騎士王の影武者   作:sabu

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 書いててめちゃくちゃ楽しかった。敵対者への口調の主人公も書いてて楽しいし、腹の探り合いもとても楽しい。
 でも、一話で人間性を全て書ききるの超キツい。

 これで、戦闘というストーリーの都合上あまり登場させられなかったベディヴィエール卿を登場させる為の布石が出来ました。
 後は……アーサー王伝説は恐らく世界で一番キリスト教の影響を受けた伝説で、そしてFate世界でいう最大宗教はアレで……どう考えても関わってこない筈がないな……っていう布石も出来ました。
 
 


第49話 三指のグリフレット

 

 

  

 その男は不運だった。

 何もかもが上手く行かない。上手く行っていた筈の事柄も、最後の最後で全てをひっくり返される。

 今生き延びている事だけが彼にとっての幸運にも等しかった。

 しかし、その僅かな幸運さえも消え失せようとしていた。

 

 自分が運の良い者だと考えていたのは一体いつの頃だっただろう。

 魔術師として名のある出自でもなく、優秀な師に恵まれていた訳ではない。歴史に名を残す事もなく、普遍的な者として消えていくが定めの者。

 しかし、その男は持ち前の才能で確かに自らの魔導を収め、血で血を洗う親族同士の争いをも他者を蹴落としながら勝利して来たのだ。

 

 その為、自然な形で他者の懐に入り込む事は得意だった。

 それを己が惨めだと思った事はない。ただ相手が無能だっただけであり、己の野望の糧になれて良かったな、などと卑しくも思っていた。

 それ程に自分は恵まれた、運に愛された者なのだと特別感に浸っていた事もあったが、しかしそれに足下を掬われないように気を付けていた。

 

 

 だからこそ、自分が今、地を這いつくばりながら逃げている事が許せなかった。

 

 

 あらゆる運命に見放されたも同然なのかもしれない。

 衣服は泥に塗れて汚れ、森を強引に駆け抜けたせいで傷になっている。

 ここ数日まともに寝られていないのもあって目は血走っていた。この様では魔術行使にすら影響が出るだろう。

 

 

 しかし、そうだと理解していても尚、まともに睡眠を取る事が出来ない。

 

 

 何回も眠りから叩き起こされた。

 何かを叫ぶ騎士達の声。自分の居場所に確実に近付いてくる幾つもの足音。工房にすら響いて来た、雷が落ちたかの如き轟音。

 夜も朝も関係がない。彼らは松明を手に、確実に近付いてくる。森や山々だとかも関係がない。付近の諸王国にも警戒網が敷かれたのか、絶対に安全だと判断出来る場所が消えた。人祓いをかけた工房すらも安心出来ない。何故か……何故かずっと自らを追ってくるのだ。

 

 この一ヵ月、三日以上の安全を確保出来てない。しかもその期間、まともに寝れた例がなかった。

 早く横になりたい。心休める場所に避難したい。

 魔術師としての思考すら掠れる程に、その男は追い詰められていた。

 

 逃げ場所は少ない。

 蓄えがあったが故に工房は複数箇所はあるが、決して無限じゃない。しかも、全ての場所に平等に蓄えを配置している訳じゃなかった。

 一種の拠点のように配置しているだけで、真のねぐらは存在する。

 その一番のねぐらを完全に破壊され、雷が落ちたように焦土と化していた時は、絶望と憎悪を抱いた。そして——死にかけた。

 

 未だに忘れられない。忘れたくても忘れられない。

 一目見た瞬間に悟った。保有する魔力量が桁違いだと。手に持つ幅広の騎士剣から、溢れ出すように周囲に走っていた赤い稲光。そして、命を奪う事になんの躊躇いもない、全身白銀鎧の赤い騎士。

 

 その人物が、最大の拠点を破壊していた。

 それに飽き足らず、一体どんな手段を使ったのか、人祓いの魔術を使って茂みに隠れていた自分を捕捉したのだ。もし逃げるのが間一髪遅れていたら、周囲の木々ごと両断されていただろう。

 

 その生命の危機、そして次にあの赤雷の騎士に出会ったら死んでいるかも知れないという恐怖を克服する事は出来なかった。

 

 

 

「クソ……………ッ…………クソッ!」

 

 

 

 悪態を吐きながら、男は必死になって逃げる。

 思いっきり内側の激情を叫びたい欲求に駆られるが、そんな事は出来なかった。もはや、何がきっかけになって自分を再捕捉されるか分からない。

 森の騒めき、木々が揺れる音、動物達の囁き、ただ吹き荒んでいるだけの風。その全てが男は信じれなかった。

 

 

 

「こっちだ!こちらに潜んでいるぞ!」

 

「…………ッ!」

 

 

 

 遠くの茂みから声がした。今は遠いだけの音。

 それがどんな存在かは分かっている。飾り気のない黒い鎧の集団。彼らの頭目と同じく、誉れや栄光を求めない無骨な騎士達。あのアグラヴェイン卿の部下達だ。

 

 最悪だ。そしてその最悪をずっと更新し続けている。

 国から国。集落から集落。少しずつ、そして確実に追い詰められ続けていた。どこへ逃げても彼らは追って来る。

 このまま、島の端にまで追い詰められるという予感が現実のモノになろうとしている感覚が離れない。

 

 

 

「………………!」

 

 

 

 男の行動は早かった。

 その場から一歩も動かずに身を隠し、人祓いの魔術を編んでいく。強すぎては不審に思われるかもしれない。弱すぎてはそのままバレる。編むのが遅ければ意味がない。

 しかし、男は何一つ間違えられず、また精神が擦り切れた極限の状態でありながら魔術を正しく編む事に成功した。

 

 

 

「—————!」

 

 

 

 騎士達の喧騒がすぐ近くを通る。

 

 どうして自分がこんな惨めな事をしなければ。

 本当だったら、今この手には星の聖剣かその鞘。もしくは両方がある筈だった。

 いいや、それよりも前、シルリアが潰されなければ足を引っ張られる事なく、もっと大成していた筈だった。

 更に言えば、旧ゴールの不正も有耶無耶にしたままに出来る筈だった。

 

 どうして。何故。最後の最後で、全て上手く行かなかった。

 本当だったら……本当だったら——

 

 

 

「—————」

 

 

 

 騎士達の喧騒が遠のいていく。

 混沌とする己の激情を外側に出す事なく、ただ内側のあらゆるモノをズタズタにしながらでも、男は耐え切った。

 助かったのだ。

 

 

 

「あぁ……………ぁああ……!」

 

 

 

 震える声を出しながら、天を仰ぐ。 

 疲弊と恐怖故に、逃げ続けては埒があかないと騎士達を返り討ちにしようとした事はあった。

 しかし……もしかしたら彼らの集団に交じっているかもしれない赤雷の騎士という不安を排除出来なかった。

 

 

 

「それも……それも今日で……!」

 

 

 

 ずっと逃げて来た。

 ずっと、島の端にまで追い詰められて来た。

 しかし、今日は彼らをやり過ごす事に成功したのだ。既に捜索が終わった国々や地域の監視はどうしても薄くなるだろう。単純に人手の問題で。

 

 だから、一旦アングウィッシュ王の国にまで戻る。灯台下暗しだ。

 そうしてそのまま、ブリテン島にまで戻る。本拠地のアイルランド島には劣るとはいえ、ブリテン島にも幾つかの拠点はあるのだ。

 そこからやり直せば……いいや、今はそこまで気が回せない。今はただ、安全な場所に辿り着きたい。

 

 

 

「あぁ……よかった…………よかっ———」

 

 

 

 そうして男は人祓いの魔術を解き、茂みから立ち上がって——

 

 

 

「——た…………ッッ………」

 

 

 

 ——その身体が宙を舞った。

 自らの肉体を襲った浮遊感を前に何も出来ず、数メートル後方に弾き飛ばされ、そして何かに衝突したと思わしき衝撃と同時にようやく浮遊感が消え去る。

 

 

 

「…………星の、聖剣……だとッ……」

 

 

 

 血を吐きながら、急速に頭から意識が遠のいていく。

 自らの心臓の位置には、夢にまで見たアーサー王の聖剣が突き刺さっていた。そしてその聖剣が、自らを木に縛り付けていた。

 

 

 

「…………——————」

 

 

 

 明確な意識などは急速に失われ始め、死に至る身体でありながら、男はその聖剣に手を伸ばす。

 脳裏に浮かぶ星の聖剣と同じ形をした——たったそれだけの贋作の聖剣に男は気付けないまま、血塗れの手を伸ばす。

 

 そして次に見えた、海に太陽の光が反射するような一瞬の煌めきを最期に、男は木に縛り付けられたまま、永遠に意識を暗転させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が放った剣で、藁人形に釘を打ち込むかのように木に縫いつけた魔術師が、ピクリとも動かなくなったのを確認してから、構えていた弓の構えを解く。

 

 やっと動きを見せた。

 一、二ヶ月くらいか。恐らく人祓いの魔術で、どこか動きに違和感があったアグラヴェイン卿の部下達を側から見て、ようやく魔術師の位置を割り出せた。

 人祓いの魔術程度なら私は気にせずに行動出来る。

 

 多分、魔術師は死んだだろう。

 流れ出て木に滴り落ちている血液の量は明らかに致死量だし、最初に射抜いた心臓以外にも、頭と首を改めて射抜いている。念の為、両手と両足も。

 

 

 

「……何か不穏な感覚はなし。魔力の流れも感じ取れず。死ぬその瞬間まで怪しい素振りは見せず」

 

 

 

 茂みから姿を現し、頭の中を整理する為に言葉を口に出しながら死亡した魔術師に近付く。

 しかし、完全に油断は解かない。何せ相手は、あの魔術師だ。

 実は今の姿は幻影だった。遠隔から操作している人形だった。特殊な魔術礼装によって複数の命を持っている。身体に住まわせた蟲に意識を移して生きながらえる。

 そして、実際にそのような魔術師がいるという事を私は知っている。

 

 最早なんでもありだ。

 だからこそ、絶対に殺したという確証が取れるまでは決して慢心はしない。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 木に縫い付けられた魔術師を暫く視界に入れたまま警戒する。

 

 

 ……そろそろ一分か。

 

 

 縫い付けられた男に変化はない。幻影だったらそろそろ何かの反応がある筈だ。人形だったとしても、人形特有の傷跡は出来てないし、存在を停止させたのだから、何かがあればそろそろ魔力の残滓が現れる筈。

 

 

 

「二分……」

 

 

 

 まだ変化はない。

 肉体に蟲が居る可能性も考えて燃やす準備は出来ている。魔術師がやるような術式ではない。膨大な魔力と魔力をぶつけて合わせる事によって生み出す炎。

 

 魔術師の炎がライターだと例えるなら、私は車と車を正面衝突させて、そして爆発によって周囲に散った火花を活用しているようなモノだ。

 まぁ、それで良い。魔術による炎の起こし方が分からないのもあるが、こっちの方が早くて楽だ。念には念を入れて、油の類も持って来ている。

 

 

 

「五分……」

 

 

 

 未だに動きなし。

 腰に携えた【痛哭の幻奏(フェイルノート)】を確認する。糸と魔力の残滓はこの死体に繋がっていた。そして、この死体はほぼ間違いなく人形ではない。つまりは、そもそも宮廷に居たのは人形と言った別の身体ではなく、魔術師本人だ。

 

 それに、反応の仕方が人間だった。

 正直扱いきれる自信がなかったのもあるが、敢えて【痛哭の幻奏(フェイルノート)】ではなく自らの弓で心臓を射抜いたのは、死ぬ瞬間の反応を確かめたかったからだ。

 贋作ではあるとはいえ、魔術師を貫いたのは全く同じ造形の聖剣。魔術師からすれば喉から手が出る程に求めた代物。

 

 動かなくなるあの瞬間の反応は、あれは、死ぬ瞬間にまで何かに手を伸ばし続けた人間の反応だ。それを私は良く知っている。演技と言われたらそれまでだが、あの反応が嘘のようには思えない。

 

 

 

「…………十分」

 

 

 

 僅かに動きも見せない。

 死んだフリにも思えず、流れ出る血は明らかに致死量で木々を赤く染め上げている。死んだだろう。絶対と言えないのだけが少しだけ不安だった。

 

 心臓と頭を射抜いて即死させるのではなく、敢えて致命傷ギリギリにして魔術刻印による強制的な生命維持を誘発させてみるべきだったか………?

 

 いやしかし、相手はあの魔術師だ。まずは殺したという事実がないと危ない。あぁこんな時、魔術の術式すら辿って対象の魔術回路の全てを暴走させる、切断と結合の起源が混入された、あの弾丸があれば安心出来るというのに。

 

 

 

「…………やはり燃やすか」

 

 

 

 元々燃やす準備はしていた。

 大した手間にはならないし、死体処理にも都合が良い。一日経った後に生き返るとかもあるかもしれないので、肉体は消滅させておこう。

 

 ……あぁ、長かった。キャメロットを出立してから大体半年弱。今までで一番の任務と称してもいいだろう。私の身長が一、二センチ伸びる程の期間だ。

 しかしその収穫は大きい。この魔術師を追い詰める為に少なくない諸王国を周ったりしたし、その国に協力も呼びかけてたりした。

 だから、アーサー王には敵対者を粛清する影武者がいるという情報は良い感じに広まっている。

 

 当初の目的は果たした。

 念の為、アグラヴェイン卿達と破壊した工房の様子を確かめて、この日から工房に何も変化がなければ、魔術師が死んだと確定させよう。

 

 

 

 

「———告げる(セット)

 

 

 

 

 そうして魔術師の死体に一歩近づいた時、声が響いた。

 決して私の声じゃない誰かの声。そして勿論、魔術師の死体から響く声でもない。

 

 

 

「主の恵みは深く、慈しみは永久に絶えず」

 

「…………」

 

 

 

 その声は男性の声だった。

 どこから発されているか不明瞭で、周囲の木々全てが発しているようだった。

 周囲の空気が何か別のモノを含み始めたのを感じて、自然と警戒が高まる。

 

 

 

「しかし、悪行には罰を。悪性には罪を。主は主であるが故に裁く」

 

「………………………」

 

 

 

 どこか聞き覚えのある言葉。

 私の知るモノと恐らく本質は同じだが、その差異はどこか攻撃的にして冷たい。

 主を讃える言葉。簡易魔術術式にして、聖言。もしくは奇蹟。そして——洗礼詠唱。

 

 

 

「深い闇の中。主は試練を与え、そして選び取る」

 

「…………………ッ!」

 

 

 

 声の出所が分からず周囲の意識を回していたのもあってか"それが"超高速で飛び込んで来るのに気付けた。

 十字架のような形をした、刃渡り1メートル程の剣。しかしその本質は剣ではなく、投擲し突き刺すのを目的とした釘のようなモノに近い。

 悪魔祓いの護符にして、概念武装の一つ。摂理の鍵の異名を持つ——代行者達の正式武装。

 黒鍵が、私に向かって四本投擲されていた。

 

 

 

「その枷を壊し、深い闇でも抗いたまえ」

 

「…………はぁッ!?……な!?」

 

 

 

 腰に携えていた宝剣を即座に引き抜いて眼前を振り抜く。

 四本の黒鍵を私の二本の短剣で弾き返す事に成功して——それが罠であったと悟る。

 

 弾いた黒鍵の裏には、私の視界の陰になるように、全く同じ軌道で放たれた四本の黒鍵があった。

 ヒュっと武器を投げた音すら擬装された、あり得ない精度と速度で連投された投擲だった。

 

 

 

「罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ」

 

「………………ふざ、け……ッ」

 

 

 

 既に眼前まで迫っていた黒鍵を肉体で受けるという選択肢はない。

 遠き未来で、普通の銃弾すら容易く弾き鉄骨すら貫通する程の切れ味と頑丈さを誇ったあの黒鍵だ。そして今の時代は神代で、私の身体は霊体ではない。

 つまりは、容易にこの身体を貫き致命傷となる攻撃なのだ。

 

 

 ——避けられない、防ぐしかない……ッ!

 

 

 しかし、その精度と超速の連投。そして不意を突かれたこの身では上手く弾き返せず、黒鍵が身体を貫くのをなんとか防げたが、両方の短剣が手から溢れ落ちて後方に弾き飛ばされた。

 

 

 

「正しき者には栄光の光を、不義の者には凄惨なる暗闇を」

 

「……………———————」

 

 

 

 そうして武装が解かれ、明確な隙を晒した私に対して、その詠唱を言祝いでいた人物が、今茂みから顔を出す。

 全身を覆うチェーンメイルには十字架の紋章が刻まれていた。テンプル騎士団、もしくは聖騎士とでも称せるような出立ちの男。

 その男は、両手に持つ四本の黒鍵を真上に放り投げながら走り込んでいた。本来の黒鍵の用途とは明らかに逸脱した使用方法。

 本来の私だったら、相手の意図が分からないままだっただろう。

 

 ……しかし——その意図を私は知っている。

 

 

 

「我が魂の輝きを此処に」

 

「——————」

 

 

 

 恐らく最後の一句を説き終えた男は、私の事を強く睨みながら、更に新たな黒鍵を引き抜く。

 その視界の他所で、先程投げられた黒鍵がまるでブーメランの様に回転し、放物線を描いて私を鳥籠のように囲んでいた。

 

 横に避けても後ろに逃げても黒鍵の刃。

 そして私の正面は、この男。

 しかも攻撃をなんとかする為の武器を弾き飛ばされて、私は無手。

 

 

 

 

「——去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス )

 

 

 

 

 動きを封じ、その場に私を縫い付ける事に成功した男は、突進しながら両手に持つ黒鍵の切先を私に向ける。

 その刃の先は、どう考えても私の心臓と頭。確実に殺す為の一撃。

 

 そして、その凶刃は私を殺し得るだろう。

 私は避けられず、また防ぐ事は出来ない。

 私が本当に無手であるならば——

 

 

 

 

 

 ——投影、開始(トレース・オン)

 

 

 

 

 

「——は…………はぁッ!?」

 

「残念だったな。貴様の凶刃、どうやら研磨が足りないようだ」

 

 

 

 片手で二本ずつ。両手で合計四本。

 心臓と頭に向けて放たれた超高速の刺突は、しかし私には届かなかった。男の黒鍵を阻むのは、今この瞬間に作り出した偽物の聖剣。

 それを二振り両手に携えて、心臓と頭を守る。

 

 どちらの剣も軋んではいるが、ヒビまでは入っていない。私の投影品でも十分に防げた。そして間違いなく——身体能力は私の方が上。

 

 

 

「あ、やべぇ……死んだ………」

 

「飛べ」

 

 

 

 顔を蒼白にさせながら、未だ意識を取り戻せていない男を思いっきり蹴り飛ばす。仮に意識を取り戻せていたとしても反応出来なかっただろう。魔力放出による瞬間的な加速は人智の埒外にある。

 

 

 

「…………ごッ………ぅ、ぅえぇ、へへへ……なんだよアンタ、ふざけてるにも程があるだろ……」

 

「そうか。ならば貴様は幸せ者だ。この世の地獄を知らないで済んでいるのだから」

 

 

 

 私の蹴りによって瞬間的に吹き飛び、真後ろの大木に衝突した男は衝撃によって小さく血を吐いた。

 上半身を強打したのだろう。肩に手を当て、庇うようにしながらフラフラと立ち上がっている。しかし、倒れてはいない。

 

 並大抵の者ならそのまま意識を昏倒させるくらいなら出来た筈だが、意外と男の意識ははっきりしている。蹴り放った鎧にはヒビも入っていない。飛び蹴りで騎士の頭蓋を兜ごと粉々に出来る筈の私の力でもだ。

 

 あぁ、油断ならないな。恐らく教会御用達の呪的防護がかけられている。

 形勢は完全に逆転し、事の流れは私にあるが慢心する理由は特にない。もしも私が投影魔術を使えなかったら、今死んでいた。

 つまり、この男は私を殺せる可能性を秘めた脅威だ。全力で潰しに行かなければならない。

 

 

 

「ハ、ハハハ……」

 

「ここで出会ったのも何かの縁だ。貴様を幸せ者のまま、現実を知らずに済んでいる内に斬り捨ててやろう」

 

 

 

 言葉ではそう言いながら、しかし意識は一切緩めない。

 両手に携える偽物の聖剣の重さと感覚を頭と肉体に叩き込みながら、どんな行動をされても対応出来るよう、ゆっくりと男の方に歩を進める。

 

 

 

「…………………」

 

「どうした?

 これ以上私に歩を進める事を許せば、貴様の首が飛ぶ事になるぞ?」

 

 

 

 一歩、一歩と男に歩を進める度に、男の表情が硬くなっていく。

 小さく口を開けて、微妙な苦笑いをしながらも目だけが笑っていない。どうやってもこの場を切り抜けるか、どうすれば私を排除出来るかを必死に、しかし冷静になって考えているようだった。

 

 

 

「………………ッ」

 

 

 

 男は無言のまま、大地を蹴って砂と砂利を巻き上げた。

 その粉塵を、瞬間的に引き抜いた黒鍵を振って私に目掛けて弾き飛ばす。

 

 

 

「小癪な手だ。戯れに私も同じ事をするかもしれない」

 

「…………ハハハ。あぁ……これは喧嘩を売る相手を間違えたなぁ……」

 

 

 

 だがそれは私に届く事はなく、視界を奪う事も出来ず、また怯ませる事も出来なかった。ただ私は、己の魔力を周囲に放出するように解放しただけ。それだけで、私を襲おうとしていた周囲の粉塵は霧散した。

 

 

 

「その程度か。ならば殺す」

 

「………………」

 

 

 

 きっと今の攻撃で私が怯んだ隙に逃げるつもりだったのだろう。

 しかし、私を怯ませるには至らず、私の魔力の残滓を目撃して男が硬直を晒していた。

 相手からすると形勢は最悪。不意撃ち気味にしかけた初手は通じず、正面戦闘では私にかなりの分がある。

 そして恐らく、黒鍵の残数は少ない。聖剣の鞘の加護が無ければ恐らくあの魔術師殺しの異名を持つ彼を殺害しきっていただろう、あの代行者の彼は黒鍵を十八本、もしくは二十四本、衣服の裏に仕込んでいた。

 

 この男もきっとそうだろう。

 最初の攻撃で八、私を囲う為に四、私を殺す為の刺突に使用して、木に叩きつけられた衝撃で落とした四。今引き抜いた四。合計で二十。

 あの代行者の彼と違って、この男は四本単位で黒鍵を使用している。ならば恐らく合計で二十本か二十四装備。残り残数はあって四。

 拾わせる隙は与える気がない。

 

 

 

「……あぁ怖いなぁ…………その力にもう少し慢心して欲しいんだけど、意外とアンタって着け入る隙がない?」

 

「さぁどうだろうな。苦し紛れの一撃でも案外届くやもしれん。試してみたらどうだ?」

 

「うっわぁ…………これは正真正銘の化け物だぁ……」

 

「ほう。私をそう称してくれるか。褒め言葉とはありがたい。

 では、手負いの狼こそが一番油断ならないと理解している私は、この身を殺し得たかもしれない貴様に敬意を表して全力で殺そう」

 

 

 

 追い詰められ、表情は歪な苦笑いになっていながらも、飄々とした態度までは崩れない。かなりの修羅場を潜って来ていそうだった。

 

 

 

「……………ッッ」

 

「いいぞ、数秒分だけ猶予を与えてやる」

 

 

 

 私がさらに一歩を踏み出した瞬間、男は身を翻して逃げ出した。風のような機動で周囲の木々を避けながら動いている。

 それを確認した私は、すぐさま男を追う事をしない。絶対に逃がさない為に、まずはやらなければならない事がある。

 

 

 

「はぁ………ッ!?テメッ……ぶさけんなぁッッ!」

 

 

 

 男の姿が見えた。

 さっきは見失なっていたが、既に追い付き始めている。当たり前だ。今の私は【白鴉の短剣(カルンウェナン)】で敏捷が倍化されているのだから。改めて拾い直す時間を考慮しても此方の方が速い。

 もう一つの短剣【死闘にて輝く不撓の剣(セクエンス)】も回収はしているが、其方は抜かず、相手の対応を見定める為に片手をフリーにしている。

 

 

 

「……………ッそこ……だぁッッ!」

 

 

 

 後数秒で私が接触するとなった瞬間、私の真下の地面が光輝いた。

 そして、その光は瞬間的な魔術陣となり、赤い光が迸って私を襲う。さらにそこに合わせるように男は私の頭蓋目掛けて、走りながら黒鍵を四本投げ放って来た。

 

 

 

「ほう……」

 

「—————ハ、ハハ……」

 

 

 

 だが、恐らく決死の一撃であった彼の攻撃も私には届かなかった。

 放たれた黒鍵は私の指で挟み込んで停止している。地雷のように使用した魔術による攻撃、もしくは拘束も私には意味がなかった。

 バチバチと、自分の肉体と周囲の木々を赤雷が襲おうと、私だけが一切焼け焦げない。

 

 

 

「フン」

 

「……………」

 

 

 

 地面の魔術陣を自らの魔力放出で踏み砕きながら、指で挟み込んだ黒鍵をこの男がやったように投げ放つ。

 目標は衣服や鎧の繋ぎ目。鎧の裏にあるだろう男の肉体には刃を通さない。地面に縫い付けて動きを封じるのが目的だ。

 

 ついでに、黒鍵には今私が受けた魔術の魔力を変換して混入させておいた。

 投影品と違って、後数時間は刃が持続するだろう。強度も増大されている。まず刃を解除する事が出来ない。

 

 

 

「私の想定だと貴様が持っている黒鍵は後四本だと思うのだが、どうする?

 一矢報いる為にその場から私に向かって投擲してみるか?」

 

「………………」

 

 

 

 尻餅を突き、私が投げた黒鍵で身動きが取れなくなった男に向かって剣を突き立てながら脅すように語る。

 後退りしているが、逃げられはしない。逃がす気もない。

 

 無言で殺しはしないが、殺す必要があるなら躊躇いなく殺しにいく準備はしておく。この男の目的や先程の行動の背景は気になるが、最低限やらなければならない事はあるのだ。

 

 

 

「あー……アハハ…………これは絶対絶命だ。ここからどうやっても俺が勝てる気がしない。しかも命からがら逃げるのも無理みたいだ。

 どうか見逃してくれたりはしない?」

 

「ほう、ふざける余裕があるのか。手足を貫いていても問題なかったかもしれん」

 

「いやぁちょっとそれはキツイ。死んじゃうよ俺。

 あぁでもよかった。どうやら会話は可能みたいだし」

 

「そうだな。貴様を一歩も引けない状態にしてようやく会話が可能になったな。武力で敵わないと悟ったから即座に交渉に切り替えたか?」

 

「やめてくれよまるで臆病風に吹かれたみたいに俺貶すの。少し傷付くなぁ。これでも俺は必死に自らの恐怖と戦っているんだぜ?」

 

「成る程。貴様の言う恐怖との戦いは、残りの黒鍵をバイザーの裏にあるだろう私の両目に向かって投げるかどうかを思案する事なのか。これは驚きだ。

 試しに私も、貴様に逃げられるかもしれないという恐怖に打ち勝つ為、その足から下を両断してみようか」

 

「……うっわぁぁ。アンタって自らの考えを絶対の基準にして動くタイプ?

 俺は全然そんな事考えてなかったってのに、流石にそれはこじつけがすぎるね。

 て言うか何、俺の武器が黒鍵って事を知っているんだ。此方側に詳しいって事はアンタは魔術師でさっきのアレは魔術師同士の殺し合いの結果かな?」

 

「会話の流れを変更して私から情報を引き出したいならもう少し上手くやるんだな。

 だがいい。許そう。必死になってその頭で考えろ——代行者」

 

「…………マジ?その単語すら知ってんの?

 うわぁ……これ喧嘩売っちゃいけない奴に仕掛けちゃったかなぁ……ヤバイなぁ…………」

 

 

 

 やってしまったとでも言いたげな表情をして、男は気不味そうに目を逸らした。

 余裕はないのだろうが、飄々とした態度が未だ崩れない。普段のマーリンのように信頼出来ず、またトロイア軍最大の大英雄"ヘクトール"のように掴み所を見せないと来た。

 

 生殺与奪の権利を奪って余裕を消し、更に異邦の知識による情報量の差がなければ、舌戦でかなり苦戦していたかもしれない。

 今後の憂いの為にも、殺して構わないなら今すぐ殺したいくらいだ。

 

 

 

「あー……でもあれだろ?今俺を殺さずにいるって事は俺を殺してしまった時の後の事を考えてるんだろ?

 代行者である俺の後ろ盾とか、なんで俺がアンタに襲いかかった事の理由が不明のままとか」

 

「そうだな。私は誰かに恨みを買っている可能性は叛逆者の数だけいるだろうが、流石に教会にまで喧嘩を売った覚えはない。

 だがまぁ貴様が話さないならいいぞ。損切りのタイミングは間違えてはいけないと、私が信を置く人物がそう教えてくれたからな。

 危険な場に身を置く代行者。消息不明のまま死亡判定。別に珍しい話ではあるまい?」

 

「いやぁ……キッツ。というか教会っていう単語も出て来るのかよぅ……もうこれ情報戦負けてない?

 かのサー・ルークがここまで社会の裏や闇に詳しいとかもう無敵じゃん」

 

「——ほう、私の名前を知っているか。私の名前を知っても尚襲いかかって来たという事はつまりそう言う事でいいな?

 情報を引き抜く為に貴様を生かして置くメリットと、情報を何も得られずとも貴様を殺す事によるデメリット回避の天秤が逆転した」

 

「あ、ちょッッ……やっべぇ!今のなし!なしだから!」

 

 

 

 男は焦った表情で首を振っていた。

 その様子は未だにある程度の余裕を残しているようにも見える。もしくは彼の飄々とした態度は、自らの芯にまで染み着く程に自らを演じて来たのか。

 どちらにしろ、この男を信用出来る日は来なさそうだ。

 

 

 

「で、どうする。そのまま道化を貫き通したら、もしかしたら何かが私の琴線に触れて見逃して貰えるかもしれんぞ」

 

「うっわ。それ絶対、自分は被害を被らない高みから他者の醜態を鑑賞した後、最後の最後でまぁまぁ面白かったぞって言って殺す奴だよね。

 一番信用にならない奴じゃん」

 

「成る程そのまま貫き通す事を選んだか。それともその減らず口は真性のモノか?

 後二回なら付き合ってやろう」

 

「ぅ………」

 

 

 

 やっと最後の壁であった飄々とした態度が崩れて来た。

 男は追い詰められているという心内の感情を表情に出しながら、重々しく口を開いた。

 

 

 

「いや…………ホントはただの勘違いだったんだよ。

 アンタがかのサー・ルークだって気付いたのも今さっきだし。だって星の聖剣をいきなり作り出したりとか、叛逆者の粛清大好きなあのサー・ルークとはいえ魔術師も相手にしているとか意味分からんし……なんならここブリテン島じゃないし。しかもだぞ?

 なんか想定していた性格と解離ありすぎて、本気に誰なのか分からなかったんだって。

 黒いバイザー、二刀流。でも…………なんか変だし。だから、うん?ってなってた訳なんだよ。鎌をかけたら当たったけど」

 

「ほう。続けろ。今貴様が語った説明は何故私に襲いかかったのかを説明する為の準備と考えてやろう。そのまま、一から語れ」

 

「……………………」

 

「敢えて誤魔化しをしたり重要な説明を省いたら私から寛容が消えると思うがいい。貴様の猶予は後二回なのだからな」

 

 

 

 私の発言に、微妙な苦笑いを零した男を見て、やはり油断ならない奴だなと評価を定める。

 飄々とした態度で自らの焦りを隠して相手のペースを乱す。しかし、自らはその裏で思案の限りを尽くす。

 私と似たやり口だ。在り方が違うだけで。

 

 

 

「えぇ……うっわぁ、マジでキツイ…………バイザーで表情が見えないとかそういう話以前にキツイ」

 

「………………」

 

「いや、話す!話すって!

 最初アンタを見た時は不気味な霊か何かだと思ったんだよ!

 だって側から見てみろ。木に貼り付けられて死んだ人間。しかも魔術師。そしてその死体を見上げながら何分もその場に佇んでいた、不気味な人型。

 これは見間違うでしょ」

 

「成る程」

 

 

 

 この男の言葉が信じるに値するかは置いて、まぁ辻褄は合っている。

 洗礼詠唱はその為だろう。

 

 

 

「で、教会の者として悪霊は浄化するべしと?」

 

「そうそう、そう言う事。それで、あっコイツ霊じゃなくて実体だし敵に回しちゃいけない奴だったって気付いて逃げた訳」

 

「成る程理解した。それで何故この森に居た?」

 

「あー………」

 

「森林浴に来ていました、と言ったら面白いから許してやろう。後一回だ」

 

「うわ、ドン引きだよ。それ言ったら0だって言って剣を滑らせて来る癖に」

 

「私の性格を理解してくれているようで助かる」

 

「アンタは俺の性格を理解した上で理解していないフリをしてるよな。俺、アンタみたいなタイプの人間が一番苦手だわ」

 

「奇遇だな。私も貴様のようなタイプの人間が一番苦手だ。だから本気で潰しにかかっている」

 

 

 

 その発言には一瞬、この男の素が混じっているように感じた。

 小さく嫌悪する様に吐いたその言葉。彼の今の飄々とした態度は、彼の過去にあった何らかの出来事に由来するモノなのだろう。

 

 私は基本的に舐められて下に見られたら終わる世界で生きて来た。だから私は下に思われない生き方をしている。特にこういう男には。

 しかし彼は違うのだろう。敢えて道化を演じて自らを悟らせず、舐めてかかった相手を足下から掬い上げて潰す。

 

 私とはまったく別の在り方だし、似ている部分なんて皆無な筈だが、どことなく私に似ているかもしれない。自らを偽るという本質が似通っているからだろうか。

 

 

 

「あぁうん……実は素直に言うとな、元々あの魔術師を追っていたんだよ。あの男は色々な悪事に手を染めてたんだ。教会にもちょっかいかけてたし。

 最近いきなり尻尾を出し始めたから何だとは思ってたんだが……まさか円卓にすら手をかけていたとは」

 

「で?私は魔術師の仲間かもしれないと?」

 

「うん。人目のつかないとこで決闘でも受けて、そしてアンタが殺したのかなぁーって。そうならアンタも魔術師かその類のモノだ。

 霊ならそれで良い。黒鍵と洗礼詠唱で消せるし。魔術師だったら殺しても構わない」

 

「物騒だな。流石の私でも敵対しても良い者の区別はつける」

 

「アハハ。それを言われるとちょっと難しい。でもまぁ"教会"と"協会"だぜ?

 敵対しない理由がない」

 

「………………」

 

 

 

 感情の灯らぬ瞳で呟かれ、その因縁を察する。

 現代では表面上は冷戦化したとはいえ、今は神代真っ只中。しかもブリテン島はあの魔術協会の総本山があるだろう場所なのだ。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが居た十四世紀の中世の時代ですら、彼女がドン引きするくらいの何かを互いにやっていたらしい。だからまぁ、これくらいなら然るべき程度の事なのか。

 

 

 

「あぁでも、アンタの予想はちょっと外れてる、俺は正式には代行者じゃない。まぁ代行者みたいな事もやってるがそれは結果的にだ」

 

「どういう事だ。説明しろ」

 

「俺はただの代行者じゃない。代行者崩れとも呼ばれたな。今は第八秘蹟会に所属している」

 

「……………」

 

「お、その反応は第八秘蹟会が何なのかも知っている訳だ。

 いやぁアンタの情報量には少し空恐ろしいものを感じるが、これは逆に俺が言っている事の信用が上がったかな?」

 

「……教義に於ける七つの恵み。そして本来の経典には存在しない、第八の秘蹟。それを回収する事を任務とする特殊部隊の通称。

 つまりは聖遺物の回収と保護…………とは名ばかりで、人の手に余る神秘を神の名の下に管理し、異端と深く関わるが故に教会の中でも暗部に近い事すらもする特殊部署。構成員の一部は代行者」

 

「———ハハハ。そこまで知ってんの?

 怖いなぁ。もしかして花のキャメロットが穢れ無き白亜の城って謳われているのは、黒い部分を消し続けたから、みたいなそういう意味?

 人間の善性の塊みたいな人物だけを隔離して収容していたりする?

 もしや、魔境とかそういう次元ですらない?」

 

「さぁどうだろう。実は貴様の言う通りかもしれない。あの花は夥しい数の花が枯れた上で成立しているのだから。

 だが合点は行った。あの魔術師が教会にかけたと言うちょっかい。私達円卓に仕掛けて来た内容。聖遺物。そして聖遺物を回収する部隊の貴様。

 よくやったな。道化のまま私から逃げ切って見せたぞ」

 

 

 

 そう言って突き付けていた剣を外す。

 油断はしないが、私が殺す意味はなくなった。教会側の人間を殺すと後始末が大変だと理由はあるが、もっと単純に教会に関わりたくない。

 

 

 

「いやぁ……ハハハ、なんとか助かった。

 あぁ本当に死ぬかと思ったよ」

 

「それは此方の台詞だ。お前の攻撃を防げなかったら私が死んでいただろう。正直言うと、教会側に大義名分を与えてでも貴様を殺した方が良いとすら未だに思っている」

 

「うえぇ……それ冗談じゃ無さそうなのがヤバい。俺としてはあの円卓側に大義名分を与えかけた事に結構本気で焦ってたんだけど。

 ソッチは当たり前のように此方の所属把握してたから、マジで生きた心地がしなかったし」

 

「ハ、よく回る口だ。それを表に出せ道化」

 

「アンタに言われたくない……というか道化って酷くない?」

 

「当たり前だ。私は貴様の名前を知らない」

 

「あぁーそれもそうだった」

 

 

 

 そう言って、飄々とした態度を取り戻した男は口を開いた。

 

 

 

「俺はグリフレットって名前なんだ。まぁ一応はよろしく」

 

「————……………何」

 

「………へぇ、この名前にも聞き覚えがあるのか。何処で知った?」

 

 

 

 飄々とした態度から一変して、見定めるような鋭い目に変えて来た。

 あぁやっぱりこういうタイプは嫌いだ。本当にコイツの本名なのかは知らないが、恐らくコイツは足下を掬う事にかけては天性的な才を持つ。

 絶対にコイツには油断しない方が良いな。

 

 

 

「グリフレット…………ベディヴィエール卿の従兄弟………」

 

「——へぇ。お従兄さんはまだ俺の事を覚えててくれたのかぁ。これは意外だなぁ」

 

「……………………」

 

「あ。俺とベディヴィエール卿の関係性は聞かない?」

 

「聞いて貴様は答えるのか?

 それに生憎だが、貴様とベディヴィエール卿は祖父が同じという事しか知らない。因縁があったとしても私は知らぬ」

 

「ふーん………でも今の沈黙は警戒したが故に一歩距離を置いたというよりは、何かあるだろう因縁については聞かない方が良いだろうって感じの沈黙だよね。

 どっちかって言うと人としての善性に近かった。もしかしてアンタ、意外と素直?」

 

「鎌でもかけているのか?

 そしてさっき貴様に言われた事をそのまま返してやろう。貴様は自らの考えを絶対の基準にして動くタイプだな?」

 

「アハハーそんな事ないよー」

 

 

 

 否定の意を示しているのか、そう言ってグリフレットは半笑いしながら両手をひらひらと揺らした。

 そうして見えた彼の両手。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ……改めて見るとおかしい。彼の両手には本来ある筈の物がない。

 彼の指には——親指と小指がなかった。

 

 なんだ……コイツはたった三本指で黒鍵を扱っていたのか?

 あぁ、黒鍵を四本単位で扱っていたのは、技量の限界とかそう言う話ではなく、単純にそれ以上指で挟めないからだと?

 色々とふざけているぞコイツ。

 

 いや……というか——

 

 

 

「貴様、今私にその両手を見せびらかしているな?」

 

「あぁ分かっちゃう?」

 

「ふざけるな。貴様、どこからどこまでなら気付けるか気付けないかを試しているだろう。

 肩を庇う。魔術で私の意識を下に向かせる。後退り。ころころと変わる表情。黒鍵に手の甲と、寸前まで視線が行ってもお前の指先にまでは行かない。というか改めて考えると貴様の会話の仕方もそうだった。ミスディレクションか何かか?」

 

「———ふーん」

 

 

 

 小さな息遣いのよう鼻を鳴らして、グリフレットは小さく笑った。

 ただ、目だけが鷹のように鋭い。不気味だ。目が笑っていないとはこの事だろう。

 

 

 

「貴様指が三本なのか、って少し引く様な反応を期待していたのに」

 

「…………………」

 

「君って年は幾つなんだっけか。十二、十三?

 まぁどっちでも良いか。どちらにしろ君、凄いね。ここまで俺がペースを握れなかったのは初めてだ。

 ついでに言えば俺と同じくらい、そのバイザーの裏で何考えるか分からない。これだけ会話すれば、これはダメでこれはイケるなっていう諸々の範囲が分かるのに、未だ不明瞭。

 人間って言うより超人って感じなのかな。正直掴み損ねてる」

 

「…………やっぱり貴様、殺した方が良いかもしれんな」

 

「えぇ!?それはちょ……ッ酷い!」

 

 

 

 思わず、本気で剣を抜きそうになって忌々しげに呟く。

 どう考えても人間である筈なのに、正直マーリンよりも気味が悪い。もしやコイツ、私と違って本当に二重人格者か?

 

 

 

「はぁ……自分の肉体的な差すら駆け引きに利用するか。

 不気味を通り越して、気持ち悪いにも程がある。それで良く教会に所属出来ているな。二重の意味で」

 

「逆だよ。この指で、この性格だからこそさ」

 

「はぁ…………?」

 

「考えても見なよ。親指と小指がない。一応、なんとかギリギリ日常生活には支障をきたさない範囲ではあるけど、この指じゃあ物を持つのに少々難儀する。

 剣を握りしめて振るなんて無理だ。少なくとも鍔迫り合いは出来ない。だから頑張ったのさ。物を挟み込む両端の指がなくても人を殺せる武器の修練をね」

 

 

 

 小さく呟いた、人を殺せるだけの力という部分にグリフレットの本質が潜んでいる感覚がした。

 指が本来よりも二本足りないという弱点。それを補う為の修練。飄々とした態度の裏には血も滲むような努力と執念があったのは明白だろう。

 

 

 …………身体の欠損か。

 

 

 コイツは三指で、従兄弟のベディヴィエール卿は隻腕。

 いや……ベディヴィエール卿は"まだ"隻腕じゃない。普通に両手があった。理由は何かは分からないが、多分いずれ右腕を欠損する何かが訪れるのだろう。

 ……………コイツとベディヴィエール卿の因縁は、あまり無視出来そうになくなってきたな。

 

 

 

「それで何だ、身体的欠損すらなんとか出来るだけの武器を求めた結果が黒鍵で、修練にのめり込む姿勢が教会に買われ、代行者まで登り詰めたと?」

 

「そうそう。一石二鳥のどころの話じゃなかったのもある」

 

「それは殺したい相手か。ベディヴィエール卿か?」

 

「………………」

 

 

 

 そう告げて、グリフレットの表情が別の何かを含んだ。

 不気味な笑みの下に隠した、冷酷な面が見え隠れしている。

 

 

 

「君って無関心無感動に見えて、実は仲間想い?」

 

「今ここで貴様を殺せば、少なくともベディヴィエール卿に迷惑がかからない。0だ」

 

「ちょ……ッちょちょっと!?

 あぁ無慈悲だなぁ君は。別にお従兄さんとはそんなじゃないよ。

 ただまぁ……俺は魔術師が嫌いなだけさ。心の底から。反吐が出る程。幾ら殺しても殺したりない。だって他者を食い物にするしか能のない集団だぞ?」

 

「………………」

 

「未来ではなく過去に進もうとしている阿呆ども。人類という種族の汚点だ。少なくとも、魔術師が何か世の為になる事はない。魔術師がこの世から一人残らず消えても世界に大した影響を残さないだろう事がそれを証明している」

 

「そこまで言うか……」

 

「あぁ言うよ。だって家族を殺されたからね」

 

 

 

 ——あぁ。どことなく私と似ているなと思っていたが、そう言う事か。

 

 この男も、あらゆる物事の原点がそこなのだろう。怒り、憎悪、嫉妬、呪詛。飄々とした性格も、身体的欠損を背負っても尚、力を求めたその苛烈な姿勢も、魔術師であるなら本気で殺そうと考えている精神も、全てがその原点に裏付けされている。

 

 もしかしたら、この男のような在り方を選んだ私がいるかもしれない。

 少し、そう思える程だった。

 

 

 

「へぇ。もしかして同情……というか共感してる?

 思っていたより優しいね、叛逆者狩りの鴉さん?」

 

「今更だな。私の年齢を知っているならまともな人生経験をしていない事くらい貴様なら想像がつくだろう。

 ……その指も魔術師か?」

 

「うんそう。まぁ別に珍しい話じゃない。魔術。儀式。人質。そして人質は拘束するだろう?

 いやぁアレは痛かったなぁ。腕に嵌められた枷が外れなくてさぁ。だからまぁ、手首の骨とか肉を削ぎ落とすしかなかったよね」

 

「……………」

 

「ハハハ。自分以外の家族が手をかけられた瞬間、何かが己の中で切れちゃってさ。こう、ガリっていけちゃったんだよね。肩外れかかったけど。

 ……今思うと、アレよく勝てたなぁ…………どうやったんだっけ。周りにあった魔術礼装らしきナイフか、単純に鈍器か何かで頭を潰したのかなぁ。もうあまり覚えてないや。

 後一分早く自分の何かが切れてれば、家族は助かった筈なのになぁ」

 

「それでその後教会に拾われ、魔術師に対する執念、代行者として培った力と実力で今の立場にいる訳か。

 教会関係者にしては話が通じるなとは思ったが貴様、神への信仰心ではなく異端者への復讐の為に教会に身を置いているな?」

 

「うん。代行者崩れなのもちょっとやっかみを受けたからだ。

 ……いやぁ、でもちょっと驚いたなぁ。俺は教会でも微妙な立場だし、親族なんて殆ど関係が断絶してるのに、まさかお従兄さんは俺を覚えているとは。

 もう二十年以上会ってないんだぞ?」

 

「気持ち悪い演技だな。それは懐かしんでいるフリか?」

 

 

 

 そう言って、グリフレットはまた表情を変えた。

 腰に手を当て、疲れたようにやれやれと頭を振っている。

 

 

 

「君きらーい……実力はともかく円卓で一番若いんだから手玉に取るのは行けそうだなって考えてたのに。

 まぁカウントは0だから正直に語るよ。僕はあまりお従兄さんが好きじゃない」

 

「嫉妬か?」

 

「うっわっ…………まぁうんそうだよ。

 ベディヴィエール卿はいいですねーって。何が悪かったと言われれば俺の運が悪かったんだろうが、あっちは家族も幸せそうで円卓の騎士という栄光も受けれていいですねーって」

 

「そうか、そう言う事か」

 

 

 

 視線を外して考え込む。

 この男が偽名を使ってる可能性も考えていたが、そんな気配はしない。勘も働かない。多分、本当にグリフレットだ。

 今の発言は、今まで一番信頼出来た。むしろ信頼出来ない訳がない。私はこの男についてなら、円卓の誰よりも理解できる自信がある。別に自慢にはならないが。

 

 

 

「……君って仲間想いなのかそうじゃないのか判断に困るなぁ。

 素直かと思えば淡白で無関心だし。二重人格?」

 

「貴様に言われたくない」

 

 

 

 剣を鞘に収め、嫌悪を表すように吐き捨てた。

 二重人格などコイツの方にこそ相応しいだろう。

 

 

 

「もういい。退け。特に知りたい事もないし、貴様を殺す必要がなくなった。教会に戻れ。私はキャメロットに戻る」

 

「ねぇねぇ。俺を円卓に紹介してくれない?」

 

「はぁ?」

 

 

 

 突拍子もなく告げて来た発言に思わず言葉を返す。

 グリフレットはニコニコとしながら語った。

 

 

 

「いや、よく考えてみなよ。俺の目的は魔術師狩り。君は蛮族狩り。似通っているだろ?

 互いに協力し合うのは結構いいと思うんだけど。教会側も蛮族の集団には手を焼く事もある。君達円卓側も、魔術師に手を焼く事はある。ほらどう?

 教会側の力を借りられるっていうの良くない?」

 

「微妙な立場の貴様がか?」

 

「アハハー………じゃああれだ。別に円卓に紹介しなくても良い。君の部下的な立場になろう。とりあえずは君との繋がりが得られればそれでいい」

 

「うわ…………」

 

「君達は近々キャメロットに戻るんだろう?

 ならさ、その船に乗せてくれよ。如何にも船の乗組員ですみたいな感じに誤魔化すから。自分で言うのもなんだが俺は有能な方だぜ?」

 

「…………………」

 

 

 

 畳みかけて来たグリフレットの言葉に眉を顰める。

 断ったらそのまま引いてくれるならいいが、絶対にコイツは引かないだろう。私の力が魔術師狩りに役立つ事を把握している。それにコイツ自身、アーサー王伝説側に関わってこない訳がない。何せ、伝説で有名なあのグリフレットだ。

 

 しかも、私が拒否したらしたで、コイツの動向が掴めない。さらには味方にした場合、なまじ有能なのだろう事が腹立つ。コイツこれすら理解しているな。

 クソ……本当にコイツと関わらなければよかった。

 

 

 

「はぁ……一応は考えてやろう。

 ただしキャメロットに戻ってからの貴様の動向次第では容赦なく殺しにいくぞ。特にベディヴィエール卿」

 

「あぁいいよいいよそれで。別にお従兄さんに関わる気はないし」

 

「貴様の復讐心以外は、全て戯言だと考えて動いた方が楽だな」

 

「うわぁ酷い。その言葉君にもお返しするけど」

 

「黙れ」

 

「嫌だ、黙らない」

 

 

 

 ようやく終わったアイルランド島の問題で疲れ果てているのに、コイツの処遇を判断しないといけないのが面倒だ。

 飄々とした態度を崩さなかったグリフレットに、一定の信頼とそれを上回る信用の出来なさを同時に抱きながら、暫くこの男の利用価値を考えていた。

 

 

 




 
 
[詠唱解説]

 洗礼詠唱

 詳細

 
 Apocryphaよりジャンヌ・ダルクの洗礼詠唱を参考にして改変したモノ。
 天草士郎と言峰の洗礼詠唱とはあまり関係がない。教会側で洗礼詠唱が決まっているのではなく、恐らく個人個人で洗礼詠唱が微妙に違うと思われる。
 ちなみに、グリフレットの過去と重ね合わせている。
 

 
[人物解説]

 グリフレット

 詳細


 ベディヴィエール卿の従兄弟。
 Fate世界では名前すら出てこないが本当はめちゃくちゃ有名……だった筈の人物。
 アーサー王伝説初期の頃から登場し、終盤にまで名前が出て来る。カムランの戦いを生き延びた数少ない生き残りにして、アーサー王から聖剣を受け取って湖に返した人物……であった者。

 ただ、アーサー王伝説が中世に広まる過程、特に今のアーサー王伝説が伝説の形になったマロニー版では、グリフレットはランスロットに殺害された騎士の一人になり、聖剣を湖に返したのはベディヴィエールになった。グリフレット自身の活躍も、大半がベディヴィエールに移った経緯を持つ。
 ある意味、ベディヴィエール卿に活躍を奪われた人物とも称しても良い。フランスのマロニー版アーサー王伝説とイギリスの原文アーサー王伝説解離あり過ぎ問題。

 ちなみにだが、さらに従兄弟にルーカンという人物がいるのだが……名前の通り本作の主人公を作る過程でモチーフにさせて貰った人物である。
 尚、改変が多い為殆ど参考にはならない。名残はルーカンという人物の立場くらいだが、それもあまり関係がない。


 本作に於いては、グリフレットは後にアーサー王伝説初期に活躍した人物ではなく、ウェールズ伝承のサー・ルーク流伝初期に活躍した人物と後世で称される。

 

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