ヴァルキリープロファイル 神に挑む者   作:ばんどう

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4.アルトリア編 孤高の傭兵

「戦乙女、ヴァルキリー?」

 

「……戦乙女?」

 

 アリューゼが口にした言葉をアレンも反芻(はんすう)してみる。突如、空から現れた女神と地上にそびえ立つ魔物。

 

(……なんだ、この感覚は。寒気がする)

 

 アレンは、女神――レナス・ヴァルキュリアを見据えて剛刀を握りしめた。

 見た目でいえば、魔物の方が遙かにおぞましい。だが目の前にいる女性にはまったく気配がない。角度によって蒼銀にも紫銀にもなる珍しい髪は、アレンが捜している子どもの片割れ――たしか【プラチナ】と言っていた――に似ている。

 

(これがウィルフレドの言っていた、戦乙女……?)

 

 だが、いまそれよりもアレンは、アリューゼがなぜここまで憔悴しているのか、理由を探している。

 

(鍵は……あの魔物)

 

 魔物を睨み据えて、アレンは推理する。同時。アリューゼが大剣を握りこんだ。その手から、アリューゼは気付いていないが白い羽がこぼれ落ちる。小さな、光の粒子だった。

 

「……羽?」

 

 かすかな気の流れを感じ取って、アレンがまたたく。考えている間はなかった。魔物が腕を振りかざし、戦乙女レナスに襲いかかる。

 

「!」

 

 アレンが兼定(カタナ)を抜き打つよりも早く、レナスは軽く跳躍して魔物の爪をかいくぐると、両手で上段から剣を打ち込んだ。

 

「ガァアアア……!」

 

 魔物が耳障りな悲鳴を上げる。レナスの隣を、アリューゼが駆った。レナスがわずかに目を見開く。それも一瞬だ。思い直したようにレナスが目を細めたとき、間合いを詰めたアリューゼが、獣のように吼えた。

 

「ぉおっ!」

 

 恫喝とともにアリューゼの大剣が、魔物の心臓を貫く。魔物がびくりと(からだ)を震わせる。アリューゼは構わず大剣を引き抜いた。魔物の血が噴き出る。瞬間。アリューゼの大剣に、炎がまとわり付いた。

 

「……今、楽にしてやる」

 

 アリューゼは、自分の声がどこか遠く感じていた。

 轟音を立てて、魔物を刺し貫いた大剣が上空に向かって切り上げられる。分厚い筋肉でおおわれた魔物の胸板が削がれ、飛び散る血が大剣にまとわり付いた炎によって蒸発していく。

 

「気功……!」

 

 アレンがつぶやく間に、魔物の巨体が転がっていく。

 たった一撃だった。

 それ以上、魔物が動く気配はない。アリューゼがぎりっと奥歯を噛み締めた。

 

 戦いは、アリューゼにとって最高の喜びだった。

 だが、いまは――。

 

 死体と呼ぶにはあまりにも陰惨とした異形の(むくろ)を見据えて、アリューゼはきびすを返した。肩で息をしながら幽鬼のように歩き始める。その背にアレンは声をかけようとして、止めた。

 代わりに空を仰ぐ。そこに現れた【ヴァルキリー】と呼ばれた女性を見上げて、

 

「あなたは、一体……?」

 

 事態が呑み込めず問いかける。

 レナスは異形の傍まで行くと、静かにこちらをふり返った。

 

「お前は、本当に人間か?」

 

 真顔で問うてくる。

 アレンは訝しげにレナスを見た。

 

「……ああ?」

 

 むしろ人間以外のなんだというのか。

 アレンは質問の意味が読めないままうなずいた。レナスは無言で目を伏せると、アレンの問いに答える気がないのか、そのまま異形に向き直った。

 

(人間が、私の加護も受けずに不死者の右腕を断ったというのか……)

 

 胸中でつぶやきながら、レナスは精神を集中させる。

 異形の屍が、淡い光を放ち始めた。

 レナスの胸許――差し伸べられた彼女の両手の中に向かって、屍から浮かんだ光が、ゆっくりと舞い上がっていく。

 

 すぅ――……、

 

 何者にも侵し難い、清廉な空気が広がっていく。

 

「――――」

 

 そのあまりに幻想的な光景に、アレンは数瞬、目を奪われた。

 この女性が人でないモノだと、気付いてはいた。

 原理は分からないが、彼女がした行動をアレンはなんとなく感覚でつかめる。

 異形の屍から舞いあがった光が、レナスの(からだ)に溶け込んでいったのだ。

 

「教えてくれ。その魔物は一体――」

 

 アレンは言いかけて、ざっと辺りを見渡した。

 

 ――……ッ、

 

 今度は、冷えた空気を感じたのだ。

 人の気配。

 言うなれば、狂気。

 

「そこか!」

 

 手許の剛刀を払うと、アレンの剣先から真空の刃が地面に(はし)った。ふり切った先の大木が苦もなく切り倒される。この凄惨な現場に居合わせた、狂気を孕んだ人物。

 深く考えなくとも、事件に関わる人物と分かった。こちらを監視するような、視線を感じたのだ。だが手応えがあったにも関わらず、切り倒された大木の先にはなにもない。

 ――否。

 アレンは目を細めた。

 

(……揺れている?)

 

 大木の陰に隠れていたのは、アレンは知らないが――魔術師風の男だった。丸眼鏡をかけ、慇懃で暗い笑みを浮かべている。その男の気配が、アレンの斬線で揺らいだのだ。

 まるでこの場にいるように見せているだけの、影のような――。

 

「何者だっ、お前は!」

 

 レナスが跳躍し、男のいる方へと剣を抜いて走った。そのわずかな間。男にレナスが詰め寄る間に、木陰にいた男の影はなくなっていた。

 

「…………」

 

 油断なく、レナスが視線を左右にふる。だが、もう気配を探ってもなにも感じない。街道の左右は山のため見通しはよくないが、レナスの目を掻い潜れるほどはずもない。なのに、見失った。

 忽然と、男が消えたのだ。

 

「……何者だ……?」

 

 誰も居ない街道の脇を睨んで、レナスがつぶやく。先ほどまで、木陰に居た男は完全に人間の気配であったというのに。

 それに――、

 

(私ですら気付かなかった気配に、気付いたのか。……人間が)

 

 いくら浄化した魂を取り込む、精神集中の最中とはいえ。

 レナスは横目でアレンを睨むと、空に溶け込むようにして消えていった。

 あとに残ったのは横たわる異形の死体と、騎士十数人の遺体。

 そして――、

 

「……一体、なにが起きている……?」

 

 レナスが去った空を見上げて、アレンは小さくつぶやいた。

 

 

 

 

 レーテ街道を歩きながら、アリューゼは酷く虚ろな――ぎらついた殺気を纏わせていた。

 いつか、弟が言っていた言葉が脳裏に過ぎる。

 

 ――つまらないと感じるのは、兄さんが満たされているからだよ。

 

(違う!)

 

 アリューゼは、ぎ、と奥歯を噛みしめ、吐き捨てた。

 

(他人が朽ち果てることで、自分を確認できる)

 

 戦場で、いくつも屍を作った。

 背負った大剣をふり、己の強さを誇示するように、笑みさえ浮かべて何人もの人間を葬ってきた。

 

(……そうだ。絶対的な価値観を持つことができず、相対的にしか判断できない人種)

 

 何人も、何人も何人も。

 殺して、殺して――

 

 他人を見下す思い。歪み。

 

 戦場で自分が浮かべる笑みを、胸の昂ぶりを思い出して、アリューゼは虚ろな気持ちで空を見上げた。

 

「俺も、あの国王と同じなんだ――」

 

 つぶやいた言葉が、あまりにも他人事のように感じながら。

 

 

 ………………

 

 

「お願いじゃ! アリューゼを助けてやってくれ!」

 

 悲痛な少女の、レナスによって魂を取り込まれたジェラードの声に、レナスは眉一つ動かさずに問いかけた。

 

「助ける? 助けるとは一体どのようなことを指す?」

 

 静かに、厳かに。

 思わず、えっと口を噤んだジェラードは、幽鬼のように街道を歩くアリューゼを見下ろして、うろうろと視線をさ迷わせた。

 

「そ、それは……」

 

「生き続けることか? それとも、私に選ばれることか?」

 

 ぱくぱくと酸欠の金魚のように口を開閉させるジェラード。逡巡しているうちに、うまく言葉に出せない自分に、苛立ちが涙となって溢れそうだった。

 

「それは――!」

 

 それは、

 

 

 ………………

 

 

「そのうちくるだろうとは思っていたが。おとなしく逃げていればよいものを……。ここで騒ぎを起こしたところでなんの得もあるまい」

 

 

 執務室に悠然と佇むロンベルト。その鼠顔を睨んで、アリューゼは心の底から吐き捨てた。

 

「ほざくな! 貴様に得があることが許せねぇだけだ!」

 

 大剣を握りしめる。ロンベルトとの間合いは五メートル弱。アリューゼはいつでも切りかかれるよう膝を曲げた。怒りで犬歯をむき出し、凄まじい殺気を放つアリューゼを前に、ロンベルトはなぜか笑みを崩さない。

 

「なるほど。アリューゼよ、お前は武勇に優れてはいるようだが、呪に関しては知識が浅いようだな」

 

「なに?」

 

「――それが、命取りだ」

 

 わずかに目を細めるアリューゼに、ロンベルトは人差し指を突き出し、下に向けた。

 

「金字方陣とはな。フフ、このようなものを言うのだよ」

 

「!」

 

 瞬間。

 アリューゼの足もとに黄金の方陣が浮かび上がった。

 

「ぐぁああああああ……っっ!」

 

 脳髄を焼かれるような鋭い痛みが、アリューゼの全身を駆け巡った。

 黄金の方陣から雷花が放たれ、火花を散らして中空で踊る。その様を、眼鏡の奥で冷静に観察しながら、ロンベルトは思案顔を作った。

 

「しかし不思議だ。逃げたならまだしも、グールを倒すことが人間に可能なのか?」

 

 アリューゼの武勇は兼ねてから聞いている。故に、彼が生きてアルトリアに帰ってきたこと自体には驚かなかった。

 問題は――、

 ロンベルトはちらりと、金字方陣の中で悲鳴を上げるアリューゼを見やる。

 

 ――人にあらざる不死者(グール)を殺すことが出来るのは、人にあらざる者でしかない。

 

 昔、ロンベルトが読んだ神学書の一文だ。

 それに関連する“ある女神”のことを思い出して、ロンベルトは、はた、と瞬きを落とした。

 

「まさか」

 

 アリューゼが本当に、自力でグールを倒したとすればこの金字方陣すらも今頃無力化しているに違いない。

 それがいまも為されていないことを考えれば――

 

 ――こいつじゃ、わらわを裏切った男は!

 

 不意に、聞き覚えのある少女の声がして、ロンベルトは鋭く周囲を見渡した。

 

(!)

 

 固唾を呑む。

 完全にグール化した人間の――死んだはずの王女の声だ。

 ロンベルトの杖を握る力が、強まる。

 と。

 落雷のような眩さに、ロンベルトは目をつむった。

 すぐさま、隙を作らぬよう目を開ける。そこに、殺意に満ちたアリューゼが低く唸っているのが見えた。その背には、蜃気楼のように揺らめく、何者かの影。それをロンベルトが凝視すると、蒼穹の鎧と白銀の髪がうっすらと浮かび上がった。

 

 戦乙女――ヴァルキリー。

 

「なにっ!?」

 

 ロンベルトは息を呑む。

 視認した瞬間、アリューゼを縛っていた金字方陣が、音を立てて消し飛んだ。

 

「ロンベルトぉおおおっ!」

 

 幽鬼と化したアリューゼの大剣が、直後。ロンベルトの腹を深々と抉る。

 

「ぐ、ぁ、はっっ!」

 

 あまりの激痛にロンベルトは顔を歪め、口から血を吐いた。助けを求めるように、ロンベルトの手が宙を掻く。

 彼の視線は、アリューゼの後ろで悠然と佇んでいる、戦乙女を向いていた。

 

「なる、ほど……! やはり貴様が……、暗躍していたのか……!」

 

 人間の魂を冒とくする者と、戦い続ける神。

 冥界の女王・ヘルを信奉するネクロマンサーにとっては、まさに天敵と呼べる相手。

 

「なに言ってやがる、暗躍は貴様の得意技だろうが!」

 

 アリューゼは吐き捨てるように言うと、造作なく大剣を引き抜いた。

 ロンベルトの意識が暗転する。

 床に転がったロンベルトの命は――尽きていた。

 

「ロンベルト様! いかがなされ――……」

 

 数瞬後。

 物音に駆けつけた兵士が、床に転がったロンベルトを見て血の気を失った。

 

「ア、アリューゼっ! 貴様っ!」

 

 兵士が咄嗟にいきり立って、剣をふってくる。

 それを造作なくアリューゼが切り捨てると、また新たに、別の兵士が部屋に駆け込んできた。

 何人も、

 何人も。

 

 

 …………

 

 

「賊め! 覚悟しろ!」

 

(俺が賊だと?)

 

 心のなかで失笑しながら、アリューゼは単調に襲いかかってくる兵士たちを斬り殺した。

 どれもこれも、片手間に始末出来る。

 それほどまでに、アルトリア騎士団の質は劣悪だった。

 

「俺はどうやらお前の世話にはなれないらしいぜ。死ねないんだからな」

 

 後ろで静かに佇んでいる――恐らく、アリューゼ以外には見えていない――女神をふり返って、アリューゼが乾いた笑みを洩らした。

 

「真に強い勇者の魂は神界には導けないってか? ははは!」

 

「うぬぼれるな人間よ。強さが全てではない」

 

「ふん、言ってくれるぜ。死神が」

 

 敵を前にして、

 この大剣をふるって――、

 今までで、一番空虚な時間だった。

 

 どれもこれも、まるで紙のように死んでいく。

 どれもこれも、まるで意志を持たない人形のように――。

 

 何人もの兵士を斬り殺しながら、アリューゼの心は空虚だった。

 戦いは、己の中で生きがいだったはずだ。

 なのに、今は――なにも感じない。

 稚拙な兵士の上段切りを剣の腹で弾き、止めの一撃を――

 

 止められた。

 

 

「!」

 

 

 わずかに、アリューゼが目を見開く。

 いつの間にか目の前に居たのは、玉の汗を掻いた、金髪の青年だった。おそらく彼の身長より長い剛刀を手にして。

 

「……それ以上、殺すな」

 

 蒼く澄んだ瞳で、彼は言った。

 殺人という狂気に、憎悪という悪意に突き動かされたアリューゼを、戒めるように。

 

「てめぇは……」

 

 青年の――アレンの剣を払い除けて、アリューゼは距離を置く。

 弾いた、と思ったアリューゼの大剣が、それと同時、

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「!」

 

 長年、アリューゼと共に激戦を生き延びてきた大剣が。

 瞠目(どうもく)して、アリューゼがアレンを見ると、アレンは鋭い眼差しを兵士たちに向けた。

 

「剣を納めろ!」

 

 空気が震えるほどの叱責だった。

 アリューゼに多くの仲間を殺され、気色ばんでいた兵たちが、びくりと肩を震わせる。

 静寂が満ちていった。物言わぬ死体となった、ロンベルトを置いて。

 アレンはアリューゼに向き直ると、複雑な表情を浮かべてアリューゼをじっと見据えた。――あまりにも哀しそうに。

 

「……すまない」

 

 それがなにに対しての謝罪か、アリューゼには分からなかったが、アレンはなにかを悔やんでいる様子だった。

 拳を握りしめる彼を見返して、アリューゼは不意に、腹の底から笑い出した。

 虚しく響く、笑い声で。

 

 ――そう言えば、この青年は。

 

 自分が、酷く馬鹿げたことをしていると思い出した。

 馬鹿げてはいるが――後悔はない。

 アリューゼはひとしきり笑ったあと、アレンに向き直ると、静かな眼差し向けてくる青年を見据えた。

 

「まさか、こんな所でもう一度会うとはな。一体、どういうつもりで追ってきやがった?」

 

「……訊きたいことがある。貴方が、あの魔物を殺すことを躊躇(ちゅうちょ)した理由。――今は復讐鬼の顔で剣をふるう、その理由」

 

 復讐鬼。

 きっぱりと言い放つアレンに、アリューゼは苦笑を洩らした。

 

「……別に。こうするのが一番手っ取り早いってだけのことだ。まあ、お前に話したところでどうにもならねぇよ」

 

 ロンベルトを殺した、この状況では。

 すべてが終わった、いまでは。

 アリューゼは乾いた溜息を吐くと、背後に浮かぶ戦乙女を挑戦的に見上げて、言った。

 

「俺を迎えにきたんだろ、死神?」

 

「無礼者! 一度ならず二度までも! 戦乙女は死神ではない! そのような物言い、万死に値するぞ!」

 

「ア、アンジェラ……?」

 

 思わずつぶやいた。異形と化し、凄惨な末路を歩むことを強いられた、気高い王女は戦乙女の隣で幽体となって空間にただよっていたのだ。

 

「へっ? し、知っておったのか?」

 

 ジェラードが意外そうに目を丸めて、ばたばたと両手を動かしている。その様子は、あまりにも【アンジェラ】として自分の前に現れたときと同じで――、

 

「フフ……。そうか、お前も無事だったんだな」

 

 アリューゼは久しぶりに見るその変わらぬ姿に、知らずと安堵の笑みをこぼしていた。

 

「一つだけ訊きたい」

 

 アリューゼはレナスに向かって、言った。

 

「お前は死神とどこが違う」

 

「……死神は、お前に終焉(しゅうえん)しかもたらさない」

 

 レナスは言った。

 

「だが、私はお前に道を作ってやることができる」

 

「道?」

 

「そうだ。だから、自らの足で歩くがよいだろう」

 

 道――か。

 自嘲的な笑みを浮かべて、アリューゼはつぶやいた。

 

 

 

 

 途端。

 アリューゼの気配が変わったことに気付いてか、アレンが目を見開き、引き止めるように腕を伸ばした。

 

「待て!」

 

(いつかと、まったく逆だな……)

 

 アリューゼは失笑して、溜息とも取れる笑みをアレンに返した。

 

「お前とは、もう少し早く会ってみたかったぜ」

 

 折れた剣を投げ捨て、アリューゼがつぶやく。アレンは首を横にふった。ゆったりと悟ったようなアリューゼの表情に、彼がなにをするのか察したのかもしれない。

 

「……人は、死ぬために生きるんじゃない!」

 

「未練はねぇ。……もう決着(ケリ)はつけたからな」

 

 決意は固まっていた。

 言い切るアリューゼに、アレンの瞳が力を帯びる。まるで自分が死ぬ覚悟を決めたかのように、最早、アレンがなにを言ってもどうしようもないほどの次元で、アリューゼが覚悟を決めたことを認識したように。

 だが、その前に――。

 

「俺はアリューゼだ。……お前、名は?」

 

 奇妙な縁で出会ったアレンに問うと、彼は静かに拳を握った。

 

「……アレン・ガード」

 

「アレン、か。……覚えとく」

 

 アリューゼは口許に好戦的な笑みを浮かべると、腰に挿した短剣に手をかけた。

 

「アリューゼ!」

 

「親父さん……」

 

 短剣を胸の前にかざしたところで、ロンベルトの部屋にアルトリア騎士団長が駆けこんできた。

 部屋に積み重なった、数十の死体に騎士団長は顔色を失う。

 そして――、

 

「アリューゼ。私にも剣を向けるのか?」

 

 緊張した面持ちで問うアルトリア騎士団長に、アリューゼは静かに、穏やかに微笑(わら)った。

 

 どうせこの世に未練など、

 ――ない。

 

 アレンは噛み締めるように、拳を握り締めた。アリューゼの握る短剣が、分厚い胸板を突き破る。

 そして、

 倒れることもなく、両膝をついたアリューゼの亡骸は、白い羽が舞い落ちるとともに突如炎に包まれ、燃え上がった――。

 

 

 

 ――いまに思えば、奴と出会ったのは【縁】だったのだろう。

 

 神に(あだ)なすその男は、二メートル強の剛刀を背に担いでいる。

 ――陰惨(いんさん)とした地上には疎遠の、強き意志を宿した蒼瞳。

 俺が唯一、この世に残した未練とも言うべき相手。

 

 アレン・ガード。

 

 奴は俺の死に際に、まるで自分が自決するかのような顔でそう名乗った――。

 

 

 

 

「アリューゼさんが? なにかの間違いですよ! もう一度調べ直して下さい!」

 

 アルトリア城の廊下に、青年の声が響く。

 コツコツと軍靴が床を叩き、止まる。と、アルトリア軍近衛騎士団長の父は、無表情に息子をふり返った。『王立騎士団長』の名に相応しく、父は厳格な男だ。歳は五十前半。明るく映える金髪に、気難しそうな凛とした彫り深い面立ち。蓄えた鬚は几帳面に整っており、ギリシャ神話の男神を思わせる精悍な男だった。

 絹で出来た上等なマントを翻し、父は息子に向きなおると頭をふる。

 

「ジェラード王女、ロンベルト殿、そして兵士三十数名の死者。……事態は明白だ」

 

「父さん!」

 

 珍しく息子が食い下がった。普段は聞き分けの良い息子――ロウファの思いに比例して、彼が着ている銀の甲冑がカシャリと鳴った。

 

 無理もない。

 

 このロウファは、アルトリア最強と謳われた傭兵アリューゼを、誰よりも慕っていたのだから。

 父の凛々しさに反して、ロウファは中性的な美青年だった。銀の甲冑に流れる細い金髪。青の瞳。女性のように線の細い面立ちが、今は怒りできゅっと引きしめられている。

 父は溜息を吐いた。

 

「わかってくれ」

 

 去り際に、ロウファの肩を叩く。会話を終えるときの、父の癖だ。

 いつも一方的で、それ以上の質問は許さない。

 ロウファは唇を噛んだ。俯く。

 槍を握る自分の手が震えた。自分の無力が、無知が、歯痒い。

 

(アリューゼさん……)

 

 胸中(こころ)の声が、力なく零れていく。

 まるで暗闇で灯火を失った幼子ように、ロウファの胸には、ぽっかりと穴が開いていた。

 

 

 ――三日前。

 

「ここに、男性が駆け込んでこなかったか!? 左目に刀傷のある、長身の男性だ!」

 

 ロウファが昼の稽古を終えて門前を過ぎると、西門の門番に、血相を変えてひとりの青年が詰め寄っていた。

 歳はロウファと同じ二十前後。ロウファより色素の薄い金髪と、蒼色の瞳が印象的だ。カーキ色のジャケットに黒のTシャツ、白のズボンという――鎧が剣士の標準装備であるアルトリアでは、珍しい姿の青年だった。彼は背に、二メートル強の白い大きな筒を抱えていた。

 

(左目に刀傷のある、長身の男性……?)

 

 突然現れた青年の言葉に、ロウファはぴたりと足を止めた。

 

 左目に刀傷――

 

 アリューゼの特徴だ。

 ロウファはハッと目を剥いた。

 

「ちょ、ちょっと君! それってもしかして、アリューゼさんの――」

 

「頼む! 通してくれ! 急がないと、手遅れになる!」

 

 ロウファに心当たりがあると見るや、青年は門番を押しのけて城に割り込もうとした。慌てて、門番とロウファが、青年を押しとめる。

 

「ちょっと待ってくれ! その前に事情を――」

 

 ロウファが問うと、青年はなにかに気付いたように、は、と瞬きを落とした。

 

「……悲鳴」

 

 そう、確かに彼は言った。

 ロウファは怪訝に思いながらも、青年に倣って耳を澄ましてみる。

 途端、青年は二人の意識が別を向いたと見るや、脇を押さえていた門番を肘鉄で黙らせ、城中に駆け出した。

 

「こ、こらっ!」

 

 慌てて、ロウファがあとを追う。

 だが青年はすでに、十数メートル前を駆けていた。

 多くの兵が倒れた、血みどろの廊下を無言で駆け抜けて――……。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 ロウファがハッと顔を上げると、部屋の蝋燭が、ゆらゆらと自分を照らしていた。

 今日は槍の稽古にも身が入らない。そう思って、自室の本を読み漁っていたときのことだ。

 いつの間にか、うたた寝したらしい。アリューゼが事件を起こして以来、ロウファは眠れない夜が続いている。部屋に灯した蝋燭を見やると、半分くらいの高さにすり減っていた。

 つまり、深夜だ。

 蝋燭の揺れる火を見据え、ロウファは右手で額にかかった金髪を、くしゃりと掻きあげた。

 

「……どうして、忘れていたんだ……」

 

 アリューゼの死。

 そのショックがあまりに大きすぎて、一部記憶が欠落したのかもしれない。――それから、思考も。

 ロウファは慌てて机から立ち上がると、愛用の槍斧を手に、地下牢に向かった。

 

 

 

 アルトリア最強の傭兵が、大臣ロンベルトを殺害し、自害してから三日。

 アルトリア城最奥の地下牢に、ひとりの青年が投獄されていた。表向きは不審者として、実際はアリューゼとの共犯容疑で。

 アリューゼが凶行に及んだあの日、青年はその場にいた。アルトリア城内の関係者でないにも関わらず。

 

 青年は、アルトリア人らしい金髪碧眼だった。――碧眼、と称するには少し濃い蒼色。美青年というわけではないが、知的な鋭い双眸が、勤勉なヴィルノア人を思わせる。服装は、奇妙なデザインのジャケットと黒のTシャツ、白のズボンというラフな格好だ。

 名は、アレンといった。

 投獄されたアレンは手錠と足枷で動きを封じられ、背に担いでいた二メートル強の白筒――相棒の剛刀を六人がかりで兵士に取り上げられている。

 

「……」

 

 そんな地下牢の一室にて、アレンは三日前の出来事を思案する。

 レーテ街道で起きた惨劇を。――そこから、アルトリア城まで兵士を斬り殺しながら大臣のもとまで進んで行ったアリューゼの真意を。

 あの街道には、アレンが見たことのない魔物が現れた。

 

 アリューゼがかたくなに殺すことを拒んだ魔物。

 その魔物を倒した、天使。

 そして、アリューゼが血相を変えて城に殴りこみ、殺したロンベルトという男。

 

 三日前の出来事で、気がかりな点はその三つだ。

 ロンベルトについては、アレンは知らない。だが、この三日間の尋問で『ロンベルトが、アルトリアの大臣である』とは把握できた。

 

 一介の傭兵がなぜ、国の大臣を殺す決意を固めたのか――。

 それも自らの命を投げ売ってまで。

 

(街道に現れた魔物の周りには、この国の騎士団の死体が山ほどあった。あの魔物と、(アリューゼ)の関係。それが彼の死因を解く鍵だ。――恐らくは)

 

 アレンにある材料は、それだけ。

 あの魔物と相対したとき、アリューゼは憔悴(しょうすい)し切っていた。街中にいたときは、あれほど好戦的な、ぎらついた目をしていたのに。

 それが、アレンには引っかかっていた。

 

(……まさか……、あの魔物は人……だったのか? ……魔物と戦った場所の近くに落ちていた小瓶。小型解析器(スキャナー)では【グール・パウダー】と出ていたが……)

 

 グール・パウダー。

 スキャナーが分析した成分表を見ても、アレンの知る物質は一つとして出てこなかった()()()()()粉だ。

 仮説は出来ていたが、確かめる術が今はない。

 

(脱獄は簡単だ。だが、ルシオとプラチナの消息をつかむまであまり無茶もできない)

 

 牢には照明がなく、天窓から入る月明かりだけが頼りだった。アレンは鎮座して闇をじっと見つめている。

 投獄されてから今日まで、食事を与えられていなかった。

 

 ……かつん、かつん、

 

 また、足音が近づいてくる。

 

(尋問か……)

 

 薄く瞼を開け、彼は足音に意識を向けた。

 常人ならば、アリューゼと共犯でなくとも三度は自供してしまいそうな拷問。その中でも、アレンは正気だった。

 こうしてこちらの眠りを妨げるように、あるいは思い出したように、彼らが現れるのは珍しくない。だからアレンは、いつもそうしているように毅然(きぜん)と尋問官を見据えた。

 

「何度言われても同じだ。俺を疑うなら、まずはこちらが要求した捜査を行ってもらおうか」

 

 あの魔物が現れた、現場の捜査を。

 しっかりした語調で言うと、足音が止まった。

 尋問官が光を差し向けてくる。まぶしさで、目を固く閉じた。

 

「要求?」

 

 口が酸っぱくなるほど繰り返した言葉に、相手が不思議そうな声を返してきた。

 アレンは顔を上げる。この三日間。尋問官は五人やってきたが、そのどれでもない。

 若い男だった。

 

(新しい尋問官か?)

 

 それとも処刑人か。

 アレンは目を細めると、若干の警戒を交えて相手を睨んだ。こちらの言い分をまるで歯牙にかけない対応は、もう身に染みついている。だが、初めてアレンの下に現れた青年は、これまでの尋問官とは明らかに態度が違った。

 傷だらけのアレンを見るなり目を(みは)ったのだ。

 

「誰がこんなことをっ!?」

 

 慌てて駆け寄ってくる。アレンは首を傾げ、奇異なものを見るように青年をしげしげと観察した。

 

「君は……?」

 

「僕はロウファと言います。あの日、アリューゼさんが事件を起こしたときに。僕は貴方にお会いしましたね?」

 

 ロウファに問われ、アレンはまたたいた。ロウファの顔を、もっとよく見る。すると、今までの尋問官たちとは真剣味が違った。

 ロウファの真摯(しんし)な眼差しがアレンに向けられている。

 

「なるほど。ようやく、俺にもツキが回ってきたということか」

 

 アレンはわずかに口許をゆるめると、少し、安堵したように言った。

 

「聞かせてもらえますか? 貴方の事情を」

 

「ああ」

 

 つぶやく彼に、ロウファは表情を引き締めた。アレンは順を追って、あの日の状況を説明する。ちらりと番兵の詰め所を一瞥(いちべつ)して。

 

「これは、あそこの兵士たちにも話したことだが……。ことの始まりは、恐らくあの街道。俺は三日前、アルトリアの城下町で騎兵が慌ただしく走っていくのを見て、ヴィルノアに続く裏街道――レーテ街道と言うらしいな。そこに辿り着いた」

 

「レーテ街道、ですか……」

 

「ああ。そこで魔物に襲われているアリューゼと出遭ったんだ。いつもと違って、気配が死んでいた。彼は地面に座り込んで、魔物が襲いかかってくるのを茫然(ぼうぜん)と見ていたんだ」

 

「アリューゼさんが敵を前に? ……失礼ですが、貴方は以前からアリューゼさんとはお知り合いで?」

 

 アレンは首を横にふった。

 

「いや。その前日――今から四日前だな。倭国料理店で、アリューゼが女の子と食事しているときに知り合った」

 

「女の子?」

 

「その子についてはよく知らない。ただ、アリューゼと親しそうな女の子だった。すごく目立つ、青いリボンの帽子をかぶっていたんだが……」

 

 該当する人物に、ロウファは思い当たらなかった。首をひねるロウファがよほど要を得ない顔をしたからか、アレンは話を本題に戻した。

 

「君の言いたいことは分かる。俺も、これでも剣士だ。アリューゼが敵を前に戦意喪失するような男だとは思わない。まして魔物の攻撃に反応出来なかったわけでもないだろう。だから――。恐らく、彼はなんらかの事情があって、あの魔物をかばっていたんじゃないかと思う」

 

「魔物をかばう? ……あのアリューゼさんが、ですか?」

 

「ああ。彼はなにか――ひどく絶望しているようだった。妙な気配を放ちながらも、彼はどうにか魔物を倒しはしたが――それ以上なにも言わず、幽鬼のようにその場を立ち去っていったんだ」

 

 ロウファを見上げた。

 戦乙女のことは語らない。あれが【この世】のものでないと、アレン自身が肌で感じたからだ。蝋燭に照らされたロウファの顔は、得てして表情がない。

 アレンは話を続けた。

 

「あとは君も知っての通り。アリューゼはこの城のロンベルトという大臣を殺して、自決した」

 

「……」

 

 ロウファが黙った。アレンの言葉が全て真実とは思わない。だが、ウソを吐いているようにも見えなかった。

 問題は、どの程度この話に真実が含まれているのか、ということだ。

 アレンが、まっすぐにロウファを見据えて言った。

 

「頼む。一度……俺があのときいた、レーテ街道を調べてくれないか?」

 

「それが、貴方の希望する捜査、ということですか?」

 

「ああ。あのとき、どうしてアリューゼが魔物をかばおうとしたのか――。それが分かれば、ことの真理が見えてくると思うんだ」

 

「…………」

 

「それに、あそこにはアルトリア騎兵の死体もある」

 

「えッ!?」

 

 ロウファは息を呑んだ。アレンの無表情が、蝋燭に照らされている。

 

「魔物に殺された兵士だ。全員で八人にいる」

 

「アルトリア騎兵が、殺された?」

 

 アレンがうなずいた。

 

「傷口からして間違いない。まだ、この城に戻っていない部隊があるはずだ。少なくとも、彼らは君と同じ甲冑を着ていた」

 

「……!」

 

 ロウファは鳥肌が立つのが分かった。王の勅命を受けて城を出た部隊といえば、王女捜索隊だ。まだ捜査が難航しているのだろうと思っていたが、この男の話が本当なら、彼らはすでに――。

 ごくりと唾を呑みこんだ。

 ロウファの気配が変わる。緊張に満ちた彼の顔を見つめて、アレンは神妙な面持ちのまま続けた。

 

「ところで、グール・パウダーというのを知っているか?」

 

「グール・パウダー?」

 

 耳慣れない言葉に、ロウファが首を傾げた。柵の向こうでアレンが、眉根をひそめる。

 

「この辺りで使われている品物だと思うんだが。……用途は俺も知らない。だが、兵士の死体のなかに、それらしきものを握っている者がいた。これくらいの小瓶だ」

 

 アレンが親指と人差し指の間隔で小瓶の大きさを説明する。五センチくらいの大きさだった。

 

「装備からして、部隊長と思われる。魔物が目の前に居たというのに、彼は剣ではなくその瓶を握っていた。自分が命の危機にさらされていたのに」

 

「……」

 

 ロウファが押し黙った。彼の言いたいことは分かる。騎士として、敵前で剣を握らず、瓶を握っていた理由――。

 それは部隊長が剣を抜く前に殺されたということだ。

 

「でも――どうして貴方は、用途が分からない物を【グールパウダー】だと断定できるんです?」

 

 ロウファが問うと、アレンが、ぅ、と息を呑んだ。

 

「それは……」

 

「それは?」

 

「……以前に、同じような物を見たことがあるんだ。知り合いに、そう言ったことに詳しい人物がいて」

 

「なら、その人に【グールパウダー】のことを聞けば、分かると?」

 

「ああ……。だが、その人はもう――」

 

 視線を伏せるアレンを見据え、ロウファが目を細めた。

 数秒。

 ロウファは真剣な表情のままうなずくと、颯爽(さっそう)と立ち上がった。

 

「まあ、いいでしょう。とりあえず――いまは貴方を、信じてみます」

 

 アレンに対する疑念がないと言えば嘘になるが、調べてみろと言われたなら、調べるだけだ。

 目で答えてくるロウファに、アレンは顔をあげ、小さくうなずいた。

 

 

 

 城下に降りたロウファは、場末の酒場に向かった。

 城の正規兵――ロウファのまとう白銀の甲冑は、うらびれたこの場所にはあまり似つかわしくない。高貴な生まれと一目で分かるロウファは、明らかに酒場で浮いていたのだ。だがそれもいつものこととなれば、気にする者はいない。酒場に集まった客はロウファに一瞥(いちべつ)くれることもなく、テーブルを囲った面々と他愛もない会話を続けている。

 そんな酒場の奥に、テーブルを囲う冒険者の二人組がいた。

 

「で。そいつは信用しても大丈夫なのか?」

 

 疑り深く訊いてきたのは、冒険者のうちのひとり、青みがかった黒髪を一つにまとめた青年だ。年はロウファと変わらない。だが、こちらはいかにもみすぼらしい青銅の鎧を着た青年だった。

 名を、カシェルという。

 ロウファは逡巡のあと、うなずいた。

 

「少なくとも、調べてみる価値はあると思います。話の筋は通ってますから」

 

「でも、囚人なんでしょう?」

 

 眉根をひそめて、もうひとりの冒険者、セリアは声を落とした。

 こちらは女性で、長い茶髪を藍のリボンでまとめ、白とピンクの鎧をセンスよく着こなしている。だがカシェルと同じく、庶民臭い雰囲気の女性だ。

 

「……」

 

「セリア」

 

 黙すロウファに、カシェルがなだめるようにセリアを制した。

 囚人。

 それは、今は亡きアリューゼのことをも意味する。

 

「ごめんなさい」

 

 失言だったと気付いて、セリアが謝った。ロウファは空気が悪くならないように、いえ、とだけ答えて微笑う。

 カシェルが、酒場のテーブルから勢いよく立ちあがった。

 

「じゃ。行ってみるか! その【魔物】とやらが出たって街道に」

 

 言って、カシェルはパンッと拳を打ちつけるなり、頭の後ろで腕を組んだ。ロウファもうなずいて立ち上がる。肩越しに、ロウファは酒場の外を示した。

 

「行きましょう。外に馬を連れています」

 

 酒場を出た三人は、ヴィルノアに続く街道、レーテ街道へと向かった。

 

 

 

 アルトリア城下の宿。

 そう広くない一室に部屋を取ったロジャーたちは、地獄のような腹痛を堪えしのぎ、ようやくベッドの上に座り込むことが出来るようになった。

 ――なのに。

 

「遅い……、遅すぎるじゃんよ!」

 

 胃薬を買いに行ったアレンが、未だ帰ってこない。

 腹痛で動けなかったときは深く考えなかったが、峠を越え、腹の虫もようやく治まり始めたところで、ロジャーはいらいらと自分の膝を叩いた。

 もう三日だ。

 待つにも限度がある。

 

「道草食ってるにしても、腹痛で苦しんでるイタイケなオイラを三日も放置するなんて、フェイト兄ちゃんたちならともかく、アレン兄ちゃんらしくないじゃんよ! ……なにかあったのかぁ?」

 

 いかにも深刻そうな顔を作って、顎に手をやるロジャー。その彼に、失笑にも似た溜息が返ってきた。

 んぁ? と首を傾げながら、ロジャーが視線を巡らせる。

 悪友のルシオが部屋に置いてあるティー・ポットからお茶を注いだあと、いかにも優雅に飲み干して、やれやれと肩をすくめていた。

 

「アレンさんに限って、んなコトあるかよ。それに、あったにしても心配ないだろ? アレンさんに敵う奴なんているワケねぇもん」

 

「いるじゃん!」

 

「あ?」

 

 首を傾げてルシオが覗き込むと、神妙な顔でうつむいたロジャーが顔を上げた。

 

「【ガキと困ってる民間人】。アルフ兄ちゃんが言ってたぜ!」

 

「なっ!? ……バッキャロ! まさかアレンさんが、腹痛の俺たちを置いて……」

 

「いや、分かんねぇぜ。なにせアレン兄ちゃんのお人よしは並じゃねぇからな! きっと、またなにか仕出かしてんじゃ……」

 

 むむむ、とうなるロジャーに感化されてか、深刻そうな面持ちで押し黙ったルシオが拳を握る。

 胃薬を買いに行った、その間に――。

 

「…………やっぱ、違ぇぜ!」

 

 ルシオは感嘆したようにつぶやいた。

 たったそれだけの間で【真の男】たる人助けを怠らない。

 そんなアレンを勝手に想像し、ルシオはこくりとうなずいた。あわててカップを置き、愛用のカーキ色の頭巾を引っ被る。頭巾――否、【バンダナ】と称すのが、ルシオのこだわりだ。

 

「お? どした、アホネコ?」

 

 間抜けな顔でこちらを見る狸少年に、バンダナを鏡の前できっちりと被ったルシオは、まったく視線を向けず、よし、とつぶやいてきびすを返した。

 

「決まってんだろ。アレンさんの手伝いだよ、手伝い。お前はここで大人しくゴロゴロしてろ、バカダヌキ」

 

「お? 手伝いだ? なにしでかす気だよ、アホネコ♪」

 

「ちょっ……! ついてくんなよ!」

 

「へんっ! オイラの行き先がこっちなだけだぃ! 絡むなよ、アホネコ!」

 

「んだとぉ!」

 

 ぎゃいぎゃいと騒がしく騒ぎ立てながら、二人は宿を出る。そんな彼等が揃って迷子になったのは――、間もなくのことだった。

 

 

 

 レーテ街道を行くと、不意にロウファの愛馬が大きく嘶いた。

 

「どうしたんだ!?」

 

「ぅわっ!」

 

 直立する馬にカシェルが悲鳴を上げる。ロウファは手綱を引いて愛馬を宥めてやったが、驚きを隠せなかった。この馬は軍馬でも特に気性が大人しい。こんな風に興奮するのは、珍しいことだ。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 ロウファとカシェルの後方をついてきていたセリアが、馬を止めて尋ねてくる。

 カシェルは暴れる馬の手綱を引いてどうにか踏み止まらせると、カラ元気で笑ったあと、うなずいた。

 

「ん、まあ……なんとか」

 

「……おかしいですね」

 

 そんなカシェルを尻目に、ロウファは首を傾げた。馬が一歩も進みたがらない。戦場でも、勇敢に野を駆ける軍馬が。

 

「しょうがねぇ。こっからは歩いて行こうぜ」

 

 蹴っても叩いても、まったく反応しない軍馬にため息を吐いて、カシェルは颯爽と馬から降りた。

 なんの変哲もない山道。今のところ、囚人の青年が言ったような魔物も、城の兵士の死体も見当たらない。

 

「そうですね」

 

 カシェルにならってロウファも馬から降りる。草を踏みしめると、爽やかな風が街道を吹き抜けた。

 ――が。

 馬が怯えた目で見ていた方角にロウファたちが歩き出すと、木々を抜けた所で異臭がたちこめてきた。眉をひそめて先を行くと、まるで地獄絵図のような醜い光景が広がっていく。

 ひしゃげた荷車が街道を横断し、その周りに寄り添うように兵士たちの死体がごろごろと転がっていたのだ。

 

「……ひどい」

 

 思わずつぶやいたセリアは、自分の呼吸器官を守るように口許を庇った。あまりの光景に、顔がしかめられる。

 

 無残に朽ち果てた騎士団の遺体――。

 

 囚人の青年――アレンが話した通りだった。

 彼が【魔物】と称した異形の骸はなかったが。

 

「……」

 

 見知った人の遺体を越えて、ロウファは無言のまま、ひしゃげた荷車に歩み寄った。甲冑の種類が違う兵――部隊長の死体だ。

 

「これが、」

 

 真っ白になった部隊長の手に、小瓶が握られていた。栓は開けられている。中身ももうないが、瓶の壁には少しだけ中身が付着していた。

 

「セリアさん!」

 

 腰を上げ、痛ましい表情で兵士の死体を見やっているセリアを呼ぶ。すると、セリアはこちらに視線を向け、「なに?」と首を傾げた。

 ロウファが小瓶を持って、駆け寄る。

 

「これが、彼が言っていた小瓶のようです。――分かりますか?」

 

 ――グール・パウダーかどうか。

 そう続く言葉を暗に伏せて、ロウファは真剣な表情でセリアを見つめる。

 人間を、魔物に変える薬。

 魔法剣士のセリアは、【グール・パウダー】をそのように説明した。

 ロウファにとってはにわかに信じがたい話だが、この瓶が本当にグール・パウダーなら、【魔物】が現れたというのは事実になる。

 まだ、アリューゼがなぜその魔物と戦おうとしなかったのかは分らないが――。

 

(というより、アリューゼさんに限って敵を前に剣を置くなんて……)

 

 アレンが話した内容で、ロウファが一番納得のいかない所だ。だがそれゆえに、アリューゼの真意と深くつながっているような気もする。

 自害など、普段のアリューゼを考えればあり得ない。

 父を斬らないためとはいえ――。

 

(だから僕は……、知らなければならない)

 

 アリューゼの真意を、無念を晴らすために。

 考え込むように小瓶を見つめていたセリアが、顔を上げた。

 

「……だめ。こんなに少ないんじゃ、グール・パウダーかどうかなんて、確認のしようがないわ」

 

「そうですか……」

 

 平静を装って返事したつもりが、溜息が混ざった。

 セリアが申し訳なさそうにこちらを見る。ロウファは場を誤魔化すように微笑(わら)った。

 カシェルが兵士の死体を(あらた)めながらつぶやいた。

 

「でもよ。この死体、確かに人の手によるものじゃねぇぜ。傷口見てみろよ。これ、少なくとも剣の痕じゃない。――なにかに引きちぎられたみたいだ」

 

「……」

 

「それって。兵士が殺されたのは、【魔物】の仕業かも知れないってこと?」

 

 セリアが問う。カシェルは死体の前に膝を折ったまま、うなずいた。

 

「ただの獣に正規部隊を全滅させられるほど、アルトリア騎兵だって腑抜けじゃないだろ。ってことは……」

 

 言葉を切ったカシェルが、ゆっくりとロウファを見る。顔色を窺うように。

 ロウファは考え込むように目を閉じた。

 

「……至急、城に戻って応援を呼びましょう。少なくとも、彼らをここに放っておくわけにはいきません」

 

 目を開けて、カシェルを見る。いつになく難しい顔のカシェルがいた。お調子者としての性格が強い彼だが、決して愚かではない。それを、ロウファは知っている。

 

「だな」

 

 だから、明言を避けたロウファに対して、カシェルがニッと笑ってくれたのは、ロウファにとって救いだった。

 ロウファはカシェルを見据えて、言った。

 

「それから、僕はもう一度。彼に会ってみようと思います。――地下牢の彼に」

 

 つぶやいたロウファに、カシェルも神妙にうなずいた。

 

 

 カシャンと音を立てて、隣の牢が開けられた。

 

「大人しく入ってろ! 逆賊が!」

 

 兵士の罵倒する声と、たたらを踏む靴音が重なった。

 兵士の言葉で、アリューゼの身内、と察した囚人の青年――アレンは、隣の牢に寄るなり、そっと耳をそばだてた。

 かつかつと軍靴を鳴らして、番兵が牢を去っていく。

 

「痛たたた……っ」

 

 隣の牢に残された囚人の声は、聞き覚えのない男だった。倭国料理店で会った、あの少女とは違う。

 アレンは隣の牢に向かって問いかけた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……!」

 

 ふと、隣の牢で息を呑むような気配が上がった。

 まさか、こんな所で声をかけられるとは思わなかったらしい。戸惑っている様子が伝わってきた。

 アレンはわずかに、語調だけを落とした。

 

「アリューゼさんに近しい方、とお見受けしますが?」

 

 途端。隣の牢に入れられた男が、はっきりと息を呑んだ。

 

「き、君はっ……!?」

 

「彼の知り合いです。彼が自害したその場に、居合わせました」

 

「ロンベルト様と王女様を殺した、兄さんの仲間……ってこと?」

 

「……王、女?」

 

 隣牢の囚人――ロイの質問に、アレンはハッと息を呑んだ。

 もしや、あの魔物は――。

 アレンは慎重に仮説を整理した。

 

「あのっ、彼女は元気ですか? 白い帽子に、青いリボンをつけた、貴族風のご令嬢です」

 

 事情は良く分からないが、アリューゼと少女が、アレンには親しい仲のように見えた。

 血生臭い傭兵の男と、いかにも貴族風の少女。

 組合せとしては、あまりにも脈絡のない二人に、一種、物珍しさを感じていたのだが。

 

「……ジェラード王女のこと?」

 

 ロイが声をひそめた瞬間。

 アレンの中で、仮説は真理として繋がった。

 では――、

 グール・パウダーとは。

 

「…………」

 

 視線を下げ、アレンは息を呑んだ。

 あの日出遭った、魔物のことを思い出す。

 アリューゼの憔悴し切った顔を。

 

 魔物を斬るなと訴えた、彼の悲痛な叫びを。

 

 

 当然だ。

 あれは――、あの悪魔は、王女だったのだから。

 あのとき、倭国料理店で仲良くアリューゼと話していた彼女が、あの姿に……。

 

(そして――、その犯人がロンベルト。そう言いたかったのか。貴方は)

 

 自殺したアリューゼを思い出しながら、アレンは、ぐ、と奥歯を噛み締めた。

 なにもかもが後手。

 それが、どうしようもない現実だと分かっていても。

 

「あの……?」

 

 黙りこむアレンを不思議に思ってか、ロイが尋ねてきた。

 思考を解いたアレンが、顔を上げる。

 まだ、問題は残っている。

 

 ――未練はねぇ。……もう、決着(ケリ)はつけたからな。

 

 最期、アリューゼが死ぬ間際に、アレンにかけた言葉だ。

 『死ぬな』と伝えた、自分に対するアリューゼの解答。その剣一本で、自らの復讐を遂げたアリューゼの顔を思い出しながら。

 

(貴方は良くても、まだ……終わってはいない、か)

 

 アレンは苦笑気味に、力ない笑みを浮かべた。フッと息を吐く。

 これがアレンに出来る、唯一の手向けだ。

 誇り高い死を選んだ彼への。

 結論付けると、アレンは蒼瞳を開いた。

 

「自分は、アレン・ガードという者です。貴方のお名前は?」

 

 問いかけるアレンに、ロイの不思議そうに首を傾げながらも、答えた。


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