騎士王の影武者   作:sabu

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 前話でも言った通り決着編には行かない。戦って勝利してそれで終わりでは済まない話なので。後、残りの展開含めても主人公が一番追い詰められてますが、主人公は追い詰められれば追い詰められる程、土壇場で強くなるタイプなので安心しよう。
 次の話くらいがやばいので待ってね。
 


第56話 サー・ガウェインと緑の騎士 転 後編

 

 

 

 コーンウォール州の北に位置する大きな森林。

 そこは他者を拒絶する様に、往々と木々が密生している緑の海だった。国と国を跨ぐ程の森。

 あまりにも広大であるが故に、ウィレム、もしくデラメアとも呼ばれ、土地に名称が固定されていない森でもある。

 故に、その森に固有名詞はない。ただ、コーンウォール北の森林と呼ばれるのが常だった。

 そして——

 

 

 ——そんな森を進む一人の騎士がいた。

 

 

 人工物など存在せず、町の灯りもなければ、人々の活気も存在しない。森に熟知した狩人ですら、油断しようものなら行く道に迷うだろう。

 森は決して人の世界ではない。獣と魔の潜む、人の世と断絶した世界なのだ。そんな世界で、誰も同伴させずに一人で歩き、尚更それが子供なのだと言うのなら森は即座に牙を剥き、人間に自然の恐怖と己の愚かさを、その身に刻むだろう。

 

 

 ——だが、その子供は何にも憚れずに森の中を歩いていた。

 

 

 ただしそこに優雅さはない。

 ただ、何の感慨もなく森を進んでいるだけ。まるで平原を歩いているかのようだった。阻むモノ……いいや阻めるモノはだれもいない。

 

 匂いに釣られてきた鳥獣は、近付いた瞬間に生命の危機を感じて、即座に逆戻りをする。

 隙を突けば手慣れの騎士すら殺せるだろう魔獣は、その隙だらけな筈の背中への一歩を踏み出せずに硬直する。

 もしかしたら、威圧感を出すのすら億劫であるが故に、中途半端な力を持った獣はその人物に襲いかかった事もあったかもしれない。

 しかし、次の瞬間には腰から引き抜かれた短剣で両断され、そして血肉が森に残されるだけだった。

 

 それはもはや、森を荒らしに来た暴威にすら等しかった。

 突如現れた支配者。もしくは周囲を薙ぎ払っていく嵐。その暴威が振るわれないよう、その騎士——少女以外の生命体は縮こまるしかなかった。

 

 そして、その影響は心を持った動物だけではない。

 彼女の行く道を阻んだ、草木はまるで最初からそこに何も無かったかの様に枯れ果て、森の木々は、彼女に道を譲る様に土ごと移動する。

 人間の世界でないにも拘わらず、森を我が物顔で進むその少女は、森という空間を完全に支配していた。

 

 しかし、彼女は別に大した魔力を使っている訳ではない。

 手を振りかざし、指向性を持って魔術を行使している訳でもない。

 

 今まで試した事はなかったが、それは問題にすらならなかった。少女はただ——そうする権利を得ているのだから。

 やり方は分からない。が、理解する必要もない。何故なら、魂が把握しているから——胸の裏側に宿る、昏い底無しの穴の様な心臓が。

 だからか、今なら何故か出来るという感覚しかしない。

 そこからは普段と同じだ。後はいつものように……少しイメージして、そしてそれを己の内部から外界に投射すれば良い。

 

 

 ——目障りだ、失せろ。

 

 

 呟いた言葉は風にのり、少女を中心として水に波紋を垂らすように広がっていく。

 たったそれだけ。それだけで島の呪力にも等しい"超常の力"が駆動し、新たに現れた相応しい主を祝福するかのように周囲の大地が蠢く。

 

 その動きに、少女は終始何の感慨も見せずに再び歩みを開始した。

 元より期待していた能力ではなかったのだから、一々一喜一憂する意味がないのだ。

 

 

 あぁ、成る程こんな感覚なのか。

 

 

 ただ事実を事実と理解し、己の肉体と思考に向かって把握として感じ取るだけ。それだけの行為。作業を流していくような無機質さで、少女は全ての事象を受け入れた。

 普段だったら、もう少しは何かを考えていたかもしれない。

 しかし、今の少女にとってはそんな事どうでも良かった。何もかもが停止していた。

 だから、本当は何の力も持たない人間だった筈が、魔女や卑王と同じ力を息を吸うように行ってしまった事も、もう普通の人間の範囲から逸脱してしまった事も、別にどうでも良かった。

 

 あぁ、もう何もかもがどうでも良い。気にしたくない。血が上り切って、そして一旦糸が切れてしまって、感情という感情が振り切れてしまった。

 億劫で仕方がない。今だけは、緑の騎士の事も、サー・ベルシラックの事も考えたくない——

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 少女は周囲の蠢きも、今の行為によって完全に森の支配者と化した事も気にせず歩み続ける。

 

 この森に再び訪れたのは七年ぶりだった。そしてそれだけの時間が経ったのだ。森の出口と外れの集落を繋ぐ獣道は既に死んで跡形もない。

 少女が覚えているのは、遊び場にしていた集落の周囲の森と、そして森を出る獣道だけ。森には詳しい方だと思うが、国を数個飲み込んでも尚まだ入るだろう広大な森を踏破出来る自信はない。

 

 だから、集落に着くのにかなり難儀するだろうと思っていた。

 並外れた直感とあり得ない程の集中力で地形を記憶すれば別かもしれないが………あまり、森までの道は覚えてない。

 数十メートル真上に跳躍したとしても、あの集落を見つけだすのは難しいだろう。狩猟、森からの作物。流れる川。停滞した代わりに、本当に自給自足で生きていける閉ざされた世界だったから。

 

 だが、森が完全に支配下に出来てしまった以上それも関係なくなった。

 この力は便利かも知れないが、きっと万能ではない。ただ、力を別な形に組み替えているだけだ。流動、もしくは転換。攻撃的に表せば、変換と強奪。

 つまり、この力で新たな何かを生み出せる事もなければ、島に神秘を取り戻させる事も出来ない。

 ただ、自分がこの力の本質に気付けていないだけかも知れないが。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 森を抜け終えて、少女は滅びた故郷に辿り着いた。

 その光景を見て、一瞬足が止まって、しかし少女は表情を変えずに再び歩き出す。

 目に入る風景は寂れた景色も、人々の喧騒も何も聞こえて来ない寂れた静けさも、後ろにある森から吹く冷たい風も、全てが少女の何かを動かす事はなかった。

 先日のサー・ベルシラックとの問答から、少女はあらゆる情緒が停止していた。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 少女は村の中央を目指しながら、横目で周囲を見渡す。

 畑は既に死んでおり、周囲の荒れ果てた野原と殆ど差はない。

 村の家屋は、ぼろぼろになって傷み果てている。そこに、緑の雑草が生い茂って廃墟同然の有様を晒していた。

 この集落時代がもはや生き返る事はないだろう。後数十年もあれば、この村は森の緑に飲み込まれ、数百年も経てばあらゆる痕跡が消える。

 

 何の意味もなく、無価値に。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 少女は周囲への視線を切って、村の家屋一つ一つに入っていく。

 寂れた部屋だ。嫌な匂いはしない。人が死んだ匂いは、しない。それを発する死体すらもう無くなっている。

 そう、本当に何もない——遺骨すら無いのだ。

 

 

 

「———————…………」

 

 

 

 少女は他の家屋にも入って確認するが、やはり何もなかった。

 ただ、緑色の雑草によって廃墟と化した家屋でしかない。

 ちゃんと運んだ記憶は残っている。今と違って、何の力もない七歳の子供が人々の遺体を此処まで運んだ記憶。

 その重さは、未だに焼き付いて———

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 立ち止まっていた事に気が付いて、少女はその家屋から退室した。

 幾つもの家屋を確認して、そして最後に回していた家屋に辿り着いた。忘れる方が難しいその光景。何年もここで暮らした……自分の家。

 

 その自分の家を見て、何故だか家が小さくなった感覚がした。

 それが、自分が成長したからだと気付くのに時間がかかって、少女は一瞬だけ呼吸を荒くしてから、扉に手をかけて——そのまま扉は倒れて壊れた。

 

 

 倒れた扉が風を起こして、埃が舞い上がる。

 

 

 安心出来る匂いがしていて、穏やかだった筈の家に冷たい風が舞い込んでいた。

 暖かだった記憶が途端に冷え切っていく。確かにそこにあった筈の思い出が錆びて行くような感覚がする。

 

 

 

「………—————………………」

 

 

 

 少女は平静に続けていた筈の呼吸を、思いっきり殴られたように一度だけ大きく乱し、それが戻らなかった。その残滓がずっと後を引き続ける。

 その乱れた呼吸と歪に響く心臓の鼓動を戻す為、少しずつ少女は呼吸を落ち着かせていった。

 数秒、もしくは数十秒間その場に佇んだ後、少女は自分の家だった廃墟の奥に進んでいく。

 

 母親と兄の遺体を乗せたベッドに辿り着いて、やはり遺骨がない。何もなかった。この集落にはもう、ありとあらゆる痕跡がなくなっていた。

 

 埃塗れになってぼろぼろになったベッドを見れば、その記憶を思い出せる。

 母親と兄の三人で、川の字になって寝た事。母親と兄の微笑み。世界の事実も、酷く醜悪な人類の事も何も知らない頃の自分。

 そうして自らの記憶を思い出して、その記憶はノイズがかかったように錆れ始めている事に少女は気付いた。

 

 

 私は——死者が報われないのが許せなかった。

 

 

 救われる人数に定数があるという事実が、これほどの怒りを生み出している。

 自らの生き方が生者ではない、まるで死者のようだと私は称された。自分でも、確かにそうだと思う。

 少なくとも、私の心はあの日あの場所から何も動いてなければ何も進んでいないのだ。

 

 ずっと忘れた事はなかった。

 忘れちゃいけないし、忘れたくなかった。なのに———分からない。分からなくなって来ている。何よりも忘れたくない記憶が掠れて来ている。

 

 その事を自覚して、少女を突然襲ったのは寂しさだった。

 突然、見知らぬ町で一人だけ取り残されたような、そんな不安感。

 

 

 

「…………………——————-」

 

 

 

 少女は、自分が涙を流している事に気が付けなかった。

 嗚咽も漏らさず、呼吸を乱す事なく、自分の家だったモノの中で母親と兄の遺体があったであろう場所に視線を固定して、少女は放心したまま、壊れた人形のように涙を流す。

 

 

 彼女が涙を流した事は、今の今まで一度もない。

 

 

 そうであった筈なのに、人としての証を少女は壊れたように消費し続ける。

 その証は誰かに見られる事もなく、誰かが感じ取れる事もなく、黒いバイザーの裏で流れ続けていた。

 

 

 

「—————————」

 

 

 

 もう良いと納得した筈なのに、それがまた蘇って来る。

 少女は死者も同然でありながら、死者ではない。無情にも、人間は未来に進めても過去には進めない。

 どうあっても、自らの誓いを支える記憶が錆びて行くという事実が、少女のナニかを打ちのめしていく。

 

 涙が流れ続けていた。

 少女が人間である証が、無価値に消費され続けていた。

 

 

 

「……………ただいま」

 

 

 

 自分が涙を流していた事にようやく気付いて、少女はその場に剣を突き立てた。

 どこにでもある雑多な騎士剣。あの少年の剣と違って、いずれ消えてしまうだろう剣。

 それが怖い。いずれ、自分の記憶もこの剣のように消えてしまうようで怖い。

 

 

 

「……………さようなら」

 

 

 

 行ってきます、とは言わなかった。

 少女は壊れた扉を前に一瞬だけ足を止めた後、再び歩を進めて自分の家だった廃墟から出る。

 

 太陽が熱い。

 真上を見上げれば、嫌になる程強く太陽の光が辺りを照らしている。

 そういえば、七年前のあの日もそうだった。トドメを刺すかの様に雨が降らず、燦々と輝く光。少女にとっては忌々しい星の光。

 

 太陽。太陽の騎士。聖者の数字。今すぐに殺してやりたい存在が保有している、星の加護。

 何が聖者だ。何が太陽の加護だ。ふざけるな………ふざけるなよ——

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 大きく息を吸い込んで、一気に脱力する。

 頭がおかしくなりそうだ。頭の血管という血管が破裂しそうだった。

 あまりにも感情が爆発して振り切れたせいか、凄まじい吐き気がする。何か悪いモノを吐き出したくて仕方がない。

 

 脱力したまま意味も無く空を見上げた後、また特に意味もなく自分が目覚めた大木の下に向かう。花が咲き誇っていた広場は、緑色に染まっていた。

 ただ雑草が生い茂っているだけ。もはや、ここが花が咲き乱れる広場であったなど誰にも分かりはしないのだろう。

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 もはやこの故郷には何もない。

 何もかもが置き去りにされたまま、全てを新しい何かが塗り潰していく。残るものは何もない……そう、残る物は何もないのだ。

 

 

 その事を、滅びの丘に向かう前、とある一人の少女に告げた魔術師がいる。

 

 

 そんな事知っていた。

 そして、結局知っていただけで、私はまるで理解した気で居たのだろう。その生涯の険しさも知らぬまま、まるで理解したような気でアルトリアを見ていた。

 なんたる傲岸か。滑稽にも程がある。澄まし顔のまま、独りよがりな思い込みをしていた子供にも等しい。故にその代償がこれだ。

 

 人は、最初に声を忘れて、次に顔、そして思い出を忘れるという。

 脳に灼きついた記憶だけはずっと鮮明なのに、私自身の思い出だけがどんどん錆び付いていく。

 もう、分からない。何年も経って掠れてしまった。

 

 母親と兄がどんな声をしているのか分からなかった。

 母親と兄が私に良く微笑んでくれた事だけは分かるのに、どんな表情で微笑んでくれたのかが分からなかった。

 

 そして、遂に暖かだった思い出すら冷えて来ている。

 

 

 

「ぁぁ………………」

 

 

 

 その事を自覚した瞬間、少女は途端に今の自分が怖くなって来た。

 躊躇いなく人を殺せる。人智を凌駕する竜の炉心を僅かな違和感もなく受け入れている。島の呪力を、息を吸う様に扱える。

 

 そう。私は人間だった。人間、だった。

 人間としてもあらゆるモノをここに置き去りにして、それでも私は人間である事を辞められず、そしてもう人間には戻れない。

 あらゆる痕跡が、私一人だけを置き去りにして消えてしまったから。

 

 

 

「…………わたし、頑張ってます。ずっと頑張ってます。ちゃんと……わたし生きてます」

 

 

 

 自分の声じゃないようで、自分の声が口から溢れていた。

 その言葉を喋っているのは誰なのだろう。

 モルガンの隣にいる時でもなければ、普段の様子でも、キャメロットにいる時でもない誰かが、少女の代わりにその言葉を発している。

 

 その言葉は誰かに届く事もなく、日輪の下であるのに冷たい風が少女の声を掻き消していった。

 ただぼーっと放心して、少女は大木を見上げたまま涙を流す。とっくに枯れ果てていると思っていた少女の人間の証が、ぽたぽたと頬を伝って地面を濡らしていた。

 皮肉にも停止させていたその人間性を、今僅かに取り戻した事で——竜の炉心から熱が奪い取られていく。

 ギリギリのところ、本当に後一歩のところで彼女は踏み止まれた。彼女のナニかは狂わなかった。その代償として、彼女のまた別のナニかにヒビが入っていく。

 一言も声を発さずに涙する少女と、静寂さが支配した集落。

 

 

 その中、少女は誰かの足音を聞いた。

 

 

 瞬間、頭が澄み切っていく。

 足音と一緒に、騎士が身につける鎧の金属的な音が鳴り響いていた。鎧の音で誰かを当てられる程聞き比べた事はないが、この地域に訪れている騎士は自分は除けば二人しかいない。

 そして、その鎧の音はどこか軽装の鎧の印象が強かった。

 そもそもこの"滅んだ集落"に訪れる理由のある騎士など、騎士王を除けば三人しかいない。

 

 

 

「——私に何か。ベディヴィエール卿」

 

「……………………」

 

 

 

 振り返らず告げた少女の声に、ベディヴィエールは足を止めた。

 少女との距離はおよそ10歩分。その距離が、少女との心の隙間であるような感覚がした。

 そして、それはきっと錯覚ではないのだろう。互いに互いの距離感を測り倦ねている間、少女はこの距離まで近付いて、そして彼女から割り切ったのだ。

 

 いつまでもその関係性を直さない円卓を見限ったのか、彼女からも我らを信用出来ずに、その地点で止まっているのか。

 しかし、今ばかりは……今この瞬間だけはそんな事関係がない。

 

 

 

「何か、ですか。理由……理由は良く分かりません。

 ただ貴方がこの森に入る後ろ姿を見て、慌ててついて来ただけですので」

 

「そうですか。森の入り口から歩いて数時間かかるこんな寂れた集落に、大した理由もなく訪れたと。

 なら早く戻った方が良い。今日は緑の騎士との一騎打ちの日でしょう。その日に従者役の貴方がいないと、きっとガウェイン卿は慌てる」

 

「……………」

 

「あぁ、勿論私に従者は不要です。そもそも、私自身が従者の役割になれる」

 

「えぇ存じています。きっと、貴方はケイ卿以外の従者になっても充分に通用するでしょうとも。何不自由なく、貴方は一人で物事を完遂させてしまう。

 事実、私は貴方が何かに失敗したという事を聞いた事がありません」

 

「ありがとうございます。ですので心配には及びません。

 緑の騎士が現れるだろう時間はおよそ把握しています。時間になれば戻りますので」

 

「えぇそうでしょう。私からすれば、きっと貴方に対しての心配はむしろ烏滸がましいモノにしかならない。

 …………そして、それはガウェイン卿にも同じ事が言えます。私の助けなど無くとも、ガウェイン卿は緑の騎士との決闘を万全の形で迎えるでしょう」

 

「………………」

 

 

 

 ベディヴィエールの言葉に、少女は一瞬だけ黙り込んでから返す。

 

 

 

「だから、自分はどこに居ても変わらないだろうと——」

 

「ですから……ッ!!」

 

 

 

 少女の声に被せるように、ベディヴィエールは声を張り上げた。

 相手の考えを読み取って、その先を言われるよりも己が早く先を言う、少女やアグラヴェイン卿がやるような話し方。

 そのような交渉術などは持たず、対処法など分からないベディヴィエールは、ただ少女に答えられるよりも早く、そして叫んだ。

 

 

 

「ですから…………私は、ただ……貴方の隣に居たい…………居なければならないと、そう思っただけです」

 

「…………………」

 

「ただ………貴方がこの森を出るまで、せめて……………戦えない私でも出来る事をと、そう愚直に考えた……その結果です」

 

 

 

 視線を俯かせ、段々と覇気が小さくなっていく。

 何か卓越した話術も無ければ、その荒狂う精神に寄り添う為の言葉を吐き出せない、ただの単語の羅列だ。

 負け犬の遠吠えにも等しい無意味な言葉だというのに、覇気すら宿ってないとは何か。一蹴りされて終わるだろう。

 

 しかし、その言葉は、何故か少女に届いていた。

 小さく口を開けて、その後ハッと笑って少女は答える。嘲笑ではない。思わず呆れて笑ってしまうような、そんな笑い方だった。

 

 

 

「成る程そう返して来ますか。

 で、それで? 次はどんな言葉を私にぶつけますか?」

 

「は、え………何を、まさか——楽しんでいるのですか。その、私との会話を………」

 

「楽しんでいる…………さてどうなのでしょう。自分でも良く分かりません。

 ただまぁ、貴方の想いは身勝手なモノじゃなくて、本当に素朴なモノなんだなと実感しただけです。

 信頼と信用………そう言い換えてもいいかも知れない。

 だから嫌じゃないですか。自分が意地を張って、妬みや嫉妬には一つも染まらないその純朴さを私が変に汚してしまうようで」

 

「………………」

 

「あぁでも純粋な疑問があるんですが、貴方は私の事が怖くないんですか?

 ここには私と貴方の二人しかいない。それにこの集落は……まぁつまりそう言う事じゃないですか。しかも、今の私はかなり虫の居所が悪い。

 だからほら、もしかしたら急に私が豹変して、貴方の右腕を切り落としにいくかも知れませんよ?」

 

 

 

 物騒極まりない事を言っていながら、しかし少女は揶揄うような愉快さで楽しげに告げる。

 そして少女は今、この村と何の関係もないサー・ルークでは知り得る筈のない事、数少ない騎士達だけが知る因縁の事を遠回しに告げていた。

 それは同時に、そう言う事を話しても良いぞという少女からの許しであると、ベディヴィエールは寸分の狂いなく感じ取った。

 

 

 

「もしもそうなったら………残念ながら私にはどうする事も出来そうにありませんね。

 だから、怖いです。正直に言うならずっと恐ろしい。それに…………申し訳ありません、私は死にたくない、そう思っています。

 私は死への恐怖を克服する事が出来ずに騎士になりました。ですが、国へ忠義を捧げた騎士である以上今更な事でもあります。

 ………だから、私は円卓の中でも未熟なんでしょう。貴方の方が、よっぽど相応しい」

 

「そうですか………———そうですか」

 

 

 

 小さく呟いた少女の言葉。

 何かを噛み締めるように、少女は小さく笑ったような気がした。

 

 

 

「良いじゃないですか、それで。構わないじゃないですか、未熟でも。

 死への恐怖を感じながらも奮い立てる貴方に、敵の死を自分の死より早くするだけの力なんて必要なのでしょうか」

 

「え………」

 

「私はそうは思わない。

 自分で言うのも何ですが、人を簡単に殺せるだけの力を得た人間のほとんどは、心のナニかが麻痺する。

 それが慣れたからと捉えるか、割り切って諦めたと捉えるかは千差万別だと思いますが、どちらにせよ人間は死に対する感覚は普遍的なモノにまで下げられる。自他共に。だから、貴方のような人がいる。

 心細やかで、僅かの心の動きも見逃さない貴方が」

 

「貴方は、違うのですか」

 

 

 

 思わずベディヴィエールはそう返していた。

 ベディヴィエールが思い返すのは先日の事。サー・ベルシラックとの問答。

 周囲の窓が砕ける程に高まった激情と、次の瞬間には斬りかかっていそうな緊張感の中で行われたそれ。

 本当に——本当に心の底から激怒していた少女が、無機質に発した言葉の応酬。

 

 交わされた言葉は少なかった。

 いつに雇った、元々ここで暮らしていた、関係性などない。そして最後にサー・ベルシラックが放った言葉。

 彼らと関係のない貴方が、何をそんなに激怒しているのだ、と。

 

 サー・ベルシラックは一歩も引かなかった。

 ガウェイン卿もベディヴィエール卿も、その部屋に踏み込めず、ただ少女の後ろ姿しか見えてなかったというのに、その殺意の全てを正面から受けているだろうサー・ベルシラックは、僅かにも狼狽えなかった。

 もしかしたら——あの、世界に空いた穴にも等しい少女の殺意にも匹敵する程の怒りで、サー・ベルシラックは返した。

 ——あらゆる不浄を絶対に許さないとばかりに燦々と揺らめく、焔の陽炎な様な憤怒を滾らせながら。

 

 

 あの侍女と、あの門番と、貴様は一体何の繋がりがあるのだと。

 

 

 いっそ、その視線の力強さで息の根を止めてやるとばかりに、サー・ベルシラックは少女を睨み付けていた。

 同じだった。彼は少女と全く同じ熱量を持つ殺意を以って返していた。

 そしてそれを告げられた少女が一瞬だけ硬直した後、次の瞬間握っていた黒鍵の刃が爆発するように砕け散る。

 誰かが何かをした訳じゃない。ただ、遂に刃が耐えられなくなるような何かが、少女の中で爆発したのだ。

 それからの変化は早かった。少女の中で煮え滾っていた何かが、途端に冷え切って、部屋全体にかかっていた圧力が霧散する。

 

 何故かは分からない。

 誰にも分からなかった。

 

 

 

「……………」

 

「貴方は違うのですか。それとも、もう違うと考えているのですか。

 既に人を殺せるだけの力があるからと、貴方はずっと力無き……いいや力の無かった者を想っているというのに」

 

 

 

 急にいつもの平静さを取り戻した後、そうですかと告げて少女はサー・ベルシラックの部屋から退室して、そのまま自分の部屋に篭った。

 あの、溶け出した溶鉄のような圧力はもう無い。代わりに、何かが壊れたような、そんな印象が少女から離れなかった。

 それが先日の事だ。

 

 今でこそ平然としているとは言え、少女の胸中は測り知れない。

 あの時の怒りは本物であった。あの時の少女は、死者を冒涜された事——それも、身近な家族すらも貶められた事に本気で激怒していたのだ。

 緑の騎士との決戦を控えているその日に、少女がこの場に来たという意味に、ベディヴィエールは考えを巡らす事を止められなかった。

 

 

 

「さあ、私には良く分かりません。

 私は、一体どちらなんでしょうか」

 

「………………」

 

「でもまぁそうですね。私がもしも少女のようなつぶさな心を持っているとしても、きっと私はそれはそれだと割り切って捨ててしまうでしょう。

 そういう役割の人間が周囲には居ないのだからと」

 

 

 

 少女は、自らの右腕に視線を向けながら告げた。

 その右腕には、指先から肩にかかるまでの範囲に人工的な赤い線が刻まれている。少女を無辜の人々から逸脱させた力の証。

 だがその腕には、新たにヒビ割れた様な、そんな無数の線が新たに刻まれていた。

 

 

 

「ベディヴィエール卿。少し、私からの願いがあるのですが、いいですか?」

 

「…………何でしょう」

 

「どうか、この場所にはそういう人間が居たんだという事を忘れないで欲しい」

 

 

 

 呟いた言葉は掻き消される事なく風にのる。

 集落に走る一陣の風。日輪の下でありながら、動物達の囁きは聞こえない。ただ、集落を囲う森がざわめいていた。

 

 

 

「ここには、一人の少女とその少女の為に果てた人々が眠っている。それを忘れないで欲しい」

 

 

 

 風に揺れる少女の頭髪が、太陽の光に照らされている。

 だというのに、少女の頭髪が黄金の光を取り戻す事はない。ただ、強い光に塗り潰されているだけだった。

 

 

 

「—————-」

 

「私一人では、きっといつか忘れてしまう。だから、私以外の人も覚えて置いて欲しい。

 そして、もしも私が忘れてしまったら、貴方達が思い出させてください。我儘かもしれませんが、どうかお願いします。

 あぁでも…………もしも貴方達が忘れてしまったら、もしかしたら逆に私が思い出させに行くかもしれませんね。

 忘れてしまうと、きっと私は怖いですよ? 特に貴方のような人の場合」

 

「それは……」

 

「私には兄弟がいたのですが、えぇそれはそれは大変でしたとも。何かを忘れてしまうとそれは怖い。

 だから、貴方も気を付けた方が良い。もう何年も会ってない上、血の繋がりが薄い従兄弟だとしても、もしかしたら忘れていると腕を斬り落としに来るかも知れない」

 

「それは怖いですね…………ですが、幼い頃に音信不通になった弟の事を忘れた事などありませんとも」

 

「そうですか——それは良かった。きっと貴方は千年以上の放浪をしたとしても忘れたりはしないでしょう」

 

 

 

 満足そうに少女は語った。

 まるで、事実そうなるように。若輩の身である己でありながら、何一つその事を疑っていないように。

 

 

 

「それで、こんなに話し込んでいいのですか?

 既に太陽は昇りきった。後は落ちるのみです。この森を抜けるのは苦労しますよ」

 

「貴方は…………」

 

「私はもう少しここにいます。きっと、もうここに戻る事もないでしょうから。

 森の抜け方は知っているので悪しからず。貴方の半分の時間で私は抜けられるでしょう。だから貴方はもう行くと良い」

 

「ですが……私は!」

 

「ベディヴィエール卿。お願いします。

 やめてください」

 

 

 

 静かな拒絶と共に、森のざわめきがより大きくなっていた。

 風は吹き荒ぶように激しく、後ろに纏めた少女の頭髪が風に靡いて激しく揺れている。

 その後ろ姿がどこか、もう一人にしてくれと言外に告げているようだった。

 

 

 

「ッ………………」

 

「貴方の心配も分かる。昨日の今日で…………私はきっと、少し色々おかしくなっている。

 でも本当にお願いします。もうやめて下さい。私を一人にさせてください」

 

「………………」

 

「本当に、こればかりは私の言う事を聞いて欲しい。

 今の私は平静じゃない。貴方のおかげで少しは気は紛れた。でも、まだなんです。今の私は、何か取り返しのつかない一歩を踏み出しそうになっている。

 だから、もう、やめてください」

 

 

 

 あまりにも強い拒絶だった。

 嘘でも無ければ誇張でもない、本当の拒絶。あの少女が、ここまで弱りながらしかし強く、周囲に向かって警戒するように牙を向けた事があっただろうか。

 今、少女が握り締めている両手の拳は、ガラスにヒビが入ったような赤い線が刻まれていて、震えていた。

 

 

 

「……………………」

 

「それと、再三ですがすみません。もう一つお願いがあります。

 ガウェイン卿と緑の騎士の決闘が終了したら、ガウェイン卿を連れてその場を去ってくれませんか。

 少し………——緑の騎士と一対一で話し合わなければならない事がありますので」

 

 

 

 振り返ってその場を去ろうとしたベディヴィエールの背中に、少女は厳かに告げた。

 

 

 

「分かりました。ですが……無茶だけはしないでください」

 

「分かっています。

 ………それとありがとうございます。踏み込んだ話を敢えてしないでくれて」

 

 

 

 苦笑い気味に放った、どこか弱ったようでいて、しかし安心したような口調の言葉にベディヴィエールは足を止めた。

 その通りだ、ベディヴィエールはやめたのだ。他の騎士と違って、彼は少女に踏み込むという選択肢を選ばなかった。ただ、ベディヴィエールは少女の言葉を聞いただけ。

 

 互いに心内を深く語ったようでいて、しかし結局何かの距離が縮まった訳でもない。刻まれた因縁についてを語った訳でもない。

 そうするよりも、まずは大前提として優先しなければならない事があるようにベディヴィエールは思えなかった。

 ほんの一瞬だけ見えた、バイザーで表情を隠したまま——壊れていくように涙を流す少女の姿から、そう思ってならなかった。

 

 だから、ベディヴィエールは踏み込まなかった。

 少女との心の距離に等しいその10歩を、ベディヴィエールは詰めなかった。

 

 

 

「まさか、私は貴方が思うような人物ではありません。

 ただ私は臆病なだけで………私は貴方への一歩が怖かっただけです」

 

 

 

 そう言って、ベディヴィエールは振り返らず去っていく。

 風は止んでいた。ベディヴィエールが森に消えていったのを少女は感じ取ると、彼女は自らのバイザーを外した。

 涙を拭う暇すら無かったせいで、その跡が頬には刻まれている。

 

 

 

「何をまさか………肉体に魂、精神すら摩耗する程に旅を続けて、それでも尚旅の終わりの一歩を自ら踏み出した貴方が、私への一歩が怖いだなんて………嘘にしては分かりやすすぎる」

 

 

 

 不器用な形に崩れた笑みで、少女はその独り言を呟く。

 涙は疾うに枯れ果てた。胸中にあるのは、涙の後に尾を引く透き通るような脱力感と虚無感だった。

 煮え滾る魔力が停止していく。内側から溢れ出る溶鉄によって溶け落ちた、鋼鉄にも等しい滾りが、少し冷えていく。

 気付けば、肉体に浮かび上がったまま戻らなくなっていた魔術回路が静まり返っていた。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 少女はバイザーは外したまま、集落の大樹に背を預けて寝転ぶ。

 花が咲き乱れていた筈の小さな広場。しかし、花はもう一輪もない。あるのはただ緑の雑草だけ。

 

 

 

「眩しい………」

 

 

 

 大木の葉の間から掬いきれずに漏れた太陽の光が、少女の瞳を不規則に焼く。

 私が目覚めた日もこんな風に太陽が煌々と照らす日だった。どうしてこう、星の光は私に味方をしてくれないのだろう。

 そんな行き場のない怒りすら沸いて来る。太陽という存在そのものにすら嫌悪感が湧きそうだ。

 

 

 

「あぁ………後でガウェイン卿に謝ろう」

 

 

 

 あんなに強い言葉を言ってしまったあの後、ガウェイン卿とは何も話さずここに来た。何か弁明をしなくては。

 緑の騎士との決闘は…………あぁ、なんか嫌だなぁ………我を失ってしまいそうになりそうだ。

 怒りが振り切っている間は何も目に映らないが、その後少し平常に戻ると、その反動で凄い気分が悪くなる。今まさにそれだ。頭痛と吐き気がして立ち上がりたくない。

 太陽の光が眩しいのも気分が良くならない原因をかっている。

 そして太陽の光を味方にした………緑の騎士。今は時刻にして大体一時くらいだろう。緑の騎士が姿を現すとしたら、聖者の数字が力を発揮する午後三時から。

 

 強大だが、本気の殺意すら湧く忌々しい敵。

 多分、あそこまで許せない存在に出会ったのは初めてだ。相討ちになってでも、その心臓に剣を突き立てたい程の相手。

 緑の騎士は、もう新たに右に出るモノは二度とないだろうと確信出来る程の化け物だった。

 

 でも、本当に本気の殺意が湧くのはきっと……………

 

 

 

「……………同族嫌悪、か」

 

 

 

 緑の騎士………いいや、サー・ベルシラックと昨日交わした、たった数言。

 本当にそれだけで何故だか察してしまったのだ。コイツと私は似ていると。そして、それ以上にサー・ベルシラックの瞳を見て、感じ取ってしまった。

 

 アレは修羅の顔だ。

 もし、私の殺意に僅かでも萎縮したり冷や汗をかいたりしたら、私はその殺意をより深くして、躊躇いもなく黒鍵で両断しただろう。後ろのガウェイン卿もベディヴィエール卿も知った事じゃないと、自分が持ち得るだろうあらゆる手段を以って殺しに行った。

 

 だが、アイツは一歩も引かなかった。

 それどころか、私の殺意にすら匹敵する程の、黒く堕ちた太陽のような……そんな不気味な陽炎を幻視出来る程の憤怒を以ってアイツは返した。

 サー・ベルシラックの瞳に浮かんでいた激情。およそ人に向けていいモノじゃないそれ。あれはきっと、私が心に秘めているような———

 

 

 

「どうしようもない、世界の理への……絶対的な憎悪」

 

 

 

 まるで、出来の悪い鏡を見ているようだった。

 己が悪へと堕ちようと、必ず眼前の悪だけは殺すと誓った修羅の顔。

 その瞳には、己を最も強大な悪として、有象無象の悪を廃滅し続けてやるとすら感じ取れる、昏い炎が揺らめいていた。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 どうして、あの存在があそこまで許せないのか。

 私の一番の地雷を踏み抜いて来たのもあるが、それならその報いを受けさせれば終わる。

 だが、あのまま剣を振り抜くだけでは、何かが終わらないという確信にも近い何かがあった。それだけでは許せない何か。

 あぁ………頭が少し冷えた今なら分かる。

 

 

 アレは——私の可能性だ。

 

 

 私が、あぁなってしまうだろう可能性。

 というか、もう片足くらいは浸かっているだろう。私はそれを、蛮族や叛逆者相手にやっているも同義だ。

 だから、許せない。

 

 私が他者を許せず、そして自分を許せない様に、他者でありながら私と似ている緑の騎士が何よりもずっと許せない。

 …………何という我儘だ。自分は良くて、他人がやるのは許せないのか。

 

 

 

「あぁ………気分が悪い。最悪の七年目だ」

 

 

 

 そう、今日は私の誕生日なのだ。そして同時に、私がモルガンに拾われて生まれ変わった日でもあり、誓いを立てた日でもある。

 私が産まれた日から十四年にして、あの運命の日から——七年目。

 なんたる偶然だろう。もしくはこれも運命なのだろうか。全く嬉しくない。あの日と違って最悪の誕生日になりそうだった。

 

 でも、緑の騎士との決着は近い。

 緑の騎士が、己の願望の為、この集落の人々を利用したかは分からない。もしそうなら絶対に私が殺す。

 しかし、その瞬間になれば、きっと真偽が分かる。

 緑の騎士がただの悪なのか、もしくはそうではないのか。

 

 

 

「…………………なんか」

 

 

 

 緑の騎士に抱く感情は、今すぐにでも解消したいほどに複雑だ。

 先日抱いた、本気の殺意はまだ糸を引いている。そう簡単に抑えられる訳ではない。この激情を抱いたままでいる事が、堪らなくもどかしい。

 しかし、だからなのか——先日から違和感があった。

 今までの生涯で初めての違和感。普段なら思わない筈の、凄まじい欲求。

 

 

 

「——お腹空いたなぁ……………」

 

 

 

 天を仰ぎながら、自らのお腹をさする。

 何故か空腹で仕方がなかった。別にお腹が鳴っている訳ではないが、緩やかな飢餓感がする。

 美味しい物を食べたいという空腹感ではなく、ナニかが足りていないと身体が訴えかけている、そんな飢餓感。

 

 いや、むしろこれが正しいのかもしれないと言われたら否定は出来ない。

 竜とは古来より大食いであると言う。だから、竜の炉心を胸に宿したら、私も大食いになるのではないかと、アルトリアの姿を想像しながらそんな事を思っていたが、私は別にそんな事はなかった。普通に私は小食のままだった。

 数年前、モードレッド卿と出会って、そのままなし崩し的に行った会食でも、あれで別に足りていたのだから。

 

 まぁ私はそういうモノなのだろうと考えて、今まで深く思案した事はない。私の炉心は変換機構を有するから、それ故に燃費が良いのなのだろうと。

 でも何だろう。今……吐き気がするというのに飢餓感がしてならないのだ。

 

 

 

「——————-………………」

 

 

 

 大きく息を吸い込んで深呼吸をする。

 緩やかに大きくなっていた飢餓感……でも、それも今はちょっとだ。なんだか段々と収まって来ている。

 何故だろう。今は先日よりも精神が落ちついているからか。強引に繋ぎ止めていた感情がこの場所に来て外れて、その後泣いて、でもそれで落ち着いて、その後ベディヴィエール卿と話して、少し気分が良くなって…………緑の騎士のせいで抱いていた激情は少し和らいでいる。

 

 それが、理由なのだろうか。

 早くなっていた心臓の鼓動が、少しずつ収まっていくのを感じる。

 行き場もなく、ただ自分の肉体に溜まり続けていた魔力が、段々霧散していくような、そんな感じ。

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 お腹ではなく、心臓の鼓動を確かめるように胸に手を当てる。ドクンドクンと、大地の暖かさのようなモノを感じる鼓動。

 

 ……少し、感情を爆発させるのはやめよう。

 きっと溜め込むのはいけない事だ。誰だって知ってる。アグラヴェイン卿にも言われたじゃないか、自分を労われと。

 溜めて溜めて、その瞬間に一気に爆発させる方が迷惑だ。

 

 ……あぁうん。取り敢えずキャメロットに戻ったら、ボーメインから料理をいっぱい食べさせて貰おう。それが良い。今あるこの僅かだけ残った飢餓感も、少し休んで眠れば気にならない。

 

 

 

「あぁ………疲れた」

 

 

 

 大樹に背を預けて瞳を閉じる。

 緑の騎士の事について思案を張り巡らせながら、まるで昔の自分に戻ったように、いつもの遊び場だった大樹の広場で、静かに眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ガウェインは自らの一室に籠りっきりだった。

 緑の騎士が示した約束の日、五月一日。その日になってから、彼はガラティーンをすぐ側に置いて、背を一室の壁に預けて居座っていた。

 

 緑の騎士が示したのは日付だけで時間は何も告げていない。ただ、正しき人物であるなら、その日必ず自分を見つけ出せるだろうと言っただけ。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ガウェインは背を壁に預けた姿勢のまま、瞑想するように瞳を閉じていた。

 浮かべるのは破滅的な暴虐を放つ緑の騎士の姿。アーサー王と同じく星の聖剣を持つ者として負ける気はない。しかし、万全に勝てる相手とも思えない。

 

 キャメロットの大広間に現れた緑の騎士の凄まじい圧力は、未だ脳裏に浮かべられる程に健在であった。

 太陽の下にて恐ろしい力を発揮する怪物。その力は、構えた盾と鎧ごと敵対者の内臓を蹴り潰せる影武者の少年に拮抗するどころか押し勝つ程の膂力だ。

 もしかしたら、我が王よりもさらに激しい力を宿し放っているあの少年が、真正面から弾き飛ばされたその光景。

 

 いや……きっと持っている。

 昨日の少年の後ろ姿は、軽いトラウマものの光景だ。

 そして、その少年ですら、太陽の加護を受けた緑の騎士からの攻撃で吹き飛ばされたあの光景を自分に置き換えてみれば、どう考えてもまともに攻撃を受けてはいけないと悟れる。

 少年が万全ではなかったのもあるが、しかしそれは自分には関係がない。己は万全であっても、あの斧剣の一撃を真正面から受けてはならない。

 

 つまり、狙うのはカウンターだろうか。

 もしくは緑の騎士が言ったように、刹那の内に全てを決める程の一撃……聖剣の全力解放。

 

 

 この地に訪れる前に少年から告げられた事も覚えている。

 

 

 緑の騎士が持つ力は、午前9時から正午の3時間、午後3時から日没の3時間の計6時間。力が3倍になるという。

 緑の騎士が持つその力は呪いとしての性質に傾いているらしい。また、恐らく余力はもうない。不死身なのではなく命のストックを三回分持っていると。

 既に外側も内側ボロボロ。自分が聖者の数字ごと貫いて一度殺害したから、もうまともに万全な状態ではいられない、と。

 

 考えれば考える程、少年はバックアップに回って準備を万全にしていたのだ。感謝しかない。

 その少年が今どこにいるかは分からないが、少年の事を心配するのは出過ぎた真似になるだろう。

 優先順位の話だ。まずは緑の騎士を倒し、その後彼の事を気遣えば良い。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 太陽はやや傾きかけて来た。約束の日の五月一日はもう半分以上が過ぎている。

 ガラティーンを抱き寄せるように近付けて、ガウェインは静かに闘志を引き上げていく。その瞬間がもうすぐ訪れるだろう感覚を、ガウェインは感じ取っていた。

 

 そして、それは突然訪れた。

 

 

 

「……………ッッ!?」

 

 

 

 自身を襲う、突然の浮遊感。

 足下がいきなり崩れさり、宙に置き去りにされたような感覚。

 

 

 

「は………こ、ここは………」

 

 

 

 しかし、それは恐らく錯覚なのだと分かった。

 いつの間にか、ガウェインは地面に立っていた。既に浮遊感はなく、足場のない空中にいる訳ではない。

 

 周囲を見渡せば、そこは先程自分がいた館の一室ではなかった。その館すら見当たらない、どことも知らない平野のど真ん中。

 いいや、しかし遠くに見える森だけは見覚えがある。つまりここは、この地を訪れた時、山頂から見渡した平野のどこかなのだろう。

 

 

 

「ベディヴィエール………! ルーク!」

 

 

 

 叫んで二人の名前を呼ぶが返事はない。

 何らかの力で呼び寄せられたのかと思ったが、しかし二人がいない。それとも自分だけが呼び寄せられたのか。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 ガウェインは右手に聖剣を携えながら、周囲を警戒する。

 何かが動き出したのは明らかだった。いつ襲われてもいいように、自らの神経を研ぎ澄ませていく。

 そして、周囲を見渡していたガウェインは、遠くの丘の先にあるモノは見た。

 

 

 それは、古く朽ち果てた——礼拝堂だった。

 

 

 遠くから見てもその朽ち果てた様子が分かる程にボロボロで、教会には複数の穴が空いている。

 その教会の周りには、数十を容易く超え数百にも近い大量の墓石があるが、それすらもどこか朽ち果ていた。

 何故建物が崩れていないのか疑問符してしまいそうな程の惨状だったが、それはすぐに合点がいった。

 

 

 その礼拝堂は——至るところが緑色だった。

 

 

 雑草や蔦、雑多な木の根と思わしきモノが教会を呑み込んでいる。

 奇しくも、自然の力に呑まれながら、しかし自然の力でまだその形を保っていられているのだ。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 朽ち果てた緑色の礼拝堂を目撃して、ガウェインは導かれるようにその教会に近付いていく。

 漠然としない勘もあるが、それ以上にナニかの波動を……それも、太陽の揺めきのようなナニかをそこから感じ取ったのだ。

 

 

 

「よくぞ来た」

 

 

 

 教会に辿り着き、ボロボロになった扉を開けたその瞬間、重く威圧感のある声がガウェインを捉える。

 忘れる筈もない。キャメロットの大広間にて、人々を震え上がらせた緑の騎士の声そのモノだった。

 

 

 

「この日を待ち侘びた………ようやくだ。ようやく、あの日の雪辱を果たす事が出来る」

 

「…………………」

 

 

 

 緑の騎士は、ガウェインの身長を優に超える巨大な斧剣を地面に突き立てながら、仁王立ちするように教会の中央にて居座っていた。

 ボロボロになった教会は当然の如く天井もボロボロであり、太陽の光は緑の騎士を照らしている。だからだろう——緑の騎士の肉体は炎によって燃えていた。

 

 

 

「もう、我が肉体が機能する時間は多くない。

 しかし、幾度待てども、幾度肉体を回復させようと試みても、この数ヶ月の間、この体が回復する事はなかった」

 

 

 

 緑の騎士の肉体を燃やす炎。しかし、それはただの炎ではない。

 太陽のような暖かさなどは欠けらもない、日輪の灼熱にして劫火。あらゆる不浄を許さないとばかりに滾る、焔の陽炎。

 

 そして、その焔に妬かれ続けていながら、余りにも目立つ胸元の傷と、火傷の様な跡が残る足と眼。あの少年が付けた、心臓を穿った三本の刺突剣の傷跡は生々しく残っており、足と眼は傷跡が消えてはいなかった。

 首元にも深い傷が残っていた。太陽の聖剣で首を切り落とした時に出来た、炎が体表を撫でたような傷。

 

 

 

「もはや、この身が真に機能する事は叶わない。聖者による祝福もただの呪いと化し、力の代償として自らの命を糧として燃やし尽くす災厄の証と成り果てている。

 後はもう、この身は燃え尽きるしかないだろう。しかし、もうそれで良い」

 

「………………」

 

「さぁ、剣を取れサー・ガウェイン。

 午後三時から日没の六時まで、私が戦えるこの三時間。その間に貴様を倒し、そして宿願たるサー・ルークをこの私が倒す」

 

「成る程。自らの命すら燃やし尽くし、自らの手で自らの汚名を返上して見せるその覚悟、同じく一人の戦士として感じ入るモノがあります。

 ですが、それ以前に私は王に剣を捧げた騎士。故に、貴方がかの影武者と相対し、僅かとはいえ王の力を知る事はあり得ない。

 貴方はここで私に倒される。これは譲れません」

 

「あぁ……良い、それでいい。やって見せろ」

 

 

 

 最初に相対した時とは違い、緑の騎士には戦いを愉しもうという気概など感じられなかった。

 今の彼はただ、戦意に燃え続けている一人の人間のようにしか思えなかった。

 

 

 

「それで、貴方があの日告げたように、刹那の応酬と攻防を?」

 

——いいや、もうそのような誓いはどうでもいい」

 

 

 

 緑の騎士は眉を顰めて告げた。

 突き立ていた斧剣をゆっくりと持ち上げる。斧剣が軋む音が響く程の剛力と共に、緑の騎士の感情に呼応して炎が盛り続けていた。

 

 

 

「この一戦が泥臭いだけの戦いになる事はあり得ない。

 この決闘そのものが、私の生涯の刹那。たとえ、私の生涯の過去と未来全てを合わせても、このたった三時間の戦いに勝る価値はない」

 

「成る程…………貴方のその覚悟、確かに。

 しかし、私も私で退く事は出来ない。全霊を以って、貴方の覚悟を打ち砕きます」

 

「良く言った。ならば示して見せろ」

 

 

 

 その言葉に返すように、ガウェインが手にする太陽の聖剣に炎が宿り始めた。

 邪悪なるモノを焼き尽くす焔の豪炎にして鉄槌。颯爽とした清々しさのまま、ただガウェインは緑の騎士の動きを見据える。

 

 

 

「いざ」

 

 

 

 緑の騎士が斧剣を振り上げた。

 ガウェインの太陽の聖剣に呼応するように肉体が燃え盛り、そのたびに圧力が膨れ上がっていく。

 

 

 

「いざ」

 

 

 

 身に付けていた外套を脱ぎ捨て、瞬間的に聖剣を振り抜ける必殺の構えをガウェインは取る。

 太陽の祝福に照らされ、しかし太陽に近付き過ぎたイカロスの如く太陽の災いを受けている緑の騎士に呼応するように、聖剣の光を極光にまで高めていく。

 

 

 

「「——勝負ッッ!!!」」

 

 

 

 互いに互いの譲れぬモノをかけて、二人の太陽の騎士が相対する。

 炎には炎を。灼熱には灼熱を。太陽には太陽を。

 太陽の加護を受けた豪剣と、太陽の現身たる聖剣が激突を開始した。

 

 

 




 
 ルーナが、アルトリアと同じ腹ペコ属性を得ました。
 これは可愛いですね。

 後主人公の覚醒は闇堕ち的な覚醒ではなく、普通にカッコいい覚醒するので待ってね。
 

 

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