少し短め、7千字。
ヴォーティガーンが倒されてから、まだ一週間も経たない頃。
かの卑王ヴォーティガーンを倒したアーサー王は一度、自身の居城としたベドグレイン城に戻り、ヴォーティガーンを倒したのだと、国全体に向けて発信した。
この情報に国は沸き立ち、騎士や人々はようやく救われたのだと、平和な生活をこれから送れるのだと歓喜し、蛮族達はその勢いを急速に落とす事となった。
そして、アーサー王は崩壊した城塞都市ロンディニウムを復興させ、新たなブリテンの要にし、自分の居城はこの城にするのだとも発信した。
たった一年で、ロンディニウムを完全に、しかもより豪華絢爛な白亜の城にするのだという情報は国を駆け巡り、人々を沸かせた。
そして白亜の城キャメロットが出来たその日には、凱旋式と即位式を行い、正式にブリテンの王になるのだと情報も人々を沸かせた。
そして、今。
モルガンは崩壊したロンディニウムに足を運んでいる。
時間は早朝。日の出が出てからすぐに、彼女は自分の居城から出ていた。
アーサー王達とその配下達は、今現在の居城であるベドグレイン城にて、戦いの傷を癒している。まだロンディニウムは戦いの爪痕によって荒れ果て、廃墟と言っても変わらない有様であり、この城跡にいるものは誰一人としていない。
ブリテンを脅かしていた魔王。そう言っても過言ではない卑王ヴォーティガーンをようやく倒す事が出来たのだ。
誰も彼もが勝利に沸き立ち、すぐにでも家族や友人に世界は平和になったんだと伝えたいことだろう。
そして戦いに明け暮れていた日々から離れ、体を休めたいと思うだろう。騎士達はもうブリテンを脅かす敵がいなくなったのだからと、明らかに気を緩めている。
アーサー王も騎士達を休めたいと思っているに違いない。
それ故に、今このロンディニウムには誰もいない。もう少しすれば、この城を復興させる為に騎士達などは来るだろうが、後しばらくは、少なくとも今日中は誰もこない。
だからこの城跡で何しようがバレる事はない。魔術の痕跡を残せばバレるかもしれないが、消せば良いだけ。今からやる事は、普通は気づかれない。
マーリン位には気づかれる可能性はあるが、気付かれるよりも早く事をなせる。
気付かれても、もうマーリンではどうしようもなくなる所にまでなるだろうし、相手側からしたら意味が分からないだろう。不気味さを煽って警戒度は上がるかもしれないが、好きなだけ警戒して消耗すればいい。
こちらからはまだしばらく仕掛けるつもりがないのだから。
ヴォーティガーンはもう死んだ。復活させる事は出来ない。
しかし魂はこの世界から消えようと、肉体のみは現世に残る。その肉体もブリテン島に溶け込んでいるが、ヴォーティガーンと同じ力を有する者なら、肉体のみをこの世界に再び移しだす事は造作もない。
その為、ヴォーティガーンが死亡した影響で一種の龍脈と化したこの土地から、ヴォーティガーンを引き出す事にした。このロンディニウムの土地そのものが強力な縁となる。ここ以上にヴォーティガーンを蘇らせる事に適した場所はない。
マーリンからしたら、同じ力を持つヴォーティガーンを蘇らせた所で、余り意味は無いと思うに違いない。事実それは正しい。私からしたら精々、竜の素材が手に入るくらいで切り札にまでにはならない。
竜の素材があってもアーサー王の復讐の道具にできるとは思うまい。
だがそれは私からしたらの話であり、あの子は違う——
思案をよそに、彼女は廃墟と化したロンディニウムの城下を進み、中心に聳え立つロンディニウムの玉座まで進む。
玉座は荒れ果て、崩れた城塞の隙間からは太陽が見える。ただ一目みるだけでも激戦だったのであろうと窺える有様だったが、彼女は何の関心も持たず、玉座があった広間の中心に立つ。
彼女は跪いて地面に、水銀を使い魔法陣の術式を刻み始めた。
五角に、六角と、多数の紋様を浮かべた陣を床に刻み込み、歪みがないかどうか確かめながら、形を作っていく。
魔法陣自体は、ものの十数分で出来上がった。
彼女は魔法陣に魔力を流し込み、詠唱の呪文を言祝ぐ。
大気中のマナをその身に取り込み、モルガンが有する魔術回路が、駆動していく。
それと同時に魔法陣が光り、輝きを増していった。
辺りを支配するのは、吹き荒ぶ風。そして稲光。
目を開けているのが、厳しいほどの光の中、魔法陣の光が最高潮に達する。
そして、旋風と閃光が走り一匹の竜が城塞都市の玉座。その跡地に顕現した。
鱗は黒く、血管が浮き出たような赤雷の如き赤い線が体を支配している。
魔竜と言われるだけの出で立ちを誇り、魂が消え去ったただの抜け殻だというのに、その威圧感を未だ保持している化け物。
……これにアルトリア達は勝ったのか……
思わず、そうモルガンが思ってしまう程にその魔竜は荒々しく、また禍々しかった。
しかしそれでも、所詮は抜け殻。この竜の機能は、何一つ損なわずあの子の物になる。アーサー王すらも上回る可能性を持った竜の化身として生まれ変わるのだ。
彼女は魔竜の抜け殻から、必要な竜の臓器や機能を魔術でその部分だけ抜き取り、魔術回路の一つとして魔力に変換して、自分の居城に運ぼうとする。
彼女もヴォーティガーンと同じ力を有するのだ。
一度自分の体に変換してしまえば、後は何処へなりとも自由に持っていける。
そうしてモルガンは魔竜に手をつけようとして、これから自分がやる事を深く認識して、彼女との一年間を思い出した。
彼女と一年間暮らしていたが彼女は普通ではない。才能と歳不相応な精神性、その両方が。才能に関して言えば、彼女はもの覚えがいい。良すぎる。
こちらには、文句を何一つ言わず、砂場に水をばら撒いているように知識を吸収し続けた。
しかもそれをほとんど忘れないと来た。
1を見て10を知るならまだ良い。それくらいなら世界にはそれなりの数がいる。才能がある天才で方がつく。でも彼女はその10をずっと保持し続けているのだ。溢れる事なく、ずっとひたすらに知識を吸収し続けている彼女。
彼女の頭や脳は一体どうなっているというのか。まるで自分の脳内に変換して、焼き付ける様に物事を覚えていくのだ。
天才、鬼才、秀才。
どれも彼女を表すには足りない。
ただ一言だけ——異常。
そういう表現が彼女には相応しかった。そしてそれを支える精神性も、また異常。
彼女は一年間、一度たりともまともな感情を表に出すことがなかった。一回もだ。ひたすら無垢にこちらからの情報をその身に写し込む様に吸収し続けた。
怒りや悲しみ。
少しくらい負の感情を表に出すかと思っていたが、何もない。アルトリアが浮かべる様な笑みもなく、ひたすらに無感情。そして無機質にして硬質。
あの子が、ただアルトリアと同じ顔をしているだけの、心ない人形なのではと思った事も一つや二つでは利かない。いや……時々、感情の様なモノを出している様な事はあった。
朝に何かを夢に見たのかもしれない。
本当に時々。
朝、彼女と会って会話する前の瞬間。私が広間に来るのを待っている瞬間。その時に彼女から隠しきれずに、染み出す様に出てきた感情の一部を見た事がある。
心の底から……
——笑っていない子供がいた。
その瞬間、彼女は何も顔には浮かべていない。
ただわずかに顔を俯かせ、微動だにせず一点を見ている。いや、見ているのではなく、ただ目を開けているだけなのだろう。初めて会った時の様に。
しかし彼女から出ている雰囲気は、決して、初めて会った時の様な物ではなかった。
静かな佇まいながら、思わずゾッとする様な、光なき瞳。
実際に内側で燃えているであろう、黒い炎を滾らせながら、しかしそれを一切顔に出さない。
凍てつきながら、何よりも激しく燃える感情を、能面の様な表情の裏に隠している。
まるで、底の見えない穴を覗きこんでいるようだった。
彼女の瞳をずっと見ていたら——飲み込まれてしまいそうだと感じた事は何回もある。
でも私の存在に気がつくと、彼女はいつも通りに戻る。
その急変に、微かに動揺した事もある。
目の前の子供は、見た目だけの化け物なのではないかと。
この一年で、アルトリアと重なった事は一度もなかった。アルトリアの形をしている、ナニカとしか思えなかった。
でも……あの子に対する印象が変わったのは、ついこの前の事だ。ヴォーティガーンが倒されたと告げたあの日。
彼女が私の言葉に反応すると、時々見せる様な、感情を隠した顔に変わる。そして彼女は、その良く出来た頭で、未来予測を語った。本当に第三者の視点から見た物で、彼女の私情は皆無。恨み事一つも呟かない。呟いて欲しかった。
だから、私は一つ踏み込んだ話をした。
彼女は拾った一年前から、常に等しく同じ感情を保持している。
彼女の時間は私が拾ったあの瞬間で、死んだも同然な程、完全に停止しているのだろう。
時々、彼女が内に秘めているものを量ろうとしているが、今までそれを引き出せた事はない。
彼女の……その表情を……あまり見ていたくはない。
そう思いながらも、私は彼女の思いの大きさを確かめようとしていた。
そうして私は、初めてあの子の心に触れた。
一年以上一緒に過ごして、多分初めて見た、あの子の人間としての部分。
人としての心。
あの子が、思わず、見せてしまった——弱さ。
"……感情か……正直に言うなら、私はアーサー王と対面した時、どうなるか、分からないんだ"
"私はアーサー王に、会った時、正気を保っていられるのか……どうか。
それに私はアーサー王に復讐を果たしたとしても——きっと救われる事はない"
"仮に、私がアーサー王に復讐を果たしたとしよう。それで、その先、私はどうすればいいのか……"
"村のみんなが、帰って来る訳でもない……"
彼女が思わず呟く様に出した、彼女の本心。今でも一語一句。正確に思い出せる。
あの時の、あの子の顔。
あの時の、口調。
いつもの動静が抜け落ちた亡者の様な顔ではなく。
あれは——
——迷子になった子供の顔だった。
どこに行けばいいのか分からなくなって、頼れる人もいなくて、でも泣きながら助けを乞う事も出来ない。そんな子供。それがそこにはいた。そんな子供が、急に現れたのだ。今でもあれが、彼女の本当の姿なのかは分からない。
彼女の矛盾した二面性を私は推し量る事が出来ない。
……それに、私は彼女の過去をさっぱり知らない。
あの村での出来事。
あの村で過ごした日々。
それを私は知らない。
彼女は言った——復讐を果たしても、自分は救われないのだと。なら彼女をあそこまで突き動かしているのは、一体なんなのか。
私は知らない。私は彼女の過ごした日々を知らない。私には彼女の心情を正確に推し量る事が出来ない。でも一つだけ、彼女に言える事がある。
——それでも彼女はまだ、もがき続けている。抗い続けている。
迷子になっても、暗がりの中でただ一人だけでも。復讐ではないナニカの為に。己の全てをかけて。あの村に、何もかもを置き去りにしたまま。
彼女が見せてしまった、自分の全てを燃やしつくし燃料に変換していく様な激情を感じて、思ってしまった。多分私は、彼女に対して、自分が思っている以上にあの子の事が気に入っているのだと。
いいや……
——自分の娘として、彼女の事が気に入っているのだと、ようやくあの時に気づいたのかもしれない。彼女の事を、私は……愛しているのかもしれない。
そう思ってしまった。
そう思ってしまう程だった。
彼女が見せた、あの弱み。それを取り除いて上げたい。
彼女の泣くのを堪える様な顔を見たくない。
彼女の……笑った顔が見たい。
そう、本気で思ってしまった。
……自分でも思わず笑ってしまう。余りにも馬鹿げているからだ。
この子は自分の復讐対象の、あのアルトリアと同じ顔なのだ。アルトリアに対する決心が揺らぐ可能性があるというのに……それでも思ってしまった。
……もしかしたら自分は、他人に飢えていたのかもしれない。
ふと思えば、私は生涯ずっと一人だった様な気がする。父親のウーサーはアルトリアとブリテン島の事しか考えておらず、母親は私が生まれてから行方を晦ました。
自分の三人の子供は、生まれてすぐロット王の元に帰り、アグラヴェインとモードレッドに関してはアーサー王しか見ていない。
自分以外の誰かと、一年以上も過ごしていたのは、この子だけ。
しかも、自分に従順で、物覚えも良い。
私と同じ、いや少し違うかもしれないが、同じ志を持った同志で……もしかしたら私よりも激しい、負の感情をその身に宿し続けている。
彼女の、その感情をこの身で感じて、私は比べてしまった。
そういえば……
——私はなんで、復讐しようと思ったのだろう——
私は、彼女の様に、自分の命を賭けても守りたい何かを奪われた訳でもなければ、自分の大事な尊厳を傷つけられた訳でない。
家族を……亡くした訳でもない。家族と思えるモノなんてなかった。
私は、王になれなかった。
——いや、そもそも私は王になって、何がしたかった? なんで、私は王になりたかった?
私は、愛されなかった。
でもそれは、アーサー王が——アルトリアが奪ったからとは違う気がする。
果たして、アルトリアは愛されていたのだろうか。アルトリアも、愛されてなかった気がする。私が復讐する相手は、ウーサーだった?
でも、もう、ウーサーはいない。私は感情の行き場を、失ってしまった。
そうか……私は……——救われたかったのか。
誰かに救って欲しかった。私は、この感情にけりをつけたかった。
私は、復讐すれば、救われるものだったのか——
でもあの子は?
あの子がどうしようと、過去には戻れず、彼女の家族は戻ってこない。
……彼女は救われない。彼女が失った物を取り戻せる日は来ない。
——それでも、彼女はやると言った。たとえ精神が歪む可能性があろうとも。
私が求めていたのは……精神性だ。私と同じ目的を持つもの。そして竜の意識すら調伏させ、支配下に置けるくらいに強き心を持つもの。
私が作るホムンクルスでは、恐らく耐えられない。
耐えられる精神を持つくらいのホムンクルスを私が作れるなら、モードレッドはあんな事にはなってない。でも彼女なら、きっと耐えられる。耐えられるかもしれない……けれど——彼女はもう戻れなくなるのだ。
彼女は、人間ではなくなる。人間の形をした、竜の化身。
つまりは、私は——ウーサーと同じ事をするのだ。
私は、あの時、彼女が躊躇するのを期待していたかもしれない。私は躊躇した。彼女を、復讐の道具にするのを。自分の"娘"を修羅の道から戻れなくなるのを躊躇した。
——それでも彼女はやると言った。
彼女自身が、これからやる事の重大性を理解出来ていなくて、何も考えず頷いた訳ではないだろう。彼女は最初から、ずっと言っていた。私に選択肢はないと。それ以外に路はないからと、彼女はもうずっと前から覚悟を決めている。
決めていないのは、私——
一体どれほど思案していたのだろう。
意識を思考の渦から引き戻してみたら、ここに訪れた時よりも太陽は上がり、自分の真上にまで上がっている。
必要以上に時間をかける必要はない。早く事を済ませて帰った方が良い……私も覚悟を決める時だ。私は言った筈だ。彼女の願いを叶えると。彼女の道筋を、全力で祝福するのだと。
——その果てに救いがないのだとしても、私は見届けよう——
モルガンは魔竜から、即座に必要な分だけの機能を抜き取り、本当に抜け殻になってしまった魔竜を塵に還す。これでもう、後からこの場に誰かが来ても、誰も気が付かなくなった。
気付けるのはモルガン並みの魔術師であるマーリンだけ。そのマーリンもしばらくは気づけない。彼女は用がなくなったロンディニウムから踵を返し、自身の城に舞い戻る。
彼女を迎え入れてくれたのは、自分が一年前に拾った子供。
今までは、自分を待ってくれている人などいなかった。もちろん自分と彼女の関係は家族ではない。殺し屋とその道具。この関係はあの日からずっと変わらない。
「私の準備はできてる。そっちは?」
彼女が私に向けている二つの瞳には、強い信念が窺える。
何事も退ける信念を宿した、表情。
誰にも穢せないだろう、強き瞳。
"か弱さや儚さとは無縁の、強い意志を見る者に感じさせる碧眼"
今まで一度もアルトリアと重ならなかったがこの瞬間だけは、その信念の方向性が違くとも、妹が浮かべる不屈の闘志を宿したそれに感じてしまった。
……もし戻るならきっとこの瞬間。
目を閉じて、今までの一年、そして、彼女に出会うまでの生涯を思い浮かべる。今までの出来事全てが、瞬く間に頭を流れていき、そしてそのまま通過していった。様々な事を思い返してみて、私は——気付く。
私は別に何かを失った訳じゃなかった。
ただ何も得てなかっただけ。
そして唯一得た、目の前の子供。
「(彼女に近づくなら責任を取れ、か……思いのほか、親になるのって難しい事だったのですね)
あの日、村の誰かの怨念が言った言葉。私はそれを甘く見ていたという他ない。
もしかしたら、あの日——あのまま死んでいった方が救われたかもしれない彼女を、私は、修羅の道に引き込んだ。なら——その責任は取ろう。
「——えぇ、こちらも準備は出来てる。貴方はただ眠っているだけで良い。私に任せなさい」
彼女の道筋を、私は、祝福するのみ。
私の内側に燃える炎を和らげてくれたこの子に
私の感情の行き場に一つの解答をくれたこの子に
私に——救いの光を見せてくれたこの子に
どうか願わくは
彼女の生涯に
一片の救いと希望が
ありますように
私は、そう、祈るのみ。