コーナーの向こうに消えていったFCのテールを追いかけ、拓海もブレーキを踏みつける。
甲高いスキール音と軽やかな速度警告音をBGMに、ホイールロック寸前まで踏まれたフットブレーキとシフトダウンによるエンブレの合算が車速を急激に落としていく。
コーナー奥まで攻め込み軽くステアリングを回してドリフトの姿勢を整えそのままコーナーを脱出すると、正面には先ほどより大きく近づいたFCが見える。
FCが加速したことによりまた若干車間が開く。
(様子見されてる……?)
FCという車にどれだけパワーがあるのか正確な数字は知らないが、第1コーナーまでの加速から考えれば立ち上がりでもう少し差がついているハズだ。
第1の時ほど速度がのっていないため、第2コーナーへの進入ではそこまでハードなブレーキングは必要ない。
最低限の減速と荷重移動を済ませてイン側へ切り込むと、カウンターはあてずにそのままの角度を維持する。タイヤは滑り出す寸前が最も地面に喰いつく事を利用し、最小限の舵角で車を大きく旋回させる。
長い直線の後のように速度が乗りすぎている状況では流石にタイヤの限界を超えてしまうが、それ未満の中速域ならこのやり方で拓海とハチロクは曲がれる。
ちなみに拓海にこの技法を初めて披露したドライバーは左手は常にシフトノブに置き、右手だけで操作する文字通りの“ワンハンドステア”だったが、拓海は左手も添えている。終始片手だけでは疲れるので楽がしたい以上の理由はない。
第2コーナーを抜けた先のヘアピンカーブにリアを振り出しながら進入する。低速コーナーではグリップを意識するより思い切って滑らせるほうが進入速度を稼ぐ事ができる。
それまで一定の間隔を保つように車速を調整していたFCがいきなり全力で立ち上がって視界から消えた。
FCの姿に代わってハチロクのフロントガラスに映し出されたのはスピードスターズのステッカーを貼り付けた赤いスターレットだった。白のランサーEXの姿ももう少し奥に見える。この二台を追い越すために涼介はアクセルを開けたのだ。
拓海もアクセルを踏みしめスターレットの横を駆け抜けると、次の左コーナーに向けイン側に寄せながら減速中のランサーの横に並びながらブレーキをかける。
コーナリング勝負ではイン側が絶対的に有利だが、それを補って余りあるほどの速度差がハチロクをランサーの前に押し出した。
馬力ではハチロクに勝るランサーが必死に追いすがろうとするのを尻目に、拓海はゆるい右に全速で突っ込んでいく。
ここはブラインドカーブとなっており、ゆるい右を抜けると即目の前に左ヘアピンが現れる秋名の下りの難所である。そうと知らずに迂闊にゆるい右を抜けてしまうと減速が間に合わず、ガードレールに突き刺さること間違いなしの危険地帯だが、拓海はそんな事にはお構いなしに右をクリアする。
ゆるい右を抜けると目の前に十分に減速した状態で走る白い180SX、健二の車が、その先では慣性ドリフトの態勢を作りながら左ヘアピンに突入しようとしているFC、さらにコーナー出口から立ち上がろうとする池谷のライムグリーンのS13と連なった三台が視界に入る。
拓海も勢いのままに慣性ドリフトを行い、入口で健二を、抜けた先で池谷をそれぞれ追い越し、FCの追跡を再開する。
(……やっぱり上手いや、この人)
前を走るレッドサンズの車両たちが涼介の接近に気付いて進路を譲り、それに便乗させてもらう形ですぐ後ろを拓海もレッドサンズの車両たちを追い抜いていく。
もし前後が逆になっていたら、レッドサンズの車両はこちらをブロックしようと立ちはだかり、拓海がそれらをさばいている間にFCははるか先に行ってしまうだろう。
長めのストレートに差し掛かっても距離が全く変わらない、明らかにこちらの加速に合わせているFCの後ろで、拓海は嘆息する。
初めてこのコースを攻めているとは思えないハイペース。知らないコーナーに攻め込んでいく際のリズムやラインの取り方は今の拓海でも参考になる部分が多く、敵地攻略のスペシャリスト、高橋涼介の引き出しの多さにあらためてうならされる。
秋名下りのタイムだけを競うなら勝利は揺るがないだろうが、それでは藤原拓海が高橋涼介に勝利したことにはならない。
コースに不慣れな相手を地元でちぎっても、それは誇れるような結果ではない。傲慢なようだが、拓海にとって秋名でのバトルとは“勝って当然”なものなのだ。
(どうすれば、私はこの人に勝った気になれるかな……)
そのまま後背を走り続けること数分、麓まで降り切った二台の道は分かれる。麓の旅館の駐車場にFCは入り、ハチロクはそのまま市街地側へ走り去る。
後から来た二台に唯一追いつかれずにすんでいたFDと啓介だけが、走り去るハチロクの後ろ姿を見送ることができた。
麓の駐車場に並んで停められている二台のRX-7のそばで、啓介が二本の缶コーヒーを片手に涼介がFCから降りてくるのを待っていた。
誰よりも先に頂上から飛び出し、そして誰よりも先に麓についていた啓介はヒルクライムを邪魔されないよう、後続が降りてくるのを煙草で時間をつぶしながら待っていたのだが、そこにFCと見慣れぬハチロクがやってきたため涼介に事情を聴こうとしていた。
「……アニキが自分で走るとは思わなかったぜ。てっきりどっかで観察でもしてるのかと」
運転席から降り立った涼介に缶コーヒーの片方を渡すと、自身も煙草の火を消し真っ黒な液体を一気飲みする。
「アニキについて行けるんだからあのハチロクもたいしたもんだ。来週はあいつがオレの相手になりそうだな。最近はコーナー3つで消える程度のカスの相手ばかりだったから楽しみだぜ……もっとも、アニキは軽く流してただけっぽいけど」
涼介は冷たいコーヒーを一口含むと、冷たさを体にいきわたらせる様にゆっくりと嚥下する。
「そうだな、オレはまだコースを知らないし、それに他の車両が大量にいる状況でむやみに攻め込むのは危険だからな。流すだけにとどめるのがベターだし、向こうもそれに付き合ってくれた」
「向こう……?」
啓介は眉をひそめた。
「いや、なんでもない」
涼介はコーヒーを飲み干し、自販機横のごみ箱がいっぱいになっているのを見た後、空き缶をFCのドリンクホルダーに収めた。
(第1コーナー前後での車間の差から、ある程度ブレーキングの腕を予測する事はできる。あのハチロクは予想をはるかに上回るレベルだ。今の啓介ではまるで相手にはなるまい)
涼介は考え込む。
(この交流戦に勝つことだけを考えるなら、下りのアタックはオレ自身がやるべきだ。向こうもオレとのバトルが狙いだろうしな。後ろにつき続ける、こちらに意識させようとするような走りはそういうことだろう)
だが、それでも啓介を代表にすべきだ。涼介はそう考える。
啓介には才能がある。いずれは涼介など軽く超えて行ってしまうであろう程に。だが、今の啓介はほかの石と見分けがつかない単なる原石でしかない。
原石を磨くには、それ以上に硬いもので研磨しなくてはならない。
己が走り屋を続けていられる残り時間はそう長くない。その間に啓介を鍛え上げるべく、兄として師として、とことん弟をイジメてやるつもりだ。
来週の敗北は、きっと啓介に多くのモノをもたらすだろう。
(その誘いにはもちろん応じるさ。相手にとって不足はない。だがその前に、少しばかりこちらの事情に付き合ってもらえると助かる……もちろん、礼はするとも)
「クソ、まるでついて行けねぇ」
「あいつらすげぇ上手いけど、車も同じくらいやばいよ。相当な金掛けてるぜあれ」
秋名山頂上、料金所跡に再集合したスピードスターズの面々が煙草や飲み物を片手にうなだれていた。
口々に赤城とのレベルの差を嘆くが、会話の端々で何かを言いよどむように目を見合わせている。
「なあイツキ……ひとつ聞いていいか」
やがて意を決したように、池谷がイツキに尋ねる。
「今日お前が連れてきたあの子だけどな……知ってたのか?」
「知ってたって……な、何のことっすか」
「あの子のテクニックだよ。FCを追っかけまわしながら、さもついでみたいな感じでオレたちも赤城もまとめてブチ抜いていったよ。おかげで麓の駐車場で赤城の連中が戦意喪失してたぞ。元気そうなのは高橋兄弟ぐらいだった」
池谷の言葉に、周囲がうなずく。
「え、オ、オレが知ってる拓海ちゃんの事は、単に車好きな豆腐屋の一人娘だって事ぐらいですよ。免許だってまだ取ったばかりのはずだし、そんなテクニックなんてあるわけ……」
「とうふ……いや、お前は知らなかったみたいだな。ならいいんだ」
いまだ飲み込み切れない様子のイツキを見て、池谷は眉間によっていたシワを伸ばす。悪趣味なドッキリでも仕掛けられていたわけではないらしい。
同じく険しさをやわらげた健二が、気を取り直して池谷に本題を投げかける。
「池谷、それで交流戦はどうするんだ。オレたちじゃレッドサンズに張り合うなんて無理だぜ。イツキを通して頼んで、また来てもらうのか?」
「それは……今日はもう遅いし、また明日集まって話そうぜ」
「そうだな。今日一日でいろいろ起こりすぎだ。こんなグチャグチャの頭じゃ何も考えられないよ」
池谷も健二も、疲れをふんだんに含んだため息をついた。
「明日の夜、閉店時間にいつものスタンドで集合だ。店長にも話に混ざってもらおう。あの人も昔は秋名の走り屋だったらしいから、そのツテで助っ人の一人も呼べるかもしれない。じゃあ、今日は解散としよう」
イツキを横に乗せ、無言で山を下り続ける池谷は、かつて仕事の合間に交わされた他愛もない雑談の内容を思い出していた。
池谷の務めるガソリンスタンドの店長は、若かりし頃は走り屋をしていたらしい。そんな彼が池谷達に語った昔話の中に、自他ともに認める秋名最速の走り屋、という話が有った。
(秋名の下りで一番速いのは豆腐屋のハチロクだ、最新のマシンで挑んでも秋名では勝てっこない、と店長は断言していた。そしてあのハチロク、暗くてはっきりとは見えてなかったけど、たしか側面にナントカとうふ店とか書いてあったはず……あの時はマユツバだと思って笑ったけど)
これだけ材料が揃えばいやでも信じざるを得ない。
(やっぱりあれは本当だったんだ。かつて伝説の走り屋と呼ばれた豆腐屋のオヤジは実在するんだ。店長、明日はじっくり話を聞かせてもらいますからね……)