境ではない不毛の大地。

 でありながら、その場所を進む人影が無数にある。

 

 彼らの名は——十字軍。

 第九回目の遠征を以って、聖地奪還を目指すテンプルナイト達だ。

 

 自らの聖地。信仰を司る聖都奪還を主命とした彼らの士気は高い………という訳ではない。

 掲げた筈の主命を以って立ち塞がる敵を倒す。しかしその筈の敵は一切なく、彼らは心の空回りを余儀無くされていた。

 何より、何か戦い"らしき"ものの痕跡と、聖地に近付いている筈なのに——極めておぞましいナニかに近付いているような、不気味な予感が彼らを惑わせる。

 残された武器達の残骸は一方的な蹂躙の痕跡を残し、抉れた黒い大地は悪魔や魔王の類いが暴れ回ったような後にしか見えなかった。

 天変地異が起きたと言うのなら、それはおかしい。まだ、このような人間の心を恐怖で支配するモノではないだろう。

 

 遠征軍の各々が、高い緊張感と針刺すような不穏感の中、足を進めた。

 何処となく、馬達が怯えているのは錯覚ではない。

 山を越え、丘を越え、黒く染まった不毛の大地を彼らは越えていく。

 僅かな戦いもない故、身近な村や集落も寄らずに済み、極めて早く、彼らは聖都に到着する。

 

 そうして見た。

 丘の上から一望する。

 聖都エルサレム——と思わしき、ナニかを。

 

 

 

「これは、何だ」

 

 

 

 多くの者が言葉を失う。

 十字軍の一人は、思わず呟いた。

 

 アレは、聖都エルサレムではない。

 

 純白にして清廉を誇る聖都エルサレムは、まるでナニかに穢されたように黒く染まり、赤黒い稲妻のような線が、浮き出た血管の如く刻まれている。

 時に脈動する赤黒い線。蒸気と勘違いする程の黒い霧。

 黒い霧に覆われたエルサレムは、もはや暗雲が轟く魔王城としか形容出来ない。

 黒い城を中心に渦を巻き、回転する暗雲は禍々しかった。

 稀に輝く光は赤い雷鳴か。大地を焼き、地盤を露出させる程の稲妻が城の周りに落下している。

 

 大地の汚染は更に酷い。

 不毛の大地は一部黒い泥に覆われ、まともに黒い城に進む事すら難しい有り様だ。

 しかも何たる事だろう。その汚染は——あの黒い城から広がっている。

 赤い線は、まるで木の根のように黒い城から蔓延っているのだ。

 大地を侵食する汚染の、その元凶が、まさか聖地エルサレムなどとは。

 あまりにも信じ難い光景。

 思わず息を呑み、膝から崩れ落ちる騎士すら居る。

 その時だった。

 

 

 

「———ッ」

 

 

 

 不意に、突風が吹いた。

 彼らの思い描いていた聖都が、絶望的なまでに蹂躙され、穢されている。その諦観と悲観を、一瞬拭い去る程の強風。

 それは嵐の中心に向かって風が吹くようであり——事実、その風はあの黒い城に向かって吹いていた。

 

 一人の騎士のフードが風で舞上げられる。

 飛ばされたフードを瞳に収める。

 その視界の隅に、何かがいた。

 

 一騎の、人影。

 

 フードが大地の染みになっていく事も気にせず、彼は、その人影を凝視する。

 その人影……騎士と思わしき一騎は——黒い城の頂点から此方を覗いていたからだ。

 

 

 

「告げる」

 

 

 

 その騎士と思わしき人影。

 ——黒い竜を模ったような兜、重厚な鎧に身を包んだ騎士——は、黒い城塞の上より粛然と宣言する。

 白銀の槍を、携えて。

 

 

 

「我が領域が侵犯された。

 故に私は測る。故に私は選ぶ。

 私は、是非の有無に関わらず、汝らの魂を"センテイ"しなければならない」

 

 

 

 言葉と共に、黒い竜兜の騎士は白銀の槍を天に向けた。

 刹那、赤雷を纏い、光の残滓を残して飛び上がる白銀の槍。

 赤い稲妻が、地から天に逆戻りするが如く。

 轟く雷鳴は、荒ぶる神のように大地に響いた。

 

 

 

「慈悲に咽び、首を垂れるのなら、受け入れよう」

 

 

 

 天へと還っていった赤雷。

 暗雲へと消えていった瞬間、まるで荒れ狂う嵐が最初からそこにあったように、殄滅の光を周囲に撒き散らす。

 収束し、圧力を増す暗雲。赤い光が、黒い霧の中心で渦を巻きながら拡大していく。

 

 

 

「天に挑む価値もないと」

 

 

 

 蠢く雷鳴が、遂に形を伴った。

 旋転し、回転する稲妻。禍々しい圧力が、暗雲の中より張り出てくる。

 悪魔を召喚する儀式陣を描いていると言われたら、誰もが信じた。

 荒れ狂う嵐など、中心にナニかを作り出しているだけのモノだったに違いないのだろう。

 

 

 

「そうか」

 

 

 

 全ての騎士達が悟る。

 あぁ、主命を受けた、選ばれし騎士が何と意味なき事か。

 たとえ神に祝福されていようと、天から隕石が降り落ちてくれば、如何な人間など関係なく、有象無象のように死ぬのだから。

 暗雲の中から、赤い流星が這い出て来ようとしている。

 隕石に向かって、抗える術など誰にあるのか。

 十字軍の心は、完全に砕かれていた。

 

 

 

「ならば良い。貴様らは不要である」

 

 

 

 黒い竜兜の騎士が、天に向けていた右手を、号令を下すように振り落す。

 刹那、赤い黒い極光が迸った。

 稲妻すら比較にならず、雷鳴すら塵芥と化す程の光の束。

 それを、たった一本。槍の刺突のように収束させた光。柱の形をした光が、渦を巻きながら、天より降り落ちてくる。

 

 

 

一刺(いっし)纏繞(てんじょう)。転身開始。

 最果ての光よ。虚空より裏返れ」

 

 

 

 ただ、彼らは眺めていた。

 意味も分からず、祝福を降ろす神の威光を見るように、眺めていた。

 誰一人として抗う事も出来ず、塵一つ残らず蒸発する刹那まで。

 赤い光の中に、不気味な集合体が蠢いているような何かを感じ取りながら。

 

 

 

「——■■■・■■■(ロンゴミニアド)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隕石が落ちたに等しい衝撃だった。

 着弾した刹那、僅かに遅れて周囲へと放たれる圧力波。駆け抜けた爆風が大地を震動させ、轟音によって大気が割れる。

 もはや人の痕跡は何もなかった。

 新たに増えたクレーターだけが、先程の暴威を物語る。

 血の染みすらない。あったとしてももう消えた。クレーターから滲み出て来る黒い泥に呑まれて。

 

 幾度と繰り返した殺戮。何も結果の変わらぬ蹂躙。

 それを特に感慨なく眺めた後、黒い竜兜の騎士は再び手を天に向ける。

 途端、暗雲が轟き、赤い雷鳴が一筋、黒い竜兜の騎士に向かって降り落ちた。

 赤雷に傷付く事はない。いつの間にか、黒い竜兜の騎士には血のように赤い槍が握られている。

 

 

 

「一刺分を使用した。

 再起動を開始、人類史への軌道計算を修正する」

 

 

 

 踵を返し、黒い竜兜の騎士は虚空に向けて言葉を投げる。

 周りには誰もいない筈なのに、確かに騎士は、その何かに向けて話しかけていた。

 返事もなく、未だ荒れる大気を無視し、黒い竜兜の騎士は魔城の闇へと消えていった。

 黒い竜兜の——彼女が城の中に消えていく刹那、赤い血色の魔槍が、白銀に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地を駆け抜けた爆風と轟音に人が耐えられるだけの距離……よりも更に離れた場所。聖地だったエルサレムから数十km先の地点には、人々が集まる集落があった。

 半年ほど前、突如として陥落した聖地。そして塗り潰された聖都エルサレム。

 聖地を目指していた人々と、聖都から逃げて来た人々の受け皿となった集落は、急激に拡大し都市集落街のような形へと変貌していた。

 

 治安は、御世辞にも良いとは言えない。

 幾十、幾百と撃ち落とされた赤い雷鳴による爆風と衝撃波は、聖都周辺の村々を消し飛ばしていた。

 聖都周辺地域は、最早人の住める場所ではない。

 大地が、悪霊が蔓延る霊墓にも等しいほど汚染されているのもある。

 数十km離れたこの場所が、聖地から一番近い人の住める場所である為、許容量を上回るだけの人間が密集しているのだ。

 飢え、恐怖、何より信仰の要を——明確に穢され、奪われたという思いはエルサレムに集っていた人々を追い詰めていた。

 

 

 

「——ッ、ぅ……」

 

 

 

 遠くより響く轟音と爆風。

 周辺の家屋を叩き付ける衝撃波に、一人の少年が怯む。

 避難民を数多く含むこの町では、特に変哲のない少年だ。

 質素な服に、砂の洗礼から身を守るターバン。多少汚れた服が、この地での鄙びた生活を表している。

 

 彼は、端的に言えば迷子になっていた。

 母親と二人で、この地に於ける避難場所を探していたのだが、露店を眺めに向かったのが災いになったのだろう。

 人の群れに呑まれ、少年は母親を見失ってしまった。

 

 少年とてこの地の治安が良くないのは、肌身で何となく察している。

 自らと、そして母親の安否が不安となり、焦りを運んで少年は辺りを走り回っていた。

 

 

 

「痛っ……」

 

 

 

 だから少年は周りを良く見ていなかった。

 走り回っていた速度そのままに、何かに体をぶつけて少年は苦悶の声を溢す。

 

 

 

「あ……」

 

「………」

 

 

 

 ぶつかったのは、人だった。

 砂の洗礼を越える為の外套を深く被っている。

 その人は、ゆっくりと振り返った。

 仮面を着けていて、素顔は良く見えなかった。

 

 

 

「え、えっと——すみません……! ボク、急いでいて」

 

「………………………」

 

 

 

 周りの人々に比べれば、少し小柄な人だった。

 150cm程だろう。だがぶつかった時、その人は全く体勢を崩さなかったし、何より硬質的な衝撃があった。外套の下に鎧を着込んでいるのかもしれない。

 騎士だ。少年はそう確信する。

 何よりぶつかった騎士の雰囲気と、冷たい何かを纏う感じが、少年は少し怖く、すぐに謝った。

 

 

 

「本当に、ごめんなさい………すぐにここから退きますから——」

 

「待て、少年」

 

 

 

 踵を返し、逃げるように立ち去ろうとした時、騎士が呼び止める。

 透き通りながら、しかしくぐもった様な声だった。

 

 

 

「人を探しているな?」

 

「……え」

 

「それも、母親か?」

 

「どうして……分かったんですか?」

 

 

 

 僅かな警戒を込めて、少年は騎士に向かって問う。

 幼心が、目の前の騎士は恐ろしい存在なのだと訴えていた。

 少年の問いを、騎士は僅かに思索した後、少年の瞳を見据えながら答える。

 

 

 

「別に、ここでは良くある話だ。

 何より、今この場所では子供はいつ食い物にされてもおかしくない。手を貸そう。私なら力になる」

 

「いえ……でも」

 

「信用しなくて良い。

 だが……言葉による説得を試みる暇もない……——悪いな」

 

 

 

 すると、騎士は突如少年は抱き上げた。

 母親が子供にやる様な形だった。

 

 

 

「え——」

 

「舌を噛む、気を付けろ」

 

 

 

 驚く少年を意に介さず——騎士はその場から跳躍し、家屋の屋根に上がる。

 そして、屋根伝いに騎士は走り、再び跳躍を繰り返して何処かへと移動する。

 少年には考えられない身体能力だった。

 

 

 

「——わあ……」

 

 

 

 何より、何処か夢のような光景でもあった。

 空を飛んでいるような感覚。制動によって揺れる体と、目紛しく切り替わる町の光景。心臓の高鳴りは、恐怖ではなく高揚によるものだ。

 しかも、騎士にとってこれは慣れ親しんだ当然の事なのだろう。

 跳躍を繰り返し急速に移動しているのに、少年に来る衝撃や揺れは想像以上に少ない。足音などの音も小さいのがその証拠だ。

 

 少年が騎士に抱き抱えられ、しばしの遊泳を楽しんでいると、いつの間にか町一番の高台に辿り着いていた。

 最近の世情に疲労を感じていた少年を、高台に吹く心地良い風が癒す。

 

 

 

「凄い……凄いよお兄ちゃん!」

 

「心を開くのが早いようで。

 まぁ良い。それが子供に許されている特権だ。存分に浸っていれば良い」

 

「うん!」

 

 

 

 素っ気なく、冷たく、そして無愛想な騎士の言葉に少年は頷く。

 少年は、騎士の両腕に抱き抱えられたまま、暫く高台からの絶景を眺めていた。

 

 

 

「アレか?」

 

「え?」

 

「アレ。あの場所にいる女性」

 

 

 

 騎士が指差した先を少年は見つめた。

 目を細め、暫くした後、少年は自らの母親を見つける。

 

 

 

「どうして分かったの? お兄ちゃん」

 

「表情。佇まい。後、顔立ちがお前と似ていた。特に瞳が同じ色をしている」

 

「見えるの!?」

 

「見える」

 

「凄い——騎士って凄いんだなぁ……」

 

「騎士である事は別に関係ない」

 

 

 

 出会った瞬間の警戒はどこへやら。

 少年は、騎士の素っ気ない返答が気に入っていた。

 

 

 

「舌を噛まないようにな」

 

 

 

 騎士の言葉に頷き、再びの浮遊感に少年は胸を高鳴らせる。

 その高揚はすぐに終わった。

 瞬く間に騎士は、少年の母親の場所まで辿り着いていたからだ。

 

 騎士の胸から飛び降りて、母親と対面する少年。

 互いに怪我はなく、すぐに会えた安堵に、少年は母親に向かって飛び付く。

 

 

 

「お母さん!」

 

「あぁ…………良かった見つかって——」

 

「聞いてよ! 騎士のお兄ちゃんに助けて貰って、しかもさっきまで空を飛んでたんだ!」

 

 

 

 興奮して、母親の安心も待たずに喋る少年の姿が、母親にとっては何よりもの安堵に繋がる。悪い人に襲われた、なんて事はなかったと分かったからだ。

 柔らかな表情。しかし、目の前にいる騎士の姿を見て、僅かな苦笑いに変わる。はしたない姿を騎士に見せてしまっていると感じて仕方ない。

 

 

 

「本当にありがとうございます。

 どうやってお礼をすれば良いのか………」

 

「いいえ、何も。

 特に金品を要求したい訳でもないので」

 

「ですが……」

 

「はい。ですので」

 

 

 

 騎士は、少し目線を外して考える素振りを見せた後、答える。

 

 

 

「私に、あの黒い城の事を教えて欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端的に言えば、母親から騎士に説明出来る事は少なかった。

 半年ほど前に、突如聖地の人々が消え、聖都エルサレムが陥落した事。

 その日から、新たなナニかに聖都が塗り潰され、黒い城へと形を変えた事。

 またあの黒い城が出来てから、まるで干からびるように周囲が砂漠へと変貌していった事。

 時折、あの黒い城から赤い雷鳴が轟く事。

 

 母親の知識は、特別広い訳でも深い訳でもない。

 この町に避難している人間なら大抵ほとんどは知っている。

 

 後は、聖地の異様なる変貌と肌身で感じられる呪いに、聖都が形を変えても聖地への信仰は揺るがない……と考える人は流石に少ない事。

 最近、あの聖地を奪還すべく創設された義勇兵達もその全てが戻って来ない事から、組織としてガタガタとなり、指揮者がなければもう二度と機能しない事を付け加えればもう全てだった。

 

 つまりは何も知らない。

 最近の世情を説明する事が、あの黒い城の説明にはならないだろう。

 何故、どうして、という理由も。この事態を引き起こした何者かの思惑も、誰も分からないのだ。

 いや……後者は少し、違うだろうか。

 

 

 

「そうですか………感謝します」

 

 

 

 だが、騎士は真摯にその話を受け止めていた。

 聞くに、遠方より遥々聖地を訪れた騎士だと言う。だから聖地エルサレムの最近の世情に疎いのだと。

 小柄な体躯を見れば、騎士もまた若い青年であるというのに。

 それを立派と取るか、運が悪いと取るか。

 

 

 

「もう、良いのですか?」

 

「はい。大変参考になりました」

 

 

 

 聞きたかった事は聞けたのか、騎士は立ち上がって答える。

 避難民の為のテントの中に入れる、という行為にも騎士は特に抵抗は示さなかった。異国の騎士というのは事実なのだろう。小柄な騎士の人柄を心配して、母親は問い掛けた。

 

 

 

「まさか……義勇兵に入るのですか?」

 

「そうだと、言ったら」

 

「でしたら、お止め下さい。

 アレは……何かの天災のような気がしてならないのです」

 

 

 

 それは、きっと何人もの人間が感じ取り始めている感覚だった。

 突如汚染された聖都。何故、どうしてという理由が分からないのは、まだ理解の範疇である。

 聖都を堕とすという悪虐を成した誰かがいるのなら、その思惑が民に分かるものではないのは仕方ない。

 

 だがそもそも——本当に聖地を穢した人物など居るのだろうか?

 

 余りにも突然で、脈絡がない。

 落雷が落ちるとはいえ、それは聖都の周囲だけ。

 何かが起こる訳でもない半年間の静寂。人の意思が、介入しているように思えない。何より"あの聖都"に君臨する者は本当に人間なのか。

 思惑を持つ誰かが聖都を堕とした、にしては極めて不気味で、理解が遠く及ばない。

 

 だからアレは、人間の手が介入した訳ではない。

 人類から遠く離れた何かによるもの。即ち自然による大災害。数百年に一度は起こる天災。

 それが、聖都を襲ったように思えてならないのだ。

 何か信仰の手違いや背徳者による策略で、呼び出してはならない悪神が召喚されてしまったと言うのなら、そのまま信じてしまいそうになる程には。

 

 

 

「異国の騎士であるなら、この地から逃げた方が賢明です。

 今、このエルサレムに訪れているのは大災害」

 

 

 

 災害に立ち向かおうとする人間はいない。

 人間に出来るのは、大地の動きや火山の噴火を止める事ではなく、被害に遭った後の復興を如何に対処するかである。

 

 

 

「だから人々は耐えるしかないのです。

 貴方まで……被害を被る理由はありません」

 

 

 

 母親は少年の頭を撫でながら呟く。

 それは、幼子を気にかけてくれた心を持つ貴方まで死んで欲しくないという意思表示だった。

 少年も、何処か不安そうに騎士を見ている。

 懐いているのは、一目瞭然だった。

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 その様子を、騎士は無言で眺めていた。

 少年を見つめる騎士は、何処か心遠くにあるように見える。

 

 

 

「御忠告、感謝します。

 安心下さい、私は義勇兵に入るつもりはありませんから」

 

 

 

 騎士は踵を返し、立ち去ろうとする。

 ただ、最後にその騎士は、独白のように呟いた。

 

 

 

「災害、という考えは……成るほど確かに正しい。

 貴方達もお気をつけて。今のエルサレムは、嵐の前の静けさのようなものです」

 

 

 

 言葉を最後に、騎士は振り返らず人混みの中に消えていく。

 騎士の言葉は何を意味していたのだろう。

 預言じみたその確信に、母親はテントの中に張り付けにされた。

 ただ、その刹那少年は立ち上がって走る。

 

 

 

「ありがとう、お兄ちゃーんっ!」

 

 

 

 少年は騎士に向かって手を振った。

 振り返らず、手を上げるだけで応える騎士。

 終始素っ気ない態度の騎士が、少年にはカッコイイものに見えている。

 何より、少年にとっては鮮烈な出会いだったのだから。

 

 

 

「私のような人間に利用されないようにな。ルシュド」

 

「え、あ——あれ……?」

 

 

 

 騎士が人混みの中に消えていった後になって、少年は何かの違和感を覚える。

 ルシュド——その名前を、教えたっけ。いや、そうではなく。

 それもあるがもっと何か重要な事を。今まですっごい失礼をしていた可能性が。

 

 

 

「お兄ちゃんじゃなくて……——お姉ちゃん?」

 

 

 

 仮面——黒いバイザーで素顔を隠した騎士。

 騎士だから男の人だと思い込んでいたが。

 どうしてか、ルシュドには先程の騎士が——薄い金髪をした、女の子に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞けば、この時代の異常は余りにも深刻だった。

 今のこの時点でも、拭い取るのが難しい被害が襲っている。

 聖地汚染。聖都陥落。エルサレムという名が、地図からではなく歴史上から消え去るのも時間の問題か。

 いいや、この程度では済まないだろう。

 何が起こるかは分からない。

 だが絶対に何かは起こる。

 否——起こす。

 確信出来た。何よりも想像出来た。

 何たる皮肉だろう。自分にだけは分かってしまうのだ。

 聖都を陥落させた者が、自らの思い浮かべる人物であれば。

 

 

 

「憐れだな。そうは思わないのか」

 

 

 

 人の意志。

 その定義については難しい。そこに心はあるか。あっても機能しているか。

 誰にも分からないのなら、無いのと同じなのだろう。

 だが哀れな事だ。

 互いに必要だからと行動していて、そこに損得が関われば人のように見えるらしい。

 

 必要だからと、関係ない誰かを殺す。

 必要だからと、関係ない少年を助ける。

 

 関わりの問題があるだけで。

 当の本人と、その選択の本質は、何も変わらないのに。

 

 

 

「いや、哀れなのは……どちらも同じだったな」

 

 

 

 呟いた声が、風に紛れて消えていく。

 黒いバイザーの騎士。

 薄い金髪と、人間味のない肌を持つ——彼女は遠くを見つめる。

 その先には、暗雲に包まれた黒い城塞があった。

 

 禍々しい圧力を持つその城は、彼方の遠方からでも目立っている。

 一番近いとはいえ、数十km離れたこの集落からでも良く見えていた。

 その威容。禍々しく立ち昇るその圧力。見た事などない筈なのに、どうしてだろう。

 心の中で——あの城に君臨していたような気がしてならない。

 

 

 

「これが、互いに死に損なった末の末路か?」

 

 

 

 この異常——この特異点の主の目的は何だろうか。

 分からない。だが、その危険性だけは分かる。彼女には、何よりも分かる。

 

 聞くに、この特異点の砂漠に太陽王は関係ないらしい。

 つまり、砂漠という概念、テクスチャがこの地にある訳ではない。

 この土地の生命力そのものが、干上がり、死に絶えているのだ。つまりこのまま砂漠化が進行すれば——この星そのものが干上がるかもしれない。

 まさかそんな、とは思えなかった。

 嵐の中心点のように、あの黒い城へと集まっている力の息吹。

 あの黒い城に集まる魔力の強度と密度が……神代のそれに近付いていた。

 神代へと擬似的に回帰するつもりか。仮に回帰してどうなる。

 

 いや、そうではない。

 

 もし回帰したらどうなるか。

 それが果たさればどうなるか。

 そんな事をすれば。それが達成されればどうなるか。

 もはや同義ではないか。

 

 現在の理が、過去の理に塗り潰される。

 あらゆる神秘が、地表の概念テクスチャと共に裏返る。

 人理そのものへの、攻撃。

 人類史という川全てを塗り替えるほどの泥を、作り出す事と、何も変わらない。

 

 

 

「なぁ……教えてくれよ」

 

 

 

 あの嵐の王の姿を思い浮かべる。

 何なら皮肉。何たる茶番か。

 互いに——同じ。しかし全く違う者同士がぶつかり合う。

 如何なる滑稽も、あらゆる喜劇も、全て陳腐に思えた。

 

 そう。今から私は、虚無に堕ちる。

 

 自らを無価値にする。

 自らの全てを否定する。

 "あり得なかったif"を"あり得ざるif"が殺す事によって。

 

 誰かに知られる事もなく。

 他者に観測される事もなく。

 星見の天文台の彼らが、この特異点に来るよりも前に。

 本当の、手遅れにならない為に。

 今の彼らでは、もはや手の施しようがないから。

 絶対に、どうしようもないから。

 だから。

 独り孤独に。

 私はまた、剣を取るんだ。

 

 

 

「お前は——本当に私か?」

 

 

 

 再び呟き、黒い城を見つめる。

 彼方の城塞。人の居なくなった廃城。堕ちたりし聖都。

 何て数奇な運命だろう。もはやあの城はエルサレムではないという意味を込め、とある廃城都市の名前で呼ばれているらしいのだ。

 それは遥か昔。騎士達の誉れを形にしたある島。

 その島の中から、騎士道の全盛期に産まれた大魔王。

 卑王ヴォーティガーンが君臨した廃城都市。

 その城の名前は——

 

 

 

 

 

 


 

 

  第六特異点
 
人理定礎値 A+++   

 

 

 

  A.D.1273 ■■■■聖都 エルサレム   
  A.D.1273 堕天魔竜聖都 ロンディニウム

楽園の■■   
楽園の凶星  

 

 

 




 
 ・第六特異点・

 現在カルデアが修復して来た特異点を上回る最大規模の特異点。観測史上最大の異常空間。
 その規模の影響から、特異点Fを修復した段階からA.D.1273の特異点は発見出来ていたが、その危険性から修復を保留。
 そもそも、余りの揺らぎの影響で座標固定が難航し、レイシフトの錨を引っ掛ける事すら出来ていなかった。 
 また定期的に起こる強い揺らぎが常に記録されている。
 それはまるで、何かが爆発したような衝撃波や繰り返される津波にも似ており、観測し続けていると観測レンズ・シバの観測羽が数枚吹き飛ぶ程。
 現在、年代と場所以外のあらゆる情報を特定出来ず。
 本段階では、レイシフト適性脅威の100%を誇る【藤丸立香】候補生であっても、第六特異点に突入すれば意味消失を引き起こすか、運命力の急激消失を引き起こし兼ねないと推定される。
 
 第五の特異点を修復し、残すは第六と第七の特異点。
 現段階でカルデアが観測出来ている最後の特異点。A.D.1273の特異点を【第六特異点】とカルデアは呼称。
 特異点F攻略完了時点より、観測史上、常に最大規模。その座標固定難易度。定期的に起こる爆心の如き人理の揺ぎを慮り、カルデアは特異点に於ける人理への侵食度——人理定礎値評価をA+++と認定。
 これは今までの特異点とは比較にならない程の規模を示す。
 EX判定ではないのは、近未来観測レンズ・シバが、この特異点は現在人類史の流れから逸脱したものではないと断定している為だが、ここまでの侵食規模は今までとは類を見ない異常さであった。
 第一から第五の特異点とは違い、人理に於けるターニングポイントの切り替わりではなく、人理そのものへの攻撃・侵食レベルであるとカルデアは推測。
 英霊召喚成功例第3号レオナルド・ダ・ヴィンチは、この特異点から観測され続ける衝撃波を、特異点内部で超極小且つ単独で成立する特異点が生まれ続けているようだと称した。
 通称、観測特異起爆点、404 Not Found。
 
 人理の揺らぎの影響で、現状レイシフトに同行出来るサーヴァントは、藤丸候補生専属である【マシュ・キリエライト】以外には見つかっていない。
 現在カルデアにいるサーヴァントは、ほぼ全てが適正値0.00%。
 ケルトなどのサーヴァントや、ブリタニアの女王ブーティカ、ローマのサーヴァント達が数%の適性を持つ。特に女王ブーティカとネロ皇帝は10%近い適性があった。
 尚、自らの真名を名乗らない赤い外套の守護者(通称、無銘)と、エミヤと名乗った赤い外套のアサシンのみ、何故か適性値約30%と約20%を叩き出している。
 ただそもそも、サーヴァントが複数名同行出来たとしても、特異点修復は難しいと推測される。
 今までの特異点と同じように、敵性サーヴァントがいると仮定するなら、特異点内部で一級サーヴァントが複数名。
 もしくは通常サーヴァントの枠組みから外れた、単独で今までの特異点を修復出来る規模の性能を持つ、超一級の英霊の協力があれば足掛かりが付くという現状である。

 現在、藤丸候補生と専属サーヴァント、マシュ・キリエライトは第六特異点攻略に向けて、調整を重ねながら待機。
 カルデア、全勢力を上げて第六特異点の座標固定と、藤丸候補生の運命力固定特殊礼装開発を遂行。
 レイシフト準備、現在難航中——
 
 

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