なんだかダークファンタジー要素が薄れて王道少年漫画みたいな要素が強くなっていますが、それはガレスちゃんはダークファンタジーより王道の熱い展開が似合うからです。
後、私の推しがガレスちゃんだからです。
ガレスちゃんカッコいいって言って。
平原の中央に聳え立つ城があった。
小国とはいえ国は国。幾数もの櫓が高々と造られており、夜の月明かりに照らされ、石器特有の光沢を放っている。年月を感じさせる古びた城は、それだけで絵になる光景であった。
しかし、そんな城に明らかな異物がある。
城を取り囲み、まるで逃す気などないと言わんばかりに緋色の天幕がずらりと並んでいた。そして、天幕と天幕の間を大勢の騎士達が行き来している。
騎士達の鎧は華やかさなどない黒ばかり。更に彼らの頭領と思わしき人物は、血のように赤い緋色の鎧をしていた。
ただ彼らを眺めている分には、威圧感があるとはいえ颯爽とした光景だっただろう。だが、周囲の光景が全てを台無しにしている。彼らとは違う所属の騎士達だと認識できる、白銀の鎧を着た騎士達の死体が並べられていたのだから。
簡易的な土台すら用意され、絞首台さながらに数十人あまりの騎士達が吊り下げられている。
酷い見せしめのような光景だった。
「————————」
「ボーメイン。抑えろ」
「な!? あれを見てどうと……———」
僅かに身を隠せるだけの茂みの中から、残虐非道極まりない光景を、ボーメインは歯を食いしばりながら見ていた。
少年の変わらず平静な言葉に一瞬だけ声を荒げて、無言のまま黒い洋弓と切先が捻くれた剣のようなモノを取り出していた少年の姿を見て瞬時に我に返る。
次の瞬間には無言で誰かを殺しにいっているかもしれない。
ボーメインの怒りを急速に冷やしていく程に、少年の佇まいは何処までも冷ややかだった。
「チッ……ダメだ。密集し過ぎている上に数が多い」
「……………」
「20、40、60………平原にいるのは139人か。暗殺していくのは厳しいな」
抑えろと自らが告げていたのに、少年はボーメインよりも好戦的だった。
いや、好戦的なのではなく、既に彼らを慈悲の対象から外したのだろう。少年はどうすれば効率よく殺傷していけるのかしか考えていない。
「リネット嬢、大丈夫ですか」
「………………」
リネットはあまり平静ではいられなかった。
見せしめのように吊り下げられている騎士達は、全て彼女の知り合いである。自らの国に仕えていた騎士達。小さい頃から良くして貰った人物に、自分が懐いていた人間もいる。
敢えて顔が分かるように外されている兜によって、一人一人の顔がリネットには分かってしまった。その全てが、酷い形相をしているか生気を失った状態で固定されている。
この見せしめは、恐らくキャメロットに救援を求めて逃げ切った自分への見せしめだ。つまり、彼らを死に導いたのは———
「リネット嬢。落ち着け。貴方は悪くない」
「………………ッ」
どこまでも平静な少年の言葉に、リネットは意識を取り戻す。
酷い顔色をしていたのだろう。少年は敵陣から視線を外して、静かにリネットに視線を寄越していた。
「……何? 私も抑えろって?
こんなの抑えられる訳ないでしょ。私の周りの人が理不尽な見せしめで殺されてるのよ」
「抑えろと言っている訳ではありません。貴方の場合は抑えなくていい。ただ、その激情の使いどころは此処にするべきじゃない」
「…………貴方に何が分かるって言うの」
少年の言っている事が正しいのだとは分かっている。しかし平静な口調のまま、まるで理解しているかのような少年の言葉に、リネットは反発せざるを得なかった。
「………………」
少年は無言のままリネットから視線を外し、今尚野晒しにされている騎士達に視線を向ける。バイザーの裏で、少年は一体どんな表情をしているのかは分からない。
「——復讐したいですか?」
「……ぇ」
「憎いでしょう。突然いきなり国を襲い、家族を人質に取られ、周りの人々を惨めに殺された。
相手に義があるのかどうかは分かりませんが、アレでは恐らく義なんてモノはない。むしろ殺してやりたいと本気で思っていなかったら、私としては恐ろしい」
「…………私……は」
「私は貴方が持てなかった力の代わりだ。
私は貴方の意思を尊重する。そして貴方の願いを叶えます。復讐は何も生まないなどと説く気はありません。私はそうだとは、心の底から思っていないので。少なくとも負債は必ず清算出来る」
「……………」
「私はどちらでも構いません。貴方の心の赴くままに願えば良い」
感情の灯らない少年の言葉を受けて、リネットは俯いてしまった。
少年の言葉は酷く甘美なようでもあり、心の内側に確かに宿る仄暗い炎を駆り立てるようでもあり、しかし見定めるような何かがあった。
殺して欲しいと願えば、少年は彼らを殺すだろう。
それ程の力を持ち、そしてそれだけの意思が少年にはあるのだ。僅かに戸惑う事すらもせず、それが相応しい末路だと慈悲なく剪定する。
隣にいるボーメインですら、少年の言葉には何も言わない。
二人はただ、リネットの選択を待っていた。
「……最初に言います。彼らは生かしては置けません」
「分かりました」
「ですが、勘違いしないでください。これは私の私情による判断ではなく、私の国としての法によるモノです。彼らは裁かれなくてはならない。そして死罪です。
しかし、この国に彼らを断罪する力はもうない。故に、貴方達二人はその断罪の代行をして貰います」
「……………」
リネットは凛然と二人に伝えた。
二人がどう思ったのかは分からない。国といったが、リネットの国は明確な名前すらない小国。ブリテン島最大の国であるキャメロットの使者として、此方の都合が通るか分からない。
それに、結局は殺すのだ。正当性を付けただけの復讐ではないかと思われているかもしれないと考えて、リネットは急に怖くなってきた。
「———承りました。後は私達にお任せください。リネット王女」
少年は小さく微笑みながらそう言った。
遠くのナニかを見て浮かべたような、小さな笑みだった。
——どうして、少年の笑みはこうも心をざわつかせるのだろう。
「ボーメインもそれでいいな?」
「えぇ構いません。誰かを守るのも騎士道ですが、不正を正すのも騎士道ですから。リネットさん、任せてくださいね!」
リネットに向けて、ボーメインは安心させるような笑みを浮かべた。
その笑みが——リネットの心をざわつかせる事はなかった。彼はただ、自らの感情を素直に表しているからなのだろう。若者らしい、溌剌とした笑みを良く浮かべるボーメインは、笑顔が良く似合っている。
じゃあ少年のあの笑みは一体何なんだ。
あの夜、少年と語り合ったからなのか、小さく嬉しそうに微笑むあの笑みが、少年の感情を正しく表したモノであるように思えない。
あの笑みに、次の瞬間には儚く散ってしまうのでないかと思える程の脆さを感じるのは何故だ。
「そうか……お前が騎士道をそう説くのなら私も自信がつく。迷う必要もない」
「え? ど、どう言う事ですか……?」
「いや、私の些事だ。お前はいずれ最高の騎士になるからな」
「え………えぇ!?」
ボーメインの驚きの声に耳を傾けながら、しかし少年の心内はひたすらに冷え切っている。
頭の中で、どうすれば被害なく彼らを皆殺しに出来るかを組み立て続けていた。
時間帯は夜。
運が良いのか悪いのか、月明かりが出ている影響で視界にはさほど困らない。戦闘に支障は出ないが、代わりに奇襲の効果は半減するだろう。しかし、彼らが密集している影響で、暗殺は精々一桁人が限度。つまり結局、奇襲に大した意味はない。
彼らがぐっすりと眠っているなら話は別だったが、彼らは無能ではなかったようだった。
ならば、敵である彼らが夜闇の暗さを利用して来る可能性が低下したのを喜ぶべきだろう。ボーメイン達の場合、敵が卑劣な手段に訴えた場合、そのまま死に繋がり兼ねない。
「リネット嬢、敵騎士達は何人だったか覚えていますか?」
「……ごめんなさい。そこまでは詳しく把握出来ていなかったわ。でも、200人までは居なかった気がする。多分、150人くらい」
リネット嬢の言葉を受け、新たに思考を進めていく。
彼女の言葉が正しければ、城を取り囲むように佇む彼らで全て。
敢えてあのように取り囲んでいるという事は、逃げ出したリネット嬢を待ち構える為と、リネット嬢のような脱走者が出ないようにという事。
恐らく、城の中には赤い騎士達の部下はいない。もしくは非常に数は少ない。民達に暴動を起こされる可能性は潰されている。
殺された数十人の騎士達は、リネット嬢への見せしめと、民達への威圧も込められているのだろう。
「もう一つ聞きますが、城下町の人々はどうなってます?」
「赤い騎士達によって城に押し込められてる。多分、殺す時に都合が良いから」
「……………」
恐らく城に赤い騎士達の部下はいない。居たとしても僅か。
つまり——それくらいなら気付かれずに暗殺出来る。
城下町に人々はいない。
防衛対象の人々は全て城にいる。
つまり——城を拠点に防衛戦をすれば良い。
「…………………」
少年は、城に備えつけられている櫓——その中で、もっとも高く聳え立つ櫓を一目見る。十数メートルはあろうかという櫓だった。
あの頂点部に立てば、この周辺全ての地点が狙撃圏内になるだろう。
月明かりは確かに出ているが、人型一人が誰にも気付かれず城に潜入するくらいの暗闇ではある。自分の身体能力なら尚更。
「ボーメイン、馬に揺られて30時間以上動きっぱなしだが、戦闘に支障はないか?」
確かに赤騎士は優秀で、彼らの部下達にも隙はなかった。
彼らの陣地を突き崩すのは難しい。しかし、彼らは人間としての範囲内で隙がなかっただけだった。
「えぇ大丈夫です。体力には自信がありますから。私以上に寝てないルークさんに情け無い所は見せられません。
それに、ルークさんと一緒に戦えるっていう興奮と高揚で眠気はありません」
「ならば良し。じゃあボーメイン、お前に重要な頼みがある。これはお前にしか出来ない」
多大なる戦意を滾らせているボーメインに、少年は告げた。
彼らの磐石な守りを、脆弱な守りへと反転させる為の一手。一人の犠牲も出さず、考えうる限り最速で、彼らを一網打尽にする為の攻勢。
「ボーメイン、リーダーの赤い騎士を倒しに行ってくれ」
僅かな茂みから飛び出すように踊り出る。
不意打ちなどするつもりはなく、敢えて注目を浴びるように。
反応は瞬間的だった。
城の周りを包囲するように設置された天幕から、黒い鎧を身につけた騎士達がゾロゾロと出て来る。夜闇の暗さも相まって、彼らの威圧感は凄まじい。そして彼らを扇動するように、黒騎士の軍勢の先頭に赤い騎士が佇む。
「…………なんだそれは、ふざけているのか?」
正面に立った赤い騎士が最初に発したのは困惑の声だった。
言葉にはしていないが、彼らの部下達の黒騎士達も、あまりの不自然さに警戒しながらも困惑を隠せていない。
彼らの視線の先にいるのは、騎士かどうかすらも分からない人物が一人と、数日前不覚にも逃亡を許してしまったリネット嬢が一人だけだった。
どう考えても、リネットはキャメロットに救援を求めた筈だった。再び城から逃さないようにと、多数の軍勢を相手にした時、即座に陣形を構築する為に彼らは城を包囲する型で天幕を設置していた。
だが、それは全て無駄に終わってしまったと言ってもいい。
何せ、リネットが連れて来たのはたった一人なのだから。
「……まさかキャメロットの救援を得られなくて、適当な人物でも連れて来たか?」
「そのまさかよ」
「は——」
実は軍勢を隠しているのではないかと警戒しながらも、赤騎士は挑発するような口調でリネットに言葉を投げかける。
しかし、返って来たのはその言葉を是とする言葉。
一瞬の硬直が、次の瞬間には哄笑に変わる。
相手を見下げているのを隠しもしない、酷く癪に障る笑いだった。赤騎士は何の遠慮もなく、リネットとその隣にいる人間を笑う。
いっそ、その隣の人物が可哀想に思えてきた。
此方の人数は百を超えているにも拘わらず、彼方はたった一人だけ。リネットは一体どんな事を説明して連れて来たのか。もしかしたら騙して連れて来たのかもしれない。
良く見れば、身につけている槍と盾が大きいだけで、その人物の体躯は小さかった。青年と少年の間程の年齢と言っても良かった。
しかし、何故かその青年に震えは一切なかった。
その青年は赤騎士を冷たく、しかし内側に燃え滾る闘志を燃やしているのを証明するかのように、強く睨み付けている。
「貴様、名は何と言う?」
「ボーメイン」
「そうか、面白い名前だ」
「笑うな。お前にこの名前を笑う権利はない。私の名前を笑っていいのは世界でただ二人だけだ」
赤騎士を睨み付けながら、ボーメインは言い放つ。
あの日、騎士になる以前のところで止まってしまうかもしれなかった時、サー・ケイ卿にそう名付けられ、憧れのサー・ルークと良き関係を築ける事となった、偽りの名前。
この名前は偽名でありながら——ガレスに取ってはもう一つの本当の名前だ。
故に、この名前を笑っていいのはその二人だけ。
たとえ実の兄であってもそこだけは譲れないし、見知らぬ誰かにそれを譲る気はない。敵である赤騎士であるなら尚更の事だった。
「そうか、その名前を笑ってすまなかった。だが、その揺るぎない闘志を持つお前を殺してしまうのは惜しい。此方の軍勢に加わらないか?」
「…………なんだそれは、ふざけているのか?」
赤騎士に最初に言われた言葉を、そっくりそのままボーメインは返す。
仮に——ガレスが本当に一人だけだったとしても、赤騎士の言葉には絶対に乗らなかった。そんなふざけた事を考える余地すらなかっただろう。
ガレスはリネットを守るように眼前に立ち、槍と盾を構え始める。
僅かに抱く緊張と恐怖。それを、彼らへの闘志、憤慨、怒り。それら全てで塗り替えていく。
そのガレスの後ろ姿を、リネットは小さく見守っていた。
「そうか残念だ。なら殺すしかない」
二人の気概を赤騎士の部下達は嘲笑う。クスクスと、尊厳を足蹴にする笑いだった。
赤騎士も同じく笑みを浮かべながら、ボーメインと同じく槍と盾を構える。
しかし、その頭の中では彼らの思惑の裏を読もうと考えていた。もしかしたら、伏兵がいるのではないかと。
だが、考えた上で赤騎士はまず、ボーメインを殺す事にした。
いないならそれで良い。居たら居たで、まずはボーメインを見せしめに殺す。その後に、リネットを城に押し込めている家族達に見せつけるように殺す。
——
赤騎士がボーメインに向けて一歩踏み出した瞬間だった。
赤騎士は真後ろから、金属が砕け散ったような音と、何かがドサッと倒れるような音を聞いた。
「……………————」
その音が、赤騎士を含めた周囲の騎士達の意識を覚醒させる。
異音のした方向へと自然と目線が向いた。
一人の黒騎士が倒れ、死んでいた。周囲の大地に大きな血溜まりを作って。
異様な光景だった。
倒れている一人の騎士の頭には、切先がレイピアのように尖った剣が突き刺さっていたのだから。金属の兜すら貫いていた、歪んだ剣が。
「———………ッ!」
意識を取り戻した赤騎士が、後方の城へと視線を向ける。
そしてその瞬間、凄まじい爆発音がした。腹に響く程の轟音。その轟音は、城の方から響いていた。
「……伝令ッ!! 城の門が徹底的に破壊されていますッ!」
「——何だと」
「……唯一通れる道は正門の大扉だけです! 桟橋も正門以外が全て落とされました! これでは城に入る事が———」
事態の惨状を即座に把握した、歩哨役の部下の一人が赤騎士にそう言葉を発して、その次の瞬間には頭を射抜かれて即死した。
断末魔を上げる事も許されない。寸分の狂いなく脳天を射抜いて来た剣によって、彼は即死させられている。
「————————」
これで二人目。明らかな長距離から、即死級の狙撃。
赤騎士は、今し方殺害されて倒れ込んだ騎士の頭に突き刺さった剣の角度から、その射手の位置を割り出した。
赤騎士は、城に作られた櫓。その最も高い城の頂点部分を睨みつける。
視線をその地点に向けた瞬間、一瞬の煌めきが視界に入った。海の波に、太陽の光が反射したような、ほんの一瞬の煌めき。
つまりこの光は———
「———ぐぅッッ!」
全身に多大な悪寒が走った。
赤騎士は、身体を無理矢理引っ張られるような感覚を一切疑う事なく、眼前の空間を切り裂くように槍を振るう。
瞬間、ガキンと鍔迫り合いあったような金属音が響き、大岩に槍を思いっきり叩き付けたような鈍痛が赤騎士の腕に走った。腕の痺れを自覚していると、辺りの野に一本の剣が力なく突き刺さる。
その放たれた剣を弾く事に成功した赤騎士は、僅かに状況を違わす事なく、周囲の部下達に向けて張り叫んだ。
「———ッ盾だ! 盾で攻撃を防げ! あの弓兵を早く始末しろ!」
彼は理解する。城の櫓に佇む魔手から放たれているのは全て、恐ろしい事に矢ではなく剣であると。精度は恐ろしく、射程は通常の何十倍。しかもその威力は凄まじい。鎧の防御など紙屑も同然。
状況は最悪と言っても良かった。一方的に、遠距離から即死級の攻撃が放たれているのだ。
赤騎士の頭の中で、即座に状況整理が行われる。
状況は悪い。
此方から取れる手段はなし。
射手は城の頂点。城の出入り口は真正面の正門以外封鎖。
警戒は何をやっていた?
城を拠点に防衛戦……押し込めた人々を盾にするつもりか……あの弓兵を早く始末しないと全滅しかねない。
あの弓兵まで攻撃が届かない——
「全員あの弓兵の方へ向かえッ! 早く始末しないと殲滅されかねないぞ!」
赤騎士の発した言葉の意図を、部下の黒騎士達はすぐさま理解した。
今尚放たれている攻撃は、重厚な盾を以ってしても防ぐのは難しい。既に複数人がやられている。自らの命を容易く奪える脅威を前に、黒騎士達は即座に城の方へ向かった。
しかし、櫓にて佇む弓兵は一切の容赦をしない。
全速力で城へと向かう黒騎士達を、今度は赤い稲妻が連続で放たれているが如き掃射が襲う。まるで、数十人の弓兵隊が攻撃をしているような連続攻撃だった。
盾を構えれば防げるくらいの衝撃力とはいえ、放たれているのは通常の木の矢ではない。重厚な鎧であっても当たり所が悪ければ大きく負傷し、切れ目のない攻撃を前に、黒騎士達はどうしても盾を上方に向けて構えざるを得ない。
そしてそれはつまり、僅かにとはいえ足が止まるという事を意味していた。
足を止めた黒騎士を襲うのは、最初の一撃として放たれた捻じれた剣。
その一撃は、上方に構えられた盾ごと騎士の頭蓋を貫き通す。その一撃は雨の如き掃射として撃たれる事はない。しかし、確実に一人、また一人と黒騎士を絶命させていく。
また一人、隣の知り合いが頭蓋を射抜かれて死んだ。
「————————」
黒騎士達は砕けんばかりに歯を軋ませながら、城の眼前から一方的な攻撃を繰り出し続ける弓兵に恨みを募らせる。
赤騎士が焦りながら叫んだ、放って置けば全滅しかねないという事は誇張でもなんでもなかった。掃射によって強制的に足が止められ、そして止まった瞬間何人かが殺される。
城下町の遮蔽物に身を隠したところで、事態は何も好転しない。
何せ、城に入る為の侵入口は正門の大扉だけ。結局はその姿を晒さねば弓兵の元まで辿り着けないのだ。
しかも数十人並みの力を持つ弓兵に時間を与えるという事は、死体の山が増えるという事でしかなかった。
黒騎士達は今、二種類の攻撃が切り替わるタイミングを見計らい、城へ向かって歩を進めるしか許されていない。
しかし、それしか許されていないのは今だけ。
城に必ず入り込み、櫓の頂点に立つあの弓兵を——必ず殺す。
黒騎士達は、次の瞬間には自分が狙撃で殺されるかもしれないという恐怖を、胸が煮えたぎる程の激しい激情で塗り替えながら、一歩一歩、城下町から城へと歩を進めていた。
「…………………」
その光景を、赤騎士は険しい表情で眺める。
赤騎士の方へは僅かな攻撃すら飛んでこなくなった。あの弓兵が多数の黒騎士相手に意識を向けたからだろう。
はっきり言って状況は悪い。最悪だ。
弓兵にとって一方的に攻撃出来る状況が出来上がってしまっている。あの状況では、城に到達するまでに最低でも四割近くが死ぬだろう。
たった一人で数十人並みの弓兵と同じ攻撃が行え、その掃射には劣るとはいえ、通常の弓兵の何倍も早く盾や鎧を貫く一撃を放てる弓使い。しかも、一射たりともずれずに脳天を射抜いて来る化け物。
そんな弓兵はブリテン島でたった二人しかいない。
しかし、その弓兵が放つ攻撃は糸の様にきめ細やかなものではなく、周囲に響かせるモノは、旋律の様に美しいモノでは到底なかった。比べるのすら烏滸がましい。鎧や盾ごと砕き貫通して、強引に肉にまで貫き通す、酷く耳障りな異音。
それもその筈だろう。何せ、彼はトリスタン卿のように騎士の誉れや美しさなどは興味の欠けらもないのだから。ひたすらに無機質で鋼鉄。故に彼は鉄と同じ強度を誇る氷と揶揄されながら、血色の氷であると畏怖された。
蛮族狩りに叛逆者狩りに狂信的な精を出すその姿を見た一部の者——キャメロットに悪意を持つ者にとって、その人物は円卓の騎士よりも嫌われてると言って良い。
トリスタン卿に次ぐ弓使いと称され、嘘か真かランスロット卿に後一歩まで迫った。
しかし、容赦も慈悲も必要ないと表しているのか戦い方はモードレッド卿より野蛮で、思考回路は悪名高きアグラヴェイン卿と同質。
その年齢にしてその実力。
味方側なら、彼は高潔な人物であるらしい。アーサー王の再来と周囲に言わしめた、キャメロットを守護する幸福の象徴と讃えられた最年少の騎士。しかし一部の者からは、死体漁りどころか積極的に死体を量産し続ける、死神の鴉と揶揄され疎まれ続ける——二刀流の弓使い、サー・ルークがそこにはいた。
「…………鴉め」
忌々しく呟いた赤騎士の言葉だったが、隠しきれていない畏怖と焦りがあった。
状況は考えうる限り最悪。そして一番出て来て欲しくない最悪の人物が来ていた。赤騎士とて他の円卓の騎士の実力は知っている。それでも尚、サー・ルークにだけは出て来て欲しくなかった。
ブリテン島で最も容赦がない人物は誰だと問われたら、アグラヴェイン卿か彼の名が浮かぶだろう。しかし、アグラヴェイン卿は円卓の騎士であり多忙な身。だが、サー・ルークは円卓ではないのだ。円卓と同じ力を有するにも拘わらず。
アグラヴェイン卿と違って、彼はキャメロットの騎士や人々から疎まれてはいないが、彼らにとってはそんな事は何の関係もなかった。
彼の逸話や武勇は華やかで輝かしいものかもしれないが、かの少年はあまりにも血の匂いを漂わせすぎている。
元々その姿勢が苛烈であったのは有名だった。
さらに、遂にあのアグラヴェイン卿と邂逅を果たしたのか、普通の人間なら忌み嫌う筈の暗部にも顔を出すようになり始めている。
キャメロットの人々の噂に上がる事はまずないが、一部の者にとって彼は二つの意味で恐ろしく有名だ。
慈悲を乞う叛逆者の首を無言で跳ね飛ばした。
憤慨した裏切り者の喉元を切り裂き、苦しみなく命を断つことなく、声を発せないようにした。
彼は作り出された殺人人形である。
彼が今まで慈悲をかけた事は一度たりともない。
彼は既に、千にも及ぶ蛮族と叛逆者を殺している。
これらが全て事実か嘘かは分からない。しかしどちらにせよ、そう言われるだけの何かを彼はしているという事である。
その証拠に、効率よく無感動に黒騎士達を射抜き殺し続けているあの姿には、慈悲の欠けらもない。ランスロット卿やトリスタン卿のような寛容深さなど見込める訳がなかった。その癖、彼は弓に剣に策略にと殺しの手段を選ばない。
赤騎士は彼を一眼見て、明確に理解した。
成る程人々は讃えるだろう。
城の頂点に立ち、月明かりを背中に佇んでいる姿は、侵し難い神聖な雰囲気を持ち、他者を惹きつける人間離れした魅力があるかもしれない。
しかしそれは、弓を此方に向けて構えているという、あまりにも明確な敵意と殺意で、全てが反転する。
侵し難い神聖さは、人智を超えたモノへと向ける理解し難い恐怖へと。超人的なその姿は、人間味を僅かにも感じられない気味の悪さへと変わる。
あぁ、きっと円卓最強であろうともランスロット卿の方がまだマシだった。
かの少年の思考回路はアグラヴェイン卿と同じなのだ。隙はなく弱点もなく、僅かに判断を狂わせる事もなく、油断も慢心もしてくれない。
たとえかの少年に勝利出来ようと、彼はあらゆる手段を用いて一人でも多く殺しに来るのだ。
更にもしも彼に敗北した場合、サー・ルークなら一人残らず殺し切る。何があろうと、如何なる理由があろうと、地の底まで追いかけて——絶対に。
「…………ハッ、これは最高の味方を引き入れて来たようだなリネット」
「そう言ってくれると嬉しいわ。
——でも残念ね。貴方はサー・ルークと一戦も交える事もなく、ボーメインの手によって倒されるのだから」
最初から負けた時の事を考えているなどと、赤騎士は浮かんで来た自嘲の笑みをリネット達への冷笑へと変える。
しかし、リネットから返って来たのはサー・ルークを味方にして来たぞと勝ち誇るような笑みではなく、脅威とも思っていなかった人物がお前を倒すぞと告げて来るのみだった。
淡々と事実だけを口にするように。
「………………」
ボーメインと呼ばれた青年はその言葉に震える事なく、ただ一歩、赤騎士へ向けて歩を進めた。赤騎士は、変わらずその人物が脅威には見えない。だがしかし、ボーメインの強く睨みつけてくるその視線だけは無視出来ない。
赤騎士には僅かな油断も慢心もなかった。
その油断はボーメインではなく、サー・ルークに向けているものだとしても、早くこの一戦を終わらせなければという意思に駆られている。サー・ルークを放って置けば、部下が全滅しかねないという予感が消せなかった。
早くボーメインを倒し、部下と共にサー・ルークを倒す。
リネットを人質に使えば……いや無理だ。かの少年の弓の腕前なら、人質を盾にしようが正確に此方の事を射抜いて来る———
「………………」
頭の中で交錯し続ける懸念と不安によって肉体を鈍らせる事なく、赤騎士はボーメインに向けて一歩、足を進めた。
赤騎士はボーメインを睨みつけながらも、真に見据えているのはボーメインではなくサー・ルークだった。その事を、ボーメインも察している。
自分は脅威に思われていない。
それもその筈だと、ボーメインは冷静に自分を俯瞰していた。
無名の騎士と、今現在、飛翔する様に知名度を上げていく少年。その差は歴然なのだ。
だから、明らかに自分が彼らのリーダーと戦うのがお門違いなのは百も承知だった。
間違いなく、自分が撃破に成功した黒騎士よりも目の前の赤騎士は強大な人物だ。敵う筈がないとボーメインは本気で思っている。
なのに赤騎士を倒してくれと頼まれて、ボーメインは最初は辞退した。しかし、代わりに残りの部下全員を相手にするからと言われて、ボーメインは言葉を返せなくなってしまった。
ボーメインが相対した黒騎士は、彼らの中でも実力者だったのだろうが、他の黒騎士が弱いという事には繋がらない。つまりは、ボーメインは黒騎士を3人も相手に出来たら良い方。
何をすれば良いのか、誰と戦って何をすれば良いのかを明確に考えておらず、彼がいるからきっとなんとかなるだろうと考えていたのかもしれない。
結局、憧れの少年への甘えがあったのだ。彼の立てた作戦を、最初は拒否してしまったのだから。
ただ単に、彼は自分がどの敵と戦うのが最も相応しく、そして効率が良いか考えた結果、自分を赤騎士との一騎打ちに当てた。ただそれだけの事だと言うのに。
——絶対に期待は裏切れない。絶対に勝つ。何がなんでも勝利する。
目を閉じ、思考を研ぎ澄ませ、ボーメインはその闘志を揺るぎないモノへと変えていく。
彼から、お前なら出来ると後押しされてしまったのだ。つまりここで負ければ、自分は彼の期待を裏切り、彼の考えが間違いであったと証明してしまう。それは、それだけは絶対に嫌だ。
リネット嬢を守る以前の話で自分は止まる。
それに、ある意味活躍の場を少年に御膳立てして貰ったと考える事も出来る。尚更負けられない。自分が目指しているところは、そう簡単に行ける場所ではないのだから——
そう考えて、ボーメインの心の中からスッと、自分には荷が重いという考えが消えていった。
そう——ガレスが目指している人達は、そのような生半可な事では動じない。
自らの限界を超えるなど、当たり前の様にこなしていくだろう。それを繰り返し、彼らは円卓の席に座ったのだ。アーサー王とてそうだ。あの席に座るという事は、並大抵の事では絶対に出来ない。
——それを目指しているんだ、私は。
ガレスは思い出す。キャメロットに来る前、何を思ったのかを。
憧れた。何よりも、その強さと在り方に憧れた。だから誓った。
今は名前を偽り姿も偽っているけれど、いつの日か胸を張って、私は誇り高き円卓の騎士達と血を分かち合う者なのだと告げると、そう誓ったのだ。
箱入り娘も同然だった城に篭りっぱなしのあの日々。あの日とはもう、とっくに私は決別している。だって自分が情けなかったから。だからこそ、あの少年の逸話が何よりも輝いて見えて、私は惹かれてしまったのだ。その日の情景、その日の驚愕、永遠に忘れたりなどはしない。
——あぁそういえば、あの日も今日のような月の日だったなぁ。
「———————」
「———————」
互いに歩を進めあった二人は、槍と盾を構える。
赤騎士と違って、ボーメインに懸念や不安はもうない。緊張も何処かに消し飛んでしまった。あるのは勝利への渇望だけ。
自分が勝ちたいと願っている少年は、眼前の敵より絶対に強い。
故に、まずは赤騎士に勝利しなくてはならない。単純な話だ。目の前の人物に勝てなければ、あの少年に勝つのは夢のまた夢なんだから。
一体自分は何を想い悩んでいたのだろう。悩む余地などどこにも無かったじゃないか———
「……………ッ!」
「……………ッ!」
互いに睨み合っていたが、それも長くは続かなかった。
何がきっかけになったのだろう。
後方から絶えず響く、放たれた剣が響かせているだろう金属音と、それに交じった悲鳴や怒号が赤騎士を焦らせたのか。
もしくは、月明かりに照らされながら弓を構えている、自分よりも歳下の少年の姿がボーメインの闘志を奮い立たせたのか。
地を蹴って飛び出した二人はいつの間にか、眼前の敵を一秒でも早く倒す為、槍と盾による応酬を繰り広げていた。