ヴァルキリープロファイル 神に挑む者   作:ばんどう

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13.クレルモンフェラン編 迷える魂

 息を呑むほど高い天井。花や植物をモチーフにした漆喰装飾が、かかげた左手のひらの向こうに広がっている。シルメリアは目のまえに見える手を握ったり、開いたりしてみた。

 動く。自分の意思通りに問題なく。

 嘘みたいな実感だった。

 

具象化(マテリアライズ)……できているのか」

 

 つぶやきながら起き上がる。いまシルメリアが動かしているのはアレンの肉体ではない。女性的な細くしなやかな四肢。肩にこぼれてくるウェーブがかった金色の髪。

 数百年ぶりの自分の(からだ)だ。

 戦乙女時代に姉妹間で共有していた神の肉体でもない。

 

「…………」

 

 こんなことがなぜ起こったのか、シルメリアにすらわからなかった。同じ寝台で眠っているアレンは気絶して、ぴくりとも動かない。

 

「不死者どもの気配を感じる……。アレン、目覚めなさい」

 

 運命の三女神末妹、シルメリアが肩をゆすってもされるがままだ。おそらくシルメリアの肉体をつくったはずの張本人は、魂の律動を感じさせない。

 

(しかしフレイに奪われたわけではないはず――)

 

 シルメリアが思案していると、ガシャーンっ、と鋭い音が立った。室の入り口で、タヌキ耳の少年がまん丸の目でこちらを見、口をあんぐりと開けて、手に持っていた盆を取り落としていた。

 盆にのった、水入りのコップが倒れて客室の絨毯を濡らす。

 

「お前は……、たしかロジャーね」

 

 シルメリアが記憶をたどりながら声をかけると、ロジャーはようやく口をはくはくとさせ、シルメリアを指さして声をかぎりに叫んだ。

 

「メ、メメメ! メラ麗しいお姉さまぁあああああっ!」

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「こらアホネコ! 真剣にやるじゃんよ!」

 

「わかってんだよバカダヌキ! お前こそまじめにやれよ!」

 

 森の奥深くに二人、子どもがいた。

 木々が生い茂る森のなか、子どもたちがいる広場にだけ一筋の光が差し込んでいる。二人は頭に木の葉と獣の耳のかぶりものをし、さらにお尻に動物のしっぽをつけた、奇妙ないでたちだった。彼らの足元には、小枝で掻いた円陣(サークル)が描かれており、二人、いがみ合っていたかと思えば今度はラウリィの鼻歌を歌いながら、くるくると踊りだしていく。

 

「あなたたち……」

 

「んぁ?」

 

 ミリアが声をかけると、背丈の小さいほう――大きなヘルメットをかぶったタヌキ耳をつけた少年――ロジャーがふり返ってきた。ミリアには五、六歳くらいの子どもに見えた。タヌキ少年はミリアを見上げるや、そのつぶらな黒い瞳をキラキラと輝せて笑った。

 

「お、姉ちゃん! こんな森の奥まで、もしかしてオイラの魅力に吸い寄せられちまったんかぁ? ぐふふっ」

 

「んなわけねえだろ、バカダヌキ」

 

「なにをぅ! アホネコっ!」

 

 ロジャーがもう一人をふり仰いで拳をふり上げる。タヌキ少年の背中で丸くて茶色いしっぽがぶるぶるっと震えて膨らんだ。ミリアが目を見開く。よくできた飾り物(アクセサリー)だ。ロジャーより頭一つ分背の高い、細長い頭にバンダナを巻いた猫耳少年――ルシオが、つり目がちな小さな黒目をあげてこちらを見る。

 そのときだった。

 

「あなた、さきほどまでだれと会っていたの」

 

 ふいに森の奥から声をかけられて、ミリアは顔をあげた。はっと息を呑む。若い女が立っていた。女の長い髪は陽光を浴びて黄金色に輝き、波打つように腰まで流れている。透き通った白い肌。まるで神話や絵本のなかから飛び出してきたような愛くるしさと凛々しさを備えた美貌が、まっすぐミリアを見据える。運命の三女神末妹、シルメリア。アレンの(うち)で眠っているはずの女神は、いま、その美しさに不釣り合いな町娘の粗末な服をまとっていた。

 

「あ、あなたは……?」

 

「答えなさい。あなたから、かすかに冥界の気配を感じる」

 

 ミリアが戸惑いに瞳を震わせる。シルメリアの言葉を理解するのにすこし間が必要だった。

 シルメリアはそれまでロジャーとルシオを近くの切り株に腰かけて見守っていたらしく、ふたりの少年が、ミリアのまえに立ったシルメリアを見上げて目を丸めている。

 

「んぁ? ってことは、姉ちゃんだれかに狙われてんのか?」

 

「不死者ってやつか」

 

 ルシオがぽつりとこぼした『不死者』という単語に、ミリアの背筋がびくりと震える。

 この広場にくるまえ、声をかけられただけだが――黒ずくめの調香師ダリネの顔が思い浮かんだためだ。

 シルメリアがわずかに目を細めて「そう」とこぼした。それきり用が済んだとばかりに黙り込む。

 シルメリアの話の終わりを察してか、猫耳少年のルシオがひょろりと細い腰に手を当て、ミリアに向き直ってきた。

 

「で、姉ちゃんはどうしたんだ? こんな人気のないとこに」

 

「あなたたちこそ、こんなところでなにしてるの?」

 

「オイラたち? オイラたちはサーフェリオに代々伝わる【祝福の舞】の真っ最中じゃん! アレン兄ちゃんの怪我が早く治るように、ここでお祈りしてんだ」

 

「さっきから急にリズムが変わるとこで苦戦してんだけどな……。そういう姉ちゃんこそどうしたんだよ? …………泣いてたみたいだけど」

 

 猫耳少年が最後は言いづらそうに声を小さくして視線をそらしつつも問いかけてきた。だがミリアの関心は別にある。

 無意識に一歩、踏み出していた。

 

「あの! さっきの歌、どこで教わったの?」

 

「んぁ? そういやぁ……――、どこだっけな? アホネコ?」

 

「ゼノン兄ちゃんとこの役馬(えきば)だろ。この森の精霊とは相性いいから覚えとけって言われたじゃねえか」

 

「ゼノン? もしかして、それって宮廷魔術師ゼノンさまのこと?!」

 

「ぉ、おぅ……?」

 

 うなずきながらもロジャーたちが気圧される。

 

「あなたたち、ラウリィを知ってるの?」

 

「ん? それって弓の兄ちゃんのことか? なんで姉ちゃんがあのお姉さまたちのこと知ってんだ?」

 

「バカダヌキっ!」

 

 一緒に首をかしげていたルシオがハッとして、ロジャーのヘルメットを押さえる。ミリアは困惑して眉をひそめていた。

 

「なんでもねえんだ! このバカダヌキ、厩舎(きゅうしゃ)の話を鵜吞みにしただけで」

 

「馬の言葉がわかるっていうの……?」

 

 ありえない現実を口にしながら、ミリアの顔面が徐々にくしゃくしゃに歪んでいく。

 ロジャーが得意げに胸を張った。

 

「あったりめえじゃんか! オイラ、メノディクス族だぜ? ゼノン兄ちゃんとこの馬車馬(あいつら)は一番世話してくれた兄ちゃんの帰りをずーっと待ってんだって」

 

「ほかのは干し草の出し方からなってねえ! って怒ってたもんなぁ」

 

「……ふふっ」

 

 思わず、ミリアは吹き出していた。まさに『干し草の出し方』を力説するラウリィはよく見ていたからだ。気は弱いのに動物に対する愛情が深く、こだわりが強い――厩舎の同僚が評価される作業ではないからと適当にこなすのを残念がっているさまは、ラウリィの優しさが出ていてミリアは好きだった。

 

「ゼノンさまの馬は、悲しんでるの? ラウリィがいなくなって」

 

「あったりめえじゃんかよ! ……姉ちゃん?」

 

「あんた、ゼノンさんの馬を世話してたひとと知り合いなのか?」

 

 ロジャーとルシオが、気遣わしげに見上げてくる。

 変な話をしている子どもたち、と思っているのに、不思議と嘘を吐かれているとは思えない。

 

「私も、お馬さんと話せたらよかったのに」

 

 ミリアはただ指先で目尻をすくうと森の合間から広がる蒼空を見上げた。

 

「ラウリィ……私の恋人がね、お空に旅立っちゃったんだって。…………そんなわけないのにね」

 

 ミリアが胸もとを握りしめる。指先の感触がわからない。心に穴があいてしまったようだ。

 ただひとつ言えることは――少年たちの与太話だとしても――ラウリィの帰りを待っている者がこの世にミリア以外にもいる。ただそれだけだ。

 それだけのことで胸が熱くなった。

 

「おまじない、成功するといいね」

 

「おう! 次に姉ちゃんがくるときまでに完成させてやるじゃんよ!」

 

「そんときはアレンさんも一緒だな。きっと」

 

 ふたりの少年はミリアが午後から店番がある、と告げると無理に引き止めず、当たり前のように次また会う約束をしてくる。シルメリアはそんな彼らの様子を黙って見守っている。

 この森は、ラウリィと自分だけの思い出の場所。

 数分前までそう信じていたのに、不思議とミリアは不快さを感じていなかった。

 

「うん。またね」

 

 

 

 

 

 夜。宿場で働く四十がらみ下女は、街はずれの酒蔵に、ある女を招き入れた。噂通り黒づくめの不気味な女だ。小柄で肌が病的に白く、結いあげた髪や唇までもが黒い、陰鬱な若い女。つねに喪服で現れるというこの女の正体を、下女は心のなかで反芻する。

 いま下女の心臓はせわしなく脈打っている。その手は黒い土にまみれ、蒼白い顔面には玉の汗がびっしりと浮かんでいた。

 

 埋葬された棺をあばき人骨を取り出すなど、絶対に他人に見せてはならない神への冒涜(ぼうとく)だ。

 

 点々と油染みがこびりついた木製テーブルに、白い布がかかっている。喪服女はその下にひそむ大小の凹凸を見つめ、黒い長手袋をはめた手でそっと布をはがした。喪服女の琥珀色の瞳が注意深くなかをあらためる。

 下女はエプロンのポケットから銅貨袋を取り出すと、胸もとで握りしめた。

 

 ――これは愛しいひとを、呼び覚ます儀式。けれどあなたのご子息は海戦に行かれたのですね……。残念。私、その方の骨がないと、お力になれないのです。代わりに先月病死されたあなたの旦那さまなら。

 

 酒蔵に招くまえ喪服女にかけられた言葉が下女の脳裏をよぎる。下女はひとところに定まらない唇を湿した。棺のなかから取り出した骨の感触が、指先によみがえってくる。

 喪服女がこちらを見て微笑むと、軽く顎を引いた。

 

「約束のお金はお持ちですか」

 

 艶やかに言われ、下女が顔を引きつらせながら首を乱暴にふった。心臓の近くで握りしめた革袋を喪服女に押し付けるなり叫んでいた。

 

「ここにっ! それよりあのひとは!」

 

「ありがとう。……ふふ、そうあわてなくても」

 

 喪服女が黒手袋をはめた細い手で革袋をあらためる。拳大の銅貨袋。下女の暮らしぶりなら半年は暮らせる大金だ。ろうそくに照らされた喪服女のほっそりとした影が薄暗い酒蔵のなかでゆらゆらと揺れた。

 喪服女は【ダリネ】と名乗った。

 

「すこし……足りませんね」

 

「そんなっ! これ以上なんてとてもっ……」

 

「そこの時計、いただけますか」

 

 ダリネが酒蔵の奥にしまってある木箱を指さす。なかもあらためていないのに純金の懐中時計が納められているのを()っていることに驚く暇もなく、下女は(むせ)び泣いていた。今日吐いた嘘の数、これから背負う罪の重さにごめんなさいごめんなさいと口走る唇を左手で覆い隠し、壊れた人形のように何度もうなずく。

 

「う、うううっ、ううぁあああぁあああっ!」

 

 純金の時計は宿場の主人のお気に入りだ。盗んで命が無事で済むはずがなかった。だが、もう墓をあばいてしまっている。夫の骨と、骨に隠れるように一縷の望みをかけて置いた息子の髪。

 あとには引き返せない。

 絶望と、わずかな希望にすがる下女は限界だった。

 

「では、始めましょう。愛しいひとを、呼び覚ます儀式を」

 

 ダリネが微笑んできて、下女が顔を跳ねあげ息を呑んだ。心臓が脈打つ。冷ややかな焦り、戸惑い以外の感情が波打ったのだ。ダリネのささやき声にはひとを惹き付ける力がある。

 

 魂の救済者、蘇生士、屍術師(ネクロマンサー)……。

 

 ダリネを表すさまざまな呼び名を思い出しながら、下女はダリネが取り出してきた香炉を見て尋ねた。

 

「そそそそれっ……おおお香、ですか? お香で本当に主人が?」

 

「静かに」

 

 手のひらサイズの翡翠の香炉を右手に握りしめ、ダリネが瞳を閉じる。下女は言われたとおり口をつぐみ、ぐしゃぐしゃになった顔で布の凹凸を見つめた。

 信仰篤いクレルモンフェランにおいて決して手を出してはならない禁断の闇。

 だからこそ引き込まれる。この世に疲れ果てた人間の胸に。

 ダリネの淡々とした、歌うような言葉の羅列を、下女はいつしか聞き入っていた。

 

「仄暗き沼の底に沈みし者、時の囚われ人、永遠の放浪者、常世の罪人、エーリューズニルの黄昏人……」

 

「骨が、光って……」

 

 下女の言葉は続かず、白い布に覆われていた白骨体がゆっくりと宙に浮かび上がっていく。下女の目の高さを超えるまえに布がはらりとテーブルに落ちいき、薄汚れた頭蓋が下女の目の前でぷかぷかと揺れ浮かんだ。その奇妙な光景は、魔術方陣という皿に積まれた家畜の骨を思わせる。

 

「汝、いまこそ冥界の女王ヘルの鎖を喰いちぎれ」

 

 ダリネが左手に握る香炉がひときわ輝くと、魔術方陣が解き放たれた。暗紫色の光で室が満ち、直後、酒蔵を照らすろうそくの火が一斉に消え、深い霧にすべてが呑みこまれた。中空で黒い沼が渦巻いている。そのなかからなにか(・・・)が迫り出してくるのを下女は霧のなかで見た気がした。

 

 ――ヘルすら侮辱するなんて!

 

 ダリネの呪に身震いがした。脳が警鐘を鳴らすも、下女の意識は目のまえに張り付いている。

 数秒、霧は酒蔵を満たすと立ち消えていった。

 

「ああっ!」

 

 下女が駆けだした。消えたはずのろうそくがふたたび酒蔵を照らす。白骨体となったはずの夫が、生前と変わらぬ姿で下女のまえに立ったのだ。おのれの胸に飛び込んでくる妻を男はうつろな微笑みで迎え入れている。

 

「これは反魂香(はんごんこう)、死者の(むくろ)にふたたび命を与える、お香です。それでは、わたしはこれで」

 

 ダリネが二人を残し酒蔵を去る。月明かりが美しい夜だった。ダリネが王都の石畳をこつこつと踏み鳴らし、懐中にしのばせた純金の重みに上機嫌になっていると、空から一枚の白い羽根が降ってきた。

 都を離れんと広場に向かっていたときだ。

 

 

 

 

「リセリア殿、すこし休まれては」

 

 国葬が終わり、久しぶりに帰宅を許された屋敷の主、ゼノンは意識の戻らない客人の室を訪れ、声をかけた。

 都でもまず見られない絶世の美女は変わらず、暗い顔で怪我人を見つめている。怪我人、というのはもう語弊がある。寝台から目覚めぬ男の傷は、とうに癒えているのだ。彼らが屋敷にきて今日で三日経つ。その間、リセリアもルシオも寝食以外はこの室で過ごし、男の目覚めを息を殺して待っている。連れの少年たちにはない、切実さが気がかりだった。

 

「あんたは、名のある宮廷魔術師なんだよな」

 

 ふと背中から声を掛けられてゼノンがふり返った。これまで一言もしゃべらず壁に張り付いていた青年、ルシオが腕を組んだまま問いかけてきたのだ。目が合うと、ルシオが顎で男を示してくる。

 

「こいつはどうなってるんだ。傷はとうに癒えてる。呼吸や心音も正常だ。なのに、なぜ目を覚まさない」

 

 真剣な瞳だった。ルシオも魔法剣士ゆえ魔術の心得はあれど、専門知識はない。それゆえ宮廷魔術師(ゼノン)の知恵を仰いでいるのだ。

 ゼノンが軽く息を吐き顎に手をやる。

 

「急激な魔力低下による過眠……というのが俺の見立てだ。ロジャーは、お前たちをネルソフまで彼が魔術で運んだ、と言っていたが、そんな大掛かりな魔術があるなら見せてもらいたいもんだ。この彼に関して言えば魔力はほとんどないしな。だが生命活動はしっかりしている。安静にしていればそのうち目を覚ますさ」

 

 ルシオは満足したのか、ゼノンから視線をはずしてリセリアを見た。美女の横顔は沈痛なままだ。なにが心配なのか、ゼノンですらうかがい知れない。リセリアの博識ぶりは数日のふるまいでわかっている。

 おそらくルシオも、リセリアのただならぬ気配を察して警戒を解かずにいるのだ。

 

「リセリア殿はどうお考えで?」

 

 ゼノンが問うと、リセリアがわずかに顔をあげた。

 

「…………わかりません……。私は、あのときこれまでに視たことのない力をアレンさまから感じました……。アレンさまが私を救ってくださったあのとき、みなを遠く転移させたあのときに、アレンさまの(からだ)は別のなにか(・・・)に変わってしまった。……そう感じたのです」

 

 ゼノンとルシオが一瞬視線を交わす。どちらも要を得ない顔だ。

 

「ではリセリア殿は、この客人が目を覚まされたとき、それは元の彼ではないかもしれないと言われるのですか?」

 

「確証はありません。ですがシルメリアさまの気配すら感じられないいま、アレンさまの身になにか起こったとしても私にお止めできるかどうかは……」

 

「なら、あんたはなおさら休むべきだ。アレンが目覚めたとき、疲弊(その)状態じゃなにもできない」

 

「決まりだな」

 

 ゼノンが手を叩いて話を切り上げる。リセリアとルシオを交互に見やり、愛想よく笑ってやると、二人ともあいまいな視線を返してきた。

 

「そういう理由なら、ここは俺一人で充分だ。せっかく客室を割り当てたんだから使ってくれ」

 

 ゼノンが言い終えると、室外で待機していた使用人たちが素早く入ってくる。彼らに目配せしてリセリアとルシオを退室させた。背中を押され、室外に無理矢理追い立てられていく彼らがなにやら抵抗していたが、ゼノンは片目を閉じて答えるだけだった。

 間延びした軋み音を立てて木戸が閉まっていく。

 元怪我人と自分のみが残った室内。

 ゼノンは眉をひそめ、眠るアレンをしげしげと見た。

 

 ――アレンさまの(からだ)は別のなにか(・・・)に変わってしまった。

 

 リセリアの言葉を反芻しても、ゼノンにはぴんとこない。

 この男は、間違いなく快癒しているはずだ。

 だが。

 ゼノンの脳裡に、王立図書館の最奥に閉じ込められた、一冊の魔導書が思い浮かんでいた。

 

 

 

 

「そこまでだ」

 

 ダリネがふり返ると、月を背に、純白に輝く翼を広げた女神が天空から降りてきた。

 女神の長い蒼銀髪が風になびき、蒼穹色の軽鎧がしなやかにひるがえる。その凛とした青瞳と目が合った瞬間、女神が腰に佩いた剣を一息に抜き打った。

 

「お前は、まさか!」

 

 ダリネが呻きながらも飛びのく。この世に顕現したレナスが鋭く言い放った。

 

「摂理を乱し、他の生命をすすることで不死者にも堕ちず生きながらえる(いや)しき死人よ、輪廻のなかに帰るがいい!」

 

「オーディンの、下僕ども……っ」

 

「我とともに生きるは冷厳なる勇者、出でよ!」

 

 女神が地を蹴って飛び立ち、その背に光の翼を広げるや勇者の魂(エインフェリア)たちが翼からこぼれ落ちた羽根から具現化されていく。

 大剣使いアリューゼ、魔術師ジェラードのふたりである。

 ダリネが忌々しげに吐き捨てた。

 

「輪廻ですって? 笑わせないで、わたしは死と戦っているの!」

 

 ダリネが握りしめた翡翠の香炉が黒煙を放ち、大ぶりな黄金杖へと姿を変える。その魔杖から術が放たれるまえ、巨躯のアリューゼが鋭く踏み込み、大剣を跳ね上げた。

 

「オラァッ!」

 

 硬い金属音が立った。火花のきらめきにジェラードが目をつむる。か細い喪服女を庇うように現れた骸骨騎士二体が、アリューゼの大剣を止めんと立ちはだかるも剣ごと跳ねのけられていく瞬間だった。

 ダリネがわずかに息を呑むも骸骨騎士たちが跳ねのけられる間に術は完成している。ダリネの魔杖がまっすぐアリューゼを向いた。

 

「喰らえ」

 

 歌うような低い(ダリネ)の声は、わずかに重なって(・・・・)ジェラードの耳に届いた。

 魔術発動の爆発音とともに闇の剣が三振り、上、中、下段から大剣をふり抜いたアリューゼを鋭く襲う。「アリューゼッ!」とジェラードが鋭く叫ぶ間、大剣の柄頭で一の矢をはじき落としたアリューゼが低くうなる。重い。次ぐ二の矢、三の矢が非情にもアリューゼに被弾した。

 

「ぐあああっ!」

 

「おのれっ……!」

 

 ジェラードがうめく。

 側面からまわりこんだレナスの足許に影が差し込んだのはちょうどそのときだった。レナスがとっさにふり抜きかけた剣を止め跳びのくや、地面から噴きだした黒球が次々に爆発して夜の丘を震わせる。

 ジェラードのファイアランスが黒い爆発に吸い込まれていくのも同時だった。

 

「なんじゃと!? こやつ……!」

 

「ぐぅ……! くそっ。ああ、一匹じゃねえらしい」

 

 とても人間一人の視野、判断力ではない。

 ジェラードが息を呑み、アリューゼは腰を落として大剣を引き寄せるや目を細めた。敵――喪服女(ダリネ)は骸骨騎士だけでなく、周りに青白い靄の塊をいくつも()び寄せている。青白い靄の塊は首許までかかる白髪を垂らした人間の生首、バンシーと呼ばれる不死者だ。

 ダリネを(たお)すには、彼女に取り憑いた無数の不死者を(はら)うほかない。

 

「哀れな……」

 

 レナスがぽつりとつぶやく。ダリネに向けてか、それとも彼女に飼われた無数の不死者たちに向けてかは判然としない語調だった。

 ダリネの瞳が見開かれ、三日月状に広げた青黒い唇が引きつった。

 

「憐れ……? あまたの魂をその身に宿すお前とわたしに、どれほどの差があると!」

 

 ダークセイバー、とダリネの肩に宿るバンシーがおどろおどろしく呪を(うた)いあげる。

 アリューゼが短い悲鳴をあげて跳びずさり、上、中、下段からまっすぐに勇者の魂(エインフェリア)たちに向かう闇の剣が爆発しながら戦乙女の具象化(マテリアライズ)を剥がしていく。

 ジェラードが血の気の引いた顔で叫んだ。

 

「ヴァルキリーよ! これは……わらわたちの魔術とは異なるものではないか?!」

 

「こちらの生命力を奪い取る魔剣か……!」

 

 レナスも合点し、低くうなった。冥界の霧と似て非なる(ダリネ)の香炉の煙。見覚えのない方陣――【異界の魔術】とアレンは称していた――をまえにし、幼いホムンクルスの顔がふと脳裏をよぎる。漆黒の軽鎧に身を包んだ、戦乙女もどきのホムンクルス。

 

「ぅっ……!」

 

 レナスがうめき頭を押さえる。アークダインでの出来事を思い出そうとすると、ひどい頭痛に意識をかき乱されるばかりで考えがまとまらない。

 ともかく勇者の魂(エインフェリア)たちと屍女の魔術の相性は最悪だ。

 結論付けアリューゼたちの具象化(マテリアライズ)をほどこうとしたそのとき、

 

「あ、あははははははっ!」

 

 ダリネが引きつった声をあげた。周りの不死者も一斉に(わら)いだし、静かな丘にけたたましく反響していく。

 

「喰らえッ!」

 

 それを隙と判じたアリューゼが鋭く大上段から打ち込む。だが大剣はダリネを捉えたにもかかわらず、空間を見事に切り裂くのみだった。目のまえにいるように見えて、いつからか女は幻術と化している。

 馴染み深い(・・・・・)、とレナスは直感した。不死者たちの術だ。

 レナスが鋭くあたりを見渡す。ここで仕留めねば。いやな悪寒が背筋を這いあがる。

 

 ――また会いましょう。この身を焦がすほどの想いがあるのなら、地獄の業火に焼かれることになろうとも私は夢を見続ける。あのひととの、温かい夢を。

 

「まてっ!」

 

 ダリネが飼っている不死者だけではない。おそらく、ダリネの背後には外法に染まった者どもがいる。

 察したが黒霧に阻まれるばかりで、彼女は夜闇に溶け込んでいった。物々しい音に意識を取られると、酒蔵で夫を蘇生させたはずの下女が、夫の骨と折り重なるようにして絶命していた。

 バンシーの生命力吸引に巻き込まれたのだ。

 レナスが無言で奥歯を噛みしめる。勇者の魂(エインフェリア)たちとおのれの具象化(マテリアライズ)をほどくと、夜の空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 エンジェルキュリオ。使用者を一時的に実体化(マテリアライズ)させる神の珍品は、戦乙女にとってはあまり益のない品物だ。

 ラウリィは下界に降ろされたとき、これをレナスから授かった。

 必要なときに使え、と与えられた一度きりの機会である。

 

「きっと、ミリアを元気づけるために使うのが正解だ……。だけど、いったいどうすれば」

 

 王都郊外にある草むらのなか。ラウリィは(からだ)を丸めて頭を抱えている。昔の戦いで使われていた城壁の名残ある石に腰かけて、白く輝く小さな宝珠を見つめた。球体に見えるこれは、大型の鳥の卵に似ていて、触れるとわずかに温かい。

 黙っていると、ミリアの悲しみに満ちた慟哭が思い起こされて気が滅入った。

 

「幸せに、してあげたかったな……」

 

「ぅぅっ……」

 

「だれっ!?」

 

 だれもいないと思い込んでいた草原に、ひとりの老婆がかがんでいた。よく見れば肩で息をし、見る間にずるずるとその場に倒れこんでしまう。

 ラウリィは霊体であることも忘れて老婆に駆け寄った。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 聞こえていないのに話しかけた。

 黒ずくめの老婆は苦しげな呼吸をくり返し、倒れた拍子に転がり落ちた、小さな陶器を拾おうと呻きながらもがいている。

 代わりに拾ってやろうとして、指先がすり抜ける。ラウリィは自分自身の状況にようやく気がついた。

 

 ――いま、実体化(マテリアライズ)すれば……

 

 ミリアとは永遠に言葉を交わせない。

 そんな考えが浮かぶも、いま目の前で苦しむ老婆をまえに決断していた。握りこんだエンジェルキュリオを発動させるのは簡単だ。念じるだけでいい。ラウリィの霊体はたちまち光に包まれ、戦乙女がいつもそうしているように光のなかから仮初の肉体がゆっくりと形作られていく。

 

「大丈夫ですか!」

 

 あらためて駆け寄ると老婆がひどく驚き、ひゅっ、と息を呑んだのがわかった。

 

(ともかく早く、医者に診せないと!)

 

 青褪めた老婆の容態は思ったより悪い。素早くかがんで彼女を助け起こしてやる。――死人のように冷たく、ふにゃふにゃの腕だった。

 

「気をしっかり持って、すぐに診療所に連れていきますから!」

 

 励ますために声をかけると、老婆はしわがれた唇を震わせて、目のまえに落ちた陶器をどうにか指さした。

 

「お、ねがい……そこの、炉に……火を」

 

「え?」

 

「おね、がい……はやく、それに火を」

 

 懇願されて、ためらいながらも老婆を石の上に座らせてやる。二、三歩かがんで歩いて、拳大の翡翠でできた陶器を拾い上げる。クレルモンフェランではあまり見ない、珍しいデザインの物だ。ころんとした置物に見えるが、本体と蓋で分かれている。蓋を開けると中は空洞になっていて、底にわずかな窪みがある。そこで老婆がまた急かしてきたのでラウリィは戸惑いながらも陶器中央の窪みにのった円錐状の粉に火を入れた。やわらかく、甘やかな香りがあたりに広がっていく。

 

 ひっ、と息を呑んだのは一瞬後のことだった。

 

 老婆の(からだ)は香で満たされていくと、見る間に瘦せ細った老人が瑞々しい女の姿へと変わっていったのだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

「あ、あなたは……いったい」

 

 黒ずくめの女――ダリネに、ラウリィが緊張した面持ちで尋ねる。ダリネは肩で息を切りながらラウリィから香炉を受け取ると微笑んだ。

 

「…………もし。愛しいひとと、ずっと過ごせるとしたら。あなたはどうする?」

 

「え」

 

 思わぬダリネの言葉にラウリィの心臓が脈打った。

 

「そんなこと、できるはず……っ。いや、ふつうはそうできるように、努めるんだけど……。ぼくは」

 

勇者の魂(エインフェリア)

 

「!」

 

「あなたは、勇者の魂(エインフェリア)でしょう?」

 

 生きている人間を装おうとしたラウリィを見かねたかのように言われて、顔色を失った。そんなラウリィの様子を、ダリネは唇を広げて見つめる。人形めいた美しい顔は、ラウリィに嫌な予感を覚えさせた。

 

「あなたは……不死者、なん、ですか……?」

 

 であるならば、戦わねばならない。

 それも人語を解す不死者となれば、かなりの上位種だ。戦乙女を呼ばねばならない――。

 さきほど触れた死人のような冷たい肌の感触が、筋繊維を微塵も感じさせないぶよぶよの肉感が、次々と嫌な想像を掻き立ててくる。

 

「私は不死者じゃない。けれど――生きたひとでもない。あなたと同じよ」

 

「…………戦わなくてもいい、ってことですか?」

 

 ラウリィが慎重に尋ねると、ダリネはきょとんと目を丸くした。

 

「最初に気になるのはそこなの?」

 

「そりゃあできるなら……。意気地がないっていうのは、生前からずっと言われていたから自分でもわかっていますけど」

 

 ラウリィがもごもごと言いよどんでいると、ダリネは真剣な表情になって押し黙った。数秒。所在なさげにしているラウリィを観察してから尋ねてくる。

 

「あなたは、どうして私を助けてくれたの?」

 

「どうしてって……。あなたが苦しんでたから」

 

「それ、エンジェルキュリオよね」

 

「え? ああ、うん。そうですけど」

 

 ラウリィにとっては難解な神の法具の扱い方を、まるで心得ているような尋ね方だ。ダリネは真剣な顔で黙り込み、彼方を見つめていた。

 ラウリィは事の成り行きが呑み込めずに首をかしげるほかない。

 やがてダリネが言った。

 

「天空の貴婦人……彼女なら、あなたの望みをきっと叶えられるわ」

 

「それってどういう……?」

 

「この世に会いたい人がいるから、あなたはそれを持っていた……。そうでしょう?」

 

 ラウリィが思わずうなずいてしまうと、ダリネはやっと微笑んだ。敵意や悪意のない、純粋な笑みだった。

 

「私もね。愛する人とともに生きるために、この姿のまま(こうやって)生きながらえているの。だから、わかる。あなたはオーディンの手先になんかなるべきじゃない」

 

 ラウリィの心に激震が走った。

 まるで神界戦争の尖兵として選ばれた『いま』を言い当てられた気がしたためだ。ラウリィがエンジェルキュリオを使ってまずミリアに会いに行けなかった、真の理由でもある。――今度こそ、生前と同じ過ちでミリアを悲しませたくはない。否。ミリアと永遠に別れたくない(・・・・・・・・・)

 

「一目会いたい。ともに生きたい。それで充分じゃない。あなたの居場所は、神界ではないわ」

 

 ダリネの声が、ゆっくりと心に沁みてくる。

 クレルモンフェラン城の鐘が、夕刻を告げるために高らかに鳴った。一陣の風が吹く。

 ダリネはひっつめた黒髪が飛ばされないよう、左手を耳のあたりにそえながら、ラウリィを見つめて優しく微笑んでいる。

 

「空っぽの棺にすべてをおさめて終わりにするなんて馬鹿馬鹿しいでしょ」

 

 ラウリィはぼうぜんとダリネを見つめた。彼女の言葉は、戦乙女以上に人間の心を震わせる。

 この話に乗ってはいけない。

 ラウリィの直感が告げる。ただ動けずに拳を握りしめた――。

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