騎士王の影武者   作:sabu

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 遊生夢死の対義語が見つからなかったので、それっぽい言葉を見つけるのに苦労したという裏話があります。
 


第32話 精励恪勤のケイ

 

 

 

 白亜の城キャメロットより北西。

 かつては磐石の守りなりと謳われた、セヴァーン川下流に作られたシルリア城塞は徹底的に破壊され、廃墟も同然の有様をさらしていた。

 

 シルリア城にて死亡した半数以上の騎士は、凶器となった筈の剣はどこにもないというのに、額に剣で突き刺されたような痕がある変死体として処理された。

 既に死体は適切に処理されたというのに、廃墟も同然の城には今も尚、肌身で感じられる死臭がする。

 凄惨な背景があった事を想像するのは決して乏しくはない。

 

 

 その城に一人、佇む男性の人影があった。

 

 

 普段は閉じられている筈の目を見開き、姿を見せているのは魔性の類を僅かに浸していると証明する黄色の瞳。

 しかし、その黄色の瞳は魔女程に深くもなければ、竜のような黄鉛色に澱んだ金色でもない。

 

 祝福されぬ生誕によって生まれた子——嘆きのトリスタンはシルリア城を静かに眺めていた。

 アグラヴェイン卿からの協力要請を受けたその瞬間から、いずれはこうなるだろうとは思っていた。そうなると思っていながらも協力したのだから、本来ならこの光景を実際に見たとしても、何も感じてはならない。

 

 しかし、トリスタンは思わずにはいられない。

 あの子の、その憎悪を。冷たい氷の表情の裏に潜む、世界全てを呪うに足る呪詛を。

 

 彼女の底無しの深淵を見たというケイ卿が言うには、彼女は個人を恨んではいないらしい。

 しかし、本当にそうなのだろうか。あの子は、許したとでもいうのだろうか。

 いいや、そんな訳がない。許せる訳がない。許せたというのなら、もうそれは人間ではないナニか。人間と称するには難しい程に感情が欠如したナニかだ。

 

 彼女は慈悲深い訳ではないだろう。

 もし彼女が慈悲深いのなら、この惨状はなんだというのか。

 彼女には慈悲もなければ容赦の欠けらもない。

 敵と判断したものには、等しく彼女の厄災が襲いかかる。

 

 ケイ卿は確かに言った。

 個人を恨んではいないと。しかし——許したと言っている訳ではないのだ。

 必ずそこに何かがある。決して見逃してはならないナニかが。確信と言ってもいい。

 今はケイ卿だけが僅かに知る、彼女の深淵の一端。それはこの惨状を作り出すに足るものだと、己の全てがそう囁いている。

 

 分からない。だからこそ足が竦む程に、彼女への一歩が怖い。

 あの憎悪は、むしろ個人に向いていた方が良かったのではないか——

 

 

 

「……何を愚かな事を

 己の罪を都合良く、簡単に罰して貰おうとでも思っていたのか」

 

 

 

 不意に浮かんだ考えをトリスタンは即座に否定し、少女へと抱いていた都合の良い仮定の未来を頭の中から消す。

 いずれ時が来たら、彼女に正しく復讐されよう。そうなれば彼女の憎悪が報われて、安堵が出来る。僅かにでも、そう思ってしまったのだ。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 トリスタンの頭に浮かんだのは、あの時自分と同じ場所にいた——ランスロット卿とベディヴィエール卿。

 彼らも、自分と同じ事を思っているのかもしれない。

 

 勿論、最初はランスロット卿もベディヴィエール卿も、ケイ卿の言葉に反論した。そんな訳がないと。

 しかし次にケイ卿が言った、全てを憎みながら個人を恨んではいないという矛盾。そして、本気で人間である事をやめようとしているという言葉。

 それに、全員が言葉を失わされた。

 

 

 "お前らはアイツの事を知らなければならない"

 

 

 此方への気遣いもなく、優しさの欠けらも存在しなかったケイ卿の言葉は、成る程あの凍りついた少女を従者に出来るだろうという納得感があった。

 

 

 

「竜の血を以って生まれた我らの王、アーサー王よ……貴方なら、人間とは一体なんなのかを理解出来ているのですか。

 人から国を守る竜へと至った貴方なら……私には、想像する事しか出来ない。

 人間をやめるとは、一体どういう事なのですか……」

 

 

 

 誰よりも愛と正義に生き続けている人情家のトリスタンは、二人の騎士と同じく、あの日あの場所にいた騎士王の事を思い浮かべながら、小さく言葉を溢す。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 トリスタンは深く目を閉じ、また別の人物を脳裏に思い浮かべた。

 瞳の裏に映るのは、救われなかった人々の代表にして、僅かな報いすら自分から拒絶したと思わしき少女の姿。彼は、黒いバイザーによって隠された少女の事を思い浮かべながら、愛用している竪琴を奏で始める。

 

 静かに弾かれた【痛哭の幻想(フェイルノート)】の糸は辺りの死臭を和らげ、穏やかな音を周囲に響かせ始めた。叛逆者とて、世の中を生きた一つの命とはいえ、これは王に仇なした者への報いではない。

 運命の反動によって、少女が欠けら程も要らぬと判断して捨て去った慈悲。溢れ落ちた少女の感情。それを自分が代わりに拾い集めて使っているだけ。

 

 奏でるは、死者へと送る鎮魂歌。

 この城で死んだ者達と——きっとあの日、死んだも同然な程に全てが停止してしまった少女へと送る、せめてもの葬送曲。

 トリスタンはその痛みと嘆きを思い、悲しみ続ける。

 

 

 その日、死臭に包まれていた筈の廃城が、柔らかな雰囲気に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大変不愉快な気分が良くなったという事は、彼には滅多にないが、今日この日は凄まじい程に不機嫌だった。

 周りの馬鹿共に怒り心頭という訳ではない。

 馬鹿ではない者が、自分が不在の間に良くもやってくれたなという思いを秘め、一番敵に回したくない筈の人物すら、今だけは敵にしても構わないと彼は本気で考えていた。

 

 今だけは、数ヶ月の遠征からようやく帰って来たという疲れも、命からがら生き延びたという恐怖も、身体中につけられた傷の痛みも、自分は誰かに守られなければこのザマなのだという不甲斐なさも、全てが意識から吹き飛んでいる。

 

 

 憎悪にすら匹敵するのではないかという激情を、冷たい表情にしながら——ケイはキャメロット城内を速足で歩いていた。

 

 

 目的の人物の私室に行ったが、不在。

 騎士の駐屯所には、ベディヴィエールが居ただけ。

 目的の人物が良く使用する尋問室には、その人物の部下だけ。

 

 なら後は——補佐官様御用達のブリテンの様々な情報が統括された書斎。

 

 

 

「——やっぱりここに居やがったな、テメェ」

 

「……開口一番にテメェ呼ばわりとは。遠征の疲れでもあるのか?

 まぁ無理もないか。ペリノア王が大きく負傷し、パーシヴァルに至っては日常生活に支障をきたす程の相手だったらしいではないか。

 お前が良く生き残れたものだ」

 

 

 

 書斎を荒々しく開け放ったケイは、書斎にて何かしらの書物を読み漁っていた目的の人物——アグラヴェインを見つけた。

 今だけは、僅かな軽口すら交わす余裕がない。

 

 

 

「んな事はどうでも良い。テメェへの用事に遠征の事は一切関係ない」

 

「…………さて、遠征以外の事で私を訪れたという事は、私個人への用事か。

 今日は随分と不機嫌な様子のようだが、私が何かをしただろうか」

 

「あぁ、お前何をしてくれやがった」

 

「……そこまでの怒りを私に向けるという事は、私の何かが気に食わなかったという事なのだろう。

 アーサー王不在の間に私が勝手に軍を動かした事か、もしくは君の従者の事についてか」

 

「後者だ。

 ——テメェ、オレの従者を何に使った?」

 

「ほう……」

 

 

 

 アグラヴェインは、ケイの様子に僅かな関心を持つ。

 ケイ卿は普段から不機嫌な事に変わりないが、それが顕著なのはほとんど全てがアーサー王に関しての事だった。

 それ以外の事については、馬鹿にする様に呆れるか、そもそも興味を持たない。そのケイ卿がアーサー王の事以外で深い怒りを見せた。

 

 ——成る程、今まで誰も従者をつけなかったあのサー・ケイが従者をつけたという事は驚きだったが、どうやら、融通の利かない周りの騎士達と違って一切の私心も私欲も挟まない、あまりにも有能だった従者の少年はケイ卿の心の深い位置にいるらしい。

 

 アグラヴェインは、ケイのその様子を見て寸分の狂いもなく確信した。

 

 

 

「何に使ったとは言い方が酷いな。

 ただ、彼はランスロットに肉薄出来るだけの実力者であり、その力を年齢という観点で抑えるというのは余りにも惜しいと判断しただけだ。

 優れた能力を適切に振るえる場を彼に提案したに過ぎない」

 

「適切……適切だと?

 お前、今確かにそう言ったな?」

 

 

 

 アグラヴェインの言葉に、ケイは強い反応を示した。

 ケイは手元から取り出した数枚の羊皮紙を、書斎の机に叩きつける。

 

 

 

「モードレッドが言っていたよ。たった二人だけでシルリア城を奇襲して攻略に成功したとな」

 

「あぁそう言う事か。

 つまりは、お前の大事な従者を奇襲という危ない作戦に組み入れたという事が許せないのか。その点に関しては——」

 

「違う。アイツなら当たり前の様に無傷で生還するだろう。それにモードレッドも居たんだ。はっきり言ってモードレッド単独でも何の問題もない。過剰戦力だ」

 

「はぁ……何が言いたいんだお前は。

 私の采配に余分な部分が有ったと言いたいのか。あそこにモードレッド単独だった場合、姑息且つしぶとい首謀者を逃していた可能性が高い。

 彼をあの場所に組み入れるのが一番相性が良かった」

 

 

 

 呆れたように呟くアグラヴェインだが、彼自身この判断は一つも間違えていたとは思っていない。

 どう考えても周りと足並みが揃わないのだから、少数精鋭部隊として運用するのに適している。モードレッドとの相性も悪くなく、モードレッドとはまた微妙に性質が異なる直感的な思考能力をも備えている。

 事実、シルリア王国との戦争は完璧だったと言ってもいい。また、鴉の騎士を称える逸話が一つ増えたという事だ。

 

 

 

「これを見ろ。オレが今さっき調べ終わったシルリア城の死体の有様だ」

 

「……それが一体何だ」

 

「調べていて恐怖がしたよ。

 半数以上の騎士が、謎の変死体として処理されている。半数以上だぞ?

 数にして三百はくだらない。その何割かは、超遠距離から気付かずに狙撃されていると思わしき死体もあった。

 ——こんな芸当が出来るのはオレの従者だけだ。無尽蔵に剣を作り出し、数分後には消えるという使い捨ての凶器として運用するのに最高の能力を持ったな」

 

「本当にそれが一体何だ。

 元より、彼が暇さえあれば弓の修練場に入り浸っている事は有名な話だ。私はその才能を見込んだに過ぎない」

 

「————ッッ!!」

 

 

 

 アグラヴェインの言葉が何かの琴線に触れたのか、ケイは憤怒の表情でアグラヴェインの胸ぐらを掴んだ。

 ケイの思わぬ行動に対し、アグラヴェインはこれといった反応も見せず、ただ冷ややかにケイを見下ろしている。

 

 

 

「アイツの……アイツの弓は——」

 

 

 

 ケイが震える声で小さく呟いた言葉が何を意味するか、アグラヴェインには見当がつかなかった。

 

 

 

「はぁ……どうしたケイ。取り乱し過ぎだ、いつもの貴様らしくないぞ。

 まずは落ち着け」

 

「………………」

 

 

 

 アグラヴェインは静かに、自分の胸ぐらを掴んでいるケイの腕に手をかける。

 相手が別の人物ならいざ知らず、アグラヴェインはケイに関しては一定の信頼を置いていた。

 ここまで来ると、ケイは狂乱して自分を見失っているにも等しい。

 

 アグラヴェインはケイの事を宥めながらも、頭の中では並行してケイの様子を観察する。

 いちいち自分から相手のペースを乱す必要がない程に、ケイの情緒は分かりやすい。ケイは深く、そして大きく深呼吸をしていたが、頭に上り切った血はまだ冷えていなかった。

 多少言葉に気を付ける必要はあるが、適当に揺さぶりでもかければすぐに真実は判明するだろう。

 

 

 

「従者に対しての入れ込みが凄まじいな。

 はっきり言って貴様らしくないぞ。何があった」

 

「……うるせぇ、お前は関係ない。というか関わって来るな」

 

「貴様から突っかかっておいてそれか。なんともまぁ子供の我儘と変わらんな。

 お前の従者の方がよっぽど大人だぞ」

 

「……………」

 

 

 

 一応は落ち着いたのか、ケイはその言葉に対して激昂する事はなかった。しかし、冷たい表情でアグラヴェインを睨みつけている。

 

 その様子を見ながら、アグラヴェインは冷静に思案を進める。

 あの従者とケイの間に何かがある事と、それが原因でケイがその従者に対して入れ込んでいる事はほぼ確定と言ってもいい。

 しかし、その入れ込み方は度が過ぎている。

 

 

 "不要な世話を焼く面倒な保護者の様だな"

 

 

 アグラヴェインはそう思案した。

 

 

 

「なんだ?

 貴様は小さい子供が殺傷を犯すのは間違えているという、彼にとってはただただ迷惑な感情でしかないモノでも抱いているのか?」

 

「…………———」

 

 

 

 その言葉にケイが歯軋りしながら反応したのを見て、アグラヴェイン卿は当たりだなと判断した。

 なんとも、不機嫌になりながらも大抵の事は割り切るか受け流すケイらしくない感情だった。

 はっきり言って意味のない、無駄な感情でしかないというのに、それをあのケイが理解していない筈がない。

 

 それとも、無駄な行為に走る程ケイは堕ちてしまったのか、もしくはキャメロット城が出来てから、何処か諦めたような様子を見せていたケイを、再びナニかに燃えたぎらせる出来事でもあったのか。

 

 後者だろうなと、アグラヴェインは当たりをつけた。

 ケイにとってはどうやら、冷徹な思考能力と卓越した殺人技術を封印させてでも何とかしたいナニかがあの従者にはあるらしい。

 

 しかし多少の興味は湧いたが、アグラヴェインにとっては心底どうでも良かった。

 

 

 

「なんともまぁ無駄な事を。

 騎士になった以上、誰かを殺すのは当たり前の事だ。誰かを守る為に騎士になっただけで、誰かを殺す為に騎士になったのではないとほざいて許されるのは子供だけだろう。

 尤も、彼は既にその地点にはいないようだがね」

 

「そんな事は知ってるんだよ……でもそれを当たり前のように捉えたら……」

 

「捉えたらどうなる?

 そもそも、彼が蛮族狩りに強い意欲を見せている事はあまりにも有名だ。その苛烈な姿勢もな。そして、時折その様な依頼を彼に回すか彼と共に依頼を解決している貴様の事も有名だ。

 殺人を犯すなら常に自分の目につく範囲でやれと?」

 

「………………」

 

「それとも、蛮族狩りと叛逆者の粛清は違うというのか?

 蛮族も王に仇なす叛逆者も、等しくブリテンの悪でしかない。何が違う?」

 

 

 

 アグラヴェインの言葉に、ケイは反応を返す事が出来なかった。

 反論したところで意味がないと気付いているからだ。ケイは自分の行いが無駄であると理解している。

 そして、それと同じく——今はまだ、ケイしかその差が理解出来ていない。

 

 蛮族狩りと、叛逆者の粛清。

 同じブリテンにとっての悪を狩るという行為でも——あの少女の精神状態では致命的にすらなり得るかもしれない、その差。

 

 

 

「——それに、これは私の問題ではなく、ケイお前自身の問題だろう?」

 

「……んだと?」

 

「譲れぬ一線を持つのはいいが、どうかそれを私にまで押し付けないで欲しい。お前が折り合いを付けて許容すれば良いだけの話だ。

 お前の従者ならそうするんじゃないか?」

 

 

 

 黙り込んだケイに、アグラヴェインはそう告げる。

 言外に、その話は自分ではなくその従者本人にしろとアグラヴェインは言っているようなものだった。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ケイは一瞬だけ俯いて思案した後、舌打ちをしながら書斎を出て行った。

 取り敢えずは、狂乱の域にまで達していた憤怒は治ったらしい。

 

 

 

「……さて。これは彼を引き抜くのは無理そうだな」

 

 

 

 ケイの後ろ姿を見送った後、アグラヴェインは小さく呟いた。

 一切の私心も私欲も持たず、淡々と粛清を完了させた少年。既に、一般的な騎士以上の働きをこなし、自らの部下に加え入れたとしても充分な程に通用する力量を持つ。

 しかも、彼の在り方とその精神は此方よりだ。

 はっきり言って彼を引き抜きたいが、そうすればケイ卿が絶対に譲らぬ一線を踏み抜き、逆鱗に触れる事になる。

 

 ケイ卿の逆鱗に触れてでも彼を引き抜くメリットは——

 

 

 

「まぁ、後で考えれば良い」

 

 

 

 アグラヴェインは冷徹な思案をやめ、シルリア王国の一件から水面下で膠着状態となっている、アイルランド島の諸国の情報をまとめ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女がキャメロット内に居る場合、大抵は3つの場所の何処か。

 慇懃無礼の様でいて、妙な所で律儀な部分のある彼女だが、流石に自分の私室の前で待機しているという事はなかった。

 残る場所は後二つ。

 

 駆け足で彼女の私室まで急ぐ。

 彼女の私室に到着して、すぐに扉をノックするが返事はない。声をかけても返事は返って来なかった。つまりはいない。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 残る場所は一つ。

 出来れば外れていて欲しい場所に、彼女は居るのだろう。

 

 ケイは重くなった足取りを強引に進め——彼女と一番最初に出会った場所に向かった。ただ、あの日と違うのは姿隠しの外套を持っていないという点だけ。

 

 重い足取りで、暇さえあれば彼女が入り浸っている弓の修練場に向かう。

 修練場に近付けば、断続的に響いて来る弓の音。しかし、その弓の音は金属が撓んでいると思われるギリギリという音と、矢を番えていると思わしき金属が擦れる音。

 

 

 

「———————」

 

 

 

 そんな音を響かせる事の出来る者は、ブリテンでただ一人しかいない。

 あの日と同じく、彼女は一人で静かに弓を引いていた。もう、隠す事をやめた能力で作り出した、彼女にはあまりにも不釣り合いな巨大で黒い洋弓。番えているのは剣程の大きさのある矢。

 

 いや、矢ではなく本当に剣なのだろう。

 矢として撃ち出す為の剣と、その剣を撃ち出す為の弓。

 

 奇妙な感覚だった。

 弓の大きさと体躯の小ささも相まって何一つ彼女には相応しくない筈なのに、彼女を構成しているあらゆる要素が、その姿こそが相応しいと告げている。

 あの日に見た彼女の弓を射る姿よりも、ずっとずっと美しかった。

 

 そして、その美しい弓を——彼女は当たり前の様に殺人に使ったのだ。

 今だけは、その弓を射る姿を見たくなかった。

 

 

 

「どうしましたかケイ卿。

 遠征から帰って来たばかりの貴方はきっと疲れ果てているだろうから、此方からの出迎えなど要らないだろうと判断していたのですが、私に何か用でもありましたか?」

 

「…………………」

 

 

 

 少女は弓を引く手を止め、振り返る。

 そして、少女が振り向いた影響で、彼女の横顔で見えていなかった肩の部分が見えるようになる。

 

 少女の肩には——金色の瞳をした鴉が止まっていた。

 

 

 

「なんだ……その鴉は」

 

「——この鴉ですか?

 ケイ卿も知っているでしょう? 私の二つ名の由来にもなったあの鴉ですよ。

 私は何一つ迷惑していませんし、何より懐かれていて悪い気分もしませんので自由にさせています。害になる様な事をしない限りは誰にも襲いかかったりはしませんので、まぁ気にしないで下さい」

 

 

 

 少女はいつもの平静とした様子で語った。

 ただ、その鴉は酷く不気味で仕方がなかった。鴉相手に一体何をと思いながらも、此方をジッと見ている冷たい金色の眼差しが、ケイをいつの間に縛り付ける。

 冷たい空気がその鴉から広がって、その冷たい冷気が、足元から背中まで這って行っている様な感覚だった。

 

 

 

「それで、私に何か?」

 

「…………………ッ」

 

 

 

 少女の声で、ケイはその金縛りから解放された。

 長い間息を止められていたかのように、ケイは思わず荒々しく酸素を取りこむ。

 

 

 

「コラ。ケイ卿は敵じゃない。やめてくれ」

 

「…………………」

 

 

 

 少女の言葉に、その鴉は一瞬だけケイを睨み付けた後、金色の視線をケイから外す。

 許されて良かったなとでも言いたげな様子だった。

 

 

 

「お前……悪いモノに取り憑かれているんじゃないか……?」

 

「まさか、鴉は幸福の象徴なんですよ? そんな訳がないじゃないですか。

 まぁ貴方が言うには、鴉に見放されたら災厄が振りかかるらしいですが……そうなったら私は本当に困るので、この鴉だけは裏切らないようにします。

 ですので、ケイ卿の心配は全くの不要です」

 

「……………」

 

 

 

 その言葉を告げた声色は平静のようでいて——何よりも力強かった。

 今まで冷めた口調とも感情を押し込めた言葉でもない。これだけは譲る気はないと、静かながら厳かさすら含んだ口調が告げている。

 ある意味、彼女が発して来た言葉の中でも一番人間らしいかもしれない。

 それ程だった。

 

 その言葉は、鴉にも伝わったのだろう。

 鴉は静かに目を閉じ、身体を預けるように少女の肩に蹲る。

 何となく、鴉のその様子が——安心するように撓垂れ掛っているように見えた。

 

 

 

「それで、結局私に何の用ですか?」

 

 

 

 肩に蹲った鴉の事を気にしながら、少女はケイに言葉を返す。

 しかし、少女は鴉の身体に触れるような事もしなければ、頭を優しく撫でるような事もしない。

 どう考えても互いに心を許しているとしか思えない間柄なのに、飼い主と飼われている動物の関係には到底見えなかった。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 ケイは、一瞬言葉を失った。

 彼女から時折滲み出る冷たさはそこには無く、今の彼女にあるのは歳不相応に落ち着いた平静さとも何処か噛み合わない。

 

 今まで見て来たどの姿よりも彼女は調子が良さそうで、どこからどう見ても、大人びているだけの———年相応の少女だった。

 

 

 

「…………ケイ卿?」

 

 

 

 言葉が出ない。

 彼女に今から聞こうとしている事は、彼女にとってはどうしようもなく迷惑な事であると理解している。

 聞けば、間違いなく彼女はいつもの平静さを取り戻すだろう。

 ここまで心安らかにしている彼女から、この平穏さを奪い取っていいのか——

 

 

 

 

 

「……………………お前、シルリア王国との会戦で、奇襲部隊として参加したらしいな」

 

「……それが?」

 

 

 

 

 少女は当たり前のように、いつもの様子を取り戻した。

 

 

 

 

「…………お前、殺人に弓を使っただろ。今やっている、その弓を。

 お前のそれは、自らの精神を落ち着かせる為なのと、誰かを目指してやっているんじゃないのか」

 

「………………」

 

 

 

 ケイの言葉に、少女は黙り込む。

 明確な形で言葉にされなかっただけで、少女はケイ卿が何を言いたいのかを履き違える事なく、正確に読み取った。

 

 自分が言う様に、その借り物の力を、当たり前の様に殺人に使っていいのかとケイ卿は聞いているのだ。

 確かにあの日、本物にしてやれば良いとは言われている。だからと言って、それを都合良く利用していいという話にはならない。

 

 

 

「…………目指しているという訳ではありませんが、でもそうですね。私が勝手に都合良く使っている事に変わりはない。

 もしかしたら怒られてしまうかもしれません」

 

「……………」

 

「それでも、私はこれをやめる気はない。きっと、私はこれからも様々なモノを都合良く利用し続ける。剣も弓も、結局は殺人の為の技術でしかないと割り切る。

 いずれ来るかもしれない揺り戻しが来た時には、勿論それを甘んじて受け入れますが」

 

「……そうか。そうかよ」

 

 

 

 聞きたい事はもう聞いた。

 言いたい事はあるが、ここから先は平行線からどうやっても動く事のない、本当に何の意味もない言葉だ。当たり前の様に、彼女は殺人を犯し始めるだろう。

 あの日と違って、彼女を引き止める言葉などもうない。

 

 

 

「おいルーク。お前身体には気を付けろよ。

 お前は決定的な場面で我を見失って、そのまま倒れ込むタイプだからな」

 

「はい……?」

 

「いいな、本当に気を付けろよ。

 どうなってもオレは知らないからな」

 

 

 

 そう言って、ケイは修練場から出て行った。

 その後ろ姿を眺める黒いバイザーを着けた少女と——冷たさ以外のモノを宿した、金色の瞳。

 

 

 

 

『……ふーん』

 

「どうした——モルガン?」

 

 

 

 少女は鴉に向かって小さく言葉を投げる。

 しかし、鴉は口も開いてなければ言葉も発していない。

 する必要がないからだ。彼女にとっては、端末化している鴉を媒体にしながらキャメロットの防御壁を貫通させて、たった一人の人間にだけ聞こえる念話を届けるなど造作もない。

 勿論、それに気付ける者は、そのたった一人しかいない。

 

 

 

『別に何でもない。

 ただ、ようやく少しはマシな目をするようになったなって思っただけ』

 

「マシな目……?」

 

『えぇそう。マシな目。

 あの男は、怒りを燃やしている様に見えているだけで、ぼんやりと一生を過ごしてそのまま死んでいく様な奴がする目をしていたのだから』

 

 

 

 その鴉——魔女モルガンから返って来たのは、過去のケイ卿を何処か侮蔑する言葉だった。

 今現在のケイの様子しかまともに知らない少女は、モルガンの言葉に今ひとつ来ておらず、疑問に眉を顰めて少女は言葉を返す。

 

 

 

「そうなのか……?

 何というか、想像が出来ないんだが……流石にモルガンの勘違いじゃないか?」

 

『あの男にどんな印象を抱いてるの。

 いい、あの男は絶対に見逃してはならないモノを見逃して、そのまま何も出来ずに死んでいくようなタイプの男よ。

 ついでに言えば、決定的な場面で外してはならない二択を外す男』

 

「…………辛辣の極みだな」

 

『事実ですから。まぁ万に一つの可能性で、私が彼らに抱いている悪印象が先行しているかもしれないけれどね?』

 

「…………本当に辛辣の極みだな」

 

 

 

 モルガンのあまりな発言に、少女は苦笑いをしながら言葉を返す。

 彼女の人間嫌いの事に関しては誰よりも知っているという自覚が少女にはあるが、流石にこれは想定外であった。

 モルガンにとっては、忌々しい妹の義兄というなんとも微妙な立場にケイ卿がいる事は知っているが、度が過ぎる程に辛辣である。

 

 望まずとはいえ、結構助けになって貰っているんだけどな、と少女は考えながらも、モルガンの言葉に関しては深く反応しない事にした。

 

 

 

『ええまぁ……さっきのあの男は多少マシな目をしていた。自分では不相応だと理解しながら、それでも足掻く気概を持ったね。

 というかそれでも遅すぎる。ようやく男を見せ始めたのかって感じです。

 出会いが無ければ自らの心を慰める様に、延々と女の尻を追いかけ回すような人生を送っていたんじゃない?』

 

「…………認めているのか、貶しているのか分からないな、その言葉」

 

『どっちもです。

 それはそれとして見栄を張っているみたいで…………うん、腹立たしい。もっと苦しみなさい。ざまぁみろよ』

 

「完全に最後は私怨じゃないか……」

 

 

 

 苦笑いしながら、少女はモルガンに返す。

 それでも、何の感情を挟まず殺意と憎悪で睨みつけるのではなく、こういう風に可愛げのある憂さ晴らしで済むようになった辺り、モルガンは丸くなったなと少女は思っていた。

 

 

 

『それはそうと……あの男に乗っかる訳じゃないけど、貴方は本当にちゃんと休んでる?』

 

「うん。身体には何の不調もないから——」

 

『嘘ね。身体が丈夫になったから、私と一緒に住んでた頃と生活のリズムを大きく変えてるでしょう?』

 

 

 

 少女の言葉に被せて遮るようにモルガンは言葉を発した。

 モルガンは、少女の状態と荒れた生活を正確に読み取っていた。

 

 

 

「いや……別に私は」

 

『何、貴方に対人技術を教えた私が見抜けないとでも?

 ……良い? 確かに今は身体への不調としては表れてはいないけれど、貴方は元々ただの人間。

 いつか絶対にその揺り戻しが来る。その時が来たら、貴方はいきなり糸の切れた人形の様に動かなくなるのかもしれないのですよ?』

 

「…………」

 

『勿論これはただの脅し。貴方に宿る竜の炉心は、貴方の事を一切拒まず完全に同調している。でも、それはそれ。

 貴方と一緒に過ごしていた頃から思っていたんだけど、貴方の弓を見てますます確信したわ。

 貴方は脳への依存度が恐ろしく高い。そんなにずっと意識的に集中していたら酷い頭痛が起きる。間違いなく』

 

「……………」

 

『肉体的な疲労はすぐに回復するから隠せても、精神的、もしくは精神から由来する疲労は隠せない。少なくとも私は気付く。

 ……私は充分満足したから、今日はもう寝なさい。そのバイザーも外して。重量は僅かとは言え、ずっと着けていたら肩凝りにも繋がるし、後蒸れるだろうし』

 

「いや、流石にそこまでは……」

 

『貴方の自室に人払いの魔術をかければいいだけの事。誰にもバレないし、そもそも私がバレさせない』

 

 

 

 少女に一切の言葉を許さずに、モルガンは少女の思惑を先読みしながら言葉をたたみかける。

 基礎が良かったとはいえ、彼女を円卓の騎士に——特にアグラヴェインにも通用するまでに育て上げたのは他ならぬモルガンだ。

 少女との舌戦に勝利するには、彼女側にペースを握らせないようにするという事を——ケイ以上にモルガンは理解している。

 

 

 

「……………」

 

『——ルーナ、良い?』

 

「……はぁ、分かったよモルガン」

 

 

 

 モルガンの想いと押しに負けて——ルーナは素直に従った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多分、自分は静かな場所が好きなのだろうと認識していた。

 そして、その静かな場所から人々の賑わいを見るのが、好きなのだと。

 時折、その人々の賑わいの中にいる自分という光景を思い描く事はあっても、その中に交ざりたいという望みは自然と湧いて来なかった。

 

 一人静かに、自らの執政室で佇んでいても、孤独だと思う事はない。この穏やか空間はかなり気に入っている。

 そして、この静寂に包まれた空間を破壊出来るとしたら、その人は———

 

 

 

「……いきなりどうしたんですか、ケイ兄さん」

 

「これを見ろ」

 

 

 

 王の一室に、ノックもなしでいきなり飛び入る事が出来る唯一の存在を見て、アルトリアは瞬時に思考を切り替えていく。

 彼女の義兄のケイは、明らかに今さっきまで走っていたと思わしき程に息が上がっていた。

 

 

 

「これは?」

 

「アイツがシルリア城にて殺害したと思わしき叛逆者の人数だ」

 

「……………」

 

「お前、これを見てどう思う」

 

 

 

 きめ細やかな机の模様を隠すように、何枚もの羊皮紙が机にばら撒かれる。

 アルトリアは、義兄が言うそのナニかを感じ取る為に、即座に羊皮紙へ目を通し始めた。

 

 自分がキャメロットを不在にした間に起きた、叛逆と粛清。アグラヴェイン卿がそれを完璧に治めた事はアルトリア自身も既に把握している。

 羊皮紙に記されているのは、キャメロット本隊の事ではなく、作戦上は遊撃部隊とされながらも、シルリア城を奇襲し一人残らず殲滅した二人の人物についての記載。

 

 モードレッドの戦果についてはケイ卿が事前に省いていたのだろう。そこに記載されているのは、変死体として処理された死体についての記載ばかりだった。

 

 

 

「空恐ろしくなるよ。

 アイツは、モードレッドとトリスタンとアグラヴェインの能力を良いとこ取りして3で割ったみたいな性能をしている」

 

「叛逆者の粛清……彼女の様子は」

 

「あぁ」

 

 

 

 記載されているものを見て、その容赦の無さをアルトリアは正確に理解した。

 シルリア城での一件を見た訳ではないのに、その羊皮紙を読み解いていくだけで、少女が無慈悲に殺戮していった情景が頭に浮かぶ。

 

 

 

「モードレッドが言っていたよ。アイツは奇襲に対して不満はなく、また——明確な殺意を晒したってな」

 

「………………」

 

「アイツの佇まいの所為で思わず忘れそうになるが、アイツは十の子供だ。

 はっきり言おう。タガが外れ始めた」

 

「………………」

 

「あぁ、タガが外れたんじゃなくて、外れかかってるのか……もしくは最初からこうなのか……?

 あぁ分からねぇ。分からねぇが、アイツが明確な殺意と憎悪を形にした事は確かだ」

 

 

 

 彼女自身に自覚があるのかどうかは分からないが、彼女と蛮族狩りを共にしたケイだからこそ知っている。

 彼女は蛮族狩り中に感情を晒した事などない。非常に淡々と、まるで作業でもしているかの様な佇まいだった。

 

 だが、叛逆者の粛清に関してはどうだ?

 モードレッドが言っていた、最後の瞬間に見せた憎悪。そして、ゴール国では慈悲も容赦も見せずに殺戮し、最後の最後で深い怒りを見せた。

 

 矛盾しながら、一切狂わない天秤。

 それが、狂う兆しを見せ始めている。最初からこうなのかは誰にも分からない。

 しかし、彼女の矛盾した精神状態では、致命的になってもおかしくはない——その差。

 

 普段は蓋をして隠しているモノが、僅かにでも溢れ出したのは明確だった。

 彼女が向ける憎悪の対象に際限がなくなるのが先か、もしくはそれを彼女自身が理解して強引に自らを引き留めて、彼女の精神が壊れるのが先か。

 

 もしかしたら、そのどちらも訪れないかもしれない。

 ただ、彼女はまだ子供だ。精神が定まっているようで、まだ定まっていない微妙な年齢。

 もう先送りなど出来ない。

 

 

 

 

「アルトリア——アイツと会え」

 

「…………————」

 

 

 

 

 ケイの言葉を受け、アルトリアは静かに目を瞑る。

 僅か数年の間で出来た、彼女との大きな因縁にして拭い去る事の出来ない壁と溝。

 自分が生み出してしまったかもしれない——次の災厄。

 

 決着が付く訳ではない。

 それ以前に、少女と相対していないのだから。

 ——故に、まずは同じ席に着かなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

「——分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

 閉じていた瞳を開き、アルトリアは静かに決心の意を示した。

 

 

 

 




 
 次話の繋ぎ。
 まるで最終決戦前夜みたいな緊張感だ……
 

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