騎士王の影武者   作:sabu

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 2.5章です。
 劇場版キャメロット前編・後編を見れていません。だからここの話がどうなったか分かりません。しかし、好きなように書きました。ルーナ自身が全く出て来ません。ですが一切後悔してません。何故なら私はこれが見たかったからッ!
 


嵐の前の静けさ
第60話 赤の斜陽


 

 

 

 

 その日、ベディヴィエールは物見の塔で黄昏ていた。

 遠くに映るのは、もうすぐ丘の先に沈み行こうとしている太陽。斜陽の光景は寂しく、キャメロットの人々の喧騒は鳴りを潜め始めている。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 視線の下、キャメロットの人々の集団がベディヴィエールの瞳に映った。

 子供連れの親子だった。ただ己の家に帰っているだけの、なんら違和感も疑問も感じないその光景。

 

 

 

「忘れないでください………ですか」

 

 

 

 滅んだ集落の中、大樹の下で振り返らず告げた、少女のその言葉は忘れていない。

 小さな願いを吐露するように告げたそれは、本当に小さな願いだった。

 どうか死んだ人を忘れないで欲しい、どうか此処にも生きていた人が居たんだという事を思い出してくださいという、願望。

 その儚げな願いが、本当に僅かな希望であると知った時——己は何を思っただろう。

 

 

 

「………………ッ」

 

 

 

 ベディヴィエールは、知らない間に唇を噛み締めていた。

 物見の塔の縁を掴む右手に力が込められる。だが無情にも、縁には僅かな跡すらも残らなかった。そう出来るだけの力がないからだ。

 

 

 今、ベディヴィエールの感情を支配していたのは、怒りだった。

 

 

 負の感情に支配された訳ではない純粋な怒り。どうしようもない事への、深い深い憤り。

 臆病である事を自覚しながら、それでも守りたいものに己を奮い立たせた青年がそこにいる。

 勿論、ベディヴィエールが憤りを向けているのは少女ではない。少なくとも、それだけは絶対にありえない。しかし、一体何に怒り、何に憤りを向けているのか。

 それは、ベディヴィエール自身には分からなかった。

 

 考えれば考える程、ふつふつと沸き上がる激情。

 そして同時に彼は涙を堪えていた。怒りを何に向けているのか分からなくとも、その涙が意味するものだけは分かる。これは悔し涙だ。

 彼は悔しくて仕方がなかった。他の円卓の騎士達のように、力を持てない己の事が。涙を堪えるように瞳を閉じ、それが脳裏に浮かぶ。

 

 

 バイザーによって隠された少女の横顔と、唯一見えた儚げな微笑み。

 

 

 悔しかった。ずっとずっと悔しかった。

 この少女はこんなにも頑張っているぞと、少女は一人で戦い続けているぞと、それを誰もが知らず、また告げる事が出来ないのが。

 そして、それを少女自身が隠している事も、それを如何にか出来ない事さえもが、堪らなく悔しかった。

 

 

 

「っ……………は、……ぁぁ」

 

 

 

 拳を振り上げて、しかしそれを叩き付けずに脱力する。

 これが、やり場のない憤りを抱えるという事なのだろうか。これは辛い。振り上げた拳に意味はなく、叩き付ける行為に価値はなく、ただ堪える事しか出来ない。

 しかも、ただでさえ方向性が定まらぬ己でさえこれなのだ。

 

 騎士に裏切られたという、被害者と加害者があまりにも明確な少女からすれば、そのような怒りなど塵芥にも等しい。

 世界全てを呪うに足る慟哭は、そんな生半可なモノでは裏付け出来る訳がない。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 ベディヴィエールは疲れ切ったように天を仰ぐ。

 

 誰にも知られないようにバイザーで表情を隠したまま、壊れたように涙していた、あの横顔。

 己にもっと力が有れば。そう思った事は数知れず、再び自覚したのはきっとあの瞬間だった。

 強大な力が有れば何か変わるだろうとは思えずとも、せめて何かは違ったのではないか。

 ただ、何も出来ない自分が許せないという怒りを覚える事はなかったのではないか。

 

 しかし、どう想おうと何を願おうと、何も出来ないという事実に変わりはない。

 輝きが薄れた斜陽の光景すら、何故か眩しかった。

 

 

 

「——どうした? ベディヴィエール」

 

「…………これは…………アーサー王」

 

「私が本物かどうか即答が出来ないか?

 まぁ……それもそうか。マーリンですらも、私がアーサー王本人であると理解していながら時々見誤るという。だから仕方ない」

 

 

 

 ベディヴィエールの心内が乱れている事を見抜いていたのかもしれない。

 物見の塔で黄昏れていたベディヴィエールの下を訪れたアーサー王は、気安い友人と話すような口調で、茶化すように告げた。

 

 普段は硬く結ばれた口元を僅かに緩めて、先程のベディヴィエールのように、アーサー王は視線を太陽が沈み行く丘に向ける。

 供の従者にも告げず、ふらりと物見の塔に訪れて、塔に吹く風に金色の髪を靡かせるその横顔。

 そこからは普段の王座に着く時に現れるような、肌がピリつく王気やカリスマといったモノを纏わせていない事をベディヴィエールは感じ取っていた。

 

 

 ——アーサー王は、このように雰囲気を緩めた事があっただろうか。

 

 

 普段の様子の延長線上にいると言われればその通りだが、いつものアーサー王と何かが明らかに違うのだという事を、漠然としない違和感としてベディヴィエールは感じていた。

 

 勿論、隣にいるのは影武者の少女ではない。

 獅子の兜とそれに合わさった白銀の甲冑。白銀のマントはどこにもなかった。隣の騎士王はいつもの蒼銀の甲冑姿で、黒いバイザーなどは身に付けていないのだ。

 我が王の横顔も見えている。

 

 

 ……そうだ。その横顔が、確かに見えている。

 

 

 何故だろう。いつもの平静な横顔とは何が違うように見える。

 いいや………そのいつものとは一体何だろう。何が基準で、どの姿のアーサー王が平静なのか。分からない。不明瞭だ。

 だがそれでも、ベディヴィエールはその漠然とした感覚に答えを見出しそうになっていた。

 

 そう。アーサー王は穏やかに表情を緩めている訳ではない。

 ただ、まるでそれは、己の表情の上にいつも着けていた仮面が——外れているような。

 

 

 

「今年の冬は厳しいそうだ。

 ……いくつかの村を解体しなくてはならない」

 

「……………………」

 

 

 

 遠くに視線を寄越したまま、言いにくい事を切り出すように告げたアーサー王に、ベディヴィエールは今度こそ確信がいった。

 

 私情を見せず、常に理想であり続けた王。

 孤立し疎まれようとも、常に公平無私であろうとした少年。

 それが、今この瞬間はそうではなくなっていると。

 

 アーサー王は、決して感情豊かな方ではない。

 かの王は、周りがいくら勝利に浮こうと、王本人はいつも険しい表情をしているのだ。それが今後の行く末を考えているからだと気付いている者は少ない。

 

 キャメロットが復元する前。まだ王が正体を隠して島を旅していた頃はよく笑ったものだ、とケイ卿は言っていた。

 その面影は薄れ、王は一人、島の未来に待つ暗雲を見据えている。

 

 

 

「ようやく北の蛮族達を追い払ったというのに。

 凶事ばかり続くな、ベディヴィエール」

 

 

 

 そう、その筈だったのだ。王は一人、苦悩していた筈だったのだ。それが今、確かに王はその心内を表に出している。

 僅かに顔を此方に向け、小さく苦笑いしながら告げたアーサー王の姿は、ベディヴィエールが知る普段の様子とは似ても似つかなかった。

 

 

 

「—————……………」

 

 

 

 一瞬、彼は言葉を失った。

 アーサー王が明らかにいつもの調子でないからなのもある。むしろそれが理由であるが、本質は別だ。少なくともベディヴィエールにとっては。

 

 

 彼は不敬にも——それが嬉しかったのだ。

 

 

 誰もがアーサー王を完璧な統治者であり理想の王だと崇める中、彼はアーサー王とてブリテンを故郷とする一人の人間であると信じ続けた。

 きっと、そんな王にも笑みを溢す時がある筈だと仕え続けて、その果てに、彼は王の近衛にまで登り続けたのだ。

 

 夕暮れに翳るアーサー王の姿を、どう見れば人間とは程遠い竜の化身と思えるだろう。

 隣にいる少年王は、ベディヴィエールが追い求め続けた王の素顔で、そしてその素顔は悩みに満ち溢れた一人の人間であった。

 

 正しく、また誉れあるから理想の王なのではない。

 目の前にいるのは、時に惑い悩みながらも、しかし選択を続けた——彼が思う"理想の王"そのものだった。

 

 

 

「…………まさか。滅びを招く卑王を倒したその日より、国に苦しみが蔓延する事は免れました。北の蛮族達とて、その侵攻を抑えられているではありませんか」

 

 

 

 二年前から再侵攻が開始されたピクト人達の集団。

 一年か二年持てば良いと言われた北方の二つの壁は、北に詰め続けているパロミデス卿と新たに復帰したパーシヴァル卿、そしてアーサー王の指揮の下に未だに健在だった。

 

 たとえ凶事が続こうと、それは確かに抑えられ、そして防がれ、滅びの足音はずっと遠ざけられている。北の蛮族との決戦は間近だが、しかしそれさえ越えてしまえば今度こそブリテン島に平穏が訪れる。

 ベディヴィエールはそう信じて疑わなかった。

 

 

 

「いいや、国土は変わらず荒廃している。

 豊かなのはキャメロットとその周辺だけだ」

 

 

 

 だが、アーサー王はそれを否定する。

 マーリンやアグラヴェイン卿から伝えられていたのもあるが、一時期キャメロットを離れ、島を回って、それを確かに己の眼を以って理解した。北へ、そして南へ。

 

 その荒廃した土地で、ローマ帝国に駆り立てられ生きる場所を求めたサクソン人達が押し寄せているのだ。

 

 どちらかが滅び立ち行かねばならない冬の時代。

 確かに抑えられているかも知れない。今はまだ防げているかも知れない。しかし、滅びの足音は一歩一歩近付いている。決して消えた訳じゃない。彼らに勝利しようと、その先がずっと暗闇のままなのだ。

 

 

 

「村を失った人々をキャメロットに収容するにしても、それでは人の生活とは言えない。土地を耕し、日々を重ね、子を育ててこそ後の繁栄に繋がる。

 人々を庇護するばかりではない。狭い輪は、必ず閉じていくものだからな」

 

 

 

 守るだけではもう行かない。侵略を防ぐ盾は必要とされていない。

 ブリテン島には、敵を屠る剣が足りないのだ。

 

 

 

「…………………」

 

「いや………このような夕暮れ時にする話ではなかった。

 すまないなベディヴィエール。どうやら私も、夕暮れの郷愁に当てられてしまったようだ」

 

 

 

 誤魔化すように表情を変えてアーサー王はベディヴィエールに告げる。

 それは、彼が初めて見たアーサー王の気弱な姿だった。

 

 ……どうしてだろう。

 人としてのアーサー王の姿を今まで待ち望んでいたというのに、その姿を見て浮かんで来るのはようやく願いが叶ったなどという達成感でもなければ、満足感でもなんでもない。

 

 

 

「アーサー王……一つよろしいですか」

 

「どうした?」

 

「なぜ、私のような取り柄のない騎士を円卓の騎士に選んだのです……?」

 

 

 

 アーサー王に当てられて、彼は弱気な質問をしてしまった。

 円卓を許された時からの疑問であり不安。戦場では力で及ばず、他の騎士達のように華々しい名誉や栄光は持たない。

 じゃあ精神はどうだと問われれば、それすらも他の騎士に劣るようにしかベディヴィエールは思えなかった。

 

 それこそ、破滅的な力を撒き散らした緑の騎士との一騎討ちを制したガウェイン卿。

 相手が緑の騎士であろうとなかろうと、あんな簡単に己の命をかけられるだろうか。

 ベディヴィエールは想像が出来なかった。自らが、何かに命をかけるその情景を。

 

 

 

「…………フフ」

 

「は———」

 

 

 

 しかしアーサー王から返って来たのは——小さな小さな忍び笑いだった。

 何が面白かったのか。王は小さく笑い続け、肩を震わせる。

 王の姿にベディヴィエールが放心していると、ようやくアーサー王の笑みは収まり、いつの間に、その小さな微笑みを噛み締めるように、アーサー王は穏やかな表情でベディヴィエールを見ていた。

 

 

 

「は———はっ!? アーサー王!?」

 

「フフ…………いや何、だって面白いじゃないか。あのベディヴィエール卿が、まさかそんな純朴な悩みを持っているとは。だから少し笑ってしまった」

 

「………………………」

 

「ベディヴィエール。貴方は、他の騎士より劣っているから自分は相応しくないと考えているのか?」

 

「は…………はい」

 

 

 

 心此処に在らずと言ったように、ベディヴィエールはアーサー王に言葉を返す。

 己の悩みを笑われたという怒りや憤りなどは一切ない。未だ、彼はアーサー王の反応が尾を引いて動揺したままだった。

 

 

 

「そうか。なら——私と同じだな」

 

「——え………そっ……それはどのような」

 

「私と貴方が同じだと言っている。

 私も時々、自分が本当に円卓の王でいいのか不安になる」

 

「な——そ、そんなまさか……ッ!」

 

 

 

 黄昏れるように夕暮れに視線を向け、遠くを見るようにアーサー王は告げた。

 初めてだった。彼にとって全てが初めてだった。アーサー王は、ここまで哀愁を帯びた表情をする存在ではなかった。

 

 だから、たったそれだけの王の表情がベディヴィエールの心内を不安にさせていく。この国が心配で不安なのではない。彼は国ではなく王に剣を捧げた。

 故に彼は、国の未来ではなく、純粋にアーサー王の事を案じて声を張り上げてしまった。

 

 

 

「そうか、貴方は私の事をそこまで想ってくれているのか。

 それなら安心出来る。少なくとも、貴方には胸を張れる王であるのだから。ありがとう。私は嬉しい」

 

「————————」

 

 

 

 だが、思わず声を張り上げたベディヴィエール卿を宥めるように、アーサー王は穏やかに語る。本当に嬉しそうに。心の底から安心したというように。

 その感情を小さく噛み締めて、そして——王は優しく微笑む。

 

 ベディヴィエールは言葉を失っていた。

 今でもアーサー王は感情豊かではないとはいえ、しかし普段の様子からすれば王は百面相をしているに等しい。

 

 何か言葉を言おうと口を開けて、しかし何も思い浮かばずベディヴィエールはアーサー王に視線を向けたまま黙り込む。

 己が何故円卓の席に座れたのかという悩みが吹き飛ぶ程に、彼は動揺をしていた。

 

 

 

「ベディヴィエール。私が貴公を円卓の席に据えたのは、貴方も円卓に相応しい人であるからだ。むしろ、貴方の代わりになる人は円卓にいない。貴方だからこそ、私は卿を円卓の騎士に任命したのだ。だから貴方も胸を張ると良い」

 

「…………………」

 

「卿よ。私は何故円卓を作ったか分かるか?

 それはな、私では足りないからだ」

 

「足りない?」

 

「あぁ、私一人では足りないんだ。しかしそれは敵を討ち倒す為の強さの話ではない。

 この国を見れば貴方も分かる。騎士道は一つではないのだ。理想。忠節。仁義。信念。親愛。友情。多くの騎士道がここに集う。

 言っただろう、狭い輪は閉じると。たった一つの絶対的な騎士道ではいずれ堕ちるか腐るだけ。騎士である以前に、私達は人なんだ。だから私達は人々の為、未来の為に剣を取った。故に多くの役割がいる」

 

「……………………」

 

「たとえ竜の化身と謳われようと、それがただ一人ならば滑稽だ。

 それに私は民という人々があるからこそ、王で在れる」

 

 

 

 迷った人間に道を教えるように、アーサー王はベディヴィエールに話す。

 その言葉に、ベディヴィエールは静かに耳を傾けていた。決して忘れてはならない話であると感じて。

 

 

 

「単純な強さ、弱さで人の繋がりを測ってはいけない。

 敵と味方、善と悪、利益と不利益。それが全て別のモノのように、円卓の騎士達の役割もまた違うのだ」

 

「……………サクソン人達は、悪ではない、と……?」

 

 

 

 アーサー王の言葉に、彼は問いを返す。

 味方と敵。善と悪。それは違うとアーサー王は語ったのだ。味方は善であり、敵は悪である。しかしそれは決して同じではないと。

 

 つまり、王はこう言ったのだ。

 サクソン人達は我々の敵であるが、決して悪ではないと。この戦乱の時代にそれを人々に告げれば、人々はアーサー王を批難するに違いない。

 その発言はそれ程のモノだった。

 

 

 

「…………そうだ、と今までなら断言していただろう。

 しかし、今はよく分からない」

 

 

 

 だが今までの言葉とは裏腹に、アーサー王から返って来たのは弱気な言葉だった。

 太陽が傾く。斜陽の光景は深く、もうすぐ日が落ちる頃だろう。星の光が薄れる夜が近い。その中、アーサー王は続ける。

 

 

 

「私の考えが間違えているとは思っていない。今でも私は正しい筈だと信じている。

 でも、それが相応しいのかと言われたら、私はきっと言葉に窮するだろう。たとえどんなにそれが正しいのであっても、人間は常に正しさだけで生きていける存在ではないし、敵は敵であるからだ。決して味方ではない。

 だから絶対に、争いは消えず犠牲になる人が消える事もない。犠牲になった人にとって、それが悪であろうとなかろうと違いはない」

 

「………………」

 

「ならば…………それは一体何なのだろう。人間が克服出来ず、また贖う事の出来ないそれ。捨て去る事の出来ない宿業。それこそが、絶対的にして根源的な悪性であるのかもしれない。

 少なくともきっと、彼女ならそう断じるだろう。だから選べと。故に許すなと」

 

 

 

 二人に浮かんで来たのは、あの少女の姿だった。

 少女は理解しているのかもしれない。人類が人類で在るが故の、その悪性を。しかし、折り合いを付けた彼女が、一体どの視点で折り合いを付けているのかは何処までも謎だ。

 個人としての視点か、もしくは神の如き視点か。

 この世の全てが悪だと断じているのかもしれない。または逆に本質的には全ての存在が悪ではないと捉えているのかもしれない。

 

 どちらにせよ、彼女は変わらなかった。

 浮かび上がり表面化した悪を刈り取り続けている事に変わりない。鴉は常に、二極の天秤として動き続けている。常に何かを基準として選び、比べ、選択を続けている。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 アルトリアは考えていた。あの少女は、己と真逆の位置にいるのだと。

 いいや………真逆の位置にいるのではなく、同じ位置に居た筈なのに、逆の選択を選んだの方が正しいのかもしれない。

 守る為ではなく、敵を討ち滅ぼす為。人々の未来ではなく、人々の過去に報いる為。

 

 円卓の誓いとは何も相応しくない。

 己を絶対的な基準とし、単独で機能し続ける機構。だが、それでも彼女は歯車なのだ。単独で成立する歯車に意味はないのにだ。

 だから彼女は、ただ動きを繋げるだけの歯車ではなく、何よりも強大な力を以って、周囲を強引に突き動かす心臓部分の歯車だ。

 自分とは——逆方向に回転する歯車。

 

 

 

「アーサー王。彼女は……こう言っていました。

 忘れるな、と」

 

「それは………なんとも彼女らしい」

 

 

 

 アーサー王の思案を引き戻したのはベディヴィエールの声だった。

 何かしてくれではなく、忘れないで欲しい。あの日、自分に願った事と大した変わりはなかった。

 それが欲求らしい欲求とどう言えよう。彼女は己の欲求の有りどころすら分からなくなってしまっているのだ。

 だからきっと彼女は、誰にも…………何も望んでいない。

 

 彼女は、人間が変わらないという事を知っている。

 懇願に意味はない。僅かな願いすらもが叶えられた事がない。それが全て途絶えたからだ。故に、その望みが切なるモノの域を出る事は未来永劫あり得ないのだ。

 

 

 

「難しいな、まるで答えのない難問のようだ。

 …………だが、彼女自身がその立場になった場合、それでも選択するのだろう。たとえ如何なる宿業を背負っても、絶対に忘れてたまるかと」

 

「…………………」

 

「貴方はどう思う?

 人々の未来を掴み取る為に剣を取る。人々の過去を守り通す為に剣を取る。きっとどちらも正しい。故にどちらも譲れない。

 それでも、もし選ばねばならないのなら。その時、どちらが相応しいのか」

 

「………分かりません。私には難しい話です」

 

 

 

 僅かに悩んだ後、しかし答えが出なかったベディヴィエールは素直に答えた。

 

 

 

「先日、トーマスの家で子供が生まれました。双子の愛らしい姉妹です。だから、私はそんな彼らの為にも未来を勝ち取りたい」

 

「そうか、そうだろうとも。国の宝は私達が生きる日々の糧だ」

 

「ですが——同時に思うのです。幸せな日々は、過去の記憶を塗り替えていくと。洗い流すだけならば良いのです。人間はそうやって進んで行くのですから」

 

 

 

 今度は、アーサー王がベディヴィエールの言葉に耳を傾ける番だった。

 

 

 

「…………私には、従兄弟がおりました。もう何十年も会っていません。この戦乱の時代、果たして生きているのかも分からないのです。

 それでも、私はまだ従兄弟の事を覚えています。その昔の事を。

 ですがそれも不確かです。時間が全てを等しく塗り替えていくように、満ち足りてしまったモノは過去を置き去りにしてしまう。

 いずれ訪れるかもしれない、忘却と終わりの瞬間。私は、それがたまらなく怖いのです」

 

 

 

 ベディヴィエールが語った言葉が——アルトリアには何処かスッと腑に落ちるようだった。

 

 そうか、きっと彼女は——それが何よりも許せないのだ。

 あらゆるモノを、等しく無価値なモノに貶められるそれを。今を築いて、未来に繋がった筈の過去を受け入れないという行為を。

 幸せを求めるのは良い。未来に進むのも良い。誰だってその権利があるのだから。それを縛るのは、もはや怨念でしかない。

 だがそれでも、彼女は地の底から確かに見ているのだ。捧げられた命の、その行方と有りどころを。だから、過去を置き去りにしていくのだけは絶対に納得出来ない。

 

 少女は、きっとそう思っている。

 何故なら、少女にはもう未来がないから。ずっとずっと、彼女には過去しかないから。

 

 

 

「…………………」

 

「どうしたのですか、アーサー王」

 

「いいや、貴公はきっとそれで良い。選ばねばならないと己に強制し続けるのは酷だ。だから…………もしもその時が来たら、貴公は好きな方を選ぶと良い。未来か、過去か」

 

「それは…………どう言う事ですか」

 

「言っただろう、騎士道は一つではないと。

 たとえそれが今の在り方と相反するものであろうと、停滞するよりはずっと良い。それに、いつだって何かが変わる時は今の何かと相反するものだ。

 まさに、私自身がそうだったからな」

 

「……………………」

 

「ベディヴィエール。そろそろ風が吹く。マーリンでもその行方が分からない、吹き荒ぶ程の風が。そしてその時、新しい風が吹いた時に、貴方は自由に選択すれば良い」

 

 

 

 星が落ちる。

 夕暮れの星は丘に沈み、急速に夜が辺りを支配し始めた。夕暮れの赤が、黒に呑まれて押し潰されていく。風は冷たく、物音は僅かな騒めきしか存在しない。

 

 

 月の光が夜を支配するまでもうすぐだった。

 

 

 

「さて…………このような時間では寝付くにも寝付けないな。

 瞼が下がってくるまで、貴公の話を聞かせて欲しい。ダメか?」

 

「は……え、私の話ですか………?」

 

「あぁそうだ。夜風の供には相応しかろう。私は聖剣の加護故に子に恵まれないからな」

 

「………………」

 

「何を迷う。今は誉れある武勇譚よりも、卿の平凡で、しかし栄光よりも満ち溢れる充実した日々の事が聞きたい。

 ほら、これは王としての責務だ。私の騎士の日々が充実しているか確かめなくてはならないだろう?」

 

 

 

 アーサー王は、楽しみだというように微笑んで告げる。

 己が幸福な姿ではなく、他人が幸せである事を見て、幸せそうに。

 

 

 

「————そう、言われてしまえば、そうする他ありませんね」

 

 

 

 それが、王の真実であった。

 若輩の身でありながら、しかし王の近衛にまで登り詰め、ようやく触れられたその真実。そして、願っていたのとは裏腹の事実。

 それでも、きっと今日この日の事は絶対に忘れず、胸の中に宿り続けるだろう。この微笑みが、何よりも代え難いものだと思ったのだから。

 

 風が吹く。

 黄昏が終わった薄暗い落陽の中——金砂の髪が揺れている。

 小さな小さな、しかし誰にも消す事は出来ない王の優しい表情を讃えるように。

 

 ベディヴィエールは同じく王に微笑みを返して、月が昇るその時まで、剣を捧げた王と語り合っていた。

 

 

 

 




 
 Q 生前のアルトリアに儚さと健気さと内気な弱さとそれを表す微笑みをプラスしてみます。
 どうなりますか。



 A ヤバい。

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