騎士王の影武者   作:sabu

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 天に挑む価値
 


第9話 宵の凶星 

 

 

—sometime somewhere— 

 

 

 「ぐっ……が゛、ッ…………貴様、一体何者だ———」

 

 

 首根を掴まれ、壁に叩き付けた反乱分子の男が問いかける。

 城の構造は疾うに把握されていた。

 裏口は潰され、隠し扉は破壊され、目に付く者は全て殺害された。

 残りは最後の生き残りと思わしきこの男のみ。

 

 

「さぁ、そんな事もう忘れた」

 

「ふざけ、——おって……」

 

 

 それは彼女がまだ幼く、そして自らの心を置き去りにするだけで良かった時代の話だ。

 ただ心を無にし、最も早く敵を殺める手段だけで事足りていた時代。

 人々と同じ世界を共有出来ていた時代。

 彼女にまだ、報いが与えられていなかった時代。

 無論、生涯の前期後期で彼女の生き方が何もかも変わったという訳ではない。

 だから彼女を、何を考えているか分からない無機質な戦闘人形と見ている者なら、その違いは何も分からないだろう。

 

 

「それで、他に生き残りは? お前達は何を企んでいた?」

 

 

 ただ唯一変わらないのは、彼女の無慈悲さと容赦の無さか。

 齢十程度のこの時代、キャメロットを訪れた騎士となってから数週間で、彼女は既に後の生涯を彷彿とさせる生き方をしている。

 返答を待たず、彼女は叛逆者の指を一つ捻り折った。

 切り落としはしない。

 血が面倒だからだ。

 それに必要とあらば、次に切り落とせば良いだけの話。

 アグラヴェイン卿の教えを、彼女は忠実に守っている。

 

 

「…………ッ、……ッッ………!」

 

「無駄口を叩けば切り落とす。反抗すれば腕を落とす。

 早く答えろ。そこまで寛容にはなれない」

 

 

 ブリテン島の騎士では非日常であっても、彼女にとってそれは日常の日々だ。

 血と死に塗れた殺戮の日々。

 彼女がまだ、剣を振るだけで済んでいた日々。

 だからなんて事はない。

 国に仇なす人間を粛清する事など、彼女にとっては当たり前の事だった。

 

 

 

「誰が貴様などに情報を渡すモノか…………っ」

 

「……………」

 

「お前の後ろにいる騎士王に伝えると良い………必ず貴様はその報い——」

 

 

 その言葉は続かなかった。

 予備動作はなく、躊躇もない。

 彼女はいっそ鮮やかに、無言で剣を振り抜いた。

 その鋭過ぎる切り口を見て、粛正騎士隊の一人が呟いた事がある。

 あの少年騎士は実際に人を殺め、その手応えが伝わる瞬間にさえも、一切の邪念を抱かない。

 あれは騎士ではない。

 もっと違うナニかだ、と。

 

 

「気骨はある類だった」

 

 

 簡単に情報を吐く者は指一本で吐くが、吐かない者は手足を失おうが吐かない事を、彼女は実体験で良く知っている。

 何より、叛逆者の瞳が雄弁にそれを表していた。

 何度も見て来た瞳だ。

 自らの死や苦痛よりも重い何かを、天秤に載せている者。

 この人間は情報を何も渡さない。

 だから時間の無駄だった。

 まぁそもそも、引き出したい情報などは大してなかったが。

 

 彼女が求めていたのは、所謂証拠の裏付けだ。

 先程の人間に暗示が使えれば早かっただろうが、あそこまで隙がなく、一種の狂気を瞳に焼き付けている手合いの類には、暗示は難しい。

 思考を引き寄せて騙すのは得意でも、精神を操って情報を引き出すのはまた系統が異なる。

 もう少し精度が上がれば少し話は違うかもしれないが、彼女にはまだ魔術の師と呼べる者がいない。

 

 

「……………」

 

 

 彼女は無言で、先程の人間の遺体を確認する。

 手持ちに何か情報に繋がる物はなし。

 それなりに頭が回る人間だったらしい。

 あの男は自分の役目は確かに果たしたのだろう。

 残念ながら、人間以外の化け物も想定していたらの話であるが。

 

 

「何を企んでいたのやら」

 

 

 彼女は自分の懐から、彼らが何者かと繋がっているであろうやり取りが記された羊皮紙を取り出した。

 それは、先程の人間に尋問する前から既に見つけていたものである。

 他にも幾つかの証拠品や武器、物資の類も見つけていた。

 分散して、巧妙な形で城の中に隠すという危機回避をしていたようだが、それも全て無駄だった。

 剣や槍といった物の解析を彼女は得意としている。

 城の構造、設計図、図解……それら全ても把握出来た彼女に、隠し扉や抜け道の類などは何の意味も成していない。

 だから引き出したい情報などは特にない。

 ただ精査したかっただけだ。

 

 

「…………」

 

 

 死体のある部屋のど真ん中で、彼女はペラペラと羊皮紙を捲り続ける。

 その時不意に、彼女は扉の方へ肩越しに振り返った。

 

 

「不用心ですね。私に殺されたい類の者で?」

 

「うっわ………マジかよこれで気付かれんのか」

 

 

 彼女の言葉に反応し観念したように現れたのは、皮肉気に顔を顰めた金髪の青年。

 何処か近寄り難い雰囲気が全身から溢れている騎士だ。

 整った美形だが、人間嫌いのような雰囲気をより強める事にしか働いていない、稀有な青年である。

 

 

「………へぇ。あの円卓の一翼を担う者がここにいるとは。覗き見とは悪趣味ですね」

 

 

 見る人が見れば分かるだろう。

 彼はこの騎士道を誉れとする島国で、良い意味でも悪い意味でも有名な人なのだから。

 

 

「…………」

 

 

 その彼——サー・ケイは彼女を一瞥する。

 凡そ、まともな殺され方はしてないだろう死体。

 その隣で、平然と読み物を解読している騎士。

 しかもそれが年端もいかない子供と来た。

 彼は嘲るように表情を変える。

 

 

「———ハ、成る程。こりゃあ聞いた通り、極め付けにどうしようもない奴らしい」

 

「はぁ」

 

「しかもまさか出会い頭に殺害予告とは。なんだ? お前は血に飢えた猪か?」

 

「初めまして、ケイ卿。仔犬の癖に血に飢えた猪を煽っていては、いつ踏み潰されるか知れたものではありませんよ」

 

「はぁ………自覚ありかよ。これは本当に度し難い愚か者だな」

 

「あぁすみません。自己判断も危機回避も疎かな貴方を、頭の良い仔犬と称するには間違えていましたね。火に飛び込んで焼け死ぬ虫と呼ぶべきでした」

 

 

 冷ややかな応酬を互いに返して、二人は沈黙する。

 流れるような言葉の斬り合い。

 傍から見れば、それは剣を使わず、いきなり殺し合いを始めたようなものだっただろう。

 だが片やキャメロットで一番の弁舌家で、片や血と死の日々に身を置き続けた子供。

 普通の騎士達はおろか円卓の騎士達も、言葉という剣を振り下ろしていると称したそれは、二人にとって素振り程度の意味合いしかなかった。

 

 

「テメェ……アグラヴェインからの入れ知恵か?」

 

 

 ただ、その片方の彼は眉を顰めて聞き糺す。

 初対面で、まるでサー・ケイの何もかも把握しているような言い草の彼女。

 当たり前のように斬り返して来た事と言い、年齢の割に頭が回るにしては、彼女は少々手強過ぎる。

 

 

「いえ別に。ただ貴方の人となりを知っているだけです。

 あまりに不用心で、あまつさえ生き残りと誤認されかねないように私に近付くような愚か者とは流石に知りませんでしたが」

 

「ほーう? まさかオレとは違い、貴方のような最年少で騎士になった御方が、味方と敵を間違えるような方とは全く以って思ってもおりませなんだ。

 実は彼の少年の騎士は、周り全てが敵に見えているような臆病ものだったと?」

 

 

 劇を語るような物言いのケイに、彼女は感情を交えずに返す。

 

 

「はい。私は臆病なんです。

 だから私以外の全ては敵だと思っているし、いずれこの手にかけても何も思いはしないでしょう。勿論、貴方も」

 

「…………ほぉ」

 

 

 目線が細まる。

 目が笑ってないとは、今のケイの事を言うのだろう。

 ただ彼女は、変わらず私情などは交えず、関係ないもののように再び羊皮紙をペラペラと捲り始めた。

 一瞥すらない。

 彼の事などどうでも良いと思っているかのようだ。

 しかし徹底した無関心の彼女に対し、彼は慮らず問い糺す。

 当然だ。仔犬と呼ばれたことへの反抗心で、彼は気が済むまで彼女に噛み付く。

 

 

「というかお前………オレがこの程度で容易く死ぬような人間に見えてんのか?」

 

「はい。容易く死ぬと思います。

 当然何の前触れもなく。そして意味もなく。

 本当に小さな事で、貴方は命を落とすタイプの人間です」

 

「……………言うじゃないか、お前」

 

「言いますよ。貴方のように、自分の無力さを噛み締めながら吠え面をかく人間を私は知っているので」

 

「……………」

 

「あぁ今のは貴方を貶した訳ではありません。

 吠え面をかく事もなく頭を垂れ、そこで自らの魂を腐らせる有象無象より、貴方は何十倍もマシな人ではありますから」

 

 

 その発言に、何かしら思う事があったのかもしれない。

 ケイは神妙な顔をして腕を組んだ。

 その後、ぼそりと呟く。

 

 

「めちゃくちゃ捻くれてんな」

 

「自己紹介ですか?」

 

「………お前、ノータイム且つ全力で反撃してくる癖どうにかしろよ。オレみたいに嫌われ者になるぞ?」

 

「それは願ってもありませんね。

 私も騎士達が嫌いなので。

 というか、私はそれ相応に返してるだけです。

 いわゆる鏡。貴方が無駄口を叩かなければ良いだけでしかない」

 

 

 呆れたように鼻を鳴らしてから、彼女は続ける。

 

 

「で、何のようですか。

 あのケイ卿が私の間合いに不用心に近付いてきたのですから、誰かに監視でも命じられました? それも私にバレないように」

 

「………ハ、だからこういう手合いは嫌いなんだ。

 何もかも表面上で、自分の発言も感情も武器にして相手を翻弄する輩が」

 

「自己嫌悪ですか?」

 

「うるせぇ黙ってろガキ」

 

 

 彼女の発言に、ケイ卿は顔を苦々しく歪めた後、直球で吐き捨てた。

 ここに円卓の騎士やアーサー王が居たら驚いていただろう。

 皮肉気に笑うサー・ケイが、辟易した顔で眉を顰めていたのだ。

 

 

「………はい。じゃあ黙ってるので説明をお願いします。

 私も仕事中なので手短に。後は捻くれた発言とかもなしで。面倒くさい」

 

 

 ようやく矛を収め、剣の斬り合いというより鉈の振り回し合いに等しかった言葉の応酬が終わる。

 ケイは腕を組みながら、扉を背中に預けて口を開く。

 彼女は変わらず、羊皮紙を眺めたままだった。

 その事を、ケイは別段咎めも揶揄もしない。

 彼女は、言葉を聞きながら物を読む程度の事は当たり前に出来る類の人間だと認識したからである。

 

 

「はぁ……お前の言い分は、まぁ合っているようなもんだよ。

 監視ではなく御付きを命じられたようなものだが、アイツに限っていえば監視だ。観察って言っても良い。

 蟻の行群を楽しく眺めるガキのような、そんな無機質さで」

 

「…………アイツとは?」

 

「マーリン。花の魔術師」

 

「…………—————」

 

 

 やおらに、彼女の佇まいが冷ややかにして刃のような鋭さに変わる。

 敵を前にして、意識を鋭利に研ぎ澄ますかのような変わりようだ。

 それだけで、彼女がどれ程あの魔術師を警戒しているのか伝わる。

 

 

「私はまだ、あの魔術師と一度しか出会ってませんが」

 

「あぁ、あの闘技戦の後のアレか。

 一度出会っただけでそれだけ警戒してんなら、オレがお前になんか説明する事あるか? 事情は察せるだろ」

 

「………………」

 

「まぁ序でに………色々と聞きたくもない真実も聞かされてんだがな………」

 

 

 不意に、ケイが疲れ切ったような顔で呟く。

 彼女から視線を逸らし、ぼそっと口から溢したそれはケイの心境を表した独り言のようだっただろう。

 

 

「はぁ……たく、あのクソ女。こういう手合いが趣味か。こんなのは弟だけで充分だっての…………」

 

「…………何か」

 

「別に? あの気持ち悪いくらいに小綺麗な顔は……そうだな、ボコボコになれば良いのに思ってただけだ」

 

 

 そのケイの心境を、彼女もまた不明瞭な形で感じていたのだろう。

 彼女は仮面の裏から眼差しで問うが、即座にはぐらかしたケイと、続けられる言葉で無理矢理問い糺す事が出来なくなった。

 

 

「という訳だ。まぁよろしく頼むぞ——嬢ちゃん」

 

 

 その瞬間だった。

 自らの性別を明かすサー・ケイの言葉に。

 何の躊躇もなく——彼女は剣を振り抜いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—154:14:29— 

 

 

 

 冷たい風が吹き荒れる。

 雨の交じる悪天候は高所のビルの屋上も相まって、人がいて良い環境の場所ではなかった。

 その中、黒のコートを風にはためかせる少女。

 良く見れば、彼女は雨に打たれながらも一切濡れていない。

 

 

 

「サーヴァント………だと?」

 

 

 

 得体の知れない少女の言葉に、アサシンは驚愕するしかなかった。

 しかし同時に、何処か腑に落ちる言葉でもある。

 自らをサーヴァントだと名乗った目の前の存在。

 確かにこの女をサーヴァントとすれば諸々の疑問は氷塊する。

 より致命的な違和感と共に。

 

 

 

「その通り。私は"キャスター"。聖杯戦争の七騎に於いてそこまで強力ではないとされるサーヴァント」

 

「…………」

 

「お初にお目にかかる、アサシン」

 

 

 

 本当に目の前の人間はサーヴァントなのか。

 それは、当の本人自身の宣言で氷塊した。

 確かに目の前のサーヴァントのクラスが何だとするならキャスターであるのかもしれない。

 いや、どのクラスのサーヴァントにしても目の前の少女は異質だっただろう。

 サーヴァントとしての魔力量も、英霊としての存在の厚みも、目の前の少女から感じられないからだ。

 いやそもそも、魔術師ほどの圧力すらなく、そもそも魔力自体を感じられない。

 取るに足らない相手——……そう考えるのが適している筈。

 筈なのである。

 

 

 

「まぁそう警戒しないで欲しい。

 もしかしたら、話せば意外と話の分かる奴かもしれないじゃないか。

 そうやって此方に分からない考えを巡らすのは私に酷だ」

 

 

 

 では果たして——これが仮にも聖杯戦争に身を置く者の佇まいであるというのか?

 闇に潜む者として、アサシンは目の前の少女に底抜けの黒い奈落のような印象を受ける。

 仮にキャスターだとしても、人としておかしい程の危機感の欠如。

 その上、現代に溶け込む衣服をしたこの存在は極めて異質に過ぎる。

 交戦の意志すらなく、武装や防具といったサーヴァントとしての装備も出さない。

 剣や槍、弓に騎馬、杖などと言った真名に繋がる装備も、身を守る鎧や霊衣も。

 不自然な程の自然体でアサシンに話しかける少女は正気の無いバーサーカーのようにすらも思えて来るが、確証は何もない。

 ただ得体が知れないから。たったそれだけで、一般人にしか見えない——少女の形をしたナニかに、アサシンは手を出せない。

 

 

 

「お前は、一体何だ」

 

「何と言われても、先程答えた通り。

 それにほら、私はこの通りキャスターらしい貧弱なステータスをした、か弱いサーヴァントだ。刃で斬りつけられたら容易く死んでしまう」

 

 

 

 変わらず警戒心の欠片もない。

 無自覚に嗤うが如き軽薄な態度で、当然のようにアサシンから目を逸らす。

 次の瞬間には、得物を抜いているしかないこの状況でだ。

 意にも介さないというのは、きっとこの女のような事を言うのだろう。

 

 

 

「だからほら、隣のアサシンを説得してくれ」

 

 

 

 ボソリと、その女は呟いた。

 

 

 

「私は近接戦に恵まれた体なんてしてないんだ。

 短刀を投げられたら私も戦闘態勢に入らないといけなくてはならなくなる。

 私を殺してしまったら情報を引き出せなくなるだろ?」

 

「お前を倒せるならば、情報を引き出す必要はない」

 

「あぁ、それは困った。

 じゃあ私も宝具で抵抗するしかない。キャスターらしく、私の陣地を利用した宝具で」

 

「………………」

 

 

 

 目を逸らしたまま、声色を変えずに話す。

 金色の瞳には映っていないのに、まるで空から監視されているような錯覚で背筋が冷えた。

 ここは、キャスターの特性である【陣地作成】のスキルで構成された工房・領域ではないのだ。

 目の前の女から情報を引き出す事を諦め、速攻撃破する事を重要視した隣の個体は、このまま交戦に入るかで揺れている。

 事実、それもありだっただろう。

 得体の知れない存在は、何か隠し種のスキルや宝具を使用される前に撃破すれば良い。

 だが情報が何も分からない限り、それが最善手である確証もない。

 そう、何も確証など無いのだ。

 このサーヴァントに耳を貸さずリスクを払って撃退を目指すか、ここから逃亡し他の個体に情報を託すか。

 しかし情報を託すにしても、現在把握しているのはこの存在が自らをサーヴァントと名乗った以外の情報はない。

 逃げられるという、確証もない。

 主導権は、この女が握っている。

 

 

 

「なぁ、そう逸る必要があるのか?

 そう慌てる必要もない。別に私は大した存在じゃないし、話にも応じる。

 折角こうして言の葉を交わし合えている幸運を噛み締めて、少し私とお話ししようじゃないか」

 

 

 

 やられた。

 思わず彼は、隣のアサシンを制止ながら歯噛みする。

 このような存在にこそ、アサシン達は捕捉されていけない筈だった。

 このサーヴァントがどれほどの脅威なのか、マスター等の背後関係を探ってから事に当たるべきだった。

 状況は完全にこのサーヴァントに掌握されている。

 何よりこのような早期に、アサシンは生きていてしかも複数個体で存在出来ると把握されてしまったのが痛い。

 隣の個体のように、損切りとリスク覚悟で撃破するのも充分手の内ではある。

 だが——

 

 

 

「お前は、何が目的だ」

 

 

 

 このサーヴァントもまた、明確な敵意がある訳ではない。

 そもそもこのサーヴァントとて、アサシンとの出会いは予想外だった筈だ。

 会話の余地があるという事は、リスクだが同時にチャンスでもある。

 それは目の前のサーヴァントも同じ考えだろう。

 得体の知れないキャスターと、同じく相手からしたら得体の知れないアサシン。

 四騎士クラスの中でも特に、どれだけ自らに有利な状況を作り出せるかどうかで脅威度が急変するサーヴァント同士。

 アサシンは、目の前のサーヴァントの誘いに応じた。

 

 

 

「だからさっきから言ってるだろう?

 私は世界を救いに来たと。私が動かないと、誰も彼も諦めてしまうから」

 

「………まともな会話が通じる者とは思えないな貴様。

 話に応じる? ならば精神汚染のスキルを治療してからものを言え」

 

「いやぁ心外だ。

 私の目的は、本当に人類へと助け船を渡しに来ているだけなのに。

 むしろ私は誰よりも正気な筈だ。この聖杯戦争に於いて、私以上に世界の事を考えているサーヴァントはいないぞ、きっと」

 

 

 

 握る短刀の柄に力を込めたのは、半ば無意識だった。

 弄ばれているような怒りもあるが、何より気味の悪い不気味さに警戒したのだ。

 会話に応じるつもりなどなく、良いように翻弄されているような感覚。

 悪びれた素振りも危機意識も欠けた目の前の存在は、人として何かが致命的に破綻しているようにしか思えない。

 目の前のアレが、人であればの話だが。

 

 

 

「ふむ………ダメだな」

 

 

 

 アサシンが警戒していると、不意に興が削がれたように目の前のサーヴァントは呟いた。

 

 

 

「…………何?」

 

「いや別に。ただ心底退屈なだけだ。

 もっと生死を競い合うような、剣の斬り合いのような……そんな言葉の応酬だったら、私も少し、息を吹き返す事が出来たような心地がしたのにな」

 

 

 

 本当に、心底残念がるような顔。

 それはアサシンを嘲るというよりは、何かを懐かしんでいるようなモノに見える。

 

 

 

「あぁ別に、お前達を嘲っている訳じゃない。

 いや今のは嘲っているのと同じか………まぁ気にしないで欲しい。

 何より其方が不利なのは当然だ。

 私はアーチャーに倒された振りをしてアサシンが生き残ってる事も、単一の個体ではなく複数の総体として活動している事も把握しているのに、お前達は私の事を何も知らない。

 しかも私はお前達に何も言葉を投げ掛けないと来た。これは全く以って仕方がない。ここで私から情報を引き出し揺さぶる方が異常だとも。

 そんな人間は、口先だけで火竜を追い返せるような人だけだ」

 

「………」

 

 

 

 静かに、アサシンは警戒度を上げた。

 精神汚染のスキルを保有しているのかと考える程に常軌の逸した存在に見えて、その実、油断も隙もない。

 今一番、アサシンが警戒しなくてはならない話題を突拍子もなく出し、当たり前のように把握している。

 次の行動と言動が予想出来ないというのは、それだけで単純に脅威だ。

 無論、アサシンも目の前のサーヴァントをつぶさに観察し、考えや心理を読み取ろうとしている。だがそれでも分からない。

 分かるのは、目の前サーヴァントはアサシン達に欠片も危機意識を抱いていないという事と、自らの情報を完璧に秘匿している事。

 気を抜けば、いつの間にか冷静さを失いそうだ。

 癇に障る言葉全てが演技だと言われても納得する。

 自らの言葉一つ一つ、此方の怒りも警戒も、全てこの女の手の平にあるのだろう。

 

 

 

「さて、ではどうしようか」

 

 

 

 このサーヴァントは、手強い。

 それこそ、アサシン数十体でも手玉に取られてしまいそうな程には。

 飄々とした態度とは裏腹に、底抜けの不敵さを油断なく孕んだ正体不明のサーヴァントは語る。

 

 

 

「私としても聞きたい事はあるが、それを馬鹿正直に答えてくれる訳もなく、最悪私をここで撃破しなくてはならないと特攻されたらすぐに勝負が付いてしまう。

 私は白兵戦向きの能力はしてないしな。お前達と矛を交えるつもりもないし」

 

「…………」

 

「では私はここで刃を向けて交戦するより、少しでも情報を引き出した方が良いと判断し続けてくれるよう、ベラベラ喋り続けよう」

 

 

 

 手はひらひらと、交戦の意思はないと表すように目の前のサーヴァントは微笑む。

 

 

 

『現在キャスターと遭遇している。他に個体はいないか』

 

 

 

 その裏で、アサシンは他の個体へと念話を続けるが反応がない。

 隣の個体をここから離脱させ、最低限且つ最重要の情報を総体全てに共有したいが、恐らく目の前のサーヴァントはそれを許さないだろう。

 慢心し隙だらけな様子でいて、このサーヴァント、目だけが笑っていなかった。

 動くのは口と頬。だが目尻や眉、瞳は一切動いてない。

 遅まきながらアサシン達は気付いた。

 この目の前の女、微笑みを浮かべる口を除けば——ずっと無表情だ。

 

 

 

「質問はないのか? じゃあ私から話題を作ろう」

 

 

 

 アサシン達の態度の何かがきっかけだったのか、金色の瞳をした少女のサーヴァントは言祝ぐように口を開く。

 

 

 

「もしも世界を救えるとしたら、お前は世界を救うか?」

 

 

 

 それはまるで物分かりの悪い子供に、優しく道徳を教えるような、賢者が如く。

 ふわりと雰囲気が変わった。

 不気味で得体の知れない微笑みはそのまま、無機質に透き通る瞳だけが、何処までもヒトならざる雰囲気を醸し出す。

 いや元からそうだったのだろうか。

 分からない。このサーヴァントの思考形式と脈絡の無さは、決して頭が切れるからというだけの理由ではない予感がした。

 

 

 

「…………それは多くの人間、多くの賢者が目指して来た到達点であり、そしてあらゆる英雄英傑が辿り付けなかった理想だ。考えるだけ、無駄でしかない」

 

「それは本当にそうだろうか?

 主の奇跡を信じて祈りを捧げるように、遠い理想に想いを馳せ、実現させようと思考と仮定を繰り返すのは無駄ではないと私は定義するが?」

 

「…………何を言わせたいのか甚だ疑問だが、世界を救うなどとは定義が曖昧過ぎる。そんな事はどうとでも言える」

 

「なるほど。確かにそれは正しい。

 世界というから意味合いが濁る。人類と定義しよう。

 私は人類を救いに来たが、世界がどうなろうと別に大した興味もないしな」

 

 

 

 不意に、彼女はアサシンから視線を外し、背中を向ける。

 彼女の眼下にあるのは、冬木の街並み。

 眺めているのは、冬木ではなく人々か。

 

 

 

「貴様………聖杯を使い、人類の救済を願うつもりなのか?」

 

「いや、別に私は聖杯を使うつもりなどない。

 究極的にいえば、この聖杯戦争に参加している誰が勝とうと、如何なる願いを持っていようと私には関係ない。

 そもそも私は、既に一度、聖杯を使った」

 

「——何………?」

 

「更に言えば私にはもう願いはない。

 全ては夢のまま。私の祈りは疾うに消えていったとも。

 ……あぁいや、私にはまだ願望があったな。

 まだあの、どうしようもない破綻者の小娘を殺してない」

 

 

 

 何でもないような様子で流された言葉には、無視してはならない情報量があった。

 様々な伝承に点在する聖杯、願いを叶える願望器だが、その奇跡を目の当たりにし尚且つ使用出来る機会にあった者は驚く程に少ない。

 先程の言葉達が全て真実とするならだが、このサーヴァントは第四次聖杯戦争の中で最も警戒しなくてはならない一騎にして、最大の異端。

 聖杯を使用した過去がある英霊など、もはや聖杯戦争のあらゆる前提も常識も通用しない。

 

 

 

「では次の話なんだが。

 ——もしも世界が突如滅ぶとして、その滅びの原因を解決したら、それは世界を救ったと言えると思うか?」

 

「………お前は、何を知っている?」

 

「さぁ。今のお前達には分からないだろう——百貌のハサン」

 

「………………」

 

「英霊の座とはそういうものだからな。

 時空の矛盾が発生しないよう、自分の記憶も記録も制限される。羨ましい限りだ」

 

 

 

 はっきり言って、これは自らでは手の打ちようがない事態だとアサシンは悟った。

 この女の発言が真実にしろ、嘘にしろだ。

 全てを判別する時間も、精査する時間もない。

 虚言であしらわれている可能性や、精神汚染による錯乱も考えた上で、自らのマスターの判断や、アーチャー陣営に対処して貰わねばならない脅威だと、アサシンは確信した。

 

 

 

「なるほど……本当に何も知らない状態のままか」

 

 

 

 彼は離脱を図り、隣の個体はこの女に攻撃を仕掛ける。

 それが今の最善手。相手がどう来るか分からない以上、損切りも兼ねながら最低限の情報は持ち帰る。

 撃破出来るのなら御の字だが、そのような楽観視はしていない。

 腰を落とし、態勢に入った瞬間だった。

 

 

 

「なら許せ」

     "擬似人格、停止"

 

 

 目の前の女から、口元の笑みすら消えた瞬間、不意に体が動かなくなる。

 思考の空白。身体の違和感。遅れてやって来る驚愕。

 まるで金縛りになったように、指先一つすら麻痺したように動かない。

 何故だ。その疑問すら停止していた。

 

 

 

「私は未だ、死体にしか安心出来ないんだ」

      "第二宝具、凍結。宝具偽装展開。真名封鎖"

 

 

 まるで先程とは雰囲気が違うこの女は、何もかもただの演技だったと言わんばかりの無表情で呟く。

 その言葉が意味するところは何か。

 それは、これから何が起こるかを考えれば、血も凍るように凄惨な宣言だっただろう。

 視線はアサシン達には向けられず、まるでいない者のように振る舞うこのサーヴァントの無関心は、凄まじいまでの傲慢さと慢心の顕れだ。

 

 あぁ、だがそう——この"サーヴァント"は、それが許されるのだ。

 

 どうして今まで気付いていなかったのだろう。

 まるでそこに恒星があるような存在感。それ程の圧力。それ程の重さ。

 何もかもが、違った。何もかもが、同じではなかった。

 霊基の格が違う。

 霊核の規模が違う。

 総魔力の桁が違う。

 魔術師と比べても桁違いと称される、陽炎に揺らめくサーヴァントの魔力すら、この目の前の存在では塵に等しい。

 この少女の形をした何かは、この冬木の地全てを侵食する規模の圧力と魔力を放っている。

 そうそれは——英霊と神霊と差にも等しい程の違い。

 だから、今更になってアサシンは気付いた。

 身体が動かないのは、身体が本能的な恐怖で機能を停止させたから。

 ただそれに、精神が追い付いて来なかっただけの話なのだと。

 

 だからだろうか。

 この土壇場で、アサシンはある光景を思い出した(知覚した)

 彼ら特有にして固有の能力。人格の分散による記憶処理。時に、分割された個体の知覚を共有する【蔵知の司書 C】というスキルの発露。

 アサシンは視た。

 月下の光の中、神々しくも燦然と輝くその威容。

 圧倒的な威圧感に、ただ恐怖するしかなかったその記憶。

 否——果たしてそれはただの記憶だろうか?

 今のこの状況と同じでは無かろうか?

 

 

 

「あぁだがどうして捕捉されたのか。

 私はお前達の本来の巡回ルートからは外れている筈だったんだが。

 アーチャーがお前達を手引きし、色々話した可能性を今も尚無視出来ない」

      "“一糸(いっし)”、纏繞(てんじょう)。転身開始。"

 

 

 だから彼は、同じ構図で呆然と空を見上げる。

 そこにあるのは、眩く光る燐光の切先。

 月下の光の中、神々しくも燦然と輝く一条の煌めき。

 全てが違う。しかし、何もかもが同じだったのだ。

 

 それは黄金の波紋ではなく、天に蠢く嵐。

 忽然と顕れる無数の宝具ではなく、黒い暗雲全てがたった一つの宝具。

 武具が風を切る唸りではなく、神の力の具現である雷霆の唸り。

 

 アサシンには、全てが分かった。

 いやそもそも、何故アレに気付かなかったか。

 突如冬木市を襲った異常気象。冬木市を中心として、外界を遮断している嵐。

 アレは全て——この女の宝具であり、具現化した魔力の総量だ。

 キャスターの【陣地作成】とは規模が違う。

 この女は、冬木に自らの陣地を作製したのではない。

 この冬木市全てが、このサーヴァントの領域なのだ。

 

 指先を動かした瞬間に死ぬ。

 逃げようと動いた瞬間、抵抗しようと短剣を抜いた瞬間、死ぬ。

 否、肉体を動かそうと判断し、それを実行に移す刹那で——頭蓋を狙い撃ちし、霊核をも貫いてくる。

 あの嵐の下、冬木市の地上にいる全生命は、アレに命を握られているのと同じだ。

 この女に危機感が欠如しているのも。武装を何も身に付けず、交戦の意思すらないのも、慢心した態度も、視線を逸らすのすらも、全てアレが空にあるからだ。

 

 

 "——血を這う虫ケラ風情が、誰の許しを得て面を上げる?——"

 "——貴様は(オレ)を見るに(あた)わぬ。虫ケラは虫らしく、地だけを眺めながら死ね——"

 

 

 アサシンは思い出し、そして理解する。

 地ではなく、天を仰ぎ見たその対価。

 勝てない。

 アレは、あのアーチャーと同じ。いや、もしくはそれ以上。

 アレは、あの英雄王でなければ勝負にもならない。

 己では勝敗を競うだけ愚かしい程の差がある。

 だから、無数の輝く刃が降り注いだあの瞬間のように、恐るまでもなく、ただ絶望して諦めるしか他にない。

 

 

 

「さて、アサシン。じゃあ改めて私とお話ししようか」

      "星の光よ"

 

 

 光が走る。

 嵐の中に宿る赤い凶星。

 雷霆となって堕ちて来る、神代の理。

 既に狙いは定め終わっているのだ。

 この地表を塗り潰せるだけの魔力量が、天にて一条輝く。

 それは、光に匹敵する速度で堕ちて来る神代の矢。

 

 あぁ、今、このサーヴァントの真名を理解した。

 サーヴァントとしての力も、魔力すら隠していながらそれでも死の気配だけは隠し切れなかったこの女。

 このサーヴァントはあの、死と征嵐を司る——

 

 

 

「お前は一体居れば足りる」

      "雷霆となって堕ちろ"

 

 

 落雷としか判断されない雷が走る。

 されど、アサシンだけは理解したその光が堕ちる。

 そして最後の言葉が耳に届くよりも早く、空から堕ちて来た光がアサシンを貫いた。

 

 

 

 




 
 
【保有スキル解放】

 
 嵐の王 EX
 詳細

 人ならざるモノとして君臨したその証。
 結果的にではなく、最初から騎士王の理想を否定する事を目的とし、しかし更なる災いで本当に塗り潰してしまった者の称号。
 彼女がカリスマのスキルを保有出来なかった理由とも呼ぶ。

 このスキルは、EXランク相当の【陣地作成】と【魔力放出 (雷)】の複合スキルとして機能する。
 また天候を操り赤雷と亡霊のような黒い泥を呼び起こすその姿は、神霊にも等しい重圧を周囲へと齎す。
 一般の人間であれば呼吸する事も出来ず死に至る。
 Bランク以上のカリスマの加護がない場合、もしくは精神抵抗に失敗した場合、全ステータスが2ランク低下、毎ターン恐怖&混乱判定を受ける状態異常、幸運判定成功率ダウン。
 尚彼女の扇動下にある味方だけ、Aランクの狂化を与えたに等しいステータス向上を与える。

 天に挑む価値すら無い者をセンテイする秤であり、カリスマの域ですらない暴威。
 神霊の神威・重圧に匹敵する。




【宝具解放】


 ■■■■■■■■■(■■■■■■■)
    
 ランク E〜A+++…………(計測不能)

 種別  対人類宝具


 詳細【現在一部解放】


 仮想・第二宝具。
 天を覆う嵐。荒れ狂う稲妻。
 その全てが宝具であり、魔力であり、自らの瞳であり、自らの領域。
 星の地表テクスチャを塗り潰し、現代の法則を上塗りし侵食する陣地とも。
 本質は攻撃するモノではなく回収するモノだったが、その魔力量故に神霊の魔術行使に匹敵する攻撃を可能とする。



 現在、冬木市全域がこの宝具の射程圏内。
 
 

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