究極のJKドリフト   作:肉ぶっかけわかめうどん

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夏の終わりの思い出に

 延々と狭苦しい道が続いた碓氷の山も、麓まで降り切れば広くきれいな道になる。止めた車から外に出て、草木と湿気と排ガスの匂いが入り混じった碓氷の香りを胸いっぱいに吸い込む。

 

 隣で今ようやく呼吸する事を思い出したように深呼吸を繰り返す真子が落ち着いた頃を見計らい、沙雪は声をかける。

 

「どうだった、真子」

「……いい気持ち。こんなに夢中になって走ったのなんて久しぶり」

「だろうね。真子ってこんな顔するんだ、って横に乗ってて思ったもん……すっきりした?」

「うん。とっても」

 

 額の汗もそのままに、子供みたいににっかりと笑う真子につられて、沙雪も笑みを浮かべる。

 

「すごかったよ、今日の真子は。もう完全に私なんか超えてる。今まではいつも私があれこれ口出ししてたけど、これからはあんたの好きにやりなよ、真子」

「沙雪……」

「さ、わたしらだけで喋ってないで、行こ。待ってくれてるよ、あの子」

 

 沙雪は10メートルほど向こうに停められているハチロクを指さす。

 

「聞いてみたい事も山ほどあるしね。あんまり夜遅くまで引き留めるのも可哀想だし、連絡先も聞いとこうか。真子は明日ヒマ?」

「え、いや何もないけど……」

「じゃあ向こうが良ければ明日で。熱いうちに打っとかないとね」

「何が?」

「こっちの話。ほら早く行くよ」

 

 早くもハチロクのドアをノックしに行った沙雪を追いかけて、道路の橋を歩く真子の横を山から下りてきた白いRX-7が通り過ぎていった。

 

「あっ……」

 

 モデルチェンジ前の旧式、いわゆるFCである。

 通り抜ける瞬間、運転席にいた男と真子は目が合ったような気がした。

 

 

 

 

 深夜。拓海が自宅こと藤原とうふ店の隣の車庫に車を停めると、ちょうど車から下りてきたタイミングで引き戸が開き、藤原文太がのっそりと顔を出した。

 

「ただいま」

「おう、遅かったな」

「父さん……これ見て」

「……?」

 

 ハチロクの左側に回っていく拓海を追って、文太もサンダルを鳴らして歩く。

 

「ごめん。ここちょっと擦った」

 

 暗くて見えづらいが、擦ったような傷が確かに入っている。

 

「これか……で、勝ったのか?」

「勝ったよ」

「そうか。わざとじゃないならいい。大した傷でもなさそうだしな」

 

 それきり踵を返し、文太は家の前に戻る。

 シャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、一本取り出して咥えた。

 

「キーは机の上に置いとけ」

「え、でも配達」

「疲れただろ。雑な運転されて豆腐を崩されちゃたまらんからな。今日はオレが行く」

「……ありがとう。おやすみ」

「おう」

 

 引き戸が締まる音を聞きながら、文太は咥えた煙草に静かに火をつけた。

 

 

 

 

 池谷は感激した。この光景を目に焼き付け、一生の思い出にしなければならないと決意した。池谷には恋愛がわからぬ。が、もし彼女ができたならの妄想だけなら人一倍してきた。

 

 今年は真子ちゃんとの思いがけぬ出会いもあり、せっかくの夏なんだしそういったイベントも、と期待しつつ、でも知り合ってからそんなに経っていないのに男の側からそんなお誘いをするのは下心丸見えで引かれはしないか、と心配でそんな話を切り出すなぞ夢のまた夢で。

 もし彼女との夢のような時間が来年までも続くのなら、来年の夏こそは……と一人鬼の笑いそうな決意を固めていたところだった。

 

 まさか、彼女らの方から誘ってもらえるなどとは望外の幸せである。

 

 

 朝一に、今日プールへ行かないかと電話で伝えられた時、池谷は思わずこれは夢ではないかと頬をつねってしまった。碓氷から自宅に帰り着いた時には既に深夜。いつもなら昼近くまで眠りこけている。まだ寝ぼけている可能性が頭をよぎる。

 そして現実だと理解した池谷は、電話を切るとすぐさま財布を掴んで車に飛び乗った。海パンなどという、泳ぐ趣味があるわけでもない独身男には無用の長物、池谷は当然持ってなどいなかった。

 

 

 

 同じく声の掛かった健二、イツキの二人をお供に引き連れ、カップルや家族連れで賑わう市民プールに足を踏み込む。

 

「おーい、こっちこっちー」

 

 手招きと声に視線を向ければ、そこには水着姿の三人の女性。

 赤い三角ビキニの沙雪に手を引かれ、その背に隠れ気味だった黄色ビキニの真子が沙雪の隣に並ぶ。派手で挑発的な色合いは避けつつも、余分な肉の無い引き締まった体を際立たせる真子の水着チョイスは親友に選んでもらったものなのか、それとも自分で選んだのか。

 

「あれが真子ちゃんの水着姿……オレ、幸せ過ぎて帰り事故るかも。すばらしー」

「ああ、すんげー素晴らしい」

 

 池谷は感極まって涙が出そうだった。隣で健二も幸せを噛みしめるように歯を食いしばる。

 

「……てかオレやイツキはともかく何でお前も感動してるんだよ。健二、お前は今はフリーなだけでいた事あるだろ。独り占めさせろよ!」

「したっていいだろ、何度見たって素晴らしいもんは素晴らしいんだよ、水着は。ここぞとばかりにオレが先輩面して勝ち誇ってたらそれこそキレるだろお前は!」

 

 池谷と健二が互いの背中に張り手を浴びせ、痺れる痛みに顔をしかめる。

 

「何してんの、そんなとこに突っ立ってても暑いだけでしょ。ほら水に入ろうよ」

 

 その様に、沙雪は呆れた声を上げた。

 

 

 

 しばらく健全な水のかけ合いや遊泳をひとしきり楽しみ、飲み物の買い出し等で各人がばらけだした頃合いを見計らい、沙雪は一人プールの縁でボケーっと水につかっているイツキに声をかけた。

 

「よーっす」

「うわっ!」

「……そんな驚く事ないでしょ」

 

 予想の三倍ぐらい驚かれた沙雪は、驚いた拍子に掛けられた水のお返しにこちらからもひと掬いの水をかけてやった。

 

「で、どうしたんですか」

「いや、ただヒマだったから。あっちも悪くなさそうだしね」

「あっちって?」

 

 沙雪はプールサイドの一角を指さした。

 いくつかのテーブルと椅子の並んだそこでは、池谷と真子が飲み物を手に向かい合って座っていた。

 

「真子がちゃんとくっつけるよう、最後の一押しの機会を作るのが今日の目的でもあったんだけどね。肝心のバトルでは私は良いとこ無しで終わっちゃったし、せめてこっちのアシストぐらいはキッチリやりとげないと、って思ってたんだけど」

「……大丈夫そうなんじゃないですか。二人とも笑ってますし」

「でしょ。出る幕なさそうだわ。だから仕事なくてヒマになっちゃった」

 

 二人から目を離し、プールの縁に肘をついて沙雪は広いプールを眺める。

 

「真子には今は絡めないし、拓海ちゃんと遊ぼうかな……ところで、姿見えないけどあの子どこ行ったの?」

「あそこっす」

 

 イツキの指さした方に、他の客の群れから距離をとって隅っこでぼんやりと水に浸かっている黒いボーイレッグの水着の拓海がいる。

 

「あ、いたいた……今即答出来たあたり、さてはずっと見てたなコイツ」

 

 沙雪の目が新しい暇つぶしのおもちゃを見つけてギラリと光る。

 

「え、いや、偶然っすよ偶然……」

「ね、ね、君ってあの子とどういう関係なの」

「どういうって……普通に同級生で友達ってだけですよ。一緒にバイトしてたり、たまにドライブとか付き合ってもらう程度の」

「ふーん。普通に、ねぇ」

 

 イツキの肩に手を回し、にやにやと沙雪は笑う。

 

「君は、普通の友達のままで満足なの?」

「満足って……」

「もう一つ上の関係になりたくないのかって事よ。本当にそんな気は無いんだったらごめんね。でも、何かそんな感じがしたからさ。で、どうなの。そういう期待とか願望とかないの?」

 

 沙雪がイツキの肩をぺしぺしと肩を叩く。

 

「そりゃ、全くなかったとは言わないっすけど……でもオレは」

「なるほど、君はともかく向こうにその気がないパターンか。でもそれって、向こうの気持ちであって君の気持ちじゃないよね」

「へ?」

「両想いじゃないとダメなんてことは無いって。今は無くともこの先その気が出てくる可能性はあるよ。誰かの紹介とか、お見合いみたいなゼロから始まる関係もあるんだし。好きって言われて好きになる事もあるって」

「……」

「ま、居心地の良い今を壊したくないから自分の方を合わせるって気持ちも分からないわけじゃないけどね。でもさ、それ大事なこと忘れてない?」

「大事な事って?」

「卒業よ。君らが進路どうするかは知らないけどさ、下手すりゃ卒業したらもう一生顔合わす機会無いかもしれない。今のこの関係にはタイムリミットがあるって事忘れちゃだめよ」

「……オレは」

 

 口を開きかけたイツキの顔の前に、沙雪はさっと手をかざした。

 

「あーあー、言わなくていいから。私は所詮無責任な外野でしかないからね。ま、結果がどう転んだとしても、後で振り返れば良い思い出になるだろうから、悔いの無い様にしな。私にできるアドバイスはこんなもんかな」

「はい……でも、どうしてオレなんかにそんな親切に?」

 

 イツキは尋ねてみた。バトルの当事者であった拓海や、以前から真子と関係のあった池谷と違い、健二とイツキはただあの場にいただけのオマケであり実質沙雪らとは初対面のようなものである。

 初対面の人間の悩みにこうまで首を突っ込んでくれる理由はなんなのか。

 

「ぷっ……別にそんな深い理由はないって」

 

 予想よりやたら深刻な受け取られ方をした様子に、沙雪は軽く噴き出した後、イツキの顔の前にぐっと親指を立てた。

 

「ヒマだって言ったでしょ。他人の恋路に首突っ込むのって最高の娯楽じゃん?」

 

 にっこりと、見てる人間の気の抜けるような笑顔で沙雪はイツキの鼻先に親指を押し付けた。

 

「真面目な話はこんなところにして、次はスライダー行こっか。私はあの子連れてくからさ、君はもう一人の方呼んできてよ。どのみち真子の方は二人きりにしておかなきゃだし、四人で滑ろう」

 

 あっけにとられるイツキをよそに、沙雪は水をかき分け拓海の方に歩いていった。

 

 

 

 15分後、このプールの目玉であるウォータースライダーの順番が回ってきたところで、イツキと拓海は後ろから沙雪と健二に背中を押された。

 

「イツキ、先に行け」

「はい、お先にどうぞ」

 

 順番待ちの間に打ち合わせでもしていたのかという連携で係員の前に押し出され、順番待ちがいるんだからさっさと行けと顔に書いてある笑顔の係員に追い出されるようにイツキと拓海はスライダーに乗せられた。

 

「うひーっ!」

 

 スライダーの勢いなど峠を攻める車の速度の半分以下、走り屋ならどうという事は無い。しかしそう考えていたイツキは今、自分でも情けないと思う声を上げていた。

 イツキが前、拓海が後ろの態勢で滑り始めたが、初めて直ぐにこの体制はまずいと感じた。後頭部のすぐ後ろに柔らかい人体の感触がある。視界の両端に白い脚が映っている。

 陽光に晒される前の流水は割と冷たかった。温かいと柔らかいの組み合わせは精神に悪いが、冷たいと柔らかいの組み合わせもよろしくない。

 いつもの距離、運転席と助手席程度の、ほんの30センチも空いていれば何ともないのに、その程度が詰まっただけでこうも精神に悪いのか。

 

 隙間を作ろうと変にもがけばかえって抵抗で自分だけブレーキがかかり、より密着する結果になる。

 下手に動けば悪化すると学習したイツキは無駄な事はやめて流されるままになる事にした。頭の上に乗る柔らかい二つの盛り上がりと、背中に密着するお腹の感触に何とも表現できぬ激情に内心を支配されつつも。

 

 やがて滑り降りて水面に放り出されたイツキは、周りを見ていなかった故に何が起きたか理解が遅れ、呆けた顔で周囲を見渡していたところを見た拓海に変な顔、と笑われるのであった。

 

 

 

 日差しを遮るパラソルの下で、飲み物をテーブルに置いて池谷と真子は未だぎこちなさを感じさせながら、それでも最初の頃よりは砕けた態度で談笑していた。

 お互いに何とか話題を探しながら話し、間を繋ぐために飲み物に手を付ける。そんな事をしていれば紙コップの中身はあっという間に底をつく。

 

「あっ、オレ新しいの買ってくるよ。真子ちゃん、何がいい?」

「えっ、じゃあ、同じもので……」

「そっか。行ってくるよ」

「……あの、池谷さん」

 

 席を立とうとした池谷の腕を、真子が軽く引いた。

 

「な、なに?」

「えっと……今日、ずっと言おうと思ってたんですけど」

 

 何かを改まって言おうとする真子の前に池谷が座り直した。

 

「その……今夜、もし池谷さんがよければ、会いませんか。皆居るとどうしてもゆっくりはしづらいですし、二人で落ち着ける場所で、改めて」

「真子ちゃん……」

「8時くらいに、池谷さんと初めて会ったあの場所で待ってます」

 

 真子は椅子から立ち上がると、まだ固まったままの池谷の手に握られた二つの紙コップに手を添えた。

 

「飲み物、やっぱり一緒に買いに行きましょう。池谷さん」

 

 

 

 新しい飲み物を買って戻ってきた時、池谷は彼女との距離がまた一歩近づいたような気がした。以前より気負いなく話せるようになった気がするし、並んで立った時の間隔も5センチほど狭まった気がする。

 受け入れてもらえた、今までよりもう一歩踏み込むことを許してもらえた喜びに、池谷は有頂天のような心地だった。

 

「3年前、私がまだ高校生だった時、車好きの先輩たちに誘われて、ギャラリーに行ったことがあるんです。あの頃はまだ、車とかそういうの全然興味なかったんですけど」

 

 池谷が何気なしに切り出した、過去の恋愛話。

 彼女は誰とも付き合ったことが無いと言う。しかし、こんないい子を他の男が放っておくなんて考えづらいし、彼女自身も今まで誰か気になる人ぐらいはいた事があるだろう。

 特に深く考える事もなく、単なる興味本位で出してみた話題。

 

 話をふられた真子も、いきなりの話題に少々戸惑いつつも、憧れの人の話を池谷に語る。

 

「ただ何も考えず見てたんですけど、その時に走ってきた一台が、すごく衝撃的だったんです。素人でもはっきり格の違いが分かるぐらい、凄い走りでした」

 

 それを見て以来、すっかり魅入られてしまった真子は免許と車を手に入れると夜は碓氷峠に籠る日々を送るようになった。

 

「いっぱい練習して、すこしでもあの人に近づきたいって。それで走り屋になったんです。なんだか不純な動機な感じもしますけど」

「へぇ、そんなすごい車かぁ……直接ドライバーの顔とか見た事あるの?」

「ありますよ。話したことは無いですけど……近寄るなんて、なんだか恐れ多くて。時々ギャラリーに行って遠目に見つめるのが精一杯でした」

「でも、好きだったんだ」

「……はい。と言っても、その人が好きなのか、走りが好きなだけなのかは自分でもよく分かってないんですけど」

 

 自分で聞いておきながら、池谷は深い衝撃を受けていた。

 

(……聞かなきゃよかったな。ちょっと考えりゃ、これくらい予想できただろうに)

 

 池谷とて、憧れた走り屋の先輩ぐらいはいる。しかし、彼女は思いの桁が違うのだ。

 その走り屋がどこの誰かは知らないが、彼女はそいつへの思いを原動力に走り込みを続け、あれだけの腕前に至るまでになったのだ。

 男として、走り屋の端くれとして、なんだか佐藤真子という存在が遠く感じた。

 

「あ、池谷さん。ちょっと電話かけてくるから、荷物見ててね」

「え、あ、ああ、わかった」

 

 真子がバッグと飲みかけのカップを置いて席を立った。

 

 

 歩き去っていく真子の背中をぼんやりと見ていた池谷の視界の端で、テーブルから何かが落ちたのが見えた。

 

「ん?」

 

 見てみれば、真子のバッグから落ちたと思しきパスケースがある。

 落ちた拍子に開いたケースの中には、何枚かのカードと一枚の写真が収められていた。

 

(この写真って……高橋涼介か!?)

 

 真子が言っていた憧れの走り屋が、もし高橋涼介だったとしたら。

 格が違うのも当然だ。この群馬エリアの頂点に何年も君臨し続けている男の走りがそこらの凡百のそれと同じに見えるはずなんかない。

 

 最近こそ自身が走る事は少なくなり、チームの看板を背負う役割は弟に任せているらしいが、真子が言っていた3年前はまさしく高橋涼介が暴れまわっていた時期だ。『赤城の白い流星』といえば当時まだ免許取り立てのひよっこだった池谷の耳にも届いていた名前である。

 

(……たまんねぇよ。高橋涼介なんて勝てるわけないだろ)

 

 もし己と高橋涼介が戦ったら、なんて考えるまでもない。車の勝負なんてそもそも成立すらしない。

 ドラテク以外でも差は歴然だ。

 父は病院の院長で、当人も医大生。行く先々で多くの女性ファンに追いかけられ、伝え聞く性格も紳士そのもの。どこをとっても男として勝ち目がない。

 

 そんな高橋涼介が好き、だなんて言われたら、池谷浩一郎ごときなぞ身を引くしかないじゃないか。

 

(ホント、たまんねぇよ……)

 

 

 

 

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