其は人類が思い描く災禍の光
とある少女がいた。
少年じゃない。あの人物の名前は男性名だが、あの人物は紛れもなく少女だ。少女の本当の名前はもはや誰も分からないが、それでも例の人物は絶対に女性だ。
そして、その少女を知らない者なんて、少なくともヨーロッパには存在しないだろう。
アーサー王伝説初期から名を刻み、自らの逸話をウェールズ伝承として語り継がせ、ヨーロッパ各地に流伝と神話を残した化け物を知らないなんて奴は、きっとこの世界の人間じゃない。
失敬。少し酒に酔っている。
一応彼女は英雄と呼んだ方が良いかもしれないな。在り方は反英雄のそれだし、1人殺せば殺人者だが100人殺せば英雄というのを体現した人物なのだから。
まぁ彼女は最初の会戦で10万人を殺害し、絶対的な救国の英雄として、今尚イギリスにて語り継がれる伝説の人物だからその言い方でもまだ語弊があるかもしれない。
だが、帰って来て欲しいかと言われたら正直複雑だ。
彼女の姿を見たくもある。が、それはつまり決死の覚悟を以って相対しなければならないという事でもある。
逆鱗に触れたら次の瞬間には首が飛ぶ。逆鱗に触れなくても立場という差があれば心臓を貫かれる。彼女を撃退出来れば話は別か。
だが生憎日輪の下のガウェイン卿でも、あのランスロット卿でも無理だ。
彼女の剣は選定………いいや"剪定"の剣なのだから。
つまり聖者か赤ん坊以外は死ぬ。そして聖者と赤ん坊は彼女に会いたいとは思わない。故に全人類は彼女に殺される資格がある。
彼女からの攻撃を全て防ぎきる?
生憎だが黒竜と戦える存在は、もはや存在しない。
彼女が現世に現れたらどうなるのかは気になるな。
当時よりは平和になっただろう世界に感動するのか、もしくはより醜い戦争を繰り返し続け、今も尚改善されない人類に失望するのか。個人的には後者を推す。
きっと彼女は人間という存在を心の底から嫌悪している。
その癖、彼女は人間という存在を信じようとしているんだ。だから次は、きっとイギリス以外の全ての大陸を焼き焦がす選択を取るだろう。
逸話の通りなら、恐らく十年程あれば彼女は単独で世界を滅ぼせる。
…………失敬。やはり酒が抜けないようだ。
意味のない話ばかりをしているな。まぁ流せ。これを読んでいる者が"僕"と同じ感情を抱く者である事を願う。
彼女が実在したかどうかは知らない。
あんな存在は神話だけの存在だろうと考える者も多いだろう。彼女がもし現実にいたとしたら怖くて仕方がないからだ。誰だって、悪い事をした事はあるだろう?
しかし、全てが誇張ではないと"僕"は考える。
勿論オカルトを信じている訳ではないが、しかしアレは魂を揺さぶる。
複数の人物が統合されたか、何かモチーフになった存在がいたのかは分からないが、少なくとも彼女は完全なる架空の存在ではない。決して。
きっとこれを見ている者の中には、首を傾げる者もいるかもしれない。
だが良く考えてもみるといい。
フランス中部。モルヴァン自然公園を斜めに両断するかのように刻まれた線。
数kmを一直線に平行する丘と丘。そして周囲には、まるで油を撒いて三日三晩燃やし続けたんじゃないかってくらいの跡が未だに刻まれている。
後は、ローマのアレか……アレは隕石という説が有力らしいが、まぁこれももしかしたらという可能性がある。
だから、もしアレを見た事がないならすぐに見に行け。これを見ながらアレを見た事がないなんていう大馬鹿者はいない筈だろうが、一応書く。
こんなモノよりも間違いなく参考になる筈だ。というか、あの光景以上に参考になるモノがあるのか? あるならすぐに"僕"に教えろ。もしくはせめて世に広げろ。
話が飛んだ。戻す。
あの線を大神ゼウスと結びつける者も勿論いるが、アレは個人的に彼女の剣光によるモノであると考えている。
まぁどちらにしろ、あそこで何かがあったんだろうさ。
六世紀前編。
当時のローマや諸王国が躍起になって歴史から抹消したとされる、空白の年月の間に、何かが。
あぁ、そういえばモルヴァン自然公園は、時折——モルガン、と誤植された事があったらしいな。そしてモルヴァン自然公園を両断する線の起点は——ヨンヌ・アヴァロンから刻まれているんだったか。
ハハハ。これは凄いな。もしかして"僕"は世紀の発見をしてしまったかもしれない。新たな通説が生まれそうだ。彼女の伝説にはただでさえ諸説が多いというのに。
すまない。また話を戻す。この殴り書きは"僕"の劣等感を解消する為の物だからと了承して欲しい。
彼女の人生は悲惨なモノだったとされる。
彼女を語る全ての伝説、伝承、書物でそう記されている。何故かは分からない。一説にはアーサー王への復讐とされている。
自らの伝説内とは違い、彼女の流伝内では絶対的な君臨者ではなく、また清廉潔白の化身にはなれなかった………そう在りたくても世界に許されなかった、騎士の王。
一つの村を焼いたアーサー王への復讐だ。
それはそれで新たな謎を生むんだが、まぁあの作品はそういう解釈の多さが人々を魅了している。これを読んでいるお前だってその内の一人だろう?
憎悪。報復。怒り。呪い。劣等感。焦燥感。鬱病の患者にはあまりオススメ出来ないくらい、あれ程人類の負の側面を描いた文献は存在しない。
故に彼女の伝説はひたすらに凄惨だ。
まるでアーサー王伝説ではそれが許されなかった。語られるべきではなかったから、彼女の伝説は何処までもアーサー王伝説の影、闇の部分だけが描写されるべきだと言うように。
人間と人間の不信。騎士と騎士の殺し合い。国と国の衝突。嘆きの内に死に行く人々達。英雄という良くも悪くも身勝手な存在。円卓の騎士達や周囲の騎士の行動が、どれだけ無辜の人々を殺していったか。英雄ではない人間とは、どこまでも無力な存在なのか。
当時の騎士道文化が、如何に盲目的なのかを痛烈に批判した作品でもあり、しかし当時の世界では騎士道というモノがないと人々は尊く在れなかったとアーサー王伝説を賞賛する作品でもある。
盲目故に汚いところは直視しなくて済んだという話だ。
彼女だけがひたすらに、その影の部分を直視し続けているのもあの流伝の特徴だ。だから、彼女も英雄でありながら存在そのものが異質だ。
だから、アレは少し読むだけで何かを得るだろう。
彼女の伝説は、人間の奥底に眠る複雑な感情を揺さぶる事に特化している。彼女がどの文献でも、二面する極端な人間性を保有しているが故に。
人によっては得るのは、絶対的共感か、もしくは魂からの不快感か。
"僕"は共感だった。
"僕"が読んだ作品の中の彼女は、劣等感塗れの癖に意地っ張りで、でも素直で在るように苦心し続け、普段は吐き気がする程に迷っているのに、しかし戦場でだけは絶対に戸惑わず最速で人を殺す。
そういう矛盾した思考性の両方持つ、感情の獣でありながら理性の化身だったからかもしれない。
これを編纂する歴史家は大変そうだ。
アーサー王伝説。イギリスの伝承。彼女の流伝。そして空白の六世紀の歴史。これを全て多角的に判断しながら、しかし空想と事実はしっかり区別しないと周りから一斉に批判されるんだろう?
"僕"は無理だった。批判がどうこうの話じゃない。"僕"ではこの伝説と流伝を書き切れない。
最初はやったが、無理だと悟った。"僕"が書くと、彼女は僕の感情を含んだ何かになってしまう。それはもはや彼女ではない。それは"僕"自身が受け入れられない。彼女だけは何かに縛られて物語の中で動くべきではない。
だから吐き気がする程悔しくて仕方がない。
……あぁ、無視しろ。
この殴り書きはそういう物だ。"僕"はまだ【書きたいもの】と【書くべきもの】の差が分かってないんだ。
だから"僕"は好きな様に創作をする。自分勝手、好き勝手に登場人物を動かして物を書くという話ではない。まぁこれを見ているんだから"僕"の感情は分かる筈だろう。きっと"僕"と同じように、あの少女を書こうとして挫折した誰かなんだろうから。
だから、編纂と歴史の収集はこれを読んだ誰かがやってくれ。とりあえず参考にはしてみせろ。今も尚完成しない流伝。ウィリアム・シェイクスピア生涯の心残りという話は想像以上のモノだったという話だ。
そして最後に、これだけは守っておけという事柄を書き殴る。
これだけで、出来はともかく最低限の作品にはなる。"僕"は認められないし、もしシェイクスピアが見たら発狂するだろうが、まぁ話の重要点はそこじゃない。取り敢えずは完成させてみてから、何か発展するモノもあるかもしれないからな。
どうせこのメモを参考にしているんだから、彼女については知ろうとしているんだろう。彼女は逸話が多過ぎる。
東ローマ衰退最大の原因にして、ローマ帝国滅亡の引き金を引いた元凶。
なんと齢九歳という、あらゆる伝説の中で誰よりも早く英雄として名を刻み始めた英雄。
聖剣と魔剣の二刀使いにして、城を焼き尽くす程の一射を放つ剛弓使い。
星の聖剣のもう一人の所有者にして、本来の担い手。
数奇な運命の果て、天と地の加護を失い、血濡れとなった聖槍ロンを受け継いだ者。
あまりにも苛烈な姿勢が魔女狩りという起源を生み出し、間接的にジャンヌ・ダルクすら殺害した、己の生涯が終わっても尚、敵を殺戮し続ける死神。
そして同じくジャンヌ・ダルクすら置き去りにした、世界で最も有名な女性の英雄。
ヨーロッパにて悪名高いワイルドハントの主。亡霊達の王にして嵐の王。
そして——
当時、全世界に於いて、最も人類を殺害した人間。
どれが完全なる脚色かは知らんし、一部あの少女にはそうであって欲しいという願望があるのだろうが、これだけであの流伝の方向性は分かる。
だから、彼女の流伝をまとめるならおのずとブチ当たるんだが、あの流伝は人間が大量に死ぬ。現代の世論など一切無視して、名無しではない歴とした個人達も当たり前の様に突然死ぬ。心躍らせる伝説の振りした、死神の記録帳なんじゃないのかってくらい死ぬ。自分のお気に入りの登場人物があの作品内に出て来たら大抵死ぬ。
他の神話と比べて桁が一つか二つは違うだろう。ケルト神話でも、もう少し温情と情けがあった。彼女の流伝が滅びの流伝と呼ばれるだけはあるな。
人類殺しの称号を彼女に与えても、誰も疑問に思わないどころか相応しいと讃えるに違いない。
特にローマ側は酷い。
怪物殺しを成し遂げた一つの作品の主人公。そしてその兄弟。合計六人が彼女の手で死んだ。たったの数行。百文字以下でな。
まぁ当たり前だ。何せあの少女はそういう存在であり、どの書物でもそういう道を選んだのだから。だから、アーサー王伝説ではなくあの少女の流伝——サー・ルーク流伝を書き記すなら、作品内の絶対的なルールとして、せめてこれだけは必ず守れ。
——彼女に最低1000人は殺させろ。
A.D.1835 デンマーク。
当時三十歳。ハンス・クリスチャン・アンデルセンの殴り書きのメモより。
侘しい黄昏だった。
水平線に沈み行く太陽の光は薄く、海から港に僅かだけ吹く風は冷たい。
心細くなる程の落陽の光景だった。
だからか、波止場に立つ人物の姿はいつにも増して涼やかで、でもその姿が何よりも相応しいものに見えた。
大船団の出立の準備で騎士達は上を下への大騒ぎの中、その人物はそういった人々の喧騒から切り離された波止場で一人、静かに佇んでいる。
薄暗い落陽の中、もしその人物を遠くから見たら、そこに佇むのは騎士王であると勘違いするかもしれない。事実、それは半分くらいは当たっている。
しかし、そこにいるのはアーサー王ではなかった。
胸甲冑と胴甲冑、両方を兼ねた首元までを覆う鉄の鎧。スカート状の草摺り三枚に重厚な鎧籠手。膝上までを守る特徴的な足装束。
それはアーサー王が戦時に身につける鎧甲冑そのものだ。見比べれば感嘆する程精巧に作らせている。
しかし、その鎧は決して蒼銀の美しい鎧ではない。
輝きで照らされる事なく光を呑み込み、美しさよりも鈍色に染まった輝きを放つ漆黒。明度に差異があるだけで、その鎧の戦衣装は全て黒く染まっていた。
上から下まで全て黒。微かに覗く肌と頭髪だけが黒には染まっていないが、肌は不気味な程に白く、頭髪は輝ける星の光を失っている。
そして、最も異色を放つのは——表情を封印する黒いバイザー。
封印された先の顔など誰も知らないだろう。
瞳が閉じているのかすらも分からず、その人物は人形にも等しい。
だがその"少女"が今、瞳を閉じて静かに瞑想している事を彼だけは知っていた。
侘しい光景と寂れた夜風にその身を溶け込ませた少女。
闘気は冷たく、しかし内側では震える程に滾っている。
金色の双眸を閉じ、王剣を波止場の地面に突き立て静かに佇んでいる彼女は一体何を思っているのかまでは分からない。
でも、その後ろ姿は紛れもなく騎士の王がそこに居る様にしか見えなかった。
「いよいよローマへの遠征か。キミの意気込みはどうなんだい? サー・ルーク?」
「……………やはり来たなマーリン」
その後ろ姿に声をかけて、少女が目を見開いたのが分かった。
自然の美しさを持つ翡翠ではない、魔性に染まりきった金色の瞳。
いっつもムスっとした無表情か眉を顰めてばかりいるから、油断なく細められ続ける切れ目の瞼。返す言葉といい、彼女は可愛げというものが欠如している。
「別に意気込みなんてない。与えられた使命を成すだけだ」
「そうか。キミは相変わらずだ」
「なんだ、こう言えば良いか?
まずは一撃。その後に交渉。積もり積もった文句を以って容赦なくブッ飛ばし、面食らっている隙に条件を約束させてやると」
「出来なかったら?」
「いいや出来る。
足を砕き、腹を裂き、頭を刈り取り、地面に横たわらせ、しかし地面は見れないように髪の毛を掴み上げて、次は貴様らの心臓を貫くと元老院を脅せば良い」
「本当に相変わらずだなぁ」
会話などに興味はなく、淡々と事実だけ突き放す様に告げて来る。
平然とまずは撃破すると告げる少女の姿にマーリンは笑った。嘲りではない。だが、その笑みは少女にとってはあまりお気に召さなかったらしい。
僅かに振り向く横顔も、次の瞬間には少女は前を向く。
「え、もう終わり?」
「意気込みなら相応しいモノを言った。別に嘘でもなんでもない。
他に何かあるのか? 無いならキャメロットに戻れ。お前の助力は私には要らない」
「………え、待って。本当に終わりなのかい……!?」
「は? 私に何を期待していたんだお前は。
私が十二の時、私とお前が噛み合う日など来ないとマーリンが言ったのだろう。私からお前に言う事はない」
「まぁ………そうなんだけどさぁ」
まだ何かあったのかと、僅かに振り返って睨み付けながら彼女は告げた。
鬱陶しさや嫌悪感といったモノを隠しもしない。
「本当に何も聞かないのかい? ボクなら少しくらいの温情は出来るというのに」
「————は……?」
そう告げると、少女は心底意味が分からないという風に顔を顰めた。
キョトンと気抜けしたのではなく、変人を見て何だコイツはと思うような表情。
「え、待ってその目は酷くない?」
「——————……………」
「え……!? 何ホントその瞳……!?」
形容し難い表情で、少女はマーリンを睨み付けていた。
突き立てていた王剣を抜き、順手に持ち直している。どうからどう見ても、得体の知れない何かに出会ったように警戒していた。
「…………あぁ、成る程。今幾つかの考えがあったが、まぁ察しはついた」
「………ん?」
「別に。お前が自分勝手な様に、私も自分勝手に納得しただけだ。
でも、だから意外だった。誰かを導いたとしても誰にも歩み寄らなかったお前から、まさか温情なんて言う言葉が出るとはな」
「えーそこまで信用度ない?」
「あぁ、ない。そもそも私はお前の助力を信頼していない。お前に頼るという事は、運を天に任せるとほぼ同義だ。
それに、お前の瞳は現在を見通せても未来は見えない。何を頼れと」
「うわぁ………本当に何も信用してないんだね」
落胆して、マーリンは彼女に返す。
だが何処かで、彼女の言葉も尤もであると冷めた思考が告げる。
「まぁそうだね。ボクの瞳は世界を見れても、未来や運命を見通せない。
だから、キミが勝つかローマが勝つかは正直分からない。予想は出来るが、今回ばかりはそれすらも上手く出来ない。それくらいに強大だからね」
「そうか。でも構わない。私は勝って来る。
お前はアーサー王と一緒に、私達が上げて来る戦果を楽しみに待っていると良い」
全て私に任せておけとでも言うように告げる。
傲岸不遜に。何処までも高らかに。
再び視線を切り、水平線を見つめる彼女の姿と横顔が、どうしてこうも何かを騒つかせるのか。何に何が騒ついているのか分からないまま、マーリンは彼女に告げていた。
「キミは、強いね」
一体いつからだったのだろう。いつの間にか、彼は見送る側になっていた。
何か取り返しの付かない事をしている時、彼はいつだって誰かの後ろ姿を見ていた。
「ねぇ、キミはさ。一体何の為に戦っているんだい?」
そう告げて振り向く少女の横顔。
真正面から己を見据える金の瞳。
不愉快に細めもせずに、疑問に眉を顰める事もない、その表情。
「もし…………キミの行為は無駄だと言ったらどうする?」
その言葉に、少女は一体何を見出したのだろう。
僅かに目を細めるのみで、彼女は何も答えずマーリンを見据え続ける。
「この国はいずれ滅びる。
いや、本当はもう滅びている。アーサー王という存在によって延命出来ているだけだ。たとえ後百年持ち堪えたとしても、歴史に大した影響はないだろう」
「そうか。
じゃあ、ここで潔く運命を受け入れるのも一つの手だと、いっその事ローマによる支配を受け入れ、島の未来を閉ざし、緩やかな死ではなく苦しみない一瞬の死を選ぶ道はあると、非人間なりにそう私に案じるか?」
「………………」
返される容赦の無い言葉にマーリンは黙り込む。
そうだ、とも違う、とも言えなかった。
己を見据える少女の視線。
それには怒りが含まれていた。しかしそれは、彼女がいつも表に出す失望するような怒りではなく、また不愉快なモノを見た時の嫌悪感でもない。
叱るような、そんな善性から来る怒りだった。
「まぁ……お前の言う事も分かるよ。
私だってもう苦しみたくはないし、苦痛の中果てるなら、一瞬の内に死にたいとも思う。安らかに死ねるなんて思ってないからな」
彼女の雰囲気は和らぎ、一変していた。彼女の一側面だけが、今ここに具現している。
溜息を吐くように、少女は責めるような表情を解き、視線を港の船に向ける。
その言葉は、少女の弱音なのか、それともただ魔術師への肯定を示しただけなのか。それはマーリンには分からない。
でも多分、一番彼女の本質とは矛盾した、本心の部分がそう告げているのだろう。
まるで三重人格だ。だから彼女は、何処となくモルガンの様な不気味さが滲んでいるのだ。
「この国は悉く疲れ果てている。
いずれ、生きる者は苦しむ者と同義になる。刃による死は、飢えによる死に比べたらマシだ。慈悲にすら満ちているかもしれない。
そして、その考えを責める事は容易くとも、諭す事は困難だ。
まさにこの世の地獄と言える。そんな地獄を生き延びたとて、未来には何の価値も見出せなくなるだろう。もはやまともな人生など送れまい」
「………………」
「でもな、マーリン。それをお前が言うのは違うだろう。今更、それが痛々しいモノに見えたのか? ずっと、ただ傍観者であったお前が。完成した絵画が好きなだけで、その絵画が出来るまでの過程、作り上げた人達の悲喜に一切の価値を見出せない——無価値だと判断している、お前が」
「それは………痛い言葉だね」
「当たり前だ。私は今、お前を一番痛めつける為の手段を取っている。
精神に重きを置くお前に顔面を殴るなんて行為、大した意味はないだろう? 手を上げるならまだ、殴るよりも無言で頬を引っぱたく方がまだ良い」
「………………………」
「そしてもう一つ、最後にお前に言う。
その言葉を伝えるのは私じゃない。お前は、アーサー王にそれを伝えろ」
本当に一切の容赦もなく、彼女はマーリンの心を抉る言葉を告げていた。
「それは逃避か。それとも罪滅ぼしか?」
「……………」
「私に温情しようと言って来た瞬間から理解出来た。
なぁマーリン。私とアーサー王を重ね合わせているとしても、それは違うだろう。私じゃない筈だろう。
その言葉を届けなければならないのは。お前が責任を取らないといけないのは」
「……………………」
「アーサー王にとっての本当の父親はお前だ。
ならせめて、その責任くらいは果たせ。一人の人間の人生の重さくらい背負ってみせろ。お前は、半分は人間だろ」
船出の鐘が鳴る。
太陽は水平線の先に落ち切り、黄昏の光景が終わる。
少女は船に乗ろうと波止場を離れようと歩を進めるが、マーリンはその場に足を止めて、ずっと俯いたままだった。
「本当に………キミは強いね」
振り返る事も出来ず、マーリンは少女に投げかけていた。
「まさか。お前が弱いだけだ」
「そうか。そうなのかもね。
ボクは人として、本当にロクデナシだったようだ」
「……………」
「一つ良いかい。ボクは、これからどうすれば良いんだろう」
感情が一切ない言葉で、マーリンは少女に問う。
その問いに、少女は容易く斬り捨てる事を選ばす、本気で悩んでいた。
そうして悩んだ後、少女は溜息を吐きながらマーリンに返す。
「…………そう言われてもな。
無情な事を言うが、その選択をお前がした瞬間からもう取り返しが付かない。まずは女性関係の揉め事を起こすのを控えるところから始めたらどうだ。少なくともまだマシだぞ」
「……………意外と真摯なんだね。キミなら自分で考えろって斬り捨てるかと思っていたよ」
「別に。反省の色がなかったら言っていただろう。
だが私はお前を本当に痛めつけたい訳じゃない。ただ自覚しろという話だった。
だから、もういい。そういう風に——傷付いた表情をしているお前に追い討ちをかける程、私は無慈悲じゃない」
「—————」
そう言って、今度こそ少女は去っていく。
マーリンは動けなかった。
マーリンには、あの少女への一歩を踏み出す資格も、度胸もなかった。
「…………キツいなぁ」
自らの顔に手を当てながら、マーリンは呟く。
視線の先にあるのは、暗闇が支配する宵闇の中、月明かりを頼りに海へと出た騎士達の船。円卓の騎士達と、アルトリアと瓜二つの姿形をしながら決定的に魔性へと落ちた少女を乗せ、運命の会戦へと趣く。
少女が告げた言葉は、決してアルトリアがそう責めている訳ではないのに、どうしてこうも心を抉るのか。彼女も、もしかしたらそういう可能性があったかもしれない少女だからか。
「責任を取れか………そうだねキミの言う通りかもしれない。
でも………キミは自分の事は何も言わなかったけど、その剣をキミに与えるよう画策したのはボクだ。だからまぁ、キミが確かに示して見せるところも、この瞳でちゃんと見るよ」
苦笑いしながら告げて、マーリンはその場に佇んだまま、海の先の船達を暫く見送る。
あの王剣を与えなかったら、アルトリアがエクスカリバーを渡しかねない勢いだったのもあるが、アルトリアに告げ口してクラレントを渡したのは自分だ。
彼女の力を確かめる為——本当はクラレントの拘束を何も承認せずに。
「怖いなぁ…………」
本来なら封印されたままの筈の剣の拘束を、何故か外してみせた少女。
しかし、強引に奪い取って無理矢理使用している訳でもなく、正しく手順を踏んで解放したに等しい状態で王剣は固定されている。
あまりにも異質だ。
まるで、合わない筈の鍵で枷を解除したのにも等しい。其方の方が相応しいのだから、己に従えとでも言う様に。
「まぁいいさ。卑王の心臓を受け継いだキミはそういう存在なんだろう。
奪って、剥奪して、自らの方がより相応しいと周囲を呑み込む黒い竜。
でも、さぁどうする、名前を知らない少女。もうキミは何かを奪い、そして何かの代わりでは居られなくなった。
キミは今のこの世界で、一体何を示して見せる?」
それはもしかしたら誰もが選ばず、またボク達では叶わなかった、新たな希望の光になり得るのか。
もしくは、彼女が地獄と称したこの世界で、人々を容易く狂わせる狂気の光となるのか。
マーリンは、遠い遠くに想い馳せた後、静かにその場を去った。
進軍は数日にかけて進められた。
掲げるは剣。抱くは故国の平穏。
会戦は最小限。
倒す敵はローマの剣帝。
それさえ倒せば、ローマには無視出来ないヒビが入る。
油断はなく慢心もなく、あまりにも強大な帝国の威光を脳裏に浮かべながらも、先陣を切る円卓の騎士達に彼らは続いた。
そして同じく、円卓の騎士でありながら一番の新参で、しかも騎士達の半分も生きていない子供で——しかし一切の憂いなどない、無表情な戦意の塊の少年騎士。
全騎士達の先陣を切るのは、その彼だった。
白銀の王剣を掲げ、黒いバイザーで表情を封印した漆黒の騎士は進軍する。
白馬ドゥン・スタリオンと対成す、黒馬ラムレイ。
王の騎馬を乗りこなす少年を最前方として、1000人単位という少なさの十個師団が、円卓の騎士達や指揮官の下に続く。
海を越え、山を越え、河を下り、彼らは進んだ。
「着いたな……」
河を目安に、ローマの街道を辿り、僅かなミスも寄り道も無く彼らは進軍した。
僅か1000×10という少なさ、小規模の陣形を起点に進むブリテン島の軍を、ローマ軍は捉えられなかった。
彼らはローマの伝令兵よりも早く、小規模の会戦も無く、漆黒の少年騎士の立案の進路の下、網でも潜り抜けるかの様にパリシウスの地まで到着した。
しかし、ローマからすれば、だから何だという話だった。
捕捉する必要などない。戦いの場は、我らローマの大陸。自らの土俵。パリシウスの地でドッシリと構えて居れば良い。
むしろ彼らは、ローマ軍10万によるブリテン侵略へと赴く手間が省けたとも考えるかもしれない。
「これは…………」
山を抜け、ブリテンの騎士達は丘の上にて集結する。
彼らの視界の先。平野に居並ぶ数え切れない程の人間。ローマの兵士達。あり得ない程に整備されたローマの街道。街道の、頑強な補給線。
ローマ軍の隙を突くよう、雲が立ち込める真夜中にパリシウスの地に着いたというのに、ローマ軍には欠けらほどの隙はなかった。
そして背後に控える堅牢な城塞。
それは、過去のロンディニウムの様だった。事実、その光景を幻視した者も多いだろう。唯一の違いは、兵士の数が比喩でも何でもなく桁違いである事だった。
故に、ガウェインは畏怖するような言葉を零していた。
「勝てるのですか…………?」
後ろから響く、騎馬に乗った騎士達が並ぶ音。
その音に紛れている筈なのに、続くガウェイン卿の問いは、背後の騎士達に良く聞こえていた。きっと、その問いが騎士達の本音であったからだろう。
彼らが居並ぶ丘の先。平原に集結する10万ものローマ軍。夥しいほどの人の群れ。そしてその群れが織りなす、数多の騎兵。計画的に作られた堀。防衛壁。大地に設置された弩砲。
整備された街道と堅牢な城による補給線は恐ろしいモノがある。
数百年に渡って、世界中の国を侵略し、呑み込み、そして殺傷して来た国の歴史が遺憾無く発揮されていた。
「陛下?」
いずれかの騎士が、思わず問う。
何故なら、陛下と呼ばれた少年は——笑っていたから。
「——フ、何かと思えば、情けないなガウェイン卿。
それでも王の姉妹剣たる星の聖剣の担い手か。まだまだ敵は控えているというのに先鋒戦で弱音を吐くとは、これでは卿の立つ瀬などない様なものだ」
澄ました笑みで、少年は粛々と告げる。
響く少年の声。風に紛れる事なく、それは背後の騎士達に届いた。
「ではこう考えろ。勝つではなく——殺すと」
「………………」
黒馬ラムレイから降り、正面へと歩きながら黒の騎士は言い放った。
騎士達から届く困惑の声と騒めき。
「殺さねばならない。奴らはブリテンを踏み躙る敵だ。故に全てを殺す。一人残らず殱滅する。慈悲も容赦も要らない。
だから——殺せ。一人でも多く、殺せ」
その言葉に、俯いて剣を握りしめた人間がいた。
嫌々ながらも、黒の騎士の発言に同調した者。心の底から受け入れた訳じゃない。少年騎士の言葉の意味を理解していても、騎士達は受け入れられなかった。
士気が下がる。これでは統率が取れているだけだろう。
「——それは嫌か?」
その言葉に、誰かの心が跳ねた。
俯いた視線を見上げると、黒の少年騎士は、騎士達の集団に振り返っていた。
まるで、そんな事分かっている、とでも言うように微笑んで。
そうだ、彼の言う通りだ。
何故なら——彼らは何かを守る為に騎士となった。
誰かを殺す為に騎士になった訳ではない。殺戮に手を染めたいという人間は、もはや人間ではない。戦争に於いて、甘い戯言だと誰かは断じるだろう。だが、それを諭す事は難しい。いつだって、人間は思考の逃げ場所を探しているのだ。
「ハ、やはりな。
腑抜け共。臆病者共。それでも貴様らは騎士か?」
「………………………」
「敵であれ味方であれ、誰かが死ぬという事は大なり小なり何かが付き纏う。だが死なない人間はいない。故に貴様らは逃げている。責任を放棄した愚か者だ。そんな愚者は騎士としての権利を捨てろ」
「…………騎士だからだ」
少年のあまりの物言いに、誰かが告げた。
騎士であるが故の反論。決して殺戮者ではない、騎士としての意見。人々の理想の体現者であり、栄光を求める勇者としての、せめてもの反撃。
「ハン。馬鹿馬鹿しい。そんな存在など誰も求めていない。
ならば島に帰れ。もしくはそこで見ていろ。貴様らには一切の価値がない」
見限るように、少年騎士は前を向く。
騎士達と、少年騎士の訣別。あまりにも明確な意識の差。
「……………………」
抱いたのは何だったろう。
怒りか、失望か。こんな子供に言われたという嫌悪もあるかもしれない。
僅かに燻っていた、やっぱりこんな少年騎士には、人々の上に立つのに相応しくはなかったという、侮蔑だったかもしれない。
騎士達の忠誠は離れようとしていた。
「そして島に帰って……——守るべき家族達にそれを伝えてこい」
冷たい風が吹いた。
その言葉が風に乗る。
騎士達の沸々と沸き上がる怒りと嫌悪を停止させたのは、果たしてそのどちらだっただろう。
少年に影響されて、冷え切った思考がそれを夢想させる。
極寒によって冷やされた怒りが、新たな空白となってそれを予期させる。
嫌に冷え切る思考。考えたくもない、その未来。
何て心細くなる程の考えなのか。
浮かぶ風景は、正しく地獄そのものであった。
「今一度問うが、貴様らは一体何の為に騎士になった?」
少年の後ろ姿から外れる視線。
俯く騎士達。
「逃げて、逃げて、その果てにその選択の責任を負うのは貴様だけか?」
それはいつからだったのだろう。
ただ我武者羅に栄光を求めて、それだけで良かった時代が終わったのは。
守る人が出来て、戦うという事に責任が出たのは。
誰かの命を——家族達の命を背負うようになったのは。
「いいや——いいや違うだろう。いつだって、戦争の割を食って来たのは戦う力を持たない人々達だった」
告げる声が、遠くない過去を幻想させる。
死ぬのはいつも前線の騎士達だった。でもそれは、抗う手段を持たない人達にまで、災禍が及んではならない為だった。
だから、本土から切り離された島に騎士道が生まれた。
誰かを守る為、彼らは騎士となった。
「女、子供。年老いた親。まだ産まれて間もない命達。
死ぬだろう。容易く。意味もなく。ただブリテンという、本土から切り離された島に生まれたというだけで。だから——良いのか? その選択で本当にいいのか?」
「…………嫌だ———」
呟いたのは誰だったのだろう。
きっと誰でも変わらなかった。
「それだけは嫌だ———」
島に残す家族がいた。
妻が、息子が、娘がいた。
帰るべき家があった。
誇りたい親がいた
守りたい誰かがいた。
確かに騎士となりたいと願った時、栄光を求めた者もいるかもしれない。
掲げた剣に理想を夢見た者もいただろう。神話に名高い無双の英雄譚と己を重ね合わせた者もきっといた。
でも得られたのは、理想とは遠い現実だけ。
それでも、彼らは誇れる現実を手に入れた事に違いはない。
だって彼らには、守りたい誰かが出来たから。
それを妻とする者。息子や娘とする者。全て含めて家族とする者。仕えた主君。友人。今は友人なだけで、いずれ妻となるかもしれない女性。
だが、死ぬのだ。
ローマの侵略を許せば、全てが死ぬのだ。
「そうだ。
もう、夢を見るのはやめにしよう。理想を目指すのは終わりにしよう。掲げた剣に何かを求める時代は疾うに終わった。今は、翳した剣で誰かを守る時だ」
「—————————」
「だから——殺せ。守る為に敵を殺せ。
己の手が罪に塗れる事も、血で汚れる事も、そんな事構いはしないだろう?
己が手を汚しただけ、一人でも多く敵を殺すだけ、島の誰かが清純で居られる。戦禍の影に怯えず平穏に暮らせる」
騎士達は俯いて、自らの手を見た。
その手に何を見出したのだろう。忘れてしまった人もいる。でも、絶対に忘れてはいけない事がある。
それは、今はまだ島で平穏に暮らしてる家族の事だ。
「これは貴様らの贖いだ、軟弱者共。
逃げた責任がようやく形となって現れただけ。ここでも逃げるなら、次にその責任を負うのは貴様らが守りたいと願った人々だ」
「———あぁ」
その、騎士達の呟きには何の意味があったのか。
少年騎士の後ろ姿に、何かを見出したのかもしれない。それだけは許してはならないという、本当の答えを思い出したのかもしれない。
だが、彼らは少年騎士の言葉に打ちのめされていた。
なんたる皮肉だろう。
その言葉がまるで、島に残して来た家族。それも、自らの子供に糾弾されているような感覚さえした。
「見ているぞ。
貴様達の行動の行方を。せめてのモノすら守れない、貴様らの心を」
呪う声がする。責任を果たさない騎士達を怨む、ナニカの声がする。
しかしその痛烈なる言葉を投げる権利が少年騎士には………彼こそが、その言葉を言う権利がある事を、騎士達は理解していた。
事実、彼はこの場の誰よりも幼い。
少年騎士の三倍近く世を生きている騎士もいる。島に残した子供達の方が、騎士達の先陣にいる黒の少年騎士よりも成長しているという騎士もいる。
でも、この集団の中で一番手を汚しているのは少年騎士だ。
己のたった三分の一しか生きていないながら、何百倍以上も人を殺しているのが、彼らの上に立つ人間だった。
そうしなければ、誰かが犠牲になっていたから。
…………誰かの責任を支払っているのが、目の前の小さな騎士だった。
「そうだ。許すな。それだけは絶対に許すな。
己の手が汚れてでも、守りたい者が貴様らには居る筈だ」
騎士達の理性が壊れていく。
「だから、怒れ。このどうしようもない世界を呪い、この凄惨なる状況を作り出すローマを怨め」
人間を人間たらしめる理性を狂わせていく。
しかし度し難い悪鬼に堕ちた訳ではない。人間として狂いながら、しかし騎士達はどこまでも平静であるという、その矛盾を受け入れた。
「——————」
「やり方が分からないか? なら私が教えてやろう」
一歩前へ進む少年騎士。
騎士達の誰もが、その道の険しさ故、したり顔で悟ったように選ばなかったというのに、彼は何でもない事のように言う。
「これはもはや、栄光を求める騎士と騎士の一騎打ちではない。
ただ最後まで立っていた方が生きるだけの生存競争だ。だから、慈悲など捨てろ。獣へ堕ちるその代償に、我らの最後の尊厳は確かに守られる」
白銀の王剣を抜き放ち、掲げる。
「ほれ、見ろ。アレはなんだ? あそこに居るのは何だ?」
剣の示す先にいる人の群れ。
ブリテン島の騎士達の集団に気付いたのだろう。
ローマの兵士達は剣を、槍を、武装を構え、雄叫びを上げる。北の島より来たる蛮族を滅ぼせと。
「奴らは我らを人間だと思っていない。
そんな奴らに、一体何の情けをかける必要がある?」
それが——遂に騎士達の最後の枷を外した。
騎士達は剣を握りしめる。それは最初のと違い、ローマへの怒りに溢れた激情の塊だった。
「あぁそうだ。私が許そう。貴様らは躊躇いなくローマを殺戮していい。徹底的に潰して良い。
そして………私達の島に帰ろう。私達にはまだ、戦いが控えているのだから」
「あぁ…………あぁ………ッ!!」
「私は貴様らに路など教えない。貴様らを救いもしない。
だから私は示すのみだ。やり方は教える。軟弱な貴様らを導いてやろう」
振り返らず、彼は告げる。
白銀の王剣を片手で天に掲げ、その拘束を外す。
立ち昇る白銀の光。
周囲を照らす神々しい極光。
下辺まで降りた二つのパーツから溢れる光は、神威にも等しい。
「故に——」
それが、聖剣の最後だった。
「——我は王に非ず。その後ろを歩む者」
音がした。
何が砕けた終わりの音。何かにヒビが入った終わりの音。
下辺に降りた、二つのパーツが歪む。
清廉なる聖剣が、魔神が持つに相応しい魔剣へと堕ちる。
王剣の機構が狂っていく。
「彼の王の安らぎの為に、あらゆる敵を駆逐する」
片手で掲げた剣を胸元に下ろし、両手で構える。
浮かぶ姿は兜で姿を隠した赤雷の騎士。本来なら彼女の手に渡った剣を、最大の敬意を以って奪い取る。
そして、告げた言葉が彼女なりの敬意だった。
故に、その言葉は前口上などではない。ただ、代わりに己がすべき誓いなだけなのだから。
「魔剣全拘束解除」
遂に、白銀の光が完全に塗り潰された。
属性が反転する。剣を象徴する色が狂う。荒れ狂う大気に稲妻を走らせているような異音がする。それは嘘偽りでも何でもない。
剣から滲み出る赤雷。血の極光。禍々しい魔力と呪詛。もはや剣の中に収められなくなった魔力が、周囲に放たれ、地面を焼き焦がしていた。
悲鳴を上げているのは、剣か、大気か。
「——煮え滾れ、星の怒り」
魔力が収束する。
剣を起点に渦を巻く、黒い泥のような霧。その暗雲を貫く稲妻。
それだけで、人に振るうには過剰だっただろう。
だが——黒い粒子が、周囲の地面から滲み出ていた。
まるで、騎士王が星の聖剣に光を束ねて満ちるが如く。しかし、その粒子は光などではなく、光を呑み込む闇そのもの。禍々しい呪詛の塊。
その粒子は王剣に集まり、容易く剣の機構を破壊する。
本来の性質は消え失せ、砕け、もう二度と封印をする事が出来なくなった、白銀だった王剣は、黒の騎士の魔力によって更に壊れる。
だが、島の内外である為、黒の騎士には完全に形にする事が出来ない。
大地の熱量に等しい魔力と——人類が慟哭する刹那の嘆きに、王剣は耐え切れない。
大気を劈く稲妻の音に紛れて、ガラスにヒビが入るような音がした。
白銀だった王剣にヒビが刻まれ——しかし、王剣が砕け散るよりも早く、赤い線が刀身を新たに作り上げていく。
その赤い線が僅かにだが——何処か、螺旋のように連なる鎖のように見えるのは錯覚だろうか。
それが何を意味するのかは、騎士達には分からない。
ただ、白銀だった王剣が、少年騎士の手によって更に何かの属性を得て、新たなナニかになろうとしている事は分かった。
だが、それも収まる。そこから新たなヒビが刻まれなくなった。
白銀だった王剣ではこれ以上次の段階に進めない為、ただ螺旋状に連なる赤い輪……のように見える赤い線が浮き上がるだけだった。
「——決死を以って死に抗え」
もはや白銀の光は一つもない。
溢れ出る赤雷は紫色に染まり。刀身は赤から、酸化した血のようにドス黒い血の刀身となり、収束した紫電の光が天にまで伸びていた。
其れは、人類が思い描く災禍の光だった。
神たる上位者が、時に気紛れに、時に試練の為に、天から一方的に打ち出される災禍の光。抗う事の出来ない雷。
しかしそれを人類の血に染め、あまつさえ地から天へと放った無法者。世界の理に反逆した、怒りの輝き。
「
天にまで昇る、一筋の紫電の光を瞬間的に剣に束ね上げ、人類に振るうにはあまりにも過剰な力の解放を待つ。
魔剣へ堕ちる呪詛の剣を、渾身の力で振り上げ——ルーナは偽物の真名を解き放った。
「————
雷が走る。
剣によって形となり、なんとか竜の息吹の形に押し込めた呪詛の魔力が、斬撃となる。
ただ敵を殺戮する事に特化した紫電。加速し、収束された魔力は光の奔流となり、射線上にある全ての物を等しく消し飛ばしていった。
計画的に設置された堀。重厚な障壁。数多の騎兵。
斜線をずらす事も出来ず、刹那すら耐え切る事なく、一切合切が蒸発していく。
怪物殺しで名高いローマの鬼将。この地に十万もの兵を集結させたフロル王。もしかしたら居たかもしれない、英雄の卵達を呑み込んで。
……あぁ、それだけだったのなら、ローマの軍勢は幸せだっただろう。
ただ、光の奔流となった究極の斬撃が、大地を一直線に焼いただけ。だが、溢れ出る魔力は奔流の形に収まっていただけだ。
その剣光は、ただ一人に届かせるモノではない。
平原に集結した、ローマ軍。
剣を掲げ、丘の上に集結するブリテン軍を蹂躙しようと馬を進め、紫電が天へと走ったのを最後に、何も理解出来ずに死んだ。
彼らを呑み込んだのは、血染めの津波。光の奔流から劈くように溢れ、蛇のように地を這い、ローマ軍を焼き貫いた稲妻。
生き残ったのは、運が良かった者だけだ。
ただの一振り。ただの一撃。
それで——ローマ軍8万が、大地ごと焼け焦げて死んだ。
「——————」
振り下ろした剣の残心を終え、たった一撃で10万も居たローマ軍の八割を消し飛ばした少年。
風が吹く。冷たい静寂。ローマ軍の雄叫びは、もはや何もない。この惨状に理解が及ばないからだ。
陣形は壊れ、地形は歪み、大地は焼け、補給線を消失した。
次に、轟音が鳴り響く。城が倒壊した音。先の一撃によって放たれた光の奔流は、射線上にあるフロル王の城を貫き、破壊し、残るのは血染めの光の柱だけだった。
「理解したか? これが、今から我らがやろうとしている事だ」
今尚、紫電が溢れる魔剣を携えながら、僅かに息も乱さず少年騎士は告げる。
「—————————」
「恐ろしいだろう。こんな事、凡そ人間の宿命ではない。
しかし、我らが人間から殺戮者へと堕ちる事によって、我らのようにならずに済む命達がある」
痛烈な皮肉だ。
何せ、目の前の少年騎士こそが、そうなってはいけない命そのものだった筈なのだから。
「だから、私はこの場から逃げる者を追いはしない。勝手に逃げていろ」
「——————」
「だが、それでも戦う事を選んだのなら——安心しろ。
私は絶対に貴様らの死は無駄にはしない。後悔もさせない。させるものか。私だけは必ず、最後まで立ち続けてみせる。お前達の、本当に守りたいモノを守り続けてやる」
「——————」
「だから——私の為に死んでいいと思える者だけ、私についてこい」
それを最後に、静寂が消え失せた。
己の激情を表すように、両軍は叫ぶ。
一方は恐怖を瞳に浮かべて。もう一方は狂気を瞳に浮かべて。
ようやく事の事態を理解出来たローマ軍の悲鳴と、大地に轟くブリテン島の騎士達の雄叫びが同時に上がった。
『保有スキル解放』
月光のカリスマ C++
詳細
彼女固有の指揮能力、もしくは天性の才能。
戦闘において自軍の能力を向上させる。
基本的にはCランクのカリスマであるが、困難と犠牲が大きくなるであろう戦闘、もしくは騎士道では生き抜けないであろう大戦にて自身に同調させる事に成功すると、超強力な効果を持った独自のカリスマに変化する。
条件付きだが極めて強力であり、最大でCランクの3倍。
その効力は、魔性や呪いの域である。
彼女のカリスマは騎士王のカリスマとは違い、陶酔や狂気によって駆り立てるものであり、彼女のカリスマに当てられた者は死に対する恐怖を超越し、自らの手が汚れる事すらも厭わない死兵の如く能力が跳ね上がる。
ただし彼女のカリスマは周囲を一体化させ、強固な繋がりを得るものではなく、自らに同調させ、支配下に置くという性質が強い。
その様は思考誘導や一種の思想改造のそれである。
故に彼女のカリスマは、そのカリスマに充てられた存在の人間性を容易く狂わせ、本来なら外れぬリミッターすらも外す。その為、大きな災いや破滅をもたらす危険性を常に秘めている。
[解説]
どうでも良い余談だが、プロット段階ではA+(ギルガメッシュと同じ)で、いや違うなとB++(アルゴノーツ関連状態のイアソン)となり、いややっぱり違うなとなってC++になった経緯を持つ。
宵闇の星 A
詳細
その生涯を以って変質した直感の亜種、上位互換スキル。
しかし、彼女の在り方がスキルとして昇華されたモノである為、生前であっても機能している。
地を照らし、輝ける路を作り出した星ではなく、暗闇の中でだけ人々を意に介さず導き続けた星の象徴。
光刺さない暗闇の中で、己を最も強大な
彼女の生涯を模したスキルであり、彼女の光を霞ませる事が出来た者は誰一人としていなかった。
それ故に、あらゆる干渉と妨害に対して抵抗と耐性を持ち、彼女が望む望まないに限らず、他者から運命力を奪い取り続け、また失われた運命力を補う形で自らの運命力を他者に埋め込む。
本来なら他者へ行く筈だった要素すら自分に引き寄せるが、生半可なモノでは彼女の光によって有象無象の様に消え去る為、非常にタチが悪い。
ただし、良くも悪くも彼女の光に当てられた者は急激に運命力が変動する為、他者にとってこのスキルが幸運となるか不運となるかは誰にも分からない。
言うなれば、とある守護者が保有する【聖杯の寵愛】のスキルを指向性を消失させた状態で無差別化したもの。
その為、後述の【魔女の寵愛】のスキルと連携させた場合、戦闘時におけるあらゆる運命や幸運などの要素全てが彼女の為にだけ働いているかの如きレベルに達する。
その様は凄まじく、彼女はこのスキルが機能している限り、最適な行動や展開を短期的な未来予知レベルで感じ取り、さらに概念的な干渉を有する攻撃を阻害する。
また彼女は、生涯の中で他者の意見や価値観・運命すら捻じ曲げ自らに同調させた証として【
これは、反転した騎士王ではただ属性を反転させる事しか出来ない為、彼女にしか許されていない。
尚このスキルは、彼女の起源によって根付き、またその生涯を以って裏付けされたスキルである為、ただ一つの例外の前でも一切劣化する事がない。
またこのスキルは、他のありとあらゆるスキルと連携させる事が出来る。
単独で効果を持ちながら、他のスキルのバックアップや補佐にも使用出来る万能スキル。
[解説]
長いので簡素に語ると、
あらゆる干渉と妨害に対する抵抗と耐性。
自身を中心とした、運命力の無差別的変容&最適な行動及び展開予測。
輝ける路に対する、カウンター権利。
他のスキルの補佐修正等のバックアップ
の、四つでほぼ全てである。
『宝具解放』
ランク A
種別 対人宝具
詳細
ヨーロッパ全土に伝わるローマの歴史及び神話に於いて、嵐の王が剣の一振りでパリシウスの地(現代で言うヨンヌ・アヴァロン)の全てを雷で焼き焦がしたとされる宝剣。
もしくはウェールズ伝承に於ける、東ローマを衰退させた最大の原因とされた円卓第十三席サー・ルークが、怪物殺しとして名高いローマの将軍、コルグリヌ卿とバルトゥルフス卿、さらにガリア州総督のフロル王によって集結したローマ軍十万の八割を一撃で消し飛ばしたとされる伝説の魔剣。
所有者の力を増幅させる機構を持ち、この剣を持つ者の筋力・耐久・俊敏の身体ステータスを1ランク上昇させる。
また肉体への負荷を一切無視する代わりに、本来の限界を超えて、魔力のステータスに+を付与する事も可能とする。
この剣によって増幅された魔力のステータスがB+ランクを超えた場合、所有者に【魔力放出 雷】のステータスを授ける。
ランクは、魔力のステータスと同ランク。
尚、二つの封印拘束が歪んでおり、常に二つのパーツが下辺に降りた状態で固定されている。
また、常に拘束が解除されており、封印拘束を戻す事が出来ない。
[解説]
読みは
尚宝具名の由来は、アルトリア・ランサー・オルタのセリフ集や嵐の王の逸話と、Fate/EXTELLA-LINKの、敵性アルトリア現界時の「召喚に応じ参上した。これより——あらゆる敵を廃滅する」より。
ランク A++
種別 対軍・対城宝具
詳細
前述の宝具の全力解放形態。
剣を地面に垂直に構えた後、真名解放と共に血の様に赤黒く染まった紫電を一直線に放ち斜線上にある全てを攻撃する。
さらに、放たれた極光から地を這う蛇の様に稲妻が程走り、扇状に周囲を焼き焦がす。
端的に言うなら、紫電の形をした津波を前方に発生させ放出する技。
極光の本体部分は城を崩壊させる程の火力を有し、生半可な防御では防ぐ事が出来ず、また扇状に走る稲妻は、触れた対象者に追加のダメージを与え続け、魔力が尽きるまで対象を焼き焦がし続ける。
本来なら、剣そのものの核がエクスカリバーに劣る為、ランクは【
しかし、クラレント本来の機能である「王の威光を増幅する能力」を「増幅された王の威光は正しく示さねば誰にも分からない」と彼女が無理矢理解釈し、また卑王の心臓の力と自らの呪詛を以って染め上げ、クラレントの性質を歪めた。
故にこの宝具は、剣が耐え切れず過剰に溢れ出る魔力を剣に貯めず、強引に放出している。
その為、彼女自身の魔力が無駄になっておらず、多数の人間を焼き焦がす対軍宝具としての性質に特化している。
しかし【
対軍と対城。両方を性質を持つ、血の極光。
極光本体の火力が劣るだけで、殲滅力という観点ならば【
[解説]
モードレッドが使用する、クラレント・ブラッドアーサーの再現。
ただしその性質は歪み切っており、主人公の場合はモードレッドの赤雷と違い、赤い稲妻が黒く染まり、乾いた血の様に赤黒い稲妻が放たれる。
尚、どうでも良い余談だが、プロット段階では【クラレント・モルガーナ】という宝具名だった。
【固有スキル】
魔力放出 (雷)
詳細
雷としての属性で構成される亜種魔力放出。
通常の魔力放出よりも攻撃、速度に重きを置いており、自らの神経回路や反応速度を特に向上させる。
また高ランクになると、周囲を襲う程の稲妻を放つ事が出来、対魔力のスキルを持たない周囲の存在に継続的なダメージを与える事が出来る。
代わりに、防御面では通常の魔力放出にやや遅れを取り、膜のように体を包み事が難しい。
瞬間的な動静、回避と一撃離脱を操る際に真価を発揮するスキル。
故に、もしここに追随を許さない武練が組み合わさった場合、鬼神の如き戦闘能力を有する。
彼女の現在のランクはA+
魔力変換のスキルは失われておらず、ただ魔力放出としての属性が変化しただけである。
一体更新が止まります。
また書き溜めてから放出します。が、ちょっとリアルが忙しいので、また1月くらい頂きます。
今まで主人公がカッコいいところが出るまで待ってましたという人……評価等のタイミングはここですよ(催促)