騎士王の影武者   作:sabu

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 本当はもう少し書き溜めてから投稿するつもりだったけど、一旦キリが良いので投稿。

 

 花水樹様より、71〜73話の約束された勝利の剣のイラストをいただきました。
 
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 また、反転したクラレントのイラストもいただきました。
 
【挿絵表示】


 めっちゃ禍々しくてカッコいい。
 



第74話 滅びの足音 

 

 

 戦況は完全にブリテン側にあった。

 行動を阻害する魔術陣はなく、異形の生物やスプリガン達は全て討ち取られ、ローマの魔術師や呪術師はほとんどが死んだ。つまるところ、力あるモノはローマの勝利の為に動いて、全て竜の化身に呑み込まれて死んだのだ。

 

 残るは戦意が完全に瓦解したローマの兵隊や戦士達。

 あらゆる攻勢を破壊され、自らの力を発揮する土壌を根こそぎ失った通常兵力。

 指揮者の剣帝は何処にいるか分からない。彼らの心には、黒い竜の化身の極光が脳裏に染み付いている。

 ローマの城壁は消失した。戦線は崩壊した。円卓の騎士達が、ただでさえ蹂躙されているローマの戦場を駆け抜ける。

 

 

 故に後退して、ローマの市街地まで逃げて、彼らは降伏した。

 

 

 そうするしか無かったのだ。

 乱戦をする気力もなければ力もない。逃げ場は——ローマの首都より後ろなどもう存在しない為ない。当然、ローマの首都には一般人も大勢いる。全てがローマに通じるように、首都ローマを灰に変えられれば、ローマ帝国は滅ぶ。

 故に、剣帝の指揮を失った彼らは降伏するしかない。

 今日この日、ローマの首都が陥落した。

 

 

 

「ルーク! ルーク何処にいるっ!」

 

 

 

 陥落したローマの首都を警戒しながら走り回る人影。

 兜の騎士モードレッドは、先程から剣帝と同じく見つからない少年を探し回っていた。

 

 

 

「そっちはどうなんだアグラヴェイン」

 

「見当たらない。だが恐らく居るならば、ローマの首都の何処か」

 

 

 

 隣のモードレッドに追従しながら、アグラヴェインは告げる。

 恐らくと言っているが、彼は確信に近かった。

 剣帝と陛下の戦闘は、もはや途中から世界の終焉の如き災禍の塊だったが、それがいきなり中断されたのは分かる。

 ならば、ローマ市街地を駆け抜けながらの乱戦に移行したのではないかと彼は考えていた。

 

 

 

「まさか………相打ち………」

 

「何を。それこそまさかだ。彼が相打ちで終わるなどあり得ない」

 

「……お前何でそこまで言えるんだよ」

 

 

 

 断言するアグラヴェインに、思わずモードレッドは問いを返した。

 何故そこまで信頼出来るのか。盲目ではないと知っていても、些か共感しにくい。

 

 

 

「お前は知らないだろうが、粛正騎士隊に交じる彼の戦い方を見た者は誰もが言う。彼が相打ちに終わるのだけは有り得ないと」

 

「はぁ………? どう言う意味だよ」

 

「お前なら分かるのでないか? ——ランスロット」

 

 

 

 アグラヴェインは、同じくローマ市街地を駆けるランスロットに話しかけた。

 

 

 

「…………………」

 

「竜の両翼を退けた貴様なら、それこそ誰よりも分かるだろう」

 

「あぁ………分かるとも」

 

 

 

 無言で頷いているランスロットに、モードレッドは兜の下で怪訝な表情をするしかなかった。

 二人が言っているのは、まだ陛下が小さかった頃に行われた一騎討ちの話だろう。

 彼も持ち得る剣技と同様に成長し、いつの間にか、モルガンから渡された重厚な鎧と兜が無ければ、自分とほとんど変わらないくらいにまでになったとモードレッドは感傷する。

 

 つまり、ただでさえ戦闘時に脚技や騎士らしからぬ戦闘術や魔術を使い、しかもあの日から更に剣技が磨かれた彼は、もう敵無しと言いたいのだろうか。

 ランスロットと陛下の一騎討ちを見ていたモードレッドだが、二人のように合点が行かなかった。

 

 

 

「モードレッド。お前は陛下に完勝出来る自信はあるか」

 

「いや……流石にねぇよ」

 

「あぁ、そうだな。私もない。一度も抱いた事もない」

 

「あ? いやランスロットお前……あの日は完勝しただろう。しかもアロンダイトを使わず」

 

「あぁそうだ。あの日は。しかしきっと、あの日湖の聖剣を使っていようといなかろうと殆ど変化は無かっただろう。

 だから今、身震いしている。今はアロンダイトを使っても追い付いてくるんじゃないかと」

 

「はぁ? 何でだよもっと分かり易く話せ。お前の心情を混ぜんな」

 

 

 

 ランスロットが当時の情景を織り交ぜながら語っているのを直感したモードレッドは不躾に返す。

 ランスロットは一瞬言葉を惑わせた後、短く告げた。

 

 

 

「……たとえ如何なる有利であろうと、たとえどれ程に隔絶した力があろうと、陛下は必ず——追い付いて来る。それだけだ」

 

「ふーん………?」

 

 

 

 何となくだが、モードレッドは理解したような気がした。

 性格にしろ心情にしろ、はたまた癖にしろ、戦い方には個人個人の影響が出る。

 かの少年の場合は、無感動な暗殺者のようでもあるが、荒れ狂う竜のように激しい。真正面から相対すれば、あの戦い方が血肉を求めて狂乱する獣といった印象を受ける。戦いに対する意識の立て方は、横から見れば身震いするだろう。

 

 

 

「次はきっと、私は追い抜かれる」

 

「ハハ、かもな」

 

 

 

 戦い方があるので一概に一括りには出来ないが、剣帝との一騎討ちに勝利するのとランスロットとの一騎討ちに勝利するのは、同じくらいの難易度なのではないか。

 

 そう思って、モードレッドは笑いながら返す。

 モードレッドの態度に、ややランスロットは眉を顰めながらも反論はしなかった。

 

 

 

「で、そっちは」

 

「見つからない」

 

「なら……市街地の中央か?」

 

 

 

 中央付近以外ではブリテン軍とローマ軍が大勢居る。

 その場に陛下とルキウスが居るなら、間違いなく分かるだろう。

 そう考えた時——遠くの街中から光の柱が現れた。

 

 

 

「あれは………」

 

 

 

 何かは分からない。

 だがモードレッドは神々しく立ち昇る黄金の光に思わず見惚れる。それは隣の二人もだった。騎士王の聖剣の光にも似ているかもしれない。

 そして次第に消えていく光の柱を見て、彼らは意識を取り戻した。

 

 

 

「多分あそこだ」

 

 

 

 モードレッドの声に、三人は動き出した。

 先程の光の柱が昇る場所へと彼らは駆ける。魔力の残滓と思わしき力の流れは既に見当たらない。だが、あそこで何かがあったのは確定している。

 

 

 

「闘技場……コロッセオか?」

 

 

 

 市街地を走り抜け、辿り着いた場所で見上げれば、先程の黄金の光にはあまり相応しいとは思えない血の匂いが漂うローマの闘技場がそこにあった。

 合点がいかないまま、しかし何かあるのだろうと三人は闘技場に足を踏み入れる。

 

 

 ——だから、彼らは見た。

 

 

 ほんの一瞬。されどその一瞬で全てが覆るに足る、何もかもが崩れさる滅びへの一歩。

 特に彼らの内、モードレッドとアグラヴェインは知らない方が良かった、知らない方が幸せだったというのに、彼らは見てしまった。

 ようやくとも言う。遂にとも言う。

 今まで少年だと思っていた——"彼女"の素顔を。

 

 

 

「——————は?」

 

 

 

 先程まで激戦があったのだろう。

 黒い霧が消え、もはや白銀の王剣の中身が全て消え去ったかのように色が抜け、輝きなど何もなくヒビだらけで灰色になったクラレントが地面にある。

 変貌した肉体から、血管のような赤い線が霧散し元通りになっていく姿を見た。同じく、身体中の内側から突き出た刃が消えて行く姿も見た。

 

 だが、それは重要じゃない。

 そんな事よりも重要な事が彼らにはあった。

 

 燃え尽きたルキウス。傷だらけの"彼女"。

 頭に攻撃を受けたのかもしれない。だから——バイザーが外れていたのかもしれない。

 

 

 彼らが見たのは、本当に一瞬。

 

 

 彼女が地面に落ちたバイザーを拾い、再び額に装着するまでの、僅か一秒程度の時間。彼女は背中を此方に向けていたから、後ろから横顔がほんの少し見えた程度。

 

 でもその一瞬で事足りた。

 だってそこにあったのは——

 

 

 

「モルガン——」

 

 

 

 忌々しき母親と良く似た顔付きだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 似ている。そう感じた事は多い。

 それは戦い方だったり、敵対者に対する心情だったり——表情を隠す在り方だったり。

 だから共感を感じていた。当然だ。

 元よりあまり他者と関係を深めないのもあったが故に、彼は特別だった。年下で自分の境遇と似ていて、しかも実力もある。

 一方的なモノだとしても、仲間だと思っていた。

 

 

 

 "いえ、そこまで気にしなくて大丈夫ですよ。ただ、幼い頃に顔を大怪我しまして、それで顔が爛れているんです"

 

 

 

 人前で外してはならない。この顔を見られてしまえば、全てが破綻する。

 そう言いつけられて、兜を母親の魔女から貰った。

 

 

 なら——お前もそうなのか。

 

 

 お前の力も。強さも。精神性も。魔術も。その仮面も。

 全て、そうなのか。お前は、最後の末弟として、今度こそ完璧に受け継いでしまったのか。

 

 

 

 "少し他人には見せられない顔をしているので"

 

 

 

 自分で終わりだと思っていた。

 人工生命という手段にまで手を染め、そして失敗したのだから。

 だから自分を最後に、あの魔女は諦めたと思っていた。だから、あの魔女は沈黙していたのだと思っていた。

 

 そうなのか?

 あの静寂は諦めたが故の静寂ではなく、遂に最適な駒を手に入れたが故の、静寂なのか? もう、新たな手段を探す必要がない故の、勝利の確信なのか?

 だって事実、王に一番近い場所にいるのは。王座を明け渡せる可能性が高いのは…………。

 

 そんな……そんな。違う……よな?

 だってお前は……仮にそうだとしても………お前はもうあんなのとは縁を切ってるよな? お前が………あんな魔女を許す筈がないよな?

 

 

 

 

 "いえ。気にしないでください。

 モードレッド卿も私と同じか、似たようなモノでしょう?"

 

 

 

 ガウェインやアグラヴェインが、俺が本当は何者なのかを知らないように、お前はきっと、俺や……兄弟の事を一方的に知っていたんだろう。

 どう言う意味なんだよ、それ。

 何て意味があったんだよ、あれは。

 本当に………本当にそう言う事なのか?

 

 

 

 "それでも尚、私の一線を敢えて踏み越えるというのなら、それは私の逆鱗に触れるという事だと思って下さい"

 

 

 

 ……そう言う、事なのか?

 お前は、その顔を。その力を。その血を……俺よりも、いや誰よりも魔女と似ているその全てを、忌避してないのか……?

 

 

 

 "もしかしたら、貴方と私の関係が周囲すら巻き込んで崩壊し、全てが断絶するかもしれません"

 

 

 

 まさか………本当に、そうなのか……?

 

 

 

 "——まあ、十年程経てばこのバイザーは、いつの間にか外れているかもしれません"

 

 

 

 いや………いやそんな訳が。そんな訳があるものか。

 だって、だっていつもお前は。何を考えているか分からないような雰囲気がしているだけで。決して……決してお前は。あれが演技だなんてそんな。

 今まで全て演技をしていたなんて、いや————騎士王の演技が完璧なのも、そんな……ただそう言う才能があるだけで………ただの偶然に決まって———

 

 

 

 "もう私は大丈夫だから。

 別に骨も折れてないし、私よりもこの身体が心配ない事は分かるだろう?"

 "そんな事言わないでください。鴉は幸福の象徴なんですよ?"

 "それに付き纏われているのではなく、仲が良いだけです。私が一番心を許しているのは、あの鴉ですから"

 

 

 

 ——————。

 

 

 

 "別にそんな事はありません。ただあの鴉が一番心を許せる存在なだけです。そして多分、あの鴉も私が一番心を許せる存在なんだと思います"

 "……そう、思いたいですね"

 "そうですね、多分私以外には心を許さないと思います"

 

 

 

 ———なぁ。

 

 

 

 "もしも、自分以外に心を許したら……少し私は嫉妬してしまうかもしれません"

 

 

 

 ——あの鴉、何だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、彼らの行動を語るなら非常に淡々としていた。

 ローマを支配していた剣帝を倒し、指揮系統が瓦解したローマ。そして、放心しているローマの元老院に条約を約束させる。

 ほとんど一方的にブリテン軍は条約を結ばせた。

 

 細かい条約を抜きにし、一番重要なのだけを端的に語るなら、次にローマがブリテンを襲ったら今度こそローマを滅ぼす。サクソン人の進行を手助けするな。次は大地ごとローマの痕跡を消滅させる、とルーナは脅しただけ。

 しかしたったそれだけで、あまりにも効果的だった。

 

 僅かブリテン軍一万による、ローマ軍全体の三割が消滅。ガリア地域陥落。ローマ首都陥落。ローマの支配者ルキウスの死亡。

 黒き竜の化身の息吹を見た生き残りのローマ兵に戦う意思などはもはや芽生える事はなく、一部反抗的な存在はローマ側の兵士から鎮圧される始末だった。

 

 そこからはもう、一々語るに及ばない。

 黒き竜の化身と円卓の騎士達と相対した元老院達は、ブリテンからの条約に、皇帝の代わりにローマの意思を決定する者として首を縦に振るしか出来なかった。

 

 だから——アグラヴェイン卿の補佐が無くても、ルーナは比較的容易くローマとの条約を結ぶ事が出来た。

 

 しかしブリテンの騎士達はアグラヴェイン卿の憂いを知らない。

 彼が何故不調に陥っているのかは分からない。

 

 

 ただ彼ら騎士達にとっては、些細な事として処理された。

 

 

 

 ローマと和平を結び、ブリテンに帰還する船上の中で騎士達は安堵する。

 ローマとの戦いで失われた命はある。だがブリテン島の平和の為、一様に死ぬ覚悟を決めた騎士達にとって、あまりにも少ない犠牲だった。

 手にした戦果は、失ったモノの何倍何十倍も大きい。

 ローマへの侵略とは違い、ブリテン島までの帰投にはローマとの条約もあり、襲われる事もなければ、帰投までの安全を保障する事すら約束させた。

 

 

 船団の甲板にいる騎士達の表情は明るい。

 

 

 問題視されていた帝国との戦いは、当初は最悪のタイミングで呼び起こされたが、試練を乗り越えて見せれば、もうこのタイミングで決着したのだ。

 サクソン人の民族移動をブリテンに押し付けていたローマはもうない。ブリテン島を滅ぼせる戦力のあったローマは瓦解し、戦力の補填と被害の終着の為に手一杯になる。

 今辛い事を終わらせた分、次はきっと楽になる。そんな心情が騎士達を覆っていた。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 ——だからその騎士達の中で、唯一明るい表情をしていないアグラヴェイン卿は酷く浮いていた。

 普段から険しい表情をしているとはいえ、今の彼は普段よりも厳しい表情をしている。

 この戦果があれば、たとえアグラヴェイン卿といえど、険しい表情は無表情くらいにまではなる筈だろう。

 船の甲板に座り、俯いて表情を手で覆っているアグラヴェイン卿など、彼を忌み嫌う者でさえ不審に思う姿だった。

 

 

 

「………大丈夫ですか?」

 

「—————ッ」

 

 

 

 だから、彼を忌み嫌ってなどいない——ルーナは、当然の如くアグラヴェイン卿の姿を見て心配する。

 アグラヴェインは反応を返せない。顔を上げられない。口元が開いては閉じるを繰り返す。ただ誰にも分からず形容し難い表情となり、真上から響いて来る"少女"の声に硬直する。

 

 そう、もはや彼にはあらゆる幻惑が切れた。

 モルガンがバイザーに付与した幻惑。ただバイザーを着けているだけで、ルーナの性別に繋がるあらゆる情報を阻害していた超高精密にして宝具級の神秘。何も媒体にせず幻惑をかけているマーリンには一つ劣るとはいえ、魔術を極めたモルガンのバイザー。

 だが、一瞬とはいえ彼女の姿を認識し、ルーナが少女であると完全に理解したアグラヴェインには、もう同じ幻惑など通じない。

 

 だから、真上からかけられる声は少女のモノでしかなかった。

 

 

 

「…………本当に大丈夫ですか……?」

 

「…………………………」

 

「まさか………モードレッド卿やランスロット卿と違い、卿には対魔力や精霊の加護がないから………私の剣光の余波で」

 

「いや………いや、違う。何でも、ない………」

 

 

 

 見当違いの心配をしている少女に、アグラヴェインは顔を上げられずに答えた。ほとんど彼は何も考えられず返した。もはや頭など回っていない。ただ黙っていたら更に不審がられるという一般常識の反射が彼を動かしただけ。

 

 聞けば聞く程、"彼"に抱いていた感情と信頼が壊れていく。ヒビが入っていく。ノイズがかかる。

 何故今まで気付かなかったのか。身長。姿。様子。声。何もかもが、もう少女のモノにしか認識出来ない。自分を誤魔化すという逃避すら選びたくなる程に、アグラヴェインは精神をやられていた。

 

 何せ——

 

 

 

「…………あの、アグラヴェイン卿? 本当に大丈夫ですか?」

 

 

 

 目の前の少女は、本当に何も変わらないからだ。

 捉えられる様子も声も姿も全てが変わった。たが態度だけは変わらない。普段からの気遣いも、そうやって目が届く所も、彼女の人間性も。

 

 人間性……………三重人格、側面の切り替え、演技——

 

 

 

「—————……………」

 

 

 

 アグラヴェインは俯いたまま、無言で呼吸を荒くした。

 首を振りたい。嫌な感覚が、いつの間にかすぐ隣まで来ていて、それを振り払いたい。だが止まらない。一度考えた思考が次の予感を思案させる。

 

 魔女との繋がり。魔女の娘。最高傑作。あまりにも成熟した不可解な精神性。騎士王にも似た不可解な実力。異端とも呼ぶべき魔術。

 何もかもが不穏なモノに見えて来て仕方がない。

 十五歳。最年少。兄弟の末弟という立ち位置。瓜二つの容姿。魔女の後継者。遂に魔女が完成させて来た、最後にして最強の駒。

 彼女を構成する情報の群れが、全て信じられなくなって来る。

 

 

 

「……………アグラヴェイン卿?」

 

「今の君は、何だ」

 

「はい……?」

 

「いや…………」

 

 

 

 ようやく出て来た言葉が合点がいかないモノで、ただ彼女は困惑するしかなく、アグラヴェインも言葉を詰まらせた。

 その後少し悩んだ後、合点がいった彼女は答えた。

 

 

 

「あー……この口調の事ですか。

 もう今の私は騎士達の上に立つモノではありませんので。陛下と呼ばれるのも、陛下で居るのも疲れますから」

 

 

 

 その疲れは、一体何から来るモノなんだ。

 そう考えて、もう少女の気遣いすらもが信じられなくなっている事にアグラヴェインは気付く。

 彼女の構成している全て。それがモルガンの影響なのではないのかと。

 

 

 

「それで、結局アグラヴェイン卿は何か。呪いや魔術に対する体調不良に見えてなりません」

 

「……………船酔いだ」

 

「————はい?」

 

 

 

 明らかに術に対する抵抗の薄い自分を、ただ気遣っているようにしか見えなくて、でもそれすら信じられなくて、ただアグラヴェインは誤魔化した。

 

 

 

「——いやでも、そんな事が……あのアグラヴェイン卿が?」

 

「………………」

 

「あぁー…………」

 

 

 

 幾分か悩んだ後、一呼吸置いて彼女は告げる。

 

 

 

「……分かりました。これ以上の詮索を止めにします」

 

 

 

 彼女からしても、アグラヴェイン卿からの反応は予想外だった。

 あの鋼鉄のアグラヴェインが、船酔いなんて言う、こんな普遍的で人間らしい弱点を保有しているのかと。

 所詮知識の中でしかない人物像であるとしても、流石に船酔いしているアグラヴェイン卿という姿は、人物像から乖離している。想像が出来ない。

 故に彼女は、単純に彼の名誉を守る形で引いた。

 

 

 

「では、あまり体に差し支えない範囲でギャラハッドをお願いします。熱でうなされてばかりなので」

 

「……………………」

 

「あぁ………まぁもしかしたら不要かもしれませんが」

 

 

 

 彼女はアグラヴェイン卿の隣で、傷の治癒の為に未だ横になっているギャラハッドに視線をよこして立ち去る。

 しかし、その場を立ち去ろうとした際、振り返らず彼女は告げる。

 

 

 

「今回は素直に騙されておきます」

 

「……………——————」

 

「いえ、私の勘違いなら何を言っているんだお前は、とでも思っていてください。疑り深い私の()り性です。ですが何かあれば力になりますので」

 

 

 

 その言葉に、ただアグラヴェインは打ちのめされるばかりだった。

 あぁ、そのやめて欲しいくらいの察しの良さは、モルガンからの教育の賜物なのか。そうやって、彼女は他人の心に入り込んで来るのか。あぁ、その点に関してはモルガンすら上回るだろう。今の彼女は悪意も善意も手の平で転がす魔女に等しい。

 

 何を信じれば良い。何を疑えば良い。今までは一切の疑問を抱かなかった"彼"の精神性が全て、破綻しているモノに見えて来る。

 "彼女"がモルガンのようなら良かった。悪意を振り撒き続ける災禍なら良かった。あの境界線なく切り替わる精神性がただの三重人格ならどれ程良かったか。

 

 本当は、ただ彼女も自分達兄弟のように、モルガンの被害者なのではないか。

 

 

 

「…………は、はは………」

 

 

 

 そうまで思案して気付く。

 あの少女に抱いている感情。少女と知りながら、未だに抱く執着。

 自分は未だに、ただ単に彼女も被害者でモルガンから身体や精神の改造、洗脳を受けただけなのではないかと、そうやって逃げ道を探しているのだ。

 

 

 だが、それでも正気を保つ自らの頭がそれを否定する材料を見つける。

 

 

 いや、一々探す必要などない。もう出切っている。

 まだ本当にモルガンの手のかかった者と確定した訳ではないとしても、だからそれが何だ。あの素顔では偶然などと言う事は出来ない。

 端正で特徴的な横顔。切れ目の瞳と眉。美しさ以上に不気味さが目立つ白い肌。しかし竜のように澱んだ黄鉛色の金色の瞳。

 

 

 

「私は…………」

 

 

 

 思い出すのは、足下の何もかもが崩れ去ったような感覚に陥ったあの瞬間。彼が彼女になった、少女の姿を見た瞬間。

 あの時——隣のランスロットが誰よりも一番早く動いたのだ。

 

 

 

 "………陛下。ご無事ですか"

 

 "ランスロット? あぁいや………そうだな。接近に気付けないくらいには意識が朦朧としていたらしい。死にかけた"

 

 "それは………"

 

 "いいや、死闘だったが私は生き延び勝利した。左腕は………直に差し支え無く機能するようになるだろう。気にするな。後はまぁ、分別と制御をしないと刃が自分に向くぞという事だな"

 

 "………………"

 

 "何でもない、行こう。ローマ側は今どうなっている?"

 

 "それでしたら此方へ。貴方の最後の陽動さえ有れば、首都陥落は目前です"

 

 "そうか。成る程良くやった。騎士達もそうだろうが、私も少し休みたい。すぐに決着をつけよう"

 

 "御意"

 

 

 

 そう告げ、ランスロットは彼女に付き従い闘技場を後にしようとする。

 

 

 

 "陛下。ひとつ……よろしいでしょうか"

 

 "何だどうした、ランスロット?"

 

 "いいえ。ただ——貴方に捧げる誓いです"

 

 

 

 聖剣を構え、掲げ、騎士の礼を取りランスロットは少女に告げる。

 

 

 

 "私は一度間違えました。故に次は間違えない。私は一度、限界を超えなくてはならない場所を見誤りました。故に次は見誤らない"

 

 "………………——————"

 

 "故に次は、たとえ——片腕を塞がれようと陛下を守り、勝利を捧げる。ただ、それだけです"

 

 "—————そうか………なら、うん……ありがとう。次は卿を頼ろう。疑いもなく必ず。それで、私達はもう良いな?"

 

 "えぇ。貴方がそう望むのなら"

 

 

 

 何かに満足したような、それを噛み締めるような、そんな小さな笑みを浮かべて少女はランスロットに返した。

 短い会話は終わった。少女は振り返らず闘技場を後にし、その背中をランスロットは見送る。

 

 

 

 "おい………今の、今のは何だ。貴様は——知っていたのか? 知っていて、今まで利用していたのか。黙っていたのか。答えろ、ランスロット"

 

 "あぁ知っていたとも。知っていて私は——彼女に今、誓いを立てたのだ"

 

 "———————————"

 

 "では逆に問うがアグラヴェイン——貴様は陛下が男性か女性かで態度を変えるのか?"

 

 

 

 それはあまりにも痛烈な皮肉だった。

 彼女の剣光に、光が含まれているか闇が含まれているかで態度を変えるのかと告げた、アグラヴェイン卿への皮肉。

 

 

 

 "変わらない。かの騎士が少女であろうと何も変わらない。戦場に齎すモノも目指している勝利も、何も。ただ違うのは、背負っているモノと、勝利までの過程だけ"

 

 "貴様——"

 

 "魔女との私怨を私に向けるのはお門違いだぞアグラヴェイン。少なくとも、貴様の私情などブリテンに戻ってから考えると良い"

 

 

 

 息子ギャラハッドの事についての言及に告げた言葉すら、皮肉にしてランスロットはアグラヴェインに返す。

 普段の様子からは、二人は完全に反転していた。ランスロットの言葉に、ただアグラヴェインは打ちのめされているばかり。

 だから何も言えない。あのアグラヴェインが、ランスロットに何も言えなくなっていた。

 

 

 

 "————————"

 

 "彼女は、まず前提からして我らとは違う。彼女はもはや私達とは違う。しかしそれでも……それでも私は——彼女を信じると決めたのだ"

 

 

 

 そう言い切り、振り返らず去っていくランスロットをアグラヴェインを追う事が出来なかった。

 ただ、その場にモードレッドとアグラヴェインが残されるばかりだった。

 

 

 

「私……は………」

 

 

 

 思い出す。ランスロットから言われた事を思い出し、それでも尚浮かぶのは忌々しい母親の顔と少女の顔ばかり。

 幾度と少女の顔と魔女の顔が頭の中で重なっていた。何回繰り返しただろう。今も、バイザーの裏の少女の顔を幻視している。

 

 

 

「ぅ…………ぅう………」

 

「………起きたか」

 

 

 

 そうして俯いていると、隣で横になっていたギャラハッドが目を覚ました。

 まだ顔色は良くない。

 

 

 

「…………————ここは………ッ! …………ッぁ」

 

「傷に障る。君はまだ、本来なら横になるべきなのだ」

 

 

 

 飛び起き、その反動で脇腹を抑えたギャラハッドに、アグラヴェインは簡素に告げる。

 あぁ——女ではないと確信している者にはこうも容易く言葉が出るのか。

 思わずアグラヴェインは、皮肉げに表情を歪めて自嘲する。

 これでは、女という存在にうつつを抜かしているのはランスロットではなく、己そのものではないかとすら思えて来た。

 

 

 

「あれから、どうなりましたか……?」

 

「……………」

 

「……アグラヴェイン卿?」

 

「いや、何でもない。

 ここはブリテンへの帰路にある船舶の上。ローマ帝国とは勝利した。剣帝は陛下が討ち倒し、殺した。此方の被害は極小。考えうる限り最大の戦果と最良の結果を以って、我らは勝利した」

 

「…………あれから——あれから陛下は、単独でルキウスに勝利したのですか」

 

「あぁ。何があったのか誰にも分からないがな。ただ言えるのは、陛下は人類では太刀打ち出来ない程の何かを溜め込んでいるという事と、それを人の形に収めた以上、何か反動か代償があると言う事だ」

 

「…………………」

 

 

 

 体を起こし、しかし何かに打ちのめされているギャラハッドを、アグラヴェインは遠い瞳で眺めていた。

 

 

 

「ダメなのか。僕では、ダメなのか。結局最後が………届かないのか」

 

「さぁ、それは分からない。届かない可能性の方が大きいだろう」

 

「………………」

 

「彼女もまた、常に空へと飛翔しているのだから」

 

「————………え?」

 

「あぁ………君もか。君も陛下が少女であると気付いているのか。もう驚かんよ、私は」

 

 

 

 周囲に人は疎らでほとんど居ないが、声を顰めながらアグラヴェインは疲れたように言う。

 

 

 

「手など届かない。彼女の隣には誰もいない。

 彼女ではない誰かが彼女を隣に置いて、自分の隣には彼女がいると、そう勘違いしている者はいるかもしれないがな」

 

「……………」

 

「このままでは余計に届かなくなるだろう。次の王は…………」

 

 

 

 ——彼女かもしれないのだから。

 そう口にしようとして、それが形にならない。口にしてはならない。

 何故なら、王の玉座を——魔女に明け渡す道具だった彼にとって、その言葉を口に出来ない。

 

 

 

「——————……………」

 

「アグラヴェイン卿………?」

 

「ギャラハッド。君に………頼みが、ある」

 

 

 

 今更気がついて血の気が引くような、表情が抜け落ちたような、そんな表情となってアグラヴェインは告げる。

 何故なら、自分しか分からないから。あの魔女の脅威と、その魔女が放った、もう直ぐ側にまで来ているチェックメイトの一手を知るのは自分だけだから。

 ——チェックメイトの役割を持つ少女が、心身共にどれほどの脅威と影響力を持っているのかを、彼は一番近くで知り続けていたから。

 

 

 

「君が……」

 

 

 

 "……私に私欲がないと言いたいのですか? まさか。私には私欲しかありませんよ"

 "もう、夢を見るのはやめにしよう。理想を目指すのは終わりにしよう"

 "…………そんなだから周囲から嫌われ、損な役回りを押し付けられるのですよ"

 "私は絶対に貴様らの死は無駄にはしない"

 

 

 

「君、が……………」

 

 

 

 "……でしょうね。厳しい冬の時代。僅かな予断も許されない戦乱の時代。無意味な責任追及に傲慢な責任転嫁と、嗜められていた諸侯達は我先にと賛同する"

 "ハン。馬鹿馬鹿しい。そんな存在など誰も求めていない"

 "私は………他者に甘い……"

 "私はこの場から逃げる者を追いはしない。勝手に逃げていろ"

 "私は………自分に一番厳しい……"

 "後悔もさせない。させるものか。私だけは必ず、最後まで立ち続けてみせる"

 "私が、刹那的…………?"

 "だから——私の為に死んでいいと思える者だけ、私についてこい"

 

 "…………復讐…………ですよね。私は"

 

 

 

「君が、十三番目の席に、座り直してくれないか」

 

 

 

 顔を覆い、俯いたアグラヴェイン卿の表情が何だったのか、ギャラハッドは確認出来なかった。

 

 

 

 

 




 
 多分今年中でFate/zeroに入る気がする。
 

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