いよいよ待ちに待った終業式を終え、浮かれたムードの学生たちが次々に校舎を出ていく。
拓海は靴を履き替えて校庭に出ると、校門で待っていた茂木に話しかけられた。
「ねえねえ拓海ちゃん、今日の夕方空いてる?」
「どうしたの」
「うち今日親が遅くてね、今日は外で晩ごはん食べなきゃいけないんだけど、一人じゃファミレスとか入りづらくってね。もし良かったら拓海ちゃん一緒にご飯食べに行かない?」
そういえば文太も今晩は遅くなるのを拓海は思い出した。
いつもの商工会の飲兵衛仲間たちと飲みに行くらしい。明日から拓海も休みなので、明日の商品の仕込みさえ済ませておけば後は店番を任せてほっつき歩けるのである。
自分しか食べないからととことん手抜きするつもりでいたが、それならいっそ外食しに行ってもいい。
「いいよ」
「じゃあ、六時に駅で待ってるからね」
地面に置かれていた鞄を取り、手を振って遠ざかる茂木。
さて自分も帰るかと歩き出した拓海の肩を叩く影が。
「……イツキか」
「やあ拓海ちゃん、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
そして拓海は何やら奇妙な笑みを張り付けたイツキに、もみ手をしながら校舎裏に呼び出されていた。
「いやーごめんね拓海ちゃん、なんか用事あった?」
「何もないけど。で、なに?」
「いや、その……つかぬ事をお聞きしますが、土曜日ってヒマだったりしますか?」
何かはわからないが、何かやらかしましたと顔に書いてあるイツキ。
そんなイツキの態度に、ふと『記憶』の片隅に引っかかる事があった拓海はいかにも困ったように言い放ってみる。
「もしかして、誰かバトルの申し込みにでも来たのかな。でも、土曜はちょっとなー」
「そうそう……え、無理なの?」
「ちょっと都合が悪いかな。誰かがもう勝手に受けちゃってたりするなら話は別だけど……わっ!」
イツキは目にもとまらぬ速さでその場に土下座していた。
「オレが悪いんです、ごめんなさーいっ!」
「いや、まだ悪いとかそういう話は……」
「そりゃそうだよぉ。これだけ騒ぎになっちゃってるんだ、当人の耳にも入ってないハズない……オレが調子に乗って勝手に受けたんです、はぐらかそうとして申し訳ございませんでした!」
イツキのバイト先のガソリンスタンドに、妙義ナイトキッズというチームの中里と名乗る男が現れ、この間のハチロクと下りで勝負がしたいと伝えてきたらしい。
スピードスターズのメンバーとして扱ってもらえるのが嬉しくて調子に乗った対応をしていたら、いつの間にかそういう話になってしまった。
慌てて誤解を解こうにも、中里は自分の言いたいことを言い終えたらさっさと帰ってしまった。
スピードスターズとナイトキッズのバトルはもう群馬中の話題になっており、それでバレた池谷達には既に大目玉を食らってきた後だとか。
「都合が悪いなら仕方ないよ。向こうにはオレが謝るから、この話は忘れてよ。もともとオレが悪いんだしさ」
「やらないとは言ってないから。いいから土下座やめて早く立って」
「えっ……」
顔を上げ、こちらを見上げるイツキを立たせてやる。
放課後の校舎裏とはいえいつ人に見られるかがあるか分からないし、至近距離で足元から見上げてくるアングルもやめてほしい。
「もう騒ぎになってるのに、今更無かった事になんて言ったらスピードスターズが逃げた扱いになるでしょ。バトルがしたいというなら受けてもいいから。何時?」
「十時です……本当にいいの?」
「いいけど、ひとつ条件が……茂木」
建物の陰からこちらの様子をうかがっていた茂木を手招きして呼び寄せる。
「えへへ、帰ろうとしたら、ふと拓海ちゃんたちが目に入ってね。なんか面白いものが見れそうだったからつい」
「茂木、さっき言ってたあれ、こいつも連れてっていいかな。奢ってくれるから好きなだけ食べられるよ」
「え、いいの武内くん?」
「いいのいいの。これでチャラになるなら、二人分くらい安いものでしょ、イツキ?」
茂木の登場からあっけにとられていたイツキは、再起動を果たすと深々と頭を下げた。
「つ、謹んでお供させていただきます」
走り屋としての活動とは基本的に夜中に行われるものであり、その時間帯にふとどこかに立ち寄りたくなった場合はコンビニやファミレスといった深夜でも営業している店に入るしかない。
なので走り屋にはたいてい行きつけのファミレスというものがあり、それは富裕なことで知られる高橋兄弟も例外ではない。
「二人とも、こっちだ」
先に来て席を確保していた史浩に呼ばれ、涼介は史浩の隣に、啓介は向かいへとそれぞれ空き席に着く。
入口から席までのわずかな距離だけでも多くの女性客や走り屋客の視線を集めるが、二人は気にもせず店員からお冷を受け取る。
「悪いな、史浩。席取らせて」
「気にするな涼介。それより、聞いたか。ナイトキッズの中里ってやつがあのハチロクにバトル挑むって噂」
史浩からメニュー表を受け取り、さっそく今宵のメインとなる一品を厳選していた啓介が、僅かに冊子から目を上げ尋ねる。
「噂はオレ達も聞いたけどさ。その中里とかいうやつ、有名なのか?」
「すごい有名だよ。というか妙義ナイトキッズはオレ達レッドサンズと並ぶ群馬の二大勢力って扱いなんだし、そのリーダーを知らないってのはどうよ」
「そう言われてもな。群馬にオレの敵なんざいないって思ってたから、他所のチームに興味がなくてよ。まあそれも先週までの話だけど」
「まったく啓介は……オレの知ってる範囲だとだな」
妙義ナイトキッズのリーダー、中里はこの一帯では負け知らずな凄腕のS13シルビア乗りとして、妙義山に名を知られていた走り屋だった。
最近はR32GT-Rに乗り換えた事もあり、もう地元では誰もついていけない速さだとか。あと副リーダーと仲が悪いことでも有名。
「信じられねぇなあGT-R乗りのウデなんか。誰でも知ってるような有名な車買って調子こいてるカスばっかだろGT-R乗りなんざ。まともに乗れてるヤツなんか滅多に見ないぜ」
「またでた。啓介の4WD嫌いはホント筋金入りだな。とはいえ、車が速いのは事実だし、もし万が一ハチロクが負けたりしたら大変な事になるぞ。レッドサンズが負けた相手にナイトキッズが勝ったとなれば、チームの名声ガタ落ちだ」
一足先に届いたアイスコーヒーを口に流し、二人のやり取りを眺めていた涼介が、ここで啓介の後方を見てふっと笑みをこぼす。
「GT-Rなんかに負けるわけないだろ。そこが秋名の下りである限り、あいつに勝ちうる走り屋はアニキ以外に今は存在しねぇよ」
「そういうものかなぁ……古い車でもよほどの売りがあるならともかく、ハチロクなんてただの平凡なFRだろ。そんな車がなんでRX-7やGT-Rみたいなハイパワー車に張り合えるのか、オレにはさっぱりだよ」
啓介が店員を呼び出し注文を伝える。ガッツリ食べる気の大量の注文を読み上げる啓介を見ながら、涼介は史浩に語る。
「パワーというのは、ある方が有利なのは確かだ。だが、それが絶対の要素にはならないのが峠というステージなのさ。サーキットと違って、峠にはネガティブな要素が多い」
峠道というものはサーキットと比べ、幅は狭いし、路面は汚い。そこをいつ現れるか分からない対向車や野生動物、障害物に注意を払いながら攻めるのが走り屋である。
「どんな車も、どんなドライバーも、峠を100パーセント攻め切る事は不可能なんだ。だからサーキットでは有り得ない組み合わせの勝負が、峠では成立してしまう。先週、啓介が抜かれたポイントを覚えているか?」
「ああ、あのスケートリンク前のストレートか。まさかあんなところで行かれるなんて思いもしなかったよ」
「そう。目の前にロングストレートが控えているタイミングで、自分よりハイパワーな車に仕掛けようだなんて普通は考えない。だが、いけるという確信があったからこそ仕掛けたし、実際オーバーテイクに成功してしまった」
注文を終えた啓介が、メニュー表を机のわきに戻す。
「あそこでオレをブチ抜くぐらいコースに精通してりゃ、余所者のGT-Rなんざ怖くもないだろ。GT-Rは確かにすごいマシンだが、弱点が無いわけでもないし……今度教えに行ってやろうかな。あっこのガソリンスタンド行けばスピードスターズとは連絡つくだろ」
「啓介。そんな事をする必要はないぞ」
「ん、なんでだアニキ」
「言いたいなら、直接言えばいいだろう。お前から見て、右後方の席を見てみろ」
そして啓介は右後方を、史浩のは左前方へと目をやり、そこに入ってきていた三人組の客の姿を確認し、ゆっくりと目を前に戻す。
「弱点を教えてやるんじゃなかったのか、啓介」
「やめた。ツラ見たらなんかムカついてきた。やっぱあいつは敵だ」
水を一息に飲み干し、外の景色に視線を固定した啓介に、
「しかし先週以来、啓介はホントあの子にご執心だな」
「それだけ衝撃だったのさ。俺にとってもそうだぜ。いままで出会ったことのないタイプのドライバーだからな。よく分からない、なのに速い」
「タイプだって……?」
「そうさ。オレが『公道最速理論』を形にしようとした時、ベースとしたのはまだ一匹狼として走り回っていたころの自分の経験や、その頃に知り合った速いドライバー達の姿だ。モータースポーツで確立された、速く走る技術を峠に応用していく、いわば正統派のスタイルがほとんどだな」
峠には峠のテクニックがある、が信条の涼介も、基本的な部分は変わらない。あくまでもプラスアルファの要素が存在するという考えである。
「だがあのハチロクはそうではない。モータースポーツの経験自体はかなりありそうだが、ベースにあるものがおそらく違う……今はこれ以上は言えないな。データがまるで足りない。ぜひ後ろを追いかけていってみたいものだが……良いことを思いついた。おい啓介」
「……なんだよアニキ」
「明日のバトル、特等席から見物してみたくないか?」
外で知り合いに出会ったとき、嬉しく思うか気まずく思うかは人それぞれ。拓海は近くの席に見覚えのある一団がいたが気にしないことにした。
今日は中身がとうふじゃない、ちゃんとした肉の揚げ物にしようとパラパラめくっていると、向かいからイツキが小声で話しかけてくる。
「なあ、あそこの席にいるのって……」
「同じ県に住んでるんだし、鉢合わせるくらいあるでしょ。気にしない」
そんな事情はつゆしらず、のんきに茂木はサラダやデザートを選んでいる。
「最近のファミレスはデザートとかも力入れてるよねー。拓海ちゃん、これとこれならどっちがいいと思う?」
「気になるなら両方頼めば?」
「それ良いね、拓海ちゃんも一緒に食べようよ。そしたら色んなもの食べられるし」
「私は家だと甘いもの食べないしなあ……こういう時くらいデザート三昧も悪くないかな」
注文のリストアップを始めた茂木に、イツキは机の下でこっそり財布の中身の再確認を開始する。
「これで頼んで良い、武内君?」
「良い、イツキ」
「……どーんと来い」
何とか予算内には収まりそうである。
季節は夏真っ盛り、人々の服装と同じくらい財布も薄くなりそうだが、自身の行いのツケと思えば安いものにイツキは思えた。