ありふれない防人の剣客旅 作:大和万歳
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私には兄がいた。
四分の三だけ同じ血を引いた兄が。
兄は寡黙な人だった。常に寡黙で冷静沈着で、滅私奉公という言葉が似合ってしまう程にあの人は自分を見せずに生きていた。
私よりも三年先に生まれたあの人を見て、幼い私が抱いたのは嫉妬だった。
その出生故にお父様に疎まれ否定されていた私と厳しくながらもお父様と共に過ごしていたお兄様。疎まれ否定される理由を知らなかった幼い時分の私には兄の存在はあまりにもあまりにも認められなかった。
どうして、私は駄目なのか。
どうして、あの人なのか。
何もかもが私には理解出来なくて認められなくて、私はあの家を出たのだ。家を出た私は父と兄を見返す為に認めてもらいたくて、この身を剣として研鑽し続けて──────
「どう、いう……事ですか……緒川さん」
私は私がやるべき事を見つけた。奏と共に人々を護る為の力を得て、きっと私は前へ、父と兄に認めてもらえる。
そう、私は思っていたんだ。
思っていたんだ。
「お兄様が……消えた……?」
レッスンを終え、奏と談笑していた私のもとへ焦った様子で入ってきた、私たちのマネージャーを務めている緒川さんが告げた言葉を私は理解が出来なかった。
お兄様が消えたと言う。
家を出てからというもの、お父様やお兄様については時折叔父さまから近況報告の折に聞かされる程度であり、私は兄がいまどのような事をしているのかほとんど知らなかった。
だが、お兄様が消えたと聞いて真っ先に私はありえない、と思った。あの兄が。寡黙で冷静沈着で、妹目で見ても人間性が欠如している、もしくは薄いとすら思えるようなあの兄が、風鳴から消えた、などとありえない話以外の何ものでもなかった。
そんな私の胸中を察したのかどうかは定かではないが、補足するように緒川さんは先に口を開いた。
「
「おいおい、消えたってどういう事だよ」
「……鞄やお弁当、そういった物が荒らされた痕跡なくつい一瞬前までそこにいた、と理解出来るほどに綺麗さっぱり」
いなくなっていた。隣の教室や廊下にいた生徒らの証言と照り合わせて見ても、明らかに可笑しい事件。
白昼堂々、学校で行われた一クラスの三分の二が集団神隠し。
そんなどうしたって理解出来ないようなソレに私は頭が痛くなってきた。だが同時に安堵が私の胸中に広がっていた。つい先程まで私の中にあった兄が自分から消えた。というありえないと思っていた可能性が無くなったからだ。
しかし、そんな安堵が広がった所で現実はそれよりもなお深刻な事態である。自ら消えたのではなく一クラスその三分の二……20名近くが一瞬でその姿を消したのだ。
いったいどうしてそんなことに、と思った時には私はふと脳裏に過ぎった単語をそのまま口走っていた。
「緒川さん。もしかして、聖遺物が」
「……いえ、まだ本格的な調査は行われていませんが少なくとも聖遺物による反応はまったくなかったそうです」
「そう、ですか……」
聖遺物が関わっていないというのなら、いったい何が原因だというのか。
「……ッ、翼!」
「翼さん!」
グラりと視界が揺れたかと思えば、私はパイプ椅子に腰を降ろしていた。一瞬、何が起きたのかさっぱりと分からなかったが奏と緒川さんの様子からして私は崩れ落ちてしまったのだろう。
確かに私は兄に対して良い感情を抱いているわけではない。
だが、だからといって…………消えて欲しいわけではないのだ。ただ、認めて欲しくて…………。
「…………翼さん。今回の一件ですが、司令が……もしかすれば、一度鎌倉に……」
「……はい、分かりました緒川さん」
それもそうだろう。
お爺様は私を後継者として指名していたが、兄の存在は決して蔑ろに出来ない筈だ。
そこでお父様や叔父さまたちが集まって話すのだろう。私のような若輩者にはいたところで何も口など挟めないのだろうが
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常に寡黙で冷静沈着な風鳴空はクラスの中で浮いた存在であった。
一年生の時分から風紀委員の末席に名を連ねた彼はまるで滅私奉公とでも言わんばかりにその人間性はあまりにも希薄。教員に仕事を頼まれれば私見を挟まず黙々と熟すその様は同学年、どころか先輩であっても近寄り難い───いや、少なくとも自分たちとは違うそんな空気を纏っていた。
「おはよう」
そんな彼がいつも通り、朝練を終えて扉を開け教室へと足を踏み入れた。瞬間、視線が風鳴空へと集まる。
同時に彼の視線もまた、逆に教室内を見回す。
そして、一つの席、一人の生徒の方へと視線を動かせばまるでその視線から逃れる様に蜘蛛の子を散らすか如くその生徒の周りにいた数人の男子生徒らがそそくさと離れていく。
そんな男子生徒らの様子に彼は表情に出さず、胸中でため息をつく。そうして、そのまま視線を向けた生徒の席、その隣にある空いた席へと向かっていく。
「相も変わらず、呆れたものだ」
そうして、自分の机の隣に鞄をかけ席に腰を降ろしながら隣に座る生徒にのみ聴こえる程度の声音でそうくだらないと言う様にそう空は零した。
そんな言葉に頬をかきながら、隣の生徒。短めに切り揃えられた黒髪の極々平凡な容姿の少年、南雲ハジメはなんとも言えないような苦笑を浮かべる。
「いや、まあ……」
「気に入らない、からと喚いて貶すなど一体どうしてそれで振り向いて貰えると思うのか。理解できないな」
南雲ハジメは所謂オタクという人種であった。世間一般ではオタクという人種に対する風当たりは強い。そして、もう一つの事情故に南雲ハジメはこのクラスにおいて男子生徒、女子生徒問わず敵意と侮蔑を向けられていた。
一部の例外を除いて、だが。
その例外の一人として風鳴空は南雲ハジメに接していた。彼にとって、オタクなど特段とやかく言うような相手でもない───無論、周囲への迷惑など考えないような馬鹿を除けば、だが。そして、もう一つの事情も彼にはどうでもよかった。
だから、風鳴空は南雲ハジメに対して侮蔑と敵意を向けるつもりはない。
「だが、だからといって居眠りを許容するつもりは無いぞ南雲。ナルコレプシーであるのならば、まだ病院等に一度かかることを推めるが、お前のそれは寝不足のそれなのだから」
「それは……ぐうの音も出ません」
居眠り常習犯など、周囲の士気を下げるだけ。しかも、その原因が寝不足である以上風鳴空は苦言を呈すのは当然だった。だが、同時に寝不足の原因を知っている身としてはそこまで強くは言えないのもまた事実であった。問題としてはハジメではなく、その両親にあるのだから。
さて、そんなハジメ自身の苦言よりも優先すべき事はある。風紀委員という役割を思えば、クラス規模のイジメなどどうして見逃せようか。
だが、やはり小者は小者ということなのだろう。決定的な瞬間を風鳴空の前では見せない。最悪、でっち上げてでも報いを受けさせるべきか、と呆れながら胸中で呟き、ふとハジメへ歩み寄ってきた人物に風鳴空は目を瞑る。
「南雲くん、おはよう!今日もギリギリだね。もっと早く来ようよ」
ニコニコと微笑みながら一人の女子生徒がハジメのもとへ歩み寄った彼女は風鳴空と同じく一部の例外の一人であり、何よりハジメが敵意と侮蔑を向けられるもう一つの事情というより主な原因。
腰まで届く長く艶やかな黒髪、少し垂れ気味の大きな瞳はひどく優しげだ。スっと通った鼻梁に小ぶりの鼻、そして薄い桜色の唇が完璧な配置で並んでいる。正しくこの学校で二大女神と言われ男女問わず絶大な人気を誇る美少女。
そんな彼女にハジメ自身その理由を理解していないが構われている。そして、そんな美少女に構われている平凡でオタクなハジメに対して我慢ならない男子生徒と、勝手に構ってきている彼女に何を面倒かけているのか何故改善しないのかと不快さを感じる女子生徒。
白崎香織。彼女から恋愛感情を向けられているとは理解出来ないハジメからすれば、良い迷惑だ。
そんな諸々を理解している風鳴空からすれば、至極どうでもいい話だった。
誰が恋しようが、誰がそれに振り回されようが風鳴空という男からすれば、自分に対して、自分の身内に対してその波をぶつけてこないのならば何も言わない。
そうして、相変わらず表情には何も出さず、更に彼らに近づいてきた数人の生徒にああまたか、と呆れながらホームルームが始まるまで面倒だと言わんばかりに風紀委員としても問題ない、イヤホンを端末に接続してそのまま耳に突っ込み───
そうしていれば、気がつけば始業のチャイムが微かに聴こえてきたのを皮切りに教師が教室へと入ってくるよりも先に素早く端末の電源を落とし、イヤホンを耳から外して片付ける。
いつも通りのなんとも微妙な空気を感じながらもやってきた教師によるホームルームを受けていき、隣のハジメが夢の世界へと旅立つのを横目に収めながら本格的に家庭訪問でもすべきだろうか、と胸中で考えて授業は開始された。
しばらく経ち、昼休憩に入った頃合いでなんともタイミングよく眠っていたハジメが突っ伏していた体を起こしてマスカット味のゼリーを鞄から取り出して摂取する。
その様をやはり横目で見ていた風鳴空はため息を吐きながら、鞄から弁当を取り出し始めて───ふと、気がついた。何時もならばゼリーを摂取したら、さっさと教室を出てどこかで昼寝を始めるハジメが何やらその場でもう一眠りしようとしているではないか。
そして、同時にハジメの席へと近づいてくる女子生徒に決して表情には出さないが風鳴空は間違いなく起きるであろう面倒事になんとも言えぬ気持ちになる。
イヤホンを使いたい気持ちになるがしかし、ホームルーム前ならともかく昼休憩に使うわけにはいかず、出来うる限り無視出来るように目の前の弁当へと集中していく。
ツヴァイウィングのロゴが入った青い風呂敷を解いて姿を見せるのは曲げわっぱの小判型の弁当箱が二つ。どちらも天然秋田杉で造られたなかなか値段の張る弁当箱だ。
蓋を開ければ、片方はある程度の余裕をもたせて詰め込まれた胡麻のかかった米。もう片方はバランスよく彩り豊かなおかずが揃えられている。
高校生という成長期真っ盛りとも言え、更には運動部に所属している男子にしては量ではなく質を優先したかのような内容。普通の運動部の男子生徒ならば物足りないことこの上ないだろうが、風鳴空にはこれで充分だった。
別段少食という訳では無い。
何事もあればあるだけ良いという訳では無いのだから、しっかりと必要な栄養分を必要な分だけ摂取し、後で足らなかったという事にならない様にしっかりとエネルギーを充分に取れるように配慮したメニューである。過補給では余計なモノが残ってしまうから。
それをきちんと理解している風鳴空の弁当箱がそういったモノになるのは必然だろう。
と、昨晩仕込んでおいた自作のひじきの煮物に舌鼓を打ちながら、野菜庫にピーマンが余ってる事を思い出し夕食は青椒肉絲にでもしようと考え始めた風鳴空に近づく者が一人。
「空」
「…………なんだ、八重樫」
黒く長い髪をポニーテールに纏めているのがトレードマークで、切れ長の目は鋭く、しかしその奥には柔らかさも感じられる、冷たいと言うよりカッコイイという印象を抱かせる凛とした少女。と、まあ、風鳴空にとっては髪の色や身長とある一部分を除けば妹にどことなく近い彼女の名は八重樫雫。
親友の白崎香織同様学園の二大女神と言われ、かつしっかりとこの教室内でハジメや白崎香織、その周囲の人間関係や心情を察しているというなんとも悲しい苦労枠極まりない彼女は親しげに風鳴空へと声をかけた。
「お父さんとお爺ちゃんが今度はいつ来るのかって」
「鷲三さんと虎一さんがか」
八重樫雫の言葉に風鳴空は箸を置き、胸ポケットから手帳を取り出しページを捲って数拍置いてから口を開いた。
「今週末が部活は休みだろう。そのどちらかに伺いたいと思っている」
「週末ね、分かったわ。伝えとくわ」
そう言う八重樫雫の表情は何処か楽しみそうに見えた。そして、同時に今の彼女が現実逃避しているのも風鳴空には手に取るように理解出来た。
いったいどんな現実から?
そんなもの今現在進行形で起きている八重樫雫の背後にある出来事だろう。
ハジメに絡む白崎香織、そしてそんな彼女をハジメから引き剥がそうとする少年の応酬から。普通ならば迷惑がるハジメに一方的に絡む白崎香織を少年が咎めているようにも思えるが実態はなんとも言えぬモノだ。
所謂、痴情のもつれと言えなくもないそれはなんとも面倒なこと極まりない。
少年、天之河光輝は正義感と善意の塊のような性格で、持ち前のルックスとカリスマ性も相まって学校の生徒達から強い信頼と高い人気を持つというなんとも完璧超人な人間であるがその精神性は憐れと言わざるを得ない。
自分は正しく他人の価値観を受け入れられず、自分本位であり短絡的で思い込みが強く、更には無自覚ながら自信過剰と自意識過剰、責任転嫁に自身の正当化のご都合主義。なんとも言えぬそんないったいどうすればそんな欠点が幾つも組み合わさってしまうのかという正しく天は二物を与えずというやつだ。
いや、見た目ばかりの早期建設欠陥住宅と言ったところか。さて、そんな彼がこのクラスで嫌いな人物は二人。
一人は剣道で卑怯な手を使う、更には幼馴染である八重樫雫の弱みを握っている風鳴空───無論、そんなものは短絡的な思い込みでしかなくむしろ下段というハンデを使用しているし、確かに可愛い物好きという一部の人間以外には隠している秘密を知っているなどある意味弱みとは言えなくもないモノを握ってはいるが───そして、やる気も協調性もなくオタクで独りぼっちな南雲ハジメ。
上記の理由に同情して白崎香織がハジメに接していると酷い解釈を起こしている彼が自分の事が好きだと思っている白崎香織をハジメから引き離すのは当然と言えよう。天之河光輝は人の心が分からないどころか決めつけている。
まったくもって渦中のハジメからすれば迷惑極まりないだろう。こういう事態が起これば隣の席に座る風紀委員へと視線をやるが、残念ながら風紀を乱しているわけでもなく悪気が無く痴情のもつれでしかないものに風紀委員は一々対処しないのである。
いや、それ以前にどうせ口を挟めば天之河光輝が余計に突っかかってくる事を考えれば職務でもないのに関わり合いたくない。
だからこちらを見るなと言わんばかりにハジメとかち合った視線を外し風鳴空は八重樫雫を労る。
「心中察する。何かあれば、用意するが」
「別にいいわよ。慣れてるから」
哀愁漂うその声音と表情と雰囲気に風鳴空も眼を瞑り同情する。未だ、十七歳だというのに……風鳴空は週末、彼女の家の道場を訪れた際に土産として何か甘いモノでも持っていこうと考えて────
「────なんだと?」
刹那、風鳴空の背筋に走った悪寒。
自分の中に流れる血が、その深奥に潜む何かが警告する様な何かに風鳴空は瞠目して。
そのすぐ近く、天之河光輝の足元に白銀に光り輝く円環と幾何学模様が現れていく。
いったいなんだこれは。いったい何処のブラックアートだ、と呟く瞬間何かの声に従いこの場から脱しようとしたが
「駄目か」
前と後の出入口は足元、教室全体へと拡大した魔法陣を注視し硬直する生徒らで邪魔。
自分の足元まで異常が迫り硬直から抜け出しても悲鳴を上げるばかりで障害物でしかない。
では、どうするか、と思考を回し、四限が終わってから未だに教室に残っていた社会科の女教師が「皆!教室から出て!」と叫ぶのと、魔法陣の輝きが爆発したかのようにカッと光ったのは同時だった。
「いったい、なんだ、これは(ツヴァイウィングのライブのチケット買ったんだが………!!??)」
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