騎士王の影武者   作:sabu

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第14話 湖面よりも波立たず

 

 

 

 簡素な場所だ。そして飾り気がない。

 

 質素な机と椅子。後は少しの寝台に物置用と思われる棚。

 その棚には、この時代ではそれなりに貴重な手鏡や、簡素な衣類といった小物が多少纏めらている。

 この建造物が古い・傷んでいるといった印象も受けないが、巨大な威光を誇る白亜の城、キャメロット城の一角にありながら、煌びやかな装飾で絢爛に飾り付けられてはいない建造物というのはやや珍しい。

 

 しかし当然の事なのだろう。

 いちいち、騎士の詰所を飾り付けようと思う人がいるとは思えない。詰所が絢爛に飾られていては、常在戦場の心がけを主とする騎士にとっては、余計に気が散る。

 少なくとも、自分は落ち着かないと思う。正直言うなら悪趣味だ。

 

 そんな悪趣味を平然と行う人間はこの時代だと多分居ないだろうが、居たら居たで、その人間はリソースの無駄でしかない行為を平然と行う愚か者か、このブリテンでは害悪にしかならない悪徳貴族とかになるだろう。

 前者は、軽度な者なら多少は居るだろうとは思う。後者は居るとはあまり思えない。こんな時代のブリテンでそんな事出来る余裕のある貴族は居るのかという話だ。

 

 居たとしても普通にバレる。

 ヴォーティガーンが倒される前の時代は知らないが、アーサー王が見逃すとも思えないし、許す事もないだろう。特に、アーサー王がキャメロットに君臨する様になってからは、そういう悪徳に対する目は厳しくなっている筈だ。

 アーサー王の目から上手く逃れている場合、話は別だが。

 

 居ないとは思うが、仮に居たとして、それを私が見つけてしまった場合はどうしようか。

 細かい部分はその時々に考えて、とりあえずは潰す方向で動こう。いちいち破滅させる理由はないかもしれないが、野放しにしておく理由の方がない。

 無能な味方は、有能な外敵くらいに害悪だ。

 

 ……居ないとは思うのだが、自分で言うのもなんだがモルガンの件があるから……もしかしたら居るかもしれない。

 別にモルガンは悪徳貴族という訳ではないが、非人道的な事には幾つか手を染めていた。私を育てる方針に変えた影響で近頃は控えるようになったらしい。

 正確にはいちいちそんな事する必要がなくなった、という方が正しいかもしれない。

 

 それに、ブリテン島にはモルガン以外にも野良の魔術師は居るだろう。基本的には無害かもしれないが、かといって有益になる事もない。

 害になる可能性があれど、益になる事がないのなら、やはり魔術師も討伐した方が良いのかもしれない。

 

 蛮族を唆している疑惑もあるにはある。

 ある意味、ピクトやサクソンよりも真っ先に潰した方がいいかもしれないが、状況次第にはなり得るだろう。

 

 ……と言っても、今のところは私に多くの人間を動かして協力してもらう権限はない。ただの一兵卒でしかないし、モルガンは後ろ盾にはならないから、何か動き方を間違えると国に圧し殺される可能性もある。

 キャメロットに入らず、モルガンの居住を拠点として蛮族と闘い続ける選択肢もあったが、今現在は蛮族の動きは沈静している。最悪私が蛮族を唆したとして、蛮族とブリテンの両方に狙われる可能性が排除出来ない。

 

 そうすればどう考えても私は詰む。更にはそこから私の素性が周知されて、モルガンをブリテン島から排除する為の大義名分にも繋がってしまうかもしれない。

 流石にそこまでモルガンに迷惑をかけられない。

 

 どっちの方が良いのかは推測する事しか出来ないが、結果的にはキャメロットに潜入して動いた方が良い筈だ…………多分。

 まぁいい、もう決めた事だ。それにもう後戻りは出来ない。騎士に任命されてるし。

 

 

 そうやって思考をずっと遊ばせていた。

 

 

 単にそれ以外にする事がないのだ。つまりは今、暇してる。

 アーサー王との臣従儀礼を交した後、キャメロットの一角にある騎士の詰所で待機を命じられている。

 詰所にある椅子は、身長130弱の子供が座るのを想定してない為か、私が座ると足が床に付かないので、適当な壁に背を預けぼんやりとしている。

 特にやる事もなく、話し相手はいない。

 

 

 正確には……話し相手は私が話しかけるよりも早く何処かへ離れる。

 

 

 一応は騎士となったが、私の背景や事情を知らなくても十にも満たない子供が騎士になるというのは、良くも悪くも異質だろう。

 実際に、この場で待機している間に名前も顔も知らない騎士から、ここに迷い込んだのか、どうしてこんな所にいるのか、と子供に接する様に何回か優しく話しかけられたりしてる。

 そうして話しかけて来る騎士は、私を何か不気味な、もしくは特別な者を見る様な目で見ていた他の騎士が、すぐさまに何かしらを耳打ちして、そして私に話しかけた騎士は、同じく私に畏怖を抱いて物理的に距離を取って離れる。

 

 

 これを数回繰り返した。しかも私は一度も口を開いていない。

 

 

 例えるなら、見た目は可愛い小動物かと思ったら——実は人間を簡単に殺害出来る猛毒を持っている新種だった、と言う感じだろうか。

 しょうがない。私だってそんな奴が居たら物理的に距離を取る。まぁこの様な事になるのは想定していた。

 ……していたが、私の背景を知っているだろうアーサー王が私に監視の目すらも付けていないのは想定外だった。

 

 いいや、それとも監視しているぞ、と私に圧力をかけない為か。もしくは魔術的な監視をしているのか。

 後者は、私が魔力の残滓を感じられないから多分ないと思うが、私は別に魔術に長けている訳ではないから完全に安心する事は出来ない。マーリンが動いているという可能性も否定出来ない。

 私は疚しい何かを隠しているのとは少々違うから、そこまで警戒する必要はないのだとしても、常に監視されているという前提で動いた方が、多分楽かもしれない。

 

 

 それに……アーサー王——アルトリアはどこまで私の事情を知っている?

 

 

 キャメロット即位の日に私を目撃した時の反応から、私の事を忘れていないのは確定しているが、あの驚きがどの様な類の驚きなのかは推測の域を出る事がない。

 さっきの決闘試合から臣従儀礼のやり取りで警戒されているのはなんとなく分かる。しかし、その度合いまでは正確には分からなかった。

 

 マーリンの協力があったとしても、アルトリアはその生涯を通して性別を偽り続け、そして男性として伝説に名を刻んだ人物なのだ。

 腹芸は得意だという印象はないが、かと言ってそんな簡単に悟らせて貰えるくらい迂闊だとも思わない。

 

 恐らく私があの村の出来事で、唯一生き残ってこの場所に訪れたという意味を、"正しく間違えて"考えているのだろう。私はアルトリアに対し復讐する気はないから、完全に杞憂に終わるのだが、まぁ私がそう言った所で信じて貰える筈はない。

 

 

 ……そもそも、どうやれば信じて貰えるだろうか。

 

 

 何をしても裏があると考えられたら無理だな。

 後は、あの三人の円卓の騎士も私に対しどの様な認識を持っているかは分からない。ランスロット卿は一応姿を確認したが、会話もまともにしていないし、心の内を読み取るまでは出来ていない。

 トリスタン卿とベディヴィエール卿は、そもそもあの日以来姿を確認していない。もちろん円卓の騎士達を害する気はないが、一応探っておいた方がいいだろう。

 私側からの情報が足りてないが、それは円卓側からも同じだ。確実に私に接触して来る筈。

 

 円卓の騎士相手に腹の探り合いか…………

 私は探られても痛む腹はないから、杞憂だが……強いて言えば、モルガンの事くらいか?

 

 

 

 でも——

 

 

 

 

 ——"モルガン"と私を繋げる要素は何もない"

 

 

 

 私がモルガンと共に過ごした二年間は、マーリンにすら目撃されていない為、私がモルガンに育てられたという事は誰も知らず、私とモルガンが一緒に姿を現したのは、キャメロット即位のあの日だけ。

 その日も共に一緒だったのは一瞬だし、モルガンが"人払いの魔術を使っていたからバレていない"。

 モルガンの魔術を認識出来る可能性のある人物は居たかもしれないが、モルガンは"誰にも、私とモルガンの関係はバレていない"と言っていた。

 

 

 ならその心配は杞憂な筈だ。

 

 

 唯一危ないとしたら、私の素顔が周りにバレた時だろうか。

 モルガンから貰った魔術的加工が施された黒いバイザーの影響で、私の素顔や性別を認識する事は出来ないが、気を付けておくに越した事はない。

 

 私の顔が晒されると、私が女だと認識される上、私の顔はモルガンに似ている。今は髪の色も目の色も同じなのだ。血の繋がりはないのだが、まず信じて貰えないだろう。

 決してバレてはいけない、特にアグラヴェイン。

 

 

 アグラヴェインにこの素顔がバレたら……不味いな。

 ……モードレッドの事を気にかけている様な事をしていたから、もしかしたら大丈夫かもしれないが………私はモードレッドよりもモルガンに似ているからダメだな。

 最悪、暗殺される可能性も考慮した方がいい。される気もないが。

 

 そうだとしても、アグラヴェインとはそれなりの関係は保ちたい。

 仲睦まじくしたいなどとは思わないが、互いに互いを利用し合うくらいの関係にはなりたい。実質アグラヴェインは、キャメロットにおけるNo.2と称してもいい者なのだ。

 私が有能であると認識して貰えれば、私が子供だからという理由に囚われず重宝してくれるだろう。

 何処に蛮族が密集しているとかの情報を私に横流しして欲しい。なんならもう、私の力を使えると判断して、対蛮族戦で死なないくらいに使い潰して欲しい。

 私の素顔がバレなければ、どうにかなるだろう。

 

 

 ……アルトリアと、あの日にいた三人の円卓の騎士は私の素顔を覚えているのだろうか……

 

 

 多分、自分と同じ顔であるアルトリアは認識しているだろう。三人の騎士が覚えているか覚えていないのかは、まだ把握出来ない。

 覚えていたとしても、時系列の問題でモルガンと私には繋がらないだろうが……これも探った方が良さそうだな……

 

 

 …………あぁ、やる事が多いし気になる事も多い。

 

 

 他にも、今ランスロットとギネヴィアの関係はどうなっているんだとかも気になるし、モルガンが完全に接触をやめた影響でモードレッドやアグラヴェインがどうなってるかも気になる。

 

 

 ……何も考えず蛮族達と戦っていたい。

 

 

 今からすぐにでも、蛮族達の住処に襲撃をかけたいが、何処に潜んでいるのかはっきりしていない。何処かの森で潜んでいるのだろうが、日本列島の大半が山である様に、ブリテン島の大半は森だ。広過ぎて場所が絞れない。

 強大な視野を持つモルガンだって万能と言う訳ではなく、また"目の多さ"ではどうやってもアーサー王に劣る。

 やはりアグラヴェイン卿に接触する必要がある。後は、多分文官であろうケイ卿だろうか。

 

 

 それに自分の力が足りない。

 

 

 瞬間的な火力なら既に人外の域に達しているが、継続戦闘にはまだ難がある。異民族であり、ただの人間であるサクソン人ならともかく、ピクト人に対しては自分でも遅れを取る可能性が高い。

 

 魔獣の如き凶暴性はともかく、生命力と硬さがあまりにも厄介だ。

 サクソン人なら、投影魔術で作ったなまくらでも充分殺害できるが、ピクト人ではそうもいかない。ピクト人の場合、装甲に等しい分厚い筋肉の前だと、私の投影で作り出した武器だと三合も打ち合うと砕ける。

 幾ら私の魔力が無尽蔵とはいえ、砕けた側から作り直していては消耗が激しい。特に集中力。

 

 ピクト人一体なら余裕だろう。十体も充分いける。しかしこれが、百になるとかなりの長期戦になってしまうだろう。

 私自身は、湖の乙女のコネを持っていない。仮になんとか湖の乙女を見つけ出したとしても、そんな都合よく武器を貰えるとは思ってない。

 むしろ、この身に宿るヴォーティガーンの残滓を見抜かれて敵対されるかもしれない。一時期とはいえ、ヴォーティガーンはブリテン島を支配し、しかもブリテン島をただの道具として"所有"したのだ。

 ブリテン島の守護者でもある湖の乙女は勘付いてもおかしくない。

 

 

 ……それに蛮族達の再侵攻はいつだ?

 

 

 詳しい時期は分からない。

 一年は大丈夫。二年目も多分侵攻して来ない……三年目はどうだ? 四年目か五年目には再侵攻を開始してくるだろう、きっと。

 だめだ、推測にしかならない。

 

 やはり、ブリテン島の内情に詳しいだろうアグラヴェイン卿に接触するしかないないのだろう。

 可能な限り、ブリテン島の内情を集めて、またそれと同じく対蛮族に対して使える者も巻き込んでいきたい。

 ……私に負い目を抱いているかもしれない、三人の円卓の騎士を上手く巻き込めるだろうか? 対応を間違えたら私が不味い事になりかねないから、私の立ち回りが問われるな。

 それに円卓以外にも、私が顔も名前も知らない無名の騎士も頑張れば巻き込めるかもしれないが、逆に足手まといになる可能性も考慮しなければならない。

 

 

 ……最初の一年は準備期間としておとなしくしていようか。

 

 

 二年目辺りから、辺境の集落の救援や援助と謳って、蛮族狩りを開始しよう。

 武器と継続戦闘力はさっさと完成させたいのだが……まだ私九歳の子供なんだよな……

 

 倫理的観点から、私に武器を持たせない様にしたり、私を絶対に前線に出さない様にする集団が出て来る可能性を否定出来ない。

 そうなったら、全力で騎士とは何なのかについて、口八丁をぶち撒けよう。

 もちろん、私は騎士道など表面上しか重んじる気はない。多分必要に駆られたら、暗殺も暗躍もする。対象はちゃんと選ぶけれど。

 

 

 ……それにしてもやる事がない。

 

 

 初対面の印象が大事である事は知っているし、必要もなく敵対する事もないから、私が知らない無名の人物にも挨拶くらいはちゃんとしようと思っていたのに、騎士はもうこの詰所に居ないし思考の整理はもう終えている。

 

 魔術の鍛錬をこの場でやる事は出来ないので、精度を上げる為に頭の中でイメージを繰り返しているが、瞬間的ならともかく、長時間ずっと意識を沈めるレベルで集中していろというのは流石に無理がある。

 既に六時間近く、一人で待機し続けている。

 もう深夜になりそうだった。

 

 私の裏の事情を知っていなくとも、九の子供が騎士になるなど異質過ぎるから多少の時間は取られるのは承知だったが、仮にも円卓側からしたら、私は超危険人物として認識されている可能性が高いのだ。

 私を、こんなに長い時間を一人にして大丈夫なのだろうか。もしくはそれ程ゴタゴタしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「——すまない、待たせてしまっただろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 かけられた声で接近に気付いた。

 場に響く様な重さを纏った声。しかしその重さを纏った声は、威圧感ではなく力強さを相手に感じさせる声でもある。質実剛健な紫の重鎧に身を包んだ、短髪の紫髪の騎士。

 

 少しでも武術の心得があるなら簡単に分かるだろう程の強者。

 その僅かな歩法と佇まいには一切の隙がない。仮に、今自分が攻撃を仕掛けたとしても、難なく攻撃を捌くだろうイメージを拭い取る事が出来ない。

 円卓最強と謳われた、湖の騎士。

 

 ——どうやら、腹の探り合いの最初の相手はランスロット卿のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦然たる威光を放つ白亜のキャメロット城。

 空には雲一つなく晴れ渡り、遠くを見れば揚々と羽ばたく鳥も見える。澄み渡る空を一目見れば、気を良くして和やかな談笑でも開始するかもしれない。

 

 

 ——だが、巨城の回廊を歩く二つの人影の間には、和やかな談笑など存在しなかった。

 

 

 二人の間には、まるで戦場の只中の様な、冷え冷えとした空気が流れている。会話はなく、二人分の足音が小さく回廊に響いているのみだった。

 その二人の内、一人は重厚な鎧に身を包んだ、190近い体躯を誇る紫の騎士。

 もう片方は、簡素な防具に黒いバイザーで表情を隠した130あるかないかという程に小さい体躯の黒い騎士。

 

 いや、もう片方の黒い人物を"騎士"と認識するのは困難だろう。鎧に身を包んだだけの子供としか思えない。

 だが、その子供は紛れもなく、アーサー王から聖剣の栄誉をもって直々に任命された騎士であり、サー・エクターを一瞬で再起不能にさせる程の実力者である。

 

 見た目から溢れ出る、庇護されるべき子供だという印象は彼女の佇まいの前で全て崩れさる。その存在は、見た目以外に子供らしさが皆無だった。子供である以前に、人間らしい情緒を感じる事が出来ない。

 淡々としている人間というよりも、心のない人形と称する方が合っている。

 詰所の中で、壁に背を預けながら静かに佇んでいた時から、不気味とも取れる静寂さのまま、まともな会話もなく二人は歩いていた。

 

 

 どう会話をすれば良い……

 

 

 ランスロットは思案するが、モヤモヤとした思考は上手く固まらず、言葉が形となって口から出る事はなかった。

 会話をするのは苦手という訳ではないが、腹の探り合いに関しては全くの専門外である。それに言葉の選び方を少しでも間違えて"彼女"を刺激してしまった場合はどうすれば良いのか分からなかった。

 

 さらに言えば、この子はどこまでを覚えているのだろうか。いや自分以外にも、トリスタン卿とベディヴィエール卿の事は覚えていると考えた方が良い。

 ……あの日の事を、忘れているだろうという、余りにも楽観的な考えは捨てた方が身の為だ。

 

 万が一を考え、自分の後ろを付いて来る彼女から急に攻撃されても対処出来る様に背中に神経を集中させながら考える。今はこの場所には、自分とこの子の二人しかいない。

 仮に攻撃されたとしても、彼女が足を縺れさせて此方に転んでしまったのだとして、無かった事に出来る。

 

 何を考えているのか良く分からないというのは変わらないが、彼女の佇まいやアーサー王との問答のやり取りから、感情に身を任せ突貫して来る可能性は低い様にも思えた。

 ……それはそれで、自らの感情の全てを完全に制御し、あらゆる手段を模索して攻撃して来る厄災となるのを否定出来ない。

 まずは、彼女がどういう目的を持って騎士になったか。そして、彼女はどのような性格の人物なのか確かめなければ、ならない。

 

 

 ……この子を殺す事など出来る訳がない。

 

 

 後ろの少女に気取られないよう、眉を顰める。

 たった一人の子供を助けたいと願うのは、どこも間違えてなどいない筈なのだ。この子供こそ、ブリテンという国で豊かに暮らす人物の象徴ではないか。

 

 

 ——しかし、この子供を地獄に叩き落としたのは、我々である。

 

 

 すまない、などと謝って済む問題では到底ない。

 あの日ああしなければ、より多くの人が死んでいたかもしれないなどと説き伏せても、彼女からしたらそれは関係のない。だから何だという話だ。

 二人助ける為に、一人の君には死んで欲しいと言われて納得出来る人など居ないだろう。それ以前に、あの日のあの子供と、今後ろにいる子供が同一人物であると証明する事が出来ない。

 

 

 表面上は別人物なのだ。

 

 

 あの日の事を恨んでいるのかと仮に聞いても、あの日とは一体なんの事ですか? とはぐらかされれば、それ以上追求する事は不可能だ。ただ、此方が少女を覚えていて警戒している事をそのまま晒すだけ。

 そのような存在として認識している事を、少女に理解させるだけ。

 

 

 ……いや、恨んでいるかなど、何を分かりきった事を。

 

 

 あの日の出来事を忘れてなどいなかった。

 彼女は、名前を偽り性別も偽っていると知るのは、アーサー王と自らを含めた円卓の三人のみ。しかしそれを糾弾しても、どうにもならない。

 この子は、あの日の子供とはなんの繋がりがないのだと言葉なく告げている。

 

 

 彼女をどうすれば良いのか……

 

 

 良い案など浮かぶ訳がない。

 そもそも、この子供を救うにはどうすれば良い。この身を差し出し、この子に自らの罪を裁いてもらうのか?

 

 ……まずは、彼女と会話して、彼女の本心を確かめなければ話が始まらない。しかし私では、彼女と会話など出来ないかもしれない。

 それは、腹の探り合いが向いているかいないかの話ではない。彼女の視点に立ってみての話だ。復讐対象相手に、まともな会話など成立するというのかという前提。

 私ともう二人の円卓の騎士の場合では、表面上では会話は可能でも、心通わす事など出来ないかもしれない。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 チラリと、視線を後ろに向ける。

 変わらず、何か見ていて違和感を感じる黒いバイザーによって感情は読み取れない。

 口元は真一文字に結ばれている。

 

 

 

「何か?」

 

「……いや、余りにも静かだったのでね。

 後ろを付いて来ているか不安になったのだよ」

 

「それは申し訳ありません。なにぶん軽いもので」

 

「いや……すまない、謝るのは私の方だ。決して君の体躯を笑っている訳ではない。

 それに、それは誇る事だろう。小さい身体という大きなハンデを持ちながら、君はサー・エクターを打ち負かしたのだから」

 

「ありがとうございます。円卓の騎士である貴方程の騎士がそう仰ってくれるのは、なんとも気分が良いものですね」

 

「…………私の事を、知っているのか」

 

 

 

 流れる様に会話の主導権を奪われた。

 しかし、彼女は私の事を知っていると言った。これは何かの手掛かりに……いやそんな事知っていてもおかしくない。

 彼女は明かしても大丈夫な情報を上手く、巧みに使い、こちらから情報を引き出そうとしている様な感覚を覚える。

 

 別にバレても良い情報から開示し、新たな情報を相手から抜き取る。

 アグラヴェイン卿も良くやる交渉術の常套手段だ。

 

 

 

「はい、知っています。

 湖の騎士の二つ名を持ちアーサー王の円卓の中でもずば抜けた実力者と呼ばれる、サー・ランスロットとは、貴方の事でしょう?

 むしろ、貴方の名前を知らない人の方が少ないと思いますが」

 

「……そうか、そこまで名が知れ渡っているとは、なんとも嬉しい限りだ」

 

「えぇ他にも、ランスロット卿と双対を成す、円卓随一の弓の名手トリスタン卿。円卓の初期の時代からアーサー王の従者として仕えるベディヴィエール卿など。

 一介の騎士として、知らない訳にはいかないでしょう?」

 

 

 

 ——円卓の事は調べ上げているぞと。そう、言外に言われている様な気がした。

 

 

 

「それで、付いて来て欲しいと言われはしましたが、私達は何処に向かっているのですか?」

 

 

 

 男とも女とも取れない、聞いていて違和感を感じる不協和音にも似た鈴の声で問われる。その言葉で、当たり前の事を失念していた事にようやく気付いた。

 詰所にて待機していた彼女に、付いて来て欲しいとしか言っていなかった。

 ……彼女を気にしているにしても不注意が過ぎている。

 

 

 

「…………あぁすまない。説明を忘れていた。

 今から君を案内するのは宿舎だ。君はまだ子供とはいえ騎士となったのだから、騎士の宿舎を利用してもらう……まぁ、ある程度なら温情をして貰えると思うが、その立場にかまけない様に」

 

「御忠告感謝します。

 騎士になって満足し、堕ちる様な愚か者になる気はありませんので。それに騎士とはいえ、私は何の知識もない騎士見習い同然ですので、謙虚に生き永らえようかと」

 

「…………………」

 

 

 

 ——恐ろしい子だ。

 これが本心なら誰もが喜ぶだろう。

 この歳で身の程を弁え、礼儀も出来ている。疑う余地を持たない人では、この子はいずれ大成するだろうとしか思わない。

 

 

 ……アグラヴェインよりもやりにくい。

 

 

 それが少女への印象だった。

 アグラヴェインの方がまだ良い。彼だって上辺は忠節な騎士に見えるが、内心は何を考えているか分からない人物だ。

 眉一つ動かさず、味方を死地に送り込むが、実際に戦場に出れば傷一つなく生還する事から、『鉄のアグラヴェイン』と呼ばれる彼だが、しかし、それでも彼には人間染みた執着や感情がある事は知っている。

 本当に眉一つ動かさない訳ではない。時には、言葉に怒りや皮肉が乗る事もある。

 

 

 ——だが彼女にはそれがない。間違いなくアグラヴェインよりも深い激情を秘めるだろう人物が、だ。

 

 

 感情が波立たないどころの話ではなく、彼女は感情と言う湖に波紋すら起こさせていない。

 アグラヴェインを『鉄』とするなら、この子は『氷』だろう。彼女に負い目があるとは言え、単純にやりにくい相手だった。

 

 

 

「ですが宿舎、ですか。

 騎士の宿舎はキャメロット城内にあるのですか?」

 

「……ん……? その通りだが、それがどうしたと言うのか?」

 

「いえ、宿舎と詰所を別に分ける理由は何なのか、と」

 

「あぁ、それは…………アーサー王の御考えだ。

 騎士とはいえ、一人の人間である事に変わりはない。執務と休息を同じにしてしまっては気が休まらないだろうと言って、宿舎と詰所を分けたのだ。

 そしてブリテンを守るに当たって前線で働くのだから、休息の時はしっかりと気を休める様にと、宿舎はキャメロット城に作る様に土妖精に頼んだらしい」

 

「そうでしたか……………それはなんとも———アーサー王は兵想いな方なのですね」

 

 

 

 言葉が詰まる。

 彼女がアーサー王を称えるという行為が、酷く歪に感じてしまった。

 ……兵、想い。そうだろうとも。アーサー王は兵想いの方だ。

 

 ——しかし切り捨てられた"民"である彼女がそれを口にするのは——

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、申し訳ありません。

 一兵卒に過ぎない私がアーサー王について語るなど、円卓の騎士であるランスロット卿にとっては不敬だったでしょうか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 ——何か彼女に言葉をかけなければ。

 そんな思いも虚しく、何かが言葉になるよりも早く彼女が言葉を紡ぐ。

 ……いや、そもそも彼女にどう言葉をかければ良かったというのか?

 

 彼女の凍りついたその感情を、どう適切に溶かせば良いのかは分からず、溶かしたとして、その内側に潜む溶鉄の如き激情をどうすれば良いというのか。

 ……何を今更。それでも、この子を騎士として受け入れたのは我々である。

 彼女と向き合わずに見捨てるなど、それこそ騎士の名折れにも等しい。

 

 

 

「……いや、気にしなくいいし、不敬だとも思っていない。

 それに、私に対して必要以上に畏る事もない」

 

「ありがとうございます。

 ですが、私にとって円卓の騎士とは雲よりも遥かな目上の人で、それもランスロット卿となると些か緊張してしまうのです。どうか、それを受け止めて下さると幸いです」

 

 

 

 いっその事、慇懃無礼とも思えるくらいに、清々しく彼女は返してくる。

 腹の底を見せないという観点では、アグラヴェインよりも上手かもしれない。『鉄』と同等の強度を誇る『氷』など悪夢以外の何ものでもなかった。

 

 

 

「それで話は戻るのですが、私を宿舎に案内するだけですか?」

 

「あぁ……キャメロット城内でも入ってならない部屋や、王の間なども一応は教えるが、基本的に宿舎への案内だけだ」

 

「そうですか。

 しかしそれだけなら、円卓の騎士であるランスロット卿がいちいち手を煩わせる必要はなかったのでは? ……いえありがたいのですが。

 それに六時間程私は待機していましたが、何かあったのですか?」

 

「それは………」

 

 

 

 探って来ている——そう考えた方がいい。表面上では、私とこの子の間にはなんの因縁もないが、言葉の運び方を間違える事は出来なかった。

 

 

 ……どう返答する。

 

 

 そう簡単には答えられない質問だった。

 前者だが、この子とアーサー王、そして自分達の因縁は恐ろしく深い。それに彼女の背景から、裏の事情を知らない者を当たらせる事は出来ない。

 その為アーサー王は事情を知り、尚且つ実力と交渉の全てに於いて信頼出来る騎士を当たらせるしかなかった。その条件をクリアする騎士が、今現在ランスロット卿しか居なかった。

 それに長時間の間彼女を放置して動いていたのは——情報の揉み消しに動いていたからだった。

 

 

 

 

「(……すまない、私は念の為、エクター卿の安否を確認して来る。

 ランスロット、これは特級案件だ。彼女の背景を知らなくとも、十にも満たない子供が騎士になるなど余りにも異常に映る。出来ればあの子の事情をしっかりと把握出来るまでは、事を広めたくない。

 それに、あの子の動きが読み辛くなる)」

 

「(……それは)」

 

「(……完全に揉み消せとは言わない。それに不可能だろう。嘘でもなんでもなく事実だからだ。しかし、要らぬ噂が流れるのを抑えて欲しい。

 ……私もすぐに動くが、手が足りない……頼まれてくれるか?)」

 

「(——了解しました……私も、協力しましょう)」

 

 

 

 ランスロットは、アーサー王が焦りを滲ませながら、そう告げたのを思い出す。

 直ぐ様、情報の統制に動いたが、そう簡単にはいかなかった。まず彼女のしでかした出来事は余りにも印象に残る。それに彼女の年齢で騎士になるなど前例がない。最年少で騎士になったという記録は彼女によって大きく塗り替えられた。

 そういう点で言えば、歴史を塗り替えた様なものだ。忘れる方が難しい。

 

 自らの部下や、一部の粛正騎士の手も借りて箝口令を敷いたが、情報の流れを完全に防ぐのは無理だろう。早くて一週間。遅くとも一月あれば、彼女の事はキャメロットに知れ渡る。

 

 ……可能なら、もっと時間をかけたかったが、これ以上の時間、彼女を放置するのは危険と判断して切り上げた。彼女の事情を知らない自分の部下を当たらせるというのも、彼女を信用出来なかった為出来ず自らが出た。

 どうすれば最善だったのかは分からないが、それでも今選択出来る対応は他になかった。

 

 

 

「それは……君の処遇をどうするか、少々揉めていてな」

 

「処遇……?」

 

「あぁ。分かっているだろうが、君は余りにも幼い。

 たとえ、既に実力も礼儀も備わっていても、その姿では些か受け入れ難いと思う人物も出て来る。

 君を騎士として扱うにしてもどうするのか、とか、君をどの部隊に編成するのとか、と色々話が終わらなくてな」

 

「それは、なんとも……申し訳ない事です」

 

 

 

 

 彼女は謝りながら、何処か納得した様な様子を見せる。

 誤魔化せたようにも思える。いや、反応は普通の反応だ。それすら演技という可能性を否定しない方が良いかもしれない。

 

 

 

「いやいい……それに、まだ話は終わっていなくてね。

 これ以上君を待たせるのはダメだろうと私は抜け出して来たのだが。それに処遇が決まっても、君をどう編成するか正式に決まるまで時間がかかる。

 恐らく、一週間程は、君に待機して貰わなければならない。無論、その間はそれなりに好きに過ごして構わないが」

 

 

 

 嘘だ。本当は一週間もかからない。

 そもそも部隊編成と言っても、今は大きな戦などないし、そこまで急ぐ事ではない。いちいちキャメロットに待機させる必要もないし、普通の騎士なら一日も有れば終わる。彼女の場合でも編成なら三日で終わる。

 一週間と言ったのは、彼女の動向を観察する為の時間と、協力出来る新たな人物を精査する為だ。

 

 

 

「一週間ですか。三日も有れば終わると思っていたのですが」

 

「……確かに本来なら三日で終わると思うが、その幼さやその実力といい、君は余りにも異質だ。どうかその事を念頭に置いて欲しい」

 

「申し訳ありません、十五歳位の感覚で考えておりました。

 矯正しておきます」

 

 

 

 

 ……やはり油断が出来ない。

 もしも自分がアグラヴェインであれば、と忌々しくも思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——その後は会話はなく、キャメロット城内を周った。

 城内の構造などを簡素に説明した後、彼女の為に宛てがわれた部屋に着く。

 

 人ひとりが過ごすのに充分な広さの部屋だ。詰所に設置されている寝台よりも整えられた寝台に、棚や机が置かれている。無駄のない質素な部屋だ。

 

 

 

「ここが君の部屋となる」

 

「ここがですか……なるほど。

 一人用の部屋に見えますが良いのですか?」

 

「あぁ、君の年齢だと色々大変だろうと、アーサー王がそう判断された」

 

「それはありがたいのですが、特別扱いは問題になるのではありませんか?」

 

「特別な人物を特別扱いしないのも、それはそれとして問題となるのだ。

 君は気にしなくていい」

 

「そうですか………それは、感謝しかありません」

 

 

 

 多少驚いている様な様子を感じ取れる。

 彼女は感情の一つもないという訳ではないようであった……むしろ、それ以外は何も感じ取る事が出来なかったという事でもある。

 

 

 

「何か足りないようなら、城下町に下りて揃えるといい。

 ……資金は大丈夫なのか?」

 

「キャメロットに訪れる前に、神父より多少貰っているので大丈夫です」

 

「そうか、それならいい。

 ……あぁそれと、もし城下町に下りる時は私の部下に声を一つかけてくれると助かる。もしかしたら、予定よりも早く君の待遇が決まるかもしれない」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 これ以上彼女と会話を続ける事は難しいだろう。

 もう、自分とこの子を繋げる用事は終わったからだ。これ以上引き延ばすのは怪しまれるだけでしかなく、まだ彼女の事に関してやらなければならない事が幾つかある。

 

 

 

 

「———そういえば、その黒いバイザーは中々君に似合っているな。

 それは一体どうしたんだい?」

 

 

 

 

 最後に、彼女が付けている……恐らく正体を隠す為の防具について尋ねた。そこから、何かの情報を得られないかと探る。

 彼女はその額に付けているバイザーに手を当てながら告げた。

 

 

 

「あぁこれですか。

 ……二年前に蛮族の攻撃を受けて、眉間から目にかけて大きく怪我をしてしまいまして、まだ跡が残っているんです。人に見せるものでもありませんし、私が他者に見せたくないので申し訳ありません。

 醜い傷跡があるだけで面白いものではないので、ご容赦下さると幸いです」

 

「———そうか。知らなかったとはいえ、すまなかった」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 

 

 結局何も引き出せない。

 それが嘘であるか本当であるかも分からない。

 

 

 

「……最後に良いかな、君とばかりで名前を呼んでいなかったから、名前を教えてくれないかな」

 

「……? あの決闘試合の時、アーサー王と共にランスロット卿も居ませんでしたか?」

 

「いや、すまない。

 ……実は聞き逃してしまっていてね」

 

「そうでしたか。

 ——ルーク。そうお呼び下さい。姓はありません」

 

「——そうか、ではルーク。良い一日を」

 

 

 

 

 ——本当の名前も知らぬ少女に別れを告げる。

 今日の用事が済んだら、後はどうすれば良いか。まず、トリスタン卿とベディヴィエール卿には相談しなければならない。今二人は、南方に詰めている。戻ってきたらすぐにでも相談しよう。

 アーサー王もこの二人に事情を説明するのを憚らない筈だ。

 

 

 彼女から視線を外し、部屋を後にする。

 

 

 

 

 

「えぇ。ランスロット卿も良い一日を」

 

 

 

 

 

 最後に見えた彼女の顔の表情。

 唯一見える口元が、小さく微笑んでいた事が何を意味していたのかは終ぞ分からなかった。

 

 

 

 

 




 
 この主人公に光を意味する"ルーク"という偽名を名乗らせる事が出来てとても満足。自分がやりたかった事の一つが出来ました。
 余談ですが、主人公の会話文を、何考えてるか分からない敬語口調のアルトリアをイメージして書くと凄いやりやすかったです。

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