食道楽の『黄の節制』 作:ケツ*
いつものようにラバーソウルはログハウスから出ると、井戸から桶に水を汲みだして顔を洗う。ハンサムの維持には洗顔は欠かせない。じっくりと時間をかけて洗うと深海の泥から作られたパックを塗り、水桶を手に歩き出す。向かう先には五十メートル以上の大木が夏の厳しい朝日を遮って涼し気な木漏れ日をつくりだしていた。
巨大な幹に寄りかかって座ると新鮮で爽やかな緑の香りだけでない――香ばしく芳醇な匂いに包まれる。この大木は珈琲ミル木~と呼ばれる木で梢近くになる豆が天日によって長い時間をかけて炒られ、幹の途中にいくつかある天を向いた洞の中に豆が落ちて溜まるようになっている。そこに注ぎ込まれた自然の雨水によってゆっくりゆっくりと出来た水出し珈琲。木が大きければ大きい程溜まる豆も多く、一番下の注ぎ口までの距離があるので抽出するまで時間はかかるがその分濃く味わい深い珈琲が飲める。
普通の珈琲より舌触りが柔らかい。口内で転がすと幾重にも折り重ねられたビロードのように香りが何十もの層になって構成されていることを実感する。喉越しは爽やかで、若干口に残った珈琲の苦みとコクが緩やかにラバーソウルの意識を覚醒させた。
今度はポットに移して温めることに。幸い時間はたっぷりある。パックが渇くのにも時間がかかりそうだ。この木に寄りかかって、近くの池に水浴びにしにくる小鳥たちを眺めるそんな一時。それはラバーソウルにとってもそれほど嫌な時間ではない。
しばらくすると鼻先に香ばしい豆の香りが漂ってきた。あまり火を入れ過ぎて繊細な香りが飛んでしまっては台無しだ。早々に火から離すとマグカップにゆっくりと注ぐ。木々の切れ間から差し込む太陽の光にも似た輝きを纏って琥珀色の液体がポットの先から滴り落ちてゆく。カップの底に跳ねて香りが一気に広がった。覗きこみながら注いでいるラバーソウルの髪の毛がその香りの風に揺らぐほど圧倒的で高貴な香り。自然とその香りを嗅ぐために鼻の穴の大きさが一回り程膨らんでしまっていることにも気づかないで、全ての珈琲を注ぎ終わる。
一口。二口。
これほどの香りではさぞ味も濃いかと思われたが、飲み心地はスッキリとしている。それでいて鼻を抜ける珈琲の香りは芳醇で腰もある。何段かに別けて香りが変わってゆくのだ。
始めは柔らかく、それでいてしっかりと。
次は酸味と苦みの合わさった味に相応しいどこかフルーティな香り。
メインはコクのある味わいに合わせてどっしりと高貴で重みのあるビターな香りだ。
最後は鼻から僅かにさっぱりとしつつも豆の香ばしい空気が溢れる。出来の良いシガ―を吸い終えたかのような満足感に満たされた。
何度呑んでも飽きない味だ。穏やかな時間が流れるこのルーチンワークが血気盛んなラバーソウルを少なからず丸くさせた要因でもある。
顔に塗ったパックが渇いて端っこを日焼けの皮を剥がす時のように慎重に指先で引っ掛かりをつくる。そうして一度剥がれかけるとそのまま周囲を捲りこんで顔からパックを引きはがした。パックには毛根や皮脂の汚れが張り付いていてゾッとする。
こうした自然由来の美容品や食材が転がっているこの世界。美容品に関しては自然の癒しで病気や怪我の治療が有名な『ライフ』という国でそういった健康品や美容品が多くあると聞いているので一度行ってみたいとラバーソウルは思っていた。
そして食材に関してだが、現状ラバーソウルはある
ならば調理師免許をとってしまえばいい。その発想に至るのは酷く自然に思えた。
と簡単に考えてサニーに伝えてみたところあっさり諦めろと言われてしまった。サニー等四天王は一名を除き全員調理師免許を持っていて料理の基本は出来ている。教えてくれないのならせめて紹介だけでもしてもらおうと考えていたので面食らう。けち臭いこと言うなと早くもけんか腰で近づいたラバーソウルに、
「
「――それだッ! 前々からおれには小間使いが必要だと思ってたんだぜェ~~! わざわざ一から調理の勉強をするなんて面倒臭い真似する必要はねぇ! 今回ばかりはサニー、お前に感謝しといてやるよ」
「――おい、ちょ待て」
直ぐにラバーソウルはIGO(国際グルメ機構)の仲介施設に飛んだ。IGOは食の保存と発展の観点から食材を探し求める美食屋とその調理に携わるコックを出会い合わせる施設を用意している。要は結婚相談所のようなものだ。
理想のパートナーは結婚相手を探すよりも困難と言われている。
調理の技術、狩りの技術。それぞれが秀で過ぎると対等な関係は結べないだろうし、新鮮な素材でないと万全な調理が出来ない場合もある。そういう場合はコックにも最低限の自衛能力は求められるし、更に言えば美食屋も得物の鮮度を保ち無力化させるノッキングと呼ばれる技術も必要となる。グルメ細胞を取り入れた美食屋ならばその好みに合う食材を専門とするコックが必要だし、その逆もまた然りだ。食に拘りを持つ両者ならば妥協なんてのはもってのほか。
それらをクリアしたとしても人と人。互いの性格相性が胆だ。どんなに凄腕のコックであろうと、美食家であろうと長い付き合いのパートナーである以上お互いを悪しく思う関係ならば成長は見込めない。
日々最高のパートナーを求めてここ『グルメ仲介所』は日々十数万人が集うものの、パートナーが成立する可能性はそう高くない。データによると一年後にパートナーが続いている確率は1割に満たないという。サニーの紹介で手続きは簡素だったが、待合室で仲介人と出会う所までは面倒な書類選考やら待ち時間やらなんやらで半日近くを費やした。本来ならば事前登録で一か月以上前から準備が必要なので大分楽が出来ている。
それでもあまり気が長くないほうのラバーソウルにとっては随分退屈な時間だった。
仲介人は豊かな髭を蓄えて頭頂部に団子のように丸められた髪をしきりに気にしながら椅子に腰かける。急いで来たのだろう。スーツのワイシャツにたっぷりの汗を滲ませてハンカチで額を拭いながら向かい合った。
「いやお待たせしましたな」
「ああ。スゲー待った」
あまりに歯に衣着せぬ物言いに少し鼻白んだが、さすがは歴戦の仲介人。癖の強い美食家や料理人の対応には慣れている。直ぐに余裕を取り戻しにこやかな表情で取繕う。
「それは申し訳ございません。私、一級グルメ仲介人のゴメスと申します。以後お見知りおきを」
「オーケイオーケイ。あんたが大将だ。だからさっさと話を進めようぜ」
「……了解致しました。それでは早速ラバーソウル様の要望リストを確認しましょう」
上質な羊皮紙に写されたラバーソウルのリストをゴメスは片眼鏡で上から下まで目を通すと、
「これは……」
と小さく呟いた。どうも顔色が悪い。差し出された不味い珈琲を啜りながら足を組んで色好い返事を待ち望んでいるとしばらくして、
「少々……いやかなり難しいと言わざるを得ませんな」
「はぁっ!?」
予想していたのとは真逆の答えが返って来て額に皺が寄った。ラバーソウルにとってパートナーに求める最低限の条件だった故にショックを通り越して怒りの感情すら芽生える。それなりの納得のいく理由がないと納まりそうもなかった。
「順に確認していきましょう。まず第一に容姿が整っていて、若い女性、スタイルも良ければベスト――」
「――パートナーとして一緒にやっていく以上当然だろうが。常にむさ苦しい男と一緒なんてゴメンだね。俺のモチベーションに関わることだ」
「……それまでは特に問題はありません。問題はその後の『基本的に美食家の言葉には従順に従い、家事等の雑務に協力する』という文面です。我々はあくまでコックと美食家の仲介屋に過ぎません。それ以外の個人的な契約に関しては互いの交渉、あるいは別途家政婦を雇っていただくという形になりますがよろしいですか?」
「チッ、しょうがねぇなぁ」
「続いて最低限の自衛能力。平均捕獲レベル5程度の環境での生還が目安」
「俺は
捕獲レベルとはⅠGOが470年ほど前に定めた獲物を倒す難度を示したレベルのことで猟銃を持ったプロの狩人が10人がかりでやっと倒すことが出来るレベルが捕獲レベル1とされている。しかしこれは得物の純粋な戦闘能力だけでなくその環境や捕獲方法の難しさ、あるいは希少さを加味したものであって捕獲レベル10だからといってレベル1の十倍の強さというわけではないし、十倍美味いという訳でもない。細かく決まった条件で上下するので主に美食家が言う捕獲レベルにおいてはその戦闘能力のだいたいの目安として使われることが大きい。
『
「……ちなみにラバーソウル様の対処可能な捕獲レベルはどのぐらいでしょう?」
「相性にもよるが捕獲レベル15ぐらいかな」
「――それは素晴らしい!」
美食家にとってはそこそこのレベルだとラバーソウルも自負している。四天王と呼ばれるサニーはその倍の30ぐらいはいけるのだから内心気に喰わないが、レベル15でも女の黄色い声援を浴びるには問題ないぐらいだ。
てっきりグルメIDの確認を求められるかとも考えていたが杞憂で済んで良かった。美食家にとって食歴は公的な機関であるIGOですら開示したくはない。悪用しようと思えば貴重な食材の在処すらばれてしまいかねないので検査をラバーソウルはすっぽかしている。
ゴメスも特にラバーソウルの実力を疑っていないようだ。四天王のサニーの紹介なのでさもありなんと考えているのだろう。
「続けましょう、特殊調理食材の調理の経験がある者。そして……」
「……どうした?」
「……グルメ界へ挑戦する気概のある者」
グルメ界
今人類の大多数が居住しているこの大陸は実はこの星の一部分に過ぎない。グルメ界という人類不可侵の地に囲まれた僅かな安全圏。人類の開発する兵器がそこでは通じず、グルメ細胞を取り入れた美食家の中でも上位の四天王ですら現段階では一分と持たずに死んでしまうであろう地だ。そもそもの環境、住まう生物、自然法則ですら人間界の常識とはかけ離れていると聞く。
しかし、歴史上の幾多の人々がその地を求めて止まない。
食材が
はっきり言ってラバーソウル自体ですら現状では夢見事に過ぎない。しかしこのまま一端の美食家として終わる気も更々ないのも事実。
食の、未知の探求を諦めて停滞することを何よりもラバーソウルは嫌悪しているのだ。それはパートナーである料理人にも当然求められる必須事項だ。美食家や料理人は下手に実戦を経験している故にそういった途方もない野望も持たず人間界に閉じてしまっている人物も多い。それか実力も無いのに慢心して無謀でグルメ界へ突撃する自殺志願者ばかりだ。
「正直言ってこの手の要望は当初多く寄せられていました」
「……で?」
「……確かに在野にはそういった意欲を持つ実力者はいます。しかし自身の価値をその要望で意欲的に見せて高めようとした者が多くいた為、現在ではその要望を出すことが半分
少しばかり顎に手をやって何か考え込むように目を瞑った後、
「いや、これでいい」
と断言した。その目に迷いはない。
「お言葉ですが――」
「――お前の夢は何だ?」
「はっ? いったい何を?」
「――いいから。言ってみろ」
「……いつかここで私が引き合わせたパートナーが世界最高のパートナーとして認知されることです」
「おう。あんた見た目に依らず案外大胆な夢してんのな」
「……これはお恥ずかしい」
「――それ本心か?」
「えっ?」
「――恥ずかしいってとこだよっこの野郎がッ!」
胸倉を掴んでいきなり怒りを顕にしたラバーソウルにゴメスは動じて汗を垂れ流した。
「い、いえ今のは言葉のあやと云うか……礼儀の一種と云うか」
「だったら恥ずかしくないんだろうなっ!」
「――そっそれは勿論当然です! この仕事を始めて数十年唯一の生きがいなのですから!」
ゴメスの口からその言葉が出ると同時に解放された。何が何やら理解できないままでいる彼に比べてラバーソウルは先程まで本気で怒っていたとは思えない程に落ち着いている。
「偽るもんでも恥ずかしいもんでもねぇ。そうだろ?」
「……ええ。真におっしゃる通りかと。……私もいつの間にか夢から遠ざかっていたようです。ご期待に応えるよう最大限努力させていただきますよ」
ラバーソウルの要望はそれからも数十に及んだ。さすがのゴメスも一度答えた以上出来ないと伝えるには到底プライドが許さない。あらゆる資料を端から端までひっくり返して、使える伝手は全て使った。やっとのことで見つけた唯一の料理人は、流石にそこまでの要望を応えることが出来るほどの物件なので当然美食家に求める条件も厳しかった。
「……それでその料理人が求める食材を用意して、ようやく面接。尚そこまで行った僅か数人の美食家も面接で採用されることなく今まで残っているってことか」
「はい。かなり気難しいかたのようでして」
相応の実力者には良くあることだ。気難しいという表現で済んでいるのならばかなりマシなほうなのではないだろうか。ラバーソウルも大分待ち疲れていたので別の人材を改めて探して貰う手間さえも面倒臭かった。
「……これで不細工なら許さねぇ」
向かう先はサマンセット島のチェダー峡谷。普段は比較的温暖だが春先の今の時期ではブリザードやら、逆にかなりの高温で地面が燃えるように熱くなる温度差の激しい地となっている。しかし、逆にこの時期でなければ取れない貴重な食材も多くある。
目的の食材は自然に存在している液状のチェダーチーズ池に棲む魚だ。