騎士王の影武者   作:sabu

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 天に星を。
 地に花を。
 人に——
 


第90話 『夢』の御伽噺(レディ・ギネヴィアと双対の凶星 承)

 

 

 

 いつの間にか、リネットは走っていた。

 誰にも見つからないようにと走って、廊下で誰かとすれ違っても無視して、自分の部屋に飛び込んだ。

 扉を開け放って部屋に飛び込んだ瞬間、体が脱力感に襲われる。

 その脱力感に逆らわず、リネットは扉を背にして座り込んだ。

 これで良い。立ち上がる気さえ起きない。こうやって扉を自分で閉じていれば、他の人など無視出来るだろう。

 

 天井を見上げる。

 狭い部屋だ。どうしようと星空など見えない。

 こんな部屋が自分にはお似合いなのだ。 

 

 

 

「私、最低だ」

 

 

 

 彼女から逃げ込んだ部屋で、リネットは小さく呟いた。

 最低なのは一体どっちだっただろうか。いや、そんな事分かり切っている。

 彼女を責め立てる必要なんて無かった。言いたい事を感情のままに吐き出して、出て来る言葉は全て彼女を傷付ける言葉ばかり。

 彼女からすれば、己が振り切った過去を他人が見せ付けに来たようなモノなのだ。だから彼女は何も言わなかった。何も、言えなかった。何も言えなくしたのは自分だ。

 

 

 

「あ、ぁ…………」

 

 

 

 彼女から離れて、感情が溢れ出るように出て来る。

 あの女の子を前にして噴火するように出て来た感情。次に出て来るのは、ただひたすらの喪失感だった。

 

 今までして来た事全てが徒労に終わったような感覚。

 今までずっと追い求めていたものが見せかけで、永遠に手に入らないものだと思い知らされたようなもの。

 あのバイザーを外してやりたかった。あのバイザーを、自分が剥ぎ取ってやりたかった。

 文字通り鉄で自身を覆い、生涯を自らの手で封印したあの騎士の、その象徴。いつからだろう。あの後ろ姿をリネットはずっと追い続けていた。

 その気になれば栄誉も名声も思いのままに出来ただろうに、栄光の道を捨てて、誰もが見向きもしないモノに向かってひた走るあの姿が、目に焼き付いて仕方がなかった。

 

 今でも鮮明に思い出せる。

 いつだって思い出せた。あの姿。あの様子。全て——全て鮮明に。僅かな所作も、笑みも。ずっと彼女の姿が脳裏にあった。

 

 

 

「あぁ私——」

 

 

 

 だからリネットは、この時になって気付いた。

 本当に、唐突に気付いた。

 

 

 

「——アイツの事が好きだったんだ」

 

 

 

 リネットは自らの胸に手をやる。

 胸の何かを確かめようとして、その手が透明になって自分を通り過ぎたみたいな、そんな喪失感だけが胸を去来していた。

 胸にぽっかり穴が空いたような感覚は、胸をぎゅっと握り締めても消えてくれない。

 

 

 

「——本当に、アイツの事が好きだったんだ」

 

 

 

 何回も言葉に出して、その度にそれを実感して、言葉が胸を通り過ぎて行く。

 何が好きだったの、って言われたら答えられない。好きなところは何、って言われたら、ここが好きなんてありきたりな言葉は何も浮かばない。

 

 

 だからきっと、全てが好きだった。

 

 

 彼女の全てを知っている訳じゃない。

 でも、全てが好きだった。

 だから——本当に、本当に本当に好きで、その好きが叶わないと知った時は、ただただ泣く事しか出来ないのだと、リネットは確信した。

 隣に居るとドキドキするとか、頬が熱くなるとかじゃない。一緒に居ると楽しいとか、そう言うモノでもない。

 彼女と居ると感情が爆発する。ずっと不機嫌ばかり。

 だってそうだ。

 

 ——ただ、あの子が隣に居ないと安心出来ない。

 ——彼女がいるだけで、全てが満たされた。

 

 だから不安だった。不安だったから、彼女が隣にいると不機嫌になってしまった。

 だから……きっと今はこんなに寂しいんだろう。

 全てが満たされていたから、今は全てを失ったみたいに、胸にぽっかりと穴が空いた気がするんだろう。

 空洞に風が吹いて、心が冷え切っていくような感覚が体を停止させる。

 

 彼女が好きだった。

 彼女の全てが好きだった。

 あの後ろ姿も、稀に痛々しさを感じる強さも、全く思い通りになってくれない様子も、見ていて腹が立つくらいの澄まし顔も——きっと全てが好きだった。

 

 今でも覚えている。

 彼女に助けられた日の事。月明かりの下、彼女に自分の強がりを見透かされた日の事。それからも、その次からの事も、全て全て鮮明に思い出せる。さっきの出来事も思い出せた。

 

 彼女を少し見下ろす形の自分。自分を少し見上げる彼女。

 初めて見た彼女の姿で、ようやくあの子は自分と同じ女の子だと気付いて、なのに裏切られたなんて思いよりもまずは、彼女そのものへの怒りが溢れて、周囲への怒りが溢れて、結局彼女が女の子なんて事自体は、全然頭を過らなかった。

 

 あぁ、本当に彼女が好きだった。

 だってあの子が女の子だと気付いていながら——まだ好きなんだから。

 

 

 

「——最低…………やっぱりホント……最低」

 

 

 

 彼女を好きになった理由に、容姿とかは関係なかった。

 性別すら、今では些事なんじゃないかとすら思えてくるんだからタチが悪い。

 それに、彼女は容姿すら完璧だった。中性的な顔立ち。女性的なモノを感じさせない佇まい。その佇まいが好きだった。だから全てが好きだった。

 

 彼女からすれば良い迷惑だと知りながら、それでも自分は未だ未練がましく、彼女が女性でも、それでも良いかもしれないなんて思っている。

 そう思わせて来る彼女が憎い。

 彼女なんて嫌いだ。彼女の全てが好きで、彼女以外の人を好きになんてもうなれそうにないから、叶わない恋を見せて来た彼女の事が何よりも嫌いだ。

 

 

 

「さよなら——私の初恋……」

 

 

 

 もう届かない彼女の姿。絶対に辿り着けず、手がかけられる訳もなかった空の彼方。リネットは星を見るのを止めた。星からも、自分を見るなと捨て去った。

 唯一彼女に誇れるとすれば、彼女には見せたくないこんな醜い女の執着心と、未練がましい寂しさを見せなかった事だろう。それで良い。あんな酷い事をぶち撒けたその報いとして、彼女は自分の事などもう忘れるべきなんだ。

 

 

 

「…………ぅ、ぅぅ——」

 

 

 

 それが、リネットの最後の強がりだった。

 もう堪え切れず、胸を通り過ぎ続ける寂しさに嗚咽が漏れる。

 先程から溢れ続ける涙が、今度こそ抗えられぬ津波のようにリネットを襲う。気丈に振る舞って来たリネットは、それに逆らえなかった。

 

 

 

「う、ぅ……………ぅぁぁ、あ」

 

 

 

 膝に顔を埋める事も出来ず、ただ扉を背にして脱力したまま、リネットは泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気丈な筈の妹が喚くように泣いているのを、扉越しでリオネスは聞いていた。

 背中越しの扉の先にいるのは、今までの全てを失ったに等しい少女がいるのだろう。

 彼女の悲しみ。慟哭。それは、リオネスにも推し量る事が出来た。

 

 だが、リオネスは量れるだけだった。

 リオネスの燃えるような恋は、僅か数日で終わった。

 故に出会いも一瞬で一目惚れだったから、その分立ち直りも早かった。

 

 姉妹同士、女の子に恋をしていたなんて、いっそ笑えて来る。

 きっと似た者同士だったのだろう。自分と彼女は。

 

 でも、妹の悲しみは底しれない。

 出会いは何よりも鮮烈で、人生が変わる程に影響を受けて、導かれて、何年もずっと走り続けて、今日この日に根本から壊れてしまったのだ。

 振られるならまだ良い。だが相手は女性。その、足元から崩れ去るような感覚は分かる。

 

 

 リオネスは、黙ってその場を去った。

 

 

 妹の泣く姿、その様子は誰にも見せない。見せてはならない。

 姉妹としての絆もあったが、それと同じくらいに重要な話がある。彼女はこの国の女王だ。歳を経た父親から王位を継承した者。

 ブリテンの新王が女性という事もあった為か、反対は少なかったし、何より姉のリオネスはリネットに継承権を譲った。

 情とかではない。廃れたとはいえ魔術刻印を継承している者として、表舞台を妹に任せた訳でもない。もっともっと単純に——今ではリネットの方が優秀なだけだ。

 

 そこに至るまでの努力をリオネスは知っている。

 知っているからこそ、その努力を果たすに至った原因と想いが報われなかった妹を、リオネスはそっとする判断をした。

 そして明日になったら、精一杯リネットを抱き締めよう。また泣くだろうから、ただただずっと、妹の背中をさすって上げよう。そうするべきなのだ、きっと。

 

 

 

「…………何ですか?」

 

 

 

 リネットの部屋を離れて城下に降りようとした時、リオネスは騎士の一人から知らせを受けた。

 それは新王と聖騎士ギャラハッドがこの国を発った事でもなく、彼らのおかげで何とかなった戦禍の話でもなく。

 

 

 

「——え?」

 

 

 

 先王アーサーと、ギネヴィア王妃が離縁した話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は遠くを見ていた。

 その視線の先にいるのは、誉れ高き一騎の後ろ姿。

 黄金の頭髪を風に靡かせ、颯爽と戦場に現れ勝利を刻む一人の少年騎士。

 猛々しくも美しい蒼銀の戦衣装を身に纏い、黄金の剣を持つその姿は、正に御伽話(おとぎばなし)の王子様そのもの。

 

 少女が見ていたのは、国を支配する悪い魔王をやっつける為、多くの仲間と共にあり、民を導く為にその先頭に立つ御伽噺の王子様だった。

 それは彼女にとって、御伽話の王子様が本の中から飛び出して来たにも等しかった。

 

 

 そして王子様の隣には、必ず美しい王女様がいる。

 

 

 そう言うモノだ。少なくとも、少女が読んでいた御伽話ではそうだった。

 だから少女はそう言うモノを夢見たし、きっと国中の女の子がそれを夢見た。

 そう言うモノだ。少なくとも、少女が住んでいた島国ではそうだった。

 

 

 

 

 彼女は遠くを見ていた。

 その視線の先にいるのは、湖の乙女より授かった星の聖剣を携えて、端然なる白馬に騎乗し凱旋する王の姿。荒れ果てた国を救う為、剣を引き抜いてからもう十年。

 その過程、その旅路。多くの騎士を仲間にし、多くの民を助けて来て、遂に剣に選ばれた勇者は、国を支配する魔王を倒したのだ。

 

 どれ程の努力があったのだろう。きっと美しいばかりではなく、身を削る様に大変だったに違いない。彼女はそれを知っていた。王が岩より剣を抜いてから、卑王を倒すまでの十年間、彼女は王子様を陰ながら見守っていたのだから。

 その十年、彼女も成長している。

 そこにいるは、ただただ夢見る少女でなく。美しい淑女。貞節のある女性。王子の理想形が騎士王なら、彼女は王女の理想形になっていた。

 

 輝けるように一筋で、揺るぎない路に迷いはなく。

 故にかの王は、剣を引き抜いたその時から未だにずっと美しい。

 ならばその隣にいるべきは、やはり国で一番美しい女性に間違いない。

 

 

 故に彼女は選ばれた。彼女も遂に勝ち取った。

 

 

 王子様は、遂に魔王を倒して幸せに。

 お姫様様は、王子と結ばれて幸せに。

 めでたし、めでたし。

 そこで終わり。

 幸せは終わり。

 御伽噺のハッピーエンド。

 御伽噺(フェアリーテイル)なら完璧なハッピーエンド。

 

 だから。

 そこで。

 終わっていれば、良かったのに。

 

 

 

 

 お姫様は遠くを見ていた。

 その視線の先にあるのは、穏やかな平原。活気溢れる城下町。豪奢なお城。花のように美しい白亜の城の窓辺から、彼女は遠くを見つめている。

 遂に叶った夢の光景。国の王。その傍らに立つ、気高く貞淑な理想の妃。

 

 十年間の想いが実ったその日の夜。

 お姫様の夢は砕け散った。

 

 

 

 

 

 王妃は遠くを見ていた。

 その視線の先にあるのは、穏やかな平原。

 活気溢れる城下町。豪奢なお城。花のように美しい白亜の城の窓辺から、彼女は遠くを見つめている。

 

 白亜の壁に囲われて、ずっと閉ざされたこの光景。

 鳥籠の中から空を見る、翼を無くした鳥が見る世界。

 

 彼女はお姫様ではなくなった。

 国を救う王子様が、国を治める王の形をした歯車になったように。

 傍らに立つお姫様は、王の治世を支える王妃の形をした部品になった。

 

 これが御伽話の中の登場人物になった、その代償。

 騎士王という星は、彼女の星にはならなかった。

 国は救った。ならば救った国を治めなくてはならない。導く? いや導いてはいない。今この国に必要なのは新たな救いである。

 故に彼女は、もう救われない。

 王妃は諦め、達観した。

 人の為の王。人の為の国。

 それが人類が築き上げていた一番正しい歴史の姿であり。

 人類圏の形だった。

 

 

 

 

 

 王妃は遠くを見ていた。

 その視線の先にあるのは、白亜の城の庭園に佇む二人の人影。

 片方は王妃の殿方。騎士王。

 片方は騎士王の宮廷魔術師。夢魔と人の落とし子。

 

 二人は大木を背に語り合っていった。

 片や不老にして永遠の少年騎士。

 彼女は剣の守りがある限り、老いる事もなければ死ぬ事もない。

 片や不老にして永遠の魔術師。

 彼は人が夢見る限り、老いる事もなければ死ぬ事もない。

 二人は美しいままだった。

 

 

 二人は、未だに御伽話の主人公なのだ。

 

 

 その御伽話を始めたのは花の魔術師。

 主役は少年王としての人生を歩む少女。

 故に少女は魔術師に向けて笑い、魔術師は少女を慈しむ。

 王は王妃に対し、いつも申し訳無さそうにしているばかりだと言うのに。

 王妃は王に対し、いつも苦笑いばかりだと言うのに。

 

 王の一番の理解者。

 王が唯一、心を開く魔術師。

 二人には特別な絆がある。

 永遠に若いまま、二人は仲睦まじく生き続ける。

 

 

 ならば王妃は?

 

 

 御伽話のように美しい二人。

 楽園のように美しい白亜の城。人ではないモノ達の世界。

 故に人である王妃に居場所はなく、王妃はもう、御伽話の登場人物ではない。ただの舞台装置。いずれは歳を老い、そして消える騎士王の妃。

 

 何故それが分かっていなかったのだろう。

 御伽噺とは、人に夢を見させる為の話で、人が生きる為の話ではないというのに。

 

 

 

 

 

 王妃は遠くを見ていた。

 その視線の先にいるのは、痛々しい少女の姿。

 夢を見ず、故に理想はなく、故に笑わず、ただ国を適切に存続させる為の歯車に身を落とした少女。

 彼女がどう言う生涯を歩んだのかは、アルトリアから少し聞き及ぶ機会はあった。だから、彼女に共感した。

 

 

 ——最初は、共感した。

 

 

 夢に裏切られ、理想に見捨てられ、己の全てを見失い、空っぽになり、故に剣以外に持てる物がなくなった少女。

 殺しは躊躇わず、手段は選ばず、騎士の誇りは在らず、人としての情も斬り捨て、栄光の道の影に潜み他者を殺す。

 間諜に理解は高く、策略の為に己が身を駒と定め、論弁で相対者を丸め込み敵対者を欺く。

 

 

 その裏に、輝ける星から見捨てられた過去がある故に。

 

 

 あの黒い少女と騎士王の違いはそれだ。

 騎士王とあの少女がもし同じ立場なら——あの少女は自らの性別に何を思うのか?

 騎士王はまず、前提からして人間とは違う。

 故にあの黒い少女とは前提が違う。

 

 王は人として生まれず、また人として育てられなかった。

 そうで在りながら、かの王は人として正しくあろうとしている。

 人間としての幸福を知らないモノが、人々の幸福を愛している。

 

 あぁ、今なら花の魔術師が王の一番の理解者になれた意味が分かろうというモノ。

 王は魔術師と同じように、人々が美しいモノに見えたから。そう言う理由で剣を抜いたのだ。

 

 

 では、あの黒い少女は? あの——アルトリアと同じ顔した少女なら?

 

 

 彼女は最初から、騎士王が持たざるモノを得ていて、それを失った。

 人として生。人としての幸福。人故の、愛。

 もしも先王ウーサーがいなければ。もしも花の魔術師マーリンが、竜の因子を埋め込まなければ。もしも人として生まれ、人として育ったら。もしも……もしも——

 そう。彼女は騎士王という存在のカウンター。あり得ざるIFそのもの。

 黒い少女は元々騎士王の可能性の象徴であったが故に、彼女は騎士王が選ばなかった道を歩む少女だった。

 

 

 だがその少女は、あり得ない筈なのに、根本から——騎士王以上に壊れていた。

 

 

 人としての幸福を知りながら、人の幸福には興味がなく。

 人として育てられながら、人としての正しさに関心はなく。

 人間だった時の幸せを奪われながら、他人の幸福の為に動いている。

 

 あるのは人間であった時の理解だけ。

 滅私奉公を貫き、心すら切り捨てたその在り方の果て。

 彼女は天秤。人間であった時の理解故、人を無慈悲に裁く、絶対的な指針の天秤。

 その天秤に心はなく、ただ定めてくれる。都合の悪いモノを代弁して斬り捨ててくれる。

 人間達の想いを汲み取り、量り、裁定を下す、人の形をした二者択一の、比較の天秤。

 余人に理解出来る筈もない。

 理解出来てないからこそ、陶酔されている。

 彼女の在り方は人間が思い描いた、都合の良い理想そのものではないのか——

 

 

 

 

 

 王妃は遠くを見ていた。

 その視線の先にいるのは、二人の少女の姿。

 白と黒。青と赤。蒼銀と漆黒。二人の差異は大きいのに、王妃が見るのはいつも二人の後ろ姿ばかりである。

 

 その二人は変わらない。

 同じ剣を引き抜き、同じ不老になり、同じ立場になり——同じ御伽話の主人公になったのだ。

 王妃が最初に抱いた共感は何処へやら。

 次の主人公はもっとタチが悪い。最高に最悪だ。人の想いが混じり御伽噺(フェアリーテイル)としての純度が下がった物語を終わらせる舞台装置。

 同じ境遇だと感じていた少女とは、特に何かを交わせる事もなく、振り返る事もなく御伽話の登場人物になった。

 

 黒い少女もまた不老。

 黒い少女もまた人ではなく。

 故にまた、隣にはあの花の魔術師がいるのだろう。唯一黒い少女が心を開く相手として、唯一黒い少女の理解者として。

 しかも今度の主人公は、花を慈しむ少女と来た。

 剣を抜いた時からスタートしたのではなく、剣を抜く時をゴールにした少女が次の主人公だ。

 

 彼らは不老。

 老いず、果てず、死なず。彼らはいつまでも不変のまま。

 

 

 では王妃は?

 

 

 王妃は老いた。その美しさに翳りが出る程に。

 元々王妃は少女だったのに。彼女達と変わらない少女だったのに。王妃は彼女達の二倍以上も歳老いた。

 

 

 

 "アルトリア、また同じ事を繰り返すのですか"

 

 "違います。繰り返さぬ為に剣を渡します。それだけです"

 

 

 

 "貴方はどうして、同じ事を繰り返すのですか"

 

 "何をまさか。間違いにしない為に剣を抜いた。それだけです"

 

 

 

 故に人の声が届く筈もない。

 彼女は不変だ。彼女は不老だ。彼女達は、人には見上げる事しか出来ぬ星々だ。

 だから彼女達は人を置き去りにする。だから、人間の王妃の言葉が届く筈もなく、老いた王妃が出来るのは足を引く事でしかなく。

 

 

 

 

 

 王妃は何も見ていなかった。

 星の光が眩し過ぎた。

 

 

 

 "私は王座を退きました。だからこれ以上、私が貴方を縛る訳にはいかない"

 "私との歪な関係が、貴方の幸福を奪ってしまった"

 

 

 

 それでも王妃は、彼女を慕っていた。

 それでもまだ——王妃は王が好きだった。見せかけであっても、永遠に手に入らないモノであっても、無理をした関係でも。

 どれほどの努力の果てに内乱を収めたのか知っているから。女性の身で戦い続けた境遇に同情しているから。仮初めの関係でも、二人の間に芽生えた友情は仮初めではなかったから。

 なかった、筈だから。

 

 

 

 "ギネヴィア………今まですみません。私との婚約はやめにしましょう"

 

 

 

 その言葉に王妃は反発せず、故に何も言う事なく。話し合う事もなく。

 御伽噺から静かに辞退するように——静かに笑って、受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギネヴィア王妃は自室で、壊れたように泣いていた。

 声はない。ただひび割れた人形のように、嗚咽も漏らさず泣いている。

 ギネヴィアにあったのは、ただただ実感だけだった。何もかも失い、夢が壊れ、消えてなくなった時、人はただ壊れるように涙を流すだけなのだと言う実感。

 

 ギネヴィアの約二十年間。正確に言えば、十八年と少し。

 最初の十年。騎士王が選定の剣を抜いてから十年。残りは、騎士王が卑王を倒してからの年月。その年月を経て、ギネヴィアの全ては砕け散った。

 

 

 ギネヴィアは——手元のナイフに目を向けた。

 

 

 食堂からくすねて来た短刀。

 人の喉元を斬る程度なら容易い。例えば——自分の喉元とか。

 

 

 

「———————」

 

 

 

 虚ろな感情が胸を覆う。

 この短刀で自らを貫いたらどうなるか。自らの死後、アルトリアはどんな顔をするか。

 もしかしたらきっと、その時初めて、ようやくアルトリアはギネヴィアに対し感情を発露させるかもしれない。

 

 

 

「——ごめん、なさい………」

 

 

 

 短刀を持ち上げ、ギネヴィアは自らの喉元に添える。

 こんな時になって、彼女への罪悪感が真っ先に浮かばず、こんな事を考えるなんて本当にどうかしているだろう。

 

 

 

「——さようなら………」

 

 

 

 それでも尚、ギネヴィアは短刀を握る。

 刃の切先を自らの喉元に向けて、貫こうとする。意を決し、遂に覚悟が決まって、己に刃を振り下ろす——

 

 

 

 

 

 

 

「——ギネヴィア王妃ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 寸前、その刃が止められた。

 本当に間一髪のところで間に合った騎士が、ギネヴィア王妃の錯乱した行動に間に合い短刀を叩き落とす。

 

 

 

「———あ、…………」

 

「一体、何を、貴方は———」

 

 

 

 地面を転がる短刀の音が、ギネヴィアに僅かな正気を取り戻させる。

 彼女は今まで何も聞こえていなかったし、手首を叩かれた衝撃と痛みでようやく気付いた。扉を開けて、蒼白な表情で飛び込んで来た騎士が誰なのかに、ギネヴィアは気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王妃は見えていなかった。

 いつからか王に疲れが目立つようになり、王妃は王を案じた。そして同時に、王の疲れを一番最初に見抜いたのは、ある騎士だった。二人は少しでも王の負担を減らそうと考え、行動して、それが王妃とある騎士の共通の目的となった。

 

 

 その騎士が、王妃の陰ながらに王を支える健気さに惹かれていたかどうかは分からない。

 

 

 ただ事実としてあるのは、二人は語り合い、騎士は王妃を認め、王妃は騎士を頼っていたという事。そして、その心の強さを得難いものだと、王妃が思っていた事である。

 その騎士は、人の身で無窮の空に手を伸ばした人だった。

 その騎士は、人間のまま——星の浮かぶ無窮の彼方に手をかけた人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王妃は遠くを見ていた。

 その視線の先にいるのは———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日のキャメロットは、過去に例がない程に月が輝く、満点の夜空だった。

 かの原初の英雄譚の主人公、英雄王のように、新たな新王がキャメロットを離れていたからかもしれない。代わりにキャメロットを照らすように、月の光が降り注いでいる。

 だが満天の星空ではない。

 あまりにも月の光が強く、周りの星の光を眩ませる程の異常として騎士達は覚えている。

 

 風は冷たく。夜に潜む獣の声はぱたりと消え、人が眠る筈の深夜でありながら、宵闇を月が燦々と照らしている。

 だからその日、人間の時間ではない真夜中なのに、多くの人間が行動していた。

 故にきっとその日、人々は月の光に狂わされていたのかもしれない。

 

 

 

「———ルーナ、私は」

 

 

 

 その夜の事——トリスタン卿がキャメロットに帰還した。

 友を失い。耳も目も失い。義を失い。心を失い。"愛"を見失い。

 決定的に全てを見失いながら、それでも——キャメロットを発った時、彼女に交わした誓い通り、帰還した。

 

 毒に心身を蝕まれながらも、両腕に嫌となるほど染み付いた殺戮の技芸だけが研ぎ澄んでしまう結果となった、トリスタン卿が。

 

 

 

 




 

【原作に於けるトリスタン卿】

 離脱した後、戻らず。
 その後、原典のトリスタンとイゾルテが起こり、原典と同じ最期を迎えて死亡と推測。


【本作に於けるトリスタン卿】

  帰還
 トリスタンとイゾルテの出来事が起こるよりも前に、白亜の城の門前にて交わした約束だけは違える事なく、己が足で舞い戻って来た。

 当然だが。
 彼が主人公でいられた——御伽噺は。
 もうとっくに終わっている。
 

【原作に於けるギネヴィア王妃とランスロット卿】

 トリスタン卿が円卓を離脱した後、アーサー王に疲れが目立つようになり、ギネヴィア王妃はアーサー王を案じ、またランスロット卿も王を案じるようになる。
 それが二人の共通の目的となり、互いに頼るようになり、その後………

 尚、本作ではトリスタン卿の離脱よりも早く王に疲れが目立つようになった為、二人の馴れ初めの時期が加速——トリスタン卿の離脱とは違う理由により。
 第42話後書きの"ランスロットとギネヴィアの馴れ初めが、本来よりも■年早くなる"。
 以前の文章は、■そのものが伏線。トリスタン卿の離脱も本来より加速している為正確な年月は分からない為。一応の感覚としては大体4〜5年加速。

 余談だが、プロトアーサーの世界線でもギネヴィア王妃は不貞に走っている為、根本的な理由に性別は関係ない説があるが、しかしプロト世界線の"マーリンは女性"で性格もかなりアレな為、距離感覚と態度がおかしく、アーサーと同じく歳も取らない………というトリプルスコアを決めている都合上、もしかしたらプロト世界線の方が悲惨な可能性がある。


【"原典"に於けるギネヴィア王妃とランスロット卿】

 細かい差異はあれど、ランスロットがアーサー王への謁見の際、王座にて出会った瞬間、互いに一目惚れ。その日から不貞を始める。原典だと弁論の余地がないくらいこの二人が悪い。
 ちなみに原典だとギネヴィア王妃と不貞を交わした後、エレインという女性が幻術でギネヴィア王妃に化けてランスロット卿と不倫をする。
 そしてエレインとランスロットの間に出来た子供が……ギャラハッドとなる——という形。

 尚、Fate/zeroでは原典に準じてか、謁見の際からランスロットがギネヴィア王妃を意識する形という、かなり原典に近い関係から始まっている。
 ただし一目惚れではなく憐憫。


【本作に於けるギネヴィア王妃】

 完全なる一方通行。年単位の一方通行。
 理想の王に対しても……理想の騎士に対しても。


【本作に於けるランスロット卿】

 被害者。
 

【本作に於けるアグラヴェイン卿】 

 ギネヴィア王妃とランスロット卿が不貞を働いていない為、暴くべき罪もなく裁きを与える罰もない。
 またランスロットがギネヴィア王妃からアーサーの秘密を教わってない為、アグラヴェインもアーサー王が女性である事を知らない。彼はまだ、何も知らない。


【本作に於けるガレス】

 ただ、待っている。
 血の繋がらない妹が聖杯探索から戻って来るのを。
 
 
 

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