騎士王の影武者   作:sabu

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 思えばきっと、この日が最後だったのだろう
 


第13話 月の残骸

 

 

—sometime somewhere— 

 

 

 取るに足らない過去があった。

 もはや何の意味もない、無為に消え去った生涯があった。

 星の光を塗り潰す事でしか、己の心に巣食う闇と向き合えなかった、あの日々に。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「お前よ、今の無理した演技だろ」

 

 

 サー・ケイと仕事をするようになってから半年近くが経った日の事だった。

 これと言って何か関係が変わるという訳でもなく、何か進展する訳でもなく、ただただ過ぎ去って行った日々。

 それでもまだ、平穏とされる時代ではあった。

 彼女が人であった頃の時代だ。

 

 

「……何か?」

 

「何か? じゃねぇだろうが。

 盗賊共を煽り倒してボコボコにして、ついでに情報もまとめて引き出してるんじゃねぇ」

 

「………彼らは金銭目当てで雇われただけで、大した事は知らないようでしたよ」

 

「無視すんな」

 

「無視ではなく話を変えただけです」

 

「それを無視って言うんだよ、オレとお前の仲では」

 

「……そうですか」

 

 

 彼女は手の平をパラパラと振り、体についた埃を払い落としながら適当に答える。

 背後には、気絶し倒れた男が十数人。

 治安の悪い場所だ。

 やはりそういう場所はブリテンといえど皆無ではない。

 騎士から落ちぶれた人間というのも、一定数はいる。

 そしてそういう輩を利用する者も皆無ではないのだ。

 もう数年もすれば消える運命だが。

 

 

「で、今のアレは嫌々演技してんだろ?」

 

 

 ケイはどうしてもそれが気になるらしい。

 先程、十数人の男を少女が素手で殴り倒す前、その会話劇。

 何て事のない話術と扇動。身振り手振り。

 それにケイは見覚えがあった。

 あれは、マーリンのと似ている。アグラヴェインのやり口とも似ているかもしれない。

 ただ彼女のはもっと迂遠で、人の心を抉り、曝け出すようなやり方だった。

 言葉と態度。此方の情報は本質部分を出し渋り、相手のペースを乱す。

 相手の意識を思うがまま操り、支配する。

 アグラヴェインよりも更に源流、モルガンと似ていると言うべきかもしれない。

 

 彼女は一つも嘘を口にせず、ただし真実には絶対辿り着かせない。

 全てを語らないからだ。

 マーリンのように、何処か非人間的な得体の知れなさも含んだそれは、傍から見れていて気味が悪かった。

 普段の彼女を知れば知るほどに。

 

 

「……別にそんな事ありませんが」

 

「嫌いな奴は嫌いって言うお前が?」

 

 

 ケイの言い分に彼女は押し黙る。

 きっと仮面の裏で怪訝そう、というか不服そうな顔しているんだろうなと、ケイは場違いな事を考えながら、少女の顔を眺めていた。

 

 

「………私、そんな風なこと言った時あります?」

 

「いや、口にした事は一度もないが態度がそう言ってる。

 あぁこういう奴は嫌いなんだなぁって。特に気取った騎士がいると多い」

 

「そんな態度も出した事ないですけど」

 

「そうか? 慣れるとお前は案外分かりやすいぞ?」

 

「……………」

 

 

 してやったりとした顔でケイは笑う。

 逆に彼女は不服そうであった。

 舌打ちをしないだけマシだなとケイが思える程度には、この頃の彼女には人間味というものがあった。

 

 

「にしても意外だ。嫌いのものは嫌いだって言うお前が、嫌々やっている事があるとは」

 

「言ってません」

 

「絶対お前は、あらゆる手段を講じて改善しなきゃ気が済まないタイプなのに」

 

「………それが何か? 時には手段の一つとして選択肢になり得るでしょう」

 

「魔女の演技が?」

 

 

 それには反応した彼女の態度に、一瞬、殺気が混じる。

 と言っても、普段の態度に比べたらまだマシだ。

 竜とは比べものにもならない。

 彼女の雰囲気に険が増える程度。苛立ちが現れた程度。

 大自然の脈動に匹敵する彼女の場合、殺意と共に放出される魔力で、比喩でもなんでもなく空間が歪曲するのだ。

 それにケイが震え上がるほど、彼女の小さな不満には目も掛けなくなる。

 

 

「なるほど、大嫌いな奴に似るねぇ……」

 

 

 彼女の態度に、ケイは嘯いた。

 本当にアグラヴェインと似て来たようだ。

 魔女嫌いな癖に、やり方や雰囲気が似て来たところが特に。

 

 きっと彼女も辛気くさい顔をしてるのだろう。

 嫌悪という、無関心では克服出来ない感情。

 嫌悪し憎悪すればするほど、脳裏の片隅に影として残るのだから。

 そんなところまでアグラヴェインみたいにならなくて良いだろうに。

 

 

「……………」

 

 

 ケイが感慨に耽っている様子を、彼女は不躾な態度で眺めていた。

 納得のいっていない表情だ。

 

 

「で……? それが何か貴方と関係あるんですか」

 

「なくはないが、あれだ。何か見ていてゾワゾワする。

 マーリンみたいな微笑みが特に。後それが素じゃなくて演技でやってるのが特に」

 

 

 不躾な態度はより一層露骨になった。

 溜息を吐いて、本当に面倒くさそうに彼女はスタスタと歩いていく。

 仕事中の私語はもう止めらしい。

 世間話は無駄な感傷でしかないとでも言わんばかりだ。

 

 

「何故演技だと言い切れるのかは知りませんけど、じゃあ慣れてください。私も直にそうなるでしょう」

 

「いや、無理だと思うけどな」

 

「そうですか。じゃあ放って置いてください。

 これといって意識をする必要もありません。私は最初から変わりません」

 

「違うと思うんだがなぁ」

 

「……じゃあ黙っててください」

 

 

 嫌悪交じりに呟いて、彼女はケイを置き去りしようとする。

 

 

「流石にお前が慣れる事はないだろ、うん」

 

 

 その言葉に、彼女は足を止めた。

 其方か、と。

 サー・ケイが慣れる慣れない、見ていて好きになれないの話ではなかったかと。

 

 

「似るって言ってもあれだぞ、似ているって事は本質的には別って事だ。

 だからお前が魔女になる事は絶対にない。素質がねぇよ。必要だからやってると考えてる時点で。

 周りの奴がみんな嫌いに見えて………お前驚くほど従順で礼儀正しいし。オレには慇懃無礼の塊なのがアレだが」

 

「………………」

 

「騎士嫌いなのは分かるぞ?

 正確には多分、理想とか名誉とかそう言うものが。

 だけどなぁ……だからって自分自身の在り方でそれに歯向かう必要があるか?

 嫌いなら嫌いって宣言してブン殴っても許される歳だろお前」

 

 

 彼女はケイの言葉を黙って聞いていた。

 驚くほど静かに、そして従順に。

 

 

「……知りません、そんな事」

 

 

 ボソっと、彼女は静かに呟いた。

 嫌味を言う訳でもなく、ただ静かに。

 或いはそれは拒絶の言葉ではなく、本当に知らなかったから、そう告げただけだったのかもしれない。

 

 

「まぁでも………貴方が言うなら」

 

 

 ケイから視線を切って、彼女は告げる。

 去り側、背中越しに振り返りながら、小さく呟いて。

 

 

「私はきっと、何にもなれないのでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—153:01:22— 

 

 

 

「危ない所でしたね。肩は貸した方が良いですか?」

 

「あぁ、いや…………大丈夫、かな」

 

 

 

 少女に引き上げられ、尻餅を付いた姿勢で息を整えていた雁夜は、冷静になるほどこの少女を警戒してしまっていた。

 雁夜にとって、余りにもタイミングが良すぎたのだ。

 命を助けられた状況に自分は何を考えているんだ、という罪悪感はあれど、相手は何より、この国では珍しいほどの美少女でしかも外国人。

 当たり前のように市街を歩き、外国人の人間を何の危機感もなく見る事が、聖杯戦争という舞台に参加している雁夜には出来ない。

 

 

 

「本当に大丈夫ですか? これをどうぞ。雨に濡れますよ」

 

「あ、………ありがとう………」

 

 

 

 雁夜の様子を知ってか知らずか、心配そうに覗き込む薄い金髪の女の子。

 手渡して来た傘には、特に変哲もない。

 とりあえずと、立ち上がる余力もないままの雁夜は傘を受け取った。

 冷たい雨を遮る事が出来ただけで、惨めな気分が多少とはいえ静まるのが、どうにも雁夜には複雑だった。

 この差し伸ばされた手が、嘘偽りなら早く教えてくれと願う自分に、ただ嫌気が差す。

 

 

 

「水、飲みます?」

 

「……………」

 

「あぁ、傍から見れば私は怪しい人ですね。不安に思うなら飲まなくていいです」

 

「いや………その」

 

 

 

 とりあえず、服装とか持ち物がおかしいという訳ではないらしい。

 雨傘と小さいトートバッグに、お洒落なミッションスクール風の洋服と、気品のある家の女の子といった姿だ。

 いそいそと、何処でも売ってるペットボトルを取り出すこの女の子は、明らかに雁夜が関わるような人でもなければ、今の雁夜が関わっても良い人間でもない。

 

 

 

「君は、何故ここに………?」

 

 

 

 半ば呆然としたままの雁夜は、至極当然の疑問を口にした。

 

 

 

「知りませんか?

 何やらここから少し離れた倉庫外で原因不明の爆発事故があったらしいですよ」

 

「………………」

 

「まぁ、通報したのは私ですけれど。

 情報が錯綜してますが、過激派団体が犯行声明を出していたとかなんとか。怖いですよね」

 

 

 

 少女に気付かれないように息を呑んで、雁夜はサーヴァント達が争っていたであろう方向を向く。

 雨の中、立ち込める煙に緊急車両とサイレンの光。

 火災に対処しているだろう消防隊の人間と、通行禁止の帯が巻かれた三角コーンが乱立している。

 

 ………監督役の者達はもう既に、隠蔽工作を終えた後なのだろう。

 尋常ならざる破壊が、遥か過去から召喚された英雄達の衝突によるものだと知らず、残された被害に対処する人間しか、あそこにはいない。

 

 

 

「……野次馬かい? 君は」

 

「まぁそうなります。

 一応爆発を聞き付けて通報した人間の一人なので、少し事情聴取を受けましたけど、大した事は何も知りません。

 そろそろ帰ろうかと思っていたら、何やらガコガコと振動するマンホールがあったので、貴方を見つけた次第です」

 

「………………」

 

「救急車、呼びます?」

 

「あ……ぁ、いや」

 

 

 

 明らかに自分が怪しい。

 下水道に隠れ潜んでいた首謀者だと言われたら否定出来ないし、本当にある意味その通りだ。

 どう言い訳すれば良い——そう警戒していた雁夜だったが、続いた女の子の声で我に返る。

 この女の子には、雁夜は首謀者の一人ではなく、爆発による被害者の一人に見えたらしい。

 傍から見れば、火傷で爛れた身に見える雁夜だ。

 身体は痩せ細り、顔色も悪い。

 今もこうして息を整えているのに必死で、立ち上がるのすら困難だった。

 被害者の一人に見えても仕方がない風貌の雁夜だが、きっとこの女の子は根が善良というか、何処か抜けているのだろう。

 雁夜であれば、そもそも振動するマンホールに近付かないし、好奇心で被害現場に暫く残り続ける事もしない。

 少女の善良さに呆れと感謝を向けながら、雁夜は立ち上がった。

 

 

 

「本当に大丈夫ですか? 肩を貸しますよ?」

 

「いや、本当に大丈夫だから………それに今、余り綺麗じゃない」

 

「はぁ」

 

「ごめんね。傘は……ありがとう。

 君は、こんな怪しいおじさんに関わらず早く帰った方が良いよ」

 

 

 

 一般人だとするなら、尚更今の雁夜が関わっていい相手でもない。

 後になってから、怪しまれるという可能性もあるし、何より今の雁夜は休息を必要とする身だ。

 少女を振り切って、雁夜は倉庫街を出ていった。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「何で付いて来るんだ」

 

 

 

 自分の歩く後ろから聞こえて来る、もう一つの足音。

 振り返った先では、あの女の子が素知らぬ顔で雁夜に付いて来ている。

 

 

 

「いやだって、貴方今にも死にそうですし」

 

「……………」

 

 

 

 無言のまま、雁夜はフードを深く被った。

 暗がりの中で、雁夜の顔の様子はちゃんと見えない筈だが、それでも見る者が見れば分かるのだろう。

 死相じみた状態で硬直した顔の左半分に、壊死した眼球。

 爛れた肌には血管が浮かび、破裂した毛細血管から血が皮膚に滲み出ている。

 もしかしたらこの女の子は……目が見えてないんじゃないかと思ったのはただの勘違いだ。

 分かった上で、この女の子は反応しなかっただけ。

 もしかしたら医療従事者か、身近な人に雁夜のような人が居たのかもしれない。露骨な反応は、人を傷付ける。

 そもそも、存外に血の匂いというのは雨の中でも誤魔化せない。

 

 

 

「タクシーでも手配します? お金も出しますよ?」

 

「……自分が言うのも何だけど………もし俺が害意を持っていたら君は危ない目に遭っていたって自覚はあるのかい?」

 

 

 

 歩きながら、雁夜はこの少女の危機感の無さに呆れた声をかけた。

 その裏で、少女の存在を半ば受け入れかかっている事も自覚しながら。

 

 

 

「それを言う人間は大抵善良な人間だ……なんて言い訳よりもはっきり伝えますか。

 正直貴方に襲い掛かられても瞬きの間に返り討ちに出来るので、特に恐怖とかはないですね。指先一つで事足ります」

 

「ははは………」

 

「それよりも貴方が倒れてしまう事の方が不安です」

 

 

 

 少女の遠慮ない発言と、それもそうかと自分自身で思ってしまった事に雁夜は半笑いになる。

 そもそも少女が手を下す必要もなく自滅する可能性すら無視出来ない。

 そんな雁夜からすれば、少女の言い分も良く分かった。

 今にも倒れそうな末期患者を見たら、襲い掛かられる恐怖よりも目を離したら死ぬんじゃという心配の方が来る。

 それでも、公共機関に頼らずに何とかしようとするのは、この女の子が抜けているのか善良なのか。

 どちらにしろ、そのおかげで魔導に浸かった雁夜は、救急に通報されるなんて事態から、身の素性が割れる事なく済んでいるのだが。

 

 

 

「今、救急車を呼ばれなくて助かった。と思いましたよね」

 

 

 

 ……足を止めたのは、抜ける事のない最後の警戒心が作用したのかもしれない。

 後ろから聞こえて来た平静極まりない声に、雁夜の心臓が跳ねる。

 振り返った先の女の子は、笑みを浮かべたままだった。

 

 

 

「帰る場所があるのでしょう?」

 

「……………」

 

「正直、医療に掛かったところで助かるとは思えません。

 だから最期は、帰る場所に帰りたい。そういう思いを踏み躙る気はありませんから」

 

「………帰る場所なんてないよ」

 

 

 

 突き放すように、雁夜は再び歩き出した。

 こういう女の子とは、どう話していいか分からない。

 雁夜にとって印象深い……二人の女の子とは、全く別種の人間だ。

 そんな偽善は止めろ、なんて言えるような立場ではない。

 だが、この少女への警戒心を解けない自身の惨めさと、自分のような境遇の人間とは最初から生きている世界が違う故の善良さを持つ少女に、雁夜は複雑な胸中で応じた。

 

 

 

「帰る場所がない、ですか?」

 

「お節介ならもういい。止めてくれ」

 

 

 

 尚も付いて来る少女に、雁夜は撫然とした態度で返す。

 余計な事はもう止めてくれ、という思いの方が強かった。

 雨音に響く足音は一つ。

 歩いているのは雁夜だ。

 つまり足を止めたのは少女。

 もう、このような男に付き合う気も失せたに違いない。

 

 

 

「じゃあ私と同じですね」

 

 

 

 雨音に響く足音が消える。

 雁夜も、足を止めた。

 

 

 

「私にも帰る場所がないんです。もう、何処にも」

 

 

 

 思わず振り返った先で、彼女は言う。

 変わらない平静さのまま、揺れぬ声色のまま。

 彼女の様子はある意味、雁夜より達観しているようにも見えるかもしれない。

 静寂の中、柔らかな雰囲気と笑みを浮かべるこの少女。

 その態度が、少女のたった一言で空虚さへと転じる。

 

 

 

「………」

 

「あれ簡単に信じるんですね? もう少し疑うかと思ってました」

 

「い、いや………」

 

 

 

 言われて気付く。

 少女の急な発言に、雁夜は疑う事なく少女の境遇を慮った。

 刹那、雁夜が想起したのは………桜だった。

 ただし桜とはまるで真逆。

 絶望と諦観による麻痺ではなく、活動的な虚勢による破綻。

 人形のような無機質さではなく、人形が人の振りをしているような、そんな虚ろな形である。

 

 

 

「帰る場所がないって……どういう事なんだ………?」

 

 

 

 気付けば、雁夜は外国人の女の子に問いかけていた。

 遠くの彼方で鳴る落雷と稲光

 僅かな間を置いて、少女は言う。

 

 

 

「私、記憶喪失なんです」

 

「え………」

 

「実は自分の名前も分からないんですよね。

 何処で生まれたのかどんな人生を送ったのか、元々私はどんな人間だったのか」

 

「………………」

 

「何も分かりません。何も、分からないんです。

 もしかしたら今の私は、最初の私と全く別人かもしれないですね。

 あぁ一応、私を識別する個体名みたいなのはあるんですが、それはどうやら私の本当の名前じゃないらしく、実感もありません。好きでもありませんしね」

 

「家族は………」

 

「家族の事も覚えていません。

 顔も知らないし名前も分からない。家族構成も知らない。

 あぁ………こうなった時、周りに家族は居なかったのかという話ですか?

 それなら目が覚めた時には誰も居ませんでした。私の、周りには」

 

「……………そうなのか」

 

「はい。気付いたら独りでした。

 私が酷い人間だったか、家族が酷い人間で私が縁を切ったのか。もう知りようがありませんので割り切るしかないですよね」

 

「……………」

 

 

 

 自然と会話が途切れた。

 思い詰めているのは雁夜で、この名前も分からない女の子は思い詰めてなどいなかったからだ。

 彼女からすれば掛けて欲しい言葉などなく、雁夜から尋ねられたから気紛れに口を開いたに過ぎない。

 もしも雁夜がつまらない同情意識は止めろと拒絶すれば、彼女はそのままだっただろう。

 きっと今の雁夜のように、思い詰めていた時代はもう過ぎ去った後なのだ。

 あるいは、誰かに手を差し伸ばされたら救われていた時代が、既に終わったとも言うのかもしれない。

 

 

 

「ちなみに私の境遇を貴方に重ねたとか、同情して見ていられなくなったとかではないですよ」

 

 

 

 鈴のような声を、彼女は雁夜の心に被せる。

 その鈴が空回る空虚なものに思えるのなら、それはきっと雁夜の錯覚でしかない。

 

 

 

「いや、私の行いを見て"どうしてキミはそんな、赤の他人に対して身を粉にするんだい?"なんて言われる事もありますが、全然違うんですよね」

 

「……そう、なんだ?」

 

「はい。何分私は他人に迷惑を掛けねば生きられない体質でして、だから今の内に善行を重ねておかないと不味いといいますか」

 

「それは、どういう事なんだ………?」

 

「私は誰かを不幸にするから、その分今の内に幸福を与えようという話です。

 時には逆も然り。必ず天秤は釣り合うんですよ。

 誰かが幸福になれば、その分誰かが不幸になるよう、この世界は出来ているので」

 

「……………」

 

 

 

 悄然と、雁夜は黙り込む。

 少女の物言いは酷い暴論のようで、しかし雁夜には無視する事が出来なかった。

 人の世の苦しみも、神の試練も、その全てに真っ向から唾を掛けているのと変わらない。

 少なくともこの少女は神など信じていないし、神の下の平等というものを説かれたら、その信徒を無言で手に掛けるかもしれない。

 偽善がどうこうの次元ではない何かで、彼女は悪行と善行を明確に定義している感覚がした。

 

 

 

「………俺も、そう思うよ」

 

 

 

 静かに雁夜は頷く。

 誰かが幸せになれば、その分誰かが不幸に落ちる。

 その言葉が、雁夜には何よりも身に染みて分かっていた。

 

 祈りという形だけの慰撫。

 それに易々と縋り付く人間の単純さと、そんな欺瞞にすら頼らないと生きていけない人間の弱さには、雁夜も共感せずには居られない。

 だからこそ……人の世の苦しみが全て神の試練だと説かれたのなら、その神と信徒を絞め殺したい衝動に駆られた事だろう。

 

 

 

「もしかしたら君……聖職者だったりするのかもね」

 

「まぁ、そのような事をしていた頃はありましたね。

 人の悩みを解体し、結び直すのは得意ですよ」

 

「そっか………その、少し俺も落ち着いた気がする。

 俺が不幸になるなら、その分幸せを得るべき人が報われる。そう言う事なんだろう?」

 

「そうかもしれません。ですがそれだと貴方が報われなさそうなので、私が少しだけ幸あるように祈ってます」

 

「………なんだそれ………まぁ、ありがとう」

 

 

 

 祈ってくれるのなら、自分の事はどうでも良い。

 なんて言葉とは、この女の子からすれば関係ない話だし、気持ちを無下にするだけだろう。

 そう考えた雁夜は、自分の事を祈ってくれたらしい少女にむず痒くもそう応えた。

 

 

 

「変に気遣う必要もありませんよ。私は、貴方を救いませんから」

 

「………神の役目はやりたくないって?」

 

「いいえ。救う救わないは自分自身の話です」

 

 

 

 最初からこうしていれば、敬虔な信徒に見えるだろうというのに。

 立ち振る舞いも、言葉も、その整った顔立ちも、この女の子が本気になれば一つの教徒が出来そうな勢いである。

 もしかしたら……先程の冗談は、冗談ではなく本当にそうだったのかもしれない。

 カリスマとかオーラとか、そういう次元じゃない狂信や畏怖。そういう域の類。言葉にはしないが、記憶喪失で良かったと思う。

 天の使いの振りをし、知らずの内に人の道を踏み外させる堕天使の姿を雁夜は幻視した。

 

 

 

「じゃあ帰る場所のない者同士、貴方が体を休めるだけの場所に戻るまで私は付いていきましょうか」

 

「………先に伝えておくけれど、君を泊める気はない」

 

「構いませんよ。ただ少しだけ名残り惜しいだけです。きっともう、私と貴方が会う事はないでしょうから」

 

 

 

 少女は続ける。

 先程は空虚に見えた、暖かな微笑みを向けて。

 

 

 

「ですが、もしもイレギュラー(奇跡)が起きて私と再び出会う事があれば、その時は私の事を——オルタとお呼び下さい」

 

 

 

 振り返った先の彼女は変わらずの表情だった。

 無機質な、金色の瞳のまま。

 

 

 

「貴方を主人公にしてあげますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—152:14:09— 

 

 

 

 時に幼子というのは、理屈や事象を超越して何かを引き当てる事がある。

 それを偶然と捉えるか、必然と捉えるかは難しい。

 例えば霊感のように、大人になるに連れて消えていくそれ。

 知識や精神で培われる、そうだろうという理屈を無視した第六感というもの。

 

 つまり——間桐桜がその時、邸宅の二階から門前を眺めていたのはそういうものだった。

 

 普段は邸宅の中に居る筈のおじいさま——間桐臓硯が迎え討つような様子で、玄関に向かっていくのを見たのも理由の一つかも知れない。

 ただ、人形のように自閉した筈の桜が興味のような意識を門前に向けたのは、そういう不気味なナニかを感じたからであり。

 つまり——怖いモノが一歩一歩、足音を立てて近付いて来るという感覚を、桜が感じたからである。

 

 

 

「————————」

 

「————————」

 

 

 

 間桐邸の門前で、二人の人間が会話していた。

 片方は、桜が知っている人間。間桐雁夜。

 片方は、桜が知らないナニか。金髪の人。恐らく人間。

 二人が何を話しているかは分からない。読唇術が桜に無いのもあるが、雨で曇る窓ガラスの上から傘を差した二人の様子を推測するのは不可能だった。

 

 

 

「———————」

 

 

 

 雁夜が、何かを口にして門を開く。

 多分感謝か別れの挨拶辺りだろう。

 もしかしたら金髪のヒトを警戒しているのかもしれないし、逆に金髪のヒトに向けて、この家の近くには居ない方が良い、なんて事を遠回しに告げたかもしれない。

 ただ少なくとも、あの金髪のヒトは間桐邸には入って来なかった。

 

 だが、金髪のヒトは門前の前から動かない。

 

 まるで間桐邸を見張っているようだと感じた瞬間、ぞわりと不定形の影が盛り上がり、金髪のヒトの前で形を成す。

 間桐臓硯。新たに現れた不気味な存在に、金髪で………多分人間の女の子は、普通に話しかけ始めた。

 

 

 

「——————」

 

「——————」

 

 

 

 やっぱり何を話しているかは分からない。

 ただ何となく、臓硯は金髪の少女を警戒しているような気がした。

 何故だと言われたら、桜は少し言葉に詰まるだろう。

 あの女の子の癇癪一つで——この町は簡単に滅ぶだろうなんて思っているからなんて、そう口に出来るものじゃない。

 

 例えるならそう、脈動する黒い火山。

 

 間桐臓硯といえど、この冬木を挙措一つで滅ぼせる訳ではないと桜は知っている。

 然りとて、闇や影に潜み牙を立てる恐ろしさや悍ましさを間桐臓硯は持っている。

 それでもあの女の子の方が、桜には不気味に見えた。

 害意や悪意がある訳ではなく、ただそこにいるだけで災いを及ぼすナニか。

 ……人類に対する呪いが、具現化したような感覚。対人類という、脅威。

 もしかしたら、間桐臓硯でもあの女の子には敵わないかもしれない。だっておじいさまも、元々は人だから。

 

 

 

「——————」

 

 

 

 時間にして一分程度だっただろうか。

 金髪の女性は踵を返して、間桐邸から離れる。

 少女の一挙手一投足から目を離さず、警戒するように後ろ姿を眺めていた臓硯は、少女の姿が完全に闇へと消えた後ようやく門前から離れていった。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 階下から、話し声が聞こえて来る。

 雁夜おじさんとおじいさまの二人の声。

 どんな関わりだの、ただ少し世話になっただけだの………絶対にあの女と関わってはならないだの、そういう言葉。

 

 

 

「…………怖いヒト」

 

 

 

 雨の音に紛れるほど小さく、桜は呟いた。

 桜には何もかもが、ただ不気味でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—152:00:02— 

 

 

 

 間桐邸から離れた彼女は、月明かりすら暗雲で隠れた侘しい光の中、通りを歩いていた。

 その手にはもう、先程の傘もトートバッグもない。

 無手で歩き、時折足を止めたその刹那、遠くで落雷の猛りが響く。

 

 

 

「つまらない仕事だ」

 

 

 

 残る令呪は、十一画。既に三回使用した。

 一画はキャスター。

 二画と三画はバーサーカー。

 何らかのシステムの穴を突かない限り、バーサーカーに対して令呪はもう使えない。

 故にバーサーカー陣営とはもう接触する気がない。

 

 バーサーカーは、自分も標的にするという事は知れた。

 セイバーにバーサーカーを印象付ける事にも成功し、二画による令呪によって、バーサーカーはまずセイバーを倒さなければ自分を襲う事は出来なくなった。

 間桐臓硯の牽制も、これ以上は不利益だ。

 後はどうでも良い。このまま放って置いてもほぼ思い通りにバーサーカー陣営は動く。

 何か思惑とずれても、直接干渉せずに周りを動かせばそれで済む。

 バーサーカー陣営が聖杯戦争の趨勢を握る事はない。

 

 マスターの生死も、どうでも良い。

 むしろ……適切なタイミングで死んでくれた方が、都合の良い事が多すぎた。

 そもそも、残り一ヶ月以内で間桐雁夜は衰弱死する。

 彼が間桐桜に要らぬ影響を与えなければ、何もかもが、どうでも良い。

 

 そもそもこの聖杯戦争で、誰が勝とうが如何なる願いを持っていようが、究極的には関係ないし、どうでも良い。

 その事に偽りはない。嘘ではない。

 ただ、あらゆる陣営が聖杯を手にする事なく、とある過程を経て——次の十年後が始まれば良いだけで。

 

 

 

「……そろそろ始めるか」 

 

 

 

 無表情で呟いて、少女の輪郭は闇へと溶けて消えた。

 バーサーカーに対する牽制と心情整理、万が一の保険を終わらせたルーラーは、次に取り掛かり始める。

 仮にもルーラーだ。

 故にどの陣営にも加担しない。

 故に、勝者など誰も生まれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—sometime somewhere— 

 

 

 取るに足らない過去があった。

 もはや何の意味もない、無為に消え去った生涯があった。

 星の光を塗り潰す事でしか、己の心に巣食う闇と向き合えなかった、あの日々に。

 

 それを、あの時の私は分かっていなかった。

 弱さそのものを憎むという事は、人を憎むという事だ。

 世界を呪い、世の非情を呪い、自分を呪い、自分の中で育む。

 世界が非情ならばそれ以上に自分が非情足らんとし、それを武器にするしかないと。

 

 今の私が、一つだけ言える事がある。

 

 あの頃の私は、自分の本心すら理解出来ていない。

 その呪いと憎悪の行方すら、他ならぬ自分自身が分かっていない。

 だから。

 私を理解出来た人は、世界でたった一人しかいない。

 

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 

 彼女とて生涯全てを死と隣合わせにしていた訳ではない。

 この時代は、という注釈は付けた方が良いかもしれない。

 僅かな休息も許さなかった訳ではないし、あらゆる物事全てを必要なもの不必要なものと切り捨てている訳でもなかった。

 だから一線は引いていたが、騎士として外面は良くしていたし、民からの受け答えもしっかりしていた。

 基本的に手を抜く事がないだけ、という言い方の方がきっと良い。

 この頃の彼女は最年少で騎士になったなんて風評から、自分がどのように映るかを人並みに理解して行動していたのだ。

 

 

「……………」

 

「つまらなさそうにすんな」

 

「仮面って便利ですよね」

 

「開き直るんじゃねぇ」

 

 

 だから彼女は、いつもの無表情で祭りに参加していた。

 仮面を付けた彼女の表情は分からないし、元々から彼女は無愛想なので、憚る者はまずいない。

 だから唯一の例外は、彼女の隣で果物を貪っているサー・ケイだけである。

 

 その日、彼女は仕事終わりだった。

 この祭りは彼女の仕事と関係がある。

 サー・アグラヴェインからの頼まれ事、反乱の兆しがある諸国を調べて、その場の判断で潰せという依頼だった。

 盗賊崩れの騎士達を倒し、関係のある反乱軍を単騎で壊滅させ、国外からの癒着があった魔術師を手に掛けた。

 その実態は騎士の名誉や栄光というよりは、血に濡れた汚れ仕事に近かっただろう。

 勿論、その事を民達が知る由はない。

 良く思われてない反乱軍が消えた。

 とりあえずこの諸王国は救われた。

 鬱憤が溜まっていたから祝いの場を設けよう。

 この時代ならまだ、そこまで珍しくはない良くある事だった。

 

 

「でも貴方だって楽しげではありませんよね」

 

「当たり前だろ。露骨に避けられてるんだ」

 

「自業自得ですね。悪評の方が多いからです。なんとかしてください」

 

 

 ただしいて言うのなら、主役か中心人物になるだろう彼女達が距離を置かれている事だろうか。

 大事な当人がほったらかしにされてるな、なんて軽口は互いに交わさない。

 彼女からすれば、もう慣れた話だったのだろう。

 つまり彼女は、なんとかしてくださいと言いながら、別になんとかして欲しい訳ではない。

 自分の事は。

 

 

「はぁ? 何でオレがなんとかする必要がある?

 オレを避けているのは、オレの問題ではなくアイツら当人の問題だ。知ったこっちゃない」

 

「はぁ……」

 

「それにお前はオレを褒める立場だ。

 煩わしい相手から離れられるんだからな」

 

「開き直らないでください」

 

「いや、オレは開き直っても許される。

 オレは大人だからな」

 

「……最低です」

 

 

 そう言うや否や、彼女は剣を取り出した。

 昔のケイなら違ったが、最近のケイは驚かない。

 別に苛立ったから実力行使に出たという訳ではないからだ。

 単純に彼女の癖。

 彼女は暇な時間があると落ち着かない為か、良く剣を研ぐ。

 

 

「お前アレに参加したらどうだ? 優勝掻っ攫えるぞ」

 

「その為に剣を研ぎ始めたのだと、そう、本気で思ってます?」

 

「いや、全く。

 ……悪いな、失言した」

 

 

 シャッ、シャッと彼女が剣を研ぐ傍らで、ケイは神妙な顔になる。

 こういうところだと、彼女は全く笑わない。

 強調するように言ったのがその証拠だ。

 別に笑ったところを見た事がある訳ではないが、ケイはそう例えていた。

 熱がスッと消え、表情も消える。

 それと同じ感覚だったからだ。

 

 ケイの目線の先にあるのは、決闘を始める騎士達の姿。

 この国の新体制派だとか旧体制側だとか、まぁ色々あったらしいが別に気にする必要はない。

 キャメロットの正騎士と粛正騎士隊の確執と比べれば、全て序の口だ。

 こうやって真っ向から剣と剣を打つけ合わせられるのだからマシな方なのだろう。

 勝っても負けてもそれでおしまい。

 娯楽に飢えた民達に向けてトーナメント式にしており、恐らく騎士達にも大した確執や思惑はない。

 理由と大義名分が在れば、後は特に考える必要はない。

 互いをライバル視する彼らは、口実さえ在れば腕試しに剣を交える仲だ。

 

 

「アレ、何が楽しいんですか?」

 

 

 だからきっと、彼女は飛び切りの異端者だったのだろう。

 誰ともその内を共有出来ず、そういう人間との溝を感じ続けている彼女には。

 

 

「見ていないのに良く言うな」

 

「見なくても分かりますよ、あんなの」

 

 

 つまり、それだけ彼女にとって焼き付く程に印象深く、そして繰り返されている光景だという話である。

 視線を下げ、視線を寄越す必要すらないと言わんばかり剣を研ぐ彼女。

 吐き捨てる彼女の言葉に、ケイは内心で苦笑いしていた。

 彼女のそういう、剥き出しにした感情を垣間見れる程度にはなったか、と笑うかどうか悩む話だ。

 

 

「本当にお前、騎士が嫌いだな」

 

「はい。永遠にそうでしょうね」

 

 

 それは、一つの諦めであったのかもしれない。

 自分はあのような人間達と分かり合える事はない。

 騎士達のどんな名誉や栄光が心を動かした事はなく、どんな理念も崇高とは感じられず、共感も出来ない。

 彼女はもう、そうやって諦めが付く程には、彼ら普通の人間達との溝を意識させられたのだろう。

 貴方もそう思いませんかと、そうやって同意を求めに来た事は、ケイが知る限り一度もなかった。

 

 

「剣は、人を殺す武器です。

 剣と剣を交えれば血が流れる。死者が出る。その死者には家族がおり、如何なる悪党でも産み落とした父と母がいる」

 

「………………」

 

「掲げた剣と槍に、敵兵の(いさお)を翳す行為。

 アレは私にとって、獣畜生が嬉々として残虐性を誇るのと変わらない。

 私には、血を流す事の醜悪さを知らない獣が周りにいるように見える。

 じゃあ私は人を殺さないのかと言われると、そうでもありませんけどね」

 

 

 彼女は騎士が嫌いだった。

 憎み、恨み、呪っていると言っても過言ではない。

 実際に命を奪い合う訳でない決闘にすら、彼女は嫌悪を露わにする。

 彼女にとっては、一騎討ちも殺し合いも同じなのだ。

 じゃあそれが酷く猛り狂う怒りによるものかと称されると、きっとケイは言葉に困っただろう。

 まるで燃え尽きるような、怒りだった。

 身体が冷え、思考が冷え、感情が冷え、しかし熱を失っていく訳ではない。

 胸の奥へ奥へ。そうして溜まり、篭った感情の熱を糧に、彼女は冷たく剣を振るうのだ。

 

 きっと、アグラヴェインとの違いはそこだ。

 彼も人間嫌いで有名だが、彼は冷え切っているだけだ。

 無言で剣を振り、笑わず弛まず、誇りも掛けずに戦う。

 その姿は同じなのに、彼女はもっと遠くの——ナニかを見ている。

 それは獣のように荒々しく、胸に訴えかけるような戦い方だった。

 しかし単一のガラス細工のような美しさ。

 彼女自身は、きっと分からないだろう。

 自分がナニを見ているのか、その剣がどのように見えているのかも、きっと。

 それはある種の証明のようであり………誓いを貫き続ける誉れ高い騎士のように見えたのだから。

 

 

「あぁ、そうか……」

 

 

 その時になって、ようやくケイは理解を灯したように呟く。

 彼女の戦う理由。彼女が剣を取り、騎士を忌み嫌いながら、誰よりも騎士足らんとしているその理由。

 何だ、結局彼女は分かりやすい。

 最初からずっと、そうだと示し続けていたのに気付けなかったのは……まぁ彼女が変に強すぎるのが悪いのだろう。

 彼女の剣に見惚れた身では、説得力は全くないが。

 ケイは呟く。

 彼女が、戦う意味を。

 

 

「お前……生き死にを矮小化されるのが許せないんだな」

 

 

 その時、剣を研ぐ音が消えた。

 

 

「まぁ………少し分かるがな、お前の気持ちも。

 だけど許してくれ、誰も彼もがお前みたいに心が強い訳じゃないんだ。

 誰もがああやって剣を交えて、そうやって身体を慣らして置かないと、いざって時に身体が動かない。

 誰かを殺す恐怖も、誰かに殺される恐怖も、ああやって誤魔化してようやくオレ達は、騎士から殺人鬼になれる。

 でも、そんな事誰も認めたくない。

 名誉や栄光っていう幻惑の中じゃないと、オレ達は剣を取る事すら出来ないんだ」

 

 

 ケイの視線は寂しげだった。

 騎士達の喧騒から切り離された場所で、眺めているばかりの者。

 あの日もそうだったからだろう。

 石の台座に突き刺さった、王を選び取る剣。

 誰しもがなかった事にして放ったらかしにした剣の広間に、独り、騎士達の喧騒を背にして、剣を抜いた者。

 そして、それを見逃した者。

 あの日からずっと、ケイは喧騒の外にも、中にも居なかった。

 

 

「………だからな、■■■。

 少しでいいんだ、オレ達騎士の弱さを許してやってはくれないか?」

 

 

 彼女の、本当の名前を言う。

 魔術師から教えられたその名前。

 誰しもが知らない、彼女が人間だった時の呼び名。

 いずれ彼女自身も忘れる、とある少女の名前を。

 

 

「■■■?」

 

 

 ケイは彼女の方に振り向く。

 彼女の手は、止まったまま。

 硬直した姿勢で、地面に落ちた剣を眺めている。

 

 

「……………………………………」

 

 

 思えばきっと、この日が最後だったのだろう。

 

 

「…………いいえ………何でも、ありません」

 

 

 彼女が破綻者の小娘と嫌悪する、枝分かれの自分。

 あり得なかったifと、あり得ざるif。

 その二人の生涯に、大して差がなかったのは。

 

 彼女の名前は■■■。

 最初に兄ではなく母が死に、故に生きて欲しいと願いを託される事はなく。

 モルガンから特別視されず、故に愛される事もなく、後に神魔へと成り果てた嵐の王だ。

 

 





 

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