さて、この半年もの間。去年に引き続き整形外科のお世話になる事象が生じてしまいました。なんと九月に六年抱えて来た腰の椎間板ヘルニアが突如肥大化し、神経を半分も押し潰して歩行困難になって手術する事に……。
それからは二週間程入院し退院したあと、三ヶ月もコルセット装着で安静にしなければならず。仕事はおろか、キャンプや登山すら不可という期間を過ごしモチベーションがみるみる萎えてしまったのです。
恐らく我が人生に於いて最大の休業期間を過ごしましたが、何も出来ない虚無な休みは苦痛オブ苦痛でした。
今でこそ、職場復帰してコルセット無しで活動出来るようになりましたが、コロナのせいで結局ボーイスカウトもソロキャンプも、何もできてません。セーブポイント不足で蒸発してしまいそうです()
私が漸く仕事を終えた頃には日も傾き初めていた。それにもう五月の後半と言うのに今日は何故か肌寒くて焚き火が恋しく思う。私がこうしてる間にも、一足も二足も先に本栖湖に向かった生徒達は晩の支度をし始めているだろう。
「思ったより遅くなってしまったわね……」
そう零して空を仰ぐ。すると、吸い込まれそうな蒼が天頂に広がっていた。
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懐古
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キャンプ場に着くと、テキパキと晩の支度をする生徒達の姿の他に、各務原さんと男性が何やら作業している光景を目にした。
一種ギョッとしたものの、その男性は丁寧に何かを教えている様だった。
車から降りて近付くと顔がより鮮明に見えた。その人は隻眼だ。そして、その声質は近頃の若い男性とは思えない程低く落ち着いた声質で、思わず惹かれてしまう。だけども、一人称が年寄り臭く『儂』或いは崩して『わしゃ』で、送り言葉が『のう』とか『じゃけぇ』と面白い喋り方をする。
美波はその人物に何処か心当たりがあった。十年前の朝霧高原で知り合った山口のスカウト、國守恭介にそっくりだと。しかし、確証はない……そこで美波は彼の左手を見る。彼ならば、人差し指の第二関節から先を喪っている筈。
男性の左手をよく見ると、確かに人差し指がその様になっていた。それで確信が至る。間違いなく、彼だと。美波は嬉しかった。こんな所で再会できるなんて思っても見なかったから。
「もしかして……國守君?」
顔を上げた彼の瞳は驚きつつも、訝しむ色をしていた。
「儂の事をご存知で?」
美波は改めて名を名乗らず『儂の事を』と尋ね返すあたりが彼らしいと思った。
「はいっ」
美波は彼に向けて返事とばかりに三指礼をして見せる。対する彼は中腰の姿勢からすくっと立ちあがると、流れる様に姿勢を正し答礼する。咄嗟のその所作は自分が知る誰よりも美しかった。もう違いないだろう。
「やっぱり」
嘆息して落ち着いてから、改めて自己紹介をする。
「私は山梨派遣隊の、鳥羽美波と言います。憶えてらっしゃいますか?」
國守君は数度頷いて「道理で何処かで会った気がした訳じゃ」と、半ば安堵した様に微笑んだ。
「え、えぇ〜!?」
刹那、静かだった湖畔になでしこの驚嘆が谺した。
「どうしたーなでしこー」
それから、静かだった湖畔は少し賑やかになった。
*****
「恭介さんって、センセーの知り合いだったんですねっ!」
恭介は「昔のな」と付け加える。
「カノジョさんやったとか?」
あおいはの目は泳いでいた。
「それはn――」「ち、違いますよ!ええとその〜」
美波は恭介の言葉に被せなからに、顔を紅くして必死に否定する。しかし、説得力皆無の美波の表情である。
それを傍から眺める恵那は、國守さんはともかく、先生は満更でもないってことか〜と柔和に微笑み、リンはアンニュイな表情の裏「マジカヨ」と呟いた。
「待て待て待て待て。儂と鳥羽さんはそんな関係じゃなーど。ボーイスカウトの同胞じゃ」
美波は恭介の助け舟に縋る為に必死に頭を振る。しかし、未だに顔が紅いのが、付け入る隙というもの。
「へぇ〜そうなんやな〜?にしてはセンセー、真っ赤な顔で言われると説得力がありませんな〜?」
「だ、だから!違いますってば!」
美波は叫ぶ。
「犬子、それまでだ」
千明があおいに軽くチョップをすると、あおいは目を泳がせながらに「せやなー」と鳴いた。
「ねぇみんな、今のは何の話だったの?」
純粋無垢少女、なでしこが皆に問う。
「よーし、お前らメシだ!メシ〜!」
一人置いてきぼりにされたなでしこは、目を点にして固まっていた。
*****
「センセーと國守さんの再会。そして、中間テストお疲れ様!じゃ!カンパーイ!」
「「「「かんぱーい!」」」」
千明の音頭に合わせ、各々のコップをぶつけ合い、互いに言祝ぐ少女達。一方、その片隅で酒の入ったコップをぶつける二人の男女は何処か大人な雰囲気だ。
「「再会に」」
そして二人はコップを呷る。
「うむ……これは旨いな」
「ぷはぁー!でしょ!でしょ〜!」
美波はもう一杯如何ですか?とお酌しようとするも、恭介は十分だと手で制す。
「酒は好きじゃが、わしゃそんなに強ぅはないし。責任ある者として、自制せねばならん……倫理的にな」
美波は恭介の言葉がグサグサと突き刺さった。今までの自分の行いを思うと、とても恥ずかしい事ばかりだと。
「うっ!」
「どうした?」
美波は自問する。
そう私も責任者……彼の言う通りだわ……駄目よ美波、我慢なさいと……
その様子を眺めていた娘たちは苦笑いだ。でも、今日は綺麗な鳥羽先生のままで居てくれそうだと期待しつつ。
「い、いえ!何でもありませんわ!」
「そうか……」
恭介はまぁ良いかと流して、カレーライスを口に運ぶ。
飯は粒立ちが良く上品な甘みが口いっぱいに広がる。少し遅れて鼻を突き抜ける、焦げの香ばしさが良いアクセントを効かせている。
カレーはどうやらポークカレー。口に含めば豚の出汁や玉ねぎの甘味が効いていて流石良く米に合うと思う。だが、ポークカレーの筈なのに、何処か鶏の風味が紛れていて、それが不思議ながら味を醸し出し美味であると判定する。
その背景で、娘たちは旨い旨いと各々感想を漏らしたり、黙々とスプーンで口に運んで味わっている。そして恭介もその一人だ。
夕暮れの湖畔は、実に穏やかで多幸的な雰囲気に包まれていた。特に飯が好評の様で、米炊き命理に尽きると恭介は微笑した。なでしこにやり方は教えたし、今後に期待だなと思いつつ。
「ご飯美味しいですねっ!」
なでしこがきらきらとした双眸を恭介に向ける。
恭介は「そうだな」と短く答えた。
「そう言や、えらいご飯がパラパラしとるけどなんでやろ?」
「多分、油を入れたんじゃないかな?炊飯器にサラダ油を小さじ一杯ほど入れて炊くと、パラパラご飯になるって言うし」
「よくわかったね!リンちゃん!」
「へぇー、あれ本当だったんだ」
「じゃあなでしこ!次も頼むわ!」
「え?!次も綺麗に炊けるか分からないよ!」
「今日は國守さんが居てくれたしね〜。明日の朝もお願いしたら、付き合ってくれるんじゃないかな〜?」
そして娘たちの視線が恭介に集中する。恭介はもう逃げられない事を悟る。故に最後まで付き合ってやろうと決めた。
「わかった。付き合おう」
「やったー!じゃあ、なでしこちゃんをお願いしますねっ!」
なんか含みのある言い方だが……と恭介は思うも、まぁ気の所為いかと流す。
「上手い飯に預からさしてもろうたけぇ。そんぐらいは、しちゃろう」
「「「「「ありがとうございまーす」」」」」
恭介はやれやれと嘆息する。だが、今日は何だかんだ楽しいと思えていた。明日の解散まで、皆の兄貴分として可能な限り振る舞おうと。
「う、うぅ……」
「せ、先生!なんで泣いてるんですか!」
その裏で美波は泣いていた。
「ご飯が美味しすぎてぇ〜!」
美波はパクパクと食べ進む。単純に旨いからと言うのもあるが、初めて恭介に会った時に彼が炊いた飯の味と重ねていて。酷くそれが懐かしく思えていたからだ。しかし、がっつき過ぎたが為に噎せていた。
「おいおい、誰も盗らんけぇ、落ち着いて食べさんせぇーや」
恭介が美波のコップに茶を注ぐより先に、美波はコップを掴んでウイスキーのボトルを手に取った。そしてコップに注ぐと水の如くそれを呷った。恭介の「よせ!」と制止の声や、娘たちの「あ」と言う声が虚しく谺する。さよなら綺麗な鳥羽先生。娘たちは天を仰いだ。
美波は糸目だった双眸を三白眼に変え、その態度もお嬢様の様な上品なそれとは正反対となる。
「アンタも付き合いなさいよ!」
恭介は静止の為に伸ばした腕を強引に掴まれる。
「おい!どねいなっとるんじゃ!?」
恭介は思わず叫ぶ。が、恐慌状態なのは彼だけらしく、娘たちは苦笑いだ。
「先生……酒癖が悪いから……」
誰かがそう呟く。
美波は酒を波々注いだコップを恭介に「飲みない」と突きつける。
恭介はアルハラだ!と叫びたかった。だが、注がれた酒が勿体無いから付き合ってやる事にした。さらば我の倫理観。
別に致命的に弱い訳じゃない。だが、酔いが回れば篦棒に眠たくなるだろう。
「わかった、わかった。離してくれ」
漸く恭介は美波の腕から解放された。が、美波からコップを受け取るもすぐ飲めと煽るので、大人しく酒を呷った。
……しかし、旨い酒だ。だが、だが……旨い酒こそこんな飲み方は違うよな……と思わずにはいられなかった。
美波は一瓶の最後の一滴まで飲み切って「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛……」等と哮ると、いびきを立てて夢の世界へと落ちて行った。
「えぇ……」
恭介は酷く困惑を覚えた。なんてやつだと。
「どうもウチらの先生がすみません」
美波の代わりにあおいが恭介に謝った。彼はとんでもないとした上で「酔っぱらいのする事じゃ。こんぐらいは許しちゃろう」と慈しみのある瞳を美波に向け、彼女のズリ落ちたブランケットを掛け直してやった。
恭介は嘆息しながら自らの椅子に戻ると、もう一度嘆息した。段々とアルコールによって焼きが廻りつつある事を自覚して。
「そう言えば。恭介さんって高校生の時、部活は何をされてたんですか?」
恭介はトロンとした目をなでしこに向けつつ語り始めた。
「儂は電子工作同好会と言うのを立ち上げて、活動しちょった」
「電子工作同好会?」
「ああ。主にパワーエレクトロニクス*1……と言ってもわからんよな?」
「わかりませんっ!」
「そうじゃのぉ……なんちゅーべきかのぅ……」
恭介はどう説明して良いのか思い悩む。
「……IHヒーターってのはわかるか?」
「火を使わないコンロですよねっ!」
「その通りじゃ。んで、コイツが正にパワーエレクトロニクス分野の物でな。儂は鉄を融解……融かせれる様な装置も作ってた」
恭介としてはもっと面白いであろう、コイルガン*2やレールガン*3の話をしたかったが、それなりに殺傷能力があるものなので控える事とした。
「鉄が融ける?!」
「ああ、物の数十秒でな」
そう言えば昔、撫子からその時の映像貰ったなぁと思い出した恭介。スマホのフォルダを弄り、実験の様子を撮影したそれを見せる事にした。言葉で語るよりかはわかりやすいだろうとして。
動画が始まると、鉄紺色の学ランを身に付け、まだ両眼のある頃の恭介が映っている。表情は今の恭介と違って、明るく朗らかだ。
……当前だ。この頃はまだ希望があったのだから。
「これ恭介さん?」
「そうだよ」
「ふぉ〜」
動画の中の恭介は『撮っとんか?』と撮影者に訊ねる。撮影者は『きょっちゃん!バッチリ撮れてるよ!』と答える。どうやら撮影者は恭介と親しい天真爛漫そうな少女の様だ。その声の主こそが、恭介の親友だった女……田原撫子その人だ。
『わかった。じゃあ始めるか』
『ど〜ぞ〜』
恭介は回路の収まった箱に取り付けられたMCCB*4のスイッチレバーを押し上げる。
MCCBはパチンと弾かれる様な音を立て、電源が投入された事を告げる。そして、それを示すかのように「ブーン」と低く唸るような音がし始める。これが所謂、磁気共振音という音だ。
回路の収まるアルミの箱の盤面には、今の電流を指示するアナログメーターと電源表示灯がある。
電源表示灯こそ赤く輝いているものの、電流計の指針は僅かに右に振れるのみで電流が殆ど流れていない事を示していた。
『これ動いてるの?』
『動いてるぞ。負荷がなけりゃ電流は殆ど流れん』
そして、恭介はコイルヒーターを素手で触る。この部分はむき出しの充電部だ。実際に出力電流が流れる。
『熱くないの?感電しない?』
『原理的に火傷はせんし、電圧的にも低圧じゃから全身ずぶ濡れでも無い限りは問題ない。まぁ、体内金属か指輪があるなら大火傷違いなしじゃがな』
恭介ははははと笑う。
『怖いなぁ』
恭介は耐火レンガをヒーターコイル下部に置き、ヒーターコイルの中に坩堝をセットする。実験の準備は完了だ。
『じゃあ、実際に鉄融かすぞ〜』
『はーい』
恭介は坩堝の中に鉄筋の断片を入れる。数旬の後、断片が赤へ黄色へと次第に色を変え、白く輝きながらどろりと坩堝の中へと落ちて行った。
恭介は電流計を一瞥し定格電流内に収まってるのか確認する。
そして、坩堝をプライヤ*5で掴んで持ち上げると、それが既に液体である事を確かめる様に揺らして見せた。
『お〜、ほんとに融けてる!そして、まぶしぃ〜』
『そりゃ眩しかろうよ』
坩堝の中の鉄を揺らしながらに恭介は呟く。
『……電流調整回路組み込んで、溶融塩電解してぇなぁ……』
『溶融塩電解?』
『食塩……塩化ナトリウムを融解して、それに電極突っ込んで電気分解したらな。金属ナトリウムが得られるんだよ。……てか金属ナトリウムがわからんか?』
映像が縦に揺れる。
『金属ナトリウムはアルカリ土類金属と呼ばれる金属で、水にブチ込んだら面白い事になる金属じゃ』
恭介は不敵に微笑む。とても悪い事を考えてそうな顔だった。
『絶対ヤバいやつだ』
『大丈夫だ。問題ない』
恭介は満面の笑みでそう答える。
『ほんと?』
『ホントだとも』
『ところできょっちゃん』
『なん?』
『それで鉄融かせるのはわかったけど、用途あるの?』
『……』
恭介は顎を擦りながら逡巡する。
『ない』
『だよね〜、じゃあ!アルミ融かして鋳造してみようよ!』
『鋳造か……良かろう』
『やったぁ!』
『で、何作るん?』
『猫のストラップ!』
『……わかった。機械科実習棟から鋳造用の砂と型やらパクってくるわ』
『じゃ!ウチはアルミ集めて来るね!』
『おう。怪我するなよ』
『はーい』
映像はここまでだ。しかし、恭介は固まっていた。
何故なら酷い懐かしさに打ちひしがれていたからだ。二度と今の恭介に話し掛ける事の無いその声が、酷く懐かしくて寂しいのだ。故に動画が終わっても呆然としていた。
「恭介さん?」
なでしこは動かない恭介を見上げる。
声を掛けられ、流石に我に返った恭介は「いや、なんでもない……」と言葉を濁した。
恭介は思った。やはりアルコールは危険だ。感情の制御が難しくなる。少しでも寂しいと思えば何倍にでも増幅してしまう……
恭介は負の感情を押し出さんと深く嘆息する。が、同時にどっと眠気が津波の様に押し寄せてきた。どうやら本格的に焼きが回ってきたらしい。
……もうどうでもいい。止めどない睡魔は蠱惑的だ。落ちるその瞬間はよもや絶頂と言っても過言では無い。しかし何度でも言う。やはりアルコールは危険だ……と……。
「あ、寝ちゃった……」
恭介はすぅ……すぅ……と寝息を立てながらに、夢の国へと旅立った。このままではブランケットも何も持たない恭介が風邪を引いてしまいそうだと、不憫に思ったなでしこは、自身のブランケットを恭介に掛け、これでよしと微笑んだ。
「出たなママしこ」
「ふ、ふ、ふ、この前みたいにリンちゃんが眠たくなっても、わたしがついてるから、だいじょうぶだよ〜」
「やめろ」
「あれ〜この前、悪くなかったって言ってたよね〜」
「さっ、斎藤!?」
「そうなの?!」
「へぇ〜そ〜なんや〜」
「お、おい!」
四面楚歌なリンの肩を千明が叩く。「私も居るぜ」等とイケボでリンの耳元で嘯くも「オマエはネェヨ!」と一蹴。
千明は「だめかー」と笑い、それに釣られる様に娘たちもはははと笑った。焚き火が照した静かな湖畔に谺するのは、楽しげな笑い声だった。