ヴァルキリープロファイル 神に挑む者   作:ばんどう

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※VPルシオの性格を変えてます。


10.アークダイン編 ひとと神の葛藤

「ひと、神、エルフ……」

 

 膨大な書物に囲まれた薄暗い室の隅で、男は魔導書を慎重に読み上げる。灰色がかった栗色の前髪が頬の左右に垂れ、男の細く丸い顔を縁取る。文面をたどる手許は迂闊に呪を踏まぬよう防護符が織り込まれた分厚い手袋で覆われ、もう片方の手で握った輝石がゆっくりと明滅していた。青い輝石のまばたきにあわせて、男の丸眼鏡が白く光り、硝子奥の冷たい青瞳が見え隠れする。

 二十半ばの若い男だ。二年ほど前、世界最高峰の研究機関フレンスブルグ魔術学院を放逐されたが、男の研究環境は在学中よりむしろ充実した。だれにも邪魔されぬ時間と空間を手に入れた男は、上等な紺碧の外套を羽織り、魔術師たちが着るローブではなく冒険者たちが好むジャケットと狩猟ズボンを愛用している。

 

 レザード・ヴァレス。

 

 屍術界隈に名を馳せ始めた稀代の天才は、何度も目を通したはずの紙面を睨み、左手に握った石を腹に押し付けて身を丸め、端正な顔をひきつらせた。

 

「…………ぐっ、なぜだ……。なぜ、頭が割れんほど痛い……」

 

 以前は皮手袋(グローブ)で防げた呪が、石の共鳴により強大化し、レザード自身を苦しめている。

 アルトリアで女神を見初めた瞬間から、レザードは手当たり次第に【戦乙女】に関する書を読み漁ってきた。単なる民間伝承や逸話でなく、古代文字で記された神の魂、ひとの輪廻につらなる貴重な知識は容赦なく【賢者の石】を反応させ、レザードを疲弊させる。

 

『これはこれは、レザード殿。ずいぶんとお疲れのご様子ですな』

 

 低くこもった男の声が水晶球から届いてくる。ひどく芝居がかった声だ。レザードの鼻筋にしわが寄る。あからさまに舌打ちしたレザードが水晶球に映りこんだフードの男を睨む。顔立ちはわからない。フードを目深にかぶった男の声からして四十絡みだろうか。レザードが丸眼鏡を押し上げ、表情を隠した。

 

「カノンか……。なんの用だ? ホムンクルスの件ならばすでに話はついている」

 

 暗い笑い声が水晶球からこぼれる。向こうはずいぶんご機嫌のようだ。異様に発達した犬歯を光らせて、カノンという浅黒い肌の男が言う。

 

『なに。近々、研究を次の段階に推し進めるゆえ貴殿にもお伝えしておかねばと思いましてな』

 

「好きにしろ」

 

 レザードが一言で切り捨てる。カノンは分厚い黒の法衣を着込んだ痩せた男だ。いまはジェラベルンに拠点を置きギルドを仕切っているはずだが目立ちたがりの気性に反して、その行動は隠密である。ひとにしては犬歯と爪が異様に鋭く伸びた、他種族との混血を思わせる外見だが素性は知れていない。レザードには興味もなかった。

 カノンはレザードの機嫌がすごぶる悪いのを察すると、これからアークダインの魔水晶を手に入れると残し、伝信の呪を切った。術具の調達には非常に役立つ男ゆえレザードもホムンクルスを供したが、以来こちらの知力に心酔し、なにかと助力を求めるカノンの研究に時間を割く気はなかった。

 

「魂の、転生……。ひとと、神の狭間にある者……」

 

 レザードはまた魔導書に視線を貼り付けると書から急速に流れこんでくる魔力の奔流に呻き、歯を食いしばりながらもページを繰っていく。

 女神を迎える準備は整いつつあった。だが輝石を行使するたび起きるレザードの脳髄を、魂を、焼き切らんばかりの魔力の共鳴がなにに起因するのか、彼をしてまだ視えない。

 

 

 

 

 ――シルメリアのことを知りたくば、ディパンに向かえ。

 

 大陸西部の孤島で、不死者王ブラムスから授かった助言をもとにアレンたちは大陸を北上し、北西部にそびえる遺跡にたどりついた。もとは白かった青錆びた煉瓦が積み上げられた巨大遺跡群。急峻な崖に溶け込んだ広大な要塞は、岩山をくりぬいて居住区をつくるカミール村と構造が似ているが、規模は比べ物にならない。視界いっぱいに広がる巨大建築は長い年月の重みを感じさせ、ひとの足跡もない。森のなかにそびえたつ巨大な鉄格子の門扉は来客を拒み、地面に太い根を生やしていた。

 

「アレン兄ちゃん、どうしたんだ? こんなとこに用なんかねえだろ?」

 

 閉じた門扉を見つめて動かないアレンを、ロジャーとルシオが不思議そうに見上げた。ふと、ルシオが気付いた顔になってアレンの右手――人差し指にはまった指輪を見る。この世ならざる真理を読み解く【星界の指輪】。それが蒼く輝いている。

 

「バカダヌキっ、静かにしろ」

 

 ロジャーの肩を引いて、ルシオが顎を突き出し指輪を示す。視線を追ったロジャーもまた異変を察して「ひゃあっ」とこぼしながらタヌキの耳をパタパタと振った。アレンは彼方を見ていた。沈黙したのも十数秒で、はた、とまたたいたあとは焦点の合った顔をルシオとロジャーに向けてくる。

 

「行こう、二人とも」

 

「この遺跡のなかに、ですか?」

 

 ルシオが問うと、うなずいてくる。小首をかしげたルシオはネコのしっぽをうねらせた。

 

「俺も、感覚的にしかつかめない。ただシルメリアが会いに行けと言っている……そんな気がする」

 

「この遺跡の奥にまただれかいるってことか、兄ちゃん?」

 

「おそらくは」

 

 胸のあたりを押さえているアレンを、ルシオもロジャーも不思議そうに見上げてから互いの顔を合わせた。どちらも要を得ていない。もともとアレンは説明がうまい人間ではないが、指輪を嵌めて以降、感覚的な話をする機会が増えている。

 なにが起こるのかはわからないが、【なにか起こる】ことだけを確実に言い当ててくるのだ。

 ルシオが緊張して固唾を呑んだ。

 

 

 

 天空に浮かぶレナス・ヴァルキュリアは長い銀髪を微風にそよがせ、瞼を軽く閉じていた。陽にきらめく彼女の銀髪が、時折、紫色に光る。蒼穹色の鎧から零れる白い肢体は、凛とした戦士の雰囲気にやわらかい女の色香をただよわせ、もし人間が肉眼できたならば、幻想的と女神を称賛したことだろう。

 

 ――剣を交えて分かった。アンタの剣は、軽すぎる。

  ひとの死を、ひとの心を縛るにしては、あまりにも。

 

 ふと青年の言葉がレナスの脳裏をよぎった。唇を噛む。カミール村で受けた傷がうずいている。傷は癒えているのにレナスの胸が、心が、なぜかまだ痛むのだ。

 

「……アレン、といったか」

 

 ずきんっ、とまた胸が痛んだ。黄金の朱雀を喰らったとき、アレンの兼定(カタナ)は、レナスの傍らを過ぎていった。――外されたのだ。外されてなお、衝撃波だけでレナスを戦闘不能にさせる驚異的な力。

 

「…………」

 

 ぎりりと奥歯を噛みながらもレナスの表情は複雑だった。神界にほど近いこの場所で、今日はフレイからの定時連絡がある。

 レナスは深呼吸をすると、目の前の空間に指でくるりと円を描いた。女神の指先に合わせて光が生じ、波紋が広がっていく。空間が波打つたびにさまざまな色が浮かんできては消え、やがて神界にいる第二級神フレイの顔が映し出されてくる。

 レナスより少し年上の若い女の姿をした神である。蜂蜜色の髪は面長で白い頬の左右を過ぎて胸まで流れ、きゅっとつり上がった目尻に大きな青瞳がくるりと動く。はっきりとした顔立ちである。主神の腹心、フレイは感情を読ませないつんと澄ました顔でレナスを見るや、口火を切った。

 

「久しぶりね、レナス」

 

「……ええ」

 

 フレイに向かって、レナスはそれまで浮かべていた苦々しい表情をやわらげ、微笑んだ。エインフェリアやアレンと話すときとは違う、親愛に満ちた、やわらかい表情だ。

 対するフレイの表情はレナスと対峙しているにもかかわらず硬い。レナスが微笑を押し込めて、目を細めた。

 

「そちらの様子はどう?」

 

「現在の状況としては、なにか手を打たないと厳しいわね。ヴァン神族の勢力が、我が方をわずかに上回っている」

 

「……そう」

 

 うなずくレナスに、フレイの毅然(きぜん)とした眼差しが向けられる。

 

「レナス、これからの戦況は貴女にかかっているわ。私と離れてからこちら、貴女の働きぶりを見せてもらったけれど、もう少しがんばってもらわないと困るわね。貴女に与えられた時間は、無限ではないと言ったはずよ」

 

「…………」

 

 レナスの視線が下がった。しばらくの間をおいて、うつむく戦乙女をなぐさめるようにフレイが眼を細め、笑う。細い顎をかすかに引いて、レナスを上目見るといたずら猫を思わせる愛嬌が浮かんだ。

 

「――よもや、下界で会った人間のことを気にしているの?」

 

 問いつつフレイの脳裡に浮かぶのは、ひとりの人間である。その身より長尺の刀を手にし、不死者の腕を両断――さらにはレナスにも知らせていないが、不死者王ブラムスと渡り合った異界の人間。

 目を伏せていたレナスが、す、と顔を上げた。

 

「……あの人間は、私が感じ取った運命を変えたわ。それに不死者の討伐も。あの男は、なにか得体の知れないものを持っている。こちらの想像を上回る、なにかを」

 

「……………」

 

 フレイはなにも言わず、レナスをただ観察していた。レナスの小さな表情の変化、そのひとつも見逃すまいとする真剣な眼差しだ。

 レナスが気づいて首をかしげると、フレイがやわらかく微笑んでくる。

 

「確かに、それが本当なら由々しきことね。けれど所詮は人間、瑣末(さまつ)に過ぎないわ」

 

「…………」

 

 うつむくレナスに、フレイが微笑む。美しく、どこか冷たい笑みだった。

 

「まあ、貴方が気にするというのなら、いいでしょう。私の方でも少し観察してみるわ。それじゃあがんばって。いい戦力を期待しているわ」

 

「ええ」

 

 フレイと目を合わせて別れを惜しみあうはずが、レナスは視線をわずかに下げたままだった。空間にふわりと波紋が広がる。ゆらゆら揺れるたびフレイの顔がぼやけていき、やがてなにもない青空へと戻っていく。

 静寂が、辺りを占めた。

 

 ――これもオーディンとやらが仕組んだことなのか。

   ……俺に、ひとを見捨てろと!

 

 レナスの表情がくもる。忌々しい相手のはずなのに、なぜ、あのとき彼を殺せなかったことにわずかでも安堵してしまったのか。

 あのとき、彼が微笑ったことに――……。

 

「……」

 

 途中で浮かんできた言葉を、首をふって追い払う。それでも面影が消えず、レナスは脳裡に浮かぶ青年に向かってつぶやいていた。

 

「お前が、運命にさえ関わらなければ……」

 

 見上げた空があまりにも蒼く澄んでいて、レナスは寂しげに眉を寄せた。

 

 

 ◇

 

 

 フレイが神界から寄越してきた情報は、ヴァン神族との神界戦争の状況ともうひとつ、ある魔女を人間界から解放せよという主神の命令だった。魔女はヴァン神族の始祖ユーミルの血を引くという。名をリセリア。予知能力を持つと噂の魔女は、死してなおその魂が消滅することを許されず、巨大な魔晶石の結晶のなかにいまも封じ込められているという。封印されている場所は、人間たちにアークダインの遺跡と呼ばれている場所だ。

 人間界の大陸北西にある山脈に溶け込むようにして、その古びた遺跡は鎮座していた。

 

「こんなところに遺跡があったとはな」

 

 身の丈の倍はありそうな大剣を背に担ぎ、額から左頬にかけて大きな刀傷のある黒髪の傭兵、アリューゼは口笛を吹いて古城を見上げた。生前は傭兵として各地を渡り歩いたが、戦乙女(レナス)と大陸を渡るようになってから異国文化の多様さに驚くばかりである。傍らを行く細身の弓兵、ラウリィもまた物珍しさにため息を吐いている。

 

「ともあれ、我らの目的はここにおる魔女なのだろう? ならばゆくぞ! ヴァルキリーよ!」

 

 宮廷暮らしがなじみ深いアルトリア王女、ジェラードにしてみれば古びた遺跡など興味から外れるらしい。アリューゼやラウリィがまじまじと城内を観察する一方、ジェラードはルビーが嵌めこまれた黄金杖を落ち着きなく振りたくり、レナスを先へ先へとうながしている。

 

「ええ」

 

 レナスが短く答え、ふと一行の実体化(マテリアライズ)を解いた。遺跡を歩いていたはずのアリューゼが急に魂だけの存在となって面食らったようにレナスの(うち)で目を丸くする。

 

 ――どうしたのじゃ、ヴァルキリー?

 ――姫さま、あれを

 

 反応より先に口が出るジェラードに答えたのは、ちょうどレナスの視線の先を見ていたラウリィだった。

 アークダイン遺跡のなかを、ひとり、青年がゆっくりと歩いていた。茶色がかった短い金髪、冒険者らしき安物の赤い軽鎧、腰には一振り、片手剣を()いている。肌は白く、幼さが少し残るものの目鼻立ちがすっきりとした美青年だ。

 彼はうつむきがちに暗闇を見つめ、淡々と奥に向かっていく。途中、ひとと動物の白骨死体に怨霊が宿った不死者が剣をふりかぶって彼に襲い掛かったが、不死者と同時に抜き打ち、相手の刃が頬をかすめたときには骸骨騎士の胴を両断していた。悲鳴をあげ消えいく不死者にさえ一瞥もくれず、頬に一筋、血が垂れようとぬぐうこともしない。ただ一言も発さず、青年は奥へ奥へと進んでいく。

 ジェラードが眉をひそめた。

 

 ――のぅ、ヴァルキリー。あれも魔女が目当てなのか?

 

 レナスがかすかに首を横に振った。人間たちはこの遺跡に強大な力が眠っているとしか知らないはずだ。かつて多くの人間が魔水晶目当てに踏み入れ、生を終えた場所である。

 アリューゼが眉間にしわをきざんで、ひとりごちた。

 

 ――フン、とんだ死にたがりがいたもんだな。

 ――アリューゼさん?

 

 ラウリィが不思議そうに見上げる。アリューゼはもう青年を見ていなかった。

 

「きみ、は……」

 

 かすれた新たな人間の声が聞こえて、ラウリィが首をめぐらせると通路の奥、遺跡の最深部で、長刀を背にかついだ金髪の青年が、亜人の少年二人をともなって、大きく目を見開き固まっていた。ラウリィの傍らにいるアリューゼが口角をつり上げる。

 

 ――やっぱりまた出やがったか、アレン。

 ――あやつ、どこにでもおるのぅ。

 

 アリューゼとジェラードが実体化(マテリアライズ)をうながすようにレナスを見る。だがレナスは金褐色の赤い軽鎧の青年を見つめたままだ。

 遺跡奥にある巨大水晶のまえに立ったアレンが、緊張した面持ちで言った。

 

「きみは……まさか、ルシオ、なのか? あのとき、あの森のなかにいた」

 

 言葉の途中で剣戟音が響き、アレンの声はかき消されていった。代わりに、赤い軽鎧の青年が一足飛びに剣を打ち込み、アレンもまた長刀を抜き打って、神速の抜刀で止めている。苛烈に火花が散る。ためらいなく放たれた必殺剣を鍔競り合いに持ち込んだアレンの顔にはまだ動揺が浮かんでいた。

 ルシオ――とアレンが呼んだ赤い軽鎧の青年の瞳にあるのは、明確な敵意。冷たい殺気だ。

 

「に、兄ちゃんっ! 人違いじゃねえかっ?!」

 

「アレンさんっ! 危ないっ!」

 

 ロジャーとルシオがアレンの迷いを断ち切るように叫ぶ。瞬間、はっとまたたいたアレンの視線に鋭いものが混じった。赤い軽鎧の青年が、雄々しく吼え声をあげ苛烈に切りたててくる。鋭く速い――だが激情のままの素直な剣だ。

 ひときわ甲高い音が響くと同時、赤い軽鎧の青年からうめき声が立った。わずかに大振りになった彼の上段斬りをアレンが剣尖で受け流し、その柄頭で青年のみぞおちを鋭く打ったのである。くぐもった声とともに膝を折って崩れ落ちる青年をまえに、アレンがわずかに剣尖を下げた。

 

「あな、どるなぁっ!」

 

 息も絶え絶えに怒鳴った青年(ルシオ)が剣を払い切る。刃はアレンの一寸手前を過ぎ去り、わずかに(からだ)をかたむけただけでかわしたアレンの動きが完全に青年(ルシオ)の間合い、剣速を読んでいることを実感させる。

 

 ――格が違う。

 

 アリューゼがぽつりとこぼした。実体化(マテリアライズ)をほどかれた勇者たちのなかでもジェラードはどこか上機嫌だ。

 

 ――当然じゃ。奴は我らエインフェリアと渡り合う男じゃぞ? その辺の冒険者などに相手が務まってなるものか!

 ――だけど、あのふたりには面識がありそうですね。どちらも悲しそうだ。

 ――めんしきじゃと?

 

 心配そうなラウリィの言葉に、ジェラードが目を丸くしてまたたいた。いつも騒がしい亜人の少年たちもことの成り行きを見守っているのか、かたく拳をにぎってひとこともしゃべらず、アレンと青年を見つめている。

 アレンが言った。

 

「ルシオ……、教えてくれ。あの森できみと出会ってから五年が経った。この五年、きみにいったいなにがあったんだ」

 

「あんたに話すことなんかなにもない。俺は強くなった……、あのころの無力だった俺じゃない。あんたに、あんたなんかに、もう助けを乞うこともない!」

 

「……プラチナはどうした」

 

 青年(ルシオ)の目が見開かれる。すさまじい気合声がアレンの言葉をなかば消し去り、横殴りの剣がアレンを襲う。半歩退がってかわすアレンの動きを青年(ルシオ)も読んでいたのか、さらに踏み込み、雷のたうつ右手で殴りつけた。

 

「施術?」

 

「アレンさんっ!」

 

 雷のたうつ音ともに乾いた若木が弾けるような音が響く。アレンはルシオの拳を右手でつかみとめていた。戦っているのにアレンの顔は青褪めていてどこか力ない。ロジャーが眉をひそめた。

 

(いったいどうしたってんだ、アレン兄ちゃん。戦ってるときに兄ちゃんがそんな顔するなんて……その表情(カオ)、まるでオイラに村に帰れって言った、あのときみたいじゃんか)

 

 ロジャーの脳裏をよぎるのはみなと旅をしていたあのころ、病気の女の子を助ける薬を採りに行くと言ってアレンとともに仲間の一団を抜け出したあのときだ。これから二国間で全面戦争が始まるというときに、アレンは薬の採取が終わっても仲間たちのもとには戻らず、ロジャーに村に帰れと言った。これから起きるのは命の奪い合い、ひとが物のように消費され、ぼろぼろになって死んでいく世界。ロジャーにはその世界が過ぎたあとでみなが失ったものを思い出させる手伝いをしてくれと頼んできたことがあった。――本当は民間人のフェイト*1にも踏み入れさせるべき領域ではないのに、フェイトの力を狙う者たちと戦うために、力の本質を、ひとが死ぬ凄惨さをフェイトに味わわせてしまう負い目を語っていた、まさにそのときの表情(カオ)だ。

 

(兄ちゃん、また苦しんでんのか? アホネコと同じ名前の、兄ちゃんのために?)

 

 青年(ルシオ)は右手で剣をしっかりと握り、浅い呼吸をくり返しながら、アレンを睨んでいた。アレンが硬い表情のまま問う。

 

「いまのきみに、俺を倒せると思うのか」

 

「十分だ」

 

 答えると同時、ルシオが斬りかかった。鈍く弾ける金属音。ルシオが剣を払い切らんとしたその瞬間に、アレンの剛刀が真上から降り落ちていた。刃を重ねたルシオの(からだ)が揺れ、膝が沈み込む。

 

「っ!?」

 

 ルシオが息を呑む。同時。アレンの振り下ろしを剣で受け切れずにルシオが背中から地面に叩きつけられた。

 アリューゼが固唾を呑む。アリューゼらしからぬ冷や汗が、いまの一合で流れた。――刀が、見えない。

 

 ――いよいよ真剣になってきやがったか、おいヴァルキリー!

 ――ど、どうしたのじゃアリューゼ!?

 

 生者がいるまえで実体化(マテリアライズ)はできない。不死者がいる状況でもなく、レナスたちが連れ出そうとしている魔女は、いまアレンの後ろにある巨大魔水晶のなかで眠っている。

 

 ――ルシオとか言ったか……。あの小僧の剣は、普通じゃ止められねえほど鋭い。少なくとも、軽く剣をふって吹っ飛ばせるような生易しい代物じゃねえ。だがアレンと奴の剣ならそれができる。とんでもねえバケモンだぜ! ヴァルキリー! あいつを出し抜いて魔女を解放しようってんなら、いま挑むしかねえ!

 ――あの小僧の力も借りようというのか? アリューゼが?

 

 ジェラードが目を丸くして、ぱちぱちと大きな瞳をまたたかせる。レナスはまったく取り付く島もなかった。

 

 ――アリューゼよ、大人しくしていろ。

 ――チッ。

 

 実体化(マテリアライズ)さえ為されれば自由に暴れまわる気でいる傭兵を、レナスが一語で黙らせる。アレンと青年(ルシオ)の実力差は明確だ。そこにレナスたちもそろって戦えばあるいは、という指摘はアリューゼの場合は煽りもあるだろうが的を射ている。それくらい青年(ルシオ)の動きは悪くない。

 苛烈な剣戟の火花を散らして、ルシオの切り立てを受けるアレン。迫りくる一刀を鍔迫り合いに持ち込んだアレンが、感情を見せない瞳で問いかけた。

 

「きみはいま、なんのために戦っている」

 

 押しても引いてもびくともしない鍔迫り合いに、ルシオが荒く肩で息を切らしながら声を絞り出した。

 

「俺は、俺はもう目のまえでだれかが傷つくのを見たくないんだ。……だから、俺は! 俺は戦う! あんたを超えたことを、あの日の俺じゃないことを証明するために!」

 

 ルシオが息を吸うと同時、剣が払われる。瞬間。ルシオの剣が、アレンの刀と切り結んだ。右袈裟、唐竹、横薙ぎ、右切り上げ――。アレンから攻められると一合も介せなかった剣線に、ルシオがついていく。

 ジェラードが思わず拳をふり上げた。

 

 ――おぉっ! あやつ、先ほどより動きが良くなっておるではないか!

 ――すごい! あの人の動きに追いついてる!

 

 戦いに消極的な弓闘士ラウリィでさえ身を乗り出すほどの見事な切り結びだ。アリューゼだけは二人の興奮とは別に、鋭く観察する眼だった。

 

 ――死地を平気で潜り抜ける。死ぬかも知れないという危険を簡単に踏み越えやがるか。だが、迂闊だ。

 ――なんじゃと? よい雰囲気ではないか! あの化け物と斬り合っておるのだ!

 

 ジェラードが言った、そのとき。変化は起きた。

 

「か、ハッ!」

 

 鈍い衝撃音を立てて、ルシオが背中から地面に叩き落ちる。空気の塊を吐いていた。

 アリューゼが舌打ちし、アレンを睨んだ。――やはり、強い。それも非常識なほどに。

 

 ――並の相手には通じたかも知れねえが、今度ばかりは相手が悪い。いくら斬り合いについていけるようになったからって、あの剣技は神域だ。勢いに乗りゃ勝てるってもんじゃねえ。

 ――むぅっ! それでも行くぞ! あやつは!

 ――だろうな。

 

 目を細めるアリューゼに続いて、ルシオが剣を握り締め、踏み込んだ。

 

「ぉおおっ!」

 

 鋭く踏み込み。縦横無尽に剣をふる。

 徐々に、

 徐々に――。

 切り合いの時間が長くなっていく。

 だが、強烈な衝撃音がひときわ高く聞こえると、ルシオが吹き飛ばされている。ここぞというタイミングで放たれる一撃の応酬に、ルシオの力が追い付いていないのだ。それでもルシオは(からだ)を壁に張りつけられても、一歩も下がらない。

 再び飛び込む。

 剣が混じり合う。

 切り結び――、

 吹き飛ばされる。

 三合ほどくり返したところで、立ち上がってくるルシオに、アレンが問いかけた。

 

「ルシオ……。きみはさっき、ひとが傷つくのがいやだと言ったな。だがきみの戦い方は、とてもひとを護る戦い方じゃない。ひとどころか、自分さえも死なせてしまう戦い方だ。そんな戦い方で、だれを護る気でいる」

 

 ルシオは荒い呼吸をくり返し――、すぅ、と息を吸い込んだ。(ルシオ)の瞳が、アレンを睨み据える。影と闇を背負う、ルシオの眼差しが。

 

「関係ない……。俺が死んだあとで、どこの誰が傷つこうと、俺の知ったことじゃない。俺は……ただ、俺の目のまえでひとが傷つくのがいやだ。自分の無力さが、ふたたび突きつけられるみたいでな!」

 

「……ルシオ」

 

「気安く呼ぶな! お前に、なにがわかる……っ」

 

 ルシオが地を蹴った。ふたたび、アレンと剣を切り結んでいく。

 ジェラードの瞳が輝いた。

 

 ――すごいっ! すごいぞ!? さらにやつの剣速が上がったぁああ!

 

 勇者の魂(エインフェリア)の喝采などルシオには届いていないはずだが、ルシオが上段から鋭く踏み込み、打ち込んだ。いままでで最高最速の一撃だ。それがまるで手品のようにするりと抜けてきたアレンの横薙ぎに払い落とされていく。強烈な突きがルシオの腹に決まった。

 あまりにも強烈な轟音が、石室に鳴り響く。

 ジェラードとラウリィが悲鳴に近い息を呑んだ。

 

 ――防御しても、この威力か……!

 

 アリューゼの指摘通り、アレンの突きが入る直前。ルシオは己の身と刃の間に、剣を挟んでいた。とっさの受け太刀。だがアレンの突きはそれごとルシオを吹き飛ばす。

 ラウリィが、乾いた声で言った。

 

 ――……力が、違いすぎる……

 

 アレンが刀を払う。息ひとつ、どころか服装ひとつ乱れていない。

 

「まだ、戦うのか」

 

 納刀しながらつぶやくアレンに応じ、ルシオが再び立ち上がる。全身血に塗れた彼は、眼光だけが爛々と輝いていた。異様なほどに。

 

「当然だ。……倒してやる! あんたは、この手で!」

 

 ――いくらなんでも無茶だ! それ以上動いたら死んでしまう! ヴァルキリーさまっ!?

 ――えぇいっ! 見ておれん! 妾も助太刀するぞ! ヴァルキリー!

 

 ルシオのただならぬ気配に、勇者の魂(エインフェリア)たちが色めき立つ。レナスはただ、内なる勇者たちの声も聞こえぬ風でルシオを見つめていた。

 

「なぜ……」

 

 レナスはぽつりとつぶやいた。

 悲鳴のような、悲痛な叫びを発して戦う、赤い軽鎧の青年。

 ルシオは、――孤独だった。

 彼はアレンを睨み、剣を握る。

 

「あんたは、俺が倒すっ!」

 

 断言するルシオに、レナスは顔を強張らせたまま、つぶやいた。

 

「なぜだ? なぜお前は、こんな勝ち目のない戦いにこだわる。孤独こそがまるで自分の居場所のようにふるまう……?」

 

 レナスの問いに答える者はだれもいない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 

 ルシオが荒れた呼吸を整えるために、すぅ、と息を吸い込む。

 

「ぉをっ!」

 

 ルシオが鋭く踏み込んだ。更にルシオの動きは速くなっている。すでにレナスと並ぶか、それ以上の剣速で、アレンの刀と切り結ぶ。ふたたび打ち合い、吹き飛ばされる――そんな展開ではなかった。ここぞのタイミングで放たれる強烈なアレンの剣すらも、受け止めている。恐るべき成長速度、恐るべき潜在能力だ。

 アレンの目が、鋭く光る。

 そのときルシオと切り結んでいたアレンが、いつの間にかルシオをはるかに通り越し、その背後に着地した。静かな足音だった。無数の銀の斬線がルシオの(からだ)にぱっと散ったのが見えた。

 鍔鳴り音を立てて、アレンが刀を納める。

 

「カハッッ!」

 

 ルシオの全身から血煙が噴く。アリューゼが視認した斬線以上に刀傷が刻まれている。

 ラウリィがぼんやりとつぶやいた。

 

 ――いまのは、……どういう……?

 ――まだ手を抜いてやがったのか……!

 

 アリューゼが息を呑む。アリューゼとラウリィの視線が、アレンを向いた。

 ルシオを見据えるアレンは、動かぬルシオにゆっくりと目を閉じた。

 

「……すまない、ルシオ。……――ん?」

 

 小さくつぶやき、アレンがきびすを返したその瞬間。ぴくりとも動かなかったルシオが、拳を握り締めていた。

 

「おれ、は……」

 

 ぽつりと、ルシオが声をこぼす。

 アレンがふり返ると、ルシオは全身を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。剣を握り、影ある瞳で、アレンを睨んでくる。

 

「俺はプラチナを失ったあのときから……、俺に護る者なんてないんだよ! ……護りたい者なんて、俺にはなにひとつない。それだけだ。俺は強くなった。自分が無力だなんてもう思わないぐらい、強くなったんだ。だから、俺はお前を倒す! プラチナに、プラチナに会うためにだ! うぉおおああああっ!」

 

 慟哭じみたルシオの叫びに、アレンとレナスが同時に目を見開いた。正確にはアレンではなく、彼の内で眠る戦乙女――シルメリアが、ルシオの激情に呑まれ魂の律動を感じ取っている。

 いま二柱の戦乙女に視えるのは――スズランの草原だ。五年前、アレンが光の渦のなかに消えていったあと、幼馴染の少女、プラチナとあてもなく森のなかをさまよい、たどりついた美しい草原。

 

 ――綺麗ねぇ。まるで、天国みたい。

 

 プラチナがルシオをふり返り、満面の笑顔で言ってきた。困窮した村で生まれ育ち、貧しさから両親に冷たくあたられていたプラチナがはじめて見せた、屈託のない笑顔だった。

 

「縁起でもないこと言うなよ」

 

 幼いルシオがそう返すと、プラチナはすこし舌を見せて「ごめんなさい」と冗談っぽく笑う。風の強い日だった。山肌一面に咲いたスズランの花びらが、いっせいに舞いあがって散っていく。空は冴え冴えとして月明かりが煌々(こうこう)と降りそそぐ夜。

 上機嫌に笑っていたプラチナが、突如物々しい音を立てて倒れ伏していった。ルシオが慌てて助け起こすも、プラチナはぐったりとしている。

 

「プラチナ! 早くここを離れよう! こんなところにいたら、スズランの毒で死んじまう!」

 

 どうにかプラチナを抱えて歩き出そうとするルシオの腕を、プラチナはそっと押し止めた。不思議に思ったルシオが幼馴染の顔を覗き込むと、少女がぽつりと言ってきた。

 

「ここで眠ったら、楽に死ねる?」

 

「な、なにを」

 

「もう嫌なの……。私がどんなにがんばっても、お父様もお母様も優しくしてくれたことなんてなかった。私がこんなに好きでも、ふたりは――……。死んだら、生まれ変われるかな? 生まれ変わっても、一緒にいてくれる?」

 

 ルシオはなにも答えられず、ただプラチナの肩をつかむ手に力を込める。プラチナの白い頬を透明な雫が伝っていく。ルシオといる間は楽しかった、と彼女は語る。でもそれ以上につらい思い出のほうが多すぎる、と。

 

 ――もうすべて、忘れて、しまい、たい……

 

 そう言って息を引き取っていく少女の疲れ果てた声が、アレンの心にふたたび響いた。

 

「こ、れは……っ!」

 

 ウィルフレドとの戦いの最中、強制的に発動させられた星界の指輪が()せてきた、あの時点の数刻後の未来。

 

 ――落ち着きなさい、アレン。

 

 アレンの心に、シルメリアの静かな声がそそぐ。人知れず荒れ狂う彼の動揺をなだめるような、やわらかな声だ。

 

 ――いま、追い詰められた彼を救えるのは、あなたしかいない。ただ打ち負かすだけでは救えないわ。

 

 アレンの蒼瞳が、力を帯びていく。同時。

 

 ――あれはっ!?

 ――すごい、なんて力だ!

 

 ジェラードとラウリィの叫びが、レナスの意識をも現実に引き戻す。

 レナスは息を呑んだ。

 ルシオは、この状況でも退かない。だれも、必要としない。

 空気が張り詰める。 

 アリューゼが目を細めた。

 

 ――あの野郎、とんでもねえ底力だ……。だが、それでも奴は――

 

 つぶやくアリューゼのあとを引き取るように、アレンがただ静かにルシオを見据え、

 

「……俺も、全力で行く」

 

 低くつぶやくアレンに、ルシオは地を蹴った。

 己が放てる、最高の一撃を。

 光を、剣に宿す。

 ルシオの持つ剣が、蒼白に輝いていた。

 

「生死を分かつ、一撃を! ……奥義、ラウンドリップセイバァアー!」

 

 圧倒的な光に包まれたルシオが、光の化身となってアレンに突っ込む。

 瞬間、アレンの気配が変わった。全身から噴き出る黄金色の炎。そして彼のもつ長刀――兼定が、太陽のごとく強烈に輝く。

 同時。

 青い残光を散らして、両者が、飛び交った。

 ザッ、と。

 確かな足取りで、同時に着地する。

 

「ぐ、ぁ……」

 

 ルシオの(からだ)が揺れ、こと切れたように倒れていった。

 レナスが駆け寄る。全身血塗れのルシオは、わずかに開いた瞳で、レナスを見上げていた。

 

「プラ、チナ……」

 

 それきり、ぴくりとも動かない。

 レナスは気を失ったルシオを抱きしめた。

 

「…………」

 

 ぼろぼろになった、ルシオの姿。

 レナスは神妙に押し黙っている。

*1
SO3主人公

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