騎士王の影武者   作:sabu

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 優しい人ですね。
 


第6話 蒼銀の騎士と一人の少女 後編

 

 

—221:24:39— 

 

 

 衛宮切嗣。

 彼にとって勝負事とは、その殆ど全てが命を賭した戦場でもあった故に、あらゆる手を講じて確実に勝利しなくてはならないモノだった。

 それは何も、暗殺のような命のやり取りばかりではない。

 詐術、偽装工作、脅迫といった行いもして来た。

 だが然りとてその切嗣と言えども、愛娘との競い合いで詭弁の領域にあるインチキをしたのが悪かったのだろう。

 切嗣はあれからずっと、イリヤの機嫌取りに翻弄されていた。

 

 

 

「あぁイリヤ。実は父さんアイツとは不仲でね。アイツはお母さんが呼んだお友達なんだよ」

 

「キリツグ、キライ」

 

「なっ………」

 

 

 

 だが彼の巧みな話術や情報操作も、その全てが上手くいかない。

 魔術師殺しと呼ばれた切嗣は完全に形無しになっていた。

 どうして嘘が分かるのか。まともにイリヤが話を聞いてくれないまま、時間だけが過ぎていく。もはやイリヤは、彼にそっぽを向いたまま、ツンと顔を背けていた。

 しかし切嗣にはどうしようもない。

 セイバーとは言葉を交わした事がないのだから、本当にどうしようもない。

 いやそもそも、イリヤは何故あんな奴に御執心なのか。

 正直あんな何を考えているか分からない奴なんか、イリヤに見せなければ良かったと心の何処で考えながら切嗣は平静を装っていた。

 

 

 

「怒らせたイリヤを前にしたら、流石の貴方も形無しね?」

 

「アイリ……」

 

 

 

 父と娘がケンカしている姿を、アイリスフィールは何処か楽しげに眺めながら近付く。

 確かに怒れるイリヤは切嗣に対して無敵だった

 でもアインツベルンに訪れたばかりの切嗣を知るアイリスフィールは、イリヤに形無しになっている切嗣の姿を見て微笑む。

 

 

 

「もう、どうしたの? イリヤ」

 

「だってキリツグがずっとイジワルするんだもん。

 明日にはキリツグ、日本に行っちゃうのに」

 

 

 

 不満気に呟いたイリヤの言葉。

 不意を突いたその言葉は、切嗣の中心をいとも容易く貫く。

 そう。明日にはもう、切嗣は父親でいられなくなるのだ。

 

 

 

「イリヤにもあのお客さんの事、話してくれても良いのに。

 キリツグずっと、あの子の事から遠ざけようとするんだから。だからキリツグとはもう話聞いてあげない」

 

「………そうね」

 

 

 

 言葉を無くしていた切嗣に変わって、アイリスフィールはふわりと微笑みながら腰を落として、傍らのイリヤと目線を合わせる。

 

 

 

「私と切嗣のお仕事は、とても大変なモノなの。

 それで実は、その相棒が、イリヤの言っているあの子なの。

 白銀の鎧と黄金の剣を手にした、蒼銀の王子様。だから私達のお仕事が終わったら、彼女は元居た国に帰ってしまう」

 

「…………」

 

「切嗣は二週間もすれば帰って来るけど、私は暫くお別れする。

 でもずっとイリヤの傍にいるから寂しくない。ゆうべ、寝る前にお話ししたわよね?」

 

「……お母様もキライ」

 

 

 

 イリヤが聞きたいのはそんな事ではなかった。

 イリヤからすれば、アイリスフィールの言葉も先程のキリツグと同じだ。

 何故、お母様もあの鎧を纏った少女から遠ざけようとするのか。

 その理由がイリヤには分からない。なんで遠ざけようとするのかの理由もちゃんと教えてくれないから、余計に分からない。

 別に良いじゃないか。少しお話しするくらいは。

 

 

 

「だから——今から会いに行きましょ?」

 

 

 

 不満気にアイリスフィールからも顔を背けて、イリヤがそっぽを向こうとした時だった。

 思い付いたイタズラを教えるような表情で、アイリスフィールはイリヤに微笑む。

 

 

 

「え?」

 

「な………ア、アイリ………それは」

 

 

 

 弾んだ声で提案したアイリスフィールの言葉に、イリヤと切嗣が驚いて言葉を溢す。

 二人には、その言葉がただ宥める為のモノではないと分かったからだ。

 ただ、二人の驚きの方向性は真逆だっただろう。

 途端に機嫌を良くするイリヤと楽しげなアイリスフィールに、切嗣は置いてけぼりにされる。

 何よりアイリスフィールは、イリヤの手を引いて城の裏手——セイバーが消えていったであろう場所へともう歩み始めている。

 

 

 

「——お客様はどんな人なの!?」

 

「そうねぇ……かっこよくて、かわいくて、儚くて、でも凛として咲く花のような気高い人。

 冷たい振りをしてるけど、私の事も心配してくれたのよ? イリヤと一緒に遊ぶ時間を大切にした方が良いってね?」

 

「やっぱり!」

 

「それに何処か……切嗣と似てる。そんな人だったわ」

 

「——やっぱり!!」

 

 

 

 先程の切嗣とのやり取りが嘘であったように、イリヤは機嫌を良くしていった。

 満面の笑顔で母親を見上げるイリヤの姿を見て、切嗣も安心出来れば話は別だっただろうが、むしろ尚更、切嗣は焦燥を強くしていくばかり。

 今ばかりは、アイリスフィールの言葉を理解出来なかった。

 言葉の意味は理解出来る。どうしてそんな事を本気で話しているのか分からないという話だ。

 いつの間にか離れていく二人に、慌てて切嗣は付いていく他ない。

 

 

 

「アイリ待ってくれ。君はさっきから一体何を。というか、この短時間で何が——」

 

「切嗣。貴方もセイバーと話してみて?

 貴方の理想も、生き様も、その志も……全てを一番分かってくれる人だろうから」

 

「…………」

 

「彼女は必ず、貴方の最強の切り札になる」

 

 

 

 振り返ったアイリスフィール。

 そこにいるのはイリヤの母ではなく、切嗣の妻でもなかった。

 ただそこにいるのは、聖杯戦争に挑む人物の顔。もしくは九年近く前、切嗣という人格を拾い上げたホムンクルスだったのかもしれない。

 切嗣を見透かし、更にその先を見据えていたアイリスフィールの瞳に、思わず切嗣は何も言えなくなった。

 

 

 

「それにね。

 ねぇイリヤ? ただのお別れよりも、新たな出会いの方が良いでしょ?」

 

「うん!」

 

 

 

 更にアイリスフィールとイリヤ。その二人の顔を見て、切嗣は余計に何も言えなくなった。

 拒絶した態度を取った切嗣に、同じく興味がないと言わんばかりに応じ、それ以降一言も問い掛けを行わなかったセイバー。

 何を考えているのか分からない、冷たい騎士。

 未だにサー・ルークが此方を騙し、試していると言われた方が信じられるくらいには、切嗣はあのセイバーを信用出来ていない。

 あぁだが本当に、セイバー自身が言った通り、あの英霊がアーサー王だとするなら。

 一体どんな策略を働き、如何にして言葉巧みに——アイリスフィールから警戒を解き信頼させたのか。

 思わず反射的に警戒しながら、切嗣は二人に付いていった。

 

 

 

「——な、っ………アイリスフィール、一体何を」

 

「これじゃダメ……? セイバー。

 だってこうした方が、貴方の言った別れをしっかり出来るでしょ?」

 

「…………」

 

 

 

 驚嘆したような、苦々しげに眉を顰めた表情でセイバーは応える。

 切嗣が初めて見たセイバーの表情だ。

 その意外性に、切嗣が思わず呆気に取られた時にはもう、イリヤがセイバーに向かって駆け出していた。

 

 

 

「……初めまして!」

 

 

 

 駆け寄るイリヤだったが、しかしいざ近付くと緊張が勝ったらしい。

 少しだけ離れた位置で、イリヤはセイバーを見上げる。

 見詰められるセイバーはやや居心地悪くした後、逃げるようにアイリスフィールへと視線を向けた。

 

 "おねがいね"

 

 言葉に出す事なく、口の動きだけでアイリスフィールはセイバーに伝える。

 隣の切嗣は、冷たく見咎めるような、もしくは見定めるような視線でセイバーを注視していた。

 

 どう考えても関係は険悪なモノになるようにしかセイバーは思えなかった。

 使い魔でしかないサーヴァント風情か、二人の希望と愛の象徴に触れる。彼らには関わらない方が良いと、自分でも思っていた矢先なのに。

 では一体、どうすれば良いのか。

 分からない。

 本当にそれだけが、セイバーにはずっと答えが出せない。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 セイバーの真下にいるのは、何も知らぬ無垢の瞳で蒼銀の騎士を見上げる少女だ。

 その瞳に曇りはなく、怯えも恐怖もない。

 唯一あるのは、勇気を持って話しかけた相手が沈黙したままである事による緊張だけ。

 

 …………そういえば、いつからだったのだろう。

 

 セイバーがまず思い浮かべる少女の瞳は、いつも怯えているか、何かを睨み付けているような眼差しばかりだった。

 鋭く、冷たく、時に火山の噴火のように熱い。

 何かを失い、欠如した者の瞳。それは、黒く硬質な鉄に隠されても尚、周囲に影響を与える程のモノ。本当に、いつからそうなったのだろう。

 守りたいと願ったモノが、いつの間にか直視するのも難しい、戒めになっていたなんて。

 

 

 

「……………————」

 

 

 

 不意に、セイバーは冷淡な表情を和らげた。

 眩しいモノを見るように、目を細めながら想う。

 果たして自分は、一体どのような者になりたかったのだろう。そして無垢の瞳を向けられたのは、いつが最後だったか。

 取り零してばかりの生涯を歩んでばかりだったから、此度の現界にて出会ったマスターの愛娘が、セイバーには眩しい。

 本当に——眩しすぎて、見つめていては涙が出て来そうな程には、彼らの少女は新雪のように白く、無垢で、眩しかった。

 でもそういう光を………——確かに尊いモノだと思った事実だけは、それだけはまだ、今も変わらない。

 

 

 

「——初めまして、レディ」

 

 

 

 セイバーは腰を落として、雪のような少女に目線を合わせる。

 その挙措。柔らかい言葉使いは、深窓の令嬢に忠誠を誓う騎士のそれだった。決して人形にも機械にも出来ない、英霊アルトリアの心がそこにはある。

 

 

 

「私はセイバー。どうかセイバーとお呼びください」

 

「わぁ……」

 

 

 

 セイバーのその顔も、また一つの姿なのだろう。

 そしてそれは、母親が子供に見せるような慈愛の表情と似ていた。

 決して年端もいかない少女が出すモノではない。

 もしも、先程のセイバーが表に出していた冷たい面こそが、本来の姿だと言う者がいるのなら、それは今の彼女を見た事がない人物以外にはあり得ないだろう。

 それ程に、イリヤへと見せた笑顔は、優しかった。

 

 

 

「私に、貴方の名前を教えて貰っても構いませんか?」

 

「……イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

「良い名前です。イリヤとお呼びしても?」

 

「うん!」

 

 

 

 得意気に笑うイリヤの笑顔を、セイバーは正面から受け止める。

 そのイリヤの笑みは、やはりマスターの心は、確かに父親である事の証明でしかなかった。

 でなければ有り得ない。

 手段を選ばない冷酷な殺人者でしかないのなら、彼女はこのような笑みを見せる事はない。

 無垢の少女が無垢で居られるように過ごしたマスター。父と子の仲睦まじさを、セイバーは遠く想い浮かべる。

 聖杯を求める者であるのなら、もっと冷酷であらねばならないといけない筈なのに、彼は確かに娘を愛しているのだ。

 

 

 

「ねぇセイバー? 貴方は、明日にはもうキリツグとお母様のお仕事に付いて行っちゃうんでしょ?」

 

「はい。申し訳ありませんイリヤ。

 貴方からすれば、私が貴方の両親を取って行ってしまうようですよね」

 

「ううん違うよ。

 キリツグとお母様が、セイバーを取って行っちゃうんでしょ?」

 

「——え……?」

 

 

 

 不意にイリヤが告げた言葉に、セイバーは困惑する。

 

 

 

「それは、どうしてですか?」

 

 

 

 恐らくこの少女は、この閉ざされた冬の城から外に出た事はない。

 その事を悟りながら慎重に答えるセイバーだったからこそ、先程のイリヤの言葉に面食らって困惑したのだ。

 一体どうして、ここまでイリヤに懐かれているのか。

 セイバーもまた、今日初めてイリヤに出会ったのである。

 イリヤの眼差しは、セイバーには真っ直ぐすぎた。

 

 

 

「だって私、今日までセイバーのこと何も知らないんだもん。

 キリツグもキリツグだし、お母様もお母様だよ。どうして私に隠すの? セイバー、とってもキリツグと似てるのに」

 

「………似てる?」

 

「うん。セイバーの瞳、キリツグが時々見せる目と同じだから。

 ねぇねぇ。実はセイバーとキリツグは、古い旧友だったりする? いや………じつは先生と生徒みたいな。

 ……うん。やっぱりそっちの方がしっくり来るかも。だってセイバー、十五歳くらいだろうし」

 

 

 

 そう小さく呟きながら、イリヤは腕を組む。

 イリヤの頭では、一体どんな妄想空想がされているのか。

 確かに年齢は年端もいかない頃に止まっているので、ある意味事実ではある。

 だが少なくとも、この少女にとっては、二人は旧知の知り合いじゃないとおかしいと考えているようだった。

 

 

 

「ねぇ、きっとそうでしょセイバー?」

 

「……そうですね。私が彼から学ぶ事は多いでしょう」

 

「やっぱり! セイバーから見たキリツグはねぇどんな人なの?

 厳しい? 優しい?」

 

「きっとイリヤの想像通りだと思います。彼は優しい人ですよ」

 

「そうなんだぁ……でも少し意外」

 

 

 

 セイバーもまた、自らのマスターがどのような人物であるかは、正確に知る訳ではない。

 彼女が知るのは、全てアイリスフィールとイリヤから見ただろう人格であり、自らが想定している姿だ。

 

 

 

「セイバー? 貴方は一日だけお城に残って、その後キリツグとお母様のお仕事に付いていくのはダメ? 私はもっとセイバーのこと知りたいよ」

 

「……………」

 

 

 

 セイバーは思わず押し黙ってイリヤを見守る。

 優しげな微笑みが、儚く遠い、そんな苦笑いに変わった。

 イリヤにはまだ、セイバーの微笑みが一体どのようなモノか分かってない。

 だからイリヤは、そんな微笑みをするセイバーをどこか不思議そうに見つめていた。

 

 

 

「ごめんなさい。それは出来ません。

 明日にはもう私は、二人に付いていかなくてはならないのです」

 

「えぇー……」

 

「でも必ず、貴方のキリツグは貴方の元に帰って来ます。私が帰します。

 そうしたら貴方のキリツグから、私の事を教えて貰ってください。良いですか?」

 

「……良いよ。分かった。約束する?」

 

「約束です」

 

「じゃあ、はい」

 

 

 

 そしてイリヤは、セイバーに小指を向けた。

 

 

 

「それは?」

 

「指切り。約束の証」

 

 

 

 きっと騎士の誓いにも似た行いだろう。

 そうだとセイバーは理解はしたが、何処か不器用にイリヤと同じ動作をするセイバーが、イリヤは大層お気に召したらしい。

 ぎゅっとセイバーが差し出した小指を握り返して、イリヤは笑う。

 

 

 

「いい!絶対だからね!」

 

「……——はい、絶対です」

 

 

 

 それにセイバーも微笑みを返した。

 意味がないモノだと言われたらそうなのかもしれない。

 ただそれでも、蒼銀の騎士は雪の中の令嬢に、確かに誓いを以って応える。

 その誓いがある限り、セイバーは如何なる事があってもマスターに応えるだろう。

 何があろうとも、セイバーはマスターの要望に反する事もないだろう。

 今その瞬間、セイバーは彼らの騎士になったからだ。

 

 

 

「じゃあ、うん。もういいよ。

 これからセイバーは、キリツグと大事なお話があるんでしょ?」

 

「………イリヤは、御両親が何のお仕事をするか聞かなくても良いですか?」

 

「聞いたら教えてくれる?」

 

「えぇ、勿論」

 

 

 

 微笑みながら答えるセイバーだったが、その実彼女は本当の事実を教える気はない。

 ただどうしても、色んなことをせがむだろうと思っていたイリヤが、酷く従順に身を引いたのか疑問だったのだ。

 まだ遊びたがりな歳で、友人と呼べるような者が少ないこの城を思えば、より一層そうである筈なのに。

 

 

 

「ううん。でもいい」

 

 

 

 だからこそ、首を振るイリヤの姿にセイバーは不意を晒す。

 イリヤの返答を全く以って想像していなかった表情。

 その驚くセイバーの顔が、イリヤには素敵なモノに見えて仕方がない。

 あぁそう言う顔もするんだなぁと、意外な一面を見て嬉しくなりながら、イリヤはセイバーに告げる。

 

 

 

「だってそれは、セイバーとキリツグの大事な約束でしょ?

 イリヤには分かるよ。キリツグが大人気ないくらい感情的になるなんて、私初めて見たから。

 だから何も知らない私が、二人にあれこれ聞いたら、きっとお母様に怒られちゃう」

 

「……………」

 

 

 

 その言葉が、如何に的を射ていたのかは分からない。

 この幼子には、一体何がどのように映っていたか。

 小さな子供特有の導きと断ずるのなら、そうなのだろう。ただそれを、決して軽いモノとだけは捨て置いてはならない。そう確信出来るだけの何かを、イリヤは持っている。

 彼女が幼子らしからぬ聡明さと我慢強さを持っているのは、特殊な生まれの影響だろうか。

 いや、そんな事は今は関係ない。

 だからセイバーは、我儘を収めたイリヤの頭を撫でる。

 

 

 

「——良い子だ」

 

 

 

 セイバーの微笑みは、例えるなら誇らしいモノを讃えるようなモノだった。

 先程の慈愛に溢れた、母親のような笑みではない。

 父親のような表情。そう例えるのが、きっと相応しかった。

 父のようでもあり、母のようでもある人。

 イリヤにとって、セイバーは不思議な人だった。

 

 

 

「貴方の御両親は立派な人です。

 だからイリヤも、それに倣いたいのですね」

 

「………ふふん」

 

「イリヤは待っていられますか? 父上が帰って来るまで我慢出来ますか?」

 

「うん、大丈夫。でもセイバーもちゃんと帰って来てね?

 セイバーにも、私の事知って貰いたい」

 

「はい。私も、貴方の事をもっと知りたくなりました。

 その暁には、私にもクルミ探しのコツを教えてください」

 

「良いよ! セイバーにだけは特別に教えて上げる!」

 

 

 

 セイバーの言葉に、イリヤは満開の笑顔で応じた。

 

 

 

「お母様、行こ!」

 

「あらあら……イリヤはもう良いの?」

 

「うん。だってセイバーは、これからキリツグとお話があるんだから」

 

 

 

 イリヤはアイリスフィールの手を引いて、森の中へと走り去っていく。

 アイリスフィールともまた、冬の森の散歩を楽しむ算段なのかもしれない。

 去り際、セイバーとキリツグに大きく手を振ってイリヤ達はその場を離れていく。

 残されたセイバーは、冬の森に消えていった二人の後ろ姿を、眩しいモノのように見つめ続けていた。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 でも——その横顔はもう、イリヤ達が見えなくなると同時に、何もなかったように消えていく。

 冷たく硬い、氷のように冷酷な表情。

 決してイリヤにだけは見せなかった、血と死が交じる者の気配。

 イリヤの言う事は、確かに的を射ていた。

 その横顔は確かに、父親としてのキリツグではなく、魔術師殺しの切嗣と同じなのだから。

 

 

 

「差し出がましい真似申し訳ありません。御容赦を」

 

「…………」

 

 

 

 今まで眼前で繰り広げられた、イリヤとセイバーのやり取り。

 切嗣の感慨を他所に、セイバーは一礼をする。

 それは騎士の礼ではなく、臣従の礼に近い。

 マスターとサーヴァント。それ以上でも以下でもない二人の関係。それを端的に表しているようだった。

 そしてセイバー自身からはもう、それ以上の言葉はないと言うように一礼を解くと切嗣に背を向ける。

 

 視線は交わされない。

 拒絶ではなく、必要ないと言っているようだ。

 切嗣が何もしなければ、本当にセイバーは消えていくだろう。

 イリヤとアイリスフィールに見せた先程の姿ごと、まるで何もかもが——幻だったように。

 

 

 

「——待てセイバー」

 

 

 

 それは、初めて切嗣が自身のサーヴァントを呼んだ声掛けだった。

 セイバーは足を止め、振り返る。ようやく交差する視線。

 どうやらこのサーヴァントは、変なところで律儀らしい。

 今まで視線を交わすのすら、犯してはならない不可侵のように守っていたセイバーが、切嗣の呼び掛けには何の遺恨も躊躇いもなく応じ、眼差しを交差させた。

 こういうところにだけ、切嗣は自らのサーヴァントが騎士であった事を思い出せた。

 

 

 

「私が、何か」

 

「そう言えば僕は、お前が聖杯にかける願いを知らない」

 

 

 

 まず第一に確認しなくてはならない事。

 聖杯に招かれた英霊は、願いがあるからこそサーヴァントという魔術師の使い魔である事を受け入れるのだ。

 如何なる願い故に、召喚に応じたのか。

 まずはその由縁を明確にしておかなければならない。

 マスターとサーヴァントの関係。その初歩の初歩すら二人は進めていなかった。

 

 

 

「貴方の手にはサーヴァントを従える絶対命令権が三画ある。

 サーヴァントの願いや想いなど別に関係なく、機能さえ十全に果たし得ればどうでも良い。そう考えているモノだと、思っていたのですが」

 

「確かにそうだ。

 だが僕は無駄な令呪を使いたくなくてね」

 

 

 

 切嗣の言葉にセイバーは感慨なく、そうですかと呟いた。

 二人に刻まれた溝は、互いに溝だと感じているだけで、ただの線でしかなかったのかもしれない。

 思いの他、切嗣はセイバーと会話する事に抵抗はなく。

 セイバーもまた、切嗣と受け答えする事に違和感はなかった。

 

 

 

「私は………大きな失態を犯した事があります」

 

 

 

 重い口を開いて、セイバーは告げる。

 

 

 

「私は大きな過ちを犯した。

 私自ら、この手で成さなければならない選択を、選択する事が出来なかった。

 その対価に、他の者がその選択を選んで、私だけが生き延びた」

 

「…………」

 

「私が願うのは、過去の精算です」

 

 

 

 セイバーの言葉を聞いて、ふと切嗣の脳裏にある情景が浮かぶ。

 何故だろう。分からない。ただそれでも浮かんだのだ。

 白蠟のような肌。苦悶に引き攣った表情。明る過ぎる月夜の下で、食い散らかされた鶏の死骸と、足許に投げ置かれた銀のナイフ。

 

 "自分の手じゃ、出来ない——だから、お願い、キミが、殺して——"

 

 

 

「………そうか」

 

「貴方は? マスターが望む願いは何ですか?」

 

 

 

 切嗣は、返すように問いかけてくるセイバーの瞳を真正面から見据える。

 切嗣が見据えたセイバーの瞳は、凍り付いた湖のようだった。

 自らの感情を停止させ、まるで機械のように自らを稼働させる事を受け入れた瞳。

 セイバーの翡翠の瞳に映る切嗣自身の瞳は、決して同じ色ではないのに、同じ明度をしている。

 まるで鏡合わせのようだった。

 自らの心を映し出す鏡、その正面に、きっとセイバーが立っているのだろう。

 セイバーの問いは、己が己自身に尋ねる再確認のようなモノに思えて仕方がない。その願いを心の底から願えるのか、という最終確認。

 

 

 "見てくれたかい? シャーレイ……"

 

 

 だから、こんな時に限ってその日の情景が浮かぶのだろう。

 思わず切嗣は瞳を閉じる。

 

 

 "今度もまた殺したよ。父さんと同じように殺したよ。キミの時みたいなヘマはしなかった——"

 

 

 鏡合わせの自分に問いかけられている。

 その相手は自分ではなく、あの高潔なアーサー王だとは一体どんな皮肉なのだろう。

 誰もが夢見る、白馬の王子様。

 ……正義を尊び、悪を挫く理想の剣士。

 だが事実とは異なり、かの王は年端もいかない少女の姿をした騎士だった。

 でもその瞳は、見た目通りの少女が見せるモノではない。

 擦り切れ、掠れ、心が停止するだけの何かを覗いて来なければ、そうなる訳がない。

 理想を抱いた少年が、その理想故に絶望し、少年ではなくなったように。

 正しさを願った少女が、その正しさ故に絶望しているのだとしたら。

 ——あぁそれは、なんて酷い話だろう。出来すぎた鏡だ。

 

 

 

「僕の願いは、全人類の救済。恒久的な世界平和。

 そうだと言ったら、君は笑うかい?」

 

 

 

 セイバーという、ただの道具。

 ならば私情や感情は交えず断言すれば良かったのに、冗談めかすように告げたのは何故だったのだろう。

 フッ、と皮肉気に語るように切嗣はセイバーに告げた。

 視線が途切れる。

 逸らしたのは切嗣から。

 セイバーが見据え続けている瞳の中に映る自身を、切嗣は直視していない。

 

 

 

「——いいえ」

 

 

 

 だからもし、その切嗣に一歩踏み込む者がいるとするなら。

 それは切嗣を直視し続けているセイバーだけなのだろう。

 澄んだ声が冬の雪に響き渡る。

 振り直った切嗣は、真正面から自らを見据えるセイバーの瞳に思わず心を揺らされた。

 セイバーのその表情には一切の曇りもない。変化もない。

 ただ冷たいだけだ。

 でもその眼差しには、切嗣にはない何かがある。

 

 

 

「私は貴方の願いを笑う事はない。

 だって私も、確かに貴方と同じモノを抱いていたのだから。

 貴方の願いを笑う者は、それを正しい願いだと知りながらも、その道の険しさに目を逸らした臆病者だけだ」

 

「…………」

 

「だから私は、貴方の願いを正しいモノだと断言する。

 たとえ他の人間がどう言おうと、私は貴方の理想を裏切らない」

 

 

 

 セイバーの言葉は、切嗣自身が思っていた以上に、心に響いていた。

 もしもそれが、主を尊重する騎士のような形だったら、少し違ったかもしれない。

 でもそうはならなかった。

 まるでそれを、刻まれた呪いのように呟いたセイバーの瞳には、機械と変わらぬ冷たさだけがある。

 騎士のような不屈の闘志、熱い信念は欠片程もない。

 王を盲目に賛美する騎士にも重ならない。

 例えるならそれは、機械が定められた言葉を発しているようなモノだった。

 

 

 

「そして叶わない夢物語だと言って、貴方達の不幸から目を背ける事も、貴方の行いを否定する事もしない」

 

「…………」

 

「貴方は、その理想、その願い故にどうしようもなく絶望しているのかもしれない。

 でも、私は何も言いません。

 諫言も忠言も、警告も。貴方はもう、とっくにそれを知っているのでしょう。

 だから、私は問わない。

 貴方に一体どんな過去があったのか。何に裏切られ、何に絶望したのか。たとえ貴方の理想の対価に、アイリスフィールとイリヤスフィールがいるとしても」

 

「…………………」

 

「私は貴方を尊重する。ただ、それだけです」

 

 

 

 讃えるのに似たセイバーの言葉は、やはり、仕える主を盲目に尊重する騎士の姿には到底見えなかった。まるでそれは、自分自身の事を語っているようにも聞こえる。

 それは同志や同胞という類。いや、同類と言った方が良いのかも知れない。

 主と騎士ではなく、マスターとサーヴァントという立ち位置になっただけの、どうしようもない同類同士。

 

 だからセイバーには、切嗣が分かる。

 そして切嗣にも、セイバーが分かる。

 

 一々言葉にする必要もなかった。

 妻と娘を愛し、そのような正義を抱いた男が何故、冷酷な機械でなければいけないのか。

 無垢な少女を尊び、誉れ高き騎士王である少女が何故、こうまで感情の停止した人形の面を見せるのか。

 ただ知っているから。私もそうだったから。

 感情に一切の嬉々も表さず、まるで機械のように告げるセイバーの言葉に切嗣は思う。

 あぁきっと、このサーヴァントも——掲げた理想の対価に何かを失ったのだろう。

 でなければあり得ない。

 まるで呪いのように極めて淡々と、マスターの願いを正しいモノだと賛美する英霊がいるモノか。

 

 

 

「だからマスターが掲げたその正義に——たとえ相反する非道を行うとしても、私には関係がない」

 

 

 

 自らのサーヴァントへどうしようもない感慨を抱く切嗣に、セイバーは一歩、歩み寄る。

 二人に刻まれた溝は、セイバーから踏み越えた。

 

 

 

「互いの過去、互いの傷を舐め合うのがお望みですか?」

 

「……いいや」

 

「えぇ、その通りです。

 何せ私と貴方はマスターとサーヴァント。

 貴方は私を使って聖杯戦争を勝利する人間で、私は貴方を勝利させる為だけの道具。

 それだけです。そしてそれで足りる。

 心を通わせる必要などない。私に絆されず、引き摺られず、貴方は貴方のやり方を貫けば良い」

 

「……………」

 

「最初からそうでしょう? 

 私"と"聖杯戦争を勝ち抜く必要はない。私"で"聖杯戦争を勝ち抜けば良いのですから」

 

 

 

 まさかそれをサーヴァントの方からそう言われるとは。

 誇り高い筈の英霊が、自らを殺人機械のように扱う姿に、切嗣は畏怖と感慨をセイバーに覚える。

 自らの肩程の身長しかなく、アイリスフィールよりも細身で華奢な少女騎士。

 それが本当に少女であるかどうか疑いそうになる程には、言葉と佇まいは乖離していた。

 少女の姿をしただけの機械。

 そう言われたら、切嗣はきっと信じ切れるだろう。

 

 

 

「聖杯に至るまでの手段が、貴方の理想と相反する邪悪でも構いません。

 悪辣な手段で敵サーヴァントとマスターを屠れというのなら、その通りに。

 貴方が敵マスターを排除する為に陽動役をやれというのなら、その通りに。

 そして貴方が命じるなら——この聖剣で冬木の地ごと焼き払おうとも、貴方の障害を排除する」

 

「—————…………」

 

 

 

 セイバーは切嗣の眼下にて、跪く。

 その傍らに、星の聖剣を突き立てて。

 

 

 

「どうぞご自由に私をお使いください。

 私は剣。その剣に心などありはしない。貴方がどう振るうかです」

 

 

 

 セイバーの宣言に、思わず切嗣は息を呑んだ。

 刀身を晒し、白熱した輝きを放つ星の聖剣。それが本当に、騎士王アーサーが手にする聖剣——エクスカリバーの輝きだというのか。

 束ねられた星の息吹すら、ただの熱量、ただの武器として使用するような圧力がそこにある。

 

 あぁ、何たる誤算だろう。

 正統なる英霊には、致命的な相性の問題があると考慮していた切嗣。

 しかしまさか、その英霊の方からそんな宣言をされたのだ。

 清廉にして高潔なアーサー王。

 しかし戦場に抱く幻想は何もない。

 何故ならセイバーは、犠牲を最短にする為ならば、如何なる悪虐をも自らの手で受け入れる者がする、冷たい目をしているのだから。

 自らの感情も感傷も——抱いた騎士道すら凍て付き停止した、ただ竜であるがままの英雄がそこにいる。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 あぁ今更気付いたと、切嗣は感嘆する。

 最初からそうだった。セイバーはずっと、示していたのだ。

 常在戦場という心構えすら、騎士である筈のセイバーには似合わない。

 セイバーは機械だった。

 だから一々、心構えなど必要なく、ただ自らが機能し得るか調整していただけ。

 召喚された瞬間から、自らが何をしなくてはならないかだけを理解していた、サーヴァント。

 唯一そうでなかったのは……——家族というモノに腑抜けていたマスターの方だったか。

 

 

 

「——どうやら僕はアタリを引いたみたいだ」

 

 

 

 僅かに口角を上げ、跪くセイバーへ切嗣は手を向ける。

 もはや警戒などはなく、抵抗もなかった。

 セイバーはもう、自らの思い通りに動いてくれる駒以上の意味合いを持っている。

 切嗣には、このサーヴァントが必要だった。

 久宇舞弥とはまた違う、衛宮切嗣を成立させる為の歯車。いや、セイバーはもはや部品ではなく、切嗣をより完璧にする為の装置と言えるだろう。

 だから切嗣は、セイバーに手を伸ばす事に抵抗感はなかった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 頭を下げていたセイバーが、顔を上げる。

 跪くセイバーは、差し出されていた手を見つめていた。

 そこには変わらず、無表情があるだけだった。

 

 

 

「感謝します。貴方が私に譲歩するのなら、それに見合うだけの力を振るう事を、必ず」

 

 

 

 そう言って跪いたまま、セイバーは切嗣の手を受け取る。

 挙措は恭しく、一介の騎士が仕える主君にやるような形だった。

 それは騎士が臣従を誓う儀式だ。

 正しく今のセイバーは、王である事の信念はないのだろう。もしくは切嗣を、それ程までにセイバーは認めたか。

 流れるような動作で、セイバーは切嗣の手の甲を口に運ぶ。

 

 

 

「………———」

 

 

 

 その手を。

 切嗣は思わず、反射的に引き抜いた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 臣従の儀礼を反射的に、まるで拒絶するような反応をした切嗣に、失敗した、と自らの対応を責めるような雰囲気でセイバーは立ち上がる。

 セイバーの顔には変わらず何も浮かんでいないが、出過ぎた真似をしたと改める気配があった。

 

 

 

「申し訳ありません。出過ぎた真似でした。以後気を付けます」

 

「あぁいや………違う、そうではなく……」

 

「……何か」

 

 

 

 道具である自覚が足りなかった。

 そう自制するセイバーだったが、彼女自身の内心に対して、切嗣は何処か歯切れが悪い。

 溜息を吐いて視線を逸らす切嗣は、セイバーに呆れているようでもあった。

 

 

 

「もしかして、君には自覚がないのかい?」

 

「何がです?」

 

「そうか……無いんだな。なるほど良く分かったよ」

 

 

 

 セイバーが自覚しているのか、はたまた土台となる文化が違うから疑問にもならないのかは知らないが、傍から見ればセイバーの儀礼は様になり過ぎていた。

 勿論悪い意味の話だ。

 心の有り様に変わらず端正に過ぎる美少女が跪いて、歳上の男性の手に口付けする光景は、酷く倒錯的だっただろう。

 もしかしたらセイバーは、男性として生きて来た故に、今自分がどう見えているのか気付いていないのか。

 あぁ伝説通り、本当に自らの性別に関する事柄は全て、片割れの黒き竜に置き去りにしたらしい。

 こんな関係ないところで、自らのサーヴァントがあのアーサー王だという根拠が積み上がっていくのに、切嗣は内心複雑だった。

 

 

 

「別に責めてる訳じゃない。

 非があるとか、そういう話でもなく、単純に今のは僕の問題だ。というか良識のある人間なら誰だって拒否する」

 

「…………」

 

「生憎、僕は自分よりも歳下……どころか十五くらいにしか見えない少女に倒錯的な臣従儀礼をさせる気はないんだ」

 

「……マスター。私は見た目通りの年齢ではありませんが」

 

 

 

 堪らず呟いたようなセイバーの言葉に、切嗣は苦虫を潰したような顔になった。

 

 

 

「それに恐らく、マスターは三十にも満たないでしょう。

 だとするなら私は、アイリスフィールはおろか貴方よりも歳上——」

 

「あぁもう良い。分かった。分かったからもう良い。

 ……全く。じゃあ長い時を王として過ごしたセイバーなら、この程度分かって欲しかった」

 

 

 

 不意に、イリヤが先程告げていた言葉が蘇った。

 二人は先生と生徒なの? と考えていたイリヤの言葉。

 思わず切嗣は内心で笑ってしまう。

 イリヤの予想とは真逆で、むしろセイバーが三人の中で誰よりも長い人生を歩んでいる。

 

 

 

「——————……………」

 

 

 

 思わず呆れたように視線を逸らしていた切嗣がセイバーに視線を戻すと、彼女は何処か呆気に取られたような表情をしていた。

 それがセイバーの素顔だと言うのなら、そうなのかも知れない。

 冷たい裏に隠れた彼女の本当の顔。

 切嗣の本当の顔が冷酷な魔術師殺しではないように、セイバーの本当の顔も、冷たい戦闘機械ではないのかもしれない。

 

 

 

「優しい人ですね」

 

 

 

 そして表情を柔らげて、セイバーは切嗣に微笑む。

 その顔。自分ではない儚いものを見て嬉しそうに笑う、その顔。

 それは酷く、遠いモノのようだった。

 

 

 

「……………」

 

「私は何処まで行っても、貴方にとっては道具だ。

 貴方が自らの理想を求めるのならば、真の意味で冷酷にならねばならないのに、貴方は必要のない感傷を私に抱いている。

 いえ………それは最初からでしたか。その感傷故に、今まで無視されているとは知りませんでしたが。

 まぁそれは良いのです。

 私に何を感じ、アーサー王という生涯に何を思ったのかも別に良い。

 私に何かを重ねている……とまでは言いませんが、貴方は周囲のモノに心を靡かせてはならない筈。ならば、その予行演習として私を道具と扱えば良いのです」

 

「………君がそれを言うのか」

 

「貴方から言う方が問題があるのでは?

 傍から見ればそうなのでしょう?」

 

 

 

 返される言葉に、切嗣は押し黙って頭を抱える。

 もしもこの姿がセイバーの本当の顔なら、とんだじゃじゃ馬なのだろう。間違いなく、何も言わずに道具の立場に甘んじる性格とは思えない。

 しかし、その素顔とは裏腹にセイバーは当然のように、ただのサーヴァントである事を受け入れた。

 切嗣にとっては、ここに来てセイバーに抱いていた人物像が、先程のイリヤとの関わり合いから更にずれ始めるモノでしかなかった。

 

 

 

「正直に言うなら、君はもっと冷酷な人物だと思っていた」

 

「私も、自分のマスターはもっと冷酷な人物だと思っていました」

 

「…………」

 

「でも、どうやら違うようですね」

 

 

 

 自分よりも歳下の、年端も行かない少女。

 確かにそうとしか見えない細身の騎士は、まるで当然のように切嗣へ応える。

 その姿は、アーサー王という器の表れでもあるのかもしれない。

 つい、数時間前まではそこにいた機械の如きセイバーの顔が、潔く儚い微笑みを浮かべている。

 

 

 

「貴方が女性である私に。そしてアーサー王伝説という中の私に、如何なる憤りを得たのか。

 それを、正確に口に出来る訳ではありません。

 ですがもしも、私が王としてではなく人としての幸を得るべきだったと感じたのなら」

 

 

 

 その儚い笑みのまま、遠くを見つめるようにセイバーは視線を切った。

 逸らした視線の先。その先は、イリヤとアイリスフィールが去っていった雪の森。

 

 

 

「貴方達家族が、ごく普通の家族としての幸福を得ていたら……そう考える私と同じくらいに、詮の無い望みなのでしょうね」

 

「……………」

 

 

 

 あぁ本当に——自分はこのサーヴァントと、どうしようない程に同類らしい。

 切嗣もまた、セイバーの視線を追い、その先に二人の幻影を見て観念するしかなかった。

 唯一の報いは、二人が同族嫌悪にも似た拒絶反応を抱かなかった事だろう。

 互いに善なるモノを信じて、その先で機械になるしかなかった者同士だとするなら、なんて嫌になる程に相性が良いのか。

 もはやあの災厄の騎士ではなく、少女の姿をしたアーサー王が自分の手に召喚されたのが、必然だとしか思えなくなって来る程だ。

 アハト翁には悪いが、アインツベルンは間違いなく最良のサーヴァントを引き当てている。

 

 

 

「本当に、僕は恵まれたらしい」

 

 

 

 切嗣の言葉に、セイバーは振り直る。

 

 

 

「観念するよ。僕にはお前が必要だ。

 聖杯戦争に勝つ為の、真の理解者として」

 

 

 

 そう結局、二人の感傷は詮の無い無駄な望みだった。

 ただ今のは、マスターとサーヴァントが最初に交わさなければならない会話。互いの意志の確認。その延長線にあっただけのモノでしかない。

 だからもう、言葉はいらなかった。

 当然のように、セイバーも切嗣に頷く。

 

 

 

「はい。私も貴方がマスターで良かった。

 聖杯を手にする為、私も貴方の力を借りる」

 

「そうか……結局遅かったようにも思えるが、こういう時にはこうするんだろう」

 

 

 

 すると、切嗣は片手を差し出した。

 

 

 

「僕は、衛宮切嗣。

 お前が僕達の切札だ。

 だからよろしく頼むよ、アーサー・ペンドラゴン」

 

「…………」

 

 

 

 その手を。

 今後はしっかりと、セイバーは受け取った。

 

 

 

「はい。我が剣は貴方達の為だけに。

 よろしくお願いします——キリツグ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—214:10:01— 

 

 

 

 その日、冬木の地は久方振りに雷雨から解放されていた。

 完全な晴天にはならずとも、空からは太陽の光が差し込み、暗雲は切れ端となって疎になっている。

 数日近くの間ずっと続いた嵐が止んだのだ。

 冬木市の人々は、続いた嵐の鬱憤を晴らすように、屋外へと足を運んでいる。

 

 

 そして同じように、冬木市の通りを闊歩する男性がいる。

 

 

 その余りにも際立った貌と、端正に過ぎる姿は、もしかしたら黄金比というモノの体現かもしれない。

 輝く金の頭髪に、紅玉の如き双眸。

 この東洋の島国はおろか、世界規模で類を見ない程の美貌だ。

 その彼が歩く通りは、自然と人数が少なくなっていく。

 余りにも端正な美貌を持つ人間が冷たい印象を伴ってしまうように、冬木市の人々は彼に隔たりを感じたのかもしれない。

 それも外国人ときたのだから、尚更であろう。

 外国人の多い冬木市ではあるが、彼の佇まい全てが王のような圧力を伴うように感じられたのだ。

 

 いや——事実彼は王だ。

 古代メソポタミアに君臨し、()()を開闢した、人類史の中で最も古き王。あらゆる英雄達の祖と呼ばれた伝説の偉人。

 英雄王ギルガメッシュ。

 冬木の聖杯戦争に於いて、聖杯より召喚された七騎の内の一騎だ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 不意に、彼は天を見上げた。

 雨は降らず、所々が切れ端となっている暗雲。

 召喚されてから終始止むことはなく、しかし急に晴れ渡った雨雲を、英雄王は見つめ続ける。

 

 

 

「まさか、この(オレ)の許可もなく天を束ねる者がいるとは」

 

 

 

 一切の予兆もなく、突拍子もなく、英雄王は呟いた。

 そしてそれは虚空ではなく——

 

 

 

「しかも天の理を一糸ずつ()()むとはな……いささか痛快ではあるものの、然しもの(オレ)もその豪胆さには恐れ入るぞ——?」

 

 

 

 ——自らの背後にいる、第八のサーヴァントに向けて。

 

 

 

「初めまして、王の中の王」

 

 

 

 彼が振り返った先にいるのは、薄い金髪の少女。

 意識せずとも、自然と人が垣を作る彼に対し何の躊躇もなく近付く彼女も、また端麗にして底が見えない深さを持つ玲瓏の持ち主。

 彼女の声音は、英雄王のそれとはまた違う深みのある声だった。

 人である筈なのに、何処か人ならざる気配がする。

 それが二人。冬木市のど真ん中で、相対する。

 もはや彼らの周りには人の気配はない。ただ身に纏う雰囲気だけで人避けの結界と同じ事を成したそれは、何もかもが異なる神同士が時空を飛び越え対峙したようでもあった。

 ただその一人である少女の方は、絶えず微笑みを浮かべたまま、英雄王に話しかける。

 

 

 

「遥か太古、バビロニアを治めた神代最初にして人類最古の王。

 あらゆる英雄の祖、英雄王ギルガメッシュ。

 公平性を期す為、人目がある場ではその御名を控えさせてお呼びしても?」

 

「ほう。天地全てを敵に回すが如きその豪胆さに似合わず、まさか弁える類の者だったとは。良かろう、特別に赦す」

 

 

 

 英雄王の発言に対し、微笑みを浮かべる少女は、しかし申し訳無さそうに返す。

 

 

 

「一つだけ訂正を。

 私は()に仇なす者ではありますが、()に仇なす事はない。まぁ少し、センテイは行いますが」

 

「フン。大した物言いよな貴様。この(オレ)の名を知っていながらの発言と心得るか?」

 

「はい。ですがこれは私の魂の衝動なので如何ともし難く。

 思考を放棄して何かに縋るだけの者、それを祈りと尊び当然の権利として受け入れる神も、私は受け入れる事はないので」

 

「成る程……少しは骨のある雑種のようだ」

 

 

 

 皮肉気で悦のある笑みで、少女の発言に英雄王は嘯く。

 終始傲岸な物言いの青年と、絶えず微笑みを浮かべた少女の会話を傍から見れた者など存在しなく、むしろ居たとしてもその二人の瞳に認識されないよう全力で避けるのが当然だが、それでも二人の会話は極めて超然的だった。

 

 

 

「では貴方の不敬を買うつもりで本題に入るのですが、よろしいでしょうか?」

 

「その剛者なる発言、つくづく面白い。赦す。申してみよ」

 

 

 

 するとその少女は、怪しげに浮かべた微笑みから、悪童の如き悪戯っ気な笑みで英雄王に告げる。終始、鋭く油断なき眼差しのまま。

 

 

 

「貴方の時間を、少しばかり私に奪わせて頂きたい」

 

 

 

 それはまるで、男が女に告白するような物言いだった。

 所謂一つの口説き文句。日の本の国では余り馴染みのない言葉。

 これから一緒にデートでもしませんか、という言葉を、遠回しに、ニヒルに告げているのと同じだ。中性的な少女がやるそれは、耐性のない者を眩ませるような力がある程だろう。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 そうして、彼は。

 面白味のないマスターからパスを切り。

 つまらなさそうに冬木市を闊歩していた英雄王は。

 この冬木の地で。

 

 

 

「——ほう?」

 

 

 

 初めて、表情を変えた。

 

 

 

 




 
 
 
【マスター】衛宮 切嗣

【CLASS】セイバー

【真名】アーサー・ペンドラゴン (アルトリア・ペンドラゴン)

【性別】男性 (女性)

【出典】アーサー王伝説

【地域】イギリス (ブリテン)

【身長・体重】154 cm 42 kg

【属性】秩序・善

【ステータス】

 筋力          A  魔力          
 耐久          A  幸運          
 敏捷          A  宝具          A+++

【CLASS別スキル】

 対魔力 A
 詳細

 魔力に対する抵抗力を示すスキル。
 一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を減衰させる。


 騎乗 A
 詳細

 乗り物を乗りこなす能力、及び才能。
 幻獣・神獣を除く全ての獣、全ての乗り物を自在に操れる。



【保有スキル】


 騎士王のカリスマ ——
 詳細

 彼女固有の軍団の指揮能力、及び天性の才能。
 団体戦闘において自軍の能力を向上させる。

 本来ならB+相当の力を持っている。
 彼女の影武者が大戦にて誇ったカリスマと対になるように昇華され、強力な性質を持っていたが、現在の彼女はこのスキルを使用出来ない精神状態にいる。



 月光のカリスマ C+
 詳細

 彼女の影武者が誇っていた強力な戦意向上。軍略というより支配。話術・思考誘導・扇動、といったスキルを複合したカリスマ。その偽物。特に思考誘導と扇動といった面が欠けており、彼女のカリスマより+が一つ低下している。

 過去、彼女が掲げた騎士道を否定するものであり。
 現在、マスターの非道が正しいモノだと信じ切る事が出来る礎。

 アルトリアという少女の騎士道を狂わせ、苦悩させた呪いとも呼ぶ。



 魔力放出 A
 詳細

 武器、自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。
 Aランクともなると一挙手一投足全てが魔力のジェット噴流を帯びているのと等しい。



 輝ける路 EX
 詳細

 その生涯を以って変質した直感の亜種、上位互換スキル。
 彼女にのみ限定化させた専用の【星の開拓者】とでも言うべきスキル。

 常に自身にとって最適に展開を"感じ取る"能力ではなく。
 常に自身にとって最適に展開を"切り開く"能力。
 切り開く過程で、自身では不可能な難業を実現させる為の力を、自らに掻き集め続ける。
 運命や因果率にも干渉し得る。



 精霊の加護 B
 詳細

 精霊からの祝福によって危機的な局面において優先的に幸運を呼び寄せる能力。
 ただしその発動は武勲を立て得る戦場においてのみに限定される。



【宝具】

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 ランク A+++

 種別  対城宝具


 詳細

 人造による武器ではなく、星に鍛えられた神造兵装。
 使い手の魔力を変換、収束、加速させる機能を持ち、光の断層による究極の斬撃として斜線上全てを攻撃する。
 神霊レベルの魔術行使に匹敵する聖剣。

 聖剣の真の力を封印する為の拘束があったが、現在は全て砕け散っている。



 風王結界(インビジブル・エア)
     
 ランク C

 種別  対人宝具


 詳細

 聖剣を覆う風の鞘。
 剣を起点に幾重もの空気の層を重ね、屈折率を変える事で覆った物を見えなくする。
 剣自体が透明という訳ではない。
 
 

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