騎士王の影武者   作:sabu

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 手に入れた幸せ。
   
■■■■■■■
作りモノの平穏。

 枯れる事のない花。
   
■■■■■■■■■
造花のような美しさ。

 理想の王。
   
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演じさせたら誰にも分からない。




第86話 朔月は疾うに空洞なり 起 前編

 

 

 

 その日、アルトリアはキャメロットの庭園を訪れていた。

 政務は疾うに終えている。蛮族の相手をしながら国を治めていた時代ならいざ知らず、戦いは平定し王位を退いた今のアルトリアにとってすれば大した事ではない。

 今のブリテンは戦後という雰囲気に包まれている。

 

 花の庭園。その真ん中。

 そこには、大木を背にして横になっているルーナがいた。

 古めかしい本を開いたまま額に載せている。

 時々太陽の光を木の葉が掬い切れず、木の下に光が差す事がある。本で遮っているのだろう。何となく、彼女の姿がマーリンと重なって見えた。

 

 

 

「………寝ている?」

 

 

 

 そういえば、彼女が寝ている姿を見た事がなかった。

 しかし、今の彼女が安らかに眠っているかと言われたら、アルトリアは判断が付かなかった。本当に呼吸をしているのか分からない。それ程に胸が上下していない。

 鎧に阻まれているのもあるが、本当に小さい呼吸だ。糸の切れた人形のように彼女は眠っている。

 そう、アルトリアが背を向けた瞬間だった。

 

 

 

「———…………私が何か」

 

 

 

 その場を去ろうとした時、普段通りの落ち着き払った声が背中にかけられる。

 思わずアルトリアは振り返って当惑した。さっきまで、まるで死んだように眠っていた筈の彼女が体を起こして立ち上がっている。音も気配もなく忍び寄られた感覚に近い。

 

 

 

「あ、いえ。何か政務とかそう言うのではなく、ただ私的な用事で………」

 

「………あぁ——なるほど」

 

 

 

 眠いのかただ単に素なのか、彼女は何となく気怠げな雰囲気で言葉を返していた。

 不敬、と言うか彼女は褒められた態度ではなかったが、アルトリアは彼女の佇まいを咎めなかった。彼女がアルトリアの意図を察しなかったとしても、咎めなかっただろう。

 

 彼女が、王として君臨する者としてではないアルトリアを気にしないように、アルトリアも彼女の素の部分を気にしない。

 他にも性別や素顔とか、そういう部分にも触れない。二人の暗黙の了解であり、同時にそれは二人が通じ合って共感している部分でもあった。

 それにアルトリアは、普段の硬い雰囲気の彼女よりも此方の気怠げな雰囲気の彼女の方が、距離を感じなくて好きだった。

 

 

 

「では何を。素敵な話など私には出来そうにはありませんが」

 

「そうですね、では」

 

 

 

 アルトリアはおもむろに、彼女の肩に手を置く。

 怪訝そうな顔する彼女をそうやって座らせた後、隣にアルトリアは座り込んだ。

 木の根と根の間に体を収めて、アルトリアもルーナと同じように大木を背にする。

 

 

 

「私もここで休むとしましょう。

 ……なんて言うのは、どうですか?」

 

 

 

 そして、アルトリアは隣のルーナに微笑みながら尋ねた。

 しかしいつの間にか彼女も大きくなっている。彼女の方が小さかったから、相対した時に少し首を下げていた頃が懐かしい。

 隣を向いた時、彼女と目線が合うというのは何だか奇妙な嬉しさと感動があった。

 

 だからか、口元が半開きになっているルーナの姿がアルトリアは少し嬉しかった。

 もうつけている意味はないというのに、バイザーのせいで肝心の素顔は未だ鋼鉄に覆われているが、案外彼女は分かり易い。

 純粋な好意に対して弱い事を知れたのはつい最近だ。

 

 

 

「……………………」

 

「あ、その……待ってください、引かないでください」

 

 

 

 うわぁ……なんて言いたげな反応をして、彼女は後退りするように距離を取る。

 やっぱり反応が露骨だった。彼女は意識していないと、口元に自らの感情が出る。

 でも彼女が意識すると、そんな反応すら見せなくなる事を考えると、やっぱり彼女との距離が少し縮んだような気がする。

 それはきっと錯覚じゃないと、そう思いたかった。

 

 

 

「揶揄ってます? 私を」

 

「まさか違います。実はこう言うのが夢だったんです」

 

「そうですか。それは言う人を間違えている。

 せめてマーリンに言うか、いつかの日まで取って置けば良い」

 

「いいえ。間違えてません。

 えぇ………本当に。こうして貴方の隣に座れたらそれだけで良い。そうずっと、夢見ていました。でもそうですね。少し不安ではあります。貴方は不安ですか」

 

「………………いえ別に。気不味いだけです」

 

 

 

 居心地が悪そうに、彼女はアルトリアから視線を逸らした。

 その姿を見て、アルトリアは少し苦笑いをしながら瞼を閉じる。

 

 小さな風の音と、木の葉が擦れる音だけが聞こえていた。

 彼女が良くここにいるのも分かる気がする。アルトリアが眠る時に良く聞く音は、大抵と剣と剣がぶつかり合う音か、何もしないかばかりだったからだ。

 波風も波紋も立たない水面のような感覚。

 数年前までは考えられもしなかったし、望んでも叶えられなかった時間だ。それも——この一年間、彼女が王になってからの出来事だった。

 ずっと戦乱に明け暮れていた国からは、考えられもしない。

 平和を取り戻した国。何かを削ってでも戦う事を余儀無くされない。この一年、総じて穏やかな日々だったと言えるだろう。

 戦禍の爪痕はあれど、荒れ果てた国の畑を回復させる事は、脅かす敵がいないから何倍も楽だった。

 

 最近では、外交にも手を加え始めていると聞く。

 島の在り方を少しずつ変える日が来たのだと。王位が代わった転換期を利用して、彼女は時代の流れの中に沿う形で進めている。

 捩じ込むの間違いでは? なんて彼女は言うが、そんな気は全くしない。

 

 卑下か、謙遜か。

 どちらにしろあるのは、彼女は受け入れられているという事だ。

 

 多くの人は彼女の事を讃える。

 何よりも国を脅かして来た敵達を倒した人として。もっと地獄を見ているからこそ、その地獄を嫌悪し、暗闇の中で輝く星として。

 それが我が子の事のようにアルトリアは嬉しかった。

 彼女は正しかったと。それが人の目にちゃんと映るようになったのだと。

 

 

 

「ルーナ」

 

「はい、何か」

 

「ありがとうございます」

 

「…………いや、何を」

 

「本当は言ってはいけないのですが、王位を譲る時に考えていたのは、国の事ではなく貴方の事ばかりでした。

 でも図らずともですが、貴方は私達の夢を叶えてくれた。

 だから、ありがとう。感謝の言葉は私だけでは足りません」

 

「………………どういたしまして……とでも言えば良いですか?」

 

 

 

 彼女はそう言う風な反応をするのか。

 また一つ彼女の一面を知れた気がして、瞼を閉じたまま満足そうにアルトリアは笑う。

 

 

 

「アーサー王」

 

「何でしょうか」

 

「今の笑みは腹立ちました、とても。

 すっごい腹立ちました」

 

「ぅ………」

 

「謝ってください。今すぐ」

 

「その、すみません……」

 

「はい。良いです。満足しました」

 

 

 

 淡々と告げて、彼女はアルトリアから視界を切った。

 無愛想でクール。戦いの場から切り離されている時の彼女は特にそう感じる。さっきまでの様子は何処へやら。隣に自分が居る事をもう気にしてない様子で、彼女はパラパラと本を捲り始めた。

 

 

 

「それは……何の本ですか?」

 

 

 

 表情の変わらない彼女の百面相を感じるのは楽しいが、しかし彼女の事をじっと見続けていると、何ですかと一言の下に切り捨てられてしまう。普通に嫌われかねない。

 アルトリアは彼女の本に視線を向けた。

 

 彼女が先程から持っている古めかしい本。

 国の書物を全てひっくり返したという話がもしも本当なら、きっと彼女に知識で敵う事はない。アルトリアはその本の表紙を覗き込んだ。

 

 

 

「——ケルト神話?」

 

「はい。アルスターサイクルではなく、フィニアンサイクルの物ですが」

 

「サイクル?」

 

「まぁ………端的に言うなら、クー・フーリンを主軸とした物ではなく、フィン・マックールを主軸にした物です」

 

 

 

 アルトリアもその名前は聞いた事はあった。

 ケルトのアイルランド神話に名高き伝説。その時代。ブリテンに残る騎士道の原型にもなった、凡そ二つの時代の英雄譚。

 

 その一つは、フィン・マックールが率いたフィオナ騎士団の物語だ。

 戦神ヌァザの末裔。三世紀の大英雄フィン・マックールを主軸とし、フィオナ騎士団の英傑達の活躍と、彼らの愛と非恋を纏めた伝承。

 神話の成り立ちと歴史の成り立ちを語ったそれと更に二つを除けば、有名なのは後一つ。

 

 光の御子と呼ばれる戦士。赤枝の騎士団最強の戦士。

 紀元前一世紀の大英雄クー・フーリンを主軸とした、北方の戦国アルスターとその宿敵の国となるコノートとの、周りの国を巻き込んだ戦争を纏めた伝承。

 

 ………そう言えば、ケルトには北の国を戦闘と結びつける風習や信仰がある。ならば北の蛮族は、ケルトに連なるナニかだったのだろうか。

 しかしピクト人との戦いは平定している。ならば、彼女は何を調べているのか。

 

 

 

「——聖杯、なんて物を知っていますか?」

 

 

 

 手元の本を覗き込んでいると、ルーナはそう聞いて来た。

 彼女が王となってからの——この一年間。ずっと彼女はそれについて調べていたのだろうか。

 しかし…………聖杯。神の御子の血を受けたとされる杯。最高位の聖遺物。いや、彼女の視点から語るなら、魔術師としての視点からだろうか。

 あらゆる魔術の根底にされるという魔法の釜。あらゆる願いを叶えるという万能の杯。

 

 あまり良く分からないが、アルトリアは聖杯に関係がありそうな物が一つしか思い浮かばなかった。

 それはロンの槍。もう一つの聖槍。ロンギヌス。

 神の御子の死の原因となったか、もしくは死亡したのちに死の確認の為に貫いたかは定かではないが、聖杯と同じく神の御子の血を受けた槍だ。

 だから由来を同じくするもの同士、関係があるかもしれない。

 

 

 と言うか、その槍はこのブリテンにある。

 

 

 常に血の滴る槍、癒えぬ傷を与える槍とも呼ばれるあの槍は、もはや血塗られた魔槍にしか思えない程だが、同時にあらゆる傷を癒す奇跡をも内包した二者択一の槍でもある。

 だからか、あの槍には無闇矢鱈に使う事を禁じる為ベイリン卿が一つの拘束をかけた。己の行動の………凄惨な代償を憂い、その戒めとして。二度と嘆きの一撃が降らぬようにと、警告を残して。

 その槍は現在、パーシヴァル卿が所有している。彼に聖杯について聞いたらもう少し詳しい話が聞ける可能性は高いだろう。

 

 

 

「パーシヴァル卿にはもう聞きました。

 ですが、元々の槍の守護者だったベイリン卿ならいざ知らず、私は良く知らないと」

 

「そうですか……ですがどうして聖杯を?」

 

 

 

 そうアルトリアが尋ねると、彼女は少しだけ顔を逸らしてから答えた。

 

 

 

「…………いえ。単純に過去の伝説から何か紐解けないかと探しているだけです。

 ほら。聖杯で掬った水は癒しの効果を得るなんて話があるでしょう? それって、フィン・マックールが両手で掬った水は癒しの水となるなんて逸話と似ているような気がしませんか?」

 

「ふむ………」

 

「それに戦神ヌァザの四神宝の一つ、ダグザの大釜も聖杯と類似点が多い。蘇りの釜。富と名声の杯。いっそ本当にその釜がブリテンにあるんじゃないか、なんて気がしないでもない」

 

「はー………」

 

「…………まぁ、私が求めている物は残念ながら無かったようです。

 それはそれとして面白かったですよ。過去の偉人が確かに居たんだと、生きた証がこうしてあるのだと、こうやって知れて」

 

 

 

 そこまで答えて、彼女は立ち上がった。

 その場に本を残して。

 

 

 

「どこに?」

 

「食堂へ。最近あそこの厨房を訪れていない」

 

 

 彼女はその場を離れていく。

 何となくアルトリアは、その場に残されていた彼女の本を手に取った。

 重い、重い本だった。人の証を刻んでいるのだから、それ相応にもなるというモノなのだろう。彼女が読む本は殆どがこう言うモノばかり。それを国中から集めて、ひっくり返した。

 彼女が一体どれだけの書物を読み漁ったのかという畏怖よりも、人の証だから彼女はちゃんと読んでいるという感嘆の方が、アルトリアは大きかった。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 いつか、もしかしたら——今の騎士道文化もこうして本になるのだろうか。

 実感はあまりない。良く分からない。でもただ、そうなったら良いなとアルトリアは思っていた。

 

 

 

「読みますか?」

 

 

 

 俯いていると、いつの間にか彼女が目の前に居た。

 彼女はアルトリアを覗き込みながら言う。

 

 

 

「個人的には読む事をオススメします。

 きっと今だからしか、これは読めない。時が経つに連れて多くの伝承が散文化する。残るモノはあるでしょうが、今ここにある彼らの証は今ここでしか読めない。

 昔、こう言う御伽噺がありました。なんて一言で済まされてはいけないモノが、今読める」

 

「…………」

 

「読みませんか? 今なら読む時間くらいはあるでしょう?」

 

 

 

 今ばかりは目の前の少女が自分よりも長く生き、多くの時代を見てきた賢者のように見える。マーリンが時折見せるような、人類を遠くから眺める存在の雰囲気。

 アルトリアは、本の最初のページを開いていた。

 たったそれだけの行為。それが何処か聖なる儀式のように侵しがたい。彼女も本を通して過去を知る時は、こう言う感覚なのだろうか。

 少しだけ、自分が遠くに行ったような感覚がする。

 

 

 

「フィン・マックールの一番槍。輝く貌のディルムッドの話なんてどうですか。

 フィオナ騎士団の伝承は、ブリテンの騎士道の原型にもなった物ですし、まず初めに何を読むかに悩んだら、彼の話からが良いと思いますよ」

 

 

 

 ルーナは、アルトリアの正面に座り込んで言う。

 

 

 

「ちなみにですが、彼は二つの槍と二つの剣を持つ戦人なんです。

 彼は今の時代でも珍しい二刀流の騎士ですね。まぁ厳密には彼は二刀流で戦う事はほとんどないのですが、私としては少し親近感が湧きます」

 

「はい」

 

「それでですね——彼の最期は魔猪に瀕死の重症を負わされて死んでしまうんですよ」

 

「——…………はい?」

 

 

 

 思わずアルトリアは顔を上げた。

 顔を上げた先には、ニッコリと笑っているルーナがいた。

 

 

 

「ですが瀕死のディルムッドのすぐ近くには、水を癒しの水に変えるフィン・マックールが居た筈なんですね。つまり彼はディルムッドを見捨てている。己の一番槍の筈の、ディルムッドを」

 

「あ、あの………ちょ、ちょっと………」

 

「それは何故かと言うと、実はディルムッドはフィンの三番目の婚約者グラニアと不義の愛に走っていたからで、その恨みからフィンは——」

 

「——その、ちょっと待ってください! やめて下さい!」

 

 

 

 アルトリアが声を張り上げると、ようやく彼女は止まった。

 ニッコリと笑ったままの彼女。どう考えても善意からという訳ではない。いや、何となくは彼らの話を知っていたとは言え、これは酷い。

 今ばかりは、ニヤニヤと笑う彼女に向けて、アルトリアは抗議の視線を向けた。だが、彼女はそんな強気の視線に対してよりニヤニヤとするだけだった。

 

 

 

「知ってますか? ディルムッドの二本の槍は、魔を断つ赤槍と呪いの黄槍の二つで——」

 

「ルーナ!」

 

 

 

 流石に如何ともし難かった。

 こう言う風に、何も知らない人に自らの知識を教えて、その反応を楽しむような人ではない。筈……筈だ。いやもしかしたら、これが彼女の素なのか——?

 今この瞬間、アルトリアは何も分からなくなっていた。

 もしかしたらこんな風に自分をいじめる事によって、今までの色々な鬱憤を晴らしているのかも知れない。

 彼女が楽しそうならまぁ、受け入れるしかないのだが、それはそれとしてちょっとこう、やめて欲しいモノがあった。

 いやでも仕方がない。仕方ないのだが、彼女がこう言う風にいじめてくるのは、かなり辛い。

 と、ただただアルトリアはしどろもどろになるしかなかった。

 

 

 

「う………うぅ」

 

 

 

 眼前には未だにニコニコと笑っているルーナがいる。

 何故だろう。目を合わせられなかった。静かな圧がある。

 ニヤニヤとした笑みの彼女は明らかに悦に浸っているのだ。檻の中で足掻いてる生物の姿を見て、ニコニコと笑っている魔女のようなイメージが彼女に重なる。

 魔女は彼女で、檻に閉じ込められた生き物が自分。

 こう言う風に苦しむ自分を見るのが趣味なのか。だとしたらちょっと悪趣味ではないだろうか。

 

 

 

「話の結末だけを知ったから、もう読まない——なんて事、貴方はする訳がありませんよね?」

 

 

 

 ただ微笑んで見つめているだけでボロボロになっていくアルトリアに、彼女はそう告げた。

 

 

 

「まさかそんな。貴方がそんな情け無い事をする筈がない。

 重要な部分だけを知りながら、そこまでの過程は何も知らない。分からない。

 しかし貴方は違う筈だ。むしろそこに至るまでの過程が気になるから、貴方はちゃんと一から最後まで、隅々まで物語を読み切りますよね?」

 

 

 

 これは………煽られている。

 アルトリアはそう確信した。

 

 

 

「私がそんな事すると思っているなら心外です。私はちゃんと読みます」

 

「——それは良かった。

 しかし、かと言ってゆっくり読むばかりだったら、私は容赦なくネタバレしていきますから、そのつもりでお願いしますね?」

 

「は………な——」

 

「だってそうしないと、貴方は途中で飽きてしまいそうなので」

 

 

 

 横暴だったし、心外だった。

 それを叫びたかったが、本当にニコニコした彼女の笑みにアルトリアはただ、たじろぐ。

 もしや彼女の中では、己はかなり子供っぽい印象なのか。だから彼女は悦に浸っているのか。もしそうだとしたら、かなり悲しい。

 

 

 

「………今に見てて下さい。いつか貴方以上に詳しくなってみせます」

 

 

 

 だからアルトリアは、そんな事ないと訴えかけた。

 ついでに、少しの反抗心も加えて。

 

 

 

「——そうですか、そうですか。

 それは良かった。ならば是非、私よりも詳しくなってください」

 

 

 

 納得するように頷きながら、彼女は立ち上がる。

 返答に満足したのか、彼女は踵を返し始めた。

 

 

 

「まぁ無理でしょうけど」

 

 

 

 確信しているように、勝ち誇るように、そう意地悪く笑って彼女はその場を後にして行った。

 何故だろう。本当に悔しかった。そう言う風に笑ってくれるようになったと言う感嘆はあるのに、やっぱり悔しい。

 まさかこれは、舐められている。今までの鬱憤と細やかな反抗と言わんばかりに、教養の違いという奴を見せつけて来ているのではないか。

 アルトリアはムキになって、彼女が残して行った本を読み解こうとする。

 いつか絶対に、彼女から驚いた表情を引き出してやると心に誓いながら、本を捲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——だからアルトリアは気付かなかった。

 彼女が隠したのだから、当然ながら気付けなかった。

 彼女は魂の底から演じていたのだから、見抜ける余地などありはしなかった。

 

 彼女が消し去って行ったそれ。去り際——彼女が踏み潰して行ったそれ。

 その場所は花と花の空白部分として、自然な形でなかった事にされていく。そこには唯一、一つの花弁だけが残された。

 

 地面の空白に落ちている一輪の花弁。

 踏み潰された白い花。

 スズランの白い花弁。

 その花弁は、黒く枯れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騎士王アーサーが卑王ヴォーティガーンを倒してから六年。

 国を襲っていた内乱はとりあえずの終結を迎え、更に長い戦いの日々を越え、兼ねての問題であった南の異民族と北の蛮族との戦いをも平定する事に成功した。

 

 卑王が倒されても一向に良くない状況に、大陸の帝国も遠きガリアの地域から侵略の手を伸ばしていた状況。その問題の解決には、一人の騎士の助力があったとアーサー王とマーリンは吹聴し、民もそれに賛同した。

 

 最も多く、異民族と蛮族を倒した者。

 ローマ帝国を瓦解させ、ブリテンに平和を取り戻した者。

 守る為ではなく敵を倒す為に剣を取った、竜の化身。

 

 彼、いや、彼女を表す呼び名は多い。

 史上最年少の騎士。王の影。円卓第十三席。新たに加わり始めたのは、円卓最強か。

 人々は彼女を謳い上げる。

 多くの騎士を統べる者は男でなくてはならない。

 そんな事など関係なしに、常勝の王の逸話の要ともなった勝利の女王ブーディカの名を表すように、彼女を持ち上げた。

 

 

 それが決定的になったのは、彼女の戴冠式の時だった。

 

 

 その日、戴冠式は極めて粛々と行われていた。

 キャメロットの王座より、アーサー王から彼女へと授けられた王冠。

 跪き、静かに瞳を閉じる佇まいは、いっそ不気味な程に完璧で、腰に携えるのは真の輝きを取り戻した黄金の剣。

 

 その姿に、不信を抱く者などいなかった。

 

 齢十五。細身の少女でしかない体付き。

 湖の精霊の加護を受けた聖剣。新たに選定された王。二人目の王は、騎士王と同じく不老となり、竜へと至る。

 無論、彼女は不老であっても、鞘の守りを持つ騎士王と違い不老不死ではない。

 だが、それすらも些事だった。

 かの竜の化身より強大なモノなどおらず、故に無敵。故に傷付く事はない。身体に被る赤はいつだって返り血だけ。小柄過ぎる肉体を追及する者は、戦場に立った事のない愚か者と指を差される始末だった。

 当然だ。彼女は騎士となってから今まで全ての会戦にて、最前線で剣を振って来たのだから。戦場の彼女の暴虐を知らないなど、宙を飛ぶ竜を空を見上げて見えないと言っているようなもの。

 彼女の居る戦場には、必ず修羅がいる。

 その修羅は、まるで死人が剣を振っているようだった。そしてその修羅は、次第に数を増して行く。炎が燃え広がるように——彼女を中心として増えていった。

 

 

 だが、それ程の暴威と凄惨さを身に纏いながらも、彼女は謳われた。

 

 

 彼女は傷付かず、歳を取る事もない。

 少女の姿でしかない体付きは、不老の加護故に神秘の象徴として映った。

 外されたバイザー。露わになった表情。鋼鉄の裏側に封印されていた素顔は、ギネヴィア王妃のような深窓の令嬢に相応しい顔立ちで、きめ細やかな月光の如き黄金の頭髪と細身の体躯で包んだ、傾国の美貌。

 しかしそれでも、可憐、か弱さや儚さなんて記号は彼女には当て嵌まらない。

 

 正面を見据える瞳が、ただ彼女が積み上げて来た戦果と生涯を表す。

 鍛錬された刃のように切れ目の眼差し。血の気の薄い肌。ひたすらに凛烈で厳格な雰囲気には、浮ついた(こび)のある笑みなど相応しくない。

 それでも尚。否、だからこそ彼女の美貌と雰囲気は完璧だった。

 中性的な顔立ち。女性的な色艶とは全く異なる硬質的に引き締められた佇まいのそれは、しかし同時に魔性の白磁による倒錯的な美しさと天秤合わせで平行となっている。

 

 

 絶世の美少年。傾国の美少女。

 

 

 その両方の中間にいるのが彼女だった。

 人間ではなく、精霊そのものか妖精の生まれ代わりと言われても信じれた。

 人として見れば、彼女の小さ過ぎる体躯にも幼さ過ぎる容姿にも——そして性別にも付け入る隙はある。が、彼女の人間離れした全てが、それを覆した。

 

 こうして彼女は完成した。

 先王ウーサーと魔術師マーリンが目指した理想の王ではなく、誰かが夢見た、人々の都合の良い、人としての枷を超越した理想の王が。

 

 余りにも都合が良い。

 それは彼女がではなく、人々が。

 

 率先して悪を消してくれる王。

 都合の悪いモノを、悪いと断じる王。

 どんなに冷たくても、根本では何よりも煮え滾っている——人間らしい王。

 

 彼女は持ち上げられた。

 その美貌も相まってか、異性同性を問わず一種の信仰にも等しく陶酔された。騎士王の代わりとして。人々に心を砕いていた筈の騎士王の、代わりとして。溺れるように、穴に落ちるように心酔された。

 

 

 それは、当の本人の胸中に言い知れない——不快感を与える程には。

 

 

 求められたのは、何よりも強い光。暖かさの欠けらもない、絶対に眩まない光。ただただ身勝手だった。それは彼女の本来の小さく儚い光とは違う。

 だから彼女も、身勝手に輝きを見せた。

 目が眩む程の光で返し、それ以外には何も返さない。ただ奪うだけ。己に全ての視線を集めるだけ。ただ絶対に見失わない光で導くだけ。

 

 

 

「戦え、或いは。私を役立てる為に死ね」

 

 

 

 だから、その途中で肝心な足元を疎かにして躓こうが知った事じゃないし、何の関心も向けなかった。彼女は騎士王とは違って。一人でも多く救おうと足掻いたアーサー王とは違って。

 だと言うのに、彼女はそれでも支持される。

 

 

 

「代わりに約束しよう。その死に見合うだけの意味と成果を、私が作り出す」

 

 

 

 目が眩む程の光。故に彼女は、その光を以って有象無象の光を消し続ける。真の輝きを取り戻した光の聖剣は、一閃の燐光として天に昇る。

 その光の先にあるのは、人々が求めるモノ。

 戦いが終わった事を人々は喜んだが、凶作はまだ晴れていない。国土の荒廃は異民族の侵攻によるものだけではなかった。

 だから——時に彼女は国単位の粛清を行った。

 異民族に制圧された拠点の再興。北の蛮族の領地の奪還。ロージアン制圧戦。ダルリアーダ海峡焼却戦。オークニー奪還作戦。

 

 

 

「信じられないなら勝手にすれば良い。私について来たい者だけついて来い」

 

 

 

 時に、規律に合わない領主は戸惑いなく首をすげ替えた。

 都合の悪い国を騎士道の名の下と言う都合の良い理由で討ち、戦いが終わり私腹に走った、もしくは走り兼ねない国を剪定した。

 西の島国との無駄な交流を斬り捨て、再び内乱となり兼ねないモノを、周辺の関係者ごと叛逆者として処断した。

 

 

 故に、小規模とはいえ会戦もあった。

 

 

 だから、当然の如く人は死ぬ。

 剣で斬り裂かれたか、槍で貫かれたか、弓で射抜かれたか。戦場の骸と化すが定めとなったのだ。

 だが、彼女はそんな人に必ず言う。

 (おの)が手を汚す事も気に留めず、死に瀕して横たわる人間の腕を掴んだ。端正な表情の眉を一つも動かさず、絶世の美貌を出す素顔を返り血で汚しながら、しかし揺るぎない強さと意思を以って、光が失せて行く双眸に、彼女は誓う。

 

 後悔はさせない。その死を無駄にはしない。

 私が立ち続けるから。私は忘れないから、と。

 そして彼女にそう告げられた者は、満ち足りたように死んでいった。

 彼女は誰かの最期を見届けた後、その誰かの剣を墓標のように地面に突き刺していく。

 

 

 彼女が騎士に、民に返すのはたったそれだけ。

 

 

 時に利用し、時に切り捨て、死に導いておきながら返すのはたったそれだけの、死後果たされるかどうかも分からない誓いのみ。

 だと言うのに——それでも彼女は人間らしい王だと呼ばれた。

 

 彼女はケイ卿のように口が回った。

 彼女はアグラヴェイン卿のように手回しが上手かった。

 彼女はマーリンのように、陽動が上手かった。

 つまりは、説得が上手かった。きっとそれはあるかもしれない。でも、ただそれだけで——何も民に返してなどいないのに、人は彼女についた。

 

 民を一人でも多く救おうとした王は、人の心が分からないと罵られ。

 民を救う事など考えもしない彼女は、人の心が分かると褒め称えられる。

 栄光と共にあり、清く正しくあった騎士王は恐れられ。

 恐怖の対象でしかない筈の冷酷無比な彼女は、ただ求められた。

 たった一言、最期の瞬間に一言告げるだけで。

 

 そう言う時代だった。

 転換期故の宿命であり、それが欲された時であり、そう言う流れが生まれていた。

 そう言われたら結局はそうなのだろうとしても——当の本人である彼女はただ、騎士王が民の為に守っていた騎士道が、民によって壊されたのだと明確に確信した。

 

 

 だからそれを繰り返す度に、彼女と民の間には、一方的で致命的な差が生まれていった。

 

 

 新たな王を理想的な王だと称えるのに、肝心の当の彼女に理想はない。

 民と彼女。噛み合わない歯車のように、少しずつ軋んで行く。

 それも当然。あれ程人々に心を砕いた王を忘れ、狂ったように尾を振る姿に、何を抱けるだろうか。都合の良いモノは都合が良いだけ。騎士王を忘れ去っていくように、都合が悪くなれば新王を忘れるだろう。

 彼女は人間への信頼も信用も、情も捨て始めた。

 だから、都合の良い王として在るから、彼女も民を都合良く利用し始めた。

 

 それに人々は気付かない。

 目が眩んでいる。だから分からない。彼女が剣に一体何を束ね上げているかを、誰も知らない。彼女の光は騎士王のような黄金の光ではなく、ただただ眩いだけの光帯でしかないと言うのに。

 彼女は騎士王と同じ、いや、より徹底して必要なら斬り捨てているというのに。

 

 平和を取り戻した国は、その代償として致命的に彼女を堕としていった。

 人々にとって都合の良い王。人の上に立つ者として、率先して障害を排除する王。

 もはや今の彼女は都合の良い——万能の願望器にも等しかった。

 だがその万能の願望器は致命的に壊れ、汚染されている。願いを叶えながら、しかし同時に民を死へと導く。それに民は気付いていない。ただただ一方的な関係のままだ。

 

 感謝の声は、彼女を満たさない。

 必死の表情は、彼女の心を通り過ぎる。

 嘆きの叫びだけが、唯一彼女の心内に溜まった。

 空っぽの空洞。空虚な黒い空間。民の怒りも、悲しみも、悉くを呑み込んでいながら、底が見えない。

 人の事が嫌いで、故に信じているのに。

 世界に希望は持てなくて、故に抗っているのに。

 胸に空いている空洞には何も当て嵌まらない。

 

 

 そうして彼女は、孤立していった。

 

 

 誰もが彼女の事を理解していない。

 民には王の心が分からなかった。人も、騎士も、悉く全てが。

 新たな次代の王として、見目麗しく人間離れした佇まいの彼女は、少しずつ、少しずつ、誰にも気付かれないまま、ナニかが歪んでいった。

 

 春を過ぎ去り、夏を通り過ぎ、秋を迎え、冬へと辿り着く。

 アーサー王が卑王を倒してから六年目。そしてその六年目が終わり始める。

 新王としての一年は、そうして過ぎた。

 

 騎士王からの王位の継承。

 王としての責務の引き継ぎにマーリンからの教えと伝授も交えながら、国を測り不要なモノは斬り捨てるか作り変えた。

 多くの人が笑った。事実、平和になったのだから多くの人は当然喜ぶ。

 深い、深い暗雲に包まれて、明日をも知れぬ国だったブリテンは、未来を思い描く余裕が出て来る程には回復した。

 だから、王を替えて良かったと誰かが無責任に言う度、替える意味など一つもなかったと彼女はナニカを空洞に溜め込む。

 

 彼女のしている事はただの事後処理。天秤としての帳尻合わせ。故に彼女の仕事は最初から変わっていない。だがその仕事すら消え始める。

 外敵は全て消えた。滅亡を待つだけの国はなんとか踏み留まった。ならば後は復興のみ。

 

 

 魔術師は土地に残った神秘の力は、その残滓に過ぎない事を彼女に語った。

 

 

 知っている、と彼女は返し、じゃあどうする? と魔術師は返す。

 当然無視は出来ない。立場故に。そう言う役割故に。

 彼女は島の秘密を秘書官に打ち明け——返って来た言葉は、彼女が予想していた通りの言葉だった。島から神秘が失われるのなら、それに匹敵する奇跡を手に入れるべき、と。

 

 

 世界から失われる神秘。ならば、その世界を変革出来る神秘があれば——

 

 

 それは、卑王ヴォーティガーンが倒されてから"七年目"の春の事。

 後の逸話に残る——ブリテン最後の英雄譚、聖杯探索の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャメロットの厨房、及び食堂は静まり返っていた。

 最近は戦いの後の宴がないのも関係している。それ以上に大きな戦いというものもないが、キャメロットは寂しくなる一方だった。

 誰も使わない食堂。そう、もう誰も使ってない。使わなくなった。

 

 

 先日——厨房の料理長が病気で亡くなったのだ。

 

 

 若くはないが、決して老いてもいない。

 だがそう言うものだ。得てしなくとも人は死ぬ。それが料理長だったというだけで。

 受け入れる人は諦めるように受け入れるだろう。どうしようもない事を諦めるのは、人間の特権だ。

 

 でも——ガレスはそうではなかった。

 

 

 

「あぁこれ………懐かしいなぁ」

 

 

 

 騎士に任命されてからはあまり訪れなくなり、円卓の席に座ってからはめっきり訪れなくなった食堂。

 厨房台に立って、木製のコップや食器を触りながらガレスは呟く。

 冬の時は特に大変だった。冷たい水を井戸から汲み上げて来るのは中々堪える。あの作業が今に繋がる体力作りになったのは事実だが、あの日々は手が悴んで仕方がなかった。

 

 が、辛かったと言われればそうでもない。

 あの日々は、暖かかった。温もりを感じられる思い出だからだ。

 白い手と呼ばれた自分の手が傷付かないようにと、"これを使えば良い。多少、マシになる"なんて無愛想に言って、半ば押し付けるように手袋を渡して来たあの子、あの少年の姿は今でも思い出せる。

 ……いや、違う。彼女だ。

 

 

 

「貰ってばかりなんだなぁ……」

 

 

 

 両手に着けた手袋。彼女から貰った物は今でも大事にして身に付けている。

 実は購入した物ではなく彼女の手編みなのではと疑っているのだが、真偽は未だに明らかにしてくれない。多分手編みだと思っている。乙女の勘だ。

 彼女を少年と思い込んでいた自分が乙女の勘と言うのは、少し、少しだけ苦い思い出だが。

 

 いやだってしょうがない。

 憧れの人で、同時に歳が近くて、本気になればもしかしたら手が届く人だったのだ。

 それはそれとして、自分の方が歳上だった上に身長も勝っていたので、昔の彼女を弟みたいな、そう言うのを夢みたりした事はある。

 乙女の可愛い妄想の範疇としては、まぁ普通だろう。

 

 昔は彼女は本当に小さかったから、一回だけ視線を合わせる為に前屈みの姿勢で挨拶した事がある。勿論元気良く。

 でもすっごい微妙そうな顔、というか口元をされて以来やってない。ちょっと距離を取られたのが、ガレスはトラウマだった。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 自分の両手を見る。

 ガレスは今までの思い出を思い出していた。

 最近悲観的な事ばかりが多くなって来たからだろうか。昔の暖かい日の事ばかり浮かぶ。逃避と言われたらそれまでだ。

 トリスタン卿は、必ず戻ると彼女に言った切りで円卓を去ったまま。

 ガウェイン卿は、あまり公に姿を現す事が減った。

 ランスロット卿は、まだ穏やかだが、その穏やかさが険しいモノを含むようになった。

 ベディヴィエール卿は、片腕を取り戻した代わりに剣を取る事がほとんど無くなった。

 ケイ卿は……とても口数が減った。

 モードレッド卿は……………誰にも何も告げずキャメロットを去り、行方知らずとなった。

 唯一変わらないのはアグラヴェイン卿くらいだが、彼はやや雰囲気が安らかになった。それが何となく、老衰して引退を考えているように見えるのは錯覚だろうか。

 

 そして彼女は——

 

 

 

「やだなぁ………どうしてこんなのばかり」

 

 

 

 彼女に抱いているのは、感傷ばかりだった。

 思い出す記憶は切ない。

 

 つい最近まで、すっごい小さかったような感覚がしているのに、いつの間にかあの人は、自分と同じ背丈にまで成長していた。

 それだけじゃない。いつか自分があのバイザーを外して貰えるくらいの存在になってやるんだと意気込んでいたのに、あの人のバイザーの裏を見る機会に出会ったのは突然だった。

 

 ……本当に、突然だった。

 

 まさかあの人は、少年ではなく少女で、しかもモルガンの子だったなんて。

 驚きを通り越して、頭が真っ白になる。しかし、現実逃避気味に浮かぶ、どうしようないくらいの納得感も如何ともしがたかった。

 憧れの人が、実は妹だった。

 どう接すれば良いと言うのだろう。正直未だに測り倦ねている。名前もなんて呼べば良いのか。

 今までと同じように、さん付けで呼んで、しかし名前はルーナと呼べば良いのか。

 ルーナさん………妹に対しては距離がある呼び方と言えるだろう。

 いやしかし今でも彼女の事は尊敬している。それに女の子として聞きたい事はいっぱいある。だがいきなり敬称を取っ払うのは馴れ馴れしいような……そんな気がしてならない。妹なのに。

 

 

 

「あぁ……もう母上、母上ぇ……」

 

 

 

 それもこれも全てモルガンのせいだ。

 良くもやってくれたなとガレスは言いたい気分だった。

 こうやって家族関係とか親族の情緒を、ぐちゃぐちゃに掻き乱すのが目的だとするなら完璧なやり方だっただろう。ついでに言えば乙女心とかもめちゃくちゃにされている。

 もしかしてモルガンは、彼女以外の全てが嫌いなのではないだろうか。正直そう思う。それに、彼女は母上そっくりだから。

 

 

 

「正直………彼女の手の方が美しい手をしているよね……」

 

 

 

 美しく、白い手。自分の呼び名。

 その呼び名が、気後れしている感覚がガレスはしてならなかった。

 だって彼女の方が白い手をしているし、思わず背筋に冷たいモノが走るくらいには端正で美しかった。花々の手入れをしている時とかは、特に。

 人間離れ。超然的。もしくは魔性。正に魔女の現身と言えよう。

 普段は無表情だが、妖しい微笑みを浮かべれば弓で射抜くより早く流し目で心を射抜いて来るに違いない。魅了に近いそれは、彼女のカリスマへと昇華されている。

 

 

 ……でも、何となく、彼女のカリスマは少し怖い気がした。

 

 

 凄まじい高揚。爆発的な興奮。限界が弾け飛んだような超越感。

 以前、それを味わった事がある。と言うか多分一番最初に。まだまだ自分が未熟だった頃、リネット嬢を守る為に黒騎士と相対したあの時。

 今なら分かる。アレは呪いや麻薬にも等しかった。

 死兵の如く戦えた。あの時自分に限界などなかった。何をすれば良いのか全てが分かった。ジャンプしたらそのまま空を飛んで——戻って来れなくなるような感覚、と言えば分かり易いかもしれない。

 

 思わず、自分を見失ないそうになる力がある。

 だから多分——彼女のカリスマに充てられた者は、彼女がちゃんと見えてない。見ようとも思えていない。

 だって本当に見えているのなら——あんなに笑わない彼女の姿を見て、何も思わない筈がないのだから。

 

 いつからだろう。バイザーがあるなし関係なく、彼女は笑わなくなった。

 ガレスが思い出す彼女の素顔は、いつも笑っていなかった。本当に、心の底から。

 いやきっと、表情ではなく雰囲気がそうなのだ。昔はあった筈のナニカ。周りの人に向ける信用とか信頼とかそう言うモノが、消えた。

 ただ確認している。その人間がまだ自分と道は違えていないかを、裏切っていないかを、箱の中の生き物を確認するように確認している。

 笑っている振りをしながら、穴の底から見定めるように人を見ている。

 

 故に彼女は、真の意味で誰も見ていない。

 彼女の事を誰も見ていないように、彼女も誰の事も見なくなった。

 だからかきっと、彼女は目が笑ってない。何も見てない。

 戦場を一緒にした時とか、普段の任務の時とかに彼女の姿を見ると、分かるのだ。彼女の瞳には、誰も映っていないのだと。

 

 

 

「……私も映ってないのかな——」

 

 

 

 思わずガレスは怖くなった。

 彼女は何を見ているのだろう。誰も分からない。

 彼女は何を想ってるのだろう。誰も分からない。

 彼女の心を、誰も彼もが分からなくなってしまった。

 

 だって皆が彼女を超越者として扱うから。

 だから本当に、彼女は超越者になってしまった。

 人間なんかでは決して揺らがないように、そうであるよう願われたから。

 だから本当にそうなってしまった。

 

 途端に彼女が遠くに行ってしまったような感覚にガレスは不安になる。

 厨房で、ガレスは蹲る。

 

 その時不意に——ガレスは後ろから足音を聞いた。

 コツコツ、という独特の音。重装備をしていない騎士鎧で、しかし特徴的な脚装束を着けた人の音。

 

 

 

「……私は改めた方が良いのか?」

 

 

 

 振り返った先には、バイザーを着けたままのルーナが壁に寄り掛かって佇んでいた。

 

 

 




 
 
 
 
凍る鉄心
    
 
E−

 詳細

 反転していようといなかろうと、生前の内から保有する固有スキル。
 固定された概念に自らを浸し、己を帳尻を合わせる為の天秤へと変える精神汚染の象徴。

 例えるなら、彼女が歩んで来た生涯の反動。彼女が得た称号。
 彼女は生涯の中で狂った事はなくとも、幾度か精神を病んでいる。
 その状態の再現とも言うべきこのスキルは、歪んだ思考回路、躊躇いもなく人を殺し時に隣人すらも手にかける為の心構えと思考論理を強く裏付けする。
 が、彼女は特に疑いもなく、自分には必要だからとこのスキルを受け入れている。
 
 
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尚このスキルは、ランクがEXになるまで彼女のある固有スキルを隠す影として機能している。

 
 

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