究極のJKドリフト   作:肉ぶっかけわかめうどん

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秋名発、碓氷行

 夏の長い日の中でもようやく気温の下がり始める夕方の時間帯、どこにでもあるありふれた二階建ての一軒家の先に白いハチロクトレノが止まった。

 近づいてくる音を聞き既に玄関先に待機していたイツキは財布などの最低限の荷物をポケットに押し込むと、他の部屋から漏れ出すエアコンの冷気で誤差程度には過ごしやすくなっていた玄関から熱気充満する屋外に出撃するべくドアノブに手をかける。

 

「イツキー」

 

 背後からの声にノブを回す手を止めて振り返れば、イツキの前にはにこやかな顔で佇む彼の母親が。

 イツキをもう少しふくよかにして二十年ほど経たせればこんな感じになるであろう、イツキが母親似であることがよく分かるくせ毛の優しそうな中年女性である母親が、やけに、嫌ににこやかな顔で玄関に立つ。

 

「……なんで見送りなんかに来てんだよ。気持ち悪いぞその笑顔」

 

 高校生にもなって、ただ出かけるだけで親の見送りだなんてどういう事か。

 

「いやだって、いつも以上にソワソワしてるもんだから」

「いつもと一緒だって。てか一千歩譲ってそうだったとしても関係ないだろ」

「そうね、関係ないわね。で、どこ行くの?」

 

 イツキが多少の口先の攻撃を試みても、その笑顔はまるで剥がれる気配が無い。

 

「碓氷峠だよ……ああもう、行ってくる。玄関から顔出してくんなよ!」

 

 追い払う事は難しそうなので、もうさっさと家を出てしまおうと今度こそ手をかけた時、ドアの向こうから呼び鈴の音が鳴り響いた。

 先ほどまで聞こえていたはずの4A-Gのエンジン音が聞こえなくなっている。

 待っていてもイツキがなかなか出てこないから向こうが来たのだ。

 

「……」

「とりあえず、開けてあげたら?」

 

 既に靴を履き、最も近い位置にいたイツキがドアを押し開けると、そこにいたのは予想通りの人物、藤原拓海であった。

 

「えっと、ごめん、今出ようとしてたとこで」

「あらあら……ん?」

 

 何してんの、と目で問いかけている拓海とあたふたするイツキをニコニコと眺めていたイツキの母親はドアの向こうに止まる車の側面に記された文字に気付く。

 

 藤原とうふ店と言えばご町内では割と有名な店である。

 豆腐屋の現主人、藤原文太の若い頃のやんちゃぶりは町の古くからの住民にとっては有名である。いつも頭の中は車と峠の事でいっぱい、暇さえあれば、時には深夜にすら家を飛び出すクルマ狂い。

 夜の峠以外の場所では大人しくしており、また何かしら家業がある者なら早朝から活動していることは多いのでご近所からの白眼視は無かったようだ。

 

 因みに、一人娘の方が店番に立つようになって以来景気がいいらしい。

 元々手作りならではの、スーパーの大量生産品では出せない味わいを求める常連がそこそこいたようだが、接客担当が不愛想な中年男性から交代した事がリピーターの増加に効いているらしい。

 以前町内会の寄り合いで、特定の曜日、時間帯だけ客が増える現象に複雑な気持ちになる事をぼやいていた、と同じ会に参加していた知り合いに聞いた事がある。

 

「もしかして、豆腐屋の藤原さんの娘さん?」

「そうですけど……初めまして、藤原拓海です」

「こちらこそ。しっかりしてそうな人が近くにいてくれて助かるわ。親が言うのもなんだけど、うちのイツキってすぐ調子に乗るような子でねぇ。あ、よかったらお茶でも……」

「ああもう、余計な事言わないで。もう行くから!」

 

 踵を返そうとするイツキの肩をそっとイツキの母親が掴んで耳元に口を寄せた。

 

「やるじゃない。イツキが女の子作れるなんて母さん正直期待してなかったわ。簡単に離しちゃだめよ?」

「そういうんじゃないから、ほっとけ!」

 

 

 

 住宅街を抜け、高速へと向かう県道を走行するハチロクの助手席で、イツキは窓の外に目を向けたまま拓海に話しかける。

 

「さっきはごめん。お袋も悪気はないんだけど、たまにうざくなる時が」

「いいよ、私も別に嫌じゃないし。一緒にいて楽しそうなお母さんでいいじゃん」

「えー」

 

 そうかな、ととりあえずの反論を試みて運転席の側へ振り向こうとしたイツキの体を、強めのブレーキの衝撃が襲った。

 

「わわっ……どしたの?」

「前、塞がってる」

 

 イツキが前を見れば、前方の交差点の中で、対向車線から右折しようとしていた若葉マーク付きの車が一台立ち往生している。

 

「私の前が開いてたから入ってこようとしてたみたいだけど、失敗してエンストみたい」

「あー、交差点とか一番恥ずかしいやつじゃん」

 

 おそらく、発進時にアクセルを踏みすぎ、勢いに驚いて思わずペダルを戻してしまったのだろう。

 慣れたドライバーならそもそも踏みすぎないか、踏みすぎに気付いてもそのまま発進を続行する場面だろう。 

 

「急ブレーキしたけど、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、こんなので参ってたら走り屋は名乗れないって……」

 

 こちらをのぞく拓海と数秒間、目が合う。

 

「……」

 

 前方で例の右折車が脱出に成功した様子を横目に捉え、前に目を戻した拓海に合わせて、イツキも無言で前を向いた。

 

 

 イツキは顔を前に向けたままで、ちらりと隣を盗み見た。

 車を無駄にギクシャクさせることなく、静かに穏やかに走らせる拓海の姿が目に入る。緊張のかけらもないぼんやりした横顔から視線が下がり、白い首筋、そしてシートベルトに締め付けられた胸元が映りそうになった段階でさっと視線を戻す。

 

(……母ちゃんが余計な事言うからまた意識しそうになってるし)

 

 イツキは自分があまり異性に受けの良い、つまりモテる男だとは思っていない。お調子者らしく積極的な行動に出てみた例は過去にいくらかあるが、そのいずれもロクな結果にならなかった。

 緊張して何も話せずに終わるか、調子に乗って自爆して笑いものになるかの二択である。

 そんなイツキにとって拓海とは初めての親しい異性であるし、初めて向こうから近づいてきてくれた異性であった。モテたいがモテない男らしく、初めての相手を滅茶苦茶に意識していた。

 

 

 イツキと拓海の交流の始まりの頃。

 雑誌で見かけたAE86のデザインに一目ぼれし、免許取得後の野望として一人屋上でカタログを眺めていたイツキの背後に誰かが立った気配があったが、友人の誰かであろうとさして気に留めなかった。

 そして次の瞬間、視界に入り込んだ、どう見ても男の物ではない綺麗な指に心臓が口から飛び出そうになった事を覚えている。

 AE85という車が存在する事を初めて知ったその日から彼女との交流もスタートしたのであるが、その初期の頃、イツキはとてつもなく緊張していた。

 

 普段のぼんやり顔とたまの真剣な表情とのギャップ、優秀な成績、セーラー服の下から存在を主張する大きなふくらみ、と拓海の男子生徒からの評判は割と高い。

 女子間の評判についてはその方面のツテが無いので不明だが、誰かともめた等という話は聞かないので無難以上ではあるのだろう。実際はとある女がらみの悪い噂の絶えない先輩との一件で、怒らせると怖い、という噂がまことしやかに囁かれ、周囲から畏怖と好感を得ていたのであるがそれは彼の知るところではない。

 

 内心はガチガチで、表面はできるだけ爽やかを演じながら絞り出した挨拶をにこやかに返してもらえた時、ついに我が世にも春が訪れたかと家で一晩中にやけていたものである。

 そして翌日、己の得意分野でなら会話を弾ませられるだろう、と車に関するネタの数々をふり、そして片端からガセと勘違いの訂正をされて赤面した。

 

 

 ともあれ、しばらく交流を続けていれば向こうはこちらの事を友人として扱っており、当初期待していたようなものはない事はすぐに分かる。なのでこちらもできる限り友人として、性別を意識しないような振る舞いを心がけてきたつもりである。

 ようやく自然体に近い態度で接することができるようになっていたところへ誰かが余計な一言を付け加えてくれたお陰で、抜け始めていた異性としての意識がまた戻ってこようとしている。

 

 

 このままではよくない。

 車内という狭い空間で無言の二人きり、という良くない状況から脱すべく、何かしら話題を探してみる。

 

「そ、そういえばさ、今日のバトルの事だけどさ」

「なに?」

「池谷先輩も言ってたけど、夕方から移動でよかったの?」

 

 初の秋名以外でのバトルとなる今回、池谷達はもっと早い時間、できるなら早朝から碓氷峠に乗り込んで練習走行を行っておくことを提案していた。

 

「いいよ。一日練習なんてしてたら本番で使う体力なくなるし、家の事もやりたいし」

「そ、そうだよね結構疲れるもんね走るの……自信あるの?」

「それはやってみないと分からないけど……やるからには勝ちには行くよ」

 

 運転席から拓海が顔をこちらに向けた。

 

「ねぇ」

 

 黒い大きな双眸に静かに見つめられ、イツキは思わず息をのんだ。

 

「今回の相手だけどさ。私が勝ったら、池谷先輩は喜ぶかな。それとも悔しがるかな。どっちだと思う?」

 

 池谷が佐藤真子に大層入れ込んでいることはもはや誰もが知るところではあるが、果たして今回池谷はどちらの味方なのだろうか。

 普通に考えればこちらの味方であるが、内心では秋名の勝利を喜べない可能性も全くのゼロとは言えない。もしかすると、負けてほしいとすら思っているかもしれない。

 

「ええと……池谷先輩がどっちの側かは分からないけど、勝って良いと思うよ」

 

 だが、もしこちらが負けたとしても喜ぶようなことは無いだろう。

 どちらが勝ったとしても、それが切っ掛けで関係が拗れるようなことは無いであろう。イツキの知る池谷浩一郎という人物はそういう事をしそうな男ではない。

 

「それに、先輩がどうであれ、オレは拓海ちゃん応援だし」

「……ありがと」

 

 それきり前に向き直ってしまった拓海の横顔を見ながら、再び無言になった車内でイツキはさらなる話題を探してひたすら頭を唸らせていた。

 

 

 

 

 ようやく日が落ち始めてきた、まだまだ明るい夏の夕方の碓氷峠をシルビアでゆっくりと登りながら、池谷は助手席の健二に声をかける。

 

「ここが碓氷峠か。これまたえげつない曲がりくねりっぷりだな。秋名とかに比べても道は荒れ気味だし、パワーが無い側にとってはありがたいかもな」

「確かにそうだけど、地元はそんなこと百も承知だろうし……勝てると思うか、池谷?」

「……」

 

 木々に覆われ見通しが良くないコーナーの先を覗きながらの何気ない問いかけに、池谷は黙り込んだ。

 

「あっ……すまん、池谷的には答えづらいよな」

 

 どちらの側にも立ちづらい心情にあるだろう池谷に、健二は質問を引っ込めようとする。

 

「いや、いい。オレは今回は拓海ちゃん応援と決めてるんだ」

「……いいのか?」 

「オレは秋名のリーダーだからな。秋名の走り屋を応援しないわけにはいかねぇよ」

「まあ、そうだよな……すまん、余計な心配だった。オレはてっきり盲目になった池谷が何かやらかすんじゃないかと心配で」

「お前オレを何だと思ってる」

「秋名一モテない男……いてっ!」

「うるせぇ、今年こそその汚名も返上だ!」

 

 池谷と健二が車内で運転の傍らにつつきあいを始めた横を、さっと加速して追い抜いていった一台の白い車がいた。

 

「いてて……あれ、今の白いのってもしかして」

 

 右肩をさすりながら、今しがた追い抜いていった白い車のテールを健二が見つめる。

 

「高橋涼介じゃねぇか……やっぱ赤城の連中もギャラリーに来てたか」

「あいつら、拓海ちゃんがバトルするとなるとどこからともなく湧いてくるな。黄色の方はいないのか?」

 

 二人で周囲を確認してみるが、それらしき姿は見えなかった。

 

「いないな……黄色といえば池谷、最近妙義山の方で高橋啓介のFDが目撃されるようになってるらしいけど、知ってるか」

「妙義か。あいつら、てっきり秋名にリベンジしに来ると思ってたのに、そのまま次へ行ったのか?」

 

 秋名山での交流戦で高橋啓介が敗れて以来、高橋涼介の出陣を予測する声は多く、池谷や健二らも観戦希望の他山の走り屋達からリベンジ戦の申し出は無いのか、と度々聞かれてはいた。

 

「まさか負けっぱなしで終わり、なんてことはないだろうけどな。赤城に知り合いがいるヤツに探ってもらおうとしたけど、よく分からん」

 

 健二が知り合いの知り合い経由で探りを入れても、判明するのは意味不明な情報ばかり。

 

「再戦の声はあるらしいけど、高橋涼介がストップかけてるとか。その高橋涼介にしたって、ここ最近は赤城に姿を見せなくなってるらしい。何処で何やってるかは弟ですら把握してないって話らしいぜ」

「昼間が忙しいだけじゃないのか?」

「だったら安心なんだけどな。何考えてるか分からん天才ってのは怖いぜ……」

 

 何かしら企んではいるのだろうが、何を考えているかなど凡人には到底理解が及ばないであろう。

 何か奇策を練っているのかもしれないし、蓋を開けてみれば案外しょうもないことかもしれない。

 

「ま、秋名でなら何が来ようと拓海ちゃんならどうにかなるだろ」

「あの子で無理ならオレらどうしようもないからな。それはそれで情けないけど」

「……今は目の前の事に集中しようぜ。言ってて悲しくなってきた」

 

 空が赤く染まり、一部には夜の闇も浮かんできた碓氷の空に、集まり始めたギャラリー達の排気音がささやかに響いていた。

 

 

 

 

 

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