騎士王の影武者   作:sabu

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 もう遅かった。
 それだけの話。
 


第89話 朔月は疾うに空洞なり 転

 

 

 

 夢から覚めるという事もなく、眠りから起きるという事もなく、ルーナは朝を迎えた。

 単純に一睡も出来なかった。しかし疲れはない。肉体的な問題なら、彼女は人間としての常識から逸脱している。

 だが問題は精神だった。

 未だに頭が動かない。鈍器で殴りつけられたような衝撃が残っている。何をするにしても意識が働かず、ただぼーっとする。

 動かなくなった体の如き重さが、ただ表層に浮かんでいるだけだった。

 

 

 ルーナはもそもそと、丸くなっていた体を解いた。

 

 

 視界に入って来る陽の光。

 一睡も出来なくとも、目は閉じていた。早く眠りに落ちろと祈り続けていた。が、このザマだ。そのせいで余計に眠れなくなったとも言える。

 彼女は空を見上げる。

 星空ではない晴天の青空。白い晴れやかな雲が、風に乗って動いている。その光景を、意味もなくぼーっと眺め続けた。

 

 意識が戻らない。

 体から何かが抜け落ちたような感覚が一番近いだろう。

 眠くはない。が、頭は動かない。

 酒で酔ったようで、熱にのぼせたような感じだった。いや、正確には分からない。のぼせた事はあるが、酒に酔った事はない。じゃあやっぱり、熱にのぼせているが正しいのだろう。

 

 

 

「………………………」

 

 

 

 彼女は体を起こした。

 酷くノロノロとした動作だった。傍から見れば、風邪を引いたように見える。そんな雰囲気だった。

 

 彼女は隣を見る。

 視線を向けた先には、未だ眠っているギャラハッドが居た。

 昨夜あれほど自分よりも早く起きろと言ったのに、まだスヤスヤと寝てる。全然本気じゃないのだろう。酷くムカついて仕方なかった。

 

 彼女はギャラハッドの寝顔をじーっと見る。

 特に何とも思わない。少なくとも、それだけは言えた。

 当然だ。そもそもこの一年間、毎日見てる。

 隣で自分が寝てるのに、良くコイツこんなスヤスヤと眠れるなと感心して、ギャラハッドが起きるまでずっと寝顔を観察していた事もある。

 

 

 

「あぁ…………………」

 

 

 

 だから、ギャラハッドの顔を見ても特に何も思わない。

 つまり心が動いたりしないし、ドキドキしたりもしない。でもただ、のぼせたような熱だけがある。

 

 

 

「変……………気持ち悪い」

 

 

 

 そう自分を俯瞰して、自分に吐き捨て、意味が分からないが故に彼女は不機嫌になった。

 それもこれもギャラハッドのせいだ。

 "月が綺麗ですね"

 なんて事のないように、さらっと言ったギャラハッド。

 いや、それはさらっと言うだろう。他意はない。ある筈もない。ただ偶然、月が綺麗だったからそう言っただけ。

 しかしだ。ギャラハッドは、そう言う事をさらっと言うのだ。許せない。やはりコイツはランスロットの子供と言う事だ。しかしギャラハッドはランスロット本人ではない。だからコイツは天然で言う。

 はっきり言って嫌だ。何か、本当に嫌だ。すっごい嫌だ。

 

 顔を真っ赤にしながら真っ直ぐ好意を告げて来るギャラハッドはイメージ出来るのに、ランスロット卿の様に余裕気な笑みを浮かべて口説いて来るギャラハッドの姿はイメージ出来な…………くは、ない。イメージ出来る。出来た。すっごい出来た。非常に嫌だった。

 なるほどこれが俗に言う、解釈違いという奴なのかもしれない。

 ギャラハッドのどうでも良い事の全てが何かも癪に障って仕方なかった。

 

 

 

「——くっそコイツ……………スヤスヤと眠りやがって…………」

 

 

 

 純情な少年みたいな寝顔で寝ているギャラハッドが無性に頭に来る。

 だから彼女は、ギャラハッドの頬を摘んだ。人差し指と親指で、思いっきり頬を引っ張る。もはや抉るくらいの勢いで捻る。

 

 

 

「………………」

 

「ッ…………ぅ、ぅう」

 

「………………」

 

「ッい———痛っ……た!? は、な………え!?」

 

 

 

 ギャラハッドが目を覚ましたのを見て、彼女は手を離した。

 何が起きてるか理解出来ず、完全に慌てている彼の姿を見て、ようやく彼女は気を収める。ざまぁみろと、酷く陰鬱な逆襲で悶々とする感情を呑み込む。

 が、ギャラハッドが見ているのはひたすらに不機嫌そうな彼女の姿でしかなかった。

 フン、と鼻を鳴らして彼女は立ち上がる。

 呆然とするギャラハッドを無視して彼女は支度を始める。

 

 

 

「さっさと起きろ。もう出発する」

 

 

 

 振り返りながら告げる彼女の視線は冷たく、姿勢も相まって見下すような佇まいの彼女は、不機嫌を通り越して嫌悪感丸出しのそれだった。

 今の彼女は、酷い理不尽の塊でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの旅路というもの、彼女がいつも眉を顰めていたくらいで特に何も変わらなかった。

 バイザーが外れたというのに、無表情かそればかり。

 近寄り難い雰囲気そのものであり、事実街を訪れた際、彼女は人々から距離を置かれた。

 だが、変わらずギャラハッドは彼女についていった。

 

 

 一週間、二週間と経つにすれ、彼女はまたいつものように戻る。

 

 

 何も変わらない。

 たったそれだけの差異。変化したものは何もない。故に二人はまた旅を続けた。

 その途中。旅の切り辞めが見えて来た頃、再び戦に巻き込まれた国の話を彼らは聞く。既に五の国が滅んだ。また今回も滅ぶだろう。それ故に彼女達は無視する事にして——その国の話を聞いて彼女は方針を変えた。

 

 曰くその国は、活性を司る魔術……のなれの果てを継承した国だと言う。

 曰くその国は、過去滅亡の危機にあったが、二人の少年騎士により救われたという。

 曰くその国は、一人の少年騎士に、ジョワイユという活性の宝剣を渡したという。

 曰くその国は——遂に昨年、二人の姉妹の内、妹のリネットという王女を即位させたという。

 

 名前のない国。

 彼女が関わらなければ滅びを迎えた六番目の国は、彼女の介入により、とある儀式に"勝ち残った"。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が昇る昼間に上げられた会戦の狼煙。

 それが、夕方には会戦の狼煙を上げた方の軍勢が悉く燃え尽きる事で決着を迎えた。

 それを成した焔の炎剣が光となって霧散する光景を、リネットは遠くから見ていた。

 

 灼熱の炎ですら瞬時に蒸発しないほど血に濡れた刀身も、刃そのものが光となり消える事で、血は地面に落ち滲みとなっていく。

 彼らに対して、腰に携える黄金の聖剣を抜く価値はないと判断したのか、もしくは先王アーサーの剣を血で汚したくなかったのか。

 彼女はこの会戦では炎の揺めきのような、独特な剣しか使っていない。

 

 リネットが見つめる視線には、この国で最も影響力のある少年………否、少女の成長した後ろ姿がある。

 

 その彼女は、辺りの地面に目を向けた。

 広がるのは敵兵の死体ばかり。彼女に傷はない。浴びているのは返り血だけ。もっとも、音速の機動を繰り返し、炎の剣閃を弾き飛ばす彼女が返り血を浴びる事は少ない。つまりは——それだけ人を殺したという事だ。

 一体幾らの人が居ただろうか。

 きっと数百は居た。今まで彼女が(あや)めて来た命に比べれば、千以下など霞む程度のものだが、それでもリネットは狼狽を隠せなかった。

 彼女が、僅か一日足らずで、こんなに手を汚してしまった。

 

 

 

「………………——————」

 

 

 

 バイザーがないから、どんな表情をしているか分かる。

 地面と敵兵を見る彼女の視線は冷たく、表情は酷く不快そうだった。

 彼女は苛立っている。それは、戦いが平定したにも拘わらず戦争を繰り返している人間への不快感か、聖杯という奇跡に目が眩んでいる民への落胆か、明確な悪が無ければ故郷を同じモノとする人間同士が戦い始める事への失望か。

 冷たい怒り。凍えるように煮え滾る熱量。

 過去に見た、彼女の奥底の正体はきっとこれだった。

 

 

 しかし、不意にその熱量が冷め切る。

 

 

 疲れたように溜息を吐き、彼女は平静に戻る。

 一秒、二秒。腰に手をやり、視線を切る。そんな人間らしい動作で、彼女は元に戻った。

 

 

 

「ギャラハッド。そちらは任せた。

 私は私でやらなければならないものがある。後で合流しよう。互いの説明はその時に」

 

 

 

 こくっと頷いて、紺色の鎧に身を包んだ騎士は離れていった。

 ギャラハッド。聖騎士ギャラハッド。五年前に、アイルランド島での一戦の時に目撃した事はあったが、あの少年騎士がこうまで名を残す人だったとはリネットにとっても驚きである。

 が、あの聖騎士ギャラハッド。

 彼は彼女に何も言わない。聖騎士と呼ばれる程なのだから、こう言うひたすらに血生臭い惨状に何か反応するかと思えば、彼は反応をしなかった。眉一つすら動かさない。

 割り切っているのか、人間はこう言うモノだと冷め切っているのか。

 彼女と以心伝心の関係を結べている時点で、あの聖騎士も人間性から一つ逸脱出来るのだろう。

 それをリネットは理解した。

 

 

 

「それで無事か、リネット。

 戦場の真っ只中に飛び込んで来る勇気は認めるが、お前の場合だとそれは蛮勇だぞ」

 

「別に。終わったと判断したんだから良いでしょ。

 国の上に立つ者として、ただ後ろから見守っているだけの人間に民がついて来ると思う?」

 

「成る程…………どうやら其方は何も変わらないようで」

 

 

 

 戦場の跡地。

 死と戦禍が残る平原の中、彼女は納得したように表情を緩めた。

 

 何を私は言ってるんだと、リネットは自分に呆れた。

 今の発言、それこそ彼女が体現者なのだ。後ろから見守る王ではなく、先陣を切り、後ろ姿で導く者。

 そう。彼女も民を預かる人になってしまった。それも一国の王とかそう言うモノではなく、島の王。本来なら、自分が意見するのすら遠い程の人物。

 いつの間にか、彼女は遠くなってしまった。

 いや、元から遠かった。ならとどのつまり……彼女に追いつけなかったのだ。

 

 

 

「それで私が何か。国を治める者として、私の耳に今すぐ入れたい事があるのか?」

 

 

 

 ほら。こうやって、すぐに言いたい事を彼女は言えなくして来る。

 リネットは複雑そうで、でも不機嫌さが勝った表情でルーナを睨んだ。

 

 

 

「……………」

 

「違うのか? 違うのなら、話を急いだ私を許せ。あまり時間に許された身ではないんだ。

 私への心配なら要らない。国としてのメンツに関わる事なら私は無視する。この件にキャメロットは関係なく、私が首を突っ込んだだけだ。

 故に礼は要らない。ただただ、罪悪感と礼を織り交ぜにして私に近付いたのなら、私の事は気にしないで欲しい。私達はすぐにここを去る」

 

 

 

 確かに彼女の言い分は有難かったし、彼女なら疑わなくてもいいだろう。

 キャメロットとこの国の、公的な関係に何も触れないというのなら、もう此方が言う事はない。

 

 だから、もしここからあるとするなら、ただの世間話。

 この戦争に関する話はある。王と言う立場になった彼女の耳に入れておきたい重要な話もある。

 が、そんなのリネットには関係なかった。リネットは、彼女を王と認めたくなかった。

 

 

 

「良いか?」

 

「良くない。………えぇ、何も良くない。アンタに言いたい事なんて山程あるのよ、私は」

 

「…………世間話か? なら私は遠慮する。私から話す事もない」

 

「煩い。黙れ。私の話を聞け。もう五年間も音信不通を貫き通すなんてふざけるな」

 

「………………」

 

「後にしてくれなんて言葉で話を濁さないのは、もう後はないって確信しているからでしょ。じゃあ聞け。絶対に逃がさないから」

 

 

 

 歯を食い縛って、リネットは凛然と彼女に突き付けた。

 それに、彼女は観念したように溜息を吐いて応じる。

 

 

 

「…………今ここでか? こんな戦場跡地で。死体が残るこの場所で」

 

「煩い」

 

「私も血で汚れている。こんな場所、リネットには相応しくない」

 

「あっそ。だから何。私には関係ない。

 あぁ、アンタにはこの戦場跡がお似合いね。えぇ本当に相応しい。相応しくなった、アンタは」

 

 

 

 彼女以外の全てが死んだ死体の山。ただ一人、その山に立つ剣士。唯一血だらけの人間。それが彼女だった。

 ——ならば、リネットは自分だけが血で汚れていないなど許せなかった。

 

 

 

「相応しい、か………確かにそうだ。ここまで人殺しが上手い人間など、少なくこの島には居ないだろう。ならば、私にはこんな場所以外には辿りつけまい」

 

「煩い……煩い、煩い——っ!」

 

 

 

 感情を吐き出すように叫くリネットに、ルーナは自嘲するような態度をやめた。その隙を見て、リネットは彼女に近寄る。

 

 

 

「こんな惨状の真ん中にいるのがお似合いな奴なんて居ない。居る訳がない。そうなったのは、アンタがこの場にいるのを躊躇わないから。

 否定もしない。口にもしない。それをアンタ自身が望んで、他もそうあるように望んでいる」

 

「まさか。私は元々、誰にも望まれてない。ただあるがままに居て、私は私の意思でここに来ただけだ」

 

「————ッ」

 

 

 

 リネットは彼女の胸ぐらを掴んだ。

 すぐ下には彼女が身に付けている鎧がある。胸を覆う胸甲に胴甲。血で濡れた鎧で、彼女は自らを隠して来ていた。

 

 

 

「…………手を離せ。汚れる」

 

「汚れない。アンタの血じゃない」

 

「私の血じゃないから、汚れる」

 

「だから何。関係ない。自分一人だけ手を汚せば、他は綺麗なままだって言いたいのなら、もう関係ない」

 

「………………」

 

「私とアンタは何も変わらない。本当は変わらなかった。立場も………性別も。本当は、違いなんて何もなかった。

 なのに……なのに——何をそっちは」

 

「……………」

 

 

 

 交差していた視線が外れる。

 ルーナから視線を外していた。

 

 

 

「何、本当に本物になってるの。

 アンタはずっと、誰かにも出来た事を代弁しているだけだった。だからこの島の誰もが、私だって、アンタの代わりになれた。だからアンタは、誰かのやり方をなぞっているだけの偽物で良かったのに」

 

「それを貫いた結果が今の私だ。

 別に、今も誰かのやり方をなぞっているに過ぎない」

 

「それが、遂にアンタ以外に誰も真似出来なくなったら、もうアンタは偽物ですらないって言ってんの。分かる?」

 

「…………何を一体。私とお前では考え方の差異が大きすぎて共感出来ないな」

 

 

 

 言葉とは裏腹に、胸ぐらを掴まれたままの彼女は居心地が悪そうに視線を逸らしたままだ。

 彼女は小さい。リネットよりも小さい。

 その小ささが、歳の問題ではなく、彼女は男の子じゃなくて女の子だったからと気付いて、余計にイライラして仕方なかった。

 腕も細い。少し手を動かせば、首だってリネットでも折れそうなくらい華奢。成長途中の体を鎧を着込んでいる姿は場違いだ。ただそれが、持ち前の美貌で誤魔化されているだけで。

 

 ………いや、いやそれすらも違う。

 

 彼女はリネットが初めて出会った時から既にそうだったのだ。

 どうして分からなかったのだろう。どうして、誰も何も言わなかったのだろう。子供が前線で戦っているなど、誰もが思う地獄そのものだって言うのに。

 

 

 

「…………何。何がしたいのアンタ。

 私と同じ女の子で、ずっとずっと自分を隠して来て、幼い頃からずっとそうで、それでアンタはその果てにどう在りたいの?

 王になって、それでも何かを殺し続けて、いつまでそれを繰り返すつもり。

 結局、何がしたいの?」

 

「………耳が痛いな。これ以上ないくらいには」

 

「……………」

 

「なんだよ。お前に、私の何が分かるとでも言って反抗すれば良いのか」

 

「———ッ」

 

 

 

 リネットは、彼女を掴んだまま揺さ振った。

 殴る代わりに、ふざけんなと彼女を振り回す。

 

 彼女は無抵抗のまま、それを受け入れていた。

 抵抗しようと思えば、ただの人間一人どうって事ないのに、彼女はなすがままにされている。足元がふらつき、頭が揺れる。

 その度に、リネットの視線には彼女の薄い金色の頭髪がチラついた。

 本当に綺麗だった。

 水辺の砂浜に太陽の光が反射するような煌びやかさ。輝く宝石みたいな美しいさ。

 こんなバカみたいな事を繰り返し続けて、返り血も日々浴びているような事を繰り返していながら、彼女はずっとずっと、星のように綺麗だった。

 ずっと、綺麗なままだった。

 

 

 

「…………ッ、—————ッ」

 

「…………そんな顔をされても、私は困る」

 

 

 

 キッとなってリネットは彼女を睨んでいた。

 自分はどんな表情をしているのだろう。分からない。

 でもただ、瞼の裏が熱い事だけは分かる。

 どうしてこんなに感情を持て余していなければならないのか。どれこれも、何もかも、この目の前の女の子が悪いんだ。

 

 

 

「——ふざけんな。

 私は、私だけは絶対にアンタが王なんて認めない。アンタのやってる事は王じゃない。アンタなんて、王にならなければ良かった」

 

「…………………」

 

 

 

 きっと上手く言葉になっていないだろう。

 言いたい事を吐き出しているだけ。伝えたい言葉よりも先行して、浮かぶ言葉を言い続けてるだけ。

 彼女を掴み上げている手が震えている。

 その両腕を自由にさせたまま、彼女はようやく顔を上げ、表情を合わせて見上げて来た。その表情は、遠くを見つめるような表情だった。

 

 

 

「…………成長してるんだな、リネット」

 

「—————ッッ!!」

 

 

 

 その言葉に思わずカッとなって、リネットはまた彼女を揺さ振る。

 小さい子供が、言う通りに動いてくれない大人の足元に縋りついて暴れるように。

 だが大きさは真逆だ。

 覆せない身長。停止した年齢。

 泣き喚くようなリネットは彼女より大きく、居心地悪そうにしている彼女はリネットよりも小さい。

 疾うに成人を迎えた令嬢と、永遠に成人を迎える事のない少女がそこにいる。

 

 

 

「——ふざけるな………! 何が…………何が…………っ!」

 

「……………」

 

「私はっ! 私、は————」

 

 

 

 段々と、そのリネットの怒りが萎んでいく。

 彼女は遠かった。遠い人だった。それは立場とか役割とか在り方とか、強さとかそういう部分が、きっと遠い人だった。

 だが今はもう関係ない。道の先に彼女は居ない。彼女が人々の道そのものになりやがったからだ。

 さっきの言い分は何だろう。まるで自分以外が成長して変わっていくとでも言いたげな言葉が——きっとそう言う意図を彼女が持っていた訳でないにしろ、リネットは腹が立って仕方がなかった。

 

 

 

「………………」

 

「———ホント……ホントにアンタは、………アンタが………ッ」

 

 

 

 彼女はリネットから視線を逸らしたまま、ただただ佇んでいる。

 何か言って来れば良いのに、何も言わない。お前に何が分かるんだとか、私にも立場があるんだとか言って来たら話は違うのに、何も言わない。

 

 彼女の事が嫌いだった。

 リネットはそういう姿の彼女が、無抵抗で無表情で何かをただ耐えている佇まいのそれが、彼女が女の子と知る前からずっと嫌いだった。

 

 だから、今はもっと嫌いだった。

 その澄まし顔は、バイザーが外れてもそのままで余計に。しょうがない事だから仕方ないとでも言いたげな表情は特に。きっと彼女以上に嫌いな人間など居ない。

 遠い人。追いつけなかった人。

 しかし今はもう違う。目の前の人は、もう何処にもいない人だった。

 

 彼女が星と評されているなら、正にその通りだろう。

 星は常に変わらない。

 少なくとも、人には変えられず、また手など届かない。故に追い付くとかそう言う話じゃない。こう言う存在は、天に浮かんだまま人間の事など何もかも置き去りにして行くのだ。

 いや………置き去りにするのはきっと、本当は人の方。

 彼女じゃない。彼女以外の人間が、彼女を置き去りにしていく。

 本当に許せない。ずっとずっと、いつか"彼"に追い付いてやると意気込んでいて、あり得ないほど競争率の高い少年騎士の隣に居ても見劣りしないようにと頑張って、やっとスタートラインに立ったと思ったら、いつの間にかゴールが消えていたのだ。

 

 本当に頑張った。この数年は頑張った。

 だが同時に、このたった数年の間に彼女もふざけた事をしてくれた。

 たった数年。ほんの数年なのだ。それでいつの間にか——次の聖剣の担い手なんかになって、不老の存在になってくれた。

 

 だから、人は彼女を置き去りにする。彼女以外は消えていく。

 精神をどっかに置き去りにして、今度はコイツは肉体も固定するのか。こっちの気も知らないで。背後なんて振り返らないで、その背中に伸ばしている手も無視して。

 だから置き去りにしてしまう。

 自分は彼女を置き去りにしてしまう。

 

 

 

「最低………ホントにアンタ、最低。

 ならもう好きにすれば良い。もう、私は知らないから」

 

 

 

 捨て台詞を吐くように、リネットは彼女から手を離す。

 

 

 

「アンタの為になんか生きていても、私は報われない。何なの。アンタ、生きている人間が嫌いなの?」

 

「……………………」

 

「……………もう、良い。もう良い。

 私の事なんて忘れて、好きにしたいようにすれば良い。もう私とアンタは同じ道を歩めない。

 さよなら——もう私はアンタと顔を合わせないから」

 

 

 

 彼女は振り返らないだろう。

 だからリネットも、彼女の事を無視する事にした。好きにしてやる。伸ばした手を取らないなら、もう伸ばさない。

 リネットは、星を見る事を止めた。

 

 彼女に見せつけるように、リネットは振り返らずその場を去っていく。

 せめてこの感情を悟らせないようにと怒りで塗り潰して、自分を誤魔化して、リネットは城に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後程、合流しようと言われていたがそれなりの時間が経過していた。

 しかし未だ戻らない彼女を気にし、有益な情報を得られて戻って来たギャラハッドが見たのは、平原の丘の上で空を見上げていたルーナの姿だった。

 

 周りには死体ばかり。

 大地に残された鉄鎧に、地面に突き刺さった剣。半ばから折れた槍。砕けた盾。血に汚れた丘。

 その中心で、唯一傷を負っていないにも拘わらず血だらけの少女が空を見上げている。もう辺りは夜空になっているから、彼女はただ暗闇の空に浮かぶ一つの星を見上げていた。放心しているように見えるくらい、ただそうやっていた。

 

 

 

「先輩……?」

 

「…………悪い、何でもない。ぼっーとしてた」

 

 

 

 ギャラハッドが声をかけると、彼女は振り返った。

 手足や胴体程じゃないとしても、その顔も血で汚れている。彼女が黒い騎士鎧をしているのはきっと、錆止めもかねて乾いた血を目立たなくする意味もあるのだろう。

 アグラヴェイン卿と一緒だ。

 

 

 

「全くもう………これを」

 

「ごめん、ありがとう」

 

 

 

 ギャラハッドは絹の手拭いを水で濡らして、彼女に手渡した。

 彼女はいつもこうなので、この旅でギャラハッドは普段から手拭いと水袋を持ち歩くようになっている。

 鎧や衣服は何かを塗っているのか、血は滴るだけで染み付かないが、彼女の素肌はそうはいかない。湖に顔を突っ込んでいる姿は何回も見ている。

 

 

 

「何かありましたか?」

 

「……………いや。私の方からは何も。リネット嬢からは、何も」

 

 

 

 一瞬の憂いをギャラハッドは見逃さなかったが、彼はその事に深追いをせずに自らの話をし始めた。

 

 

 

「城の人々から色々と聞いたのですが…………まずはこれを」

 

 

 

 そう言ってギャラハッドが取り出したのは——

 

 

 

「…………———は? 何だと?」

 

 

 

 ——ルーナが知る聖杯と同じ形の杯だった。

 黄金の杯。同じく金色で美しい紋様が刻まれた、片手で持てる程の釜。

 

 

 

「これが、この国を含めて"七つ"配られたと」

 

 

 

 だが、その杯は薄汚れている。まるで泥の中に落として何百年も放置したような有り様。何の力も感じられず、聖遺物としての力の揺めきなどは一切ない。

 聖杯という形をしただけの偽物と言われたらすぐに納得出来るだろう代物だった。

 

 

 

「彼らが言うに、ある日"聖堂協会"を名乗る騎士の一人がこれを配ったらしいです。

 本物の聖杯を降臨させる為には、まずは願いを溜めなければならない。だからその願いを集める為に——」

 

「——ギャラハッド。良い。もう良い。もう何も言うな」

 

 

 

 静かに、ゾッとする程静かにそう呟き、俯いた。

 頭を抱えて俯く彼女。指先から覗く、あまりにも冷たい氷の視線にギャラハッドは黙り込む。氷の視線はギャラハッドが握る偽物の聖杯に固定されていた。

 

 

 

「今まで滅んだ国は五。ここも合わせれば六。つまり、最後の七がどこかにある」

 

「目論みは防げたのでしょうか………」

 

「さぁ。だが七つ揃おうが六で一つ足りなかろうが関係ないだろう。

 本物の聖杯は降臨出来なくとも、六もあれば何かしらの願いを叶えるのには充分足りる。本当に、偽物で万能に届くのなら」

 

「………………」

 

「届くのだろうな。最悪な事に。最低な事に」

 

 

 

 祈りよりももっと分かり易く、集め易く、力強いモノがある。

 嘆き。慟哭。呪い。単純な話だ。祈りは呪いになり得るが、呪いが祈りになる事はまずない。そして純粋に、呪いの方が単位的な話で多い。今を生きる人間と、今まで死んでいった人間の数が多いからだ。

 

 人の呪い。更にその死すら燃料として汲み上げる事が出来ればひたすらに効率が良いだろう。この時代だ。

 血を使った最も有名で分かりやすい原始の魔術のように、そんな行為による神秘ですら充分通用する。

 国同士の戦争。分かりやすい。この国で一番適している。

 もしも循環される事が出来たら、尚更効率が良い。

 

 サーヴァントなんて言う最高の燃料はないが、英雄を一番殺すのはいつだって大量の人間だ。ならば、大量の人間を汲み取れば、聖杯は起動するだろうか。

 分からない。だから試すのだろう。

 

 だが——あぁ、分かりやすい。

 尊い事をして、聖杯を降臨させるとかではなく、ギャラハッドが引き抜いた聖剣やそう言った聖遺物を捧げるとかでもなく、人の業を溜め込み燃料として、無理矢理再現する。

 主の奇跡などと言うより、其方の方がとても納得が行った。何より、酷く実現性が高いだろうと信じる事が出来た。

 

 

 そんな行為で生まれるモノなど、きっと最悪な程に碌でもないモノに違いないのに。

 

 

 いや………もうそう言う話ですらないのかもしれない。

 偽物とか本当とかは、もうどうでも良い。今はもう、偽物をどれだけ本物に近付ける事が出来るかの証明になっている程度。それが目的に使えるなら、捧げるモノが悪かろうが偽物だろうがどうでも良い。

 主に対する冒涜とも言える、そんな手段を選ばない人間なんて一体教会には幾ら居るのだろうか。一人だけ心覚えがあるのが最悪だった。

 

 

 

「最後の七。七つめ。この国に戦争をふっかけた国………」

 

 

 

 彼女は倒れた敵兵の亡骸を確認していく。

 敵兵から情報を引き出す事を優先すれば良かったと考えるがもう遅い。だが別に良い。欲しい情報は手に入っている。問題は次にどうなるかだ。

 

 そう。もうこれは最終盤。例えるなら、最後と最後の一騎がいつ決勝戦を始めるかなんて状況。

 勝ったのは此方………なんて状況は何にも役に立たない。

 いつだって、黒幕は裏で手を引いているモノだ。七騎の中から順当に勝利して聖杯に辿り付けるなんて事はあり得ない。少なくともここでは。

 

 聖杯は杯。汲み取り溜めるモノ。

 七つ。ここを除けば六。その内の五は………恐らくアイツが密かに回収した。なら六個目。その六個目はどこの国が持っている。アイツはその国に現れる。

 

 この国と共倒れを狙われた国。

 この国に戦争をふっかけた国。

 

 亡骸だけでは分からない。

 白い鎧を着た騎士達。汚れた白。昔は何かの聖職者達だったのか。国の所属を表す盾の紋章は、何故か等しく潰されている。唯一判断が付くのは、戦に掲げる旗の紋様だけだった。旗に刻まれた紋様は、赤い十字架と青い円。

 

 

 

「潰された盾の紋章………血塗られた十字架」

 

 

 

 この模様。形。何処で見た事がある。そんな気がする。

 そうそれは、まるで、いつも見ているような——

 

 

 

「——ギャラハッド。この国に戦争をふっかけた国はどこか分かるか?」

 

 

 

 彼女は振り返ってそう告げる。

 振り返った先には、十字架の盾を装備しているギャラハッドがいる。

 

 

 

「………それは」

 

 

 

 ギャラハッドには、その国に心当たりがあった。

 その国は、聖杯城カーボネックに次ぐ聖なる国。何故ならその国は、とある聖遺物を祀っていた聖都だから。

 正確には、元聖都。

 もはやその国は人間自身の傲慢さによって荒れ果て、故に人の業を受けてその聖遺物は呪われ堕天した。

 

 そこからは語るに及ばない。

 

 その欲深さ故に聖都は衰退を辿った。

 だがその血塗られた聖遺物は、とある相応しい人物の手の中で正しく清められている。その聖遺物は、ただ一人にしか浄化出来なかったのだ。

 その聖遺物は嘘か真か、救世主の血を受けたとされる——

 

 

 ——"血塗られた十字架の盾"だった。

 

 

 

「一つだけ心当たりがあります」

 

 

 

 それはギャラハッドが、盾を手に入れた聖都。

 もはや疾うに勇名を無くし、数少ない人間が何とか維持しているだけの廃城都市。

 その聖都の名は、聖都ソラスと呼ばれていた。

 

 

 




 
 
 ダビデ王の剣
 詳細

 聖騎士ギャラハッドが手にした二つの剣。その二振り目。
 文字通り、ダビデ王が所有していた剣。特級の聖遺物。別名を——聖杯の剣とも。
 原典に於ける数々の聖杯探索に於いて、ギャラハッドが聖杯を得るまでの過程で重要な役割を持つ。
 とある逸話でギャラハッドは、聖杯の剣と呼ばれたモノを捧げ、聖杯を手に入れる事に成功した。

 天に捧げる物として、ダビデ王が持つ第三宝具、神に捧げた箱——"契約の箱(アーク)"と非常に良く似た性質をこの剣は持つ。
 故にこの武器は契約の箱(アーク)と同じく、武器としての性質より聖遺物としての性質が強い——基本的には。


 尚、Fate/Requiemにて、聖杯探索を諦めた世界線から、セイバーとして召喚されたギャラハッド・オルタが所有している二振りの剣の一つが、ほぼほぼこれ。
 宝具名不明。詳細不明。そもそも宝具なのかも不明。
 上記の詳細は本作の独自設定である事を注意されたし。


 
余談だが、ギャラハッドが手にした一振り目の剣に明確な名前は出てこないのだが、本作では
                                              
■■■・■■■
クラウ・ソラス
とした。
    

 
また、
   
■■■・■■■
クラウ・ソラス
は——聖杯の剣と同一視される事がある。
                    

 
 

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