騎士王の影武者   作:sabu

65 / 122
 
 
 其は人類が思い描く栄光の光
 
 


第62話 ■■■■、■■■■ 前編

 

 

 

 夜明けは騒がしかった。

 港町に差す日の出の光は弱く、途切れ途切れの雲が浮かんでいて空は快晴とはいえない。

 地平線に輝く太陽の光景は黄昏を思わせ、その黄昏の光が夜明けという時間帯でありながら、人々を騒めかせるそれを晒し出す。

 

 それは船だった。

 数十にも及ぶ大量の船団。それも異民族が使うような雑多な船などではなく、長旅の航海や大量の武装すらも運べるだろう軍事用の船。帆に刻まれた模様と掲げる旗で、すぐさまそれが分かった。現在大陸最大の帝国、ローマの船団であると。

 

 

 喧騒が大きくなる。

 

 

 ローマの軍勢が、ブリテン島と和平を結びに来たと楽観視している人は誰一人としていなかった。南の帝国からの侵略に気付いて慌てる者。家財を捨ててでも逃げる者。次の行動が何も浮かばず、ただ慌てふためくだけの者。港町は大騒ぎに包まれていた。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 その中、波止場の先に佇む二人の人影があった。

 侵略者という明確な敵を前に恐怖する人々の喧騒から切り離された波止場。二人は互いに古い外套に身を包んで、水平線の彼方より来たる侵略者達の事を静かに見据えている。

 

 朝焼けに照らされるその身長から、彼らは青年と少年の二人組の様に思えたが、片方の佇まいがあまりにも異質だった。

 外套では隠せない程に大きな、身長を優に超える——十字架の盾。

 その十字架の盾を持つ青年——ギャラハッドは、水平線に昇る黄昏の太陽に目を細めながら、隣の少年に声をかける。

 

 

 

「どうしますか——アーサー王」

 

 

 

 影武者の少女によって齎された自由によって南方を訪れて見れば、一体何という事か。視界の先に映るローマの船団が秘めるだろう、その軍事的影響は一瞬で分かる。

 このままローマの船団が海を越えてしまえば、この港町は間違いなくローマ軍に占領されるだろう。

 

 再び、この港町を取り戻すまでに一体どれだけの時間がかかるか。どれだけの血が流れるか。

 和平を結べれば血は流れないだろうが、今から交渉が出来るとは思えない。仮に出来たとして、それはどれ程下に見られた交渉になるか。

 ローマがブリテン島から手を引いて一世紀あまりに。

 今更過ぎる。しかしそれはローマ側からすれば関係がない。ローマはブリテン島を都合の良い島としか考えていないのだ。

 

 そして、それは勿論アルトリアも理解している。

 故にアルトリアは、隣の盾の騎士の問いに無言の行動を以って応えた。

 

 

 外套の中から、すらりと抜き放たれる黄金の剣。

 

 

 その剣は、星の意思がソラから来たる外敵の為に造り出した神造兵器にして、星の聖剣。

 その、星の聖剣という呼び名は比喩でも何でもない。

 その剣は現身なのではなく、星が産み出し星に住む人々が祈りを込めたが故の結晶体である。だからこそ、その剣は本当に星の聖剣なのだ。

 

 故に、その剣は空想の産物でありながら、全ての聖剣の中で頂点に君臨する最強の幻想。

 それが真に力を解放出来る機会と場所でなくとも、その剣光の力を人類に向けて振るうにはあまりにも過剰である。

 そして同じく、人の形に押し込めただけの竜の息吹がその剣を起点に膨れ上がり、そして解放され始めた。

 

 

 

「——————ッ」

 

 

 

 今から何が起ころうとしているのかを即座に悟ったギャラハッドは、思わず生唾を飲み込みながら、王の邪魔にならないようにと一歩後ろに引いた。

 その剣を初めて見た訳ではないが、しかし今まで見た星の聖剣はただの影だ。アーサー王が握るそれは、影武者の少女が作り出す贋作の聖剣とは比べモノにもならない。

 

 

 

「聖剣、解放」

 

 

 

 その言葉を兆しとし、光輝く剣を中心として旋風が渦を巻く。

 荒々しさなどは欠けらもなく、確かに紡ぎ上げられている風。しかし凄まじい風の暴威が周囲の大気を荒らしていた。

 その風によって、巻き上げられる古びた茶色の外套。

 朝焼け黄昏と吹き荒れる風に、外套から姿を現した王の頭髪を揺らしながら、星の聖剣は光を束ね上げていく。

 

 

 

「——束ねるは、星の息吹」

 

 

 

 光が集う。

 周囲の大地や海から染み出すように現れ、そして満ちる光の粒子。

 黄金の燐光を放つ聖剣をより照らし上げ、新たなる輝きがさらなる輝きを呼び集め、そして束ねられていく。

 収束していく光は、まさに神威にも等しい程の貴光だった。

 

 

 

「——輝ける命の奔流」

 

 

 

 其は人類が思い描く栄光の光。

 戦場に散っていく全ての兵達が、今際のきわに懐く哀しきも尊きユメ。栄光という名の祈りの結晶。その息吹を聖剣に束ね、集う光は一筋の極光となり、黄昏の暗闇を照らしていく。

 

 

 

約束された(エクス)——」

 

 

 

 光が収束し切る。

 天から地を貫くと言わんばかりの一筋の光が瞬間的に聖剣へと収まり、その神撃に匹敵する力の解放を待つ。

 聖剣を握りしめる両腕に渾身の力を込めてその剣を振り上げ——アルトリアはその真名を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

「————勝利の剣(カリバー)ァァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 光が走る。

 星によって産み出され鍛え上げられた星の聖剣は、担い手の彼女が内に秘める竜の因子によって、その力を世界に具現化させた。

 

 魔術回路など必要ない。そもそも、線や回路としてイメージされる魔術回路と竜の炉心では、密度も強度も魔術基盤すらもが格が違う。

 竜の炉心という人智を凌駕した魔力炉心は、人間が身体に創り出した程度のか細い線などでは到底制御不可能。回転し、駆動し、生み出す魔力は大地の熱と同じ。

 

 指向性なども必要ない。

 そんな必要などあるものか。仮につけてどうなるという。竜の因子によって生み出された魔力は、星の聖剣ほどの物でしか形づけられない。

 

 

 しかし、故にこそ星の聖剣は担い手を選ぶ。

 

 

 星の聖剣を最強足らしめるのは、その担い手の力あってこそ。

 竜の息吹を光にして、聖剣は竜の因子を収束、加速し、光の断層として放たれた究極の斬撃が、朝焼けの黄昏が支配する暗闇もろとも海を走り抜く。

 迸る光の閃光が海を瞬時に蒸発させていきながら、ローマの船団にまで到達し、そのまま僅かにも拮抗することなく飲み込んだ。

 

 如何に丈夫さを誇るローマの船と云えど、所詮は人智の範囲内。

 残るモノは何もなく、灰すら消え去り消失させていった。

 唯一残った物は、光の奔流が当たらなかった何割かの船と、聖剣によって生み出された天まで昇る光の柱だけだった。

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 解放された光の奔流によって大気が荒れ、次第に落ち着き収束する旋風が、アルトリアの頭髪を静かに揺らす。

 天地を貫く光の柱がだんだんと残留と化し、真昼間程に照らしていた周囲を黄昏に引き戻していく。

 

 その中、聖剣の残心を終えて聖剣を片手で握ったまま、アルトリアは水平線を静かに眺めていた。視界の先に映る、まだ幾らかの船団。

 半数以上は今の一撃で倒したとはいえ、残りの船団だけでもこの港町は容易く占拠され、そして支配させられるだろう。

 今の一撃で、恐れをなして帝国に帰るならそれでいい。

 しかし、今のでも尚向かって来るというのなら、今度こそ殲滅しなくてはならなかった。

 

 

 

「…………………——————」

 

 

 

 海の先にて変化が訪れる。

 鈍重故に、ゆっくりと進路を逆転させたローマの船団を確認して、ようやくアルトリアは警戒を解き、肩の荷を下ろした。

 それについで、後ろから聴こえてくる人々の安堵したような声と、聖剣の主を讃える声が鳴り響く。

 

 ブリテン島を守護する赤き竜の化身。

 その竜の息吹と、聖剣の威光を見た人々の熱意は激しい。

 

 

 

「…………良いのですか?」

 

「良いも悪いもない。これしか選択肢はなかった」

 

 

 

 意識を取り戻したギャラハッドは浮かれる周りの人々と違い、平静のままアーサー王に問う。

 先程の一撃を放ちながら、僅かに呼吸を乱す事すらしないアーサー王の姿。それに生命としての格の違いに畏怖を抱きながらも、しかしギャラハッドはどこまで澄み切った思考で思案を続ける。

 

 今の一撃。ブリテン島を守護する一撃と捉えるか、ローマ帝国との訣別と捉えるか。

 人によりけりなのだろう。そう容易く判断出来る立場ではないが、ローマとは、まず和平を結ぼうとはもうならない。つまり関係は悪化した。しかし、国の頂点であるアーサー王がその選択をしたのなら、それで良いのか。

 

 考えた結果、ギャラハッドはそのどちらにも答えを見いだせなかった。

 判断を見送ったとも言う。一兵卒の立場として判断が付けられなかったのもあるが、ギャラハッドは偏見的な思考はやめるべきだと考えた。

 

 

 

「元よりローマとの交渉は訣別している。

 かの帝国は和平を望んで来た事などない。和平を結ぶ必要がないからだ。彼らはブリテン島を下に見ている。

 こうやって、我らブリテンを挑発する様な行為を繰り返し、小競り合いを誘発させるのみ。異民族を駆り立てるだけに飽き足らずな」

 

「では…………今の一撃は」

 

「今まで積もり積もった文句の代わりだ。

 ずっと舐めていた島国からの反撃なのだから、彼らは面食らっただろう。アーサー王がいる限り、この島を侵略するのは割に合わないと。

 本土から切り離された異邦の島故に、舐められてはそれを払拭するのに時間がかかる」

 

 

 

 アーサー王は、どこまでも未来を見据えていた。

 北からピクト人の侵略が控えているのもあるが、ローマ帝国を挑発し過ぎてもいけない。しかし、下手に出させる訳もいかない。

 今取れる最善が、これしかなかった。

 

 

 

「でもそれだけだ。私がどこまでやっても、彼らは精々竜が君臨する間は侵略するのには割に合わないとしか考えない。

 アーサー王は恐れていても、ブリテン島は恐れていないのだ。

 故に、竜が翼を失った時、もしくは異民族によって島が疲弊した時、横から叩いて潰せば良いと彼らは考えるだろう」

 

「…………………」

 

「だから、いずれきっと、帝国と決着を付けねばならない日が来る。国の為。島の未来の為。我らの尊厳を取り戻す為の戦いが。

 故に、その日が来るまで、私達は耐え、そして力を溜める必要がある。それまで、貴公は守らなければならないモノを確かに守り通して欲しい。良いな? ——ギャラハッド」

 

「———は」

 

 

 

 その言葉を聞いて、ギャラハッドは思わず硬直してしまった。

 誰にも教えていない筈の、その真名。偽りの名前で覆い隠した、血の繋がりだけしか示すモノのない呪いの真名。

 それを、アーサー王がピタリと言い当てたのだから。

 

 

 

「すまないな、ギャラハッド。マーリンから貴方の本当の名前を聞いてしまった」

 

「……………いえ、別に。きっと王なら、私の名前を無闇矢鱈に言いふらしたりはしないでしょうから」

 

「当たり前だ。無論、ランスロットに教えたりもしない。

 だがまぁ、意外に貴方はこの名前をちゃんと意識しているようで良かった。本当にもう過去を切り捨てて、心から改名を果たしていたのなら、もう取り返しがつかない。まだ貴方は、ギャラハッドという少年と地続きだった」

 

「……………」

 

「だから……そうだな。自分の名前を偽りたくないと思える人が現れて、貴公がその本当の名前を誰かに教えたい、どうか覚えて欲しいという人が現れた時、貴公はその名前を名乗ると良い」

 

「…………どういう事ですかそれは。まるで、私にその対象がいずれは必ず出来るかみたいな言い方じゃないですか」

 

 

 

 思わずギャラハッドは感情的に返して、王を静かに睨む。

 彼自身の触れられたくない一線だった。

 しかしそれは——

 

 

 

「——フフ」

 

 

 

 続くアーサー王の小さな微笑みで霧散させられた。

 一体何が面白かったというのか。それが思い浮かばないギャラハッドは困惑し、面食らってしまう。揶揄われたような怒りはない。

 ただあるのは、かの王が笑ったという事の動揺にも等しい驚きだけだった。

 

 

 

「その反応、図星を言い当てられた時のそれの様にしか、私には見えない。

 案外分かり易いのだな貴方は」

 

「……………………」

 

「そう睨むな。何もかもがどうでも良いと表していた筈の貴方が、そういう欲求を得たのが嬉しいのだ私は。ランスロットすらその対象に入れていた、貴方が」

 

「あの男が一体何だと言うんですか? アレと僕は何の関係もない。えぇ……ないんですよ、何も」

 

 

 

 仕える主君に対する態度では到底ない。佇まいも、返す言葉も。

 しかし、吐き捨てるように告げたその言葉を聞いても、アーサー王は微笑んだままだった。

 小さな子供を見守るような瞳で、アーサー王はギャラハッドに視線を向け続ける。その視線が、居心地が悪くて仕方がなかった。

 

 

 

「何ですか…………何が面白いんですか」

 

「貴方こそ何を言っている。人は面白いモノを見た時だけに笑う生き物ではない。それこそ、その盾を手にしてみせた貴方なら、そんな事百も承知の筈だ」

 

「………………………」

 

「あぁ良かった。もしかしたら、貴方は本当に父親との訣別を一人で果たしてしまったんじゃないかと不安だった」

 

「果たしますよ、いずれ」

 

 

 

 反抗期の子供の様に、ギャラハッドは即座にアーサー王に返していた。

 父親の事を引き合いに出されて、簡単に感情を晒している事に気付かないまま。

 

 

 

「それは何故?」

 

「————………………」

 

 

 

 返される純粋な問い。首を傾げて、その発言の真意を問う、それだけの疑問。

 その、たったそれだけの単純な疑問だと言うのに、ギャラハッドはすぐに答えられなかった。

 

 何故——何故、あの父親と訣別しなければならないのか…………しなければならない?

 いいや、しなければならない訳ではない。そのような理由がある訳ではないのだ。というか、あの男は己を息子だと認識していない。ならもう、己からお前の息子は自分だと告げなければ、このままだ。

 もう変化する事などないだろう、無機質な関係。

 

 

 ならもう、訣別しているのか……?

 

 

 いいや、そもそも、ただ本当にあの人間と訣別したいだけなのか。

 それこそ何故だ。何故訣別したい。何故、決着を付けたい。

 仮にあの男と決着を果たして、それでその後自分は——

 

 

 

「落ち付くといいギャラハッド。そう簡単に答えを出そうとしてはいけない」

 

 

 

 静かにして清澄なる声が、拒む事なく耳に通る。

 それは自分自身に困惑していたギャラハッドを、思考の渦から現実に引き戻し、瞬間的に意識が引き締まる程の雰囲気を纏っていた。

 顔を上げた先のアーサー王の表情は真剣そのものだった。

 

 

 

「ギャラハッド。人と人の繋がりはそう簡単に枠に収められない。

 それが、実の父親なら尚更だ。

 水に流れて流動するように纏め上げられず、しかし複雑に絡みあった糸の様に、そう簡単に解きほぐす事など出来やしない。

 それは、本当は貴方だって良く知っているだろう? 貴方が実際に見て、聞いて、感じて、その盾を得る為に救って来た人々から確かに理解している筈だ」

 

 

 

 アーサー王から告げられて、ギャラハッドは黙り込む。

 色んなモノを見た。決して美しくないモノも見た。それこそ、生まれた瞬間から。だって両親がそうだったのだから。

 だから国を渡る前なんて、何もかもに嫌気が差していただろう。

 

 しかしそれでも、人間性を擦れされるだろう生涯をギャラハッドは送りながら、彼の脳裏に浮かぶのは誰かの笑みで……そして、笑いたくても笑えなくなってしまった人達だった。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 黙り込んだギャラハッドに何かを把握したのか、アーサー王はギャラハッドから視線を外して、黄昏が終わり始めた水平線の風景の方に視線を向ける。

 朝焼けの光を浴びる王の横顔は凛々しく、しかし安心したような穏やかさが表情にあった。

 

 

 

「ギャラハッド。私には親がいない」

 

「え………………」

 

「母親は姿形も知らず、父親のウーサーは私が五の時に死んだ。もはや顔も声も分からず、思い出などはそもそもない。忘れる以前の話だ。私にはそれが与えられなかった。私はそういうモノだと扱われて来たからだろう」

 

 

 

 変わらず、アーサー王の横顔には寂しさはなかった。悲しみの様子もない。

 平然としながらそんな事を語る王の姿が、何処かおかしいものに見えて仕方がなかった。

 当たり前だが、アーサー王がではない。そうさせる何かが、彼はおかしいものにしか思えなかった。

 

 

 

「………………」

 

「父親代わりの人はいたが、彼らは親である事を選ばなかった。

 だからそうだな…………私は貴方とランスロット卿の関係が修繕される事を願っている。

 貴方達の間に刻まれた因縁は、親のいない私には慮る事しか出来ないが、それでもやはり、訣別という形で終わってしまうよりも共に歩む道の方が、私は良い」

 

「それは、アーサー王として王命ですか。それとも貴方個人の命ですか」

 

 

 

 その言葉にアーサー王は——キョトンとした顔をしていた。

 そんな事、一体何か重要なのか? 何か違いはあるのか? 一体どういう意味なんだ? とでも言いたげな様子で、合点が何も行っていないアーサー王は、ギャラハッドの表情を遠慮なくマジマジと覗き見る。

 

 この問いの意味が、王は理解出来ていない…………いいや違う。

 王は王でありながら、しかし一切の矛盾なく個人としての人間性を保有し、同質化させている………王は王になる前から、ずっとそうなのだ。

 

 だから、その佇まいに逆にギャラハッドが困惑していた。

 そして逆に困惑してしまったギャラハッドの様子に、遂に何か合点がいったのか、本当は全くの見当違いであるというのに、アーサー王は笑って告げた。

 

 

 

「——私個人の願いだ」

 

 

 

 ニコっと、普段の様子からは想像も出来ない程に可愛げのある笑みで、アーサー王は告げる。

 その笑みに、含む様子など何一つない。

 純粋さの塊のまま、幸ある未来を楽しげに語る様に、アーサー王はそうなったら良いなぁと、ギャラハッドに伝えているのだ。

 

 

 

「…………そうか、分かった」

 

「…………………………」

 

「ギャラハッド。戻るぞ」

 

「え、ぁ……は、はい」

 

「私の留守中に、何か悪しき者にサー・ガウェインとサー・ルークが標的にされたようだ。一度キャメロットに戻る必要がある」

 

 

 

 先程のアーサー王の微笑みに動揺して放心している間に、アーサー王は伝令の騎士との話を終えていた。

 白亜の城に戻る為、この波止場を去り行くアーサー王の背中に慌ててギャラハッドは付いて行きながら、先程の笑みを何回も思い返していた。

 

 

 何故、ただの微笑みであそこまで動揺してしまったのか。

 

 

 アーサー王は笑わない存在であるというのも理由の一つかもしれない。いやきっとそうだ。そうに違いない。それ以外に一体どんな理由がある。

 しかし……でも。あの微笑みと横顔を…………何処かで………確か、僕は——

 

 

 

「ギャラハッド?」

 

 

 

 あの微笑みが何かと重なりそうで、しかし重なりそうになるその瞬間ノイズが走って掻き消す。何度も何度も、掻き消す。どうしても、後一歩が重ならない。

 脳裏を横切る——あの少女の微笑みは、ずっとずっとヒビ割れたままだから。

 

 

 

「………ギャラハッド?」

 

 

 

 険しい表情をしていたのだろう。アーサー王に不審がられてしまった。

 

 

 

「…………いえ、何でもありません。

 それと、その名前はあまり使わないで下さい。普通に嫌なので」

 

「貴公も中々難儀だな」

 

 

 

 呆れる様に、しかし笑いながらアーサー王は告げる。その笑みをギャラハッドはぼーっと眺めていた。

 その笑みは見た事がない。先程の笑みもそうだ。でも同時に、何処かで見た事がある気がする。いいや本当にそうだろうか。

 あの笑みが——僕は見たかった……ような、そんな気がしてならない。

 でも違うのだ。少女は決して、王の様には笑わないのだ。

 三つの解離する想いが煩わしい。ピリピリと何かが脳裏を掠めるような、そんな歪な頭痛が終わらない。

 

 

 

「アーサー王………その、これは僕個人の願いなのですが」

 

 

 

 だからだろうか、彼はおかしな問いをアーサー王に返した。

 

 

 

「どうした?」

 

「その…………もし、もし僕が……国を選ぶか、隣の人を選ぶかと問われた時——僕はきっと…………国を選ばないと、思います」

 

「……………—————」

 

「申し訳、ありません」

 

 

 

 あまりにも馬鹿げた選択だ。

 きっとアーサー王の言葉と、先程の佇まいに影響されたのだろう。こんな事思いも寄らなかった選択だ。まさかあの男と似たような道を選ぼうとしているなど。

 しかし、隣の人を選ぶと言わず、国を選ばないと王に告げたのは、あの男とは違うというギャラハッドなりの反抗であった。

 

 

 

「——あぁ。そんな事、別に私は構わない。貴方はそれで良いギャラハッド」

 

「……王は許すのですか?」

 

「許すも何も、逆に一体何を罰しろと言うのか。むしろ、貴方がそのような人間らしい欲求に芽生えてくれて、私は嬉しい」

 

「…………………」

 

 

 

 安心するような、柔らかな微笑みを向けられて、ギャラハッドは途端に恥ずかしくなって、アーサー王から視線を外した。

 

 ……なんだこれは。

 やはり、これは先程の雰囲気に呑まれただけだ。らしくもない。そもそも、隣には誰もいないというのに今の宣言はなんだ。馬鹿らしいにも程がある。

 ただ、自分自身の感情すら把握出来ていない大人ぶった子供が、自分の二倍近く世を生きている王に微笑ましい視線を向けられただけ。勝手に自爆したにも等しい。一分前に戻るか、と問われたら即座に了承するだろう。

 今も尚、そっぽを向いている己の横顔を見つめているだろう王の視線が、恥ずかしくて堪らなかった。

 

 

 

「その視線をやめて貰えませんか」

 

「そうか、すまない。じゃあ戻ろう」

 

 

 

 耐えられなくなって告げて、しかしそれもアーサー王は容易く躱す。

 もう何を言っても自爆して悶々とするだけだと悟ったギャラハッドは、後はずっと黙ってアーサー王に付き従う事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 ——故に、彼らは気付けなかった。気付ける余地などはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 アルトリアは、人間は極まる事が出来れば容易く獣に堕ちるのだとまだ知らなかった。

 ギャラハッドは、人間とは本質的には醜くも、しかし尊い聖者であると信じて疑わなかった。

 海を越えたその先、ローマ帝国の頂点に君臨する男を、知らなかった。

 だから、二人は理解出来なかった。

 まさかローマを支配する皇帝が。国を治める立場の人間が、理性の化身ではなく感情の獣であるのだと。

 

 己の国の被害など無視し、遥か遠くの帝国でそれが動く。

 二人はまだ知らない。その剣光の逸話が偽物でないと理解したローマの皇帝の行動が、皮肉にもブリテン島にとって最も効果的な策略となってしまう事を。

 

 小競り合いが終わる。

 天秤が動く。

 天秤に載った、どちらか片方の国が終わる。

 この時代最も世界を支配し、そして更にその国を支配する皇帝が、地上に降りた神にも等しい暴威を以って遂に竜の島を標的に捉えた。

 

 

 故にそれは数奇の運命の果てに、天秤の象徴であり、約束された勝利の象徴であり——黒き竜の化身と謳われる前の、黒い鴉をも動かし始めた。

 

 

 それが、凡そ一年前の事だった。

 

 

 

 




 
 急降下で風邪引きそう。もしかしたらルーナだけ生きている場所が違うのかもしれない。

 でもルーナ以外がカッコいいところとか魅力をちゃんとやって来たから、そろそろルーナがカッコいいところを書く為のフェイズ移っても良いよね。そろそろ主人公としての真骨頂を発揮させたり、凄い飛躍をさせても良いよね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。