究極のJKドリフト   作:肉ぶっかけわかめうどん

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池谷達のダウンヒル体験会

 休日の深夜となれば走り屋でごった返す赤城山も、平日の夜には車の影はぱったりと途絶える。

 がらがらに空いた道路で存分に練習走行に励んでいた啓介は、山の麓でFDを路肩に寄せて一休みしようと煙草の箱を取り出した。

 

「啓介さーん!」

 

 闇夜の向こうから、手を振りながら啓介に近づいてきた影に、啓介は火をつけようとしていた手を止めて向き直る。

 

「ケン太か」

 

 高橋兄弟に次ぐレッドサンズのナンバー3、ケン太こと中村賢太は主人に飛びついてくる忠犬の如く啓介の正面まで走り寄る。

 

「珍しいな。平日の夜だぞ」

「ふと急に走りたくなっちゃいまして。給料日前だから、あんまりガソリンもタイヤも減らせませんけど。啓介さんはいつもこの時間に?」

「おう。ここ最近は毎日この時間だな」

「熱心ですね……涼介さんは?」

「アニキか……」

 

 啓介は煙草を咥え、火をつけ直した。

 

「家でずっとパソコンに向かってるよ。こないだのGT-Rとハチロクの一件以来、論文の書き直しに大忙しらしい」

「ハチロクっすか……」

 

 ケン太は複雑そうな表情を浮かべる。

 

「話は変わりますけど、啓介さんは、あのハチロクの女の事ってどう思ってるんです?」

「……どうって言われてもな。どうした急に」

「最近の啓介さん、妙にあの女に執着してるじゃないですか。そりゃ負けたのは悔しいでしょうけど……ただ負けただけにしてはやたら意識してるなって」

 

 啓介は言いづらそうにしているケン太を鼻で笑った。

 

「別にそういうのじゃねぇよ。一つの目標ではあるけどな。古いボロマシンでも、乗り手次第でああも化けるってのを見せられたら、良い車乗ってる走り屋としてやる気出さないわけにはいかないだろ。車の限界なんてものは、オレ達が思っているよりはるか向こうに存在することが証明されたからな」

 

 ドライバーの能力でここまで走るのなら、自分が同じ領域までくればさらに速くなるはずだ。RX-7はAE86をあらゆる面で上回るマシンである事は啓介には疑う余地はない。

 乗り手がヘタクソなせいで格下の車相手に敗北を喫し、FDもさぞ悔しかった事だろう。

 FDの全力を引き出せるようになった自分が、今度こそ本気になった藤原拓海のAE86と戦い、打ち勝つのだ。それができて初めて胸を張って真のロータリー使いを名乗れる気がする。

 

 

 それはそれとして、兄以外で自分より上の評価をアレから受ける走り屋がいれば全力で叩き潰しに行くのだが。

 自分の時より手こずったというなら、成長を確かめるには丁度いい相手として、いずれ来るレッドサンズの妙義山遠征で叩きのめさせてもらうつもりである。

 これに勝てば、とりあえず眼中にも無い程度の存在からは脱却できるだろう。

 

「女だから意識してるって事は無い……つもりだ。そういう意味ならアニキの方がよっぽどだぜ」

「え、涼介さんが?」

「アニキは何も語っちゃくれねぇから、単なるオレの勘だけどな。アニキと話してると、そんな感じがするんだ。ただ速いから、ただ上手いから、ってだけじゃなくて、女だから意識してるって部分があるっぽいんだよな」

 

 紫煙を静かに吐き出すと、啓介は吸える部分がまだまだ残っている長い煙草を携帯灰皿に押し込んだ。もったいないとケン太は感じたが、啓介にとっては無くなったらまた買えばいいぐらいの感覚なのだろう。

 

「へぇー、涼介さんにもそういう感情ってあったんですね。あの人、そういうの全然興味ないのかと」

「何年か前にな、アニキ、やたら浮かれてた時期があったんだよ。しばらくしたら今度はものすごく沈んでたけどな。何があったのかは全く知らないが、アニキにもそういう話が無いわけではないんだぜ……それじゃあ、オレはもう行くぞ」

 

 啓介はFDに乗り込むと、素早く切り返して今度は赤城の道路を登り始める。

 

「え、ちょっと待ってくださいよ啓介さーん!」

 

 せっかく鉢合わせられたのだから一緒に走りたかったのだが、向こうはこちらの相手をしてくれる気はないらしい。

 ケン太も丸っこいフォルムの前期型S14シルビアに乗り込み後を追おうとするが、金が無くて上位グレードが買えずエンジンがノンターボ仕様になっているケン太のシルビアではもう姿を見ることはかなわなかった。

 

 

 

 秋名山頂上で、ハチロクの助手席に乗り込んだ池谷は、シートベルトを締めて一番腰が落ち着く位置を模索する。

 フルバケットの安定感に一度慣れてしまうと、ノーマルのシートが非常に不安になる。この椅子で強い横Gに耐えようと思ったら、自分の足の膝から下をボディに押し付けて踏ん張るしかない。池谷はシートを前に寄せて、少しでも安定しそうな場所に両足のポジションを定めた。

 

「よし、こっちはいつでも良いぜ。全開で頼む」

 

 準備完了を伝えて隣を向いた時、池谷はある事に気付いた。

 

「いきなり全開はちょっと辛いと思いますけど……良いんですか?」

 

 ドアを閉めた今、隔離された空間と化したこの車の中にいるのは自分と運転手の拓海の二人だけ。

 よく考えてみれば、自分は今母親以外の女性と初めて至近距離で二人きりになっているのだ。それに気付いた池谷は急激に脳が沸騰しそうな焦りを覚える。

 

(仕事から帰ってすぐ風呂には入ってるから汗臭くはないはずだけど……何で気付かなかったオレ、気付いてたら念入りに三回は体も服も洗っておいたのに……!)

 

「池谷先輩?」

「あ、ああ……オレだって走り屋の端くれ、ちょっとやそっとのスピードでビビりやしないぜ。思いっきり突っ込んでくれ」

「分かりました」

 

 運転席の窓の向こうから、ついてきたイツキと健二が心配そうな目を向けるが、今の池谷にそちらを見る余裕はない。

 やがて池谷にもよく馴染みがあるFR車のロケットスタートの感触がリアタイヤから伝わってくるが、これはよりパワーのあるS13のフル加速に慣れている池谷には丁度良い刺激となって彼の意識を目の前に呼び戻した。

 

(いかんいかん、今はこっちに集中だ。走りの勉強をさせてもらいに来たんだろオレは。何も盗めず終わったんじゃ、せっかく引き受けてくれた拓海ちゃんに申し訳ないぜ)

 

 一速で限界まで引っ張ってからの二速へのシフトアップ。その動作は自分のそれよりも確実に速い。

 急激にエンジンの回転が落ちたはずだが、ショックはほとんど無く加速が途切れない。

 ヘタクソがこれをやるとエンジンブレーキで前につんのめるか、もたついて結果的に回転合わせにはなっても大きなタイムロスになるかのどちらかである。

 

(上手いな……こういう地味なところも大事なんだよな)

 

 一回のシフトチェンジのもたつきでのコンマ1秒のロスは些細なものに見えるが、レース全体でのシフトチェンジの回数分積み重なってくればやがて大きな差となる。

 

(ノブの手の動き、ペダルの足の動きのバランス、よく見とかないとな……)

 

 ジーンズにスニーカー、男でも掃いて捨てる程いる定番過ぎる下の服装の先の動きを池谷は目に焼き付ける。

 二速から三速とさらに上がっていくが、とにかくアクセルをべった踏みである。クラッチを切る瞬間以外にアクセルから右足が離れる時が無い。

 

 速度が上がったことにより、キン、コンと警報音が車内に鳴り始める。

 

(そういやキンコンチャイム付いてるのか……確か105キロで作動だったな。もうそんな速度なのか)

 

 メーターを見ようと視線をやや上に向けると、ややゆったりサイズの半袖の白いシャツでハンドルを握る拓海の上半身も視界に映る。あってもワンポイント程度の飾り気皆無の服装だが、これでダサくならないのは何故だろうか。自分がやったらヨレヨレのシャツを着た服買う金すら惜しむダサくてカネの無い男に見られそうだ。

 

(てか運転席もノーマルなんだよなこの車。よく横Gに耐えられるな……う)

 

 何気なく運転席の三点式シートベルトを見た池谷は、斜めに胸元を締めるシートベルトにより強調された一点を視界に入れてしまい思わず目をそらす。

 

(どこ見てるんだオレ、前を見ろ前。距離的に考えてそろそろ第1コーナーのハズ……)

 

 軽く頭を振って邪念を払い、池谷は前を向く。上手いドライバーが行うブレーキングを見逃すわけにはいかない。これを逃したら今夜ここに来た意味の八割はなくなってしまう。

 

(さあ来いコーナー……コーナー?)

 

 

 池谷がようやく正面を見据えた時、そこにもう道路は伸びていなかった。

 

 

 あるべき黒い直線の道路の代わりに、こちらに顔を向ける白い板の正体が第1コーナーのガードレールであると気付いた時、池谷は走馬灯が眼前によぎった気がした。

 今更ながらに始まったブレーキングの慣性から乗員を守るべく、シートベルトが全力で池谷の体をシートに押さえつけるが、池谷の体はもう何も感じてはいなかった。

 

 池谷の短いながらも積み上げてきた走り屋としての感性が言っている。こんな速度で進入してはいけない、と。

 しかし今日はドライバーではない池谷にはどうすることもできず、ただどんどん視界の中で大きくなってゆくガードレールを呆然と眺めることしかできない。

 

 ふっとガードレールが視界から消える。ステアリングがきられ、車が向きを変えたのだ。

 遠心力に負けたリアタイヤが滑り始め、ドリフトと池谷が自称するパワースライドで慣れ親しんだリアが流れる感覚がシートを通して池谷に伝わる。

 リアが流れ始めてすぐ、リアタイヤが仕事を放棄したことにより負荷の集中したフロントタイヤも路面を手放し四輪すべてが流れだす。

 

(フロントまで滑った……)

 

 しかし四輪ドリフトの知識を持たない池谷にはこれは危機的な状況にしか映らない。

 コーナリング中に四つのタイヤが全て滑り始めた。もうこの車は完全に制御不能の状態に陥ったと池谷は認識したのだ。

 相変わらず車内にはキンコンと小気味良くチャイムが鳴り響いている。

 常識的に考えてこんな速度で車が曲がるわけはない。ものすごく粘る足をした本格的なレース仕様のマシンならともかく、ハチロクのような古い車がこの状態から立て直せるはずがない。

 

 

 ゴン、と車内に衝撃が走った。

 それをガードレールと接触した際の音と認識した池谷は、正面に広がる闇を見る。もうガードレールは見えない。そして今この車は加速中である。

 

(……)

 

 落ちた、と感じた池谷は恐怖で薄れそうになる意識の中、運転席の拓海の横顔を盗み見る。

 そこには何か心配そうな表情でミラーを覗く彼女の横顔があった。

 

 

 

 頂上でスピンターンの練習をしていた健二と、それを見ていたイツキは、先ほど出ていったばかりのはずのエンジン音がまた近づいてきたことに疑問気に顔を見合わせた。

 

「もう戻ってきた?」

「なんかトラブルでもあったんすかね」

 

 やがて戻ってきたハチロクに、何かあったのかと二人が駆け寄ると、そこには助手席で伸びている池谷と、右のリアタイヤを懐中電灯で照らす拓海の姿があった。

 

「何かあった?」

 

 イツキが拓海に尋ねると、拓海は懐中電灯を消して第1コーナーの方を指さした。

 

「多分空き缶か何かだと思うけど、何か踏んづけたみたい。この程度でどうこうなるとは思わないけど、一応チェック」

「一個目のコーナー?」

「一個目の出口のところ」

 

 その話を横で聞いていた健二が、助手席から池谷を引っ張り出しながらあきれた様に漏らす。

 

「……じゃあこいつコーナー1個で失神したのか」

 

 大方『よそ見』でもしてたんだろ、と健二は結論付け、池谷をシルビアの運転席に放り込む。

 でなければそれなりに経験ある走り屋がたかが横Gごときで気を失うとは思えない。自分ならみっともなく叫んだりくらいはあるかもしれないが、それでも最後まで耐えるくらいはできるはずだ。

 

「そうだ、拓海ちゃん。今度はオレを横に乗せてくんない?」

「次は健二先輩ですか?」

「そうそう。池谷と出し合って、ガソリン満タンサービスするからオレも勉強させてくれ」

 

 健二は拓海に向かって手を合わせる。

 

「あ、健二先輩ずるいですよオレもやりたいです!」

「イツキもやりたいか。それじゃあ3人で折半だな。拓海ちゃん、いいかな?」

 

 まあ、いいですけど。と拓海はうなずき、今度は健二を横に乗せてのダウンヒル見学会が開催されるも、コーナー3つ抜けた時点でまたも引き返してきたハチロクを見て、イツキは謹んで同乗を辞退した。

 

 

 

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