無秩序な裁定者。
いずれ、返り血すら浴びない程の速さを誇る彼女だったが、今ばかりはまだ、彼女は剣を振るい、勝利する事以外に意識を割く事が出来なかった。
もはや数えが利かなくなって来る程に使い潰したマントを放りなげ、彼女は額の血を拭う。
渡された騎士剣は、敵の頭蓋と共にもう数十は叩き割った。
血を被り過ぎて変色したマントは、もはや騎士の拵えではなく蛮族の腰布も斯くやと言った代物へと落ちた。
彼女に卓越した技量はない。
彼女は天凛の才を持つ、綺羅星の如き英雄とは程遠い存在だったから。
故に少女にとっては、円卓の騎士が持つような聖剣以外、全てが消耗品でしかなかった。
「………………汚れた」
そうして、その破滅さ故に竜の化身と呼ばれる——前の騎士は、ようやく止まる。
彼女が戦いの終わりを実感するのは、いつだって自分が血で汚れ切ったのを把握した時だけ。
それが彼女。最も多くの人間を手にかけ、最も血に濡れた騎士。
しかし、それを成し遂げるのが齢十程度の子供だなどとは、敵味方両方の悪夢でしかない。
子供が当たり前のように戦に身を投じているのは、地獄でしかないのだから。
「…………っ、無事か」
彼女の速さに遅れ、ようやく駆け付けて来た同輩の騎士が声をかけた。
血に濡れ切った彼女。彼女の下にある死体。
それで理解する。
彼の言葉は、彼女の安否を心配したモノではない。
ただ当たり障りのない言葉を掛けただけだ。
瞳に浮かんだ畏怖と、得体の知れないナニかを見るような恐怖がそれを物語る。
二十は超える青年が、性別の差などと言う年齢ではない子供を恐れている。
高揚と尊敬による忠誠ではなく、カリスマが介入する余地などない畏怖と狂信による支配は、既に片鱗として形作られていた。
「はい、無事です」
凡そ人に向けるモノではない視線に、慣れたように応えて彼女は流した。
一種の悟りだっただろう。
自分と他者が分かり合える事はない。
同じ視点を得る事も、共感出来る日が来る事もない。
それ故の達観。それ故の佇まい。
彼女のその姿勢が、より強固な畏怖と溝を生んでいるのだと、今の彼女はまだ知らなかった。
知っても変えなかったのだから大した意味はないが、この時代の彼女はまだ比較的人間味があった。
気付く者がいたら、彼女は違っただろう。
彼女を受け入れ、寄り添う者がいたなら変わっただろう。
だが彼女には、そんな人物は一人も現れなかった。
興味無さげな言葉と佇まいが、少女を少しずつ、より人間から逸脱させていく。
この歳で、もはや彼女と対等に言葉を交わせるのは、老練な古騎士以外に存在しない程には。
「………何をしているんだ?」
だからこそ、彼女は誰にも理解されない。
騎士道が少女という人格を取り零したように、少女もまた騎士道を取り零した。
「ただ黙祷しているだけですが」
「…………敵にか?」
騎士の問いには、畏怖交じり故に僅かだが、確かに険があった。
異民族は敵であり、侵略者は島の悪である。
だからこそ、その悪に黙祷を捧げる騎士などいない。
そんな事をするなら、同じ志で戦い、散っていった同胞達に黙祷を捧げるべきだから。
彼女のそれは、非難の対象であっただろう。
ただどうしてか、少女には死体を憎むほどの感情がなかった。
騎士達と同じモノを目指してはおらず、周囲に仲間意識も持っていなかったとしても、ただの骸には何も思えなかった。
だから彼女は、そういう面でも騎士達と同じ志を得る事が出来ていない。
彼女が安心出来るのは死体だけだった。
「あぁ……すみません。少し疲弊したので目を閉じていただけです。勘違い無きように」
「………そ、そうか」
「戻られては? この辺りの異民族は、もう私が殲滅し切りましたから」
確かに彼女は、何処かがおかしかったのだろう。
彼女は人々が認める標準から外れている。
騎士王の理想を、美しいモノではなく、醜いモノだと判断した。
万人に於ける当然の形。美しいと思えるモノ。その全てが心を通り過ぎる。
そう、彼女はおかしかった。
彼女は何故か、当たり前の感性も持っているから。
人が人である為の、当然の良心も持っていたから。
だからこそ彼女は他者の機微を読むのにも長けていたし、そうやって誤魔化すのにも口が回った。
ただの破綻者であったのなら、ただ壊れたまま剣を振るい、そのまま砕けて終わっただけだっただろうに。
いずれ鋼鉄のアグラヴェインと、皮肉屋のケイ、果てにマーリンとすら対等に口舌で切り合った片鱗は、そうやって少しずつ育まれていく。
「………………」
背中を向け、走り去っていく騎士の姿を収めた後、彼女は再び視線を戻す。
殺した異民族。その骸には何も思わないし、何も抱けない。
ただ一つ、空虚さだけが残っていく。
「どうだ、これが見えるか名も知れぬ異民族」
その亡骸に、彼女は語り掛ける。
方向性は破綻していても、彼女が人間になるのは死者だけだった。
「これが、騎士道だぞ」
もはや少女の視線は、骸から外れている。
形ないモノを睨むかのように揺れる瞳が、子供の瞳だと誰が一体信じられたか。
彼女が冷たい人形ではなく、燃え滾る亡者のような風貌を見た者は、生涯を通しても一握りしかいない。
「だから必ず」
たった一振りだけ、騎士剣をその場に突き刺して、彼女は去る。
唯一彼女だけが報いた、墓標代わりの剣。
故に誰も知らないだろう。
「…………必ず否定させてやる——」
炎のように揺れる瞳は。
答えの証明を求めて彷徨う迷子のように、揺れて見える事を。
もしも運命というモノがあるなら、それは鮮烈な出会いという訳ではなく一方的で抗いようのないモノなのだと、その時綺礼は初めて知った。
予兆もなく、容赦もなく、まるで人生という道にぽっかりと空いた奈落のように。どうしようもなく堕ちるモノだと、そう理解した。
"彼女の人生は、何故、どうして、と問うばかりの人生だった"
今までずっと絶えて等しかった魂が、心臓が、ドクンとなったのは何故だっただろう。
誰にも理解される事のない不透明な少女の輪郭を理解出来てしまったような感覚がしたのは、言峰綺礼の間違いだったのだろうか。
ただ一つ言えるのは、如何な異端書だとしても心の何処かではただの文字の羅列でしかないともしも考えていたとするなら、それは間違いだった。
心に空いた空白。致命的な空虚。誰にも添う事のない共感意識。
彼女の鮮烈で苛烈な生涯に隠れた苦悩が、綺礼には分かる。
いや、理解ではなく共感だったのかもしれない。
実利の破綻した行動。利己という思考をかなぐり捨て、自らの命より自らの在り方を貫き続けた生涯。
まるでそうしなくては、命よりも大事な自分のナニかが壊れてしまう。そんな強迫概念すら、滲み出ているような気がした。
彼女の苦悩。彼女の絶望。
綺礼にはそれが、まるで手に取るように理解出来る気がする。
彼女の不透明な輪郭に、共感という形で自らを重ね合わせていた。
ただそこに違いがあるとするのなら。
彼女は自らの矯正をしようとは思っていなかった事だろう。故に苛烈。己のような虚無など何もない。
……あるいは、そうする事でしか自分を保てなかったのか。
彼女もまた、答えのない巡礼を探し求め、それ故に破滅的な生涯を送るしかなかったとするなら。
あぁそれなら、言峰綺礼は一種の憧憬を抱かずにはいられなかった。
自らの矯正ではなく、世界の普遍を否定するというアプローチを以って、自らの証明を果たす。
自分を周囲と同じにするのではなく、周囲を自らと同じ地点に堕とす……それは確かに、その果てには言峰綺礼が望んだ問いの答えがあるのかもしれない。
彼女の生き様を記した少女の流伝を読み、紐解く程にその思いは強くなるばかりだったのだ。
その先にあるモノは、自分が望んでいるモノではない。
だと言うのに、言峰綺礼の思考に反して言峰綺礼の心が、まるで飢えた獣のようにナニかを求め続けた。
"彼女は何故か、当たり前の感性も持っていた"
果たして、名前も分からない少女の輪郭は言峰綺礼のナニを穿っていたのだろう。
いつしか綺礼は、彼女に思いを馳せていた。
何故、彼女には良心など備わってしまったのか。
まともな道徳心すら無ければ、自らの異常性に気付かず過ごせただろうに。
そう思った。思ってしまった。
そうすれば、最初から絶望しなかっただろう。
あぁ、その底知れない苦悩と絶望が、綺礼には何処か共感出来てしまう。
いつまでも癒される事なく、ただ己の心の空洞が径を拡げていく日々の空虚さを綺礼は知っているから。
齢十にも満たぬ少女を苛烈へと引き上げたそれを、まるで自分の事のように綺礼は知っているから。
良心がなければ、きっと異常性に気付かなかった。
或いは回りを呪うだけで良かった。
だが彼女は、その道徳心故に自らも怨んでしまった。
それが彼女の成長と共に、自らの救いようの無さに対する怒りと絶望に変わり、復讐という名前の自傷行為を繰り返す。
幾度傷付き、幾多も死に瀕した。
しかし自らを死の淵に追い求めるだけ、彼女の力は絶望的な死すら跳ね除けるだけの力を獲得し、鍛え上げた刃の如く鋭利さと冷たさを増していく。
人として正しく成長する才能の全てを、殺し合いの才能へと昇華した彼女が、誇り高き竜ではなく荒れ狂う竜と呼ばれる理由は、決して前向きな信念によるものではない。
皮肉にもそれが、英雄のそれと同じに見えていたなどと、彼女自身は気付いていたのだろうか。
畏怖に交じる、賞賛と賛美。
否定する事でしか自分を証明出来ない彼女は、ただ賞賛だけを浴び続ける。
その度に、少女の成長と共に育まれてしまう心の空洞が大きくなっていった。
少女が求めた否定は、同時に彼女自身の否定でもあったのだから。
騎士道というモノが、どれだけ醜いモノか、都合の良いモノか。
徹底した殺戮と手段の選ばない戦い振りを見せつけ、人々から理想を奪い取ろうとした行いは確かに——父の語る、復讐鬼のような輪郭に見えるだろう。
だが彼女の行いは破綻している。
彼女が望んだ復讐の形、その果てにあるのは自滅と同じなのだ。
それが、単に復讐を望んだだけな訳がない。
確かにそう言う一面はあったかもしれない。だがもっと、本質は違うのではないか。
彼女の行いは、自らの命ではなく在り方を貫いた行動は………手に入れた答えの証明をしようとしていたのではあるまいか——
いつしか、綺礼はそうだとしか思えなくなっていた。
複数の側面を持つのは、自分のような余人には理解の及ばない破綻があるからではないか。
その破綻故に、誰も少女の正確な輪郭を作れず、このようにして不透明な輪郭だけが残されたのではないか。
この流伝に残された少女の姿は確かに一部は捉えているが正確ではなく、少女の精神性はまた別にあるのではないか。
傍から見れば、綺礼のそれは己が抱く都合の良い願望を押し付けているに等しい。
神に仕えるモノとしては、禁忌でしかない偶像崇拝のそれである。
綺礼が彼女に当て嵌めた形が、本当に当て嵌まっているかなど、もはや分かりはしないのだから。
彼女は過去の人物。残るのはただの文字と文章。この流伝が、何処まで彼女を正確に捉えていたかなんて、綺礼にはもう分かりはしない。
だが、一つだけ、綺礼には確信があった。
彼女は、心に致命的な破綻を抱えた人物だった。
それが、言峰綺礼の望む答えであるかは分からない。
何故自分は、万人が美しいと思うモノを美しいと思えないか。
どうして自分は、神に仕える者でありながら、当たり前の幸福に共感出来ないのか。
しかしその問いの答えが、きっと彼女の生涯の何処かに隠れている。
完成されない流伝の中に、綺礼が分からない彼女の最果て、そこで得たモノの中に。
そうでなくてはならない。言峰綺礼が未だ見出してはいない回答が、そこになくてはならない。
決して——決して彼女とは違って、ただの破滅である訳がない。
彼女が成し遂げた、神をも問い殺し、非道を選んだ先にある景色が、罪深いだけの堕落であって良い筈がない。
だから綺礼は知りたかった。叶うなら彼女に問いたかった。
たった二人。何にも邪魔されない空間で、本物の彼女と問答を繰り返したい。
この流伝が何処まで正確だったのか。果たして少女は、如何な人物だったのか。
その苦悩。同じ存在であるなら、きっと何か共感出来るモノがある。
たとえそれが、結果的には綺礼が望んだ変化は齎してくれないにしろ、納得の行く何かを提示してくれる。
たとえそれが………神に仕える身としては相応しくないにしろ、彼女の行いのような………そう、結果的にはそう見えてしまうだけで、多くの解釈、複雑な正しさを持った決して罪深いだけの悪逆ではない何かがあるのだと。
そう、綺礼は望んでいた。
自分では測りしれないナニかが少女にはある。
そこにこそ自分の答えがあり、どうしようもない破綻は自分にはないのだと。
綺礼はそう確信していた。
それが。
二年連れ添った妻が。
先日、死んだ日の事だった。
イタリアの都市州都、トリノ。
中心部の街を外れ、北西部に広がるアルプス山脈。
山脈に連なる小高い丘の上には、瀟洒なヴィラが建てられていた。
「君の右手に顕れた紋様は令呪と呼ばれる」
眼下に広がる町を一望出来る一等地に建てられたヴィラの一室。
そこで、三人の男が向き合っている。
言峰綺礼とこの対談を取り持った綺礼の実の父親。言峰璃正。
そして綺礼の向かいにて豪奢なソファに座る男。綺礼が父親に引き合わせられたこの男は自らの名を、遠坂時臣と名乗った。
「聖杯に選ばれた証、サーヴァントを統べるべくして与えられた聖痕だ」
言峰綺礼の右手には複雑な形した痣があった。
その事に気付いた綺礼が、この現象を父に相談したのが昨夜の事であり、今日の明朝には、綺礼は父親に連れられイタリアのトリノにまで渡航していた。
そこで出会ったのが、自らを魔術師と名乗る遠坂時臣である。
本来なら、聖堂教会に身を置く者と教義の異端者である魔術師が、こうして刃と術式を向け合わずに対談するのは有り得ない。
現在は互いに交わした協定で、仮初の平穏を保っているとはいえ、互いの溝は千年以上の時間を遡る程に重い。
しかし、出会い頭の驚嘆はままあれど、綺礼にはもう動揺はなかった。
むしろ父親の柔軟性に納得した程である。八十に手が届こうという堅物な父が、古い教義ではなく近年の複雑化した信仰に理解がある訳だと。
でなければ……少女の流伝を実の息子に見せたりする訳がない。
あの当時から、父親は異端なる魔術に対して一定の理解があった事を悟った綺礼は、代行者としては驚くほど柔軟な姿勢で遠坂時臣の言葉を聞いていた。
綺礼が受けた時臣の説明を短く要約すればこうだった。
あらゆる出来事の発端とされる座標。
時間軸の外側……世界の外側にある、あらゆる全てが記録されている座。
アカシックレコードと言えば分かりやすいかもしれない。そのような場所を、魔術師達は"根源"と呼んだ。
アインツベルン、マキリ、遠坂。
始まりの御三家と呼ばれる彼らは今から二百年前、数多の伝説伝承神話にて語られる聖杯を以って、根源への到達を目指したという。
あらゆる願いを叶える万能の釜。無謀とも思える行為は………御三家が互いに提供した秘術を以って確かに成功した。
聖杯が願いを叶えるのは、ただ一人のみという形を以って。
その瞬間、聖杯による儀式と協力関係は、聖杯をかけて争う闘争関係へと形を変えた。
それが聖杯戦争の始まり。
以来、六十年の周期で降臨する聖杯に合わせて行われて来た聖戦。
聖杯の意思によって選ばれた七人の魔術師は、同じく聖杯の膨大な魔力によって召喚された七騎のサーヴァントと呼ばれる英霊を使役し、他六人の魔術師とサーヴァントを倒す。
誰が聖杯の所有者かを決める殺し合い。
時に歴史に残る近代から。時に伝説に記された古代から。あらゆる時代の偉人や超人を争わせ……死闘を以って決着する儀式。
それが、冬木の聖杯戦争。
「……………」
目の前の男。遠坂時臣の説明が全て真実であるなら、綺礼が受けた説明はそのような内容であった。
魔術師として何か秘する事を説明していない可能性は、ある。
ただ、ある一点だけは嘘偽りではないだろう。
「………聖杯を求める争い……聖杯戦争……英霊召喚——」
綺礼は自らの右手に浮かんだ紋様の正体を知り、その痣を眺める。
これが、令呪。サーヴァントを統べる為の絶対命令権であり、即ちそれは自らが聖杯戦争のマスターに選ばれた事を示していた。
思わず、感慨深く綺礼は呟く。
この痣が聖痕だと言うのなら、如何なる理由で綺礼は選ばれ、何を……——聖杯から託されているのか。
「聖堂教会の代行者としては、余り納得し難い事だったかもしれない。
だが、まずはこの事実を呑み込んで欲しい。君のように魔術の素養がない筈の者が、このような早期に聖杯からマスターに選ばれるのは極めて異例の事なんだ」
自らの右手の令呪を眺めて呟く綺礼の姿が、時臣には動揺を黙したモノに見えていたらしい。
説明から続けて、時臣は綺礼の事を一般的な教会の代行者を扱うように宥める。
しかし綺礼は別に、信仰者として納得しきれず放心していた訳ではない。
遠坂時臣は見当違いな懸念をしていると言えた。何故なら、綺礼はもっと——全く別方向の理由で驚嘆していたのだから。
自らに訪れた運命的な出会いが、余りにも都合良く、綺礼という人格を撃ち抜いていて。
「時臣くん。私の息子は魔術のような異端にも理解ある信仰の護り手です。今日この会談が、魔術協会と聖堂教会の溝を深める事にはなりはしないかと」
「ほう……それは」
信頼の表れである父の賞賛とは裏腹に、綺礼は表情を変えなかった。
そもそも綺礼は父とは違い——異なる理解を覚えている。その事は父も知らない。そして今、遠坂時臣も間違った前提認識を得ただろう。
異端は異端として受け入れて感心するような様子の時臣と、今父が語った言葉。
それに思う事は有れど、今は別に事を複雑化する必要はないと綺礼は頷いた。
「続けてください。少し、英霊というモノを思い出していただけです」
「それは……降霊術に対し理解がある、という事で良いかな?」
「はい。と申しましても、あの流伝を機に……少し学んだ程度ですが」
父親との違いは、そこに明記するものだった。
綺礼は信仰的な理解ではなく、ただ純然とした歴史と事実の内容を反芻させ、機械のように把握しているだけである。
少女の流伝に出会ったあの日あの時より、まるで考古学にのめり込むように綺礼は彼女に関わる新たな文献を読み漁り、時にはロンドンへと足を運んだ事も数知れなかった。
そうして綺礼は、代行者として魔術師とも時に刃を交えながら、魔術についての知識なども深めていく。
魔術を使える訳ではないが、魔術師達は己が願望の為、ただ探求と昇華を目的とした魔術すらも種類種別として綺礼は知っている。
その貪欲さは、教会内部全体でも綺礼に追従出来る人物など存在しないレベルだ。
今の綺礼は、もはやあらゆる文野から多角的な思考をする事が出来る人物となっている。
傍から綺礼を見れば、古い教義に縛られる事もなく、しかして歴史と共に紡いで来た信仰を穢す事もない、極めて優秀且つ模範にされるべき逸材にしか見えないだろう。
改めて枢機卿に戻り、教会を担って欲しいと言われる程には。
しかし、綺礼の思考と魂はもはや別のところにある。
根源の渦、即ち世界の外側を目指す魔術師達は、文字通り世界のルールから逸脱した人格を持つ人間が殆どだという認識は、恐らく外れていないだろう。
必要があれば非道を行い、時に人命すら軽視する。神秘が流出しないように気を付けているのは、決して他者を尊ぶが故ではなく自らの為だ。
しかし……世間一般のルールを無視するのと同時に、自らに課したルールは極めて厳格に遵守するのもまた事実。
いわば魔術師達は、中世の貴族的な考えを中心とする存在だった。
貴人と平民では、手にする技術も知識も違って当然。それは当然……力を振るう権利も、命の価値すらも。
そんな彼らが自らに定めたルール。
犯してはならない禁忌。
そこに、彼女の名前があった。
「教会では触れてはならない禁忌のように扱われていると聞きましたが、どうやら互いに、古い形骸からの脱却が課題のようで」
時臣の言葉に無言で頷く璃正を眺めながら、綺礼は魔術師に対する認識を改める事なく、確信へと変えた。時臣氏は、典型的な魔術師だ。
それに協会と教会。本来なら折り合わぬ者同士である時臣と父の璃正が、何か通じ合っている事に、二人の関係性と今回の会談の関連を繋げ合わせながら、綺礼は今の言葉を反芻させていた。
古い形骸。
それは聖堂教会と同じように、魔術協会も定めた条約。
降霊術に於ける一つの到達点にして頂点に、彼らが刻み込んだ禁忌だった。
魔術師達が再現するには、半ば魔法の領域に片足を踏み込まねばならない代物——故に一部の魔術師の中で、根源の到達の為に研究される降霊学科の学問。
英霊、と呼ばれるモノがある。
魔術世界に於ける正式名称は
歴史や伝承、伝説に名を残した偉人。実在架空の是非を問わず人々の間で広く認知され、ある種の信仰を獲得した者達は、死後星の触覚たる精霊の領域に昇華する。
それを魔術師達は英霊と呼び、また精霊の領域に達した英雄達の魂が記録される場所を、英霊の座と呼称した。
英霊の座も、根源の渦の中にある。
根源到達の為、英霊召喚に生涯を賭す者も、もしかしたらいるかもしれない。
だが……降霊術は有名でも、英霊召喚というのは魔術協会に於いては全く盛んではなかった。
英霊の一部の力を借り受けるが限度。
一部のステータス。一部の宝具。その切れ端の一端を現世に降ろす。
しかも英霊は、そも魔術師では扱え切れない領域のモノである。その認識は幾年も改訂されていない。降霊術そのものが、他の学科に比べ一歩遅れているとも魔術協会では呼ばれる域だ。
その理由が、彼女だった。
如何なる理由があろうと、彼女を英霊として召喚してはならない。
その一部であろうと、絶対に具現化してはならない。
それを戒めとし、魔術協会は聖堂教会と同じく、彼女に対し不干渉という名の封印を図る。
それが魔術協会が定めたルール。
まるで血に刻まれた本能の如く恐怖されているようだった。
起源は、まだロンドンに時計塔が出来る前の時代に遡るらしい。
正確には、その土地がロンディニウムと呼ばれ——花のキャメロットがあったとされる時代。
魔術の素養がある者は、徹底的なまで彼女の手により殺戮された。
如何な魔道を修めた者も、何代にも及ぶ名門であっても、円卓を出し抜く力を持った者でも、等しく。
もはや現世にはいない過去の人物に一体何を、と言う者もいるが、事実魔術師達は恐れている。未だ世界の裏側にて存命し、いつの日か現世に再び帰って来ると預言された騎士。きっかけさえあれば、必ず来ると言われる彼女。
そして世界を救う代わりに、今の世界を滅ぼすと預言された、嵐の王を。
だが、悲しきかな。
それももう、古い形骸だ。
先人達が禁忌として封印し、実際に彼女の暴威を恐れていた時代。まだ世界に神秘が溢れていた千年近く前なら違っただろうが、時代は遂に科学が魔術を打倒し始めた現代だ。
時に千年以上もの血統を誇り、思想を継承して来た魔術師達でも……まぁ持った方ではあるだろう。
また他の学科に比べ一歩遅れを取り始めた降霊術を、稀代の天才——ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが進め、百年近くの遅れを取り戻したなんて事も記憶に新しい。
今の彼女は、超越した思考を持つ悪神というよりは、独自の判断で動く大量殺戮兵器程度の認識に留まるのが今の魔術師達だ。
勿論、そんなモノは何処の誰も扱いたくないのは変わらない。
普通の人間で、あるならば。
「私が、英霊を召喚するマスター………」
璃正と、時臣。
二人から説明される聖杯戦争に関わる事情を、淡々と受け答えに応じながら、綺礼はその裏で思慮に耽る。自分は聖杯より、一体何を託されたのか。この出会いは、果たして如何なる運命によるものか。
父の璃正が何故時臣と引き合わせたのかや、聖杯戦争の裏事情、その全ての理由自体には、然程驚きはない。
聖杯は凄まじい力を秘めているとはいえ贋作。聖戦は最初から仕組まれた茶番。
遠坂家当主、時臣と手を組み、彼を聖杯戦争の優勝者として画策する。
最初から、何もかも出来レースだと言う事だ。
でなければ、魔術師と教会の神父が対面する事はあり得ない。
いや、一つ訂正した方が良い。
聖戦ではなく魔術儀式か。
「さて、何か他に質問はあるかね?」
退室していった璃正から、正式な転属依頼も受け取り、時臣から魔術師として弟子になる事も説明された。
そこに綺礼の介入する余地はない。当然、綺礼に意思はない。当たり前のように受け入れ、遠坂時臣が望む役割のサーヴァントを呼び寄せるだろう。そうで無くてはならないのだ。
だが——締めくくりに時臣から尋ねられた綺礼は、ある疑問の再確認を口にした。
「マスターを選抜する聖杯の意思というのは、一体どのようなものなのですか」
偽物の聖杯。
たとえそれが、主の血を受けてはいないというだけで……本物と同じように万能足り得たとしても。そこに、主の意思はあるか。
時臣にとってその問いは全く予想だにしなかったものだったのか、彼は僅かに悩み、間を空けてから答える。
「聖杯は……勿論、より真摯にそれを必要とする者から優先的にマスターを選抜する。その点で筆頭に挙げられるのが、先にも話した通り、我が遠坂を含む始まりの御三家な訳だが」
「では全てのマスターに、聖杯を望む理由があると」
否、それはおかしい。
それを自覚しながら、綺礼は尋ねた。
聖杯に望む願いはない。"聖杯"自体に、望む願いはない。
だが——渇望だけはある。
聖杯戦争に於いては手段と目的が破綻した、決して形にしてはならない渇望を。
「そうとも限らない。
聖杯は出現の為に七人のマスターを要求する。
現界が近付いて尚人数が揃わなければ、本来は選ばれないようなイレギュラーな人物が令呪を宿す事もある。
そういう例は過去にもあったらしいが——あぁ、成る程」
「……………」
「綺礼くん。君はまだ自分が選ばれたことが不可解なんだね?」
一瞬だけ身構えたが、どうやら不必要な警戒だったらしい。
時臣氏の瞳には、純然たる疑問への解答しかないのだから。
いや……そもそも何に身構えたのか。
やはり異端。教会の者として何かが反り合わない。魔術師という存在に、言語化し辛い苦手意識を持っているようだ——と納得付けた綺礼は、表に全くの反応を出さずに頷く。
不可解、と言うなら不可解ではあるのかもしれない。
全てのマスターが聖杯を望む目的はないとしても、綺礼はあまりにも早期に令呪を獲得している。であるなら、やはり聖杯の意思は何かの意思を以って言峰綺礼を見出した。
現界が近付いている訳でもないこの時期に、聖杯は果たして、一体何を。
まさか——否、そんな事はあり得ない。
本物ではないとしても、まさか聖杯が、そんな事を望むなど。
「フム、まぁ確かに奇妙ではある。
君と聖杯との接点といえば、お父上が監督役を務めていたという点ぐらいだが……いや、だからこそ、という考え方もある」
「…………」
「聖杯はすでに、聖堂教会が遠坂の後ろ盾になる展開を見越していたのかもしれない」
危ない思考が、時臣の言葉で引き戻されていく。
悪い癖だ。そう自覚して、綺礼は意識から浮上した。
と言っても、普段の綺礼はこうまで思慮に耽る事はない。
それ程までに、聖杯戦争という出会いが綺礼にとっては都合が良過ぎた。
「教会の代行者が令呪を得れば、その者は遠坂の助勢に付くものと。
——つまり聖杯は、この遠坂に二人分の令呪を与えるべくして、君というマスターを選んだ。
……どうかね? これで説明にはならないか?」
不敵な語調で結び付けたその姿勢。
その尊大な自信は確かに遠坂時臣という魔術師には相応しく、嫌味にならないだけの威厳と貫禄を兼ね備えたモノだった。
魔術師として優秀で、その優秀さに見合う自負を持ち、己の判断と自らの信念に疑う事をしない。きっと数多の苦難を超え、舐めた辛酸の分だけ誇りへと変えたような揺るぎない自負と威厳。その在り方は、父と同種だ。
「…………」
つまり彼は、この世に生まれ落ちた意味を理解し、己の人生の意味を自ら定義し、疑う事なくその信念を全う出来る——言峰綺礼とは人間として全く正反対の人間である。
故に、今の彼の回答には然程意味がなく、また綺礼の答えにはならない。この魔術師が、自身に新たな明記を齎す事はない。綺礼は、ある種の冷めた思考でそう結論付けた。
彼の回答は、苦し紛れの後付けに等しい。
遠坂時臣の言葉通りであるなら、より彼と親密な人材が選ばれる筈である。
ならばこうにも早く聖杯に選ばれた言峰綺礼には、聖痕を託されるのに相応しい理由があった筈なのだ。
「確かに、その仮説は正しいのかもしれませんな」
内心の落胆を顔に出さず、時臣の言葉に頷いていたその時、退室していた璃正が再び部屋に戻って来ていた。
璃正の手には、両手で抱える程の
ギターやヴァイオリンを運ぶような
この事は時臣も知らなかったのか、彼は恭しく
「それは一体?」
「見れば分かるかと。
ですが、どうかこの事は内密に」
綺礼と時臣。
二人の間のテーブルに
その所作はどこか恭しく、また何かの封印を解くかのような畏怖があったように見えた。
しかし予想に反して、長櫃の中にあったのは……何の変哲もないただの黒鍵が二本。
ただ、半透明半実体の刃は既に剥き出しとなっており、何よりその刀身は——血のように赤い。
「これは……黒鍵?」
「はい。数百年以上も形の変わらぬ、聖堂教会の正式武装の一つ。
そしてこれは、前回の第三次聖杯戦争にてアインツベルンが紛失した聖遺物を、私が第八秘蹟会として回収したモノであり……——我ら教会に於ける禁忌の象徴」
「…………」
時臣が眉根に皺を寄せて、璃正の言葉を待つ。
綺礼は、その刀身をジッと見つめ——目を見開いた。
「これは、あのサー・ルークの黒鍵です」
「なんと………」
常に魔術師としての威厳に溢れていた時臣も、それには驚愕を受けたらしい。
同じく綺礼も、驚嘆を隠せていなかった。
今から五年前の出会いより、思考、視界、運命——常にチラつく彼女の存在に。
「まさか、本当に実在していたとは。
これは確かに……本物なのですか?」
「紛れもなく、この黒鍵は本物かと。
確かに黒鍵自体は現在でもありふれた礼装ですが、現代の神秘ではあり得ない程の力と、解析出来ないナニかが未だ刀身を染め上げている。
聖遺物というよりも、かの英雄の手によって宝具となった、現存する概念礼装と言った具合でしょうな」
「成る程。遂に教会も重い腰を上げ、彼女の禁忌のベールを脱ぎ捨てる時が来たと。
しかし……血染めの黒鍵………より実在性の増したかの英雄は——いや、これ以上の詮索はよすべきですね」
額に手をやり、魔術師としての思慮と探究心に入りかかった時臣だったが、璃正の前にて止める。
より代行者であった可能性が高くなったあの少女が、実質経典を血に染めて武器にした、などとは流石の時臣も言葉にし辛い。
何より、彼女の黒鍵が教会に渡った経緯や、言峰璃正が前回聖杯戦争の監督役を務めていた事、教会の裏事情を詮索し暴き立てる事は、時臣にとって先代の遠坂が璃正氏と結んだ盟約を、泥の中に放り込むにも等しい悪行であったのだ。
「…………」
その二人のやり方を余所目に眺めながら、再び綺礼は血に染まった黒鍵を眺める。
一言で言うのなら、不気味。禍々しさを潜めた暗闇のよう。時に深淵を覗き見る魔術師なら、このような感覚を得るのだろうか。
魔剣の妖しい刀身に目を奪われて、狂気に引き摺り込まれる。そんな感覚が、綺礼には分かった気がした。
「これを、どうするのですか?」
決して過小評価していた訳ではないが、自らの父親の影響力に多少の驚きを感じながら綺礼は尋ねる。
父親もまた、綺礼では想像の及ばない艱難辛苦を共にした人生だったのだろう。
この黒鍵と父親、そして教会の裏事情に纏わる話を、綺礼は一度も聞いた試しがない。
「この黒鍵を、綺礼に預ける」
「——は」
思い寄らぬ言葉に、綺礼が固まる。
彼女の黒鍵。極めて強力且つ明確な触媒が無ければ召喚など出来ないとされる例の少女。
それに纏わる聖遺物を預けられた。まさかそれが意味するものは——
「これを触媒に、彼女を召喚しろと——?」
そう問うた時の語句が、理解の及ばない驚嘆に溢れたモノが幸いしたのか、璃正は苦笑いと共に首を振る。
鉄面皮の綺礼が、内心の騒めきを表情に出しているのもあっただろう。
傍から見れば、父親の乱心を止める息子の形にしか見えない。
綺礼とは違い、時臣は魔術師として何を意味するものか気付いたのか、納得したように呟いた。
「成る程……ルーラー。その役目を教会が務めると」
ルーラー。それは通常の七クラスから逸脱した、第八とされるエクストラクラス。
聖杯戦争を調律する為のシステムとして大聖杯に組み込まれているらしいが、そのサーヴァントが召喚され得る事態は非常に少なく、まず聖杯戦争に干渉する事はない。
何よりルーラーは、元々教会側が聖杯戦争を監督する以前に作られたシステム。今まで、ルーラーが冬木の聖杯戦争で召喚された事はない。故に未知数のサーヴァントであると言っていい。
「左様です。協会と教会。その両方に於ける不可侵。
もしこれが侵されれば……互いが互いを食い破りどちらを崩壊させるのではなく、その両方を崩壊させる厄災が蘇る、と。
いわゆる戒めの象徴を聖杯戦争に作り出し、マスター達に課す。と言うべきでしょうか」
「魔術師の闘争に、こうまで教会が関わるようになったとは……いやはや。
良いのですか? 教会とて一枚岩ではないでしょう」
「故に彼女を引っ張り出すのです。
この第四次聖杯戦争が、教会にとっても新たな明記となるでしょう。
一つの形として、彼女の信仰を受け入れる時が来たと」
成るほど確かに、聖杯すら無為に還した彼女だ。
その彼女が聖杯戦争に調停者として参加するという事は、複雑な意味を持つ。
彼女がルーラー適性を獲得しているかは難しい問題だが、調停者ではなく支配者として。如何なる陣営にも心を乱さない、選定者として。全てを無に堕とすモノとしてなら、確かにあり得るかもしれない。
生前ならいざ知らず、現代で誰かの勢力に加担するという事もあり得ない。
我欲なき支配者。私欲無き十三番目の騎士。
選定の天秤、剪定の鴉を教会が務める。
「……………」
そのような事を考えながら、綺礼は、璃正と時臣。二人の様子を眺めていた。
父と時臣氏の語る言葉を、何処か他人事のようにも捉えていた。
第四次聖杯戦争が始まるまでの三年間。
己が遠坂時臣の弟子となって魔術を学ぶように、父もまた教会で何かと衝突し、しかし聖杯戦争にあの黒鍵を承認させるまでに漕ぎ着けるのだろう。
そこで、あの聖遺物を大々的に吹聴し、今回の結託がまるでなかったように他のマスターを騙す。
こうまで行った教会が、まさか特定のマスターとは結託しているまいと。
父は教会に新たな風を吹かせ、同時に時臣との盟約を万全な形で叶える為の二重の手を、両方同時に打つ算段なのだ。
だから教会の探られたくない腹を、魔術師達に晒す。
それだけの事をしたのだから、疑われない。
聖杯の力を求めにやってくるような魔術師なら、あの聖遺物にも反応するだろう。
ルーラーの役割を、教会が務める。
聖杯戦争を調律し、監督する。
……彼女に代わって。彼女を召喚しないで。
酷い皮肉だ。その教会が特定の対象に肩入れしているのだ。彼女の名を騙りながらの暴挙。当の本人は何を思うか。
それが何処か、恐ろしいモノに綺礼は思えてならなかった。
過去の偉人達が凄惨な歴史と共に施した封印を、簡単に解こうとしているような感覚だった。
あぁ確かに。教会の闇、彼女がその側面の体現だと言うのなら頷ける。
時に行き過ぎる涜神行為を取り締まり、他の宗教形態を冒涜するのも構わない教会。
その教会が、教会の禁忌を冒涜する事で形骸からの脱却を行う。
ルールの盲点を突くとでも言うべきか。
どうしてか、堅物の父のそう言う姿勢が、綺礼には腑に落ちない。
父と時臣。二人のやり取りの外側で疎外感に似たモノを感じながら、綺礼は黙っていた。
「どうかな、綺礼くん。
これはやはり、私の仮説が正しいように思える。もはやこれは運命だと」
再び、大胆不敵が似合うその様子で、時臣は綺礼に語りかける。
先代の遠坂と言峰璃正が結んだ縁。それが数奇な形をして、こうして結び付いた。教会の凄まじい助勢の下にだ。
そう言う意味で言うなら、先に遠坂時臣が結び付けた後付けも正しいように思える。
ただどうしても、綺礼はそうだとは思えなかった。
何か、前提が破綻しているような感覚。
もっと恐ろしい何かが自らを偽り、言峰綺礼以外の全てを騙して、都合良く近付いて来ているような気配。
ただ、強いて言うなら時臣の言葉は適切ではあった。
綺礼は確かに、目の前に転がり込んで来た出会いを。
いっそ恐怖が大半の困惑と畏怖で、望んでいたのだから。
これはきっと、運命なのだと。
「…………————」
稲妻が走ったような目眩の感覚を覚える。
それは、一体何だったのか。
自分にしか分からない闇が、すぐそこ近くにまで迫って来ている。
そんな感覚を背中に感じながら。
必死に唇を噛み締めながら。
ただ、綺礼は頷いた。
そこは、冷たい闇に支配されていた。
城の外には凍て付いた吹雪が吹き荒れ、森の大地を極寒の冬に固定し続けていく。
千年以上の時を経て澱んだ妄執は——氷に閉ざされたアインツベルンの城から、壮麗さを奪い去っていた。
「切嗣。其方には、後半年と迫った第四次聖杯戦争にて召喚するサーヴァントを、此方から指定させて貰う」
「………戦い方の口出しはしない契約では? 当主殿」
そのアインツベルンの城の中で、外から招かれた魔術師と、アインツベルンの老当主の二人は対面していた。
魔術師の片手には、複雑な形をした聖痕が刻まれている。令呪、サーヴァント従える権利を持ったマスター。その七人の内の一人。
切嗣の顔には、不服気な様子がありありと浮かんでいた。
「いいや、こればかりは此方から指定する」
「………………」
アハト翁は聞く耳を持たずだった。
当主から浴びせられる、聖杯戦争に対する妄執じみたプレッシャーは、遂にここまで来たか。
どうやらマスターとの相性は二の次にして、ただ強力なサーヴァントを呼ぶという腹積もりらしい。
思わず切嗣は、辟易とした態度を抑えられない。
しかし、辟易とした態度の切嗣を見ながらも、アハト翁は勝利を確信しているかのような表情を変えない。
「もっとも、前回聖杯戦争では断念せざるを得なかった英霊を、本来は代替不可能な三騎士クラスと無理矢理併用して召喚する訳だが」
一言だけ付けて、アハト翁は宣言する。
「其方には間違いなく人類に対して最強の、ある英霊を。
——ルーラーのサーヴァントとして召喚して貰う」
それは、第三次聖杯戦争の雪辱であり。
とある悪神と同じ程、人類の殺戮に特化した災厄だった。