騎士王の影武者   作:sabu

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第80話 月に同情は必要なく 後編

 

 

 

 突きつけた剣に震えはなかった。

 その気になれば、そのまま剣は振り翳せる。実際に他者を斬り伏せた事もあるのだ。

 故に戸惑いはなく、円卓の中では実力者として名を馳せた事がないだけで、彼は傷知らずのアグラヴェインと呼ばれた実力者。

 背後を完全に取ったこの姿勢なら彼の勝利は揺るがない——

 

 

 

「それで、どうしたのですか」

 

「………………」

 

「剣を突きつけたままの姿勢で黙っていられては、私としてもどう反応すれば良いのか分からないのですが」

 

 

 

 しかし、それは彼女を前にすれば悉くが塵芥(ちりあくた)と化す。

 両手を上げ、降参したような姿勢の彼女。絶対的な有利。完璧な間合い。その当たり前の道理が当たり前のように通用してくれるなら、かの騎士はアーサー王と同じ呼び名、竜の化身とは呼ばれなかった。

 ならば、もしも本気で彼女をここで始末するつもりなら——そもそもこんな簡単に対処されるだろう事ではいけないのだ。

 

 

 

「…………正直に言うなら、私は、君とだけは敵対したくなかった」

 

 

 

 目の前にいる一回り以上も小さい少女は人の形をした竜。人智を凌駕した天災の具現。十三番目を冠する、災厄の象徴。

 己が勝てる道理などないと、アグラヴェインは理解している。

 しているのだ、アグラヴェインは。していて彼は、こんな事をしていた。

 

 

 

「そうですか。私もです。貴方とだけは敵対したくありませんでした。そもそも腹の探り合いすら忌避しています。兼ねてより、鋼鉄のアグラヴェインの逸話は知っていましたから」

 

「それは、モルガンからか」

 

 

 

 嘘偽りなど許さないとばかりの声色に対しても、彼女は心を乱していなかった。

 当然だろう。この少女がどれだけの清濁を腹に溜め込んでいるのか。それをアグラヴェインは知っている。彼女のそう言う側面を一番隣で見て来たのは、彼だった。

 この程度で気配を変えたり、言葉に表すような人だったら、彼はここまで入れ込んでいなかった。

 

 

 

「言葉と結果を逸りますねアグラヴェイン卿。相手のペースを崩す前に自らのペースを崩すとは貴方らしくもない。

 私に焦りを晒してしまっては、言葉の交わし合いで有利を取れないでしょう」

 

「君のそれも、モルガン仕込みか」

 

「…………まぁ、はい。モルガンからです。奪われる前に奪えと、そう教わったので」

 

 

 

 温情か、彼女は素直にその忌み名を正直に口にした。

 これで確定した。してしまった。

 もしかしたら………なんて考えは消え失せる。彼女はモルガンの手の者だったと。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 その時、不意にアグラヴェインを襲ったのは——悲しみだった。

 剣を握る手が緩みそうになる。肩から力が抜けそうになる。

 足場が崩れ去ったような感覚に陥る中、アグラヴェインはただ、心の中で悲しんだ。

 それは"彼"が女性だったと気付いた時には思わず、そもそもアグラヴェイン自身がまず抱く事のなかった感情。

 それは何だろう。裏切られた、という絶望か。裏切りなんて言う、そんな事に悲しみを感じる事が出来たのか、とすら自問自答する。

 

 認めよう。今なら分かる。

 彼女だけは違うと、そう信じたかった。

 

 

 

「それで、私をどうするのですか? 貴方は」

 

 

 

 しばらくの硬直。

 気付けば彼女から言葉を投げかけていた。

 

 

 

「一応、私と会話を(こころ)みる気はある………筈ですよね。そうやって私に剣を突きつけているだけに留まっているのですから」

 

「………どうかな。君の戦闘力を考えれば、不意を仕掛けたとしても難無く反応するだろう。人域の埒外にある直感と、それを成す破滅的な戦闘力を以って。

 そもそも私が取れる手段はこれしかないのだ」

 

「成る程。確かに、いきなり命を狙って斬りかかられては私も対処せざるを得ません。

 だからこうやって、誰も連れずに一人で来て、敢えて正面から来ているのですね」

 

「…………………」

 

「貴方の粛正騎士全てを私に向けても、恐らく私が勝つ。

 私の攻撃を一撃でも対処出来ないのなら、練度の高い騎士でも、騎士成り立ての一般兵でもそう大差はない」

 

 

 

 事実だった。

 竜からすれば、腕を振り上げて叩き付けるだけで全てが終わる。その腕の下にいるのが誰かなど関係ない。だから竜に抗えるのは英雄だけだ。

 しかし、それはそれとして竜からすれば有象無象であろうとも、数を集めれば敵意が伝わる。ならば敵意を把握した竜は、その腹に溜め込んだ力を解放し、英雄すら殺す竜の息吹を以って周囲を焼き払うだろう。

 

 竜の逆鱗に触れてはならない。

 人の形をした竜に、その一歩を踏み出させてはならない。

 

 

 

「用心深い貴方の事だ。サー・アグラヴェインが死んだら、それはサー・ルークが叛旗を翻したからである。と言うような遺書を自らの私室に残して来ているでしょう」

 

「…………………」

 

「いえ。これは関係のない話でしたね。私は貴方を手にかける気はない」

 

「今からここで斬りかかっても、というのか」

 

「そうですね…………もしもそうなったら、私はただ逃げるしかない。貴方が私に剣を振り下ろして来たら、もう貴方を説得出来ないでしょうから」

 

 

 

 手を上げ、納得した様子で彼女は告げる。

 彼女に未だ敵意はない。それどころか、彼女は真摯だった。

 

 だから——いっそ分かりやすく敵対してくれと願う自分がいる事にアグラヴェインは気付いた。

 彼女が最初からそうであったのなら、心を鋼鉄にするのみ。アグラヴェインは揺らがない。彼は鋼鉄にして、傷知らずなのだから。今までも、これからもずっと。

 

 

 

「その余裕はなんだ。

 この状況に追い込まれ、後一歩で今までの全てが台無しになるかもしれないと理解しながら、どうしてそこまで余裕が持てる」

 

「さぁ………どうしてなのでしょう。私も少し、驚いています。

 いずれこうなるだろう、と思っていたのもありますが、貴方なら——もしかしたら私を信じてくれるのではないかと、そう考えているからかもしれません」

 

「………ッ」

 

 

 

 今はっきり気付いた。

 この少女は魔女だ。モルガンが悪意を振り撒いて周囲を腐らせていく魔女なら、この少女は善意で他者を縛りつけて内側から壊して来る魔女だ。

 どちらの方がタチが悪いかは、今の現状が告げている。

 

 アグラヴェインは思わず、突き立てた剣に力を込めた。

 それをしたのはきっと、彼女が怖かったからだ。

 

 

 

「…………ですがまぁ、貴方からすればそれは関係ない。

 私の全てが信じられないでしょう。私の全てが疑わしく見えるでしょう。もしここで敵対しても、私が勝つ。故に私は始末出来ない。

 それ故の余裕。私の言葉も全て、裏と表を使い分けているだけなのだと」

 

「何を。君は裏表ではないだろう」

 

「あぁそうでした。私達はそうでしたね」

 

 

 

 他の、そう言う役回りの騎士が裏の顔と表の顔を使い分ける中、二人は違った。

 裏と思わせて表。表と見せかけて裏。裏の顔のまま表の事をする。その逆も然り。底の見せないやり口を通じて、何も信用させず疑心で縛り付ける。

 得体の知れない者同士、そうやって生きて来たのだ。

 

 

 だから、自ずと気があったのかも知れない。

 

 

 だがそれは、同じ場所を見ていた時だけ。

 今は、互いが互いの顔無しを覗き合いながら牽制している。

 だが彼女は、今までの素の表情すら仮面だったのかも知れなかった。本心に仮面を貼り付けて来たまま生きて来たかも知れない。それが嘘にしろ真実にしろ、見破る事は出来ていない。

 

 

 

「どうしましょう。このままだと、最後の一線を互いに測り合いながら、冷戦状態に突入しそうですね」

 

「冷戦か…………ハ、成る程。君だけが生殺与奪を握りながらの冷戦か」

 

「………………」

 

「君がその気になれば私は死ぬ。君は永遠に無手ではない。無から剣を作り出せる以上、君は常に戦闘態勢だ。

 いや……今の君なら剣すら要らないか。素手で事足りるだろう。今こうして交渉の場に居るのは、君からの温情があるからだ」

 

「それはまぁ、そうですね。結局のところ、私は如何なる状況からでも他人を殺害出来る能力と力を保有している。

 貴方からすると私以上にやりにくい人もいないのでしょう。

 私も貴方の尋問を間近で見た事がありますが、卿のは敵を椅子に束縛し、一つずつ心を折るというやり方ですからね」

 

「あぁ、本当に恐怖しかしないよ、君は」

 

 

 

 ほぼほぼ拷問と言っても特に問題はないだろう、アグラヴェインの尋問。

 だが大前提として、一方的に尋問するには、相手がどうやっても反抗出来ない立場に落とす必要がある。しかし彼女にはそれが通用しない。出来ないからだ。

 精神的な面ではなく、物理的な問題で。

 無から剣を作り出す、彼女が投影魔術と呼ぶその術理。瞬間的に竜の如き力を及ぼす魔力放出。彼女の一挙手一投足全てが、人間を死に至らしめる事は容易だ。

 武装解除不可能というその実態が、どれ程に脅威なのかは語るに及ばない。

 

 剣を突き立てて相対出来ているというだけで、もう奇跡の領域だろう。

 か弱い少女にしか見えない肉体に、包帯が巻かれて病人にしか見えないその両腕でも、人を数百数千と殺戮しても尚釣りが来る力を秘めているのだ。

 それが、今は自制しているだけ。

 無論、彼女は停止と起動を繰り返す殺戮機構ではない。こうして人間の範疇に己を留めている人型だが、言葉を交わしているだけで真意や感情を見透かされていくような感覚をアグラヴェインは味わっていた。

 

 

 

「もう、何一つ届きそうにはありませんね」

 

「…………………」

 

「こうやって言葉に応じてるのも、アグラヴェイン卿を懐柔する為。剣を突きつけられても平静なのは、そもそも剣を放っても私には届かないから。私が余裕なのは、私が全てを脅威だと認識してないから。

 如何なる言葉も、この人物なら詭弁に出来る。嘘を吐く素振りも見せず。

 そうでしょう? アグラヴェイン卿。貴方は今、その考えで行き詰まっている」

 

 

 

 彼女の言葉は事実だった。

 なにせ、アグラヴェインはもう何もかもが信じられていなかった。

 どうして信じられないかは、彼女が今語った事が理由でもあるが、それ以上に——もう裏切られたくないと、僅かにでも思っているからだろう。

 

 だから早くその本性を曝け出し、やはり女などと、やはり魔女の手先だったのだと、完全に失望させて欲しかった。傷知らずのアグラヴェインとして、割り切らせて欲しかった。

 前提は壊れ、砕け、今ある事実すら、その土台から嘘偽りだったのだと、醜く見せつけて欲しかった。

 こうやって剣を突きつけられながら真摯に答えてくれるのも、彼女ならこんな凶刃など意にかけないからだと、そう心の何処で思っている。

 

 

 

「信じて貰えないのは仕方がありません。私は今まで周りの何もかもを偽り通して来た。

 他人を真似て自分自身を消す。そんな才能が私にはあったのでしょう。そんな私が、今更自分を表しても信じて貰える訳がない」

 

「………………………」

 

「……じゃあ、信じてくれなくても良いので——ただ私からの話を聞いてくれませんか? 何か疑問があったら、その都度質問しても構いませんので」

 

 

 

 安心させるように、彼女は柔らかな声色で口を開いた。

 

 

 

「確かに私はモルガンの手のかかった者。モルガンの最後の子供。モルガンの娘です。ただ、血は繋がってません」

 

「————は……?」

 

「えぇ、繋がっていないのです。

 ………正直、信じて貰える訳とは思っていない。何なら事態を混乱させるだけの詭弁にしか思えない。私ですらそう思う。

 ですがこれは、貴方には言わなければならないなと。嘘や誤魔化しをせずに言わなくてはならないなと、そう思いました」

 

「………………」

 

「あまり気にしなくて構いません。

 もしかしたら私達は案外近縁の者で、偶然私の代で血の影響が濃く出てしまったなんて可能性はありますが、まぁそう言う運命だったのでしょう。きっと」

 

「なら………何故君はモルガンの下にいる。何故君はモルガンを嫌悪していない」

 

 

 

 アグラヴェインからの冷たい問いに、一度だけ悩んだ後彼女は告げた。

 

 

 

「まずは前者からですが、私はモルガンに拾われた。

 そして彼女は私を養子にし、私は彼女から、受け継げる全てを受け継いだ。

 後者ですが………少し複雑ですね。養子で彼女の血を継ぐ息子や娘ではなかったから彼女を客観的に見れた。特に私はモルガンに対し、私的な感情を抱いてなかった、というのもある。

 ですが多分、それは私がモルガンをどう思っているかの一部なだけで、きっと大部分はそこじゃない」

 

「………………」

 

「確かにモルガンは、私と出会った時から既に魔女だった。貴方達が嫌悪し、アーサー王の失墜を望む妖妃。手段を選ばない復讐の幽鬼。傍から見れば相容れない。

 貴方の言い分も分かります。アグラヴェイン卿が言うように、彼女はブリテンを統べる王にならなければならないと、そう告げていた」

 

「…………………」

 

「ですがそれでも。私が彼女に命を救われた事実だけは変わらない」

 

 

 

 命を救われた。

 途端にアグラヴェインは幼い頃の彼女を思い出す。

 彼女がキャメロットを訪れたのはまだ十にもならない時。そして同時に、その時から彼女の精神は完成されていた。なれば、自ずと答えは出る。

 

 

 

「別にこの戦乱の国では珍しくない。私は戦争孤児だった。

 しかし、私はある一点だけが特別だった。私は、アーサー王に焼かれた村の生き残りだった。だからきっと、私はモルガンに拾われた」

 

「——————……………じゃあ何だ。君は、アーサー王に復讐に来たのか。君がモルガンの役目を代わりに果たしに来たのか」

 

 

 

 この問いだけは嘘偽りを許さない。答えによっては、此方も然るべき対処をしなければならない。たとえ、何があろうと。

 そう意識を込め、アグラヴェインは彼女を見定める。

 

 彼女は、僅かに俯いていた。

 そして悲しそうに告げた。

 

 

 

「………違う。と断言したいのですが、きっと最初はそうだったかも知れない。

 私が始まったのは怒りからだった。理不尽に対する、この世の全てへの慟哭からだった。だから私はモルガンにも同調出来ましたし、彼女の思いにも共感できた。荒れ狂うモノを」

 

「それで………キャメロットに潜入したと」

 

「はい。少し、悩んだ結果。

 ですが私はモルガンとは違って、私の敵はあの所業を無かったモノにする全てだった。私には明確な敵がいない。モルガンにはアーサー王という目標があったが、私には何もなかった」

 

 

 

 一瞬、底無しに空虚な孔を見たような感覚がアグラヴェインを襲う。

 きっと、今の彼女はゾッとするような無表情なのだろう。彼女は駆り立てるように告げる。

 

 

 

「だから、何もかもが腹立たしくて仕方がなかった。

 アレを引き起こした者。その元凶を作り出した者。救われた者。悉く全てが私を燃やしていた。何故私達が。何故お前達が。ふざけるな。そんなのは許せない…………なんて。だからまぁ、私はブリテンの全てが憎かった。

 たとえブリテンの全てを滅ぼしても、その事実は私を通り過ぎる。全てを呑み込んでも、特に何かが満たされる事はない。それだけです、私は」

 

 

 

 語る言葉は彼女らしくはなく、理路整然と纏められてはいない。

 当事者の彼女にとっては、まだ燻るモノなのだろう。彼女からすれば、まだ十年と経っていない年月の話だ。だが彼女は、それを通り過ぎている。

 そうでなくては、どうして彼女は悲しそうに、自制するようにそれを語るというのか。

 

 

 

「それでも、その矛盾を抱えながら私は、アーサー王を試していたのかも知れない。

 あの日の所業が忘れ去られていたのなら、全てをかけて私は思い出させてやるぞ、と。

 だからもしも、何かの手違いがあればブリテンの全てを敵に回す覚悟を決めた私が居てもおかしくはない。

 そう言う点で言えば、私はアーサー王への復讐をやめただけの復讐鬼でしょう」

 

「ならば、今の君は何だ」

 

「なんでしょう。ただの天秤でしょうか」

 

「何がきっかけだ。

 そこまでのものを、何故ゴミ当然のように捨てられる」

 

「貴方だって、必要とあらば捨てられる」

 

「まさか、私は——」

 

 

 

 捨てたのではない。得たのだ。

 そうして、ようやくアグラヴェインは気付いた。

 自分はアーサー王から救いを得て、彼女は、救いを得なかったのだと。

 

 

 

「………………」

 

「アーサー王と一対一で話をした事がある。それで、諦めや踏ん切りがつきました。あぁ、やはり違ったなと」

 

 

 

 それは、やはり自分の敵ではなかったと言う意味。

 彼女は最初から、アーサー王を知っていたのだ。ただ確かめただけ。それは自らの価値観が変わるような、変革の時ではなかったのだろう。

 

 決定的な違いだった。ガワが似ていても、自分と彼女は根本の部分がまるで違う。

 だから、彼女は躊躇いもなく捨てられたのだ。

 何も得ていない。救い上げられてもいない。幼き頃より魔女の呪詛を浴び続けた影響で、人という存在そのものを嫌悪していた騎士が、少年王に会ったのとは違い——

 

 

 

「………………」

 

 

 

 アグラヴェインは言葉に困った。

 アーサー王と彼女のみが相対した日。正確に何があったかは分からない。

 しかし、彼女は諦め、アーサー王は彼女を理解したのだろう。元々アーサー王は、彼女の秘密を知っていたのだ。知っていて今、アーサー王は彼女を信じているのだ。

 

 ——そうまで考えて、唐突にアグラヴェインはようやく何かに気付いた感覚がした。

 彼女を信じれる。信じられないの話ではない。

 アーサー王のように、アグラヴェインは——彼女を信じたかった。

 

 

 

「少し聞きたい。君は、王座に興味はあるのか」

 

「いいえ。私にはありません。

 特に王になりたいとも思いませんし、王になってやりたい事もない。そもそも、アーサー王よりも上手く王政をしている姿がイメージ出来ません」

 

「…………………………」

 

 

 

 一瞬言葉に詰まり、アグラヴェインは再び続けた。

 彼女が眠っていた一週間に、何が民衆の間に巻き起こっているのか、きっとモルガンによる扇動など何一つない、民の心の動きを無視しながら。

 

 

 

「モルガンはどうなったのだ」

 

「………詳しくは私にも分かりません。ただ、多分ですが、今の彼女は王位に固執してはいないような気がします。私を利用するという感情も、ないように思えます」

 

「——そんな事が………あるのか………?」

 

「そうですね。私も驚いています。私が知る限り、終始アーサー王憎しを貫いたモルガンが止まるのかと。

 ですが、今の彼女には自らを狂わせるほどの復讐心はないように思うのです。信じては貰えないと思いますが」

 

「………………」

 

 

 

 ほとんど聞きたい事は終わった。

 その全てが、客観的に見れば信じるに値せず戯言と流しても構わない程の言葉でしかない。

 

 

 

「それで、どうしますか?」

 

「何故、君は正直に答えた」

 

「いや…………そこからですか?

 ……こうして剣を突きつけられてますし、しかし私が眠っている間にトドメを刺しには来なかったので、その時点で私は既に、貴方に一つ借りを作っている。

 後はそうですね。言葉の節々から貴方の温情を感じましたので」

 

「——何を。勘違いだろう」

 

 

 

 果たして温情していたのか。いや、ただ最後の一線を踏み切る覚悟がなかっただけだ。

 鼻で一蹴して、アグラヴェインは剣を外す。感情の残滓が尾を引く事もなく、突き立てていた剣は簡単に外せた。体が重い。もう肩が振り上がる気がしない。

 

 

 

「つくづく意味が分からん。あの魔女から君が出来るなどとは」

 

「そうでしょうか。案外似ているかもしれません」

 

「そうか。君が言うのならそうなのかも知れない。もう十年以上、あの魔女とは会っていない」

 

「…………良いのですか?」

 

「さぁ。分からん」

 

「そんな投げやりな——」

 

「——ッ」

 

 

 

 少し呆れたように彼女は振り返り、アグラヴェインが硬直する。

 素顔が見えた。いっそ不気味な程に白い肌。端正な、横顔。

 

 

 

「……………そうですか。いえ、配慮が足りずすみません」

 

「いや違う………いや」

 

「いえお気になさらず。

 ですがすみません。バイザーは壊されてしまったので」

 

 

 

 アグラヴェインの反応の意味するを理解した彼女は、視線を外して俯いた。

 明らかなる少女の素顔。それを気にもかけない姿。本当に、心底彼女は十の頃から変わらないのだろう。ただ此方が把握出来ていないというだけで。

 

 

 

「本当に気にしなくていいです。

 私の性別に関してはまぁ、正直私にはどうしようもないので、貴方が落ち着くまで私は待ちます。適当に兜でも着けていれば楽でしょうか」

 

「…………」

 

「アグラヴェイン卿?」

 

「君は思わないのか。その性別を」

 

「…………少し抽象的で判断に困りますが、特には。男として生まれた方が楽だったなとは時々思いますが」

 

 

 

 横目も向けずに徹底して告げる姿は、非常に淡々としていた。

 それが彼女の本心。無駄であり不要と斬り捨て続けたその先。こんな少女がだ。

 

 

 

「それで本当に良いので? 私への追及は」

 

「そうだな………もう良い。埒があかないのもある。これ以上はもう意味がないさ」

 

「甘いのですね。いっそ私が不気味に思う程」

 

「まさか。君が厳し過ぎるだけだろう」

 

「私と卿は同じ厳しさでしたよ」

 

「ならそちらの勘違いだ」

 

 

 

 口に出して、彼女と普段通りの軽口を叩いている事に気付く。

 彼女との軽口は、気が楽になると思い始めたのはいつからだったのか。良く分からない。だが、明らかに少女の涼やかな声でしかない今の彼女と、当たり前のように普段の事が出来ているのは、どうにも特別な事に思えてならなかった。

 

 

 

「自分で言うのも何ですが、信じて良いのですか。私を。

 貴方の立場なら、私は私を殺しにかかりますよ」

 

「何を。まだ信じきった訳ではない。少なくともモルガンの事については眉唾物だ。だが………君はまだ信用出来る。それだけだ」

 

「そうですか。まぁその………どうも」

 

「いいや。感謝など受け取る立場に私はいない。むしろ私は君に謝る立場だ。だがそうだな。やはり、君とだけは敵対したくない」

 

 

 

 きっとまだその時ではない。そしてその時は、きっと訪れない。

 アグラヴェインはそう言う事にした。

 彼女に背を向けて踵を返し、アグラヴェインはその場を後にしようとした最後、彼女に呟いた。

 

 

 

「こんな事を言われても君は迷惑だろうが、どうか私達を許して欲しい。私達は決して、君のように強く在れないのだ」

 

「…………………」

 

「貴公に敬意を。生まれを同じくし、周囲のモノを奪われながら復讐をやめた卿に幸あれ」

 

 

 

 それは、彼女に向けた疑心の心の贖罪。

 彼女自身が抱いた怒りと慟哭を、しかし乗り越えて見せた敬意。

 そして、彼女がそうなってしまった事への、懺悔でもあった。

 

 

 

「だからこそ、私は君を信じよう。

 私と違い、私達とは違い、性別や感情という楔から超越してみせた君。人から竜へと至った者。信じて貰えないだろうが、私は君に言おう。もしも君が本当なら、私は君に騎士王と同じだけの忠義を捧げられる」

 

「……………はい?」

 

「君なら分からないか。騎士王の王政が」

 

「………どう言う事ですか」

 

 

 

 背を向けたアグラヴェインに、彼女は呟く。

 アグラヴェインは振り返らず告げた。

 

 

 

「いや、分からなくてもよいな。君は違う」

 

「…………………」

 

「騎士王は正しい王政を敷き、国を治めた。

 そのあまりの正しさ故に、王を恐れた者もいた。そう言う星だった。しかし、私は王を恐れない。

 そして君だが——」

 

 

 

 一瞬だけ言葉に悩み、彼は告げた。

 

 

 

「君は、冷静なまま何処までも狂える。

 だから君は——民を狂わせられる。良くも悪くも。何処までも。君はそう言う星だった。しかし私は狂わない。

 だから、私は君に、騎士王と同じだけの忠誠を捧げられる」

 

「…………………」

 

「身の振り方を覚えると良い。

 君が思うほど、人は正しい生き物ではない」

 

 

 

 憂いを振り切って、アグラヴェインはその場を去って行った。

 

 残された彼女——ルーナは、その後ろ姿を見て一人佇ずむ。

 抱くのは困惑ばかりだった。アグラヴェイン卿とひとまずは和解出来たという安堵はある。が、でも、彼の最後の発言は——

 

 

 

「私が王になると………?」

 

 

 

 そうと決まった訳じゃないが、アーサー王がそう願うならそれに従うとも取れる発言だったように思う。

 騎士王と同じだけの忠義。一体何をと言おうにも、彼はもういない。

 王になってしたい事など何もないと言うのに。

 

 

 ——じゃあ、やりたい事があるなら王をやるか?

 

 

 

「バカバカしい。私が王をやろうがやらなかろうが、何も変わらない」

 

 

 

 一瞬浮かんだ考えはすぐに通り過ぎた。

 当たり前だ。所詮自分は誰かの代わり。故に何も変化しない。

 役割が別の誰かに移ったところで、流れが変わる訳がない。流動しただけ、循環しただけ。あらゆる行為は必ず、その行為の対価として返ってくる。だからブリテンの滅びが回避される事などない。

 

 そんな事、知っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーヴァントの現界とその在り方については、大きく二つに分けられる。

 

 第一は歴史上に実在する存在として記録され、伝説や伝承によって強化されたサーヴァント。

 如何に優れた人物であろうと、生来の能力は現実の範疇から逸脱出来ない為、主に此方には近代や神秘の薄い世界の人物が分類される。

 次にクラスという枠組みに当て嵌められ、生前本来の力を減衰させられたサーヴァント。

 神話、伝説、空想の世界の人物。現代では有り得ない神秘や超常の世界に生きた大英雄という存在は、間違いなく此方に分類させる。

 

 無論、前者であろうと後者であろうと、成し遂げた武勇や修めた魔術の神秘の力量によっては逆転する事も稀にある。

 神秘を枠組みに収めている以上、時に実在しない存在や、本来ならなかった特性が付与される事もある。

 

 

 だが一つだけ確定している事は、その存在がどれだけ広く、深く知られているかという事に尽きるだろう。

 

 

 サーヴァントとしての性能も、本来なら存在しない能力を付与されるかどうかも。

 その点に関して言えば——サー・ルークという存在が、正に特殊な存在の一例として挙げられる。彼女の場合は、特に。

 

 栄光の伝説、アーサー王物語。

 黄昏の伝承、ヨーロッパ民話。

 滅びの流伝、サー・ルーク流伝。

 

 多くの逸話に登場し、後世の宗教理念や一部の実在する偉人、暗殺者集団に影響を与えたとされる常勝無敗の大英雄。

 騎士道を誉れとする時代に、魔術師殺し、異端者殺しと呼ばれた人。

 自らが死ぬよりも早く敵の死を加速させ、神代を終わらせた神代最後の王。

 シャルルマーニュ伝説でも存在しない、異端、特殊、禁忌とされる十三番目の席に身を置いた、世界で最も有名な"女性"の英雄。

 そう、サー・ルークは女性の英雄である。

 この名前が男性名である為、彼女の本当の名前はもはや分からない。

 だが、彼女は女性として伝わっているのだ。

 

 世界全土を見ても彼、もとい彼女は特殊である。

 世界屈指の知名度を誇りながら、何一つ正確な情報が存在しない英霊。伝承や民話と共にありながら、ある一つだけの情報だけは絶対に歪まず、歴史に埋もれる事なく、また改竄される事のなかった伝説の存在。

 

 

 即ち、性別。

 

 

 あらゆる文献で彼女は、彼女の身を案じたサー・ギャラハッドに仮面を砕かれ、その性別を晒している。

 複数の人物が統合された、という説すら現代では完全に否定された。

 そこには男性であるアーサー王と対比するように描かれた背景や、彼女が常に一人滅びの丘の頂点に立っているという逸話などが関係しているのだが、それは割愛する。

 

 話は戻るが、もし彼女をサーヴァントとして降霊出来た場合、他のサーヴァントとは比べ物にならない程、極めて特殊な現界をするだろう。

 アーサー王の騎士、騎士王の影武者として現界するか、殺戮者、嵐の王としての側面を持って現界するか、そのどれでもない、誰かが夢見た名前の無い少女として現界するか。

 

 誰にも分からない。

 彼女の流伝が未だに紐解けないように、またサーヴァントとして現界した彼女は姿形が確定しない。

 いやもしかしたら影武者ですらなく、アーサー王と全く同じ霊基、霊核、真名、姿……しかし何一つ噛み合わない性別で現界する可能性もある。

 

 

 少なくとも——本来の彼女を召喚する事は不可能だろう。

 

 

 世界に記録された英霊を、サーヴァントという使い魔及びクラスという型枠に押し込める以上、その英霊が持ち得る全てを世界に具現化する事は基本的に出来ない。

 生前複数の武器武装を持ち得た英雄でもセイバーであれば剣のみ、ランサーであれば槍のみ、アーチャーであれば弓のみ………というように。

 複数ある能力の内の一つをクラスに当て嵌め、その英霊の能力をより強く明確な形にするというメリットとデメリットが、ここまで大きく働く存在は中々居ない。規格外であり特殊でもある、その代償。

 故に彼女を現世に召喚した場合、多くの人が思い描く、複数の側面を同時に持つ英霊ルークが召喚される事はなく、その側面の一つを強く抽出、固定した存在となる。

 

 

 だが、これは全て仮定の話だ。

 

 

 私欲なき騎士が願いを叶える為に現界するのか、という話ではない。

 彼女が魔術師達の願いに応えて現界してくれるのか、という話でもない。

 英霊を使い魔とするその総称。魂の固定化。サーヴァント。

 魔法の域に片足を突っ込んでいるそれに、もう本当に魔法のような奇跡でもなければ、座から直接呼び出し本当の彼女は召喚する事は出来ない、という話ですらない。

 

 

 そもそも、側面に限らず彼女自体を召喚不可能なのだ。

 

 

 いや厳密には、彼女の逸話を抽出し擬似的に召喚する事は理論上可能であるとはされている。

 しかしそれは、絶対に犯してはならない禁忌。魔術協会と聖堂教会に身を置く者なら誰もが知る、災厄の化身を蘇らせるという事。どの側面を以って現界しようと、決して変わらないそれが再び形を伴うと言う事実。

 

 いずれ全てが滅びかねない事態が世界に起きた時、カウンターとして現世に顕現し世界を救うとされる、未来の救世主。星の守護者。

 未だ世界の裏側の理想郷にて存命し、世界の行方を眠りながら見定めていると恐れられる存在。

 だが彼女は誰かを滅ぼす事でしか誰かを守れない人類の掃除屋だ。

 

 故に彼女が現界した、してしまったという事は、世界を脅かし兼ねない原因の全てを排除して世界を存続させるという事に等しい。

 全てを奪い、騙り、本物以上の力を振るうモノ。常に相手よりも強大となるカウンター機構。

 英雄でありながら常に己を最も強大な悪とし、有象無象の悪を抹消する反英霊の如き在り方を貫いたモノに与えられた、破滅機構としての力。

 

 

 彼女を表した流伝や手記の一文、そのままだ。

 

 

 "決死を以って少女に抗え。彼女が選ぶは死そのもの"

 "生憎だが黒竜と戦える存在は、もはや存在しない"

 

 確かに世界は救われるかもしれない。

 だが彼女は天秤役。天秤の片方の皿に載った全てを消滅させる事で、もう片方の皿の全てを掬い上げる人類の裁定者。

 故に彼女の剣は、選定の剣ではなく"剪定"の剣と呼ばれた。彼女の剪定を乗り越えられなかったモノ全ては、容赦なく滅ぶだろう。

 不条理も不理解も呑み込み、殺し続けた者。

 彼女の伝説に"滅び"の名前がつけられたのにはそう言う意味がある。本当に、本当に一切の区別なく、彼女は騎士道の誉れたるアーサー王伝説の中で人を殺した。

 幼い頃ならいざ知らず、彼女に論理による説得は通用しなくなった。

 もし通用したのなら、彼女は円卓の崩壊の途中で死んでいたのだろうから。

 

 彼女が召喚されたその時、現代の人類は存在するのか。

 いやそもそも、全てを滅ぼす要因とは人類そのものを示しているのではないか。それをあの流伝は警告しているのではないか。

 誰も知らない。知るのは少女が再び世界に現れた時だけ。彼女が定めた悪を滅ぼし終えた時だけ。

 もしくは…………神代最初の、原初の王。世界の裁定者と相対した時だけ。

 

 

 戒めとしても語り継がれる彼女の神話。

 

 

 しかし勿論だが、彼女は特殊であり誰もが知るくらい世界的にも有名な為、こうまで謳われているだけで、彼女も例の一つでしかない事を忘れてはならない。

 最初に述べた通り、知名度によって神秘の深さと広さは変動する。即ち、彼女よりも更に過去。神話に名だたる神の仔や、神霊そのもの達。彼らも時に例の一つとなり得る。

 

 努々(ゆめゆめ)気をつけるように。

 神秘という学問に触れる以上、犯してはならない禁忌がある。自己の探究心と折り合いをつけなくてはならない義務がある。人から外れた魔導を志す以上、定められたルールは厳格に遵守する必要がある。

 神秘に呑まれていけない。

 魔法の域に半ば浸かった英霊の降霊だけが、根源へのただ一つの道ではないのだから。

 

 

 

 

 

  時計塔、学部十二番。現代魔術科・学部長。

   

 

 

 

 

 

  これは、昨日の降霊術の講義で使わなかった師匠の物ですよね。

   その………別に気にしませんので、参考として預かっても良いですか………?

    拙より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さく吐息を吐き、ルーナはその場を後にした。

 アグラヴェイン卿と和解出来たという安堵はあるが、まだ纏まらない事はある。それに今は、アーサー王を待つしか出来ない。だから当初の目的通り、ギャラハッドの私室に向かった。

 

 しかし、具体的に何がしたいとかはないのだ。現実逃避、と言われたらあまり反論は出来ない。でも、もう少し考える時間が欲しい。皮肉にも私の性別がバレた影響で、円卓会議が後回しになったのだから。

 

 

 

「ブリテンの滅びか………」

 

 

 

 段々と死の時間が近付いているような感覚。必ず訪れる滅びの瞬間。抗い続けて、でも心の中では諦めるように受け入れているそれ。

 その時が来たら、私はどうするのだろうか。

 

 

 

「まぁ……私に出来る事など限られている」

 

 

 

 小さくそう呟く。

 そして、ギャラハッドの私室に足を踏み入れて——

 

 

 

 

 

 

 

 

「———…………、ッ……」

「……………こんにちは、サー・ルーク」

「こうして改まって対談するのは初めてかもしれませんから、私から言いますね」

「私は、ギネヴィア。貴方達が仕える騎士王アーサーの、王妃」

「ここなら、いつか貴方が来ると思ってました」

「少し貴方とお話しをしたいのですが……大丈夫ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——時間が停止した。

 

 

 

 

 

 

 




 
 
Select
 
 モルガンの子供。モルガンと同じ容姿。モルガンが完成させた、最強且つ理想的な駒。
 本当にそうか——?
 分からない。私は——


  1. 彼女を信じられない。
  2. 選択を保留にする。
 →3. 彼女を信じ、たい。(*互いの信頼度一定度以上により開放)

  ——そうまで考えて、唐突にようやく何かに気付いた感覚がした。
  彼女を信じれる。信じられないの話ではない。
  私はアーサー王のように——彼女を信じたかった。



 
 アグラヴェインは√を開放もしないし攻略もしない。勿論ルーナ側もしかり。
 それは、互いに好感度と呼ぶものは存在しない故。あるのは王と騎士の関係のような、鋼鉄のように硬い信頼度のみである。


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