騎士王の影武者   作:sabu

98 / 122
 
 戦場を選ばず。
 I have created over a thousand blades.
 


第95話 牙を無くした狼、ひび割れた鋼鉄

 

 

 

 ケイ卿の亡骸がある部屋に入室した時、僅かに部屋の雰囲気が変わったのを彼女は感じ取った。

 キャメロット全体を覆う雰囲気は、朝の爽やかな空気とは程遠いが、この部屋は特に重い。

 

 

 

「………申し訳ありません。一人にさせてください」

 

 

 

 部屋に入った瞬間、アルトリアはそう告げる。

 その後ろ姿には悲痛が浮かんでいた。それをルーナは数瞬眺めた後、アルトリアに返す。

 

 

 

「すみません。すぐ終わります」

 

 

 

 この部屋に入ろうとする者などきっと自分以外にはいないだろうが、咎められる訳でもなかった、という事だけで十二分に譲歩されている。

 そう言う風にルーナは捉えた。

 

 ケイ卿の亡骸が寝台に横にされている部屋。

 確認しておきたい事はあったが、絶対に確認しておかなければならない訳ではない。

 ケイ卿が——弓による一撃で死んだのか、もしくは剣による一撃で死んだのか。それは、アルトリアの背中に防がれて分からなかった。

 足から膝にかけては傷がない。ならば上半身の傷で——、とまで思考が進んで、ルーナはその考えをやめた。

 

 別にもう良い。

 どちらが原因で亡くなったかを、今は確定させない方が良い事もあるだろう。何より、アルトリアの心情を思えば。彼女の心内に踏み入ってまで確かめる程の価値はない。

 それに、そう言う雰囲気が部屋を支配していた。

 部屋に入った瞬間、気配が変わったのは理解している。それは恐らく、アルトリアが啜り泣いていたのをやめたのが理由なのだろう。

 

 彼女が、泣いていたのか。

 幼い頃からずっと一緒に居た義兄、家族が亡くなったのだから当然と言われたらそれまで。

 しかしそれでも、多くの騎士が亡くなっても、決して涙を流す事を許さなかった彼女が、哀しみに泣いている。

 ふとそんな思案が脳裏に浮かんだ。

 

 

 

「聖杯探索は失敗しました。聖杯を手に入れること叶わず、ギャラハッドも昇天。何も得られませんでした。私の失態です。申し訳ありません」

 

「……………」

 

「私からのご報告は以上です」

 

 

 

 特に返事はない。

 返事を期待してのものではないので特に問題はない。

 彼女の心内を読み取る気もないので、瞳は閉じている。

 彼女はもう、責務と義務から切り離されている。戻す気もない。

 たが、一つだけ言葉が滑った。

 

 

 

「己を制御する事と、己を抑え付ける事は違いますので、無理に呼吸を詰まらせる事はないかと存じます」

 

「—————……………」

 

「申し訳ありません。口を慎むべきでした。

 他に来る人は恐らく居ない筈でしょうが、人払いは私が」

 

 

 

 ルーナはそれだけを残して、部屋から退出しようとする。

 その時、アルトリアは振り返らず告げた。

 

 

 

「………すみません」

 

 

 

 それは何に対しての謝罪だったのだろうか。

 今までの事か、同じく家族を失ったから何か気付いた故のか、もしくは人払いを任せてしまった事へのか。もっと多くの意味があるのかもしれない。

 きっと多くの意味があって、でもそれを今全て言葉にする事は出来なくて、それ故にたった一言だけ、絞り出すような謝罪が出て来たのかもしれない。

 ルーナはそう受け止めた。

 

 

 

「いえ」

 

 

 

 交わす言葉はない。彼女の事だ。数日も在れば一人でも立ち上がるだろう。いや数時間かもしれない。

 今の己のように。昔の騎士王のように。

 

 今度こそ、ルーナは部屋から出て行った。

 部屋から出るその最後、壁際に立てかけられていたサー・ケイの騎士剣を、音もなく手に取って。

 彼女は静かに片手で扉を閉める。その時にはもう、ルーナが取った筈のケイ卿の騎士剣は腕になかった。ただ代わりに、彼女の腕には一本の赤い回路が浮かび上がり、輝き、そしてまた消えていく。

 

 

 

「陛下」

 

 

 

 回廊を歩く途中、一人の騎士に話しかけられた時には、新たに増えた回路は霧散していた。

 言葉を投げ掛けた騎士は直属の部下ではない。そもそも彼女は直属の部下を持たない。近衛もギャラハッドだけだった。彼は元々の同僚。粛正騎士隊の人間。

 

 

 

「ランスロット派に対する牽制は?」

 

「済みました。元より叛意の芽はなく」

 

「分かった。ランスロット卿への追撃に対し其方側、粛正騎士隊の兵は上げない」

 

「治安維持を?」

 

「あぁ。代わりにトリスタン卿の配下の弓兵騎士を五十名借りる。

 トリスタン卿が帰投したらしいが、変わらず私の下に付くように説得を。齟齬と亀裂がないよう、適切に」

 

「いえ、説得の必要はないかと。

 ですが、はい。適切に。迅速に済ませます」

 

「感謝する。トリスタン卿の配下の弓兵を五十人。

 実際に人間を三回以上手にかけた事がある者を、五十名。足りないのならそれで良い。

 繰り返す。

 剣だけではなく弓の扱いにも長けた者。私の方針に賛同するタイプの人間を五十。足りないなら良い。選別は任せた」

 

「請け負いました。時間は」

 

「三十分。一時間後には私はキャメロットを発つ」

 

 

 

 頭を下げて粛正騎士の一人が退いていく。

 それを見送る事なく、彼女は歩を進めた。

 中々無理のある命令だっただろうが、彼らはひどく優秀だ。

 それに元々、単独でランスロット卿を追う意思である。集まれば彼に対する勝率が上がる程度。三十人も集まれば良い。

 元より一人で全てを受け持つ気だった。他人に自らの運命を任せる気はない。

 

 

 歩を止めて、瞳を閉じる。今必要な事を再確認する。

 

 

 許された時間は少ない。

 何なら今すぐにでもキャメロットを発ちたいが、ランスロット卿は簡単に勝てる訳ではない。トリスタン卿は……戦わないのならそれで良いが、精神状態による。私ではなく彼の精神状態。不意打ちの成功率は100%か0%。

 

 

 

「……」

 

 

 

 既に、トリスタン卿を見捨てている自分がいる事に驚く事もなく、彼女は再び歩を進めた。

 先程はケイ卿の部屋。今度はもう一人の——姉上の部屋。

 

 もう一人の姉上の部屋には、誰もいなかった。

 ただ人が訪れた形跡はある。恐らくガウェイン卿。

 報告の時間が正確なら、ガウェイン卿がキャメロットを発ってからもう数日。ランスロット卿とギネヴィア王妃はそれよりも早く。

 ガウェイン卿とトリスタン卿の追撃を考えれば、この数日の時間差もまだ何とか埋められる範囲にある。軽装かつ少数の弓兵を選んだのはそれだ。

 

 後一日以内でランスロット卿に接敵する。

 二人ではきっとランスロット卿を捕縛出来ないが、疲弊はさせられる。その傷を癒す為、ランスロット卿の足が少しでも止まれば——

 

 

 

「………」

 

 

 

 何を考えているのか。

 己を自制させるように、ルーナは額に手をやった。

 途端に鋭敏化していく意識を散漫にしていく。こんな事を考えに来たのではない。殺しの感覚と思考、それに作戦は今から立てずとも、数時間後の自分が勝手にやってくれる。慢心や油断ではない。事実だ。

 

 

 

「なぁ、姉上」

 

 

 

 寝台に横たわる、もう一人の姉上に語りかける。

 血は繋がってない。幼い頃を共にしたとか、家族同然の関係だったとか、そんな事は一切なかった。だからこんな呼び名をするのは、ただの欺瞞だろう。

 今は、まるで死んでしまったかのように横たわる姉上が、自分の事をどう思っているかなんて分からないのだから。

 

 

 

「私はまだ、貴方から、本当の名前を教わってないんだが」

 

 

 

 名前を隠した少女。白く美しい手。ボーメインと名付けられた彼女。

 その本当の名前をまだ教わってないと言うのに。ただ一方的に知っているだけで、聖杯探索から帰って来たら、一騎討ちの末に名前を教えてくれると約束したのに。

 ただ彼女はもう、まともに戦える身ではなくなってしまった。

 そもそも、名前を教えて貰ってない姉上は再び目を覚ましてくれるだろうか。

 

 

 

「なぁ。人伝から名前を聞いてしまったよ。ガレス」

 

 

 

 小さい呼吸を繰り返すばかりの彼女を見下ろして、ルーナは呟く。

 当然、返事はない。傷付いて牙を無くした狼は眠り続けている。だからもう、用事はない。確認もない。僅かにその場で放心し、佇ずみ続けて時間を無駄にした後、ルーナは顔を上げた。

 寝台の横に立てかけられている、両断されて壊れた盾と使用されなかった故に無傷の槍を手に取る。

 

 

 

「この牙——借りるぞ」

 

 

 

 それを最後に、彼女はガレスの部屋を去って行った。

 淡い光となって、盾と槍が消える。極めに窮め続け、一度もその真価を発揮される事なく霧散した狼の牙。彼女の絶技。それを——あの騎士には見せてやろうと誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妹がいた。

 最愛の妹だ。

 

 己と血を同じくし、女性として生を受けた少女。

 男の子顔負けのわんぱくさと勇敢さを兼ね備えた妹。

 同じ時間を共有したのは短い時なれど、自慢の妹だったと誰に向かっても言える。しかし妹だ。つまり女性だ。更にいえば、高貴なる血を引く姫君だ。

 故にこそ最愛の妹が男の振りをし、あまつさえ騎士を目指していると言った時は何事だと思ったのは別におかしくない。

 しかもそれを知った時は、妹がもう見習いとは言え騎士になった後であり、思わず顔を覆った。

 

 騎士を目指す理由は何なのか。誰に憧れているのか。何故それを告白したのか。

 その全てに対する答え。

 

 

 

 "えっと、ランスロット卿に——"

 "ランスロット卿ならきっと——"

 "そのランスロット卿の戦い方が——"

 

 

 

 思えば彼との因縁はそこからだったかもしれない。

 滅私の騎士が、静かに私情を出し始めるようになった騎士。

 因縁と言っても、字面ほど険悪ではない。小さな嫉妬だ。何故一番の兄を差し置いて彼の事を……と言う小さな嫉妬。

 確かに己の実力と彼の実力が度々比較されているとは言え、別にそこに何か思うところはない。彼は彼で、自分は自分。同じ王を仰ぎ見る者同士。

 故に優劣などは関係なく、立場による差などあり得ない。

 しかしそれはそれとして、妹が目指す先にいるのが兄ではなく彼だと言う事には思う事があった。

 

 

 

 "勝ちたい人がいるんです"

 

 

 

 そう言って、我武者羅に己を鍛えていく姿を何度も見た。

 その姿を見て、妹を女性だからと縛り付けている己自身が居たという事実に気付く。

 騎士になる以上、泣き言は聞かないし手助けもしない。

 同じ王を仰ぎ見る同士、立場や役割があるからだ。そう言って突き放した自分の方が思い悩み始めてしまったのは、兄としての矜持があった為教えていない。

 

 ただ理解した。

 妹は、強い。もしかしたらいつか、己を容易く飛び越えてしまうかもしれないくらいには。兄としての色眼鏡? そんなものはない。目の前にあったのはただの事実。

 ——無傷で何人もの騎士を落馬させ、ただ一人だけ騎乗したまま天高く槍を掲げる妹の姿。

 

 その姿、爽やかに勝利を勝ち取る湖の騎士に重なる者も多かった。己もそうだった。

 だから確信した。良き騎士になるだろう。仰ぎ見るのが湖の騎士故に。己ではダメだという卑下ではない。

 少なくとも、ただ事実がある。

 妹は女性だからと侮っていた己の懐疑心を、確かに打ち払ってくれた事実。だから湖の騎士のように、ブリテンの騎士とは一風変わった騎士として、爽やかな風をこの国に運ぶに違いない。

 

 成る程、敵わない。

 だから、しょうがない。

 その言葉が心に染み渡り、彼への小さな嫉妬を消した。

 

 

 

 "あの、ランスロット卿に勝ちたいのではなく、その………——あの少年に勝ちたいのでして"

 

 

 

 いや、勿論ランスロット卿にも勝ちたいですけど! と彼女は続けながらも、妹は確かにそう言った。

 勝ちたいのは私ではなくランスロット卿ですか? と、少し意地悪く妹に聞いた時、そう言う風に返って来た。

 僅かな驚き。そして納得。

 

 今度は特に嫉妬はなかった。

 かの少年は妹と同年代。なんなら少年の方が歳下なのだから、勝ちたいという思いも確かに分かる。

 史上最年少の騎士。ブリテンに現れた大きな風。歳若い少年少女の夢の人物。とある異名では希望の星。

 成る程と思った。元々勇敢だった妹の事だ。騎士を目指す理由としても、憧れの人に勝ちたいと言う想いも良く理解出来た。

 ならばあの少年に勝利したランスロット卿を仰ぎ見るは当然であり、故に思う事はない。

 是非頑張って欲しい。

 妹と、あの少年。ブリテンに新たな風を率いて欲しいし、次代の円卓を担う者として純粋に期待した。

 

 

 

 "——私はルーナ"

 

 

 

 妹が出来た。

 恐ろしい妹だった。

 

 

 

 "ルーナ・ル・フェイ。モルガンの娘です"

 

 

 

 でも、その時に初めて抱いたのは。

 ——どうしようもない程の納得感だ。

 

 あの精神性。強さ。姿。強かさ。そして末恐ろしさ。

 その全てに、何処までも納得出来た。少年と偽って来た素性や、不可解な魔術。一瞬垣間見た恐ろしい程の感情の濁流も、その全ての謎があの瞬間、紐解けた気がした。

 確かに恐ろしくはある。困惑もあった。

 だが——迷う事はなかった。

 真っ当な騎士からは極めて程遠い。やり方も戦い方も。精神も。時に大局の為に義を捨て去る在り方も。

 しかし多分、彼女はアグラヴェイン似だったのだろう。己がガレスと。アグラヴェインは彼女と。

 故に優劣はない。

 彼女は彼女であり。自分は自分。勿論アグラヴェインもであり、ガレスもだ。誰が悪いという訳でもなく、良いという訳でもない。

 

 彼女が仇成す者ではないと感じていたのもある。

 だが何よりも偏見を取り払ったのは、女性だからと縛り付けてはならないと思っていたからだ。最愛の妹、ガレスのように。それと同じく彼女も。

 もっと反抗的で手のかかる者ならば違ったが、母上のような底知れなさと花の魔術師のような異質的な感覚、そしてアーサー王のような超越的な精神性を織り交ぜにした彼女を妹と受け入れるのは、まだ難しい。

 だが彼女もまた故郷を同じくする騎士であり、何よりローマとの戦いで見せたあの宣言を忘れた身でもない。

 

 時代は転換期を迎えている。

 王は男性ではなくてはならない。騎士に女性は要らない。そんな理が変わる時が。その時、妹は騎士として。彼女は王として。

 

 大きな風が吹いていた。

 この風はそう言う風なのだと確信していた。

 

 

 

 "遂に一騎討ちするって約束も出来ました!"

 

 

 

 その日の事を良く覚えている。

 妹はまだ約束が果たされた訳ではないのに、やり切った顔でそう告げた。

 

 

 

 "しかも——ルーナさん笑ってくれたんですよ!? もうしょうがないなって!小さくフッ、って!"

 

 

 

 久しく笑っていなかった。

 だからその笑顔が見れて良かった。

 しかし気付いていただろうか。それを言う妹本人だって、久しく笑っていなかった事を。

 

 

 

 "ルーナさんが聖杯探索から帰って来たら………それまで頑張らないといけませんね!"

 

 

 

 だからきっと、二人は本当に仲が良かったのだろう。

 どっちが妹で姉なのか分からない程。同じ女性としての苦労。同じ年代としての共通点。二人は何よりも通じ合っていた。

 きっとそうだった。それを互いに口にする機会は少なかったろうが、それでも二人はどこかで通じ合っていた。互いに互いが、思っている以上に相手の支えになっていた。

 それを確信出来た。故に、そこに兄として入る事はない。

 妹とか姉とかだから出来た訳でもない、二人だけの信頼があった。

 だから妹も笑い、彼女も笑ったのだ。

 

 

 

 "お兄様! 一騎討ちの日はちゃんと見てて下さいね! その日、勝負が終わったら必ず——私の本当の名前をルーナさんに告げるんです"

 

 

 

 そうやって未来が楽しみと笑っていた妹の願いは——叶わないモノになった。

 

 

 

 "ガレス——"

 

 

 

 声をかけるが返事はない。

 彼女が聖杯探索から戻るより早く、妹は誇り高き決闘の機会を永遠に奪われた。

 

 妹は今、寝台に横たわっている。

 息はか細い。顔色は悪い。

 死んではいない。生きている。そして——生きているだけだ。何故なら妹は、左手がもう動かないからだ。

 

 妹が愛用していた盾。

 それが溶けるように両断されている。湖を断ち切るような斬撃。それが盾すら貫き通し、妹の左手を完全に亡きモノにしていた。

 妹はもう戦えない。彼女と交わした一騎討ちの約束を果たす事が出来ない。生きている間は——永遠に。

 

 きっと、逃げながらの一撃だったのだろう。

 一閃。返す二閃目の刃で昏倒させた。それで終わったのだ。

 妹の全て。今まで仰ぎ見て来たモノ。生涯をかけた決闘は、僅か数秒で、どうしようもない理由で無為へと消え去った——

 

 

 

 "——ッ……ガウェイン卿…………"

 

 

 

 音がする。

 

 

 

 "許してくれとは言わない。罪があるのは、私だけだ。彼らは関係ない。だから今は、共に陛下の元へ——"

 

 

 

 音がする。

 

 

 

 "ガウェイン卿——……話を、聞いてくれないか"

 

 

 

 ——音が、する。

 陽に炙られているような、音がする。

 

 

 

 "卿はアグラヴェインとガレスの話を聞きましたか?"

 

 "—————……………"

 

 

 

 返って来る言葉はなかった。

 今自分は——どんな顔をしているだろう。分からない。きっと能面のような表情が顔に張り付いているだけかもしれない。

 あぁ、彼女もこうだったのか。ずっと、こうだったのか。

 ようやく彼女が妹だと、自分達と似ているのだと実感出来た気がした。

 

 しかし、あるのは事実だけ。

 それだけが何処までもあった。

 

 逃がしてはならない。それだけは絶対的な事実。

 ランスロット卿の離反。逆賊。その討伐。それを逃しては——国の威信に関わる。そう。彼は泥を塗った。

 

 妹の全て。二人の決闘。二人だけの決闘。

 否——もう一人の妹が今、何とか治めている国にすら。もう一人の妹が、国の為、聖杯探索に赴いている今。

 

 湖の騎士なぞ何する者か。

 大地を焼く焔。不浄を清める陽炎を以って湖すら蒸発させてみよう。

 いざ灼熱の焔を宿した日輪の輝きを知るが良い。たとえ陽の光が堕ちようと、凶星となって貴様へと立ちはだかろう——

 

 

 

 "剣を取れ、ランスロット。貴方はそも、陛下の元に赴く資格はない。貴方は——二人を踏み躙った"

 

 

 

 太陽の星剣が燃え上がる。

 それに呼応するように、緑の騎士から貰った清純で在れと望まれた帯が、荘厳なる守護の帯が——爛れ落ちる。

 音がしていた。

 魂を焼け付かせる、焔の陽炎の音が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が部屋に入って来た瞬間、アグラヴェインは静かに目を開けた。

 キャメロットの一室に差し込む太陽の光は眩い。ここ数日降り頻っていた雨が晴れ上がった影響だろう。

 アグラヴェインの容態は、ガレスに比べれば比較的落ち着いている。

 立ち上がって剣を振るのは無理があっても、横になりながらの会話程度は卒なくこなせそうだった。

 

 

 

「無事ですか」

 

「君が定義するところによるなら、私は無事だ」

 

 

 

 普段と何ら変わりのない返答を出すと、彼女は身じろぎなく静かにアグラヴェインの頭部へと視線を向ける。

 彼の頭には包帯が巻かれていた。

 ランスロット卿が逃亡の際、剣の腹で叩き気絶させた時の怪我。全治に数週間以上はかかるだろう傷だが、もしもランスロット卿が刃を横に滑らせていたのなら、彼は即死していた。

 

 

 

「どうやらそのようですね」

 

「可愛い気のない返答だ」

 

「そのようなモノ、騎士になる前から捨てているので」

 

 

 

 そうか。と頷いてアグラヴェインは彼女を注視する。

 どうやら今日は、彼女のバイザーは外れているらしい。聖杯探索中は着けてなかったと聞くからそのままなのだろう。

 彼女は、寝台の隣に座り込んでから話し始めた。

 

 

 

「聖杯探索は失敗しました。ギャラハッドも死にました」

 

「そうか………」

 

「これより私はランスロット卿を討ちに行きます。粛正騎士隊の権限を全て私にお譲り下さい」

 

 

 

 身近な人がなくなり、聖杯探索失敗によって民への威信も揺らぐかもしれない状況。

 感情も慰め合いも不要と言わんばかりに、無駄な会話はなく、ただ事実を告げそして確認すると言わんばかりの手短さで彼女は言う。

 事実、今まで二人には要らなかったのだから当然の事だったのだろう。

 だが今回ばかり、アグラヴェインは違った。

 

 

 

「君は何があったのか聞かないのか」

 

「パーシヴァル卿に聞きました」

 

「じゃあ不貞の内容は」

 

 

 

 一瞬彼女は黙り込む。

 アグラヴェイン卿は何が言いたいのか。

 しかし彼からは怒りなど感じない。だから——すぐに言いたい事が分かった。

 

 

 

「あぁ、成る程。真実がどうなのかはもう意味がないので興味がありません。ケイ卿が真空の弓か湖の聖剣で死んだのか興味がないように。情報が錯綜しているのでしょう?

 パーシヴァル卿は確かな事だけを教えてくれました」

 

「そうか…………必要なモノは必要なだけと言う事か」

 

「はい。取り零しても仕方がありませんから」

 

「ならばこれは世間話なのだが………ギネヴィア王妃は権威にしがみ付く悪女だと叫ばれている。アーサー王から縁を切られたその日にランスロットと繋がったのだ。

 理想の王の隣に居られなくなった瞬間、理想の騎士への隣へと。

 一体何年前からランスロットと繋がっていたのか。それを知ったからアーサー王から縁を切られたのだ。裏切りの王妃め、と」

 

「成る程。トリスタン卿の一線に触れそうなモノです。

 しかしアグラヴェイン卿。貴方は何年も前から、ギネヴィア王妃とランスロット卿が不貞を働いていたと思いますか?」

 

 

 

 彼女の問い。

 彼女はアグラヴェイン卿の世間話に乗り、同じく世間話の形で尋ねる。

 

 

 

「まさか。私が気付かなかったのだ。そんな事はあり得ない」

 

「とんだ自信ですね。

 ですが貴方がそう言うのです。事実なのでしょう」

 

「では君は、その日ギネヴィアとランスロットは不貞をしたと思うか?」

 

「まさか。そんな度胸などギネヴィア王妃にはありもしない」

 

「辛辣だな。

 だが君がそう言うのだ。事実なのだろう」

 

 

 

 彼女の言い分にアグラヴェインも頷く。

 ギネヴィア王妃は騎士達が思い描く妻の理想形。悪く言えば典型的な存在。自らを誇示せず、必ず一歩引くようなタイプの人間。

 貞淑だが周囲を振り回して利用するような強かさはない。もしもあるならそもそもアーサー王の妻になどなっていない。

 

 

 

「それで粛正騎士達の権限の話なのですが」

 

「あぁ………」

 

「世間話程度でははぐらかせませんよ」

 

「そうだな。こう言う分野はケイの役割だ。

 …………元々君の配下代わりになっていただろう。今更いるのか?」

 

「はい。形式上。建前上というのはやはり大事ですから。

 だから正式に伝えた方がよろしいかと」

 

 

 

 形式。建前。

 ようはメンツの話だ。

 真実がどうであれ、ギネヴィア王妃とランスロット卿を討伐するしかなくなったように。

 

 

 

「分かった……好きにすると良い。最近は勘が鈍り始めた」

 

「ご冗談を」

 

「冗談ではない。事実だ。ランスロットも取り逃したからな」

 

「では、私が卿の代わりに討ちに行きますのでご安心を。

 逃がす気はありません。逃がす理由が、もう無くなってしまったので」

 

 

 

 もしも、ただランスロットとギネヴィア王妃の不貞が露見しただけだったのなら、事実がどうにしろギネヴィア王妃を国外追放する程度で済ませる事も可能だっただろう。

 もしかしたら彼女もそう考えていたのかもしれない。

 だが、ランスロットは明確に叛意を示してしまった。それが不幸な事故でも。ケイ卿が死亡し、円卓の二名が死にかけてしまった。

 要は、納得するかしないかの話。

 殺さない必要性よりも、生かして置く価値がない方向に天秤が傾いた。

 

 そして感じ取った。

 今の彼女は鉄だ。鋼鉄のアグラヴェインはそれを理解する。

 こうなった彼女は、戸惑いもなくランスロットとギネヴィアを殺害するだろう。

 

 

 

「いつに出立するつもりだ」

 

「最後にマーリンへの確認がありますが、後一時間以内には。

 ランスロット卿をこの島から逃す事は許されません」

 

「円卓最強と呼ばれた騎士だ。勝てるのか」

 

「はい。必ず——殺します」

 

「そうか……」

 

 

 

 トリスタンとガウェインが追っているというのに、彼女は二人がランスロットを討つ事を全く信じていないのが、その様子で良く分かる。

 そして彼女が明確に——殺すと告げた以上、きっとそうなるのだろう。

 もはや、今の彼女の精神は完全に固定された。今まで通り、叛逆者を手にかけて来たようにランスロットにも手をかける。

 

 

 

「思えば君は……本当に手のかからない人物だった」

 

 

 

 ふと、アグラヴェインは今までの事を思い出す。

 彼女の様子を見て、私情などなくただ一騎士として動ける彼女の今までが脳裏に浮かんで来た。

 小さい輪郭は、いつの間にか大きな輪郭になった。

 

 

 

「…………」

 

「私が知る限り、一番優秀な部下だったのはきっと君だ。

 優秀すぎて、部下ではなく上司になってしまったが」

 

 

 

 全てに於いて隔絶していた。

 だからこそ、もう一人の竜の化身と呼ばれたのだろう。

 人間嫌いが再び心を開いた人物が、やっぱり人間ではないモノだったのだとしても、それでもアグラヴェインは感傷に浸る。

 

 周りの人間や騎士とは違う。

 だと言うのに、彼女が特別異常かと言われたら、きっと違う。狂っている訳でもなかった。物事の捉え方と価値観の問題か。

 この騎士道を重んじる国では異端とは言え、人としては異常ではない。ただ彼女の思考形式は、未来を行き過ぎているのだ。

 彼女が遥か未来の生まれだったのならば、彼女に適した世界があるのかもしれない。だが、この時代で生を受けたからこそ、彼女の異端が強く芽生えたのだろう。

 故に彼女は己と適合したのだ。

 同じく騎士道の異端者である、己と。

 

 

 

「君にとっては謂れようのない事かもしれないが、もしも私に子供が居たら……と、そう思う事もあったかもしれない」

 

「…………………」

 

 

 

 もしも、彼女と自分がどんな関係だったかと言われたら、恐らくそれが一番近いのかもしれない。父と子。そして子は父を追い越すものだ。

 だから性別の事も、思いのほか容易く受け入れられたのだろう。

 アグラヴェインは思考に耽りながら、遠くを眺める。

 

 

 

「もう、死期を悟った老人のような事を言うのですね」

 

 

 

 アグラヴェインの感慨をよそに、彼女は小さく呟いた。

 

 

 

「それは、貴方が私の父だと言いたいのですか」

 

「………あぁ。そう感じていた。今そう気付いた。私がな」

 

「そうですか。確かに貴方が言うのならそうかもしれません。

 私には父親という人が居た実感がありませんから。

 ですが、申し訳ありません。顔も名前も知らぬ父親ですが、私の父は一人です」

 

 

 

 彼女は、何か表情を変える事なく淡々と告げた。

 それがアグラヴェインに何か変化を与える事もなかった。元より、何の形に近いかと言ったらそう言うだけだった。

 きっと何かに飢えていて、その空洞に彼女を当て嵌めようとしただけなのだろう。

 

 

 

「ですが、アグラヴェイン卿」

 

 

 

 閉目し、特に言葉もなく沈黙していたアグラヴェインは、彼女の言葉に瞳を再び開ける。

 

 

 

「私は貴方から多くの事を学んだ。多くの事を知った。貴方がいなければ、今の私は居ない。それにきっと、貴方以上に話の合う人はいなかった」

 

「…………」

 

「だから、ありがとうございます。

 私にとって貴方は、最も頼れる兄上でした」

 

 

 

 身も蓋もない事を言う。彼女は全く己を頼って来なかった。

 そも、本当に此方を兄だと思っているのか。彼女にはガレスのような素直さと親しみが欠けらもない。

 そう思いながらも、アグラヴェインは小さく笑った。

 

 

 

「——私もだ。君以上に話の合う人はいなかった」

 

 

 

 ただ周囲から恐れられるばかりだった騎士を、最も頼れる人だと言うのは彼女くらいのものだっただろう。

 多くを共にし、多くの事を共感した。

 立場上の味方はおれど、きっと自らの想いを共有出来た仲間は彼女だけ。

 アグラヴェインを最も知る事が出来たのは、恐らく彼女だけ。

 そうなった。そう言う関係になった。つまりはそうなる程に、心を許していた。

 

 

 

「アグラヴェイン卿。今まで大変ありがとうございました」

 

 

 

 彼女は立ち上がる。

 揺るぎない瞳。切れ目の眼差し。それがアグラヴェインに向けられる。

 そうだ。彼女は何かを決心している時は必ず、眉を一つも動かさないのだ。

 冷たい視線の裏に隠れた、陽炎の如く揺らめく熱意。

 なるほど彼女は立ち回りが上手い訳だ。己のように冷酷な判断を下せながら、兄上(ガウェイン)のように滅私の騎士として動けるのだから。

 

 

 

「貴方の役割。役目。私が引き継ぎます。私なら引き継げます」

 

「……………」

 

「アグラヴェイン卿。貴方の剣とマントを貸してくれませんか」

 

「剣は分かるが、マントもか」

 

「はい。粛正騎士隊を預かる者として。貴方から力以外のモノをも受け継ぐその証として。

 それに私は体が小さいですからね。肩に羽織るくらいが丁度良い」

 

「そうか………私を受け継ぐか」

 

 

 

 アグラヴェインだからこそ成し遂げられたモノ。アグラヴェインだからこそ自ら進んで選んだ道。円卓に於ける嫌われ者や、汚れ役。

 彼女がそう言うのだ。事実そうなるのだろう。

 彼の剣は、他の騎士が担う宝剣ではなく、また湖の精霊から授けられた聖剣でもない。

 

 彼の剣はただの剣。故に人の剣。

 名誉など要らず、栄光に興味もなく、騎士道を誉れとする時代で模範的な行動規範から逸脱した人間が愛用した、無骨な剣。

 アグラヴェイン卿の陽に当たらない生涯を表すように、彼の騎士剣は黒く染められている。

 家柄、出自。明かしたくない過去を隠すように、剣や鎧に刻まれた紋章を塗り潰す為の色。それをただ、血が目立たないから、錆び止めに便利だからと使用した彼の剣。

 

 込められた力はなく、神秘も薄い。

 だがそれを、厳かな貴重品を扱うように彼女は握る。

 彼女にとってそれは、人の生きた証にも等しいが故に。

 

 

 

「良いだろう………好きにするといい」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 僅かに笑って、アグラヴェインは彼女に剣を手渡した。

 元より剣自体に未練はない。それに、騎士は仕える王に剣を預けると言う。意味合いは僅かに違うが、彼女の事だ。きっと此方の方が相応しいのだろう。

 

 

 

「だがその剣は、剣そのものに価値を抱いていない者の象徴だ。手入れを疎かにしても長く使える為だけの剣。故に大した意味はない。

 それに本来なら私のような役目の人間はいない方が良いのだ。

 騎士が戦わない、と言うのが何より平和で良い」

 

「遠い遥か未来では、貴方のような考えの人がきっと重宝されます。

 今は時代が悪いだけです」

 

「君もだろう。きっと」

 

「私は後天的に、そう学んだだけですから。私自身は無辜の人間とそう大した違いはありません。強いて言うなら無辜の人間の代表くらいなものです」

 

 

 

 僅かな微笑み。本当に少しだけ、表情を和らげさせた程度の変化が彼女に訪れる。

 彼女はアグラヴェインの騎士剣を腰に収め、彼に背を向ける。

 

 

 

「行くのか」

 

 

 

 騎士王とは違い、マントを羽織る事のなかった彼女が今日ここでマントを羽織る。黒に近い紺色。華麗さは欠けらもない。

 その後ろ姿にアグラヴェインは言葉をかける。

 

 

 

「はい。借りを返さねばなりません」

 

「勝てるのか」

 

 

 

 再三の言葉。

 彼女は僅かにも戸惑わなかった。

 

 

 

「はい、必ず。殺します」

 

 

 

 振り返る事なく、彼女はその場を去って行った。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 その姿に、アグラヴェインは静かに瞳を閉じ、体を横にする。

 そして、ただ確信する。間違いなく彼女が勝つ。

 彼女は己だ。己と全く同じ事が成し得る竜の化身だ。多くの物を知り、多くの人を知るが故に、どうすればその人間を追い詰めて倒せるのかを理解している者。

 凄まじい執念を以って立ち上がる災禍の権化。

 そして彼女は己と同じく、あらゆる手段を問わない追い詰め方とそのやり方すら学んだ。

 

 

 

「ランスロット。お前はどうする。

 遂に鴉はお前を見放したぞ」

 

 

 

 ならばもう、負ける道理はない。

 人には抗いようのない大災害。理不尽の権化。嵐そのもの。

 彼女は遂に、無窮の空すら覆い隠す嵐となった。

 

 キャメロットの窓辺から、遠い空を眺める。

 地平線へと沈む太陽。斜陽の最後の光。

 暗く深い夜が、始まっていた。

 

 

  




 
【WEAPON】
 
 サー・ケイの騎士剣
 詳細

 円卓の騎士である故にかなり丈夫に作られてはいるが、ブリテン島に存在する、特に変哲のない雑多な剣の一振り。
 剣の模様がカリバーンに似せてある。一度だけ、選定の剣を抜いたのは自分だと語ってみた事があるらしい。

 どうせ何も変わらないと何処で理解しながら、それでも尚。
 結局、何も変わる事はなかったという。故に彼は、剣を使わぬ戦いを選んだ。その無念の証。それでも足掻いた象徴。



 サー・ガレスの銃槍
 詳細

 ガレスがマーリンから貰った、超巨大な馬上槍。
 幾重もの魔術によって強化されており、ある種の魔術礼装と化している。宝具としての格はないが、聖剣や魔剣といった強力な宝具と打ち合える程の強度を保有する為、実質魔槍と大した違いはない。

 報われる事も発揮する事もなく、実は家族だった少女を追い求め続けて、一つ一つ確かに重ね上げた、血が滲む程の修練だけがこの槍には残されている。



 サー・アグラヴェインの騎士剣
 詳細

 円卓の騎士である故にかなり丈夫に作られてはいるが、ブリテン島に存在する、特に変哲のない雑多な剣の一振り。
 ただ、唯一の違いは剣の柄から刀身までが黒を中心とした、暗い色合いをしている事。
 黒にしているのは、血が変質しても目立たないようにするという意味と、錆止めを兼ねて居る為。

 不要な感情など要らないからと、聖剣のような美しさはなく。
 また刃の煌きには不気味さしか残されていない。
 
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。