究極のJKドリフト   作:肉ぶっかけわかめうどん

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運命の神様には前髪が無い?

 その日のガソリンスタンドの空気は非常に重かった。

 半開きの口からため息を垂れ流しながら青い空を見つめる池谷と、それを遠巻きに見守るいつもの面子の構図が朝から昼過ぎまで延々と続いている。

 

「池谷のやつ、半日経ってもまだあの調子か……気の毒で声もかけらんねぇ」

「客の前ではシャキッとしてるんだけどな。仕事に身が入らんようならさっさと早退させるんだがなぁ。本人も大丈夫と言い張るし、やる事はキッチリやっとるから店長としては何も言えん」

 

 店の隅に停めた180SXの周りで、祐一と健二がこそこそと話をしている。

 二人の視線の先では洗車機から取り出された客の車を丁寧に池谷が拭き上げている。手つきは非常に熱心だが、しかし目だけは虚ろなままだ。

 因みに祐一は昨日の疲れ故今日はほぼいるだけ店長である。三人でも手が足りない程の客足は今日は無さそうなので、責任者の判子が必要ないくらかの仕事をこなした後は丸一日休憩時間だ。昨日は三人の分まで働いたのだから今日ぐらいは許される、とは祐一の思いである。

 

「あー、空気が重い……それにしても、どうして池谷フラれたんでしょうね。昨日の時点ではそんな気配はさっぱり無かったんですけど」

「……オレからは何とも言えんな。とはいえ、ちょっとしたミスで全部台無し、なんて世の中にはよくある事だ。池谷も何かやらかしちまったんだろうさ」

「百年の恋も何とやら、てか……」

「健二も気をつけろよ。捕まえたら意地でも離さんことだ。女の側から来てくれるようないい男ならともかく、そうでないならしつこいぐらい食らい付くしかないぞ……そろそろ出てくるかな」

 

 店の中で待っている客と今日はレジ担当の拓海にイツキが請求書を持って走る。

 客の見送りのために雑談を切り上げ、祐一は入口の近くに待機する。

 

「それができるなら苦労はしてないんだよなぁ……」

 

 健二は邪魔にならないよう奥に引っ込みながら一人小さくぼやく。

 自分からグイグイいける胆力があれば自分の人生はもっと良いものになっているだろうし、池谷もとうの昔に彼女ができているだろう。確かに自分たちは容姿にも金にもあまり恵まれなかったかもしれないが、それでも嫁や彼女を見つけている似たような男は大勢いるのだから、やはり一歩踏み出せない己の問題なのだろう。

 

(あの時勇気があれば、今頃何か違ってたんだろうか、なんてね)

 

 池谷と違い、健二は彼女がいた事はある。一応。

 今はフリーに戻ってしまったが、もう少し足掻けていれば何か変わったかも、と過去を振り返ったことは一度や二度ではすまない。

 

(ま、今更なに言っても遅いんだけどな……)

 

 先ほど一番高くなったばかりの太陽に向かって心の中でぼやいてみる。

 逃した魚は大きい。そして運命の女神には前髪しかない。

 自分にも池谷にも、もう一度チャンスが来ればいいなと願いつつ、世界はそんな都合良くなんてないんだろうと息を吐いた。

 

 ひとしきり息を吐いてとりあえず満足したところで、空から視線を戻す。

 

(あれ、まだ終わってなかったのか?)

 

 店長はまだ店の前で見送りの態勢のままだった。

 会計して出ていくだけにしては妙に時間がかかっている。何かあったのだろうか。

 実家のクリーニング店の手伝いでそれなりに接客の経験はあると自負している。何か問題なら喜んで手伝うつもりだが、そもそも責任者の祐一が動いていない時点で特にもめ事などは起きていないのだろう。

 

(お、出てきた)

 

 どうしたのだろうか、などど考えているうちに出てきたその客は何事もなかったかのように車に乗り込み、お帰りに気付いた池谷とイツキにも見送られながら店を出て行った。

 

 

 客がいなくなったのでまた奥に戻ってきた祐一に、何があったのか尋ねてみる。

 

「さっきの客、ずいぶん時間かかってたみたいですけど何かあったんですか?」

「ん、ああ、別に問題と言うほどのことは無かったぞ。ただ小銭が多めだっただけだ」

「小銭って、そんなに多かったんです?」

「まあ、あんまり多いのは店側も受け取り拒否していいって事になってるけど、そうされるほどでもないギリギリの線を攻めてる客だったな」

「そんなトコ攻めて何の意味が……?」

 

 わざわざ大量の小銭で支払う理由を考えてみるが、特に合理的そうな内容が思いつかない。何らかの理由でたまたま財布が小銭まみれになっており、それをスッキリさせたかった?

 

「健二は、自分がレジにいるとして、客が小銭を複数出してきたらまずどうする?」

 

 祐一は架空の財布から金を取り出すような動作をすると、その手を健二の前に置いた。

 

「えーと、そりゃまず何円が何枚あるか数えて……」

 

 健二は軽く前かがみになると、小銭を一枚一枚数えるかのように手を動かす。

 

「それだよ。今数えるために前かがみになっただろう。それが目的だったらしい。オレも中に入らず遠目に見ただけだったから、何やってるのか気付くのに時間かかったよ」

 

 見送りに備えて出口に立っていた祐一が見たものは、小銭を数えるために屈んだ拓海の前でその胸元をじっと見つめる客の男の姿だったらしい。

 

「気付いた時は逆に感心しちまったよ。よくそんなの思いつくし、思いついても実際にやろうとは普通思わないって」

「……それ、見られてた側は?」

「多分気付いてたな。ああいうのアルカイックスマイルって言うのかな、釣りを渡すとき、顔はにこやかなんだけど、目が全く笑ってなかった。正直言って怖かったよ」

「……拓海ちゃん、あんまり怒らせない方が良さそうっすね」

「あの子に限らず、女はみんなそうだぞ。オレも自分の嫁で身に染みてる」

 

 遠い日の何かを思い出すように、祐一は煙草に火をつけて空を顧みるのだった。

 

 

 

 昼間の最も暑くなる時間帯も過ぎ去り、今日の仕事の終わりも見え始め色々と気の緩み始める頃。客もおらずとある男の周辺を除いて穏やかな雰囲気が流れる中、店のすぐ前でウィンカーを点け対向車待ちをしている一台の青い車が目に入る。

 

 緩みきった空気を振り切り、暑いからと脱いでいた帽子をしっかりと被り直し、イツキは道路を横断中の車に目を向ける。

 

(ん、あの車……)

 

 先ほど見た時は何とも思わなかったが、よく見ると何やら見覚えがある気がする。

 エアロパーツ、ホイール、そしてシートに座る二人の女性らしき影と視線を移していくにつれ見覚えは確信に変わる。

 しかし、車とドライバーに覚えはあれど、なぜ彼女らがここに来たのかは分からない。住んでいる場所は離れていたはずで、たまたま遊びに来た先で給油しようと入ったのがここである可能性は無くもないが。それにしてもすごい偶然である。

 

「ねぇ、あれって……」

 

 同じく店の外まで出迎えに出ていた拓海にシルエイティを指さして話しかけてみると、意外そうではあるが別に驚いてはいない落ち着いた声が返ってきた。

 

「うん。でも早いね、四時って言ったんだけど」

「早い……?」

 

 言っていることの意味はよく分からないが、それを聞き返す時間的余裕はなかった。客が目の前にいるのにそっちのけで雑談に花を咲かせるなど雇われの身には許されない。

 窓ふき用タオルを手に走る。

 

「いらっしゃいませーっ!」

 

 パワーウィンドウの作動音と共に開いた窓の中からのぞいた顔はやはり、昨日、一昨日と見た顔と同一のものであった。

 やや緊張のような色が見える佐藤真子が視線をイツキや助手席の沙雪、インパネ類とうろうろさせながら、おずおずと注文を口にした。 

 

「えっと……とりあえずハイオク満タン、で」

「はい、ハイオク満タン入りまーす!」

 

 イツキは車の前に手を伸ばして窓ふきを開始し、後方では給油ノズルを抱えて拓海が無言で作業を行っている。

 しばらく給油機の発する駆動音以外に何も聞こえない静寂が続いた後、きょろきょろと店内を見渡していた沙雪が助手席のドアを開けて降りてきた。

 

 そのまま車の後ろを回って拓海の近くに寄っていく。

 

「……早かったですね」

 

 沙雪が何かを言うより早く、拓海が視線は給油口から外さずに沙雪に声をかけた。

 

「ごめんごめん、本当はもっとギリギリを攻める予定だったんだけどさ、思ってたより早く着いちゃってね。仕事の邪魔しに来たわけじゃないって。それで、例のあの人は?」

 

 イツキには例のあの人、と言うのが誰かははっきりとは分からないが、真子と沙雪の二名が関わる人物という事で池谷先輩を指しているのだろうとは想像がついた。

 数分前に中に入って行くところを見た覚えがあるので、おそらくトイレにでも入ったか。そのタイミングで二人が来たのだから、これまたタイミングが悪い。

 

「呼んできましょうか?」

「いや、そこまでしてもらっちゃ悪いよ。そっちは仕事中なんだしね」

 

 話しているうちにもう給油が終わり、ノズルを持ち上げて少しだけ注ぎ足す。元々そんなに減ってはいなかったらしい。

 給油機が止まり、二人の会話もそこで途切れたため再び店内が静かになる。

 

「……あ」

 

 静まっていた店内に、真子の小さな呟きが響いた。

 店の一角を見つめる真子の声に釣られてイツキ達もそちらに目を向ける。

 

「……」

 

 透明なガラス戸の向こうで、取っ手に手をかけた状態で呆然と固まっている話題の先輩の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 池谷は今朝からずっと絶望と後悔を味わっていた。一人で静かなところにいると延々と脳が昨日の光景を特大スクリーンで勝手に上映してくる。

 仕事で頭をいっぱいにする事で逃げることはできるが、一日中接客などできない。客がいなくなった時、あるいは今トイレの鏡を前に項垂れているようにふと一人になった瞬間に、耳元でプールの水音や町を道交法無視で駆け抜けた爆音、たどり着いた思い出の釜めし屋の駐車場の静寂が臨場感たっぷりに再生されてくる。

 

 いつまでもこうしてはいられない。

 

 夏の熱気で温くなった水道水で顔を濡らすと、また外に出るためにトイレのドアを開ける。もうすぐ今日の勤務は終わってしまうが、せめてその時までは何も考えないままでいたかった。

 

 いたかったのだが。

 

 

 ガラス戸の向こうにあるその側面を間違えようはずもない。

 車に興味のない人ならともかく、シルビアと180SXを飽きる程見てきた走り屋なら、目の前にいるその車が2台を繋ぎ合わせて作られている事など一目で見抜ける。

 

「……」

 

 今こうしてあの車がここにあるという事は、彼女がこの店に来ているということか。

 確かにあの晩、どうかもう一度だけチャンスを、と最近少しだけ信じるようになった神様に心から祈りを捧げはしたが、まさか昨日の今日でまた再会するとは思ってもみなかった。正直言って、池谷自身も期待していなかったのだ。世の中そんなうまい話は無いと。

 

 これは運命の神様が池谷に恵んだ慈悲なのか、もう一度絶望を味わわせんとする悪趣味なお遊びなのか。

 どちらにせよ、彼は世の99パーセントの男性が望みえないセカンドチャンスを手にしてしまったのである。

 

「どうした、池谷。そんなとこで立ち止まって」

「……店長」

 

 レジを挟んだ向かいから、店長の祐一に声を掛けられた。

 店長は彼女と会ったことは無いはずだが、それでも大まかな事は察してくれているようであった。

 

「進むも良し引くも良し……と言いたいところだが、向こうは客でお前は店員なんだから嫌でも行ってもらうんだが」

「……はい」

 

 シャツの裾に掌を数度こすりつけ、息と手汗を整えようとするも、拭うそばから次が出てきてきりがない。

 それでも意を決して戸に手をかけ押し開くと、彼女もこちらに向かって走り寄ってきた。

 

「……」

「……」

 

 戸の前で向かい合う。目は最初の一瞬だけ合わせたが、すぐ耐えられなくなって下を向いた。

 もう一度だけ会いたいと願った際には伝えたいことが山ほどあったはずだが、いざその時が来ると中々喉を通ってくれない。

 

 昨夜の身勝手を詫びるたった一言ですら辛い。

 

「池谷さん」

 

 自分の胸元に向かって口をパクパクとさせていると、しびれを切らしたのか向こうから話し始めてくれた。

 

「昨日は本当にすみませんでした」

「……えっ?」

 

 彼女が何を言っているのか分からない。

 彼女が気に病むような事が昨日あっただろうか。高橋涼介の一件なら彼女は軽い気持ちで口にしただけであろうそれを己が勝手に膨らませて勘違いしただけだ。挙句それを理由に待ち合わせをすっぽかしたのだから、それはこちらこそ謝らなければいけない立場である。

 

「私のせいで、池谷さんには不快な思いを……」

「え、ええと」

 

 真子が腰を折り、頭を下げてくる。

 本気で謝っている。彼女の気持ちがわずかな動作からでも伝わっている。

 

「こら真子」

 

 どう返したものかも分からず固まっていたところで、思わぬ助け舟がやってきた。

 いつの間にやら真子の後ろまで来ていた沙雪が真子の肩を掴んでいる。

 

「気持ちは分かるけどさ、ここでおっぱじめるんじゃないよ。向こうもまだ仕事中なんだしさ。今は私らしかいないみたいだけど、いつ他の客が来るかもわかんないし」

「……ごめん沙雪」

 

 真子は下げていた頭を上げて背筋を正すと、もう一度勢いよく下げてきた。

 

「あの、厚かましいお願いですけど、もう一度私と話をしてくれませんか。ちゃんと謝りたいんです。今日の池谷さんのお仕事が終わったらまた来ますから、その時にお返事を下さい」

 

 緊張気味にゆっくりと言うと、彼女は背を向けて車に戻ろうとする。

 その隣には沙雪が付き添っており、二人のうなじが陽光で照らされて白く光った。その光景が、昨日プールで別れた時の光景と脳内で重なる。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 思わず声が出ていた。

 

「……えっ?」

「そこで五分、いや三分待ってて!」

 

 真子が戸惑う声を背に受けながら中に飛び込む。

 レジ向こうで静かに見物していた店長の前に立つと、思いっきり声を出して要望を叩き付ける。

 

「すいません店長、早退させていただきます!」

 

 そして返事も待たずに更衣室に駆け込み大急ぎで着替えて飛び出す。

 

 

「行こう、真子ちゃん!」

 

 

 手にシルビアのキーを握り締め、まだ待っていてくれた彼女に呼び掛ける。

 

「池谷さん、いいんですか……?」

「いい!」

 

 私服でキー、こちらの意図は察してくれたようだが、本当にいいのかと確認された。

 良い悪いで言うなら良くはないだろうが、でも今はこれで良いのだ。

 店長には明日全力で謝る。

 

「いいじゃん。せっかくああ言ってくれてるんだから行きなよ」

「沙雪!」

「シルエイティは私が持って帰っておくから。キー頂戴」

「……」

 

 沙雪が真子の背を押してくれている。この間に車に飛び乗ってエンジンをかけた。

 彼女の前まで車を動かすと、まるで初めて会った時のようにおずおずと助手席に乗り込んでくる。

 

 

 店から道路に出る際、ふと店の前に目を向けた真子に釣られて自分も目を向けると、そこで沙雪と、なぜか拓海が二人で見送りをしてくれていた。

 

 

 

 

 嵐のように飛び出していった池谷。遠ざかっていくエンジン音を聞きながら、祐一は煙草を咥えて苦笑いを浮かべていた。

 

「……まあ、たまにはこういうのも良いだろ」

 

 時計は後十五分程度で四時を指すところまで来ている。

 

「池谷は早退と言ったが、あと十五分くらいいた事にしておいてやるか」

 

 早退の事実は無かった事にしておく。然るべきところに知れたら雷が落ちるだろうが、まあそれを密告するような者などいないだろう。

 煙草の灰を灰皿に落とし、何事もなかったように仕事に戻ろうとする拓海を呼び止める。

 

「あの二人を呼んでくれてありがとな」

「何のことですか?」

「何となく、そんな気がした。皆驚いてたのに、一人だけ動じてなかったからな」

「……私は何もしてませんよ」

「そうか。上手くいくと良いな、池谷」

「そうですね」

 

 灰を落とした煙草を咥え直してゆっくりと吸い込む。

 話が途切れた事で拓海もこの場を離れて仕事に戻り、いまだ事態が飲み込み切れずにいるイツキの肩を叩いて呼び戻している。

 

 先ほどシルエイティに乗っていた二人組の片割れ、話に聞いたコドライバーを務めるらしい沙雪とか言う女性がその二人に背後から近づき、何やら話しかけている。

 聞こえてくる声からして、自身がヒマになったから仕事終わりに遊びに誘っているようだ。

 

「いいねぇ、若い連中が楽しそうにしてるのは。そう思うだろう?」

 

 店の隅で置物として一連の事態を見守っていた健二に、缶ジュースを一本渡してやる。

 

「オレも池谷が何とかなりそうでホッとしてますよ」

「それじゃ、次はお前の番だな。頑張れよ」

 

 頑張れと言われても、と健二は困った顔をしてジュースを呷り、顔をしかめる。購入からそれなりに時間が経っていたジュースは、とてもぬるく甘酸っぱい味がしたことだろう。

 

 

 

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