騎士王の影武者   作:sabu

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 原典をFate的解釈するの超楽しい。
 次話と次々話と二十話くらい先の布石塗れです。
 


第37話 サー・ガレスと焔の令嬢 承

 

 

 

 どれ程の時間、意識を失っていたのかは分からない。

 リネットが瞼を開ければ、瞳には光と暖かさが飛び込んで来た。そして次に、太陽の光を浴びているような温もりが肌で感じられる。

 ユラユラとしていたリネットの思考は、パチパチと燃える焚き火の音と、隣から響いて来た何か砕くような音で覚醒し始めていた。

 

 

 

「………………」

 

「起きましたか。

 可能なら、まだ休んでいた方が良い」

 

 

 

 次に聞こえたのは少年の声だった。

 隣から響いていた何かを砕くような音は消え去り、此方を気遣う優しげな言葉がリネットの耳に入って来る。

 

 ——叱責するような言葉だったら気が楽だったのに。

 そんな後ろ向きな事を考えながら、リネットは身体を起こした。

 

 

 

「……あれからどれくらい経ったの?」

 

「3、4時間程。

 もう太陽は落ちている。明日太陽が出始める早朝から移動を開始する予定なので、貴方は身体を休めた方が良い。夜明けまでそれ程時間はない」

 

「……私が焚き火の見張りをする。

 貴方達が休んで。私はもう休んでいるし……私は何の役にも立たないから」

 

「……………」

 

 

 

 リネットは、自虐的な笑みと共にその言葉を呟いた。

 目を開けた瞬間に飛び込んで来ていたのだ。自分よりも歳下の二人の子供が、傷付いていたその姿が。

 

 ボーメインは黒騎士との戦闘の疲労もあってか、横になってグッスリとなって眠っている。

 しかし、額には大きな包帯が巻かれていた。血が滲んで僅かに赤くなっている包帯が。更に若い隣の少年も、衣服越しではあるが、肩に包帯を巻いているのが分かる。

 

 隣の少年は無事そうだからと安堵する事はリネットには出来なかった。

 自分を庇って出来た傷。しかも、彼は自分が目覚めるまで睡眠を取らずに見張っていたのは明白だった。

 

 自分自身が情け無く思えて、悔し涙が流れそうになって来る。

 隣の彼も横になって眠ってくれるのなら、この涙を見せなくて済むのだからとリネットは本気で願っていた。

 他人に舐められないように付けていた勝気な仮面はとっくに外れているのだとしても、リネットにとっての最後のプライドが、歳下の子供に不甲斐ないところは見せたくないと叫んでいた。

 

 

 

「不要です。貴方が休んだ方がいい。別に私は疲労を隠している訳でもなく、本当に疲労していませんから。貴方とは違って」

 

 

 

 だが、少年はリネットの最後の抵抗を察せなかったのか、もしくは察したうえで敢えて拒否したのか、そのまま言葉を紡ぐ。

 

 

 

「は……? 何が……」

 

「隠せていません。明らかに貴方は本調子を取り戻せていない。

 キャメロットで一目見た時からなんとなく感じてはいましたが、今確信しました。貴方寝てないでしょう。貴方の国からキャメロットに着くまでも含めたら、約三日近くですか?

 さらにここから貴方の国まで休みを取らずに強行すれば、最悪死にますよ」

 

 

 

 ——バレてる。

 

 勘繰るような口調ではなく、淡々と事実を告げるような口調の少年の様子を見て、リネットは確信した。

 少年の言葉は事実だった。彼女は本当に一分一秒も無駄にする事なく、キャメロットまでの道のりを無理矢理進んで来ていた。馬の休息も最低限で、食べ物は水しか摂っていない。

 そもそも、リネットはいつ疲労で倒れてもおかしくない状況だった。

 どう頑張ろうと、限界をとっくに迎えた肉体が休息を求めていた。

 

 

 

「未だ年若い乙女が、一睡も取らず、また飲まず食わずにも近い状況でキャメロットまで最速で訪れたというだけで驚愕だというのに、貴方はキャメロットから自分の国に戻るまでの道のりも同じ事をしようとしていた。

 どう考えても肉体が持つ訳がないのに、それを精神力だけで無理矢理支えている。はっきり言って異常だ」

 

「……………」

 

「貴方程の人間は初めて見ました。

 私が見てきた"人々"の中で、貴方は一番強い人間だった。

 どうか休んで下さい。貴方の事を気遣っているのもありますが、何より貴方が倒れては本末転倒です」

 

 

 

 ——どうしてそこまで見抜いていながら、なんで私の想いは汲み取ってくれないんだ。

 

 リネットは、その考えが見当違いのものであると気付いているのに、無慈悲な優しさを見せる少年に思わずやり場のない怒りを抱く。

 そして、その怒りは結局自分の内側に向くものなのだ。悔しい。悔しくて仕方がない。乙女だから泣けば許されるなどとは到底思ってないのに、悔し涙が溢れて来そうになる。

 

 

 

「……何なのアンタ、バカなんじゃない。

 一人の騎士として私の想いを汲み取ってくれるって誓ったくせに、私の想いは汲み取ってくれないの?

 私の事を気にして、それで家族を救うのに間に合わなくなったら、それこそ本末転倒じゃない」

 

 

 

 リネットは膝を抱えて、丸くなりながら少年に対して抵抗した。顔は膝に埋めて見えないようにしている。少年とは目線を合わせたくなかった。

 

 

 

「はぁ……そう言われると難しいですね。

 依頼者も守るのが騎士の務めだと諭しても、貴方は納得しないでしょう」

 

「……………」

 

「……私がランスロット卿なら話は違ったのでしょうね。ボーメインが傷付く事もなかったし、彼なら私よりももっと上手くやっていた。それに、貴方の不調を気付けなかったのは私達の方に責任がある。

 というかそもそも、貴方は貴方が出来る限界以上の事をやっていた。それをどう責めろと」

 

「……そう。なら、責任を感じているなら私の言う通りにしなさいよ。

 私は戦えない。そして戦うのは貴方達。だから、いざ戦うってなった時に不調だと困る。特に貴方は。いい、私が困るの。分かってくれない?」

 

「……………」

 

 

 

 少年と目線を合わせないように、膝に顔を埋めているが、たったそれだけで瞼が落ちそうになってくる。眠い。身体が重くて仕方がない。

 ——でも、絶対に寝ない。自分が寝てしまえば、家族を救う事の出来る力を持った少年が、今日は睡眠を取らないから。いや、きっと明日から徹夜で馬を進めるだろう。つまりは、少年は今から自分と同じ事をするのだ。

 

 リネットは、疲労と心労の両方に襲われて吐きそうになるほどの倦怠感が身体を襲い続けている。

 こんな状態で戦えるかと言われたら絶対に不可能だ。だから、少年も今の自分と同じ状態には絶対にさせない。何がなんでもさせてやらない。

 

 あぁ、早く横になって休みたい。

 私の事はいいから、早く横になって休んで欲しい。

 矛盾した両方の欲求が心身を解離させてくる。

 

 辛い。キツイ。そもそもこんな問答をしている時間すら無駄に思えてくる。

 さっさと決めて欲しい。

 

 

 

「リネット嬢、私の人差し指は追えますか?」

 

「……ぇ」

 

「ほら。私の指を追って下さい。頭を動かすのではなく、目で」

 

「…………………」

 

 

 

 そう言って目の前に出されたのは、少年の小さな指だった。本当に同じ人種の人間なのかと思える程に白く、また綺麗な指だった。

 リネットは頭を上げ、思っ切り瞳を擦ってから左右にゆっくり動く少年の指を目で追おうとする。しかし上手くいかない。どうして頭も一緒に動く。

 

 

 

「……良くその状態で意識を保ってられますね。次の瞬間には倒れるように気絶してもおかしくないというのに」

 

 

 

 少年の言葉に、リネットは唇を噛み締める。何一つ叱責したり罵倒する訳でもなく、ただ淡々と事実を口にしていく彼の言葉が恨めしかった。

 だからこそ悔しくて仕方がない。彼は、次の瞬間には気絶するように意識を失いかねない自分を信用していないのだ。火を消してはならないという以前に、ここは森の中。

 野盗、獣、蛮族。僅かな月明かりしかない夜の暗闇は、容易く人の命を奪いとる。そんな中で、信頼出来ない人物に警戒を任せる筈がないのだ。

 

 

 

「はぁ……まったく。

 これをどうぞ、目が覚めますよ」

 

「……何それ」

 

「コーヒー。まぁ別に知っていても知らなくても良い。苦いので目が覚めます」

 

 

 

 少年が先程、何かを砕いていたのは知っていた。

 彼は、その粉末状にした何かに、焚き火で作っていたお湯を注ぐ。

 

 

 

「苦いので受け付けないかもしれませんが、一気に飲み干せば良い。多分目が覚めます。温度はちゃんと調整してありますので」

 

 

 

 少年から受け取った容器には黒い液体が入っていた。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 湯気が立っている。

 なのに——匂いがしない。

 恐る恐る、リネットは一口つけてみるが——味もしなかった。

 

 

 

「何これ。匂いもしないし味もしないんだけど」

 

「———…………なら、早く飲み切ると良い」

 

 

 

 リネットは少年に急かされて、そのまま一気に飲み干した。相変わらず味はしない。黒いだけのお湯にしか感じられなかった。

 でも、ただのお湯ではなかったのだろう。目が覚めるから、と少年に言われたのもあるのかもしれない。何となく目が覚めたような気がする。

 

 

 

「ありがとう。これでまた頑張れそうな気がするわ」

 

「はぁ…………」

 

「何よ」

 

「貴方に任せる気はさらさらありませんでしたが、尚更任せられなくなりました」

 

 

 

 先程までの静かだった筈の口調には、僅かに咎めるような口調が含まれ始めた。少年は本気で怒っている。しかし、それは敵対者に向けるような冷たいものではなく、心配の色を大きく含んだものだった。

 

 

 

「まず一から説明しますが、貴方の気遣いは不要です。歳下の子供だからと言う気遣いも必要ありません。そもそも貴方と私とでは身体の出来が違う。出血も既に止まった。それに、一日、二日睡眠を取らなくても何の支障もない。

 敢えてハッキリ言います。貴方の強がりは無駄です」

 

「……………」

 

「むしろ、貴方が倒れると手間が増えます。

 家族の為を思うなら私の言う事を聞いて欲しい」

 

 

 

 リネットは再び膝に顔をうずめて、少年の言葉に返した。

 彼女の最後のプライドが、少年のその言葉を黙らせろと叫ぶ。

 

 

 

「何よそれ。自信過剰にも程があるんじゃないの。

 それで結局家族が救えなかったら、困るのは私なの。今の私に出来る事を頑張るのはそんなに悪い事なの?」

 

「えぇ、悪い。貴方の強がりは無駄だ。

 何故なら——私が絶対に貴方の家族を救うから」

 

 

 

 その力強い言葉に、リネットは思わず顔を上げてしまう。

 少年はユラユラと燃える焚き火の炎に視線を向けながら、そう語っていた。

 バイザーで彼の表情は見えない。でも、炎の揺めきの先に、少年は何かを思い浮かべているような感覚がした。

 

 

 

「私がではなく、私達と言った方が良いのでしょうが……まぁ私がいないとなんだか上手くいかない気がして来たので。特に貴方が」

 

「…………」

 

「貴方が自分は戦えないから、そして自分の願いに巻き込んで、自分よりも歳下の二人を傷付けさせたと罪悪感を感じているのは分かる。

 しかし、今の現状で貴方が悪いと思える部分が見当たらない。貴方以前に、馬にも限界が来ていたからいずれ休ませなくてはならなかった」

 

「だからと言って、貴方が休まなかったら……」

 

「三時間後にボーメインを起こして警戒を代わって貰います。それなら貴方も納得出来るでしょう?」

 

「じゃあ、私が三時間後にボーメインと代わって交代すれば良い」

 

「ダメです。正直言って、貴方は一日絶対安静にして欲しいくらいなのです。一夜だけの休息しか貴方に与えられないのも、苦肉の策だ。

 一応聞きますが、貴方は今立ち上がれるんですか?」

 

 

 

 挑発するような言葉使いに、リネットは憤然としながら立ち上がろうとして、思っ切りフラついて躓く。一旦止まってしまった肉体は、もうまともに動いてくれなかった。

 

 

 

「ほら。実は自分でも気付いているのでしょう?

 とっくに限界を超えているのだと」

 

「……………ッ」

 

 

 

 地面に倒れ込んでしまいそうになるのを、自分よりも小さい子供に抱き止められて支えられる。勿論ときめきなどしない。そんなふざけた感情が湧いていたら、きっと自分自身を殺しにかかっていただろう。ただ情け無いだけだった。

 

 フラつきながらも、自分を支える少年の手を払い除けて、木に背中を預けるように座り込む。冷たくあしらったというのに、少年は僅かな煩わしさすら見せなかった。

 

 

 

「……何。私の無能さと情け無い姿を理解させて辱しめようとでもしているの?」

 

「むしろその逆なのですが。

 別に貴方は悪くない。貴方は自分で出来る範囲以上の事を成し遂げ、それでも尚足りないというなら、それは間が悪かったと言う他ない」

 

「…………」

 

「貴方の懸念も分かる。

 ——しかし、私が貴方を救います。私が絶対に間に合わせる。私は馬と仲が良いので、馬達に協力して貰って、二日かかる道も一日半で進ませて貰いますから」

 

「————………」

 

「貴方は悪くない。だからもう休んで良い」

 

 

 

 理路整然と此方の懸念を一つ一つ潰していき、しかも貴方に非は一切ないと安心させ、何よりも認めてくれる。

 無条件に信頼して、安心しきっても良いと伝えるような口振りだった。

 

 

 ——その言葉に、本当に安堵してしまったのが、何よりもリネットは悔しかった。

 

 

 あぁ、よかった。私は頑張っていた。

 厳しさの塊としか思えなかった少年にそう言って褒められたのが、本当によかった。誰でもいいから認めて貰えて良かった。

 

 そんな想いを不意に抱いた事が、何よりも許せなかった。

 結局、自分は彼らの何の助けにもなれていないのだと、自分自身で証明してしまったような気がしたから。

 

 

 

「……私、貴方の事嫌いだわ。大っ嫌い。貴方となんか出会わなけば良かった。貴方が恨めしい。貴方達が恨めしい。そうやって自分を偽らず強くあれるのが堪らなく憎い」

 

「自分を偽らずですか……」

 

 

 

 ほんの微かに、笑うような口振りで少年は言った。

 ただ、それが自分の言葉を嘲笑っているようにはどうも思えない。リネットは、何故少年が自嘲するような笑みを浮かべたのか理解が出来なかった。

 

 

 

「……貴方がただ我儘で、身勝手な令嬢だったら、きっと私の言葉に納得してくれたでしょう。でも貴方はそうじゃなかった。

 貴方は絶対に納得してくれないのでしょうね。貴方が許せないのは、他者ではなく自分だから」

 

「……………」

 

「なら少し、何か話し合いでもしませんか?

 少しは気が紛れるかも知れません」

 

「……何なの、私を口説き落とそうとでもしているの?

 そうだとしたら駆け引きもなにも無い、酷くつまらない事しか出来ないのね」

 

「申し訳ありません。私は女性を口説き落とした経験がありませんし、そもそも必要だと思っていませんでしたから」

 

 

 

 少年の発言が、リネットは少しだけ意外だった。

 将来有望な騎士の象徴とも言える人物が、当たり前のように孤独を愛している。出会いがない訳ではないだろう。どう考えても引く手数多なのだから。

 

 

 

「ハッ、騎士の癖に情け無いのね。じゃあまずは、練習として貴方から口説き落として見せますってくらい言ってみせるのが男ってモノでしょ」

 

「はぁ、そうなんですか。私はそのような機微に疎いので。

 そもそも十一の子供に一体何を期待しているのだか」

 

「はぁ? 期待?

 期待じゃなくて最低限の事も出来ないのかって罵っているんですけど?」

 

「じゃあ、私には成長の余地がないのだと思っていてください。期待も不要です。私は生涯独身を貫き通すので」

 

「……………」

 

「少しは気が晴れましたか?」

 

「…………ッ……」

 

 

 

 少年と自然な流れで言葉の応酬をしていた事に気付いて、リネットは無性に恥ずかしくなって、膝を丸める。でも顔はうずめない。そうしたら、彼はきっと此方の内心を見透かして来るから。

 ——あぁ、本当にこの子供の事が苦手だ。一つ一つ逃げ道を塞いで、一歩一歩距離を詰めてくる。

 

 自分よりも歳下の子供に一体何をという想いと、自分よりも歳下の癖にという感情がリネットを覆っていた。

 

 

 

「……アンタが言い始めたんだから、アンタから話し始めなさい。それを聞くまで、私からは何も話さないから」

 

「私が貴方の話を聞くつもりだったのですが、まぁ確かにそうですね。じゃあ私から話を始めましょうか」

 

「つまらない話だったら、容赦なく黙らせるから」

 

 

 

 リネットの物言いに、少年はしょうがないなとでも言いたげなように少しだけ笑いながら、彼は語り始める。

 

 

 

「私には家族がいません」

 

「…………………」

 

「戦争孤児とでも言えば良いでしょうか。だから、私は貴方が羨ましい。そして貴方の在り方も。貴方は家族の為に命をかける事が出来て、しかもそれを出来るだけの力強さも持っているのだから」

 

 

 

 少年の言葉を黙らせる事が、出来なかった。

 黒いバイザーに塞がれた少年の素顔はリネットには分からない。少年が今、一体どのような想いでその言葉を口にしているのかも。

 リネットに視線を向けず、ただ焚き火の揺めきを眺める少年の佇まいから感じ取れるものはない。

 しかし、淡々した少年の様子が僅かにだけ、もの悲しく見えたのはただの錯覚なのだろうか。

 彼の言葉を遮ってはいけないと、リネットの何かが訴えていた。

 

 

 

「貴方は私達が羨ましいと言いましたね。

 ボーメインはどうかは分かりませんが、私は貴方こそが羨ましいのです」

 

「……じゃあ何?

 私の境遇の方が良いのだから、アンタが得た力は大した事がないだろうって?」

 

「……そう言われてしまうと反応に困りますね」

 

「………………」

 

 

 

 少年の言葉に思わず返して、すぐさまそれをリネットは後悔する。明らかに意地悪な答え方だったのに気付いたのだ。

 そうだと理解しても尚、リネットは謝らなかった。謝りたくなかった。どう言われようと、家族を救えるだけの力が欲しい事に変わりはなかったし、抗うだけの力が欲しい事に変わりはない。

 だからきっと、少年はこの想いを理解出来ない。

 

 ——誰にもこの想いを理解して欲しくない。誰かにこの想いを理解して欲しい。相反する感情に悶々としながら、リネットは俯いていた。

 

 

 

「確かに私が持つ力は唯一無二で強力なものではある。でも、結局これが行き着く先は殺人の為の力でしかない。

 ただ私がそれを持っているというだけで、誰かに渡ったら私の価値は変動する……結局、力なんて大した事はありません」

 

「……何よそれ、ふざけないでよ」

 

「ふざけていません。極論を言ってしまえば、生涯全てを捧げれば力は手に入る。もしかしたら、そのような人が居るかもしれないではありませんか。

 ただのありふれた人間が、空を飛ぶ鳥を斬りたいという欲求のみで、本当に生涯の全てを捧げ、それを成し遂げる為の力と技術を自らの手で獲得した者が」

 

「……いいえ。いいえそんな事を言えるのは実際に成功した人だけよ。

 本当に努力して本当にそれ相応の何かを得られるのなら、人間はもっと努力をするし、もっと成功している人がいる。

 いつだってそうだ。成功した人間はそうやって人々を煽動して、その下にいる夥しい失敗者には目を向けないの」

 

「………………」

 

「どれだけの努力をしても、それより少ない努力で上に登っていく人間は嫌になる程いる。誰だって思うわ。

 ——もしも私とアイツの立場が違えば、もしも私にアイツよりも才能があれば、ただ運が良かっただけの癖にって」

 

「————…………」

 

 

 

 吐き出した言葉は止まらなかった。

 分かっている。結局この言葉がただの逃避でしかない事を。ただの責任逃れ。女々しいだけの嫉妬。そうだと理解していても尚、リネットは止められなかった。

 

 確かに、表に出していないだけで、誰もが持ち合わせている感情なのかもしれない。しかし、それを表に出した時点で言い訳がましい感情にしかならないのだ。

 そしてそれを、浅ましくも少年にぶつけた。

 この言葉は、少年にとっては見当違いで迷惑な事でしかならないのだ。

 

 

 ——あぁ、自分はなんて醜いんだろう。

 

 

 リネットは、僅かに視線を俯かせた少年の様子を見て、本気で後悔した。

 僅かにも侮蔑といった感情を向ける事なく真摯に歩み寄って来て貰った少年に対してこの仕打ちだ。彼と会話するだけで、自分の心がどれほど弱いのかが露呈していく。

 

 ——自分が無能である事を証明する、右腕に刻まれたアザが疼いているような感覚がした。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 少年の言葉が途切れて、互いに沈黙が走ったのを見てリネットは少年から焚き火に視線を移した。

 嫌われたかもしれない。心の中で、もうこの人間とはやっていけないと思われたかもしれない。それでも良い。別に誰かに好かれたい訳ではない。家族の助けになってくれるのなら、嫌悪されたって構わない。

 

 

 

「……そう、ですね。貴方の言う通りだ。私は別に何も成し遂げられず死んだ訳でもなく、確かに私は今生きている。

 私がどう言葉を言い繕った所で……私も運が良かっただけの人間だと言う事に変わりはない」

 

 

 

 今までにない程に苦々しく呟かれた少年の言葉には、超然とした雰囲気はない。それがどこか、歳相応に苦悩する姿に見えた。

 

 しかしその苦悩の深さだけは、彼の年齢には相応しくない。

 自嘲するような笑みに、黒いバイザーで窺えない少年の混沌とした内心が垣間見えている。

 少年は明らかに傷心していた。

 

 

 

「……本当に貴方の事が嫌い。

 貴方が傍若無人な人間で、自らの力をひけらかすような奴だったら、何の躊躇いもなく一方的に恨めるのに。貴方最低よ。

 貴方の事を知った今、貴方の事を恨めしく思ったら、私の方が酷い奴だって証明されちゃうじゃない」

 

 

 

 少年はその言葉を黙って聞いていた。

 僅かな身じろぎもする事なく、視線をリネットに向ける事もなく、焚き火を静かに見つめながら。

 

 

 

「…………ごめんなさい。悪いのは私。最低なのは私。

 私は浅ましいわ。貴方の言い分も、貴方の切なる願いも分かるというのに、私は貴方の事を否定して、尚且つ貴方に嫉妬した」

 

「……………」

 

「今度は私の番ね……なら私の話を聞いてくれる?

 貴方は私の事を否定したりしない?」

 

「まさか。貴方のそれを嘲笑うという事は、過去の私と報われなかった人々を貶めるという事だ。私は貴方の事を否定しないし、貴方の想いを決して笑ったりはしない」

 

「…………本当に貴方嫌い」

 

 

 

 冷徹で惨虐なようでいて、結局少年は高潔な人物でいる事を心がけている。その姿を見てリネットはより自分が惨めに思えてくるようだった。

 でも、それもしょうがないのかもしれない。結局、その力に見合うだけの精神を持ち合わせていなければならないという事なのだろう。そう考えると、自分の境遇が相応しく思えてくるようだった。

 

 後ろ向きな思いで、少しだけ気が楽になったリネットは語り始めた。

 

 

 

「私の家系はね、魔術師だったの」

 

「だった……?」

 

「そう。だった。

 私の祖母が魔術師の家系だったらしいのだけど、もうその代には没落していたみたい。何でかは良く分からない。ただ今の代にあるのは、何の為に継承されているかも分からない魔術刻印だけ」

 

「……根源が何かは、分かりますか……?」

 

「根源? 何それ」

 

「……………」

 

「あぁ……そっか、それが魔術師達が目指している到達点なのね。

 そんな当たり前の事も伝わってないなんて、本当に私達の家系は没落していたのね……そんな事も知らないのに、私はあんなにムキになっていたなんて、ほんとバカみたい。

 これじゃあ、魔術師でもある貴方に蔑まれても仕方がないわ」

 

「……いえ、私は決して貴方を見下したりなどしない」

 

「そう……じゃあ私の話を聞いて。魔術師として成さなければならない使命も知らない癖に、力そのものに思い上がった女の話」

 

 

 

 少年の言葉に少しだけ安心してしまったのを感じて、リネットは痛みなどないのに疼く右腕を摩りながら言葉を重ねる。

 

 

 

「私は幼い頃ね、自分が特別な存在だと思い込んでいたの。私はただの人間とは違う、優れた才能を生まれながらに持つ存在だって。

 今では違うって分かるけど、小さい頃はそうだったの。没落したとはいえ、魔術は魔術。小国とはいえ、国を預かる立場になったのはその為かもね。

 だから赤い騎士達とその部下に狙われたのかも知れないけど」

 

「……………」

 

「私達の家系は活性って言う特性があるらしいわ。

 ……でも、今では大した事ない。ただ肉体を活性化させて、治癒能力を上げるくらい。本当にそれだけ。結局言い換えれば、肉体の老化を意図的に高めているだけでしかない。そこから発展の余地もない。神秘の欠けらもないわ」

 

 

 

 それでも、私がそれを使えたら貴方達の傷を癒す事が出来たんだけどね。

 肩と額を傷付けた二人に視線をやった後、リネットは寂しくそう語った。

 

 

 

「貴方には魔術回路がなかったのですか?」

 

「魔術回路……?」

 

「……………」

 

「……ごめんなさい。私達はそんな事も知らないの。ただ、継承された魔術刻印って単語くらいしかちゃんと知らない。

 本当に私達の家系は堕落していたのだわ……だからこそ、たったこれっぽっちの力で私は舞い上がったのね」

 

 

 

 途端に、右腕の疼きが消えていく。僅かなプライドすら、結局は見せかけのものだと気付いたからなのかもしれない。

 もしかしたら、魔術師として大成する以前の話だったのが必然の事だっただからだろうか。自分には魔術を高めようという想いなど欠けらもないのだから。

 

 

 

「最初に言ったでしょ、私は特別な存在だと思い込んでいたって。

 明確な形にすらなっていないのに、この力で何かを成し遂げるのが私の使命なんだと本気で思い込んでいた。だから、早く私に魔術刻印を受け渡すように母親にせがんだの」

 

「……他に兄弟や姉妹は」

 

「姉が一人。

 ……あぁ、成る程おかしいわね。私は妹なのに、何で私が魔術刻印を継承したのか。きっと私の親も大した知識がなくて、やる気がある方に力を渡そうくらいにしか思ってなかったのね。姉さんはあまり魔術に対して良い印象がなかったらしいから。

 あぁー、本当に私一人が舞上がって空回りしてたのかぁ……笑っていいわよ。ここは笑うところだから」

 

「……何を」

 

 

 

 自分以上に真剣に話を望んでいる少年の姿を見て、リネットは思わず笑ってしまった。

 話を聞いてくれて楽になったというのもあるのかもしれないが、少年が何も笑ったりせず、嘲ったりしないという事が、意外と嬉しかったのかもしれない。

 

 ずっと、周りから見たらただの空回りにしかならないと思っていたが、少なくとも少年にとっては笑える話ではなかったようだった。

 それだけでかなり気が楽になったのをリネット自身が感じて、僅かに唖然としてしまった。重かったと思っていたものが、実は酷く軽かったのだ。

 今から自分の最悪な醜態を語り出そうとしているのに、語る言葉が重々しくならない。

 

 

 

「それで実際に魔術刻印を引き継いだの。かなり痛かったけど、その痛みも特別な人間としての代償だなんて思ってた。

 そして、いざ魔術を行使しようってなった時にね——魔術刻印が起動しなかったの」

 

「—————…………」

 

「フフ……本当にバカみたいよね。魔術の知識がなくても、魔術刻印さえあれば魔術は行使出来るって言うのに、その魔術刻印すら起動しなかったのよ。だって分からないんだもの。魔術刻印の使い方が。

 何か適当に言葉を言えば魔術が使えると思ってた。でもほのかに輝く事すらしない。魔術の知識以前の所で私は止まったの。

 イメージが出来なかった。やり方も分からなかった。力の込め方も、魔術を行使する自分の姿も、魔術を使って一体何をしたいのかも……全てが想像出来なかった」

 

「……………」

 

「まぁ、でも当たり前ね。魔術師としての使命も知らないし、魔術を使う為の心得すら知らない。でも当時の私はそうじゃなかった。何もかもに裏切られたみたいに感じてた。

 あぁ……さらに最悪なのがね——姉さんは魔術刻印を起動出来たの」

 

「——は………は?」

 

 

 

 リネットの言葉に、少年は驚愕したように口を開いた。

 

 ——あぁ、この想いを分かってくれるのか。

 少しだけいけ好かない少年の鉄面皮を崩せた事に、リネットは気分を良くした。それだけの価値があったのなら、バカみたいな昔話として消費するのは惜しくない。

 

 

 

「ほんと嫌になったわ。魔術刻印を受け継いで、私が起動すら出来ないと発覚してから姉さんに譲り渡して、姉さんは起動出来たなんて、私がどれだけ無能なんだってね。

 ……当時は酷かったわ。家族関係は互いにすっごい気不味かったし、私は何もかもがむしゃくしゃして何かに当たり散らしていたし、それ見て周りの人々は私を遠ざけるし。そしてそれを見て、私は国の民にすら裏切られたって思って、もっと荒れていくしで」

 

「…………それは」

 

「私はね、貴方が思ってるような人なんかじゃないわ。家族を救いたいからなんて貴方は称したけど、本当にそうなのかしら。

 ただ私はグズじゃないんだって証明したいだけかもしれない。ただ家族に見捨てられたり、蔑まれたりしたくないだけかもしれない。

 私の行動原理は全部、後ろ向きよ」

 

「………………」

 

「最初に言ったでしょ。私は貴方達が羨ましい。ボーメインもそう。同じ場所で燻っていると思っていたのに、もう遠くまで行っちゃった。

 ……結局、ボーメインに辛く当たっていたのはね、昔の自分に向けて辛く当たっていたようなモノなの。あの様子がムカついて仕方がなかった。

 でもそんなの、あの子にとっては関係ない。謝らないとね。私は醜いからって」

 

 

 

 一気に語り終えて、リネットは身体が軽くなったような感覚がしていた。

 こんなに心内を誰かに言ったのは初めてだ。今までは、自分のプライドが許していなかったのに、今はもうそれすらどうでも良くて仕方がない。

 

 

 

「ねぇ、貴方は魔術が使えるんでしょ?

 それに私が知らない事も沢山知ってる。だから貴方の魔術を見せてよ」

 

「…………見ない方が良いと思うのですが」

 

「大丈夫よ。もう嫉妬したりしない。自分を心の中で痛め付けるような事もしない。ただの好奇心だから」

 

 

 

 その言葉に、少年は僅かに悩んだ後、静かに魔術を行使し始めた。

 鎧や衣服越しでも分かる程に、少年の腕が輝き始める。しかも両手。赤い稲妻のような線が両手から首の部分まで走り、バイザーで隠された顔の部分にまで走っている。

 そして次の瞬間、少年の手の平から小さな赤い稲光が走り、それが形を伴っていく。いつの間にか、少年の片手には一振りの剣が握られていた。

 

 

 

「……凄い」

 

「別に大した事はありません。魔術の世界では、このくらいのモノは自慢にもならない」

 

「そうなんだ……何もない所から物を作り出す貴方の魔術ですら大した事がないなんて、魔術って底知れない程に奥が深いのね。私達がバカみたい。

 貴方のそれは魔術刻印なの?」

 

「…………違います。これは代々継承された刻印ではなく、魔術を行使する為の魔力を生み出す回路です」

 

「……そっか。つまりは貴方は魔術刻印に頼らずとも魔術を行使出来るのね。貴方は魔術を行使する姿が想像出来て、ちゃんとそれに対する知識もある。しかも心構えも出来てる。

 うん……そりゃあその分だけの力は手に入るわよね」

 

「………………」

 

 

 

 リネットの言葉にはもう、何かを妬むような感情も、自分には無いモノを持つ人間を呪うような感情もなかった。

 少年との語り合いで満足出来てしまったのだから仕方がない。

 

 私って意外と簡単な女なのかもって思い至って、でも誰かにこの事を話してみても良いと思える人がいなかったのも事実だったとリネットは考えた。

 結局、共感してくれる人が欲しかったのだと、リネットは気付いた。

 

 

 

「——リネット嬢。

 私は貴方に謝らないといけない。私は今、貴方に力が宿らなくてよかったと本気で思いました」

 

「……え?」

 

「そしてこうも確信しました。やっぱり貴方は私が見てきた人々の中で一番強い人だと」

 

 

 

 リネットの意識の不意を突くように少年は答える。

 これだけは言わなければならないという想いが見て取れた。

 

 

 

「貴方がどんな想いを抱いていようと、力が宿らなかったにも拘わらず自らの全てをかけて立ち向かおうとしている事に変わりはなかった。

 後ろ向きだと自嘲しながらも、貴方は悔やみ、苦悩し、悩み抜きながらも前に進む事を選んだ。

 得られなかった力に固執する事なく、自らを腐らせる事をせず、またその場で停滞する事を貴方は良しとしなかった。

 ……貴方は、自分の意思で自らの道を選んだ」

 

「……………」

 

「えぇ、貴方に力は必要ない。

 ——私が貴方の代わりに力を使うから」

 

 

 

 胸に手を当て、何よりも真摯に己の言葉を少年は告げる。

 分からない。何故、彼はそこまでの忠誠を誓うのか。彼の言葉は、まるで騎士の誓いのようだった。形式上のモノとは違う、心からの誓い。でも——もしかしたら忠誠とは違うかもしれない。

 

 分からなかった。

 少年が、切なる願いを吐露するような感覚がしてならなかった。

 

 

 

「最初に言ったでしょう?

 私は貴方が羨ましいと。だって貴方は、私がどれだけ努力しても持ち得ないモノを持っているのだから。でも、貴方になら全然悔しくないし恨めしくもない。

 貴方に力なんてモノ相応しくない。貴方は私が持っているような力に生涯を捧げるなんて事しなくていい。貴方は静かに、家族と幸せに暮らしてください。

 ……これは私の願いです。そうしてくれたら、私も——幸せなので」

 

「———————」

 

 

 

 自嘲するような笑みでもなく、僅かに微笑みながら少年は告げた。

 

 その笑みが——次の瞬間には壊れてしまいそうな程に痛々しく切ないモノに見えたのは、果たして錯覚なのだろうか。

 今この瞬間、彼が浮かべている笑みは一体何の為に作り上げ、そして築き上げられたモノなのだろうか。

 

 

 

「……嫌い。本当に貴方嫌い。大っ嫌いよ」

 

「そうですか……すみません」

 

「うるさい黙れ。どっか行け」

 

 

 

 何故、涙が出てくるのだろう。この涙は一体どんな感情なのか。

 混沌とする想いが少年によって祓われて安堵したのか、自分よりも歳下の少年の力になれない事が悔しいのか——少年の想いに感情移入したから、いや、感情移入出来てしまったからなのか。

 

 これ程に感情を持て余した日はない。

 その感情が止まらなかった。

 

 

 

「……少し席を外します。ボーメインはぐっすり眠っているので、少しくらい騒いでも起きたりはしないでしょう」

 

「うるさい話しかけるな思慮不足。早くどっか行け」

 

「…………」

 

 

 

 リネットは膝に顔をうずめて、涙する自分を隠しながら少年の事を冷たくあしらった。今だけは、何もかも見透かして来る少年の観察眼が酷く煩わしかった。

 ——その観察眼に、自分の悩みが解決されたと理解しているからこそ、リネットは涙が止まらなかった。

 

 少年がその場を後にし、森の陰に消えていった後も、リネットは静かに泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ肌寒さを感じる森の中、柔らかな午前の日差しと鳥が囀る音でボーメインは目を覚ました。

 ボーメインは目を擦りながら身体を起こす。少し視線をやれば、少年が持って来ていた荷物を枕代わりにして横になっていたリネット嬢がいた。

 毛布をかけられて寝ているリネット嬢の横顔は、昨日とは比べようがない程に良くなっていた。

 

 ボーメインは彼女の容態に安心しながら、リネット嬢を軽く揺すりながら声をかける。

 

 

 

「リネットさん起きてください。大丈夫ですか?」

 

「ぅ…………」

 

「昨日は調子が悪そうでしたが、今日は随分と良くなりましたね!」

 

 

 

 リネットも同じく目を覚ました。瞳に入り込んできた朝日に目を窄めながら、身体を起こす。

 あのまま泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまったのだろうか。

 なのに、馬に積んでいたであろう荷物や毛布が枕代わりにかけられていた。丁寧に、身体を痛めたりしないように気をつけられている。身体にかけられていたのは、あの少年用の毛布かもしれない。

 

 

 

「……………………」

 

「あ、あの……どうしたんですか?」

 

 

 

 ボーメインの反応は素直だ。歳相応だと言ってもいい。

 釈然としない感情に襲われて僅かに眉を顰めたリネットに対して、ボーメインは気を使っているだけ。泣き散らしたリネットの事を気を遣っている訳ではない。そもそも、泣いていた事にすら気付いていない。

 

 リネットは目を擦るフリをしながら、瞼を確かめる。泣いた跡がなかった。

 ——つまりは、泣き疲れて眠ってしまったのを確認した後、少年が涙の跡すらも拭ってくれたのだろう。

 しかもその後、ちゃんと眠れるように簡易的な寝台も作って、さらに毛布もかけてくれた。

 

 気が利く人間の方がいいのは当たり前だが、気が利き過ぎている人間は苦手なのだと、リネットは今更になって感じた。しかも、彼は自分よりも歳下。歳下の少年に、ここまで紳士的に気を遣われているとは何事か。

 

 途端にリネットは恥ずかしくなり、また悔しくなって飛び起きた。

 ボーメインの驚きは無視する。

 

 

 

「えっ、あ、あの……怒ってます?」

 

「……アイツはどこ」

 

「えっ?」

 

「アイツはどこって聞いてるの。警戒を交代したんだから、アイツがここで寝ていないとおかしいでしょ」

 

「……ぁ、あー!!??

 やばい寝過ごしてる! ルークさん三時間後には起こすって言ってくれてたのに!」

 

「アイツ……」

 

 

 

 周りを見渡して見れば、当の本人である少年の姿がなかった。

 結局、彼が一人だけずっと休んでいないのだ。他人に気を使うのもいいが、まずは自分の事を気にしろと言いたい。いや、気にする必要がないのだろう。本当に大丈夫だから。

 

 ——なら少しくらい、他者に分かりやすい弱味を見せたらどうなんだ。

 

 

 

「…………………」

 

「リネットさん探しましょう! きっとすぐ近くに居る筈です!」

 

「え……あぁ、うん」

 

 

 

 不意に湧き出した思考が一体何なのか把握するよりも早く、リネットはボーメインに連れられて移動を開始した。

 森を掻き分け、周囲を捜索する。

 

 彼自身はすぐに見つかった。

 二人が休息を取っていた森の茂みの隣。小さな湖のほとりに彼はただずんでいた。

 

 

 

「あっ、見つけましたよルークさ……ん…………」

 

 

 

 湖畔にて佇む少年を見て、ボーメインが思わず言葉をなくす。リネットもそうだった。

 

 少年は足元に着けている衣服を膝上まで捲って、服が水に濡れないように湖に浸かっていた。

 見えているその足は、不気味な程に白いが、女性であるリネットが思わず羨んでしまうくらいに美しい。

 

 少年は傍らに、ボーメインとリネットが乗っていた馬達を連れている。

 その馬達の頭を少年は抱えるようにして撫でていた。少年の肩には、彼の異名にもなった"鴉"が一羽止まっていた。少年は小さな笑みを浮かべながら、馬達の頭を撫でて何かを口にしている。

 

 少年が何か話しているのかは距離があって分からなかったが、少年は今まで見ていた以上に自然体だった。

 何の変哲もない光景だというのに、人間離れした独特の雰囲気を持つ少年がその光景を作り出しているというだけで、一つの絵画のように目の前の風景が完成されていた。

 

 

 

「ん……あぁ目が覚めましたか。

 リネット嬢は……あぁ、顔色が良くなっているようで良かった」

 

 

 

 此方に気付いた少年の言葉に、二人はすぐに返答をする事が出来なかった。

 少年の佇まいに見惚れていたと言ってもいい。二人の様子には一切の目をくれず、鴉は少年の頬を傷付けないように前足で撫でていた。そしてそのまま、二人の事を無視して、鴉は翼を広げて飛び去っていった。

 

 鴉が飛び去って行った音で、ようやく二人は再起動する。

 

 

 

「あ……ちょ、ちょっとルークさん! 交代交代で夜を明かすって言っていたじゃないですか!」

 

「いや、ぐっすりと眠っていたボーメインを起こすのは忍びなかった。それにボーメインだって前日の戦いの疲弊が残ってただろう?

 これからの戦いに影響が出たら大変じゃないか」

 

「いや……いやいやそれはおかしいですよ!

 その言葉全部ルークさん自身に返って来てますよ!」

 

「別にこれくらいなら私は何の支障もない。以前自分の限界をちゃんと把握する為に、自分がどれだけ休息を取らず行動出来るのか試したら十日は行けた」

 

「いや……いやいやいや! おかしいですって! 本当におかしいですって!」

 

「それにほら。二日かかる道を一日半で移動する為に、馬にも協力して貰わないといけなかったし、タイミングを合わせて朝食を作らないといけなかった。

 既に人数分を作ってある。早く朝食を済ませて移動を開始しよう」

 

「…………」

 

「あぁ、別に警戒は怠ってない。

 十数メートル程離れたこの場所でも私ならすぐに分かる」

 

 

 

 少年が指し示す方向には、休息をとっていた場所のとは別の焚き火が作られていた。石と土で作られた小さなかまどのようなものに鍋が置かれている。

 料理の騒音すら気にして、二人から離れた場所で作っていたのだろう。

 

 気が利き過ぎていて、尚且つ少年が先程発した言葉は二人にとっては見当違いだった。

 

 

 

「もう! 料理は私の分野だって言うのにルークさんは!」

 

「別に不味くはない。簡素なモノだから私でも出来る」

 

「くぅぅうう! キャメロットに帰ったら色々と追求しますからね!」

 

「そうだな。お手柔らかにな」

 

「適当にあしらってますよね!?」

 

 

 

 キャメロットの厨房でも時々行われるやり取りだった。

 しかし、ボーメインでは彼との舌戦で有利に立つ事が出来ず、いつも簡単にあしらわれてしまう。

 

 ボーメインは悔しい思いをしながらも、少年が差し出した器を受け取った。器に盛られた粥はほのかに湯気が立っていて美味しそうだった。

 料理の経験などない筈なのに、自分と料理の腕前に差がないのは一体どういう事なのだろう。彼だけ何かが狂っているのではないのだろうか。

 

 

 

「うぅぅ……なんで……なんで……」

 

「美味しいか?」

 

「美味しいですよ!? 何でですか!」

 

「うるさいわね……静かにしてよ」

 

 

 

 少年の佇まいを見て、昨日のやり取りの事を思い出し悶々としていたが、少年にはどう言ってもあしらわれて意味がないだろうと思ったリネットは、頭を回すのが急に面倒になって二人のやり取りの輪に加わり始める。

 

 リネットも、少年から粥を受け取った。

 別に大したモノではないのだろう。野菜と豆を一緒に煮込んだ粥。

 

 

 

「ルークさんは料理なんてした事がないのに……何でずっと厨房で下働きをしていた私と同じモノが作れるんですか……」

 

「同じか、それは良かった。

 確かに私は料理をした事はないが、厨房で料理をするボーメインの後ろ姿を何回も見ていただろう?

 だから、ボーメインがやってる事と同じ事をすれば良い。そうしたら同じモノが出来る」

 

「おかしいですよそんなの! 理屈上はそうだとしても、そんな簡単に出来る話ではないじゃないですか! しかもなんですかこれ、私は干し肉と野菜を入れたりなんてしてません! アレンジまでやってるじゃないですか!?」

 

「いや別に。ただ一緒に煮込んだだけなんだから誤差みたいなモノだろう。

 あぁまぁ、味が濃くならないように塩は抜いているが」

 

「うぅぅぅ! 悔しい! ずるい!」

 

「フフ、そうか、ごめんな。私は他人の真似をするという才能があるらしい」

 

「くっそぉ! 絶対にルークさんでも真似出来ないくらいに料理上手になりますからぁ!!」

 

 

 

 そういいながら、ボーメインは一気に粥を平らげた。

 ボーメインは食べきった後、憤慨の視線で少年の事を睨み始める。しかし、黒騎士との一戦に見せた表情と比べると、どうしても可愛げが抜けきっていない。

 

 それを指摘したら余計に話が拗れると悟ったのだろう。

 少年はボーメインから自然な形で視線を外し、リネットに視線を合わして来た。食べないのか? という視線だった。

 

 リネットは黙ったまま、無言で粥を口に運ぶ。

 野菜の甘味と豆の食感。濃くならないように味付けされていて、優しい味がする。昨日とは違って、ちゃんと味がした。

 

 ——美味しかった。

 

 

 

「……美味しい」

 

「——それは良かった」

 

 

 

 思わず言葉を溢したリネットに、少年は安心したように言葉を発する。

 しかし、それだけではなかった。

 少年は——嬉しそうな、誇るような笑みを浮かべていた。

 

 

 

「—————………………」

 

「何か?」

 

 

 

 ——そういう人懐っこい笑みが出来るならちゃんと笑いなさいよ——

 

 いつもは真一文字に塞がれている口元が、緩やかな曲線を描いたのを見て、リネットはそう思ってしまった。

 いや……そもそも何故そんな事を思うのか。

 というかその笑みが向けられているのは——

 

 

 

「別に……」

 

 

 

 リネットは途端に恥ずかしくなって、下唇を噛み締めながら、そっぽを向いてそう答えた。

 

 

 




 
 
 アルトリアオルタが幸せそうに笑っているイラストは何故見当たらないのか。これが分からない。
 誰か描いて下さい。

 どうでも良い余談ですが、主人公を動かして喋らすのが一番難しいです。
 アルトリアのようなんだけどやっぱりアルトリアとは違って、でもオルタの方かと言われると、やっぱり似ているようで決定的な考えが違くてという、その微妙で絶妙な範囲が滅茶苦茶キツい。
 ガレスちゃんとモードレッドがマジで癒しや……
 

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