騎士王の影武者   作:sabu

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 運命の夜。原初の日。
 "ソレ"が定められた、月明かりの下の記憶。
 故にきっと。いつかまたここに戻る。
 きっと、誰かが、ここに繋がっているから。
 


第88話 朔月は疾うに空洞なり 承

 

 

 

 正直に言うなら、さっさと帰りたいとしか思えてなかっただろう。

 聖杯探索。円卓の聖杯探索。失敗するとか成功するとかの話じゃなかった。根本的な話。私は、聖杯を使ってブリテンを救いたいのか? という話。

 

 ……はっきり言おう。私はブリテンを救う気がない。

 最初からずっと私は諦めてる。仮に救って……で、だから何なのだろう。それが何だと?

 そんな結論が頭を支配し続けている。

 私がブリテンを救う理由も意味も必要性も、一体どこにあるんだ、と心を渦巻いている。

 

 ブリテンを救ってくれと誰かは言う。最後の希望は貴方だと私に言う。

 祈りを捧げられた。人々の祈りを。人々の嘆きを。

 それは当然。私に捧げろと私が言ったのだ。私に押し付けられるに決まっている。だけど、私に省みる気はなかった。ついて来たい奴だけついて来いと言った。捧げたら当然、その分だけ返されると思ってる人間なんて嫌いだった。

 だから私は、誰かを導けても、決して私は誰かを救えない。

 救える人を、救えた人を——騎士王を見限った人間の贖いだ。だから手は差し伸ばさない。

 

 

 そう私は、成功する失敗する以前に、聖杯探索を成功させる気がなかった。

 

 

 王という立場があり、人々の代表者という責任があり、故に聖杯を求めている。

 しかし自分の運命を他人に預けた者がどうなろうと知った事ではないし、義理もなかった。

 途中で失敗して、早々に帰還したいとすら、心の何処で思っている。

 

 

 それ以前に、ブリテンはどうやれば救えるのだろう。

 

 

 誰もその方法を見出せなかった。誰もが根本的な解決に至らなかった。そう、ブリテンを救うという事は即ち、世界の救済にも等しい机上の空論だった。

 聖杯にブリテンを救って欲しいと願って、では具体的な方法は何だろう。私には分からない。

 仮に聖杯の力でブリテンを神秘で満たして、次はどうする。

 世界を変革する程の奇跡。だがブリテンを侵食しているのは、文字通り世界の全て。今までとこれからの人類史全て。

 島から消える神秘。西暦より停止した神代。変更されゆく星の法則。即ち神秘ではなく人類の物理法則に最適化した世界。

 水が下流に流れるように、星の法則は根源に根付いた神の権能や起源ではなく、人類が築き上げ、照らし出した法則——人理へと移行している。

 だから、神秘は後枯れるだけだ。

 

 ブリテンに残る神秘は、砂時計の砂と同じ。

 一方的に落下し続け、いつか全て下に落ちる。残りの砂はもう僅か。そう言う状態。だから、ここで聖杯でブリテンに再び神秘を満たしても……だから何だ?

 ただ砂の量を増やしただけ。全ての砂が下に落ちるまでの時間を増やした程度。いずれは消費され切る残高を一時的に足しただけで、何の解決にもならない。

 魔力のリソースでしかない聖杯を使っても、世界を変革するだけの魔力すらいずれ消費される。

 

 

 ………——いや、もしも聖杯が本物で真に万能であるならば可能なのか?

 

 

 魔力のリソースではなく、本当に神の血を受けた万能の杯ならば。

 ただ神秘を新たに充填するだけではなく、ブリテンに神秘を満たすだけではなく、この星の法則に根本から抗い、ブリテンそのものを世界全てと同等の強度に作り変えられる、のか。

 でも………本当にそうなのか?

 本当であろうと無かろうと、聖杯は杯。願いを汲み取り溜める物。ならば、その溜めるだけの何かをどこから持って来れば良い。

 この神秘が消えていく島で……本当の聖杯を降臨させるには、一体何の神秘を捧げれば良い。

 聖杯が本物なら、それすら気にしなくて良いと言うのか。世界最高の聖遺物なら、それその物が万能の願望器足り得るのか。

 そんな都合の良い奇跡があるなら、それこそ何故そんなモノが……神秘の消えるブリテンに現れると言うのか。救世主の奇跡がそんな都合良く現れるのか。

 矛盾している。破綻している。その成立経緯が壊れている。

 

 分からない。所詮仮定でしかない。

 唯一、聖騎士ギャラハッドだけが辿り着けた聖杯探索。無欲故に、聖杯と共に天に還った者———本当にそうなのか?

 私には分からない。

 彼の献身を消さない為、ギャラハッドの尊き想いを美化し、昇天したとそう呼ばれただけで、ギャラハッドが辿り着けた聖杯は——もしかしたら本物ではなかったのではないか?

 分からない。何も分からない。

 

 

 一体何を信じれば良いのだろう。

 

 

 村を回り、街を訪ね、国を渡った。

 その中耳に入る伝聞は、多くの騎士が志半ばで帰還したという事ばかり。時に聖杯を求め、仲を違えた騎士も居た。時に救済の奇跡を信じ、戦争を始めた国があった。

 

 

 

「…………どうします。仲裁に入りますか」

 

「いい。別に、どうでもいい」

 

「…………………」

 

「行くぞ、ギャラハッド。この戦争を止めたところで、時間を無駄にするだけだ。もう、誰かに利用されるのに私は疲れた」

 

 

 

 人間の尊さを信じられるのなら、奇跡を手に出来るのかもしれない。

 しかし私は、信じられなかった。

 私にとってそれは、ただの理不尽を神からの試練だと信じる事にも等しかった。

 

 眼下には人と人の争いがある。

 戦い合う騎士や兵士達。血濡れになりゆく平野。それを無視して、私は進む。これで二つ国が滅ぶだろう。それでも私は、無視した。

 

 古い習わしを持つ乙女の城と呼ばれる城塞を持つ国は……その習わし故にギャラハッドを巻き込んだ騎士と騎士との闘争を引き起こし……嫉妬だとか、籠絡だとか、内輪揉めだとかで………結局私がその国を半ば剪定して、時間の無駄に終わった。

 

 王を失ったグウィネズでは代わりの王を立てて欲しいと言われ、一時期その代わりをして、一月の内に騙されたと悟った。普段から眠らなくなっていたのが功を奏したのだろう。寝付きの時に夜襲を受け、ギャラハッドを背負って逃げ出した。

 

 最も聖杯降臨に期待をかけていたカーボネック城では、その主の漁夫王……またの名のペラム王が、ロンの槍の癒えぬ傷を原因に既に死亡しており、その国もロンの槍を使用した反動により、肥沃な国土は反転していた。

 カーボネック城は滅び、国は広野となっていた。

 

 

 悉くが、人間の悪性によって引き起こされた末路によって、凄惨な末路を迎えていたのだ。

 

 

 何も信じられない。だから、見捨てた。

 聖杯を巡った国同士の戦争には介入しなかった。

 介入して人を救うという尊い事をするという行為が、私は聖杯に繋がるとは思えていない。

 このような行いをするから聖杯に辿り着けないのだと思われようとも、私はそう言う者達を省みなかったのだ。

 むしろそんな事を言われたら、私はもうそこで止めていただろう。

 

 ブリテン最後の希望は貴方だと、人は言う。

 災厄の十三席に座った貴方なら届くと人は言う。

 人々が願う奇跡は、人々の悪性を晒し上げる奇跡と成り果てているというのに。

 

 

 試せるものは試した。

 

 

 ブリテンを離れ、アイルランドにも渡っている。

 ソロモン王の船だと語る船にのり、その船の中心に突き刺さっていたダビデ王の聖剣をギャラハッドが引き抜いたが、何も起こらなかった。

 挙句その剣は何者かに盗まれ、強盗を退治したらもう他の者の手に渡っていた。

 

 財宝を溜め込んだ獣が潜む谷を潜り、数日かけて獣の群れを殲滅したが、ただ金銀があるだけで、聖杯はなかった。

 アイルランドからブリテンに戻るのは、早かった。

 

 聖杯降臨祭だとか、神の御子復活祭後の第七日曜日だとか、そんな荒唐無稽なものすら試し始めた時期から、私は本気で思い始めた。

 きっと、この島に救世主の奇跡は訪れない。本物の聖杯は現れない。この島は本当に救いようがない。私は聖杯を諦めた。

 

 

 ………その後押しには、モルガンとグリフレットの影響があったと思う。

 

 

 私がアーサー王から王位を譲り受けてからの一年、一番近くに居て、尚且つ最も役に立ったのは、癪に障るがグリフレットだっただろう。

 離席したトリスタン卿の騎士達も、正式に円卓をやめたパロミデス卿の騎士達も、自分が驚くほど私に忠誠を誓ってくれたとはいえ。

 グリフレットは、アグラヴェイン卿とその直属の粛正騎士隊の関係のようなモノに近かった。

 

 だが、グリフレットは私が聖杯探索に乗り出すと、正確にはブリテンに聖杯探索の噂が流れた瞬間、彼は私との関係を一方的に切った。

 彼が今何をしているかは分からない。

 が、仕方ない事なのだろう。落ちぶれているとはいえ、彼は聖堂教会の者。第八秘蹟会の代行者。ならば当然——聖杯を回収しに来る筈なのだから。

 

 モルガンとは、本当に久しぶりに顔を合わせた。

 正直、怒られるような気がしていた。彼女がずっとずっと最初に望んでいた王位が手に入ったというのに、何となく、何故王なんて言う立場になったんだと、そう叱られるだろうと。

 剣を抜いて、不老になって……そんな事も怒られるような予感。

 

 だが、彼女は何も私を責めなかった。

 ただ私を抱きしめ、満足するまで好きにすれば良いと。

 最後に彼女は言った。

 もしも全てが終わったら、この国を離れて、二人で暮らさないかと。

 その言葉に私は、無言で頷いた。

 

 

 だから、私は聖杯が本当にどうでも良くなった。

 

 

 聖杯に乞う願いはない。人から私に捧げられた願いだけはある。

 それはもはや、呪詛にも等しい嘆きの願い。呪いと起源を同じくする祈りの形。

 

 それを形にする気など欠けらも起きなかった。

 アーサー王なら違ったかもしれない。だが私は、アーサー王の代わりとして選ばれた偽物。故に私は見限った。私は人を見限った。私は、この国もこの島も、そこに住む人々も救えないと決定した。

 

 それは——聖杯探索を始めて、新たに一年が経過した時の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に陽の光は沈んでいた。

 空を見上げれば、満天の夜空に淡い月。だが夜空の星には大地を守る熱はなく、代わりに彼らは焚き火の優しい熱で夜を過ごす。

 鬱蒼と茂る森の中で、二人はこの長旅の中で手慣れた野宿をしていた。

 

 

 焚き火がパチパチと燃える音が響く。

 

 

 ギャラハッドは焚き火に枯れ木を足して、火の勢いを整える。

 その様子を、ルーナは少し距離を取って木々を背に座りながら、ぼーっと眺めていた。

 火を眺めている様子に、特に意味はない。完全に彼女は意識を手放している。ただ目を開いて、燃える薪と揺らめく火の様子を眺めているだけだった。

 

 ふと彼女は、焚き火から視線を移す。

 その先はギャラハッドの後ろ姿だった。

 

 

 

「なんか、成長したな………ギャラハッド」

 

「え?」

 

「いや…………まだお前は身長が伸びるんだなと思って」

 

 

 

 最初にギャラハッドと彼女が対面したのは五年前。

 ギャラハッドが十五の時だ。少年としての幼さを残した青年も、今や男性という面影になりつつある青年となっている。

 人が成長するのはあっという間だ。何故か、最近は特にそう思う。

 

 

 

「そうか。ギャラハッドはもう、二十になるのか」 

 

 

 

 感慨深そうに彼女は語っていた。

 この国では関係ないが、二十は成人を迎える歳だ。それを彼女は特別に思っている。ギャラハッドはもう、立派な大人と呼んでよかった。

 

 

 

「まぁ、はい。僕は今年で二十に」

 

「二十、か。私は二十までは後三年だな」

 

「……………」

 

 

 

 そう語る彼女だが、その姿が成長する事はない。

 彼女にとっての数字は、永遠に十五で固定されている。そこから先は、この世界に何年存在しているかの話だ。彼女が二十を迎える日は来ない。

 選定の剣を抜いてから一年。聖杯を求めて更に一年。

 卑王が倒されてからの七年目は、もう終わる。

 

 今までは、彼女は十代前半という歳だったから一気に成長して、身長差も一気に埋まり始めたのに、この二年で再び身長差が大きくなってしまった。

 見上げる姿勢。見下ろす姿勢。それが、今は出会った頃と同じだ。

 

 

 

「私が王の座を継承してからもう二年。早いな、なんだか」

 

「……………」

 

「この二年、私が王として行って来た事は………ないな。私の行いに王としての立場は関係ない」

 

「少々申し訳ありませんが、アーサー王とて最初は地道な下準備から始めたのでしょう。

 じゃあ先輩も、そう言うものじゃありませんか。まだ二年です」

 

「そうか…………そうだといいな」

 

 

 

 彼女は蹲り、膝を抱える。

 

 

 

「でも、もう二年だ」

 

 

 

 抱えた膝に顔をうずめる。

 

 

 

「私に望まれているのは、アーサー王と同じモノじゃない。

 もっと早く、もっと分かり易く、端的で最初から完成されているモノ。それこそ聖杯の奇跡のような、都合の良いモノを」

 

 

 

 返す言葉もなかった。

 正にその通りだった。彼女に求められているのは、救済装置としての役目であった。

 今までの旅路でそれを沢山見て来ている。

 乞われる彼女。私達の祈りを形にしてと、小さな幼子から言われた時もあった。

 

 平和になり、余裕が生まれ、土台となる足場がようやく出来て。

 緩やかに、首にかかった縄が引き上がっていくような荒廃が止まってない。

 

 

 

「何故私を信じる。おかしい。だってそうだろう。

 私だったら、私みたいな奴信じないというのに………どうして人は、私を信じて来る。私がおかしい事を言っているのに気付かないのか」

 

「それは………」

 

 

 

 刃による死は、飢えによる死よりも慈悲に満ちていたのではないか。

 そんな言動を責めるのは容易なれど、諭す事は不可能だった。だから彼女は、責める事も、諭す事もしなかった。

 

 彼女が返すのはただ一つ。

 彼女は、そんな人には——優しい死を与えた。

 

 眠りに落ちるような死。目覚める事のない安らかな眠り。

 捧げろと言う事なく、彼女は静かに人の命を絶った。

 その光景を、ギャラハッドは見て来た。

 人々は救いを求めているのに、王は絶対に救わない。その破綻。その矛盾。でありながら、彼女は未だに乞われている。

 

 

 きっと本当は、誰もが気付いているのだろう。

 

 

 この国は救えないと。私達は救われないと。だからきっと、人々はせめて彼女に祈り、託している。最初はきっと違った。でももう良いのかもしれない。そう思っているのかもしれない。

 彼女は自らの命を無駄にしないから。彼女は最後まで立ち続けるから。救われなくても、無様に果てる事はなく、ただ自分の最期は報われるから。意味はあったから。

 それは、何処までも都合の良い終わり。

 子に託すように、弟子に残すように、どれほど過程が酷かろうと、そう言う風に最期を迎える夢の終わり。

 故にそれは、最期の希望。

 楚々と照らす月明かりにも似た、いつまでも変わる事なく、最期を迎えても続く道。

 

 だから人々は死ぬその瞬間、唯一最後に得られた安堵を胸にして、眠るように息を引き取っていくのだ。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 ただ唯一、彼女にだけは全く都合の良い話ではないというだけで。

 民は生に囚われないが、彼女は死に囚われる事になる。

 が、彼女は不老だ。死ぬ事はないまま、死に囚われ続けるというその破綻。果たしてそれはいつまで持つだろうか——

 

 

 

「はぁ………まぁ別にいいんだが。

 私が民に信じられていようと、いなかろうと、どうせ私は民の事などどうでも良い。私は民草に身命を捧げない。捧げるのは民だ。私は私に捧げられた身命を利用するだけ」

 

 

 

 そう暴君のように言いながら、自分の目的の為に使い捨ててやるなんて気概は全くないのはきっと、彼女の芯の部分が人に優しいからなのだろう。

 彼女自身に明確な目的はない。

 ただ、人の生き方の指針となり、捧げられたモノの形を整え、道筋を作る。終わりまで導く。

 彼女のそれを暴君と捉えるか、名君と捉えるか、はたまた暗君と捉えるかは人によるだろう。彼女は鏡のように何かの代わりになるだけだ。

 足りてるモノには疎まれ、足りてないモノには喜ばれる、そんなモノ。何かもを見失いそうになる暗闇の中で、淡く輝く星のような役割。

 

 

 

「それは、後悔させない為ですか?」

 

「そうだな。きっと………そうだ。

 多分私が後悔しているから、いや、そうじゃなく………いずれ私は後悔すると確信したから、そうしているんだ」

 

「………………」

 

「でもこの二年間の私を見ると…………そろそろ誰かを後悔させそうだ」

 

 

 

 顔を上げ、空を見上げ、自嘲するように彼女は言った。

 その姿を見て——彼女にこそ、そう言う役割の人が居なければならなかったのではないか思わずギャラハッドは考える。

 何をどうしようと、今から何をしようと終わりが決まっている。

 故に救われる事はない。そう確信して諦めざるを得ない人間の絶望と、自暴自棄になった脱力感を、稀に彼女から感じた。

 何をしても変わらないのだから何をしたって良い、そんな無謀さ。破滅的な思考。

 だからこそ、彼女にこそ星のような人が必要だったのではないか。

 生き方を教えてくれるような人。笑い方を教えられるような人。迷い子を導けるような、そんな人。

 ギャラハッドの視線の先には、放心したように星空を見上げているだけの彼女がいる。

 

 

 

「なぁ、ギャラハッド。聖杯は、本当にブリテンに降臨すると思うか?」

 

 

 

 唐突に、彼女はそんな事を口にした。

 この旅路の根本を覆すような、そんな話を。

 

 

 

「え……?」

 

「私は、そうは思えなくなって来た」

 

 

 

 聖杯は降臨しない。

 そう語る彼女は、まるで聖杯は存在しないモノの様に語る。既にどこにある聖杯を求めてるのではなく、この世にない聖杯を何らかの形で降臨させるのだと。

 

 

 

「聖杯は形のない奇跡だ。

 血を捧げる杯ではなく、人々の願いを溜める為の杯。だからそれが満たされた時、救世主の威光が満ち溢れる。そういう奇跡。

 でもそれだと、まるっきり反対だ。

 願いが溜まらないと聖杯は降臨しない。聖杯は起動しない。

 本当に意味が分からない。願いを叶える聖杯なのに、願いが溜まらないと聖杯は降臨しないなんて」

 

「…………………」

 

「私達はそういう事をしようとしている。

 ……この島に神秘を満たす為の聖杯を降臨させる為には、どれほどの神秘を杯に焚べば良いんだろう」

 

「ですが、聖杯が真に万能の釜なら、違うのではないですか。

 いえ、僕はあまり詳しくはありませんが」

 

 

 

 返す言葉に彼女は、かもな、と小さく返事をした。

 それが、真を突いたモノではなかったとギャラハッドは悟った。

 

 

 

「じゃあ、神秘を焚べなくても起動する本物の聖杯があるなら、どうして見つからないんだろう。私達には」

 

「…………………」

 

「私が聖杯探索に加わらず、お前一人なら話は変わったか」

 

「それは………」

 

「いや、何でもない。ただの戯言だ。

 忘れろ。私の仮定にギャラハッドは関係ない」

 

 

 

 それを最後に、彼女は口を閉ざした。

 彼女の言う、聖杯があるなら何故見つからないんだというのは悪魔の証明にも等しい。が、事実的を射ている。もしもあるなら、きっと見つかっている筈なのだ。

 

 ——花の魔術師マーリン。

 彼の助けを経ても、未だ聖杯は見つからない。

 無論彼は世界全てを見通せるとはいえ、世界の出来事を全て瞬間的に理解出来る訳ではない。しかし、この世界に聖杯はもう存在しないと決定するには、きっと十分だろう。

 それに彼女は語らないが……きっとモルガンにも見つかっていないに違いない。

 

 それに、聖杯には世界を変革する程の奇跡があると言う。

 たが世界が変革された事はまだ一度もない。

 神代は死に絶えている。神秘が拒絶されたように、万能の神秘足る聖杯も拒絶された。そう考えるのが本当は当然なのかもしれない。

 

 

 

「では諦めますか」

 

「そうだな。

 私は、そろそろ諦めたい」

 

 

 

 小さく溢すような言葉。

 あの彼女が——諦めるなんて事を口にした。

 思わずギャラハッドは瞠目する。彼女は相も変わらず無表情だったが、その無表情には、疲れたような気配があった。

 

 

 

「なぁ、ギルガメッシュ叙事詩を知っているか」

 

「は、い……?」

 

「ギルガメシュ叙事詩でも良い。

 人類最初の英雄譚。世界全てを手中に収めた半神半人の裁定者。原初の王。英雄達の祖。ギルガメッシュ。その逸話」

 

「いえ……名前くらいしか」

 

 

 

 唐突に話が変わる。

 彼女が時々、昔の偉人や英雄を話に出すのは知っている。彼女がよく、そういう過去の誰かの成し遂げたモノを参考にしたり、真似たりするからだろうか。

 ギャラハッドは特に疑問も持たず、彼女の次の言葉を待った。

 

 

 

「ギルガメッシュ………英雄王ギルガメッシュ。

 神と人を繋ぎ止める役割を捨て、神々と訣別を果たした神代最初の、人の王。

 幼き頃は理想の名君と讃えられる程に礼節溢れた人だったが、突如彼は在り方を一変させる。

 民に敷くのは、圧政と搾取。

 傲岸不遜であり唯我独尊にして冷酷無比。逆らえば殺し、従わなければ殺す。

 正に理想のような暴君。彼の在り方は、この世に存在するあらゆる名君と暴君のイメージの原型と呼んでも良い。

 人の上に立つ、神の代弁者という存在。即ち王。それは最初、彼から始まった」

 

 

 

 実在した人のように彼女は語る。

 いいや、もしも実在した人物ならば、彼女の語り口は間違えてはいないのか。

 だが本当に、彼女は見て来たように語る。

 

 ブリテンの書物を全てひっくり返したと言われる彼女。

 過去の人々の生き様を思い起こせる彼女は、やはりきっと人々を裏切れないのかもしれない。

 憎悪するくらいに人を憎んで、人間に価値はないと断定しながらも、人々が遺したモノを何よりも大事にしているから。

 ギャラハッドが見つめる視線の先には、英雄譚に華を咲かせるのではなく、花を慈しむ少女が居た。

 

 

 

「しかし彼はただの暴君ではない。

 神と人。その二つを繋ぎ止める為に生を受けた、天の楔。天と地を繋げる役割を以って生を受けたが故、(まっと)うな生は受けず、故に王は孤独だった。

 きっと、星のような人だったのだろう。

 生まれた瞬間から完成され、世界全てが見え、故に世界全てを治める為、裁定者である事を選んだ……きっとそんな人」

 

「じゃあ……何となく、先輩に似ている気がします」

 

 

 

 星のような人。

 孤独で、己を最も強大な悪として、有象無象の悪を打ち消す人。

 救いの星足る名君になれた筈なのに、導きの星足る暴君の道を選んだ超越者。

 

 だが唐突に、彼女は表情を変えた。

 ギャラハッドの言葉に、いっそ分かり易い程に眉を顰めている。

 

 

 

「まさか」

 

 

 

 彼女は己を吐き捨てるように鼻を鳴らした。

 自分がそんな訳がない、と自嘲するような感情だった。

 

 

 

「絶対にあり得ない。

 私は、英雄王とは違う。きっと私がギルガメッシュ王にあったら、視界に映るのすら穢らわしい贋作だと断罪されるだろう。それくらいに、私は違う」

 

「……………」

 

「個人的には、それが少し怖いな。私は英雄王から、どう裁定を受けるのか」

 

「………………」

 

「いや、何でもない。ただの仮定だ」

 

 

 

 ギャラハッドは、先の発言が恐らく彼女にとって良くないモノだった事を悟る。

 彼女は時々、過去の偉人を慕いながら恐れる事があった。

 何を恐れているのかは知らない。

 視線の端で、彼女は木を背に蹲っている。彼女はぽつぽつと再び話し始める。

 

 

 

「でもそんな王ですら、死を恐れた。

 天涯孤独だった王。孤独だった筈の王。その王には、ギルガメッシュ王が唯一と呼ぶ、友が出来た。

 名を、エルキドゥ。

 神を見限った王を、神の元に戻す為に生を受け泥より形を得た天の鎖。英雄王によって人の心を得、人として生まれ変わり、また唯一英雄王を理解出来た人。

 エルキドゥとギルガメッシュ。

 二人の英雄譚は、互いにとって掛け替えの無いモノで、だからこそその日々は瞬く間で、その果てにエルキドゥは神々の怒りによって命を落とす。

 盟友の死。それが唯一、英雄王に影を落とした」

 

「………………」

 

「英雄王ですら、友に死を見て、恐れた。

 ギルガメッシュ王も奇跡を探し求めたんだ。

 彼の行いだけが、簡素に残されている。不老不死の旅路は失敗した。そして彼が己の国に戻った時……自らの国は滅んでいた」

 

 

 

 彼女は俯く。

 燃える焚き火の光に、薄い金髪が照らされる。

 

 

 

「私は怖い。聖杯探索を終えてキャメロットに戻ったら、何もかもが滅んでいた。何もかもが致命的になっていたなんて事になりそうで、怖い。

 英雄王ですら恐れた、滅びの宿命を覆す奇跡に縋るという行為が、堪らなく怖い」

 

「………………」

 

「私はどうあっても賢王にはなれないのだから」

 

 

 

 溢れる言葉は、間違いなく彼女の弱さだった。

 彼女は言うだろう。国の再建は出来ないと。

 

 

 

「だから私は聖杯探索をもうやめたい。この当てもない旅をやめたい。ギャラハッド。お前に当てはあるか? 聖杯に辿り着くまでの道筋が」

 

「………すみません。分かりません」

 

 

 

 ギャラハッドは正直に答えた。

 元よりギャラハッドも——聖杯を求めてではなく、彼女についていくのを目的にしていたのだ。聖杯の事なんてそこまでは知らない。

 

 

 

「そうだろう。じゃあもう。ここで終わりにしないか……私達の聖杯探索は」

 

 

 

 俯いたまま、彼女は言う。

 やめるからお前もやめろというのではなく、もう一緒にやめないかと尋ねる姿は不安定だった。

 普段の彼女なら無理矢理、己に従わせるだろう。だが今の彼女はそれをしない。出来ないとでも言うべきなのかもしれない。

 

 ふとギャラハッドの脳裏に、一つの言葉が過ぎる。

 それを言葉にしようと、口が開く。

 

 

 "ここから、二人で逃げませんか?"

 

 

 それは何もかもを裏切る言葉。

 王という立場も騎士という役割も捨て、聖杯も忘れ、全てを投げ捨て、何処か二人で遠くに逃げないかという提案。

 二人ならきっと、何処でだってやっていける。まだ逃げられる。今なら逃げられる——

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 しかし、開いた口から言葉が出る事はなく、ギャラハッドは口を閉ざした。

 何を一体、と自嘲するように頭を抱える。

 その選択は、無責任だった。

 一人の人間を、一人の女性の全てを何もかもを背負えるのか。

 それは父親が一度逃げた道。しかし彼女の場合は話が違う。街一番の美女という話でもなければ、一国の姫なんて話ですらない。

 ましてや彼女はそれを望んでいない。望んでいるのは——自分だ。

 それも、愛ではなく同情でそれをやろうとしている。かわいそうだから救いたいという、そんな感情で。

 

 

 

「ギャラハッド?」

 

「——……先輩は、聖杯で叶えたい願いは無いのですか」

 

 

 

 口から出た言葉は純粋な疑問で、それ故に優しかった。

 そもそも、彼女の事を知っているようで本当は何も知らない。

 世界を救ってくれと誰かは言う。だからその願いは彼女の願いではない。王とか騎士とか影武者とか、そう言う役割から切り離された彼女は何を願うのか。

 

 

 

「私は…………」

 

 

 

 彼女は何かを迷っていた。

 が、それは聖杯に何を願いたいのかを迷っているのではなく、今ここで叶えたい願いを探しているのだとギャラハッドは気付いた。

 彼女の呼び名は、私欲なき騎士。故に十三の席に座れたと言う、穢れを祓う粛正騎士。

 

 

 

「…………分からない」

 

 

 

 長い間迷った挙句、ようやく彼女の口から出たのはそれだけだった。

 

 

 

「私は、聖杯に何を願えば良いのだろう。

 莫大な富に興味はない。名声、地位。必要ないのにもう得てる。力が欲しいとは思ってない」

 

「………誰かを蘇らせたい、とか」

 

「………………」

 

 

 

 今のは、また良くない発言だったのだろう。

 彼女は表情を曇らせた。

 

 

 

「…………………」

 

「…………………」

 

「もしも姿も同じで、記憶も同じで、血肉の通っている人形を作り出せば、それは死者蘇生になるか?」

 

「——え?」

 

「悪い。何でもない」

 

「………………」

 

「あぁ、本当になんでもない。

 どうしよう。自分で自分に驚いた。

 たとえ同じ形の、私という個人からすれば同一人物として定義出来る人に再び会えたと仮定しても、何も、心が動かなかった」

 

 

 

 それを無表情で語る彼女は、ナニカが致命的に壊れているようだった。

 

 

 

「何故か、その光景を思い浮かべても、私は何も嬉しくもない。

 ただただ罪悪感だけがある。あれほど強く思っているのに、私は死者に会ったら、何かが壊れる気する。

 あぁ本当に、私にとって聖杯は余分なんだな。

 叶えたい願いがない。叶えられる願いがない。私は何も求めていない。ようやく今更、気付いた。いや、気付いてはいたんだ。だから……それを実感させられたと言うべきか」

 

「………」

 

「あー………いやだなぁ、本当に。聖杯を求めるなんて行為が、私の器を暴き立てている感覚がする」

 

 

 

 空を見上げて、彼女は小さく微笑む。

 投げやりになって笑うように、彼女はいっそ穏やかな表情で言う。

 

 ——どうして彼女は、こうまで空虚な事を実感しながら、そう言う風に笑うのだろう。

 ギャラハッドが見つめる視線の先には彼女がいる。

 その姿は本当に美しくて、どこまでも儚げだった。

 

 

 

「だけど、それだとお前は満足しないんだろう。

 だからそうだな。じゃあ——」

 

 

 

 だからギャラハッドは、彼女の次の言葉を想像もしてなかった。

 誰よりも現実ばかり見ていた彼女が。何よりも、一番のモノを諦めている彼女が、そんな事を——楽しげに言うとは思わなかった。

 小さく笑って、良い事を思いついたとばかりに彼女は言う。

 

 

 

「もしも聖杯が手に入ったら、いっその事私は——」

 

 

 

 人差し指を立てて。

 悪い事を思い浮かんだような笑みで。

 でも小さく微笑むように。

 これならお前も満足だろうと言うように、彼女は願いを言った。

 

 

 

「——世界の恒久的な平和なんて望んでみよう」

 

 

 

 世界の全てが幸せなら良いのに。世界が救われれば良いのに。

 そう願う彼女は、そんな願いは叶わないと半ば諦めるように投げやりに告げていながら、でもそれが、本当に——本当にそうなれば良いのにと望んでいるようで、

 

 

 

「……————」

 

 

 

 思わずギャラハッドは、はにかむように、噛み締めるように笑ってしまった。

 

 

 

「…………あ? なんで笑う」

 

「いや——だって」

 

 

 

 そんな子供みたいな望み、出て来るとは思わなかったから。

 なんて言うか、初々しい夢だった。この世の誰もが幸せであって欲しいという願い。

 全ての少年が一度は胸に抱き、だが現実の非情さを知る内に諦め、捨てていく理想。人が人なら、それを幼稚だと言うだろう。

 

 

 でもそれを、あの彼女が言ったのだ。

 

 

 夢もなく、理想もなく、世の理の全てを無情だと捉える彼女が。

 どんな幸福にも代価となる犠牲があるのだと、何処までも弁えてる彼女が——そんな事を言うなんて。

 だからギャラハッドは笑った。

 彼女を幼稚だと笑っているのではない。ただ——そういう事を彼女が口にしたのが、嬉しかった。

 

 しかし彼女は違ったらしい。

 ギャラハッドの笑みが、この願いをバカにされたのと感じて憤っている。

 

 

 

「笑うな。端的に言って不愉快だ。殺意すら沸く」

 

「違う……違います。そうじゃなくて……」

 

「………なんだよ」

 

「——何もかも諦めているように見えていた先輩が、そう言う夢を語ってくれたのが嬉しいんです」

 

「…………この願いは幼稚で、私のような子供には年相応だと言いたいのか」

 

 

 

 何かムキになっているのか、彼女の願いをバカにしている訳じゃないと言うのに、彼女は拗ねて膝に顔を埋める。膝から目元だけを出して、彼女は続ける。

 

 

 

「この願いは、とても美しいモノだ。多くの人が、いや、全ての人が一度は胸に抱くモノだ。だからこの願いは、人類の理想なんだ。

 だから笑うな。人の夢を、人の理想を笑うな。

 誰もが思う。全ての人が幸せならいいのにと。もしそうなら、救われない人もいないし、報われない人もいないし、幸福の代価の犠牲になる人も出ない」

 

「———…………」

 

「だから、笑うな。

 誰もがこの夢は未来永劫叶わないモノだと言うだろう。誰もがこの夢を叶えられなかったから。でも叶わなかったのは——誰もがこの夢を諦めたからだ」

 

 

 

 夢を見ない騎士が、夢を語る。

 人が嫌いな人間が、人の力を信じている。

 人間を見放している竜が、人間はまだやれる存在だと信じるように、人間の理想を尊重すべきモノだと、守るべきモノだと語る。

 その光景はどこかおかしいものに見えて、でもギャラハッドは目が離せなかった。

 

 

 

「だから、誰も笑う資格なんてない。

 全ての人が一度は思って、全ての人が現実と理想の差に弁える。美しい夢だと知りながら、その道の険しさに目を逸らした臆病者に、この夢を本当に追い求めて貫き通そうとしている人を笑う資格なんてない」

 

 

 

 彼女は誰を守っているのだろう。

 そうまで語りながら——彼女自身は、その夢を諦めている。

 なのに、彼女はその夢を、本気で大事そうにしていた。子供の頃の大切な夢のように、大事そうに守っていた。

 だからやっぱり、それがギャラハッドは嬉しかった。

 

 

 

「…………気持ち悪い。なんだよその笑み」

 

「おかしくはありません。

 貴方がそう言う風に、当たり前の事を当たり前のように大事そうにしていて、嬉しいんです」

 

「…………私は真面目だ。

 だから笑わない。それに、人の夢も理想も笑わない………お前は最低な奴だ」

 

「…………フフ」

 

「笑うな。何がそんなにおかしい。

 私は間違った事を言ってるのか? 何か変な事を言ってるのか? いいや言ってない。ただ当たり前の事を話している」

 

「何を。貴方がおかしくて笑っているんじゃありません。

 ただ——嬉しいから笑っているんです」

 

「……………」

 

「知りませんでしたか? 人はこう言う風に笑えるんですよ」

 

「…………これが微笑ましいモノにでも見えたのか? 年相応で嬉しいと?」

 

「違います、全然。

 ただ貴方の原点が、そう言う美しいモノで、それをちゃんと今も大事にしているのが嬉しいんです。先輩も、自分の大事なモノが他人にも大事にされていたら嬉しいでしょう?」

 

「…………知るかそんなの」

 

 

 

 彼女は此方の言葉をちゃんと聞いてくれずにそっぽを向いた。

 少し子供っぽいなと思った。意固地だと言っても良い。しかしだからこそ、彼女がどれだけ本気なのかが分かる。

 

 自分では叶えられないと理解したが故に、心の底から熱望している。

 そうなれば良いと本当に心の底から望んでいるから、笑われるのが絶対に許せない程。

 そうだった。きっと最初も彼女はそうだった。本当に世界が救われて欲しいと願っていた。

 

 そして恐らく、今もそう思っている。

 だからこそ彼女は——絶望しているのだ。

 

 全ては救えない。

 それでも、一つでも救いたい。何より、犠牲になる人を少なくしたい。

 それは、多数を生かす為に少数を切り捨てるなんて言う行為に繋がる。だから、やりたくてやっている訳ではない。

 

 それは——この世界の全てが、犠牲と救済の両天秤に載っているのだと理解した者の、悟りと諦めの先にあるモノだったのだろう。

 だからこそ、彼女はその天秤の計り手となり、片方の皿を空にする以外に方法はないのだと志す以外に他なかった。

 彼女の修羅の如き生涯にそれが滲んでいる。

 彼女の原点。

 人の死を受け入れ難いモノだと感じながら、どこまでも人を殺す手段に長けていった人物の由来。

 

 

 でもそんな人が、それでもと、まだ心に抱いている。

 

 

 もうとっくに捨て去り、忘れ去り、意味がないと捨てる事もなく、子供の願いだと、幼稚な理想だと蔑む事なく、本気でそれを大事にしている。

 それはまるで、あの日最初に彼女を見た日の——あの花が咲くような笑みを見た時に抱いた感情にも似て、ギャラハッドは嬉しかった。

 

 そう。やっぱりそうだった。

 最初から彼女はそうで、やっぱり今もそうなのだ。何処まで行っても、どれだけ泥にも塗れても、彼女はそう言う存在だった。

 ずっとずっと、彼女は変わっていないのだ。

 だから、きっと——

 

 

 

「………じゃあギャラハッドは何かないのかよ」

 

 

 

 ——その姿に見惚れたのだ。

 

 

 

「——僕、ですか」

 

「あぁ。私から言ってばかりだ。だからギャラハッドも言え。お前が聖杯に願う夢を言え。

 しかし私はお前と違って笑わない。

 どんな荒唐無稽な願いでも、その夢に至るまでの想いが確かにあったのだから、私は絶対にその想いを否定しない。しないからな」

 

 

 

 願い。それは考えもしなかった。

 ただただ、ずっとその後ろ姿を追い求めていた。同情、憐憫。そんなモノばかりだっただろう。ひとえに、棘の如き巡礼の道を最初から走り続ける姿に憧れを抱いた事はあれど、ほとんどはそう言うモノじゃなかった。

 彼女がそれをするのは、間違えているような気がしてならないという感情。

 

 

 だが、それを間違いだと言う権利は誰にあろう。

 

 

 否、ない。少なくとも、その姿に……その姿にだからこそ見惚れて、心を動かされた人間に言う権利はない。

 彼女が言ったあの夢を、誰も笑う権利などないと語ったそれと同じだ。

 彼女がそう言う存在じゃなかったら、きっと、自分は彼女に見惚れる事はなかった。

 彼女を支えたい。彼女の道を阻むモノから彼女を守り、負担を減らしたい。今はそう思い始めている。

 

 だから。彼女と一緒に居たいと、そう思う。思うのだ。彼女の行く末を見届けたいと。

 でも、それと聖杯に何が関係あると言うのだろう。

 聖杯に不老を願うか。いいや違う。そう言う話じゃない。そう願えばきっと、彼女は心に要らないモノを背負ってしまうだろうから。同じ不老の存在として、彼女は己の事を気にかけるようになるだろう。

 

 だからもし願いがあるとするなら、それは——

 

 

 

「…………そうですね。あります。叶えたい願いが」

 

「それは何だ? 言え。今すぐに言え」

 

「それは……すみません。秘密です。教えられません」

 

「……なんだと、お前」

 

 

 

 彼女には悪いと思うが、どうしてもこの想いだけは言いたくなかった。

 何より、この想いで彼女を縛りたくはなかった。

 

 

 

「私にあそこまで言わせていながら、お前はダンマリだと? ふざけるな。流石の私でもこれはかなり腹が立つ。弄ばれた気分だ」

 

「ごめんなさい。これはあまり、人に言えたモノではないんです」

 

「…………何?」

 

「いえ、その………恥ずかしいので」

 

「許さん。言え。私は言ったんだぞ」

 

「いや違うでしょう。

 先輩のは願いがないからの願望であって、自分自身の願いじゃない。僕のはその、普通の私欲なので」

 

 

 

 そう言うと、彼女は途端に不満げな表情になった。

 納得行かない表情でもある。

 

 

 

「…………しょうがないだろ。だって欲しいものがないんだ。だから願いなんてない。そもそも知らない」

 

「もっと強欲になって良いんですよ。先輩は。

 先輩は、今あるもので足りようとさせてばかりだ」

 

「なんだよそれ……私は強欲だ。何から何まで手を伸ばしている。足りないからと一杯溜め込んでいる。お前は嘘つきだ」

 

 

 

 はっきり言って彼女は拗ねているようにしか見えなかった。

 意固地になって全てを真正面から、反対の事を言って来ている。

 その姿が微笑ましくて、ギャラハッドは笑う。

 

 

 

「先輩。人はもっと何気なく笑うし、当たり前のように何かを願うんです。

 だから本当に尊いモノの為に笑うのではないし、美しいモノしか願わない生き物ではないんですよ」

 

「………知るか嘘吐きめ」

 

「じゃあ今から一緒に学んでいきましょう。

 大丈夫です。不肖ギャラハッドが先輩の補佐を務めます。先輩ならきっと間違えません。始まりが尊いモノですから」

 

「………煩い。お前の言う事なんか聞くか」

 

 

 

 露骨な程に顔を顰めて、彼女は嫌そうな表情をしている。

 最初の彼女が纏っていた陰鬱な様子は何処へやら。彼女が本当に嫌悪する時は、口元を歪めずにただ眉だけを顰める事を知っているギャラハッドは、彼女の表情にも臆する事なかった。

 ギャラハッドは微笑みながら、彼女に視線を寄越している。

 

 

 

「お前こそ何なんだ。まともな欲求もない癖に」

 

 

 

 ギャラハッドは笑いながら誤魔化した。

 聖杯に叶えて欲しい願い。もしも叶うならそれは——彼女に細やかでも幸せがあれば良いと願う。

 でも、それは自分が叶える願いでも——自分が叶えてあげる願いでもない。

 彼女が、彼女の為だけに勝ち取るモノだ。それの支えになれば良い。それだけで良い。

 

 

 

「どうして私について来た。

 お前の使命ではなかった筈だ。だからお前が聖杯を取らねばならない理由なんてなかった。

 なんだ。人には言えないその願いを叶えたかったから私について来たのか」

 

「えぇっと……その」

 

 

 ………少し、言い辛い。特に、彼女に向かっては言い辛い。

 嘘を言おうにも思いつかないし、彼女なら嘘だと見抜いて来そうだった。少し彼女との受け答えが良くなかったからか、彼女は追及の手を緩めない。

 ギャラハッドは目を逸らすしかなかった。

 

 

 

「…………ふーん」

 

 

 

 が、その態度にこそ何か思う事があったのかもしれない。

 彼女はギャラハッドの事を無表情のまま、じーっと見ていた後、唐突に言葉を発した。

 

 

 

「…………悪いな、変な事を聞いて。少し頑固になっていた。もう良い。お前の事だ。その願いが悪いモノではないだろう。

 それにこれは私が弱音を吐いてから始まったモノだ。ありがとう。私の愚痴を聞いて。少し楽にはなった」

 

「……………」

 

「もう少し頑張れば良い。もう少し、もう少しだけ。それでもダメだったら、その時はキャメロットに戻る。後……数週間くらい経ったら」

 

 

 

 彼女は毛布を身に纏い、(くる)まる。

 鋼鉄の鎧もなく、冷たいバイザーもなく、ただ毛布に身を包む彼女の姿は少女そのものだ。その形といい、その小ささといい、針を刺すような雰囲気は一切ない。

 

 その姿を見れば見るほど、彼女は戦いの場に出なければ良いのにと思う。

 剣なんて握らず花束を目一杯抱えてれば良いのにと思う。彼女に——人並みの幸せを与えたいと思う。

 でも、でもそれは——きっと違うのだろう。

 それを拒絶するから幸せになって欲しくて、幸せになった彼女をもう幸せには出来ないと理解するから。

 故にこれはあまりにも欲深い、人の我儘だ。

 

 手に入らないから彼女は美しくて。

 人の幸せを拒絶する彼女だから、彼女を幸せにしたいと思っている。

 なんて破綻していて、倒錯的な欲なんだろう。

 

 

 

「先輩」

 

「何だ」

 

 

 

 空を見る。

 空を見たまま、空に輝く宵闇の星を眺めながら、彼女に振り返らず言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——月が綺麗ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はっきり気付いた。だから明確にする。

 自分は、彼女の事が好きだ。

 同情とか憐憫とかから始まったかもしれないけど、心の底から彼女の事が好きだ。だから心の底から思った。彼女が人並みの幸せを得れば良いのにと。

 

 でも、自分のこの気持ちを彼女に伝えてしまったら、きっと彼女の輝きを損なってしまう。彼女にとっても迷惑になってしまう。

 届かない星のように、きっと絶対に手に入ってくれないから彼女は美しかった。

 

 

 だからギャラハッドは、そう言って誤魔化した。

 

 

 でもその誤魔化しに嘘はない。

 ギャラハッドは今の言葉を、そう言う意味で言った。月の名を冠する彼女になぞらえて、彼女への恋心をそう例えた。

 伝わりなんてしない。むしろ伝わらないように言ったのだから、伝わったら困る。

 まぁ……確かにそう言えばそうだな、くらいの感じで彼女はきっと流すだろう。

 それで良い。この淡い形は、形にしないまま彼女に伝えて霧散させてしまえば良いから。

 

 ギャラハッドは言葉を待っていた。

 月が綺麗ですね、に対する彼女の返答。

 だが——彼女からの返答は、待てども全く来なかった。

 予想していた反応が来なかった事に、ギャラハッドは彼女の方へ振り返る。

 

 

 

「———————」

 

 

 

 するとそこには、完全に硬直した彼女が居た。

 針で貫かれたように、彼女はその場で縫い付けられている。

 動揺して、狼狽していると言っても良いかもしれない。彼女の硬直はそう言う感じのモノだった。

 ギャラハッドは彼女と瞳が合う。

 外れたバイザー越しの、彼女と視線が合う。

 

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「先輩………?」

 

「……………………」

 

 

 

 彼女は無言で毛布に深く包まり、横になった。

 一切の反応をしない。返事もしてくれない。そっぽを向いたまま、彼女は無視を決め込む姿勢を取っている。

 

 

 

「……………………」

 

「あのーー……先輩?」

 

「煩い黙れ。話しかけるな。さっさと寝ろ。

 いつもいつも私の方が早く起きるから、まだ寝てるお前を起こすのが面倒なんだ。明日くらい、私より早く起きて見ろ」

 

 

 

 毛布で頭を隠して、彼女は体を丸める。

 それ以降彼女に話しかけても、より丸まるだけで、全てを冷たく遮断された。一体どうしたんだと心配しても、全く見向きしても貰えなかった。

 

 

 

「…………」

 

「いいかげんにしろ。眠れないだろ」

 

 

 

 ほどなくして、ギャラハッドも彼女と同じように横になり、眠りに就く。

 言い知れない不安を感じながら、しかし彼は眠りに付けた。

 この日は唯一、今まで初めて、彼の方が早く眠りに落ちた。

 

 




 
 
 BPM120


 


 
 
Select
 
 月明かりの下。灯火を囲んだ中。彼女は告げた。
「そうだろう。じゃあもう。ここで終わりにしないか……私達の聖杯探索は——」


  1. 彼女は、疲れている。なら自分が彼女を——
 →2. ダメだ。それだけは——(*選択肢失敗数1以下で解放)
 

  ——「——……先輩は、聖杯に叶えたい願いは無いのですか」
  ルーナ√消滅回避。
  下記の選択肢解放。


 




 
Select
 
 ようやく——気付いた。


  1. 僕は彼女の事が好きだ。
 →2. 僕は彼女だからこそ好きになった(*選択肢失敗数0で解放)
 

  ——「——月が綺麗ですね」
  
—— ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
—— BAD END・代わりの犠牲。ルーナ死亡√回避
 
 

 



 鉄心√解放
 三番目のフラグ解放。現在二つクリア



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