騎士王の影武者   作:sabu

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 もしも世界を救えるのなら
 


第7話 超越者達の盤上 前編

 

 

—sometime somewhere— 

 

 

 寂しい月明かりの夜だった。

 白亜の城を照らす月の光は、途切れ途切れに浮かぶ雲で隠れている。

 綺麗な月の日とは言い難い。

 冷え冷えと差す月光。

 月明かりの下、キャメロットの天塔に立つアーサー王の横顔には、僅かな苦悩と不安が浮かんでいた。

 

 

「彼女は聖杯探索か。

 少し意外だねぇ。彼女ならローマとの戦に参加すると思っていたけど」

 

 

 王の悩みを共有しているのは、叡智を修めた花の魔術師だけだ。

 静まりかえったキャメロットの上で、騎士の王と美しき花の魔術師は、彼女達の話をしている。

 

 

「大陸の帝国との戦いは、まだ一年ばかりの猶予がある。

 それに彼女には、ローマ軍が怪しい動きをしている事は告げてない」

 

「まさか。彼女がそんな事知らないとでも思っているのかい?」

 

 

 (おど)けたように告げるマーリンの言葉を聞いて、アーサーは思いを馳せた。

 マーリンと違って、彼女はアーサー王の賢者にはならなかっただけで、誰よりも先を捉え、一番早く動いていた。

 そして実際に事も成している。

 二年前、この国が変わったあの瞬間、あの光景。

 それを知らぬ者は騎士ではない。

 

 

「………………」

 

「正直言って、ボク達よりもブリテンの内情を知ってると思うよ、彼女。

 ボクでも彼女の深淵は覗きえない。この一年、彼女が死んでいただけと思わない方が良い」

 

「………彼女は死んだ訳じゃない」

 

「そうだね。

 肉体と精神。その全てが不可逆な損傷を受けて壊れたとしても、魂だけは残っていてくれたから死ではないのだろう。

 でも彼女が以前定義していたところによれば、あれは死んでいたの同じだ。

 ボクが生き返らせたけどね」

 

「……………」

 

 

 花の魔術師はキャメロットの天塔から身を乗り出し、とある二人の人影を見つめる。

 アーサー王が先程から見つめていた人達。

 聖杯探索に赴き、キャメロットを発っていく■■■とギャラハッドの二人だ。

 

 

「まぁ彼女も彼女で、自分の性能がどれくらい劣化したのか理解しているんだろうね。

 今の彼女は、全盛期とは見比べるまでもない。腕相撲したらボクが勝っちゃうんじゃない?」

 

「…………」

 

「それにしても……アレは酷いと思うよ、ボク」

 

 

 アーサー王とマーリンの見つめる視線の先では、■■■とギャラハッドが揉め合っていた。

 ギャラハッドが■■■の手を掴んでは、■■■が振り払う。

 危ないから自分の隣から離れないで下さいだの、別に私には必要ないから早く行けだのと、ここまで聞こえてくる勢いだ。

 

 

「もうっ。ボクのとは大違いじゃないか。

 アレは流石のボクでも傷付く。彼女はボクに、もう少し優しくなっても良いと思うよ、ホントに」

 

 

 ただ、彼女がそれを本気で拒絶していない事は分かる。

 特にマーリンには良く分かった。

 彼女の態度は、良くいる令嬢が照れ隠しに殿方の手を振り払うのと、虫を見て拒絶するくらいには違う。

 彼女は別に照れ隠しに手を振り払っている訳でもなければ、虫が嫌いな訳でもないが。

 

 

「あーぁ……ボクは結構本気で彼女を心配していたし、親身になって彼女を支えたつもりなんだけどなぁ。結局振られちゃった。反抗期なのかなぁ」

 

 

 結局根負けしたのか、彼女が受け入れたのか、ギャラハッドは■■■の手を引いて白亜の城を発って行った。

 人目があるところでは、彼女は全て自分一人で解決しようとするが、そうじゃないなら彼女は素直に応じるのだろう。

 傍から見れば相思相愛のように見えなくもないし、一部の騎士はそう邪推している者もいる。

 真実がどうなのかは当人達にしか知らないし、マーリンも知らない。

 ただ、ギャラハッドが慣れたように■■■と手を繋いでいるその姿を、マーリンは名残惜しそうに見ていた。

 

 

「—————……………」

 

 

 しかしその姿を。

 アーサー王は本当に、痛々しいモノを見るかのように眺めていた。

 隣のマーリンとは大違いだ。

 もしかしたら、彼女が聖杯探索に赴くのを今からでも止めるんじゃないかと思う程である。

 天塔の縁に置かれた彼の両手は、気付かぬ内に強張っていた。

 

 

「心配しなくても、彼女は必ず生きて戻ってくる。

 生霊や悪霊よりも彼女はしぶといからね。たとえ彼女の鉄の心が砕けたところで、葦のように戻り、そして再び研磨して戻ってくる。

 彼女はずっとそういう者さ。心が強いとか弱いとかそういう次元じゃない」

 

「だから……僕は怖いんだ」

 

 

 俯き、アーサーは自らの拳を眺める。

 一年前のあの日、あの時。

 彼女の手を引いていれば——このような結末にはならなかっただろうか?

 分からない。

 ただ、怖かったのだ。

 今の自分が、あの日あの時の選択を迫られたら——また同じ選択をするだろうと考えている事が。

 

 

「マーリン。君は、彼女の何を知っているんだ?」

 

 

 そして今回も、彼女を引き留めなかった。

 自分よりも華奢で——傷一つもない真っ白な彼女の手を。

 アーサーは振り返る。

 そこにいるのは、叡智を修めた魔術師だ。

 神域にして天才。魔法の領域にある神秘すら扱い、人類史の中で頂点の一人に君臨する賢者の微笑み。

 今ばかりは、その微笑みを優しげなモノとは思えない。

 

 

「含意が広いなぁ。具体的には?

 ……と言いたいところだけど、君としては何が分からないのか分からない、という感じなのだろうね。隠し事をするな、という意味の方が正しいかな」

 

「分かっているなら正直に答えてくれ。

 君は彼女に何をしたんだ? 何を教えた?」

 

「…………」

 

 

 マーリンは視線を逸らす。

 気不味いから視線を逸らした訳じゃない。

 困ったように、どう返答したらいいか悩むように、微笑みのままマーリンは視線を逸らす。

 

 

「特に、何も。

 キミが想像しているような事は何もしてないよ。

 彼女は彼女自身の力で再び立ち上がり、ボクはそれに応えた。

 ボクは少し背中を押したくらいだし、彼女の思想を変えたり思考を決定付けるような事は教えてない。今のとこ出来る気もしないし」

 

「……………」

 

「教えたとするならモルガンだけだっただろうけど……まぁあの悪女があの子を縛り付けられたとは思えないしね」

 

 

 マーリンの微笑みに、自覚無き嘲りが交じる。

 彼女は既に、モルガンの物ではなく自分の物だと考えているようだった。

 マーリンが彼女を物と捉えているかは定かではないが、そのようにアーサー王は形容した。

 

 

「それに、ボクでも知り得ないし分からない事はある。

 流石にこのボクでも全知全能は遠い。例えば、聖杯の在処とか」

 

 

 そう告げると、マーリンの瞳がヒトならざる輝きを纏う。

 千里を見通し、現在の全てを見通す魔眼。

 マーリンの瞳は決して未来視ではない。

 時には、その予測が外れる事がある。

 特に、彼女に対しては。

 特異点——彼女はそう定義するのが相応しいくらいには、マーリンの予測を上回った。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 

 

「彼女は……本当なら戦える容体じゃない」

 

 

 アーサー王が視線を戻す。

 そこにはもう、彼女達の姿はない。

 絞り出したようなアーサーの言葉に、マーリンの瞳が元に戻る。

 

 

「そうだね」

 

「今も、あの日の彼女を想起する。

 ずっとあの日から、彼女の全ては止まったままだ。

 痛々しい、あの姿のまま」

 

「そうだね。ベディヴィエールも悲しんでいた」

 

「分からない………今も悩んでいる。無理矢理にでも彼女を止めるべきだったかどうかを……」

 

 

 彼の苦悩を表す表情は、俯きで隠れる。

 円卓の騎士の前でも、玉座の中でも見せない王の苦悩。

 それが、たかが一人の少女に向けた罪悪感で簡単に露呈するなどと民が知ったらどう感じるのだろう。

 ただ、一つだけ言えるのは。

 彼女の功績に対して与えられた報いだけで、この国が沈むに足る事だけだが。

 

 

「そういえば、以前彼女はこう言っていたよ」

 

 

 風に口(ずさ)むように、マーリンが告げる。

 

 

「私はきっと、足を止めた瞬間に死んでしまう。

 だから私は死ぬまで戦うのだと」

 

「……………」

 

「キミが幸せを願う彼女は、いつまでも九年前の少女のままなのかな。

 それにキミが剣を渡した騎士は、鳥籠の中の鳥でいる事を望む人なのかな。

 ボクはそうは思わない」

 

「…………それを、本当に彼女が言ったのか」

 

 

 俯いたまま、振り返る事なくアーサーは問う。

 

 

「彼女は本当に、誰にも助けを求めたりしなかったのか」

 

「…………」

 

「答えてくれマーリン。

 もう、誰にも、彼女の本心が分からない」

 

 

 マーリンは答えない。

 名残惜しそうな微笑みのまま、花の魔術師は風に身を任せる一輪の花のように佇んでいる。

 

 

「それこそ、聖杯に汲んで貰うしかないかもしれないね」

 

 

 不意に、マーリンが呟く。

 それはまるで、選定の剣を引き抜く時に言祝いだ予言のように。

 マーリンの声色は、選定の剣に手を掛けたアーサーの背中に投げかけた花の魔術師の時と同じだ。

 

 

()の杯が真に万能の願望器足り得るのなら、彼女自身の奥底にある本心を汲み上げるだろう。

 聖杯とは本来そういうものだ。

 本来は形として観測出来ない奇跡。人々の願いと祈りを貯める物。

 救済主の杯はそのように満ちる」

 

「マーリン………——君は本当に、何を知っているんだ」

 

 

 再びの問い。

 しかし疑問ではなく確信を以ってアーサーは問い質していた。

 花の魔術師の瞳には、一体どんな未来が見えているのか。

 花の魔術師は、彼女に何を見出しているのか。

 彼女の方からも、マーリンとの話は全く聞かない。

 彼女とのマーリンの間には、彼女達しか知らない何らかの繋がりがある。

 

 

「うーん。彼女に与えられる報いの形くらいかな」

 

「…………」

 

「でもねアーサー。

 ボクは、これだけは言えるよ」

 

 

 困ったように、マーリンは笑う。

 

 

「彼女は結局、とても良い子だ」

 

「………そうだね」

 

「あぁ、そうだとも。

 結局、彼女は目の前で起こる理不尽と悪虐を赦せない。

 アレがその証左だよ。肉体的にも、精神的にも死を受け入れながら、結局、彼女は立ち上がるんだ」

 

「………………」

 

 

 "——私は生きて、義務を果たさなければならないのです"

 

 意図せず、鮮明に甦る。

 昨夜、彼女と交わした最後の会話。

 彼女を止めようとして、結局止められなかった日。

 

 

「だから、彼女は必ず聖杯に辿り着くよ」

 

 

 "私は神など信じていません"

 "私は、全てが嫌いです"

 "何もかも嫌いです。何よりあの日——"

 

 

「そして絶対、聖杯を無駄にはしない」

 

 

 "アーサー王。私はきっと、聖杯を破壊するでしょう"

 "でも本当に……本当に"

 

 

「必ず、あの子は世界を救って来るさ」

 

 

 "もしも世界を救えるなら———"

 

 

「もしも世界を救えるならね」

 

 

 "その時は、私の負けですね"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—172:38:15— 

 

 

 

「アサシンが死んだか」

 

 

 

 冬木ハイアットの最上階にて、呆気のない顛末を見届けきったケイネスは瞳を開けた。

 先程まで捉えていた遠坂邸の庭から、ハイアット最上階に構えた自らの工房へと視界が戻る。

 今しがたケイネスが見ていたのは、アサシンと思われるサーヴァントが遠坂のものと思われる黄金のサーヴァントに蹂躙されて消えていった光景だ。

 自らの操る使い魔を以って、確かにその一部始終をケイネスは見届けた。

 

 もっとも最初の一日は他陣営の監視はしていなかったのだが、自らの許嫁の言葉通りに、ケイネスは暫く拠点に篭り他の陣営の監視を続けていた。

 最初の闘志は何処へやら、ケイネスはソラウの言う通りに従っている。

 だがそれも仕方がない。ケイネスもケイネスで言い分はあったが、ソラウの言う事は確かに一理あったし、何よりケイネスは、ここ数日ソラウに頭が上がらなかった。

 

 聖杯戦争の序盤の上等策である、他陣営の監視を怠ったのはまだ良い。

 まだこの土地に慣れぬ身でもあるし、始まりの御三家もケイネスのように敵を探して街に出ているかも知れない。

 だがアサシンのサーヴァントを考えてなかったのは軽率だっただろう。

 ランサーがいるケイネスは大丈夫かも知れないが、それでも配慮にかける行動だったし、何よりランサーに魔力を提供しているソラウはどうなるのか。

 無論、あの魔術工房はアサシンでも突破出来ないだろうが、相手は魔術師では勝ち目のないサーヴァント。万が一という事もある。

 

 ここまでは一理はある言い分でしかなかった。

 

 ケイネスも、ソラウは許嫁だからという理由には関係なく、成る程確かにと頷いていた。

 だが問題はここからだった。

 意気揚々と冬木の街を渡り歩き、しかし相手が見つからずに拠点に帰ったケイネス。

 最上階にて待機していたソラウは、先程の言葉をケイネスにぶつけた後、なんとケイネスの切り札——月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の小瓶を懐から取り出したのだ。

 

 

 "流石に足元が見えてなさすぎるのではなくて? "

 

 

 これにはもう、ケイネスは焦燥と困惑を抱いて、顔色を失うしかなかった。

 焦ってすぐさま懐をひっくり返すが、確かに切り札足る至上礼装がない。

 受け入れ難い事だが、まさかいつも手元に置いてある礼装を拠点に置いたままにしていたとあっては、足元が見えてないのを自覚するしかなかった。

 一体、何故だろう。

 ロンドンから運んで来た魔導機の数々で、僅かとはいえ意識を割いていたのか。もしくは調整用の魔導機の隣に置きっぱなしにしていたのか。

 ケイネスらしからぬ失態だが、事実ソラウが月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を取り出したという事に、自らの過ちだったと受け入れるしかケイネスは選択肢は残されていなかった。

 しかも——ケイネスのいない間に月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)は調整し直して置きました。という言葉もあって、ケイネスはここ数日ソラウに従うしかなかった。

 

 

 

「ではソラウ、私は早速今日中にも市内に降りるが良いね?」

 

 

 

 だが、ようやく動きがあったのだ。

 ソラウの警戒していたアサシンは敗退した。

 これでもはや闇討ちなどは警戒する必要はなく、ランサー陣営は好きに動く事が出来る。

 月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が自らの懐にある事も確認したし、万全の気概を込めて、ケイネスはソラウに告げた。

 

 

 

「えぇ、そうして……」

 

 

 

 唯一気掛かりなのは………何やら——ソラウの体調が少し優れない事だろうか。

 ケイネスが許嫁の言葉通り拠点に籠ったのは、それも一つの理由である。

 貧血気味の彼女ではあるが、最近立ち眩みが酷い。何より朝が辛いのか、ここ数日、朝は眠たそうにしている。

 ケイネスが月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を喪失していたその日も、ケイネスが帰って来た時……ソラウは眠っていた。

 

 やはり、この国の空気が良くないのかも知れない。

 自らの勇姿をソラウに示す舞台であったのだが、当の本人の体調が優れないのであれば早めに切り上げるべきだろう。

 ケイネスはこの聖杯戦争を手早く終わらせるべく、早速ランサーと市内へ降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "地を這う虫ケラ風情が、誰の許しを得て面を上げる?"

 

 "貴様は(オレ)を見るに(あた)わぬ。虫ケラは虫らしく、地だけを眺めながら死ね"

 

 

 遠坂邸の屋根の頂にて、君臨するかのように立ちはだかる黄金の騎影。

 そして霊体から実体へと移り、遠坂邸の結界を守る要石に手を伸ばしていた骸骨の仮面の騎影。

 その二騎の交戦が、第四次聖杯戦争の最初の戦闘だった。

 

 しかし……果たしてそれは戦闘と呼んで良いものだったか。

 実力を競い合うやり取りなどはなく、邂逅にしては当然過ぎ、小手調べにして一方的な蹂躙に過ぎたそれ。

 だからそれは、例えるなら神罰と称するのが正しいのかもしれない。

 知らずとはいえ、神の領域に足を踏み入れ裁きを喰らった不埒者。

 その不埒者を迎え討った、圧倒的にして神々しい圧力を放つ者。

 そこに一切の是非はない。故に情状が酌量される事もない。

 上から下。天から地へと裁きが堕ちるように、その戦いは極めて一方的に終わった。

 

 

 

「さて、首尾は上々………と」

 

 

 

 雨のように降り注いだ、宝剣宝槍の群れ。

 黄金の波紋より現れたそれは、全てが絢爛なる装飾品のような武具であり、そして何一つ同じ物はない。

 肉を切り裂くのみならず深々と地を穿つ宝具の轟音を、遠坂時臣は自室の椅子にくつろいだまま聞き届けた。

 

 これで予定通り、他のマスター達はアサシンが脱落したと思い込むだろう。

 アサシンを操る綺礼は、聖杯戦争の約定に従い監督役の教会に保護される。

 そして綺礼は、教会に篭ったまま他陣営を監視し、そこで得た情報を以ってアーチャーを優位に勝利させるのだ。

 

 

 

「つまらぬ些事でこの(オレ)から時間を奪った事の弁解があるなら申してみるがいい。時臣」

 

 

 

 魔術師の呟きに合わせて現れたのは、空の星々も月の輝きすらも恥じらう、壮麗にして神々しい威容を誇るサーヴァント。

 つい先程、屋根の上から侵入者を処刑した黄金の騎影。時臣が召喚したアーチャーだ。

 傍らにて実体化したアーチャーの真紅の瞳は、時臣を怜然に捉える。

 その真紅の双眸にあるのは、明らかに人のものではない威圧感。見つめられた者全てを萎縮させずにはおかない、神威にも等しい輝き。

 しかし時臣はその瞳に怖気付く事なく、端然とした態度を崩さずに椅子から立ち上がり、アーチャーへと一礼を取る。

 

 

 

「恐れながら、王の中の王足る御身の光輝を知らしめる必要があると判断した次第にて」

 

「ほう」

 

「今宵の仕儀は、より煩瑣なお手間をかけぬようにと今後に備えた露払いでございます。

 斯くして英雄王の威光を知らしめた今、もはや徒に噛み付いてくる野良犬もおりますまい」

 

 

 

 臣下としての礼を尽くす時臣。

 その頭蓋に落とされる圧力に未だ翳りはない。

 変わらず、真紅の双眸は時臣を冷たく捉えたままだった。

 

 

 

「しばらくは野の獣共を食い合わせ、真に狩り落とす獅子がどれなのか見定めます。どうかそれまで、今しばらくお待ちを」

 

 

 

 そしてその言葉を以って、時臣は英雄王への弁明を締め括った。

 マスターとサーヴァントの関係にしては考えられない程に謙った態度だが、高貴なる者の何たるかを弁えていると自負している時臣にとって、自らが招いたアーチャーに礼を尽くす事には戸惑いはない。

 唯一、不満………というか不安があるとするなら、つい数日前からか。

 

 ——アーチャーが己を見る目が変わった事、くらいだろう。

 

 しかしその心内を表に出す事はなく、時臣は礼を尽くしたまま英雄王の言葉を待つ。

 頭を垂れたまま、礼の姿勢は崩さなかった。

 だが、黙ったまま自らの頭蓋に視線を落とし続ける英雄王の圧力は、然しもの時臣も冷や汗を禁じ得ない。

 故に、礼の姿勢を取る時臣は気付けない。

 不穏な眼差しの英雄王が、その実——愉快そうに口角を上げて、不気味な微笑みを浮かべている事には。

 

 

 

「良かろう——有象無象の雑種共を間引くと言ったその口車にしばらくは乗ってやろうではないか」

 

 

 

 怖じる事のない態度が功を奏したのか、アーチャーは酷く上機嫌に嘯いた。

 数日前までの、あらゆるモノに何の興味もないと言わんばかりの態度とは大違いである。

 召喚当時と比べればだが、そこまでの労力はなく、アサシンの襲来に合わせてアーチャーを屋敷に留めて置く事に時臣は成功していた。

 

 

 

「確かに、この(オレ)(まみ)えるのは真の英雄だけで良い。

 貴様の采配が済むまで、(オレ)は散策で無聊を慰めていよう。丁度良いモノも見つけたからな」

 

 

 

 召喚されてより、アーチャーは一夜として大人しく遠坂邸に留まっていた試しはない。

 時臣の意向を無視し、冬木市を気侭に闊歩する有り様のアーチャー。

 魔力経路のパスすら絶たれたままなので、この英雄王が何処で何をしているのか分かったモノではない。

 しかし数日前——突如として、アーチャーは比較的遠坂邸に留まるようになり、上機嫌に酒を呷るようになっている。

 昼間は変わらず冬木市を闊歩する始末だが、何か変化があったのは明確だろう。

 

 

 

「………何かお気に召されたのですか? 現代の世界を」

 

「いいや? 現代は度し難いほど醜悪だ。それはそれで愛でようもあるがな」

 

 

 

 時臣の考えに反し、アーチャーは不気味な微笑を浮かべたまま呟く。

 感情に変化はない。

 このサーヴァントは、極めて上機嫌にしか見えない佇まいのまま、この世界を気色が悪いモノと断じている。

 

 

 

「仮に、我が寵愛に値するモノが何一つない世界であったのなら、無益な召喚で(オレ)に無駄足を踏ませた罪は重いが……——まぁ良かろう。その無礼は不問に付す。

 聖杯とやらがどの程度の宝であれ、(オレ)はこの茶番以外に愉しみを見出した」

 

 

 

 では果たして、英雄王ともあろう存在が一体何に興味を示したのか。

 数日前からの変化は些細なモノであるが、このサーヴァントの喜悦というモノは何処か得体の知れない……そんな理解の及ばない不気味さを持っている。

 

 

 

「あぁなに、気にする事はないぞ? 時臣。

 (オレ)の言葉に耳を傾ける事はすれども、何も含意を同じくする事は望んでおらん。貴様は貴様の采配を成せば良い」

 

「……恐縮であります」

 

 

 

 不意に時臣の心内を読み取ったが如く、嘯いていたアーチャーの眼差しが時臣を向いた。

 上機嫌さに反比例して、不穏な圧力さを伴うアーチャーの眼差し。

 例えるならそれは、改善の余地がある人間を笑顔のまま切り捨てるような、一種の冷たい無関心さの表れのようだった。

 時臣の態度の何に琴線を触れたかは分からないが、アーチャーはニタリと更に笑みを深くした後、踵を返し霊体となって霧のように姿を消していく。

 

 

 

『あぁ——ところでだが時臣。

 獅子を狩り落とすと傲岸にも嘯くのなら、せめて手足は整えておくべきではなかったか?

 貴様の言う獅子こそが、最も狩りを得意とする者なのかも知れぬのだから』

 

 

 

 去り際、脅かすような言葉を残して、黄金の圧力が室内から消えていく。

 アーチャーの威圧感がようやく無くなったところで、ようやく時臣は礼の姿勢を解き、深い溜息を吐いた。

 

 

 

「…………はぁ。一体アーチャーは何に機嫌を良くしたのか」

 

 

 

 それだけが、本当に不明極まりない謎である。

 数日前、突如として喜悦を得たように機嫌を良くした英雄王。

 それだけなら良いのだが、いかんせん【単独行動】のスキルを良い事に冬木市を自由に闊歩している英雄王だ。

 動向が分からないだけに、何やら不気味である。

 いや………真に不気味なのは、良くした機嫌に反比例して、得体の知れない眼差しと態度が増えた事かも知れない。

 見る目を変えた、とも言うのだろう。

 ただその見る目は、家臣の礼を尽くす召喚者から………いずれ狩り落とされる事が決定した家畜を眺めるような、そんな冷酷な瞳だ。

 

 

 

「……まぁ良い。当面のところは綺礼に任せておけば大丈夫だろう。今のところは予定通りだ」

 

 

 

 そう呟いて、時臣は窓から庭を見下ろす。

 その傍ら。彼の魔術礼装である、樫材のステッキの頭が月明かりに触れた。

 握りの頭に象眼された、生涯を懸けて錬成して来た特大のルビーは——空の月明かりに、昏く赤い雷のような光を宿していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—171:30:22— 

 

 

 外来居留者の多い冬木市は、教会の利用者が他の街に比べて多い事で知られる。

 それを配慮してか、極東の地でありながら西欧の教会と遜色無い壮麗な拵えが施された冬木教会。

 無論、一般信者達への憩いと信仰の場とは面向きであり、冬木教会は聖杯戦争を監視する目的で聖堂教会が建てた拠点だ。

 当然ここに赴任する神父は第八秘蹟会の者と決まっている。

 

 

 "聖杯戦争の条約に従い、言峰綺礼は聖堂教会による身柄の保護を要求します"

 

 "受諾する。監督役の責務に則って、言峰璃正が貴方の身の安全を保障する。さぁ奥へ"

 

 

 何もかも事前に取り決められていた事だ。

 時臣氏との仕組まれた交戦も終え、このような形を則り、保護された形で教会に篭る事でようやく定められていた茶番が終わる。

 現在、綺礼とアサシンの関係はそこまで悪くはない。

 元々、サーヴァントはサーヴァントとして扱い接する予定だったが、今はある程度の仲間意識があった。

 これと言ってデメリットがある訳ではなく、敵対しているよりは友好的な関係の方が良いだろうと綺礼は受け止めている。

 

 今も彼ら彼女達アサシンは市内の様々な場所に潜伏している。

 敗退して教会に逃げ込んだマスターが、未だアサシンを従えているという脅威は、これから極めて優位に働くだろう。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 予定通り、冬木に居を構えてから充てがわれている自室のドアを開けた瞬間だった。

 まるで誤って他人の部屋に入り込んだような違和感に囚われた綺礼。

 見た目や匂い、温度という訳でもない。雰囲気としか形容出来ない空気の感触が変質していたのだ。

 思わず警戒が強まる。

 このように変質した空間の気配を感じ取ったのは二度目。

 嵐の静けさの中、死神が横を抜けていったような感覚は、未だ綺礼に焼き付いたままだ。

 ただしいて言うのなら、今回はまるで宮廷の一室にいるかのような、そんな煌びやかな気配だった。

 

 

 

「——アーチャー?」

 

 

 

 その、ただ我が物顔で寛いでいるだけで空間を変質させている人物の姿に、綺礼は驚きで眉を顰める。

 燃え立つようだった黄金の髪を下ろし、エナメルのジャケットにレザーパンツという現代風の服装に身を包んだ青年。

 ただ紅玉の如き双眸に宿る冷たさと、全身から溢れる王気にも似た波動だけは、黄金の甲冑をしたあの姿と何ら遜色はない。

 遠坂時臣が召喚したアーチャーのサーヴァント。

 今次聖杯戦争に於いて、間違いなく最強であろう英雄王ギルガメッシュが、何ら悪びれた様子もなく綺礼の一室にて酒瓶を傾けていた。

 

 

 

「数こそ少ないが、時臣の酒蔵より逸品が揃っている。

 雨音を肴に呷るのには、中々風情ある代物だな。案外貴様はけしからん弟子のようではないか」

 

「……………」

 

 

 

 綺礼の前のテーブルには、アーチャーが利き酒をしたのだろう酒瓶がずらりと並んでいる。

 どうやらこの英雄王は、この異常気象を一掃しようとは考えていないらしい事には安心した。

 最近では、実体化した上で冬木市を闊歩している英雄王が、この雨風を邪魔だと考えて宝具を空に向けて放つんじゃないかと、やや冗談で済ませないような気配で時臣氏が愚痴にしているのを綺礼は聞き及んでいる。

 いや……雨風を遮る逸話の宝具などは、別段特別な物ではなく、英雄王の蔵にはありふれた物なのかもしれない。

 人間には疎ましい嵐も、自然の風流として酒の肴にする姿に、綺礼は感心よりも呆れが勝ったが。

 

 何せ、相手は勝手に押し掛けて来た酔漢。

 たとえあの英雄王であろうともだ。

 この酒蔵群が、心の空白を満たす程の味覚に出会えるのなら酒精に溺るのも悪くはないと……袋小路に行き詰まった果ての残骸だとしても、綺礼には歓迎する気になれない。

 

 

 

「一体、何の用だ?」

 

 

 

 感情を殺して綺礼は問う。

 英雄王の来訪の意図は判じかねたままだが、タイミングがタイミングだ。

 遂一刻も前に、アサシンとアーチャーが申し合わせた交戦をしたばかり。

 何か癇癪を買ったという可能性もある。

 そもそも、アーチャーが此方に訪れる事で二つの陣営が得られるメリットはない。

 

 

 

「まぁそう警戒するな。

 いやなに、丘を登る貴様の後ろ姿が余りにも哀愁を誘うモノだったのでな、思わず気に掛けてしまった」

 

 

 

 しかし綺礼の内心に対して、アーチャーは綺礼の姿を面白そうに眺めながらグラスを傾けていた。

 アーチャーの浮かべた笑みは、その視線を相まって意味深だ。

 しかもまさか、アサシンを遠坂邸に差し向けた後の動向を付けられていたらしい。

 

 

 

「哀愁を誘う、だと?」

 

「そうとも。

 まるで迷子になった幼子のような後ろ姿であった。

 いや、迷える小羊と称した方が正しいかもしれん」

 

「……………」

 

 

 

 どういう次第かは知らないが、教会に向かう丘の道中すら、このサーヴァントに監視されていたようだ。

 気分は良くない。

 一応は同盟下にあるとはいえ、本来なら敵対した勢力のサーヴァント。

 それも時臣氏が手を焼くあの英雄王だ。要らぬ諍いを引き起こしては堪らないし、父上や時臣氏に今の光景を目撃されるのも面倒である。

 

 

 

「ならば早々にここから立ち去るが良い。

 私はお前のような者を満足させる男ではない」

 

 

 

 謙る訳でもなく、撫然と突き返す言葉にアーチャーは特別機嫌を損ねる事なく綺礼に応じた。

 

 

 

「それはお前ではなく(オレ)が決める事。

 しかしな、正直あの男は余りにも退屈に過ぎる。改めるまでもなくお前の方がまだ面白味があるだろう。あの館は窮屈で仕方がない」

 

「凡そサーヴァントとは思えない言い種だな」

 

「ではお前はどうなのだ? 綺礼とやら。

 何やら煩わしい関係を早々に断ち切りたいようだが」

 

 

 

 やおらに、アーチャーの人間離れした赤い瞳が輝きを帯びる。

 真意を見透かすような瞳は、遠慮もなく暴き立てるように綺礼を見据えた。

 

 

 

「………確かに聖杯戦争のマスターという役割も、魔術の世界というのも私には関心が無い。

 今は自らに与えられた責務は早く肩から下ろしたいとも感じてはいるだろう」

 

「ほう。だがまさか、あの時臣に義理立てがある訳ではあるまい?」

 

「義理もなにも、私が時臣氏と結んだ同盟は三年前から取り決められていた事だ。今更自らの感情で態度を変える間柄でもあるまい。

 それを聞くなら、私のアサシンをお前に差し向けた事に関してはすまなかった。一応、形式上の謝罪はしておこう」

 

「良い。アレは時臣の采配だ。

 万能の願望器に懸ける願いといい、つくづく面白味の欠片もない男よ」

 

 

 

 ほとほと、アーチャーの態度に呆れかえる余りに、綺礼の中では英雄王の不躾極まりない居座り様の腹立ちも、来訪の真意を訝しむ気持ちも薄れつつあった。

 流石にアーチャーの言葉のような、つまらない男と時臣氏を評価する訳ではないが、三年間も彼に師事すればどのような人物像かは嫌でも分かる。

 自らの生き方を、信念を正しく全う出来得る何かで定義した男。

 父と、同種の人間。

 彼らのような人間と自分との間に引かれた越えようのない一線を嫌でも意識させられて来た綺礼には、アーチャーのような不躾な態度がある種痛快に思えたのかもしれない。

 既に綺礼は、この傍若無人なサーヴァントの存在を容認しかかっていた。

 

 

 

「……その割に、お前は契約に不満は無さそうだが」

 

 

 

 態度とは裏腹に、英雄王は中々上機嫌である。

 自らのマスターを面白味の欠片もない男と称する割には、アーチャーは絶えず微笑みを浮かべたままだった。

 不気味な赤い瞳は、憂いに翳る訳でもなく何か遠くを眺めている。

 

 

 

「うむ。これが中々に得難い環境にいる事に気付かされてしまった。

 時臣自身には特に見所などないが、時臣を取り巻く環境に付いては別だ。

 ……これが何とも如何ともし難い。酒瓶の開封を他人に取られてしまったようなものだが、奪った本人がそれを極上の美酒へと作り変えようとしている。

 これでは甘露に期待すれば良いのか癇癪を起こせば良いのか分からん」

 

「どういう事だ、アーチャー?」

 

「いやなに。彼奴はな、自らの認識に固執したまま、最後の最期まで瞳に理解を灯す事なく、目の前に空いた奈落に引き摺り込まれて死ぬのよ。

 決定的な場面で自らの生きる道を確信したまま。自らの足に嵌められた鎖が、既に奈落へと繋がっている事にも気付けず」

 

「……………」

 

「いや、気付いたのなら気付いたで一興はあるかもしれん。

 嵌められた鎖を外そうと足掻いたところで、自らの手は空を切るだけだろうからな」

 

 

 

 アーチャーはグラスを傾け、酒を呷る。

 自らのマスターに対する物言いにしては余りにも恐ろしく、血も凍るような宣言だった。

 つまるところ、アーチャーは自らのマスターが無様に死ぬと確信しており、その死に様に辿り着くまでに、どれほど見応えがあるのかを夢想しているのだ。

 思わず綺礼は、内心で乾いた笑いが出てしまう。

 自らの在り方を定め、困難な道乗りを強固な信念で踏破しようする遠坂時臣の生き方を、固執した認識から変化しない浅はかなものだと酷評した、この英雄王ギルガメッシュ。

 このようなサーヴァントでは、時臣氏が手を焼かない方がおかしいのだろう。

 

 

 

「——そういうお前はどうだ? 綺礼。

 用意周到な癖に、自らの道に間違いはないと足元を疎かに横断する時臣をどう称する?」

 

「そのような事、三年の師事で納得済みだ」

 

 

 

 求められた返答をする訳でもなく、綺礼は撫然と返す。

 だがそんな綺礼の態度に、機嫌を損ねるばかりか期待したような面持ちと微笑みでアーチャーは促した。

 酒精に関して何も言わないにしても、英雄王は酒瓶を傾けグラスに注ぐ事に何の抵抗もなく、逆に綺礼が呆れる程に酒を進めている。

 

 

 

「確かに、時臣氏は準備段階に於いては一分の隙もなく優秀であり用意周到だが、いざ実際に移す段になると足元を疎かにする面があるのは私も否定しない。

 魔術師らしいと言えば、らしいのだろう。だがそういう些末な部分に気を配るのは私の役割だ」

 

「ほう、それで?」

 

 

 

 不意に、英雄王の眼差しに不穏な圧力を感じる事に気付く。

 今の説明で満足しなかったのか、英雄王は次の言葉を催促しているようだった。

 

 

 

「……故に、別段不満などない。

 何をすれば良いのか理解している。

 私が召喚したサーヴァントも、最初からそういう役割だった」

 

 

 

 そう言って、綺礼はアーチャーに対する言葉を締め括った。

 これ以上の回答はない。

 もはや更なる回答をする気はないぞと、綺礼はアーチャーの瞳に咎める。

 

 するとアーチャーは、満足したように言葉なくニンマリと破顔していた。

 しかしそれは、親が子を誇らしげに思うようなモノとは余りにも程遠く結び付かない、凶々しい笑み。

 揶揄う笑みとも違う。

 英雄王の内心を考えれば、人智から掛け離れた、思わず鳥肌がする程の冷たい笑みを前に、自然と綺礼は身を硬くした。

 

 

 

「——本当に惜しいなぁ、貴様。

 (オレ)が二番目である事が悔やまれる」

 

「…………どういう意味だ?」

 

「そう気にするな。

 己が執着を追えば、自ずと道は見えるだろう。

 ……やはり甘露に期待すれば良いのか癇癪を起こせば良いのか分からんな」

 

 

 

 吟味するような赤い瞳が外れる。

 傾けたグラスに映るアーチャーの瞳は、酷く愉しげで、時臣氏から愚痴聞かされていたモノとは想像も付かない程に上機嫌だった。

 

 

 

「まぁ今宵は、お前が目を凝らしている限り時臣が万全だろうと分かったのみで収穫とする。

 事を急く時間でもない。無駄な時間を割く気は起きんが」

 

「まるで時臣氏の安全は、自身には関係がないと言っているような言い草だな、アーチャー」

 

「何を当然の事を。それは奴自身が如何に対処するかの問題だ」

 

 

 

 注いだ酒を飲み干し、アーチャーは平々淡々と告げた。

 サーヴァントに在るまじき言葉だが、アーチャーの唯我独尊にもう慣れてしまった綺礼は、特に反応する事なく視線で次の言葉を促す。

 

 

 

「確かにこの身の現界を保っているのは時臣の供物によるモノであり、何より彼奴は臣下の礼は取っている。

 時臣の、礼は尽くせど萎縮する事のない端然とした態度がこの時代中々望むべくもない事は、(オレ)も理解しておる。

 だが時臣の問題を(オレ)が解決しなくてはならんとなれば話は別よ。

 不遜にも王の威光に縋りながら、自らの庇護をも王に任せたのならば、それはもう臣下ではなく愚物に過ぎん。応える義理はなくなるな」

 

「民なら違うのか?」

 

「民でも変わらん。

 尽くすのは王ではなく民であり、王は民から捧げられた身命を収穫する者だ。

 そも、(オレ)が与えるのは庇護ではなく試練と恩情。与えられた庇護では腐り落ちる」

 

 

 

 グラスを傾けながら淡々と語る様が、今ばかりは少し違って見えた。

 冷酷非道にして唯我独尊、何もかもが自分を中心に回っているとしか思えない態度のサーヴァントにしては、思いのほか筋の通った発言だったと綺礼は独り言ちる。

 何より、一理あるなと内心で頷いてしまったのだ。

 つまるところ、自分の問題は自分でなんとかしろと言っているのとそこまで大差はない。

 

 

 

「そうまで現代の世界が気に入ったのか?」

 

 

 

 ただ結局、英雄王は時臣氏を慮んばからないサーヴァントである事は変わらない。

 常日頃から気儘に冬木市を闊歩する皺寄せが此方に来るとなれば、綺礼としては溜息を吐くしかなかった。

 英雄王がこの時代の大衆に何かの関心を惹かなければ、まだ遠坂邸に留まっていたのか。

 

 

 

「いいや。思わず一掃したくなる程には醜悪極まる」

 

「何?」

 

 

 

 そう考えていたのに対し、英雄王は何の躊躇いもなく一蹴する。

 自らのマスターにも、この時代の人間にも鼻を鳴らす英雄王が、一体何を期待しているか分からない。

 ただ、だとするなら。

 

 

 

「………では何だ。お前が興味を惹かれた者に出会ったというのか」

 

「まぁ、そうであるな」

 

 

 

 時臣氏が言うには最近不気味な程に機嫌が良いと語っていた。

 つまり、この常識外れのサーヴァントに普通と説いて良いのか分からないが、普通に考えて何か突然の出会いがあったという事だ。

 だが、まさか本当にそうだったとは綺礼には思いも寄らなかった。

 解せない表情の綺礼に、何が面白いのかアーチャーは悠然と微笑みながら、聞いてもいない人物の話を語り聞かせて来る。

 

 

 

「これが中々に不遜に過ぎる者でな。

 堂々と物言いのする輩にしても、あそこまで不敬極まれはすまい。

 アレが(オレ)の時代に居たら、世界全てを敵に回すどころか星を敵に回しかねん程よ。逆に感心するどころか此方の肝が冷えるわ」

 

「聞いた限りでは、想像を絶する程の愚か者にしか思えんが」

 

「愚か者かどうかは知らんが、想像を絶するのは確かだな。

 (オレ)に感嘆の息を吐かせたのは数える程しか居らん」

 

「…………その人間、一体何なのだ?」

 

 

 

 思わず、綺礼は反射的に問い糾した。

 今までアーチャーが語って来た言葉の数々を思えば、かなりの執着である。

 絶賛して褒めているのか、呆れて貶しているのか判断が難しいが、どちらにしろ時臣氏と比べればアーチャーの熱量が違うのは確かだ。

 

 

 

「なに………この(オレ)専属の庭師にするか悩ませたのだ。

 何より顔が(オレ)の好みである。今のところほんの少しばかり趣味嗜好と外れてはいるが、それを補って尚アレは良い。

 もしやもすれば……いや………それはまた語り合うしかなかろう」

 

「…………女か?」

 

「あぁ。中々得難い小娘である」

 

「………………」

 

「そのような顔をするな、綺礼。

 何も(オレ)は手当たり次第に女を見染めている訳ではないぞ?

 少しばかり(オレ)とデートしたが、斯様な身でありながら見る眼が有って興が湧いたのでな」

 

 

 

 誰の許しを得て(オレ)を見ている……などと本気で言う程のアーチャーが認めた相手が、女だったという事で綺礼の解せない表情が氷塊していく。

 英雄色を好む、という言葉にこの英雄王が当て嵌まらない理由は何もない。

 むしろこの、人類最古の英雄こそそれを体現する男であるのだから、尚更だったか。

 綺礼は呆れ顔で、時臣の災難に思いを馳せていた。

 アーチャーが小娘にうつつを抜かしていたと知れば、時臣氏の眉間に深い皺が刻まれる事だろう。しかも一介のサーヴァントが、自らのマスターではなく無関係な小娘の方を高く買っているのだ。

 もしかしたら、あの時臣氏が自分自身のマスター適性を自問自答してしまうかもしれない。

 

 

 

「これは確信なのだがな」

 

 

 

 黙考する綺礼の横顔に、アーチャーは微笑む。

 舌舐めずりする蛇のような、凶々しくも艶やかな笑みだった。

 

 

 

「綺礼——お前もあの小娘と対面すれば、何かが変わるかもしれんぞ?」

 

「……遠慮しておこう。そういう趣味は私にはない」

 

 

 

 そもそも綺礼には、女というものに良い思い出がなかった。

 思い出したくも………考えたくもない記憶ばかりだった。

 故に、アーチャーからの誘いに応じる必要などない。

 それ以上に思考は進める事なく、綺礼は撫然としたまま英雄王の言葉を断る。

 

 

 

「ふむ………ならば良い」

 

 

 

 そう言い切って、アーチャーはグラスを飲み干した。

 先程の邪な含み笑いはいとも容易く形を潜める。

 這い回るような執着さも薄れ、まるで興味を失ったと錯覚する程にアーチャーは手を引いたのだ。潔いにしては、不気味である。

 

 

 

(オレ)がそう急かす必要もないしな。

 お前の堅物さが少しずつ変わっていく様を愉しみにしておこう」

 

「私が——お前のように女とうつつを抜かすと言いたいのか?」

 

「さぁな。そこは知らぬ」

 

 

 

 まるで何もかも見透していると言わんばかりのアーチャーが、ここに来て不意に呆気のない言葉を放つ。

 興味がないが故の言葉とは違う、今までの英雄王の発言に秘められていた真意が、今の言葉にはないような気がした。

 

 

 

「ただまぁ、(オレ)としてはどちらでも良い。

 本当に得難い感覚だ。(オレ)が手を下す必要もなく、他者の足掻く様を眺める機会などそう有るべくもないからな。

 安心すると良いぞ? 綺礼。お前の答えは直に知れる」

 

「………………」

 

「ただ少しばかり近道は用意させてやろう。

 そうだな、まぁまずは(オレ)の話に付き合え。

 歳下の小娘の話と侮っていては、痛い急所を突かれるかもしれんしな」

 

「お前はその、雑種と侮った小娘に急所を突かれたのか、アーチャー」

 

「それは(オレ)の知るところではない。

 だが………この酒を使えば分かるかも知れん。

 (オレ)の蔵の物には数歩足りんが、試金石には丁度良かろう。

 底の見えない穴へ我が財を放る前に試しておかねばな」

 

 

 

 自らの酒瓶を握る英雄王の姿を見て、今更ながらアーチャーに対して全くの抵抗感を抱いていない事に綺礼は気付く。

 全く歓迎出来る筈もないこの酔漢に、ワインのボトルを目の前で剥奪される様を見ながら、不思議と神経には触れなかった。

 この三年間で見て来た、父上とその同類である時臣氏と全く正反対な、この唯我独尊のサーヴァントがある種の清涼剤的な役割を綺礼に与えたのかもしれない。

 然程、溜め込んだ酒類にそこまで執着がなかったのもあるだろう。

 むしろ、このサーヴァントが興味を示したというその女に、この酒がどういう役割を果たすのか、綺礼は内心で気になり始めていた。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 黙する綺礼の姿を許諾と取ったか、アーチャーはワインボトルを手にしたまま立ち上がる。

 動いたというだけで、照明が揺らいだかのような錯覚をする程に、この英雄王は空間を支配していた。

 侵食と言う方が正しいかも知れない。

 人智を凌駕した人ならざる者は、原理的な本質部分から人の世を狂わせるのだろう。

 

 

 

「そうだ、綺礼。

 お前の哀愁に免じて一つだけ教えてやろう」

 

 

 

 輝きが翳り、綺礼の一室が殺風景に戻る手前。

 英雄王は部屋から出るその瞬間、影に背を向けながら答えた。

 

 

 

「お前が(オレ)に差し向けたアサシンの事だが、そう嘆くな。

 影如きではそもそも昏い穴の底など呑まれるだけで役には立たん。地を這う有象無象など、千居たところで変わりは済まい。

 それにな綺礼。アレは今、(オレ)の手によって指一つが欠け落ちた程度だが、どうせもうすぐ——両手足が落ちる」

 

 

 

 人間離れした赤い瞳に、極めて無関心極まる冷たい宣言を以って、英雄王はアサシンの敗北を断言した。

 

 

 

「…………」

 

「ではな、綺礼。

 気が向けば、次はお前に雨除けの指輪でも下賜してやろう」

 

 

 

 黄金のサーヴァントが部屋から出て行き、空間を支配していた王気が消えたところで、ようやく独りになれた綺礼は肩の力を抜いた。

 短いようでいて、長い夜だった。

 それも、あのサーヴァントによる所が多いだろう。

 振り返って見れば、気付かぬ内に英雄王の言葉を真剣に聞いていたものだ。

 仮にも神の御家の下。そこで自分の存在が異物に感じる程の存在感、目には見えざる気配によって変質した空間が、逆に平常に思えて来る。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 変質した空間という事に凄まじい既視感を覚えながら。

 綺礼は一人静かに、瞳を閉じた。

 

 

 


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