騎士王の影武者   作:sabu

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 黒い凶星。
 


第91話 朔月は疾うに空洞なり 結 前編

 

 

 

 

 既に廃都となった聖城ソラス。

 その城の下に広がる城下町を避け、迂回するように二人は進んだ。

 情報は少ない。相手は推測の域を出ず、何が起こるか分からない。だが、此方が聖杯を望んで探し回っている事は、島全体に知れ渡るほどには周知の事実だ。

 城下町には、此方を狙う何者かが潜んでいて罠を張っているかも知れなかった。

 

 夜の暗闇に隠れ、森の木々を縫うように二人は進む。

 身を潜め、時に暗闇の中で姿を隠す事に彼女が熟知していた為か、二人は今のところ誰にも気付かれず、また気配も出さずに進んでいた。

 

 

 

「…………森を、抜けるぞ」

 

 

 

 彼女の緊迫した様子は、何かが起こる予兆を予感したものだったのか。

 彼女はいつものような、本当に最低限の変化しかしない表情ではなく、冷淡な視線には硬い緊張と切迫した何かを孕んでいる。

 

 ギャラハッドは無言で頷き、同じく彼女に合わせて緊張を強めた。

 ギャラハッドも何かを予感していた。廃城に近付くほど何かの圧力を感じる。極めて何か大きな力。それが何であるかは分からない。

 

 

 警戒を強めたまま、二人は森を抜けた。

 

 

 深い森を抜けた先には城があった。

 城を囲む森。その茂みの中、晴れた木々の隙間から二人は城を見上げる。

 廃城に相応しい姿の出立ちの姿に聖城としての面影は薄く、キャメロットのような神秘性はない。

 

 だが、廃れていようと人は住んでいたのだろう。

 それに城下町もある。長い年月を経てぼろぼろになった城ではなく、人の手によって神秘性を失った人間の城という印象が強かった。

 しかし、であるならばこそ、この城には決定的なあるモノが無い。

 

 

 

「人のいる気配がしない……」

 

 

 

 城を見上げて、ギャラハッドは即座に気付いた。

 (やぐら)に人はなく、何より城から一切の物音がしない。何かの強い力の感覚はあるのにだ。人間がいるなら必ず反応する筈だろう。

 ひたすらに不気味だった。これほど幽霊が城を巣食っていそうだと思える城は他にない。

 

 

 

「どうしますか……潜入してみますか」

 

 

 

 何か行動してみない事には話は始まらない。

 だがギャラハッドには、闇や物陰に隠れ、警戒した状態で城に潜入するという経験がない為、隣の彼女に尋ねる。騎士道を名誉とするブリテンではまず行われない事。しかし、それ故にその側面の影を担った人が彼女だった。

 恐らく人はいない事を把握し潜入を主張しながらも、ギャラハッドは彼女に次の行動を任せる事にした。

 

 

 

「……先輩?」

 

 

 

 だが、隣からの返事がない。

 城を見上げたままだったギャラハッドは、疑念を感じて振り返る。

 そこには——

 

 

 

「————ッ、…………ッぅ……」

 

 

 

 ——胸を抑え、荒い呼吸を繰り返す虚ろな瞳のルーナがいた。

 片手を木に預けて、ようやく立っていられるかという程度の状態。病に犯された重篤患者の症状にしか見えない。

 そうだ。違ったのだ。

 己のように何かの力の圧力を感じて切迫していたのではない。

 もっと単純に、彼女はあの何かの力に近付く度に体を蝕まれて、無理を押したまま強行をしていたのだ。

 

 一瞬の驚愕にギャラハッドが支配された瞬間、ルーナは膝から崩れ落ちる。

 それに咄嗟に反応して、彼女が倒れ落ちるよりも早くギャラハッドはルーナを受け止めた。

 

 

 

「………ッ………これは」

 

 

 

 彼女の体を受け止めた瞬間、体を熱風が駆け抜けたような熱を感じる。

 熱い。あまりにも彼女の体が熱い。およそ人間が発していてはおかしいのではないかとしか思えない熱量が、彼女の全身を支配している。

 

 

 

「悪い———、ちょっと、熱に当てられただけだ」

 

 

 

 体に力が入っていないのか、ズルズルと彼女は体を崩していく。

 だが無理に立て直した。片膝を突いた状態で荒い呼吸を発しながら、彼女は答える。

 しかし彼女の視線はやはり虚ろなまま。返答の言葉も、か細く呟いている程度しかない。

 

 

 

「早く、行くぞ。真偽はどうにしろ、間違いなくこの城に聖杯はある」

 

「ダメです。ここで待っていてください。僕一人が城に入って確かめて来ます」

 

 

 

 彼女には確信があるのだろう。

 真作だろうが贋作だろうが、もしくは聖杯ではなかろうが、絶対に見過ごしてはならない何かがあると。

 

 

 

「いいや………私も行く。一体何が待ち受けているか分からない。ここで分かれて行動する危険性の方が無視出来ない」

 

「貴方を聖杯に近付ける方が危険です」

 

「………………」

 

 

 

 次の瞬間には血を吐いていそうな程に荒い呼吸を繰り返しながら、ルーナは押し黙った。

 彼女も、いや、今こうしてあり得ない程の不調に犯されている彼女だからこそ実感しているのかもしれない。

 聖杯に近付けば近付く程、この不調が大きくなっているのだと。

 

 

 

「僕なら大丈夫です。ですから、先輩は安心してください」

 

 

 

 安心させるように彼女の顔を覗き込む。

 木を背にして座らせた彼女が、此方の瞳を見上げている。瞳の焦点が正しく定まっていない。

 彼女を近付かせてはより悪化する。しかし元凶を放置していてもいけない。

 

 後ろ髪引かれる思いを無視し、ギャラハッドは彼女に背を向ける。

 この場に彼女を残して先に行こうとした瞬間だった。

 

 

 

「ダメだ………行くな——」

 

 

 

 ギャラハッドは彼女に腕を掴まれた。

 明らかに正常な状態ではなく、力なく生気を欠いた瞳をしているのに、絶対に一人では行かせないという意思を感じる程の力で、先に進むのを阻まれていた。

 

 

 

「お前だけは、一人で聖杯に辿り着くな……だから、私も連れていけ………絶対に私も連れて行け。もしも危機に陥ったら、私の事は見捨てても良いから、私を犠牲にしても良いから、だから………私が足手纏いでも連れて行け」

 

 

 

 何処にそんな力があるのか。

 もしくは彼女の意思とは関係なしに、彼女の肉体は何処までも万全に機能し得るのか。

 人形のように今までずっと変わらなかった表情が苦悶に支配され、意識を取り零しそうになっていながら、彼女はギャラハッドを掴む。

 人として己を致命的に壊したが故に、殺戮装置として完璧に機能し得る彼女の、自分を追い詰めるような気迫が滲んでいた。

 

 

 

「先輩」

 

 

 

 だからこそ、ギャラハッドは彼女の言葉に頷けなかった。

 今ここで許されるのなら、二人でこの場から逃げ出すのが最善なのだろう。

 何が起こるか分からない。ここに彼女を放置する事自体も不安だ。叶うなら、盾として彼女のすぐ側にいたい。

 

 

 

「ダメです」

 

 

 

 しかしギャラハッドは、それを止める。

 力のない彼女の瞳。明確に視線が交差した。

 

 

 

「貴方を、アレに近付けてはいけない。

 それにきっと、ここは僕が進まないと行けないのだと、そう思います。もしも、貴方を『護る』のなら」

 

 

 

 盾は剣よりも前にあるモノだから。

 そうでなくては、剣を守れないから。

 ギャラハッドは彼女を安心させるように笑う。

 

 

 

「僕を信じてくれませんか。

 貴方を蝕む元凶をどうにかしたら、必ず先輩の元に戻って来ます」

 

「———言ったな………? 言ったんだからな、ギャラハッド。

 その言葉を絶対に(たが)えるなよ。たとえ何があっても、絶対に私の元に戻って来い。でなかったらもう、私はもう勝手に行くからな」

 

 

 

 こう言う時に限って弱みを見せず、彼女は尊大な強がりを見せる。

 彼女がそうする時は必ず、自分の事を遠ざけようとしている時だと気付いて、ギャラハッドは微笑んだ。

 

 それが、数少ない彼女の人の形のモノ。

 人を辞めた筈の超越者には必要のない、自らを気丈に見せる為の負けず嫌い。ならば、彼女が自らに定めた超越者として役割を終えた時、彼女は真に人に戻るだろう。

 今の彼女は、その強がりすら全くしなくなっているのだ。

 

 

 

「ここで待っていてください。すぐに戻ります」

 

「分かった。だから………、ギャラハッド。私一人を残して、絶対に死ぬな……」

 

 

 

 一瞬だけ、縋るような視線と手付きだったような錯覚がした。

 だが、ようやく離れてくれた彼女の腕をそっと離して、ギャラハッドは城へと走り去って行った。己の背中に、彼女の視線を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場に残されたルーナは、ただ必死に意識を繋ぎ止めていた。

 耐え難い睡魔とは程遠い。痛みと苦痛から逃れる為に脳が肉体を強制的にシャットダウンしようとしている。彼女はただそれに抗い続けていた。

 今ここで気絶したら、そのまま目を覚さないかもしれない。

 一度でも意思を断絶させてしまったら、もうこの肉体の異常が元に戻るまで脳は肉体を停止させるだろう。それに精神は追い付いて来ない。だから、今精神だけで意識を繋ぎ止める必要がある。

 容体は落ち着かない。

 悪化はしていないが、本当に………本当に何とか耐えられているというだけのモノだ。まともに体を動かせる気はしなかった。

 その瞬間、ギリギリの均衡は崩れ出し、原因不明の異常が身体を蹂躙し、本当に耐え難いモノへと変わって肉体がシャットダウンし意識が落下するだろう。

 

 

 

「熱い…………熱い———」

 

 

 

 冷たい大気が支配する真夜中だと言うのに、身体中を炎で炙られているような感覚がしていた。空に浮かんでいるのは月だと言うのに、砂漠の真ん中で太陽の光に熱せられているような苦痛がする。

 

 頭が回らない。酷い吐き気がする。頭が割れそうな頭痛がする。内臓が喉元まで上がって来たような吐き気がする。

 剣で斬られた痛みや、矢を体に受けたような外傷ならまだマジだった。今までの人生で何度か経験した事があるからだ。

 何なら、自分の性能を試す為に自らを傷つけた事もあった。努力ではなく運によっていきなり力を得た都合上、力を得るまでの苦痛に対する耐性が薄い筈だからと。

 

 外傷なら力を込めて耐えられる。深い傷でも、歯を食い縛れば何とかなる。

 だがそんな外傷ではなく、内側からナニかに食い破られそうになる苦痛だと話が違う。

 

 力を込めれば込めるだけ頭痛がし、歯を食い縛れば吐き気がする。

 結局、肝心なところでこの様だ。毒を受けた時の苦痛や、呪いを受けた時のどうしようもない苦悶はこんな感じなのかもしれない。

 

 今の今まで、自らの対魔力に甘えて来たその罰だとするなら、当然の結果だとは受け入れるつもりはあった。

 それでも——それでも今だけは、その時が来て欲しくはなかった。

 

 

 

「あつ、い———」

 

 

 

 木を背に預けた状態で、体がずり落ちて来る。さっきまでの荒い呼吸が、小さい小さい呼吸に成り下がって来る。そのせいで、意識が遠退いて来る。

 

 まだか。まだなのか。

 ギャラハッドはまだ戻って来ない。この熱さを何とか取り除いてくれて、聖杯の事とか全てを無視して、キャメロットに戻りたい。

 一秒一秒が、何倍にもなったような感覚を覚える。

 夜だから、日が傾いてどれだけ時間が経ったとかは分からない。なのに、空を見上げると太陽がすぐ真上にあるような幻覚がする程、目が眩む。

 

 

 これが、聖杯に相応しくはない者への天罰か。

 

 

 太陽に近付きすぎて墜落したイカロスのように、聖杯は奇跡に相応しくない者を選別するという。ならばこれが、聖騎士とは程遠い形のモノが聖杯に近付いた、その贖いだとでも言うのかも知れない。

 

 

 

「は、はは———なんだよ。やっぱり、十三席に座るべきじゃなかったか、私は…………」

 

 

 

 もしかしたら、あのギャラハッドよりも厄災の席を封じるのに相応しいのかもしれない——そんな傲りは、ここに来て遂に真偽が判明したという訳だった。

 呪いを跳ね除ける程に清らかだった訳ではない。

 もうこれ以上穢れる余地などない呪詛の集合だった故に、呪いの十三席に座れたというだけ。

 そんな存在が救世主の奇跡に辿り着けるかどうかなんて、そんなの誰だって分かる。分かっていた筈だった、本当は。

 

 

 

「……………ぅ、ぅ————————」

 

 

 

 一度脳裏に浮かんだ考えをきっかけにし、繋ぎ止めていた意識が霧散し始めていく。集中が途切れていく。

 こんな事を思いながら、私は意識を失うのか。まだギャラハッドは戻って来ていないのに——それを最後に、彼女が倒れそうになった時だった。

 黒くなっていく視界の中、ルーナは付近の茂みで人が動いた音を聞いた。

 

 

 

「——あぁ、クソ。何だってこう言う時に貴様は」

 

 

 

 一気に意識が浮上して、彼女は悪態を吐く。

 あまつさえ、体を動かして立ち上がった。さっきまで死に向かっているような不調だったのに、驚くほど簡単に体が持ち上がった。

 

 休息を欲する肉体が、命令を受諾するだけの装置に成り代わる。

 精神を整える為の脳が、命令を発するだけの機械へと変質し、心が自らを俯瞰した状態で停止する。

 

 今の彼女はそう言う状態にあった。そう言う状態になれたのだ。

 それは人ではなく、機械。只人には到底成し得ぬそれ。普段の、判断を間違えない為の機械ではない。自らを焼け付かせながらも限界を超えて酷使出来る機械へと、彼女は切り替わる。

 

 破滅的なそれを成し得られたのは今までの経験があるにせよ——目の前のコイツが敵として現れたからだった。

 その事にだけは感謝しながらも、ルーナは敵意と殺意を持って茂みから現れた騎士を睨んだ。

 

 

 

「——グリフレット。やっぱりお前だったな」

 

「いやぁ………ははは」

 

 

 

 いつもの表情。いつものやり取り。誤魔化すように頭を掻く仕草だっていつもの行動。それが彼にとっての、自らを切り替える為のスイッチ。

 思えば、いつだってそうだった。

 この騎士はいつだって私を狙っていた。茂みの陰から、視界の端から現れる。

 グリフレットはいつも手を抜いているようで、あり得ないほど本気だった。

 

 

 

「なぁ、アンタ。聖杯をどうするつもりなんだ」

 

 

 

 突然、グリフレットは直球に聞いて来た。

 彼が聖杯と口にした事に関して追求する事はなかった。もうとっくに知れている。

 

 

 

「破壊する。あれは残していてはいけない物だ。そう悟った」

 

「——ふーん?」

 

「聖堂教会としても、あんな物残して置く訳がないだろうが。何がおかしい」

 

「いや……まぁそうだけど」

 

 

 

 その反応で全てを悟った。

 この男の真意は聖堂教会には一切ない。当然と言えば当然だったのだろう。グリフレットは信仰心故に教会に身を置いているのではなかった。

 立場を超えた事は、今までして来なかっただけで。

 

 

 

「お前が黒幕だな、答えろ」

 

「いや。黒幕と言われても一体何の事か」

 

「とぼけるな。この聖杯探索、いや聖杯戦争、お前が仕組んだものだろう」

 

「まぁ、うん。確かに——そう言う風にも取れるかもしれない」

 

「…………………」

 

 

 

 まさか、いきなりすんなりと認めて来るとは思わず、彼女は面食らった。

 その隙を突くように、グリフレットは続ける。

 

 

 

「でもしょうがないだろう。キャメロットが聖杯探索に乗り出したなんて聞き付けたら聖堂教会が黙っている訳がない。それに俺は第八秘蹟会だったんだから。

 だから仕方ないって。少しは同情してくれよ」

 

「成る程………貴様はそう言い訳を出来るんだったな」

 

「いやいや………待ってくれって。アンタだって教会の内情には詳しいだろう? 下っ端には仕方ない事なんだって」

 

 

 

 慌てる姿。申し訳なさそうにする姿。

 ——全て嘘偽り。ただの演技だ。事実がどうにしろ、彼女はそう確信した。このグリフレットは、魂の真髄からこうなのだと。

 その生涯故に自分の本質が変わらないように、この男も。

 

 

 

「だから、この場は見逃して欲しいと?」

 

「うん。こっちだってキャメロットと事を騒がせたくはない。だからここは穏便に——」

 

「嘘だ。お前の全て、教会を盾にしただけの欺瞞でしかない。

 そもそも教会がこの程度で済ます訳がない。それに——あの聖杯をこんな簡単に扱う訳がない。

 お前、教会すら騙して、自らの願いを叶えようとしているだろう」

 

 

 

 聖堂教会。その第八秘蹟会に身を置き、しかし身を置きながら信仰など皆無な騎士。魔術師に対する復讐のみで動く異端者。

 成る程第八秘蹟会に身を置く訳だ。

 その立場は非常に都合が良い。教義の埒外にある奇跡と神秘を取り締まり、魔術という涜神者に渡らないように独占する部署。

 当然——聖杯という教会に於ける教義の中でも最高峰の聖遺物を見逃す訳もない。

 この役目を、グリフレットは虎視眈々と狙っていたのだ。

 この男が教会でどんな立ち回りをしていたかは分からない。だが狙っていた。教会すら欺く為の、その瞬間を。

 

 

 

「——————」

 

 

 

 一瞬の停止。

 次の瞬間、ニコッと笑みを浮かべてグリフレットは答えた。

 

 

 

「ところでさ、アンタ大丈夫なの? 見た事ないくらい具合悪そうだけど」

 

「時間稼ぎか、気持ち悪い」

 

「いや、別に。単純に気になる」

 

「話を、逸らすな」

 

「はいはい…………そうだよ、聖杯を利用しようとしているよ」

 

 

 

 もう偽る必要はないという事なのか、もしくは今までのやり取りのように、相手はもう騙せないと悟ったかもしれない。気味の悪い笑みだった。

 

 

 

「なぁ。ここでさ、俺と協力しない? 俺達は同じ者同士だろ?」

 

「———………は? ふざけているのか、お前。私は聖杯を破壊するとさっき言った筈だ」

 

「それは勿体ない。互いに不利益だ。俺達は今までずっと、互いに互いの利益になるような関係だっただろう? 仲間とまでは言わないが、持ちつ持たれつやって来た。それも今回は続けようという話だ」

 

「貴様…………聖杯に何を願うつもりだ」

 

 

 

 明確な敵意と警戒を持って、彼女は尋ねた。

 いや、この男の目的は分かっている。それでも聞かなくてはならなかった。

 

 

 

「魔術師を、この世から全て消してくれって」

 

「———何?」

 

「別に驚くような事じゃないだろ。ずっとそうだったさ。俺は。だからこんな機会、逃す訳もない」

 

「お前———」

 

「なぁ。だから協力しようじゃないか」

 

 

 

 いっそ大らかに語りかけて来る姿に、気味の悪い何かを覚えた。

 ただ理解した。彼は本気なのだと。躊躇いもなく、魔術師という存在を全て消す気なのだと。

 

 

 

「だがまぁ、これじゃあアンタに利益がない事は分かっている。

 だからアンタの願いに、少し合わせよう。俺とアンタは似た者同士だからな」

 

「………何を、言っている」

 

「何って、そうだろ? 俺とアンタは、理不尽に歯向かう者同士。俺が魔術師への怒りへと動くのと同じようにさぁ」

 

 

 

 自然と、彼女はグリフレットを睨んでいた。

 何故だろうか。彼の言葉が、酷く癪に障った。

 図星だからか。それともお前と同じにするなと言う嫌悪感か。分からない。分からないまま、彼女は怒りを募らせる。

 徐々に亀裂の入る関係。冷厳なる威圧を前にして、しかし彼は含笑のままやり過ごしている。

 

 

 

「そう睨むな。そちらはこう願えば良い——世界全てから神秘を消してくれって」

 

「は——?」

 

 

 

 不意に、彼女の思考に穴が空いた。

 それは今まで考えた事もなかった事だった。

 ブリテン島に神秘を取り戻させるのではなく、ブリテン島を含めた全ての大地から、神秘そのものを痕跡も残さずに消す。

 それを願えばどうなるのだろう。それが実現したら——

 

 

 

「だってそうだろ。神秘の流出は止まらない。

 なら土地そのものが変えられるよりも早く、神秘を消してしまえば良い。

 勿論、大陸と同じ概念強度になる都合上、多少国は荒れるが長い間をかけてゆっくりゆっくりと、致命的に壊れるよりはマシだろう?」

 

「それ、は——」

 

 

 

 確かにそうかも知れない。

 沸騰して煮え滾る水に長い時間腕を入れるか、燃える火に一瞬だけ腕を突っ込むかという話なら、後者の方が良い。その方が怪我は小さく済む。

 そうだ。その筈だ。何なら、一切の被害すらないかも知れない。

 勿論——ブリテン島だけが。

 他の大陸は違う。この島以外から、あらゆる神秘が消える。この島以外の、あらゆる理が根本から狂う。

 

 

 

「別に何を気にするんだ? 別に俺の願いとも重なっている」

 

「そんな事をすれば——」

 

「まぁ多くの神秘に属するモノが消えるな。

 魔術師。妖精。精霊。竜。幻想種。いや、裏側に還った種族は関係ないか? ……とりあえずはまぁ、まだこの世界に残るモノは消えてなくなる。

 そう言えばアンタは、竜だったか。でも、元は人間なんだろう? なら竜としての機能が消えるだけだとは思わないか?」

 

「……………」

 

「良かったな。もうアンタが戦わなくて済むじゃないか。

 力を持つ必要もない。戦う理由もない。後は適当な幸せでも探せば良い」

 

 

 

 分からない。

 彼女は今、どうすれば良いか分からなくなっていた。

 

 彼が言っている事は、本当に全て真実か。

 本当に、そんな荒唐無稽な願いは叶えられるのか。世界全てを変革出来る程の力があるのか。仮に出来たとして、その後は。未来は。世界の修正力の介入は——

 

 

 

「多くが死ぬ——多くの人が、突然………何の価値もなかったと断定されて、ゴミのように死ぬぞ」

 

「そりゃそうだ。今更かよ、アンタ。そうまで人を殺しておいて、いきなり善にでも目覚めたのか」

 

「………………………」

 

「まぁ良いさ。それは別に。人は特に意味もなく、無責任に他人を救う。その逆も然り。必要なら躊躇いもなく、無関係な家族一家も殺す」

 

 

 

 それに、彼の原点の怒りが滲んでいた。

 彼は人を信頼していない。その人間が何に価値を置き、どういう行動をするのかという把握のみを、唯一信用している。

 

 

 

「だがな、元々神秘なんて消える定めだったろうが。

 なら、この世界から神秘が全て消えて、世界は悪い方向に進むか?

 どうせいつか魔術は廃れる。歴史の裏、人間の世界の裏側で、細々と探究の道に乗り出すしかなくなる。ならば、そんなモノが消えたところで人類の歴史に影響があるか?」

 

 

 分からない。

 マナ、エーテルの枯渇とかそう言う次元ですらない。世界のルールが一から消去されるのだ。

 上書きではなく消去。魔術なんて神秘を知らない人々からすれば、何が変わったのかすら分からない理の否定。

 だから、分からない。

 いやそれ以上に——誰も、そんな事をした事がないから、どうなるのか分からない。

 懸念すべき事は山程ある。その世界は、願いが叶えられたその先どうなるのか。無かった事にされるのではないか。

 でも、分からない。

 神秘の消えたこの世界を想像出来ないから。

 何より、この世界から本気で、聖杯に願う程に神秘そのものを消そうとして、そして本当に——それが実行された世界を知らないから分からないのだ。

 

 

 

「この先は文明の時代、人間の時代だ。

 神秘に依存しなくてはならない世界など必要ない」

 

「……………」

 

「だからよ、協力してくれないか? アンタなら分かるだろう?」

 

「私は………」

 

 

 

 俯いて、彼からの言葉に揺らぐ。

 先程の熱が、不気味に冷え切った感覚がする。

 彼からの言葉には、抗い難い何かがあった。それを選択したらこの先どうなってしまうのかという恐怖よりも、それを選びたいという魅力がある事を否定出来ない。

 事実だった。彼の言う事にも共感出来た。

 

 

 

「私は……………」

 

 

 

 この世界から神秘を消す。

 ブリテンの抗いようのない滅びが、何倍もマシになる。遂に見つけられたかもしれない、故郷の人達が報われる道。ブリテン島を救うという、無理難題への解決方法。

 ——本当に解決出来るのか?

 分からない。試して見なくては、結果は誰にも分からない。

 

 

 

「————……………」

 

 

 

 僅かにでも彼に共感したのがいけなかった。

 心に空いた隙間に響くが如く、彼の言葉が正しいモノのように思えて来る。僅かにでも魔が差す。だから彼女は——

 

 

 

 "私は貴方の道行きを祝福している"

 "だから貴方の自由になさい"

 

 

 

「………——悪いが、お前の言う事には頷けない」

 

 

 

 不意に、脳裏に浮かんで来たのはモルガンの事だった。

 グリフレットの言っている事にも共感は出来た。確かに一理ある。そう言う可能性にかける事も出来るくらいには。

 だが結局——彼が魔術師を滅ぼそうとしている事に変わりはない。だからつまり、彼に同意すれば、モルガンが死ぬ事になる。

 それだけは、絶対に譲れない。それだけは、絶対に現実にしてはいけない。

 

 だから、グリフレットには頷けない。

 たったそれだけの事でも、彼女は全てを諦めた。もしかしたらあり得たかもしれない自分——そういう男だったグリフレットを、目の前の男を否定した。

 

 確かに許せない。自分も許せない。

 滅びの宿命。無価値な生。それを受け入れるのも、裏切るのも。その為なら幾度だって剣を握れる。

 でも——それ以上に、モルガンだけは裏切れなかった。

 彼女は、今を生きるモルガンを裏切らなかった。

 

 

 

「魔術師を滅ぼす。神秘を消す。どれもこれも、私の胸を通り過ぎた」

 

「……………————」

 

「交渉決裂だな、グリフレット。お前がそれでも聖杯を掴むというのなら——」

 

「——残念だ」

 

 

 

 言葉が言い終わるよりも速く、地面が光った。

 急激に浮かび上がる魔術の陣。紋様が赤い光を灯し、鋭い雷光が迸る。それは彼女の——真下の地面から。

 

 

 

「———ぅ………あ………………?」

 

 

 

 瞬間、彼女を襲ったのは急激な重さだった。

 力が抜け落ちる。思考すらも鈍る。ただあるのは脳を貫かんばかりの痛み。赤い紋様から迸る稲妻が、彼女だけを焼いている。

 足の感覚が無くなって膝から崩れそうになった刹那、彼女は胸に激痛を認識した。

 

 

 

「甘いんだな、お前」

 

 

 

 胸元が血に染まる。

 視界が眩む。

 彼の極めて無遠慮な声すら遠く感じる。

 

 

 

「ずっと考えていた。最後の最後でお前と敵対した時、どうすれば俺が勝てるのか」

 

「——ッ、………ぁ」

 

 

 

 血が流れる。足に力が入らないのに彼女は倒れない。

 彼女が膝から崩れ落ちるよりも早く、グリフレットの剣が彼女を貫いていた。

 彼は剣を引き抜く。

 彼女がその場に崩れ落ちる。

 

 

 

「運にも救われた。

 お前の埒外の直感も、さっきからの不調で鈍っているらしい」

 

「…………ッッ、……………ッ! ………ッ…………」

 

「やめた方が良いぞ。お前は魔力を練り上げられない。竜の化身の強さはそこにある。

 対竜に対する拘束術式。

 まさか、本当に通用するとは。本当にお前は竜なんだな」

 

「……………ッ、…………—————」

 

 

 

 呼吸が出来ない。

 身体の同調が全て崩れる。

 体を覆う魔力が全て霧散していく。

 喉元に迫り上がる血が呼吸を阻害する。

 荒れ狂う肉体の警戒が悲鳴に変わり、余計に血が口から溢れる。

 

 

 

「驚いた。こうでもしてようやくお前の対魔力を貫通出来るのか。しかも所詮拘束止まり。実際に刃を持ち得なければ倒せない。

 そりゃあ、あの魔女一人では騎士王を殺せない訳だ」

 

 

 

 グリフレットは、彼女を貫いた剣を見ていた。

 血に濡れて、不気味な輝きを放つ刀身。その剣には——ルーナも見覚えがあった。

 

 

 

「それ、は…………ギャラハッドの———」

 

 

 

 ダビデ王の剣。聖杯に由来のある特級の聖遺物。

 盗みにあって無くした筈のそれが、グリフレットの手にあった。

 その聖杯の剣を手にしながら、グリフレットは血に染まって倒れ伏した彼女を見下している。

 

 

 

「悪いな。アレはまだ完成していないんだ。どっかの誰かが止めたから」

 

 

 

 グリフレットの冷たい視線には、もう彼女自身は映っていない。

 口から血を流し、瞳から急速に光が失われていく彼女を見下ろしたままなだけ。苦悶に小さい嗚咽を漏らし、それすらも失われ始めた彼女はもはや脅威ではなかった。

 

 

 

「別に、聖杯が本物とか偽物とか、至極どうでも良い。願いが叶うなら何でも良い。魔術師を滅ぼして貰うだけだからな。

 ならば——人々に悪を滅ぼしてくれと願われ続けたお前の血で汚れて、穢れたこの聖杯を由来とする剣を聖杯に捧げたら、一石二鳥だろう? 魔力も、属性も」

 

「……………お、まえ——」

 

「竜の炉心。半永久に魔力を産み出す最高の幻想。これ以上の神秘がどこにある?」

 

 

 

 地に伏したまま、グリフレットを睨み、足首を掴んで先に進ませないようにしている彼女に向けて、グリフレットは呟く。

 

 

 

「悪いな。お前の言い分には納得出来ない。

 どうしてだろうな。俺とお前は、きっと同じだと思っていたのに」

 

「………………ッ—————」

 

「俺とお前の仲………まぁ義理だ。神秘も消しておいてやるよ。

 その後、お前から竜の機能は完全に抜け落ちるだろうが、まぁまだマシだろ? 後は女として好きに生を謳歌でもすれば良いさ。

 まぁ——それまで生きているならの話だが」

 

「…………—————————」

 

 

 

 次第に意識を失って、瞳から力が抜けていく。足首を掴んている腕が地面に落ちる。

 それを見届けた後、グリフレットは彼女をその場に残して去っていく。

 

 彼は、ルーナの生存を欠けらも信じていなかった。

 仮に生きているとして、それは竜の機能があるからだ。神秘が消え、竜の機能を失った後は、そのまま傷を治癒出来ずに死ぬだろう。

 それを重んじる義理は、グリフレットにはなかった。

 

 

 

「本当に残念だよ。俺達は同じ者同士だと思っていたのに」

 

 

 

 その言葉を最後に、グリフレットもまた去っていく。

 彼の言葉が頭の中で何度も繰り返されて、ルーナの意識は闇に落ちていった。

 廃城の下。木々の間の中。一人崩れ落ちて血に染まりながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は過去に例がない程に月が輝く、満天の夜空だった。

 狂ったように輝く月の日だった。その輝きが何か関係があったのかは分からない。

 間違いなく完璧な形で竜の化身を倒したグリフレット。血塗られた刀身を携えた彼は——この時、気付いていなかった。

 穢れたダビデ王の剣など関係なく、人々の死、嘆き、慟哭のみ捧げた聖杯。既に兆しを見せている聖杯。

 彼女の謎の不調。見境なく、周囲の何もかもを呪い(祝福)し、活性化させ、最後の瞬間を今か今かと待ち続けている聖杯。魔力を奪い続けている聖杯。

 その杯の形は——彼女を剣で貫いた瞬間、決定していた事に。

 

 

 杯は疾うに空洞なり。

 

 

 聖杯を完成させるに至るダビデ王の剣は、決して触れてはならないモノに触れ、あまつさえ刺し貫いてしまった。

 無限すら呑み込む穴が、ただそうあれかしと望まれ続けた奈落の空洞が、朔月より抜け落ちる。

 斯く在れと求められた嘆きの形そのままに。

 斯くの如く為せと望まれた役割を以って。

 

 空洞が反転する。

 空洞を抜けて、空洞を産道として、聖杯という形を以って形となる。

 彼女が身に宿したモノ。空洞の竜。その残滓。

 それは勇者ではなく、救済者ではなく、聖者でもなく、終末を象るモノとして聖杯から溢れ出す。

 

 無限の空洞に溜め込んだ——黒い泥が。

 

 

 




 
 
Flowchart
 
 
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     ■   
     ↓
    〜〜〜

 
 

 第88話にて 1. 僕は彼女の事が好きだ。を選んで恋心を真っ向から伝えた場合、左√。月が綺麗ですねと誤魔化して伝えた場合真ん中√
 モルガンが獲得した好感度一定値未満で右√。一定値以上で真ん中√。

 現在真ん中。正規√。
 多くの人が獲得して来た彼女の好感度が全て換算される最大の分岐点まで残り二話。

 余談だが、この世界線のstay nightの難易度は原作以上
 


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