騎士王の影武者   作:sabu

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 時に、全ては知らない方が良いという事もある。
 
 
 


第59話 サー・ベルシラックと宵闇の星 後編

 

 

 

 金属と金属がぶつかり合う音が宵闇の中に響く。

 二人の騎士が剣と剣で斬り合い、小さな火花が暗闇を照らし続ける。

 ただ周囲に響かせているだけの、剣と剣の金属的な衝突音。

 それ以外の音が響かない静寂の中、己を奮い上げる雄叫びもなく、僅かな呼吸音すら無粋に思える程の緊張感で二人は戦い続ける。

 

 

 彼らは互いに、ほぼ無心で戦っていた。

 

 

 何か策を弄する訳でもなく、何か必殺となり得る武練や技を持ち得るでもなく、ただただ剣で斬り合うだけ。

 斬って、弾いて、いなして、そして一歩引いたらすかさずぶつかり合って鍔迫り合う。それを、一体何度繰り返しただろう。

 

 それすら互いに分からない程に前時代的な決闘を繰り返し、しかし互いにそんな事は別にどうでも良いと思考を破棄して戦う。

 ともに甲冑を身に纏って剣と剣を鍔迫り合わせているだけの、神話や伝説に名高い英雄達の戦いとは程遠い、一対一の戦い。

 しかしそれでも、その戦いは一切の予断も許さない、騎士にして武人同士の戦いだった。

 

 

 

「……………ッ」

 

「……………ッ」

 

 

 

 崩れた天井から差し込む月明かりの真下、数十を容易く超え、もう何度目かも分からない鍔迫り合いが開始される。

 ギリギリと剣と剣が擦れ合う音が響き、その状態で二人は膠着状態になった。互いに僅かにも引かず、ただ正面へと圧力をかける。

 

 

 奇しくも、二人は全く同じ膂力だった。

 

 

 片方は効果が幾分にも薄れた太陽の加護。もう一方は、魔術による強化のみで竜の因子は解放しない。

 互いに使っている武器も、ブリテン島では特に変哲もない雑多な騎士剣同士。所有者に特殊な効果を授ける宝剣でもなければ、たった一振りで天を貫き、大地を焼き焦す聖剣や魔剣でもなんでもない。

 

 

 今、この瞬間だけ——二人は人間だった。

 

 

 緑の騎士として暴走し、太陽の加護を持てなければ英雄という存在と隣り合えない人間と、魔術による強化を施しているだけで、竜の因子を授かる事が出来なければ英雄になれなかった人間が戦っている。

 

 今の二人の戦いは所詮、人間としての延長線上でしかなかった。

 踏み込んだ足が大地を穿つ事もなく、空ぶった一撃に大気を揺るがす程の剣圧はない。ただ人間の延長線にいるだけの二人の戦いは、寂れてボロボロになった教会の中という小さい範囲で行われている。

 

 無心で戦い続ける二人。

 しかし、それはただ思考を放棄している訳ではなかった。

 もしかしたらそれは、無我の境地とも呼べるモノであるのかもしれない。

 競い合っているのは、肉体の強度でもなく、極めた武練でもなく、磨いた殺しの技でもなく——ここまで築き上げた精神だった。

 

 

 

「———ッ!」

 

「———ッ!」

 

 

 

 鍔迫り合いの膠着が解ける。

 互いに全く同じ瞬間、相手の体勢を崩そうと力を込めた。その反動で互いが後ろに飛ぶ。

 そして後ろに飛んで、足が地に着いた瞬間、再び互いが剣を振りかぶって飛び出した。

 策も戦いの流れも関係ない。

 僅かに睨み合う事もなく、僅かにも途切れさせる事なく、二人は剣閃を放っていく。

 再び舞い散る火花と、剣と剣の衝突音。刹那な間すらも置かない。互いが互いを上回る為、より早くより強く、二人は剣を振る。

 

 

 そこには何もなかった。

 

 

 圧倒的な力の奔流はなく、相手の弱点や隙を探るといった計らいもなく、ただ無心に剣と剣で斬り合う。

 二人とも全力だった。肉体的な面ではない。精神的な面でだ。負けられない。負けたくない。何に負けたくないのか分からないまま、二人は斬り合い続けた。

 互いが互いの力量を計りあぐねて、小手調べに徹するなど以ての外だ。

 だから、彼らは本気になって斬り合っている。

 

 

 なのに、戦いの一切に動きがないまま、終始二人は拮抗していた。

 

 

 袈裟斬りには逆袈裟を。右からの薙には左からの薙を。

 単純に反対の事をし続けている訳でもない。翻して斬って、防がれて、反撃して、逸らして………僅かにも引く事なく、二人は超至近距離で剣と剣を交わし続ける。

 だからだろうか。二人のその戦いは、所詮は人間同士の延長戦の戦いでありながら——

 

 

 ——あまりにも酷く、美しかった。

 

 

 雷が天を裂き、荒れ狂う波濤が大地を砕く、幻想でしかなし得ないはずの神秘の具現。英雄同士の戦い。それになれない二人では、どうやっても泥臭くなるが定めの戦い。その筈だ。

 

 だが二人の戦いは、誰の目にも映らない二人だけの剣舞でありながら、何よりも侵し難い神聖な儀式そのモノ。互いに一つも傷付かず、本気で放ち続ける剣閃が勝負の決め手になる事はなく、二人ともその場に立ち続けて剣を振り続ける。

 

 

 二人は、最初は人間だった。

 

 

 そして、人間を逸脱した力を手に入れて、それを自らの体に合わせて使用して、彼らは人間として範囲から容易く外側へ出た。

 人間を容易く屠る、破滅的な暴威。化け物殺しの英雄という存在すら、死因を己に帰結させてしまう、真の化け物そのモノ。

 しかし今、その力を使わずに二人は斬り合っている。

 

 

 二人は、今この瞬間、人間だった。

 

 

 その人間の戦いで、人間の延長線上でしかない者同士の戦いで、人間の延長線の限界を超えた——英雄同士の戦いを二人はしていた。

 

 

 

「———ッ………!?」

 

 

 

 永遠に続くのではないかと思われた剣舞は突如として中断される。一瞬の硬直を晒したルーナは、即座にその場から真後ろに跳ねて着地した。

 殺し合いでありながら、まるで二人で踊っていたような拮抗状態が崩れ、互いに睨み合う膠着状態へと切り替わる。

 剣と剣を交わし合ってからの数分間、一度も途切れなかった剣の演舞が終わってしまった。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 ルーナの握る騎士剣が、砂の様に崩れていた。

 自らの投影品が数分間で霧散するという当たり前の事が意識から抜けていたという事と、それすらを今自覚したという事に空白を覚える程に驚愕しながら、ルーナは、無言でまた新たな騎士剣を作り出す。

 

 人智を超えたモノ同士の戦いではどれだけ精密に強化して作っても、数合打ち合えば簡単に砕ける無銘の剣。

 しかし人間同士の戦いでは簡単に砕ける事はない、人類が最も幅広く扱ってきた、人類殺しの武装。

 

 この戦いに於いて、二つの宝剣と摂理の鍵の両方よりも信頼出来る無銘の剣が、あの少年と違って数分間で霧散してしまうという事が、ルーナは心の底から煩わしかった。

 

 

 

「何故………何故腰に携える二つの剣を使わない」

 

「使う気がない。そもそも抜きたくない」

 

 

 

 戦いに快楽を求めた事などない。殺し合いに酔狂さを見出した事などない。戦闘行為など、ただ人が人を殺すまでの過程としか考えた事はない。

 そしてきっと、これからもそうなのだろう。極めて無感動に、作業工程の一つとして流していくだけ。戦意など本当は皆無に等しい。

 

 

 でも、それでも——今だけ、今だけは、この戦いを簡単に終わらせたくなかった。

 

 

 愚かな事だと知っている。無駄な事だとも理解している。

 そうだとしても、ルーナはこの決闘を無造作に蹂躙してしまいたくなかった。

 ルーナは、この剣舞をやめたくなかった。

 

 

 

「——そうか、感謝する」

 

 

 

 ルーナの返答に対し、ベルシラックは短く返す。

 問い返す事はしない。一騎打ちで手加減するなどと糾弾する事もしない。その行為が、極めて時間の無駄としか思えなかった。

 彼は理解出来た。どこまでも感じ取れた。目の前の人間は、今までにない程本気であると。

 それこそもしかしたら、目の前の人間は今までの生涯で……初めて戦いに臨んでいるのではないかと思える程に。

 

 

 

「…………………」

 

「…………………」

 

 

 

 ルーナが自らの剣を作り直した事によって、一時中断されてしまった二人の一騎討ち。

 それは形勢の流れを変える事なく、ただ一旦の仕切り直しとだけに終わって、二人は再び剣を構えて睨み合う。

 

 二人の構え、奇しくも一騎打ちを始める前と同じ構図だった。剣の切先をルーナに向けるベルシラックと、刃を後ろに流して左半身をベルシラックに向けるルーナ。

 何も変わらず、戦いに変化は生まれない。

 

 二人は同じだった。

 ずっと——二人は同じだった。

 

 

 

「———ッ!」

 

「———ッ!」

 

 

 

 最初の光景を焼き増しするように、再び同時に飛び出して斬り込む。

 何の策もない、愚直な斬り合い。水のように流麗な剣技もなく、大地を砕く程の膂力もない。

 本当にただ愚直で、でも絶対に曲げてはならない真っ直ぐな勝負。

 故にその瞬間、二人は同時に気付いた。

 

 

 互いに、己はこのような勝負は一度もした事はなかったのだと。

 

 

 誰かと一騎討ちした事は二人ともある。でもそれは、ただ相手の死を自分よりも早くする為だけの戦いだった。自分が殺されるよりも早く、相手を殺す。

 だから、彼らは戦いの場に於いて、自らの心を切り離して戦っていた。

 彼らは騎士として、そして大前提に——人間として剣を振った事がなかった。

 

 

 

「………………ッ」

 

「………………ッ」

 

 

 

 事象が一つに収束するかの如く、二人はまた剣と剣を打つけ合った状態で膠着する。

 上段から斬り込むベルシラックの剣を、ルーナは剣を横に構えて、剣の腹で受け止めていた。

 

 ギリギリと擦れ合う剣と剣。

 その剣と剣は、ルーナの方にもベルシラックの方にも傾かず、二人の間で震え動く。

 

 二人には差がある筈だった。

 偶然にも、掠れた太陽の加護と魔術による強化のみの肉体の膂力は同じだったが、それ以外には違いがある。

 

 身長が40cmも違う。体格が違う。生きた年月が違う。

 特に、技量に関してはかなりの差がある筈だった。強大な竜の因子を全面に出した戦い方が己の強さに直結しているルーナにとって、身体能力が同じ敵とは即ち格上に等しい。

 

 人体の壊し方は知っている。人間の殺し方は知っている。格下に対して、最適かつ最良の殺し方を知っている。でも、格上の相手を破る為の戦い方を知らない。

 そもそもで体格が劣り、故に剣の間合いはベルシラックに一歩遅れ、ずっと前線で戦っていたのに、剣技は彼よりも雑。

 

 精々が、起動していなくとも己のあらゆる面を強大に引き上げた竜の炉心によって、体力はベルシラックよりもあるくらいだ。

 凡そ負けるが定めの筈。何とか食らい付くのも厳しいだろう。

 

 

 しかし——ルーナはベルシラックと全く同じ剣を放っていた。

 

 

 剣と剣を打つけるその度に、己の何かがより強固に固定され、同時に引き上げられていく感覚がした。

 何かは分からない、漠然とした感覚。ただ、より刃が鋭く研ぎ澄まされていくような、そんな感覚がしてならなかった。

 ランスロット卿と戦っていた時とは比べようもない。あれはただ苦しいだけだった。でも今は違う。私が目指している先に——目の前のこの男がいる。

 

 

 

「ハ———ァァァッ!」

 

 

 

 抑え付けるように鍔迫り合っているベルシラックの剣を弾いたと同時に、再び投影の効果時間に達する。ベルシラックとの斬り合いの中、霧散するように砕ける無銘の剣。

 再びこの剣舞が終わってしまうだろう。また、仕切り直しの時間になる。

 でもそれを、ルーナは心の底から嫌がった。

 

 

 剣が壊れた瞬間、斬り合いをやめずに、無手で振りかぶる。

 

 

 無手で剣を持った相手に襲いかかるなど、本来ならただの愚行。返す刃で死ぬだろう。しかしその危機的状況の中、ルーナはそれを正しく成功させた。

 まるで、剣を握っているかのように振り下ろされた無手。ベルシラックの剣がルーナの無手と触れ合うその瞬間には、再び無銘の騎士剣がルーナの手に握られていた。

 

 この戦いの中、初めて発した気合の声。同時に、人生で初めて己を奮い立たせた雄叫びの声。

 先程の光景を逆転させたかのように、上段から振り下ろされた剣をベルシラックが剣を横に構えて、剣の腹で受け止める。

 

 

 

「……………ぐ……ッ!」

 

 

 

 初めて、ベルシラックが苦悶の声を溢した。

 鍔迫り合う剣と剣が震える。押されてはいない。力で負けてもいない。しかし、僅かにでも気を抜けば押されてしまいそうな感覚が離れない。

 

 

 ずっとそうだった。二人は同じだった。

 

 

 身体能力は同じで、体格と技量でベルシラックが勝る筈なのにだ。

 互いに放った剣が首先に届く事はなく、返す刃が相手の剣を弾く事はない。

 己が一歩先を行っている筈なのに、離れた瞬間この子供はその一歩を詰めて、あまつさえ追い越して来ようとしていた。

 斬って斬り合って、僅かに体勢が崩れても目の前の子供は常に飛び出し続ける。休む暇もない。自他共に、そんな事は許されないとばかりだ。

 

 ベルシラックは感じ取っていた。

 目の前の子供の中で、今まで合わさっていなかったナニかが、まるで歯車と歯車が噛み合うように形成されて組み合わさっていると。

 構えは良いが剣の扱い方が歪。判断は早いが、そもそもの選択肢が少ない。

 不明瞭に繋がっていなかったそれが、目に見えて改善され始めている。

 

 一体、この子供のどこにそんな力が眠っているというのか。

 一体、どうしてそこまで形に出来て、その通りに動けるか。

 

 分からない。少年の如き体躯の子供。竜の因子を取り外せば、蛮族一人すら相手にするのが難しいだろう肉体の子供。

 

 ただ、ベルシラックは一つだけ分かっていた。

 それは、肉体でもなく、魔術でもなく、内に秘める災厄でもすらもない、少年を形成している何か。それがあり得ない程に強固なのだという事だった。

 

 

 

「ウ——オァァァッ!」

 

 

 

 己よりも小さい子供から、己の行動を制限するように押し付けてられている剣を、ベルシラックは足を運んで肩を震えさせ、その身体全体の力を剣に乗せて弾く。

 膂力が同じとはいえ、体格に明確な差がある大の男からの一撃。

 ルーナは数m後方に吹き飛ぶのを抑えられない。

 

 

 

「(そうだ、お前はこうも容易く吹き飛ぶ。でも………でも、お前は———)」

 

 

 

 ベルシラックの視線の先にいる、小さな子供。

 成長期真っ只中で、ようやく街の青年達の中に交ざれるくらいにはなって来ただろう身長150弱の子供。

 

 少し想起すれば、そのまま地に倒れ伏して転がり、剣を手放して横たわるその姿を幻視出来る。誰だってそう思う。それくらいに細く、か弱い肉体なのだから。

 この戦いの中、幾度と繰り返した幻視の光景。

 でも、その幻視は——

 

 

 

「——————-ッッ!!」

 

 

 

 一度も現実のモノにはならなかった。

 数m後方に吹き飛んで、地に足が着いたその瞬間には再びベルシラックに向かってルーナは駆け出す。

 

 剣先が背後に来るほどに大きく振り被った、全力の構え。

 僅かに体勢を崩した事など関係ない。駆け抜けるその間に剣を振りかぶる為の姿勢だけは絶対に取り戻している。

 

 

 

「……………————-」

 

 

 

 振り下ろされた剣。その軌跡は見えている。受け止める事は容易い。

 しかしそれが、酷く重いモノに見えて堪らなかった。何て重い剣なのだろうか。一体、どれ程のモノをその剣に乗せているのだろうか。

 

 掠める思考は、そのまま現実のモノとなる。

 ルーナが振り下ろした剣を己の剣で受け止めるベルシラック。しかし、今までのようにはいかず、その一撃を受けて大きく蹈鞴を踏んだ。

 

 明らか過ぎる大きな隙。

 しかし、それに対してルーナは追撃しない。

 

 

 

「なんだ? まさか、もう体が持たないのか?」

 

 

 

 今まで一度も形勢が変わらなかったこの戦いが、この瞬間ベルシラックが一歩押されたという事実に、何か思い当たる事があったのだろう。

 ルーナは剣の構えを解いて、煽る訳でもなく、心配する訳でもなく、ただ事実を確認しているだけの平静な言葉で問いを返す。

 

 しかし、そこに見え隠れしている戦意だけは揺るがない。

 しかも、ルーナは何もベルシラックを疑っていないのだ。己が一歩分押してしまったのは、ただベルシラックが活動限界に近付いているからだと。

 先程己を駆り立たせておきながら、その己よりも自分自身を奮い上げているとは一体何なんだ……と何故か心の中で呆れながら、ベルシラックは返した。

 

 

 

「まさか…………勝ち誇るのも大概にしろ。私はまだ戦える」

 

 

 

 己の心情を隠して、ベルシラックは再び剣を構える。

 心の何処で、何となく彼は察してしまった。自分は勝てないと。

 負けるじゃない。勝てないと思ってしまったのだ。

 

 

 二人は、ずっと同じ——筈だった。

 

 

 戦いの最初から、今の今まで、ずっと同じペースで走り続けた筈だった。同じ場所からスタートした筈だった。なのに、今その瞬間——ルーナはベルシラックに一歩分勝ったのだ。

 

 

 競い合っていたのは、ずっと心だった。

 

 

 だから、体躯や技術がベルシラックは勝っていようと、この戦いに決着はつかない。ルーナはずっと食らい続けて、敗北というのを己に許さない。

 ただルーナは負けなかった。それを否定し続けて、剣をぶつけ続けて、ずっと立ち続けた。たったそれだけだった。

 

 

 

「そうだ、当たり前だ。お前はまだ戦える。まだお前は終わっていない」

 

「………………」

 

「だから——さぁ来い………!」

 

 

 

 そう言って、ルーナは再び剣を構える。今まで一度も見せず、また使わなかったその構え。

 

 それは——ベルシラックと同じ構えだった。

 剣を右肩まで上げ、刃の切先を相手に向けた、盾を使わず剣だけで完成する攻防一体の構え。

 

 

 

「(——あぁ、きっと)」

 

 

 

 私が目指している先に——お前がいるのだろう。

 その言葉が外に出る事なく、ただベルシラックの心だけを満たしていった。

 

 

 目の前の子供が持っている、あり得ない程に強い何か。

 

 

 その一端を理解したような気がしてならなかった。

 決して引かず、揺るがず、変わらず、そしてあまりにも酷く——美しいその在り方。これを、ただ尊いモノと片付けてはいけない。

 しかしそれでも、その在り方が魅せるモノは、人間を惑わせる程に強かった。それはまるで、黒く光る剣の様。常人には、真似するどころか理解するのも難しい、不気味で破滅的で……人間の有り様とは思えぬ、果てしない生き方。

 

 

 競い合っていたのは、自分の心だった。

 

 

 そして今ベルシラックは、ルーナより先に心で勝てないと悟ってしまった。

 目の前の子供は、絶対に負けない。それこそ、自分にだけは絶対に負けないのだと感じてしまった。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 ルーナに応えるように、ベルシラックもルーナと全く同じ構えを取る。

 この有り様では、一体どちらが試練に挑んでいるのか分からない…………いいや、最初からか。後先なく、故に自らの全てを燃やすように奮い立たせている自分よりも本気で戦いに挑まれては立つ瀬がないじゃないか。

 そんな、どこか偏屈で負けず嫌いのような思いが湧いて来るのを自覚しながらも、ベルシラックは己を止められなかった。

 

 

 

「…………………」

 

「…………………」

 

 

 

 己が引いたが故に、また一時中断されてしまった決闘。

 その中、ベルシラックは目の前の存在について思案していた。

 

 戦えば戦う程、目の前の子供に抱いていた印象が崩れていく。もはや、得体の知れない不気味なナニかという感覚は皆無だった。

 しかし、少年自体は何も変わっていない。きっと、周囲が勘違いをしているだけなのだろう。

 

 それを敢えて気にせず振る舞うその在り方。

 何と強きモノか。もしくは、そんな事より重要な事があるのか。

 

 

 

「(この子は———どんな瞳をしているのだろう)」

 

 

 

 ふと、そんな事がよぎって仕方がなかった。

 最初に脳裏に浮かべていた、人を人とも思わない絶対零度の瞳。バイザーで隠されたその表情からは何も伺えない——その筈だった。

 

 しかし、何よりも強い視線を返されている気がする。

 ただ睨み付けているだけじゃない。己の意思を表すように、目の前の子供はきっと、本当は透き通るほどに真っ直ぐな瞳をしていると、ベルシラックはそう感じていた。

 

 

 

「一つ、いいか」

 

「なんだ」

 

「何故、バイザーで素顔を隠している」

 

 

 

 駆け引きもなくベルシラックは問いを投げかけた。

 一騎討ち中に何を、とそうベルシラックが思うよりも早く、その思考は別のモノに塗り潰される。

 僅かに口を開けて、驚くような佇まいをしていた少年に、ベルシラックは少年と同じくらい驚いてしまった。

 

 

 

「…………さぁ、どうしてだろうな。

 このバイザーの裏には、私がこうやって隠して来なければ今まで生きて来れなかった何かが眠っているのかもしれん」

 

「もしも、もしもこの戦いが終わったら、そのバイザーを外してくれないか」

 

「………………———あぁ、いいぞ。貴方になら特に隠す必要もない。貴方になら、私の素顔を見せても構わない」

 

「あぁそれはよかった。最期のその瞬間、自らを討ち取った相手の顔が分からないのは悲しい」

 

「既に負けている気でいるのか? ならその根性叩き直してやろう」

 

 

 

 互いに澄ました笑みで返して、次の瞬間には二人とも意識を切り替えていた。

 再び高まる緊張感。僅かな時間を消費するのも惜しいと同時に飛び出し、剣を振りかぶる。

 

 ずっと、最初の内から変わらない剣と剣の叩き付け合い。

 ベルシラックに残された時間が、後十分もないが故に何も変わらず、もしも数時間と斬り合えば、ベルシラックが根負けしてルーナが勝利するだろう戦い。

 

 

 それでも、その戦いは、今だけは互いに不変のモノだった。

 

 

 剣と剣の衝突音だけが教会内に響く。

 牽制などは一つもなく、互いに本気で攻撃して、受けて、反撃して……しかしそれは一つも決定打にならない剣の舞。

 

 夜闇の僅かな光を、剣と剣から散っていく火花が照らす。

 互いの攻撃は決め手にならず、刃は相手を捉えず、示し合わせたように二人は剣を合わせ続けて——父と娘は、人間と人間の一騎討ちの中、剣で踊り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞が終わる。円舞が停止する。剣と剣が奏でていた衝突音が、もうどうしようもなく中断される。時間が来た。もう、ベルシラックの体が動かなくなる限界時間。

 灰となりながらも自らを燃やして、その灰すら無くなった男の限界。

 

 

 

「……………………………」

 

 

 

 剣と剣と斬り合いの中、突如として糸の切れた人形のようにベルシラックは倒れる。

 自らに覆い被さるように倒れ込んだベルシラックを、ルーナは無言で受け止めた。

 その隙を迎撃する気はなかった。倒れる彼を受け止めるという事に、拒む気も起きなかった。今から彼を斬り伏せようという気さえ、微塵も起きなかった。

 

 本当に突然だった。数秒前まで、ルーナに向かって剣を振り下ろした筈なのに、いきなり力なく重力に作用されて落ちる両手と剣。

 カランカランと音を立ててベルシラックの騎士剣が落ちた時、…………あぁ、と何かを心の中で惜しんだのを自覚しながら、ルーナは思わず拳を握りしめる。

 

 

 

「そうか…………遂に終わりか」

 

 

 

 小さく呟いて、ルーナは彼を受け止めたまま、地に落ちたベルシラックの騎士剣に視線を向ける。それはどうしようもなく錆びついていた。それがまるで、彼の生涯のようだと思ってしまった事は間違っていないのだろう。

 

 

 

「重いな………お前は。

 きっと、それだけのモノを背負い込んで来たんだろう」

 

 

 

 ベルシラックの体は重い。彼は見た目からしてボロボロの老騎士だ。しかも力の反動のせいで、肉体の内側は疾うに崩れている。

 どう考えても軽い筈だ。今の彼には、もはや見た目以上のモノがない。なのに、ベルシラックの体が、酷く重く感じた。

 

 ここまで、人の体が重いと感じたのはいつぐらいだろう。

 倒れ込む人間の重さ。それは自らの腕と体に焼きついている。だから、彼女は昔の事を思い出した。自らに倒れ込んで、そのまま亡くなった……母親の事を。

 

 

 

「もう、動かないのか……?」

 

「………………あぁ………………どうやら、私はもうここまでのようだ」

 

 

 

 右手の剣を放り落として、ルーナは小さく聞いた。

 ベルシラックからの返事はか細く、今にも消えてしまいそうな程弱々しい。彼の体は冷え切っている。なんとか最期の瞬間に取り戻した太陽の加護はもうない。

 彼の命は、小さな灯火に等しい状況だった。後はその灯火が消えるまで、つまりはもう死を待つだけの状況になっている。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 ルーナは無言で彼の体をゆっくりと祭壇の前にまで運ぶ。

 酷く重いモノに感じていながら、簡単に動かせる彼の体。

 彼の背を祭壇に預けたというのに、肩を支えていないとそのまま倒れてしまいそうな程に覇気がない。

 

 

 

「体は、痛くないのか」

 

「……あれだけ剣を叩きつけておきながら良く言う。

 だが、別に体は痛くない」

 

「………………」

 

 

 

 そう告げたベルシラックの事を、ルーナは小さく見守っていた。

 ベルシラックの指先は、既に炭化を通り越し、塵となって崩れ始めていた。だというのに、痛みがない。きっと内側の神経すらもが燃え尽きて消失してしまったのだろう。

 もはや、ベルシラックには五感のほとんど失われている。

 

 それを、ルーナは感じ取っていた。

 彼のその様子が、まさに死ぬ間際の人間のそれであると。

 

 

 

「もう………お前は死ぬのか」

 

「ハ…………何を今更。そんな事、私よりもお前の方が理解していただろう」

 

「………そうか」

 

 

 

 何処か寂しがるようなルーナの言葉に、ベルシラックは普段と変わらず平静の口調で告げる。

 もう体はまともに動かない。しかし彼は満足だった。

 

 

 

「それで………お前は何なんだ」

 

「……………」

 

 

 

 何を、とはルーナは問い返さなかった。

 

 

 

「何も知らない。

 きっと………誰も知らないのだろう。お前の事を。周囲の全てを偽っているが故に。何故隠す。何故偽る。何故…………お前は私の事が分かる」

 

「あの日、お前がキャメロットに訪れた日に言っただろう。私とお前は同類だと。

 まさか、本当にここまで同類とは思わなかったが。お前の行動。言葉。視線。それでどうしようもなく理解出来た。何せ、私もそうだったからだ。

 貴方の怒り。貴方の慟哭。それを、私は貴方と同じように胸に抱いた。

 でも私の場合………私は死者を報わない生者にすら怒りを向けているが……そんな事、貴方にとってはどうでも良いだろう」

 

「…………………」

 

 

 

 フ、と小さく笑みを浮かべてルーナは視線を逸らす。

 薄い金髪の髪が揺れ動いていた。

 

 チリチリと、何かが揺らめいて掠れる。瞳に映るその姿が、脳裏の何かをよぎり続ける。

 何かが重なって、ノイズが走って、それを何回もベルシラックは繰り返していた。疾うに掠れて錆び付いた記憶のナニか。

 遠くに置き去りにしてしまったナニかが、必死になって何かを叫び続けていた。

 

 

 

「私も一つ聞きたい。貴方があの館で見せた………あの人々。アレはあの後……元いる場所にちゃんと帰れたか?」

 

「知るか。そもそも彼らはこの場所に来ていない。アレは、ただの同じ形をした影に過ぎない。それが本物な訳があるか」

 

「そうか………——そうか。それは、良かった」

 

 

 

 不安そうに尋ねたその様子もすぐに消える。返す言葉で安心したように胸を下ろすその、意外と感情豊かな姿を意味もなくベルシラックは眺めていた。

 

 しかし、次の瞬間には、目の前の子供の様子が変わる。

 これだけは言わないといけない。そんな佇まいとなって。

 

 

 

「なら……………———私は、一つ貴方に謝らなくてはいけない」

 

 

 

 いつの間にか、目の前の子供が立ち上がっていた。

 それをベルシラックは見上げる。

 

 改めて見れば、何て小さな体なのだろう。

 剣という武器を持っていないだけで、その姿から感じられる雰囲気が急変していく。

 この小さき小柄な人型が騎士だと誰が言えよう。

 

 しかし、それは誰もが否応にも認める騎士そのモノだった。

 だからこそ、誰もがその姿を見て、一目置かざるを得ない。周囲の視線をその人物は容易く奪い取るのだ。

 

 

 

「私は、貴方と似ていると思っていた………本当にそれだけだ。

 似ているだけで、私は貴方とは違う」

 

 

 

 立ち上がった目の前の存在は、ベルシラックから一歩距離を引いて告げる。

 

 冷え刺す冷静な佇まい。

 薄暗く、しかし淡く輝く月灯りの下に佇むその姿は、夜の世界と完全に調和している。子供とは思えない。しかし、これが十四の子供である。その矛盾を、その少年騎士は完璧に成立させていた。

 

 

 

「私は貴方の事を騙していた。私だけが、貴方の事をずっと貶めていた。

 私は、サー・ルークではない。私は、ルークという名前じゃない」

 

 

 

 神聖なる静けさの中、教会に立つその姿に、ベルシラックは見惚れていた。

 目を離す事など出来やしない。何をせずともたったそれだけで、その人型は己に視線を集める。

 夜を斬り裂く程の輝きはなく、しかし夜に溶け込む涼やかな佇まいだけは決して揺るがない。

 その姿を誰が見失うものか。その姿を誰が見誤るものか。暗闇の中で……いいや、暗闇の中だからこそ、それは真に正しく輝き、その光を見る者を淡く照らす。

 故に——彼女ももう一つ星なのだ。

 

 

 

「でも、私はこれで隠さなければ生きて来れなかった。

 私は、周囲を騙さなければ戦えなかった」

 

 

 

 その声が、小さく教会内を満たしていく。

 今まで、その声については何も思っていなかった。ただ、情報を他者に伝達するだけの音でしかない。

 それを疑う事すらもなかった。

 

 

 

「——————」

 

 

 

 自然な動作で——"彼女"は額に着けているバイザーに手をかける。

 今まではただ、"彼女"の表情を隠している仮面とまでしか思考が進まなかったそれ。

 

 

 ——バイザーが外れる。

 

 

 頭を振り払うようにバイザーを外し、揺れ動く細やかな金髪。

 月光が冴えさえと彼女を照らし、月の光が彼女の頭髪に輝きを取り戻す。

 黒の甲冑。黒の衣服。そしてあまりにも目立つ、人間味の薄い白の肌。その姿は光を呑み込む闇そのモノでありながら、しかし同時に、彼女は淡い光そのモノだった。

 驚愕に支配されたベルシラックの行動を待たず、彼女は告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「私の名前は——ルーナ。

 貴方がずっと弔いを忘れなかった、名も無い集落………その最後の生き残り。それが私だ」

 

 

 

 

 

 

 

 短く告げたその言葉。

 彼女の正体を遮る全てが取り外され、それは正しく世界に認識される。

 スッと、鈴のように耳に残るようで、でも同時に何処までも凛々しく空間に響き渡る。

 真正面から己を見据えるその瞳。

 数奇な運命とその生涯の果てに、その色がどれだけ魔性を帯びようと、一切不変のまま力強くあった、澱んだ黄鉛色でありながらどこまでも透き通る金色の瞳。

 

 

 

「————————————」

 

 

 

 ——あぁ、見間違える訳もない。

 十四年という歳月。まともに親として在れず、その成長を何も知らない腑抜けの父であろうとも、その名前だけは忘れようもない。

 たとえ姿形が変わって、その姿が人成らざるモノへと堕ちようと、その揺るぎない瞳だけは見間違いようもない。

 

 錆び付いて、重なって、ノイズが隠して、それでも尚訴え続けた記憶が鮮明となった。

 

 

 

「あぁ——ハ、ハハハ…………そうか、そうか成る程。そう言う事…………だったのか……」

 

 

 

 俯いて、ベルシラックは言葉を溢す。

 口元に浮かべた僅かな笑みは、果たして何を意味しているのか。自分でも分からない。あまりにも複雑で膨大な感情がベルシラックを駆け巡る。

 

 ただ一つだけ明確だったのは、納得感だった。腑に落ちたともいう。

 あぁこの、少年と偽ってきた少女は、自分の娘だった。自分の娘なのだという、納得感。

 自分の様にはなるなと思いを込めて名前を付けたのに、自分のようになってしまった娘。

 しかしいや、同じ轍だけは踏まなかったらしい。それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。

 

 

 ただ、娘は——己を超えた。

 

 

 己に似た癖に、その名の通り、己と同じにはならなかったのだ。

 それが寂しく、誇り高く、しかし取り返しがつかない様でいて、でも最後に残ったのは、良くやって見せたという嬉しさと——安心感だった。

 

 

 

「……………私が女で軽蔑したか? 最期の決闘が自らを騙していた女で、しかもそれが子供だったと」

 

「ハ、まさか。

 自らを卑下するのは大概にしろ。むしろ誇れ。世界全てがそう認識しなくても、それを誇って傲岸に笑い続けろ。女子供の身で、私は成し遂げて見せたぞと。

 あぁ、逆に返してやろう。それを卑下したら、私がお前を許さんぞ」

 

 

 

 俯いてベルシラックに告げられる、ルーナの言葉。

 それを俯いたまま、ベルシラックは素っ気なく返す。

 

 

 彼は、娘に対して、父として接する事を選ばなかった。

 

 

 その真実を告げようという意思を、今更お前が何をと、それを遮る。

 己がお前の父親だと告げて、そしてどうなるのか。娘の事を縛るなと、己の心がそう告げている。ただ、一人の人間。少女とは何の関係もない一人の騎士、サー・ベルシラックとして、ここで死ねと訴えていた。

 

 

 

「なぁ…………お前はもう、一人で……生きていけるのか」

 

「何を一体。当たり前だ」

 

「………そうか——」

 

 

 

 俯いてままのベルシラックに浴びせられる、短く簡素で、素っ気ない娘の言葉。

 その力。そうなるまでの生涯。

 あの魔女が絡んでいるだろう事を凡そ察しながら、本当にたったそれだけの言葉でベルシラックの最後の不安が霧散する。

 

 もはや、娘は親というモノを必要としていないのだ。

 それを当たり前のように言祝ぎ、そしてそれを理解している。そこに、後はもう死ぬだけの男が何を出来、どこをどう介入出来よう。抱いた不安など、娘自身が何も気にしていない。それを親が身勝手に心配するなど、度の過ぎた束縛に等しい。

 

 ただ娘の事を縛らず、このまま送り出してやるのが、親だったモノの最後の責任。

 それが、一度も娘に親として在れなかった男の最期の選択だった。

 

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「ルーナ…………サー・ルーナ。頼みがある」

 

「………なんだ?」

 

「私を斬れ」

 

 

 

 静けさに包まれた教会の中で、ベルシラックは娘を一人の騎士として扱い、接して、その最後の言葉を告げた。

 

 

 

「第四の試練を完遂させろ。私の、最後の四度目の命、お前が果たせ」

 

 

 

 急かすように、ベルシラックは続けた。

 既に、自分が言葉を発しているのすらどうかが不明瞭になる程に感覚が薄れて来ている。

 瞼を閉じれば、そのまま開かなくなりそうだった。

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 ほんの一瞬だけ、悲痛に表情を曇らせるように眉を顰めた後、ルーナは無言で剣を投影する。

 ベルシラックの呼吸は酷く薄く、教会に差す小さな夜風に紛れて殆ど聞こえない。

 夜風の音しか響かない静けさの中、ルーナはベルシラックに歩を進めた。

 

 片手で剣を持って、切先をベルシラックに向ける。

 彼は抵抗する気はなく、仮に抵抗したところでもうどうしようもない。剣を突き立てれば、そのまま容易く彼は死ぬだろう。

 

 だが、この剣を突き立てなくとも、彼はこのまま死ぬのだ。

 本当に………本当にこのまま、彼に最後の死を与えるのは…………果たしてそれが——

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 ルーナは、彼の事を見つめたまま剣を突き刺した。

 ベルシラックの心臓ではなく——彼の付近の地面に。

 

 

 

「は……………………」

 

「その必要は、もうない」

 

 

 

 地面に剣が突き立てられた音で、ルーナが自分の肉体を剣で貫かなかった事を察して彼は俯かせていた視線を戻す。

 既にルーナは振り返っていて、ベルシラックに背中を向けていた。

 

 

 

「緑の騎士はガウェイン卿によって倒され、サー・ベルシラックは私が倒した。

 これは私の慈悲だ。有り難く思え」

 

「…………………」

 

「まさか、せめて最期は己に勝った者の剣で倒れたいとでも思っているか?

 生憎だが、お前が敗者で私が勝者だ。お前の想いを汲む必要が私にはない。負け犬の遠吠えを勝者が慮る必要などはない」

 

 

 

 敢えて冷たく返すように、ルーナはその言葉を紡ぐ。

 彼を改めて、この手で殺す気が起きなかった。彼を騎士として終わらせる事をルーナは選ばなかった。何よりも、そんな事したくなかったから。

 

 彼女は、騎士としての誉れに、何の意味も僅かな価値も見出せなかった。

 本当にただそれだけ。誰にも知られず、ただ己一人だけがその誉れを抱いたまま騎士として死ぬなどという、そんな薄ら寂しい終わりが、嫌だった。

 

 

 

「だから、代わりに——」

 

 

 

 一歩、一歩とベルシラックに背中を向けて歩く。

 己の先達として、死ぬ間際まで走り続けた者に対して、そんな寂しい終わりを渡すなどするものか。

 そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。だからそんな——報われない終わりなんて許せるものか。

 

 

 

「——私は、絶対に貴方の事を忘れない」

 

 

 

 僅かに振り向く横顔。

 ただ、絶対にそれは許さないとばかりに誓う、揺るぎない金色の瞳。

 ほんの僅かに差し込む風に己の頭髪を靡かせ、差し込む月灯りに照らされながら、彼女は告げる。

 

 

 

「貴方の事を誰も理解しないのなら、私が貴方の事を理解しよう。

 貴方の生涯に意味がなかったと誰かが嘯くなら、私が証明してみせよう。

 私は貴方の事を忘れない…………その示しとして、この剣は私が貰う」

 

 

 

 教会の中央に投げ出されている、ベルシラックの騎士剣。

 長き戦いの果てに錆びれて、刃の輝きは薄れ、ボロボロになってしまったその剣。それを、ルーナは拾って告げた。

 

 誓う物がないなら、せめてこの剣に誓おう。

 いずれ薄れる記憶だとしても、錆びれ果てて——しかし儚く消えてしまう事はないこの剣に誓ってみせよう。

 この剣を使った男の生涯が、最後まで揺るぎないモノであったと証明するように。

 誰にも知られず死に逝こうとした男の生涯が、僅かにも穢れる事なく、自らが守り通してみせると掲げるように。

 

 

 

「ありがとう、私の故郷の人達を忘れないでくれて。私が出来なかった弔いを、貴方が代わりにしてくれて。

 ありがとう………私は貴方のおかげで、思い出せなくなってしまった家族の声を思い出せた」

 

 

 前を向いた娘の表情が何かは分からない。

 ただ何となく。娘は今穏やかに、その感情を噛み締めるように微笑んでいるような気がした。

 

 

 

「だから、私は貴方の事を忘れない。たとえ記憶が掠れてしまっても、この剣を頼りに必ず思い出す」

 

「———————-」

 

 

 

 ——あぁ、娘はなんて強いのか。なんて、強くなったのだろうか。

 娘が呟いた言葉が風にのり、ベルシラックの心を満たしていく。

 娘は己が父親だと知らないまま、しかし人間としてその生涯を称え、そして人間のまま終わらせる事を望んでいたのだ。

 

 

 

「………………………あぁ」

 

 

 

 背中をベルシラックに向けて、教会を抜けていく娘の姿を見て、思わず言葉が出る。

 

 ——私は、サー・の称号を持つ騎士として、お前達の立派な父親になりたかった。

 家族全員を置いて、それ以降家族に一度も会えなかった、その日の事を思い出した。

 息子と妻は死に、娘には何もしてやれなかった。そんな男が、果たして立派な父親で在れたかなどは烏滸がましいにも程があるだろう。

 

 

 

「……………………………」

 

 

 

 娘がその場を過ぎ去って、ベルシラックは空を見上げた。

 見上げた先には、崩れた教会の天井に映る一つの光。宵闇の星。暗闇の中で一番に輝き、しかし淡い光の星。 

 

 月の下、僅かな意識が消えていく。

 命を繋ぎ止めていた、最後の灯火が遂に霧散していく。

 意識は遠く、記憶は掠れ行き、ベルシラックの瞼は重量に従って落ちていった。

 

 

 

「————————」

 

 

 

 人は、最初に声を忘れて、次に顔、そして思い出を忘れるという。

 その逆に、人は死ぬ間際——最後に聞こえて来るのは声だという。

 

 瞼が落ちて月の光を見れなくなり、感覚を失って自分がその場に横たわっている事すら自覚出来なくなりながら、ベルシラックは確かにその声を聞いた。

 

 

 

『どうか安心して欲しい。

 貴方の想い、貴方の生涯は私が継いでみせる。貴方が報われるその日まで、私は貴方の事を決して忘れない。サー・ベルシラック。緑の礼拝堂の騎士。最期の瞬間まで、その全てを走り抜いた人よ。だからどうか、せめて最期は安らかに眠れ』

 

 

 

 それを聞いてベルシラックが抱いたのは、娘を縛り付けてしまった後悔でもなく、己のようになってしまった娘への憐憫でもなく………ただ——この娘ならきっと大丈夫だという安心感だけだった。

 

 

 

「あり……が、とう………………ル…………ナ……………」

 

 

 

 最後の意識が消えていく。

 叶わなかった望みに未練はなく、娘の人生に不安はもうない。

 うつらうつらと眠りに落ちるように、教会の祭壇に背を預けて、そのまま彼は意識を手放していく。

 

 すぐ側に突き立てられた騎士剣が、世界の修正力で儚く霧散していくように、最後の安堵をようやく胸に抱けたベルシラックは、静かに息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2015年。イギリス郊外。

 コーンウォール北の外れに、名もない寂れた教会がある。生い茂る緑に呑み込まれ、それ故になんとか形を保っているだけの礼拝堂。

 誰がその場所の所有者なのか分からず、その教会はいつからあるのかも分からない、ただの古ぼけた廃墟だ。

 

 しかし、その教会は守られ続けた。

 その教会は、誰かに言われた訳でもなく、何か掟がある訳でもなく、古い伝統がある訳でもないのに、儚く崩れ去る事なく現存し続けた。

 何故かは分からない。もはや誰も分からない。しかしそれでも、確かに残った。残るモノはあったのだ。

 

 その証として、その教会には花が咲いている。

 緑の騎士として変性し、聖者の数字には相応しくないと断じられ、誰の人生も報いる事が出来ず、あまつさえ最愛の家族すら取り零した男が、生涯の果てに唯一得られた安らぎを讃えて。

 

 

 その花はいつから咲いているのだろう。

 

 

 誰も分からない。

 分かるのは、過去未来全てに於いて、世界でたった一人しかいない。

 でも、それでも良い。

 誰にも知られず果てた訳ではないから。

 世界でたった一人だけ、それをちゃんと知っているから。

 だからその証として、寂れたその教会には花が咲いている。

 

 

 

 

 

 

 

 教会の一面に咲く——緑色の薔薇が。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

『真名消失』

 

【真名】ルーナ・デ・ハウトデザート

 

 彼女は自らの父親を知らない。

 

 

 

【ステータス向上】

 

 耐久          C 

 ↓

 耐久          B

 

 ベルシラックと同等の技量を獲得。

 ブリテン内では上位。円卓内だと中位。

 

 

 

【WEAPON】

 

 ベルシラックの騎士剣

 詳細

【挿絵表示】

 

 緑の騎士になる前にサー・ベルシラックが使用していた騎士剣。ブリテン島に存在する、特に変哲のない雑多な剣の一振り。

 ただし、使い込まれた影響によってか刀身部分は錆び付いており、刃の鋭さも掠れている。

 もはや、御守りの域でしかない錆び切った剣。

 

 しかしそれでも、彼女はほぼ常にこの剣を腰に装備している。

 死者に誓いを立てた、騎士としてのサー・ベルシラックを世界でただ一人だけ知っているが故に。

 そしてサー・ベルシラックの生涯に意味はあったのだと証明する為に。

 

 

 

『保有スキル解放……………』

 

 

 

 

 

『現在解放権利なし』

 

保有スキル解放

 

 

 聖者の数字 EX

 詳細

 

 その血筋と共に継承されていたかもしれない、太陽の祝福。

 ただし彼女の場合、このスキルを生まれながら保有出来る権利を持つだけで、このスキルが起動する事はない。

 また、彼女自身がこのスキルを保有出来る権利を持っている事を知る事はない。

 

 太陽からは程遠い名を冠しているが故に。

 しかし彼女は3の数字の代わりに、聖者からは程遠い4の数字を獲得している。

 それが起動するのはいつか。訪れるかどうかも分からないその時まで、4番目の数字は彼女の中で眠り続ける。

 ただし、その4番目の数字は誰もが持ち得る普遍的なモノだ。むしろその数字を保有していない者は、何かが狂っているか、何処かが壊れているだろう。

 それでも彼女は特別だった。

 ただ彼女は、その数字によって狂わず、また壊れなかったというだけで。


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