Heaven’s Feel中盤並みの異質さ。
水面化で得体の知れないナニかが、もう動き出している特有の寒気。
聖杯戦争。
あらゆる願いを叶えるとされる万能の願望機。
聖杯の所有を巡って、一定のルールを設けて繰り広げる争い。
その始まりの御三家であるアインツベルンが、聖杯に費やした年月は古かった。
千年近くも昔から、聖杯の奇跡を追い求め、縋って来ていた。
挫折と恥辱。幾多の苦難を繰り返し、今次聖杯戦争まで来たアインツベルンの執念は、いつしか当初の祈りすら妄執へと変わる程に成り果てる。
独力での成就を諦め、遠坂とマキリという外部の家門との協定を余儀なくされた二百年前。
しかし始まった聖杯戦争でも、マスターの戦闘力という点で常に遅れを取り続ける。
そこでアインツベルンは、第三次聖杯戦争にて必勝を期す為にある反則を行った。
大聖杯のシステムに介入し、聖杯戦争の前提を覆す。
その荒技は、聖杯を提供した始まりの御三家アインツベルンだから出来た神業だったと言えるだろう。長い年月を活かし、あらゆる可能性を模索し、結果アインツベルンは二つの英霊まで候補を絞った。
共に、人類に対して殺戮に特化したサーヴァント。
召喚に成功すれば、他六のマスターとサーヴァントを蹂躙し、容易く大聖杯を起動させるだろう。
その果てに………アインツベルンは"ルーラー"のサーヴァントを召喚する判断をした。
片方は悪神なのだ。人でありながら神に匹敵した竜の方が御しやすい事は目に見えている。
力と、智と力の両方を持ったサーヴァントなら誰でも後者を選ぶだろう。そう言う思惑だった。
だが……彼女の召喚は成功しなかった。
理由は分からない。しかしそれを、アインツベルンは再現性が低かったからだと考える。
単一の
そして第四次聖杯戦争。
前回呼んだイレギュラーのサーヴァントは、なんと僅か四日という期間で敗北するという期待外れを前に、アインツベルンは前回の失敗理由を拭う事に躍起になっていた。
あまつさえ、本命の触媒すら強奪されたその恥辱は凄まじい。
今度こそ雪辱を果たさんと開祖以来の伝統を破り、次の聖杯戦争を勝利する為に外部の血——悪名高き魔術師殺しを城に迎え入れたのが九年前だ。
そして。
「かねてよりコーンウォールで探索させていた聖遺物が、今朝、ようやく届けられた」
絶対的な必殺を期す為の聖遺物を以って。
前回聖杯戦争に召喚出来ていれば、絶対に勝利出来たと確信出来る英霊を、顕現させる為の枠を、アインツベルンは確かに造り出した。
老当主が示した聖遺物は、仰々しく梱包された長櫃に入っていた。
偏執という二つ名が似合いそうな、深い皺と鋭い眼光のアハト翁が、ニヤリと勝利を確信したような表情で切嗣に渡した触媒。
どうやら、これがアインツベルンからの最大の援助と思うが良い、と言うのは嘘偽りなく、誇張でもなかったらしい。
私室に戻った切嗣とアイリスフィールは、当主から託されたその中身に目を奪われていた。
「まさか……本当に成功させるつもりだったのか」
今まで固い無表情だった切嗣が、箱の中身を見て表情を変える。
中に入っていたのは——黄金の鞘だった。
星の輝きのような黄金に、深い青の琺瑯。中央部には、世界から疾うに失われた妖精文字。
それは、この鞘が本物であり、人ならざるモノの手による宝具である事の証明だった。
「……これ、本当に本物かい?」
ただそれでも尚、切嗣にはこの宝具が本物である可能性を信じ切れなかった。
言い方は悪いが、アハト翁が勘違いしている方がまだ信じられる。
それ程に——あの聖剣と対を成す、不老不死の鞘がここにあるのがあり得ない。
切嗣の隣にいるアイリスフィールも同様だった。驚いた顔をしながら、アイリスフィールは聖剣の鞘を恭しく持ち上げ、確かめる。
「いいえ、これは偽物なんかじゃない。
持ち主の魔力に呼応し、無限の再生能力と老化の停滞を授ける宝具。正真正銘、エクスカリバーの鞘よ」
「なんてこった……一体どんなカラクリをご老体はやったのやら」
純粋な魔術師としての能力を競うのなら、切嗣よりも最初からそう言うモノとして設計されたアイリスフィールの方が高い。
特に術者としての感覚ならば、彼女はそこな魔術師の追随を許さない程だ。
切嗣はようやく、アイリスフィールの言葉を聞いて、それが本物であると頷けた。
そして、だからこそ……ここに聖剣の鞘がある事を信じられない。
「その鞘は
そう、それは伝説の最後。流伝の結末の話である。
ただ一人を除き、全ての人間が死に絶えた血塗れの戦場。
ブリテンを守り切った英雄は、しかしその対価に力尽き、命を落とす……筈だった。
眠るように生き絶え、鞘の力と共に
手放した聖剣だけを、大地に残して。
とするなら、聖剣の鞘がここにあるのは本来ならおかしい。
「……まぁ、いい。
これが本物だと言う事には特に問題がない。むしろ問題は別だからね」
もっとも、諸説あると言われたらそれまでだ。
彼女の結末に関しては、ほとんどあらゆる媒体に於いて一貫性がないし、現代では普通に、カムランの丘で彼女は亡くなったとするモノも多い。
歴史や逸話が脚色され、歪曲される事は現代にも良くある事だ。
切嗣は目の前の触媒が、今この場にあるという事実を認め、冷静に分析し始める。
「問題?」
「そうとも。ご老体はどうやら、魔術協会に聖堂教会にもケンカを売るつもりらしい。
最悪……世界を滅ぼしても気にしないだろう。本当に成功するなら心配ないのかもしれないが、残念だけど僕はアハト翁を信用出来ない」
聖剣の鞘。
その最上級の聖遺物で召喚出来る英霊は、二人。
一人は、騎士王アーサー。赤き竜の化身。伝説に名高き聖剣使い。
当然、聖剣の鞘を使って彼の召喚が出来ない訳がない。その知名度も然る事ながら、神秘の溢れる伝説の時代に君臨した大英雄だ。
間違いなくサーヴァントとして最上級。
そしてもう一人は…………十三番目の騎士ルーク。対となる竜。もう一人の聖剣使い。
彼女が黄金の鞘を手にしていた時間は短いが、アーサー王の聖剣と鞘を使い、数万の軍勢をたった一騎で殲滅したその事実は大きい。
エクスカリバーの原型……選定の剣カリバーンの真の担い手とされる事実も考慮すべきだろう。その戦闘能力はアーサー王すら超えると言われ、中天のガウェインですら敵わないとも。事実サー・ランスロットすら降してしまった、生涯無敗の大英雄。
サーヴァントとして召喚出来るなら、彼女が最上級でない訳がない。
この鞘を触媒にすれば、どちらかは必ず召喚出来る。
英霊を召喚する為の触媒と考えるなら、これほど優れた物はまずないだろう。
英霊召喚。災厄の化身。魔術世界に於ける禁忌。その二つを結び付けなければだが。
「冗談じゃないかと、一度問い質しそうになったよ。
ただ本当に、ご老体はやるつもりらしい。彼女を召喚する為にね」
「召喚されると、思う?」
「ご老体の理論通りなら出来てしまうんだろう。
実際に、聖剣の鞘はここにある。あると言う事は……彼女は
英霊の絶対条件。
過去であれ未来であれ、死を受け入れた者だけが人々と星の礎となる。
楽園にて未だ存命するというのなら彼女は召喚出来ないが、存命ではないなら可能だ。
そう考えるなら……彼女を召喚する事には、何の制約も災厄もないのかもしれない。
人々が勝手に虚構を創り上げただけ。
彼女も後世で祀り上げられ、畏れられ、現世の業に辟易しているだろう。
そのように楽観出来るのなら、切嗣は思慮を重ねはしなかった。
アハト翁はこう語った。
アインツベルンが召喚するサーヴァントは、全ての敵に対する特効を持つ。
英霊が人間である限り、彼女を前にして勝ち目はないと。
その点に関しては……まぁ切嗣もそこまでの異論はなかった。
最も人類を殺害した人間。宗教形態に関わる形で知名度を上げ、今も尚悪神のように恐れられる英雄。
サーヴァントというモノが、人々の知名度や祈りの影響を得る都合上、彼女に【人類特効】なんてスキルが付与される可能性は高い。
条件が無ければ、あらゆる攻撃を無効化する神由来の大英雄達の守りを、無条件で突破するくらいには、強力な。
成る程、確かに呼び出すサーヴァントとしてはこれ以上望むべくもない。
これよりも更に上の切り札を見つけるには、切嗣が五世代分の生涯を捧げても不可能に近いとしか良いようがない。
敵無し、というアハト翁の考えにも同意出来る。
一番の敵が、召喚した彼女自身になる訳だが。
「本当に理解しているんだか、いないんだか」
魔術師殺し。
それは切嗣の悪名高き呼び名であり。
同時に、彼女の異名でもあった。
楽観的な思考で、彼女が暴虐の化身ではなかったとしよう。
更には、嵐の具現と呼ばれた彼女が、果たして魔術師の使い魔という立場にも応じてくれるかという疑問にも、令呪三画と意思疎通だけで制御出来るかという諦念にも蓋をしよう。
だが果たして、彼女は切嗣をどう見るか。
未だ世に蔓延る魔術師を殺す為、敢えて召喚に応じ、呼ばれた瞬間殺戮するなんて可能性はある。
アハト翁の言葉と楽観よりは、切嗣は自らの考えを信頼出来た。
たとえ偽りでも、そう呼ばれるだけの何かがあった筈なのだ。人類に対し明確な殺戮を成した者なら、下手をすれば悪神よりも酷い可能性だってある。
仮にも災厄と呼ばれた彼女を、アインツベルンのご老体は制御出来ると思っているらしい。
「でも、その為のエクストラクラスでしょ?」
聖剣の鞘を前にして、終始眉を顰めたままの切嗣。
ここにアハト翁が居れば、その態度に言葉を無くしていただろう。
どこか面白そうに尋ねるアイリスフィールを前にしながらも、切嗣はアハト翁への不満を顕にする。
「どうかな。ご老体は聖杯戦争に勝利する事以外は、何も考えていなさそうに僕には見えるけれどね?」
少しだけ冗談めかした言葉にも、やはり信頼の無さが伺えた。
切嗣はアハト翁の執念と魔術師らしい考えに、以前から辟易している。
ある意味、同じ魔術師殺しと言われた彼女を召喚させようとするのは、アハト翁の意趣返しでもあるのかもしれない。
貴様にはこれ以上相性の良いサーヴァントはいないだろうという類の。
無論、アハト翁とてそんな愚かな考えで選んだ訳ではない事は切嗣も分かっている。
だからこそ、アインツベルンの当主には、僅かなりの畏怖があった。
「
切嗣の言葉には、アインツベルンという魔術師の大家への底知れ無さが確かにあった。
大聖杯を創り上げた始まりの御三家だからこそ成せる荒技。
大聖杯に備わっているシステムを改変、悪用し——サー・ルークを、セイバーとルーラーの
本来なら
流石の切嗣も、これにはアハト翁に問い質した。
本当に出来るのか、と。
だがアハト翁は、今までの切嗣への態度とは打って変わって大胆不敵な笑みで返した。
その為に六十年も前の第三次聖杯戦争からシステムの書き換えを行っていたのだと。
大聖杯のシステムを拡張し、八番目の枠を聖杯に創り出す。
本来なら一つ分の霊基ではなく、二つ分の霊基出力で再現させる。
単純に、通常のサーヴァント二騎分の出力を持っているのだ。
サーヴァントとしての性能強化はおろか、複数の側面を持つ彼女の再現率も上がる一石二鳥の拵え。
人々の祈りで歪んだ彼女ではなく、生前の人間性をも再現すれば黒き竜の化身は制御出来るだろうという腹積りだった。
流石の切嗣も、これには押し黙るしかなかった。
もはや
聖杯戦争よりも、彼女を聖杯戦争の枠に収める方が大変だとは畏れ入る他ない。
「……………」
切嗣は腕を組んだまま、聖剣の鞘を眺めて押し黙っていた。
確かに、アインツベルンはこれ以上ない程の援助をしている。
最強のカード。最高の英霊。最優のクラス。しかもルーラーの二重特性。
アーサー王のような高潔な騎士サマと違い、暗殺と言った戦法にも理解がある……何なら、彼女の在り方がアサシンの原語となった
相性は悪くない。
——相性が良過ぎるが故の同族嫌悪に、致命的なレベルで陥ってしまう可能性があるくらいには。
「果たして彼女は——本当に召喚に応じてくれるのかね」
そう弱音を吐く切嗣だったが、しかし恐れているような感情は瞳にはない。
ルーラー、無心の執行者として在る彼女に、召喚された瞬間殺されるんじゃ、という考えはもう捨てた。
流石にそれ以上は、アハト翁の全てを忌み嫌っているに等しい。
むしろ召喚したサーヴァントをどのように制御し、どれだけの力を引き出すかはマスターである切嗣にかかっていると言っていい。アハト翁ではない。
「きっと大丈夫」
ふわりと、アイリスフィールが切嗣を後ろから抱き寄せる。
そこには全幅の信頼があった。
「彼女なら、必ず貴方を理解してくれる。
きっとあの少女も、貴方のようにあんまりに優しすぎたせいで、世界の残酷さを許せなかっただけなのよ」
「………そうだね」
たった一つだけ。
切嗣だけが抱いた、ある憂いを胸に沈めて、彼はアイリスフィールの肩を抱き寄せる。
「召喚した瞬間、令呪三画を切るくらいの覚悟で挑むよ」
やや冗談めかしながら、しかし完全な冗談ではない決心を胸に。
「■■■さんは、神がいると思いますか?」
それはその世界から失われた、彼女の本当の名前だった。
サー・ルークという騎士が、鋼鉄で覆い隠した少女の輪郭を世界に知らせ、唯一彼女の封印を解けた、聖騎士ギャラハッドだけが知る彼女の真名。
だから彼は、本当なら同じように永遠に失われる筈だった少女の素顔を見る資格があった。
「………さぁ」
自らの本当の名前を呼ばれた彼女は、ぶっきらぼうに答えた。
彼女の前では、聖騎士と呼ばれたギャラハッドは、時に突拍子もない事を突然言う少年であり。
ギャラハッドの前では、彼女は年相応の少女ではなくとも、心無き執行者では無くなっていた。
聖杯探索の旅の途中、焚き火を共にしながらギャラハッドは問いかける。
旅の中で、彼女に信仰心というモノがあるようには見えなかったのだ。
「それが何が関係あるのか」
「無くはないでしょう」
選定の剣を研いでいた手が止まる。
仮にも聖杯探索中。一理はあるな、と彼女は思ったのだ。
ただ興味無さげな顔は変わらない。
いや、違った。
彼女は神に対して、徹底的な無関心である事を貫いているのだ。
僅かにも思考を寄越す価値などないと、言わんばかりに。
「どうでも良い。全く以ってどうでも良い」
「…………」
「…………」
ギャラハッドの視線に気付いたのか、彼女は溜息を吐いて観念する。
ギャラハッドの、何かを悔やんで悲しく思うような顔が、彼女は嫌いだった。
今もまだ、それだけは分かる。
「……確かに、神という存在がいなくては説明出来ないモノも多い。そこまでは否定しないさ、私も。きっと神はいるのだろう」
「では」
「ただ、そもそも神が居るか居ないかではない。出会えるか出会えないかだ」
「……………」
「言い方を変えよう。
祝福や奇跡。個人に対してなら啓示。それを得られるか得られないかだ」
「なら………神は、人を平等には思ってない……と?」
その言葉に、彼女は笑って答えた。
嘲笑し、皮肉を形にする攻撃的な笑みだった。
「当然だろう。でなければ、主はこの世界の不条理を何故正さない? そして——何故私は裁かれない?」
「……………」
「だから私は、神など信じてはいない。
いやこう言おう。私は神を信じているが、何があろうとも絶対に運命は預けない。
聖杯なんて、神が創り出した……祈りという信仰を回収する為だけの器だろうさ。
だから幻想など捨てて置け。
聖杯という、ブリテンの民を安易な希望で苦しめる杯を、私達は破壊する」
聖剣を研ぐ作業を再開して、彼女は語る。
それが何処か、神殺しを成す為の道具を鍛錬しているようにも思えた。
「そして私は、自らの運命を上位者に明け渡し、思考の放棄と諦観を祈りと呼ぶ人間を嫌悪する。ただの理不尽を神の試練だと昇華し、あまつさえ尊く見せる、あらゆる聖人を怨み尽くす」
「…………」
「嫌いだ。何もかも」
剣の刃に照らし出された彼女の瞳は、焚き火の揺めきを映し込んでいた。
否、本当にそうか。
彼女の瞳には、世界全てを射抜き焼き尽くさんばかりの何がが、苛烈に燃え滾っている。
ただそれだけだった。
「だから私は、誰にも従わない」
無機質な氷の瞳に炎を隠して、彼女は言う。
「私は誰にも、剣を預けない」
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」
斯くして、召喚は行われる。
窓の外に広がる凍土。雪の城の一室で、嘆願の儀式は進められて行った。
「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
召喚陣の前に立ち、呪文を唱える切嗣。
傍らで固唾を飲んでアイリスフィールは見守る。
「
礼拝堂の祭壇。
その上に置かれた最上級の触媒。
水銀で描いた召喚陣の紋様には何一つ間違いはない。
「————告げる」
システムに改竄された不正。
これもまた完璧だった。
今回ばかりは、アインツベルンは何の失敗も犯さなかった。
完璧な手応えがあり、事実完璧に成功させていたのだ。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
通常の聖杯戦争でルーラーを召喚するというだけでも、システムへの強烈な干渉であるというのに、二重の霊基を以って特定の英霊を召喚するなんて難業をクリアしたアインツベルンは、正に神がかっていたと言えよう。
理論は完璧。触媒すらそこにある。
間違いなく彼女は召喚される筈だ。
アーサー王ではなく、■■■という名の、無名の英霊が。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
当然だ。そこに至るまでの前提があるのだから。
英霊の召喚は、マスターの精神性に左右される。
そして、その為の枠も創り出した。
だから有り得ない。
暴虐を振り撒いた嵐の王を差し置いて、高潔なる騎士王が、勝利の為なら非道も外道も辞さないマスターに、召喚される訳がない——
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」
だから。
もしも彼女が召喚されないとするなら。
きっと前提が破綻している
「天秤の守り手よ———!」
斯くして、聖剣の鞘を触媒に召喚は終了した。
目を開けていられない程の光と風圧を撒き散らし、燦然と輝きを放つ召喚陣。
星と人。世界に刻まれた祈りで編まれた英霊が、遥か彼方、抑止の座より、一騎の輪郭と共に降臨する。
眼前の光景に忘我する二人へ向けて、その英霊の姿が眩い光の中より現れた。
夜の森に、闇に閉ざされた石畳に。
凛烈なる
『問おう』
刃のように鋭く。
氷の如く鋭利な。
機械と見違うほど、感情のない瞳と共に。
『汝が我を招きしマスターか』
そう——イレギュラーは起こらなかった。
セイバーの座を以って降臨したのは。
黄金の聖剣を携えた——金髪碧眼にして、蒼銀の少女騎士だったのだから。
衛宮切嗣の与り知らぬ事だが、アインツベルンの不正は、大きな影響を与えていた。
確かに、イレギュラーは起こり得なかった。
"マスターとサーヴァント"という関係には——確かに何も起こらなかった。
だからそう——アインツベルンが開けた第八の枠は、黒い泥を呑み込んだ聖杯を通し、一人の男の魂の鼓動を、祈りとして天へと届けきった。
切嗣本人にも分からぬ形で。切嗣本人には遠い彼方で。
その不正行為が如何な形で成就したのかは、まだ誰も知らない。
ただ。
少なくとも言えるのは。
第八の枠は。
黒い聖杯によって、埋められた。
時を同じくして、遠い海を隔てた極東の地でも英霊召喚が行われていた。
冬木ハイアット・ホテル客室最上階。地上三十二階のフロアを貸し切りにした外国の大富豪が、まさか神秘の闇に身を置く魔術師であるなど、誰も想像などしてなかっただろう。
事実、彼は魔術師として天賦の才を持つ術者だった。
召喚に於ける旋風や光など、魔術工房化した三十二階以外には全く届かず、外界には何の異変もない。当然人避けは完璧だ。
民間の宿泊客はおろか従業員すら三十二階には近づかない。無論、脳裏に一切の違和感すら覚えさせていないし、一般の人間では三十二階に何の違和感も疑問も覚えないだろう。
彼はそのホテルを、誰にも知られず城塞の如き工房にしている。
『では行くぞ、ランサー』
『——は。お供します』
残された枠に、一斉に降臨した英霊達。
その七騎の内の一騎。七人の魔術師の内の一人。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
ランサーの座を以って降臨した、輝く貌のディルムッド。
その二人は早速冬木の地に降り立つべく、最上階からエレベーターで下り始めた。無論ランサーは霊体化しているし、二人は念話で会話している。
一般人ではケイネスが魔術師だとは分からないだろう。
『ソラウ様を残しても構わないのですか?』
『ランサー、貴様が気にする事ではない。
無論、あの工房を掻い潜れる者などおらんがな』
下って行くエレベーター内部で、ランサーは自らのマスターの力量を知る。
魔術工房化した三十二階フロア。二十四層からなる結界に魔力炉三器。猟犬代わりの悪霊が数十体に無数のトラップ。一部は異界化している空間があるなど、魔術要塞も斯くやといった代物だ。
何より本来の契約システムに介入し、令呪によるパスと魔力提供のパスを切り離したのは、正に降霊科随一の神童としか言いようがない神業だっただろう。
ランサーのマスターはケイネス。しかしランサーに魔力を提供しているのは、彼の許嫁であるソラウ嬢。始まりの御三家が作り出した聖杯戦争の、本来の契約システムを前提から覆し兼ねない偉業だった。
『理解したか? よって貴様は、これより始まる聖杯戦争にて如何に戦果を上げるかに気を払うだけで良い』
『承知しました、我が主よ』
マスターからの説明に、後顧の憂いをなくしたランサーは打てば響くような慎み深さで返答した。その事に、僅かばかりといえど気分を直したのか、ケイネスはうむと頷き、これより始まる聖杯戦争に闘志を高める。
待ちに待った聖杯戦争。その開幕。
万全を期して挑むつもりだったケイネスだったがその実、想像とは程遠い事態に、彼は僅かだが気分を悪くしていた。
元々の召喚の本命であった英霊イスカンダルの触媒を、何者かに奪われた事。
無論、それに対する苛立ちはないにも等しい。いずれ、その何者かと対峙するまで、じっくりと胸の内に怒りを蒸留して置けば良いだけの事。
不届き者がケイネスの目の前にいない以上、益にならない事でしかないと、彼は冷徹に考えていた。
問題はランサーだった。
マスターとサーヴァントとして、まずは聞かねばならない事がある。
聖杯の使用用途だ。もしこれが召喚者と英霊で相反するものであれば、いざ聖杯を使うといった段階で、サーヴァントからの裏切りに遭うかもしれない。
しかしランサーは、ケイネスにこう告げた。曰く、聖杯にかける願いはないと。
報酬など必要などなく、自らの召喚者を今世の主として、騎士の名誉を全うする事が望み。
そのランサーの言葉を、ケイネスは信じる事が出来なかった。
名のある英霊、それも自らに定めた誇りと理念を持つ英雄が、人間風情の使い魔に身を窶すとなれば、余程の理由が無ければあり得ない。
だからこそ英霊は、令呪という縛りのある聖杯に招かれる事を良しとするのだ。
つまりランサーの解答は明らかな虚偽。
このサーヴァントは、自らの本心を打ち明けない。
そのような結論を、ケイネスは自らのサーヴァントに下した。
しかしケイネスは、ならばそれで良いだろうとも判断した。
何せケイネスには令呪がある。マスターが手に持つ絶対命令権。それがある限り、ランサーは決してケイネスを裏切れないのだ。
そもそもサーヴァントは道具。その道具が何を内に秘めようが問題なく、その機能を果たせば何の問題もない。
なればこそランサーの反応は、ケイネスにとって完璧だった。
打てば響くような、恭しい解答。
慎まし深く、控えめ。驕る事もなく喜悦する事もない武人の鏡だろう。
自身は自らのサーヴァントを制御出来ている。道具として機能を、果たさせる事が出来る。
その考えが、ケイネスを万全の状態に引き上げた。
彼は今、血に飢えている。
極東の鄙びた国に訪れたのは、魔術の競い合いである聖杯戦争に参加し、当然の如く優勝する為だ。その暁には、時計塔のロード・エルメロイという経歴に新たな栄光の
なればこそ、元々望んでいたサーヴァントとは違う者がそこにいるなど、魔術師同士の秘術を尽くした神聖なる決闘に於いては大した事実ではない。
如何なサーヴァントであろうと、ケイネスは使い魔として上手く使うだけだ。
故に、サーヴァントの優劣など然程重要ではない。
求めるのは、遠坂。間桐。アインツベルン。そして他、外様三人の魔術師達なのだから。
開くエレベーターの扉。
差し込むフロントフロアの光。
早速ランサーと共に冬木の地に降り立とうと、ケイネスは一歩踏み出す。
「おっと、失礼」
その時、ケイネスは一人の人物にぶつかりそうになった。
本来なら彼は感情に流されるような魔術師ではないが、いや、一流の魔術師だからこそ、今から始まる聖戦に強い闘志を抱いていたのだろう。
しかし、エレベーターから降りた瞬間に踏み出した一歩で、民間の宿泊客に傷を付けそうになったとあれば、ロード・エルメロイの誇り以前に、仮にも一人の紳士として恥ずべき事態である。
彼は素直に、謝罪の言葉を口にした。
ぶつかりそうになった人物もまた、ケイネスに素直な謝罪を口にする。
「いえ、此方こそすみません」
薄い金砂の少女だった。
『…………マスター、今のは』
『……なんだ貴様は。まさか、斯様な少女にすら黒子が反応するのか?』
謝罪を口にした少女は、エレベーターに乗り込む。
聖杯戦争に関係のない民間人。少女の反応も別に何の変哲もないものであるし、何より先程の不測に非があるのは、どちらかと言えばケイネスだ。
だからケイネスには、先程の少女に対する悪感情は皆無であり、それはおろか、後一歩で要らぬケガを民間人にさせてしまっていたかもしれないと自らを戒める程である。
だから、もはや魔術師としての自分には一切関係のないものと考えているケイネスは、ランサーの逸話もあり、やや叱咤気味に反応した。
『いえ、その……今の少女——』
『成る程、貴様の言い分も分かる。
俯き気味で素顔は分からなかったが、間違いなく際立った美貌の持ち主であろう。だから怪しく思うのも分かるが、しかしあの少女は"魔術師でもなければサーヴァントでもない"』
今の一瞬の邂逅で、ケイネスは確かに理解していた。
魔術師としての眼と、マスターとして与えられる瞳が、先程の少女は民間人だとケイネスに知らせていたのである。
魔術師としての魔術回路はなかったし、サーヴァントとしてマスターには読み取れる基礎ステータス情報はなかった。
そもそもこの冬木ハイアット・ホテルは外国人が滞在する場所としては有名であり、何より冬木市の新都には外来居留者も多い。
確かに黒髪がほとんどの島国であるが、聖杯戦争期間中といえど外国人というだけで反応するのは如何なモノか。
ケイネスは落胆を抱きながら、ランサーを嗜める。
『……………』
当のランサーもまた、一度だけ少女に振り直った後、出過ぎた真似だったと戒める。
今の少女。ケイネスを躱したその身のこなし——明らかにあれは、武術を嗜む者の動きにしか見えなかったのである。それも嗜むではなく、一つの道を極めきった……なんて類の。
何より、自らに与えられた
妖精より与えられた黒子。
だから、ディルムッドは知覚した。
今の少女に、妖精に近い——神の気配を。
『申し訳ありません。勘違いだったようです』
だが、今はもうそれを知覚する事は出来ない。
改めて確認すれば、妖精の気配などもうなかった。
ランサーもまた、先程の少女は魔術師でもサーヴァントではないと認識し、"確信した"。今のは召喚されたばかり故に、感覚が鋭敏になっていただけだと。
ランサーの反応に嘆息し、ケイネスは思考を切り替える。
隣に霊体化したランサーを侍らせ、いざ聖杯戦争の幕開けだとハイアットホテルを出た。
「先程の民間人はまだしも………フン、卑賤な国だ」
その刹那、ケイネスは嫌悪を口にした。
先程の民間人の少女は良かった。
ランサーとは違った見解を、ケイネスは先の少女に抱いている。
あれは、貴人や王族の立ち振る舞いだった。付焼き刃では再現出来ない、真の高貴というモノを経験した人間だけが成せる気配があったのだ。
服装も良い。
赤い裏生地が特徴的な、黒のトレンチコート。赤いネクタイで決めた、清楚感のある白のブラウスに、膝丈上のキュロットスカートと黒いタイツ。
英国のミッションスクール風に纏められたそれは、欧州で見かけても思わず視線が引き寄せられてしまうかもしれないものだった。
本場イギリスで先程の少女に出会えば、やはり英国は民間の域から格式高い国だとケイネスは心地を良くしていたかもしれない。
だがこの国はどうだ。
見れば、ガードの警備員はフロントのソファで寝ている始末だし、ホテルフロントの女性はウトウトと船を漕いでいる。
あまつさえこのホテルの支配人と思わしきオーナーも、腕を組んだ視線で眠りこけ、スーツが縒れた状態を直しもしない。
これが冬木市で最高の設備とサービスを誇るホテルか。
贅を凝らすという意味を理解出来ず、更には偽物なりのセンスすら、こうして深夜になっただけで品格と格式が浮き彫りになるほど下賤と来ている。
折角の聖戦への意識が、このような些事に台無しになってはいけない。
聖戦への闘志を高める事で、この辺鄙な島国への嫌悪を振り払い、ケイネスはハイアット・ホテルを後にした。
だから、彼は何も気付かなかった。
支配人と従業員全てが、ハイアットは最高級のホテルであると自負出来るだけの従業意識のある彼らが、何故眠っていたのか。
本来なら表には出ないオーナーが、何故こんな時間にフロントにいたのか。
ランサーも知らない。
同じく宿泊客に晒す訳のない三十二階フロアのマスターキーが、フロントカウンターに野晒しにされていた事実を。
その二つとある訳のないマスターキーを——何故か薄い金髪の少女が手にして、エレベーターに乗っている事を。
そのエレベーターの行き先が——人払いの魔術が敷いてある筈の、"ソラウ嬢が残っている三十二階"である事を。
そして何より。
先程の少女が、ケイネスとすれ違った刹那。
彼が常に肌身離さず持ち歩いている
ランサー陣営は知らない。
完璧な信頼関係をこの時点で作り上げていたとしても無意味だった。
二人が互いの所感と違和感を伝え合っていたとしても、気付く事は出来なかった。
遥か昔。魔術協会が恐れた災厄が、今そこに居た事実を。
世界で最も有名な暗殺者教団に影響を与えたとされる死神が、横を抜けていった事にも。
現代の悪名高き魔術師殺しではなく——神代に名を馳せた魔術師殺しに、もう心臓部に侵入を許していて、致命的な隙を晒してしまった事になんては、何も。
栄光の
その日、ランサー陣営は。
何も分からぬまま。
何も知らぬまま。
何も抵抗出来ぬまま。
聖杯戦争の勝利を失った。
【保有スキル一部解放】
偽装工作 EX
詳細
■■■■■として召喚される本来の彼女が所有している筈のCLASSスキル。
伝承補正により、このサーヴァントも本スキルを所有するが、本来の性質が歪んでいる。
自らのステータスやスキル等の記載を偽るどころか、自らに関係する情報を、目撃者の記憶すら改竄し、正しく認識させなくする程の性質を持つ。
また自身の霊基情報すら完全に遮断、その過程で障害になるものがあっても現実の理すら捻じ曲げて騙し切る。
このサーヴァントのスキルを破るには、A+かEX相当の千里眼、真名破り等の能力がなければ破れない。
ただ、自らの気配を断っている訳ではないので、気配遮断のような隠密性はない。
また戦闘状態に入るとスキルが自動で停止する。
その為、対サーヴァント戦では大して役に立つスキルではない。
魔術 C
詳細
魔術をどれほど習得、または理解しているのかを示すスキル。
暗示や人避けといった、見習い修了レベルから終盤程度の初歩魔術しか使えない。その為、対サーヴァント戦では大して役に立たない。
代わりにどの魔術も高水準を誇る。
扇動 A+
詳細
数多の大衆・市民を導く言葉や身振りの習得。
特に個人に対して使用した場合には、ある種の精神攻撃として働く。
ローマ皇帝カエサルの持つスキルと基本的には同じだが、彼女のはより迂遠。魔女の囁きにも似ている。
騙されたと本人に気付かせる事もなく、他者の懐に滑り込み、何故という理由に思い致せることなく土台を破綻させる。
精神攻撃というより思考誘導と洗脳。それを支える話術と所作の集合。
魔術のスキルと組み合わせた場合、極めて悪質な性能を誇る。
ただし、一騎討ちが基本となる対サーヴァント戦ではそこまで役に立つスキルではない。