春から季節が移ろい、既に初夏の様相を呈してきましたね。
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月光に包まれて
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「……」
あれから幾時間経ったか分からないものの、目が醒めた。随分と懐かしい記憶の中を漂白していた様な気もするが、雲が架かったように思い出せない……。
それはそれとして、寝落ちしてから何時間経ったのだろうか?周りの音に聞き耳を立てるも、娘たちのはしゃぐ声もなく、湖畔は静寂に包まれていた。
そして、誰かがブランケットを掛けてくれたらしい。情けない事に彼女らに気を遣わさせてしまった様だ。
周囲は月光が優しく降り注ぎ、辺りを淡く照らしていた。
本栖湖の方に目をやれば、鏡の様に磨き上げられた湖面には数多の星々が映り込み、それらに彩られた富士が聳えていた。
恭介は眼前に広がる景色を、今すぐにでも撫子に見せてやりたいと思った。だが、それは真に詮無い事だと大きく嘆息する事となる。
既にこの世を去った者にどうやって同じ景色を見せようか?それは、不可能と言うものだと。
故にまた大きく嘆息する。詮無き事だと解っているのに、タラレバを考えてしまうのは彼女こそが自分の軸だったからだ。
……解ってはいるんだ。しかし、それは頭の理解だ。心の理解ではない。しかし、自分はこの泥濘から抜け出す術を知らない。
アイツが居るなら何だって良い。アイツの為ならどんな事だってやってやろう……
しかし、今はどうだ?撫子という太陽を喪い、迷走しているじゃないかと……それでも、生きていくしか無いのだ。遥かに永い余命を……
……また思考が宜しくない方向に向かってるな……。
故に恭介は深く嘆息した。詮無いなと。
「起きてるの?」
不意に声を掛けられた恭介はビクリとする。
しかし、声の主が美波であると気が付いた彼は、警戒心を解いた。
「……酔いは醒めたか?」
「ええ。醒めてしまいました」
美波は困った様に微笑んだ。
「……酒は程々にしぃさんせぇや。飲める内が華と言うが、それ続けて飲めんくなっても、わしゃ知らんど……」
酒を無理やり飲まされたが故の恨み言。
「よく言われます……」
美波は困った様に笑い、恭介は大きく嘆息した。
「ところで國守君……」
「何や?」
恭介はぶっきらぼうに返事をする。
「その左眼はどうしたの?」
恭介は、ああそんな事かと嘆息。
「……三年前、焚き火眺めながら酒飲んで寝てたらな。ガス缶を火に放り込みやがった糞餓鬼が居て、爆発した時の破片でこのザマじゃ」
「酷い……」
「全くじゃ……」
「片眼じゃ距離感掴めないと言うけど、大丈夫なの?」
「流石に慣れたよ」
「そうなんだ……」
美波は少し悲しげな表情を浮かべた。
「そう言えば、撫子ちゃんは元気にしてるの?」
「……」
恭介は黙りこくる。その表情は黒一色。
「アイツは三年前……事故で死んだよ……単独のバイク事故じゃった……」
「そんな?!」
美波は恭介の思ってもない言葉に絶句した。酷い冗談の様に思いたかった。しかし、恭介の声のトーンやその漆黒の表情が、雄弁に事実だと告げていた。
「そんな……」
「儂も悪い夢か何かと思いたかった……じゃけど、現実じゃ……」
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それは左眼を潰されてから、まだ十日目の事だった。
俺はまだ入院していた。酷く退屈だったが、夕方になると撫子の奴が顔を見に来てくれる。それが細やかな楽しみだった。
その日の夕方は、病棟の端の方にあるベランダで、夕日を眺めていた。すると遠くの方から「パーン……」と破裂音の様な音が谺した。
その時はなんの音だったのか、気にも留めなかった。
が、次第にパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえ始めて、交通事故か何かだなぁとぼんやり思っていた。
暫くして、救急車は病院の建つ山を登ってきた。
それから三十分が経ち、夕食の時間になってしまったので、病室に戻って飯を食べながらに、えらくアイツ遅いなぁと思っていた。アイツなら、残業なら残業と連絡寄越す筈なのだが……。
それから程なくして、アイツの親父から電話が掛かってきた。
「……恭介君、落ち着いて聞いてくれるか?」
その、深刻そうな声色になんだか酷く悪寒が走った。
「撫子が……死んだ……今、県中
一体何を言われたのか、直ぐには理解できずに復唱を求めた。
「撫子が死んじまったんだよ……!」
スマホを捨て置き、病室を飛び出した。嘘だ!嘘だ!と心の中で叫び、階段を転がり落ちながら下へ駆け地下にあるその部屋へ。そして霊安室の扉に手を掛け飛び込んだ先に友は居た。
冷たく硬いステンレス製の台の上に置かれた亡骸は酷く損傷しており、頭部に至っては完全に潰れてしまっていた。故に顔での判別は不能であった。
しかし、その背丈や持ち物が恭介に現実を突き付けた。
アルミ鋳造の猫のストラップに、手慰みに拵えた銀の指輪……全て彼女に与えた物だった。俺はその現実に呆然と立ち尽くすしかなかった。
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「……」
美波の頬を涙を伝う。あの日以降も連絡を取り合う仲だった友の最期が余りに酷く哀しくて。
「今年のお盆、拝みに行っても良いかな……?」
「良いとも、アイツも喜ぶ」
「ありがとう……」
「さぁ、今日はもう遅いし、寝ぇさんせ。儂ももうじき寝るけぇ」
「そうだね……じゃあ恭介君、おやすみなさい」
「おやすみ」
美波が去り、一人残された恭介はパイプでも燻らすかと自身も席を立った。
*****
恭介はキャンプサイトから離れて展望公園へ赴き、懐からパイプを取り出すと、ボウルにタバコ葉を詰め、オイルライターで火を灯した。パイプからはプカプカと煙が登り、チョコレートの様な甘く香ばしい香りが周囲に漂った。
「はぁ……」
恭介は紫煙を吐き出しながらに天を仰いだ。
見上げる先には燦々と輝く満月が在った。
どんなに手を伸ばしても手が届くことがないそれは、丸で死んでしまった友の様であった。愛おしくて、哀しくて、届かなくて……
底無しの孤独感は恭介の心を確かに蝕んでいく……
しかし、恭介はその絶望に寛容的だった。何故なら端からこの世に期待も何もしてないからだ。
恭介は己の事を咲いながらに呪うしかなかった。
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尿意で目覚めたなでしこは、林の中をガスランタンを携えビクビクと歩んでいた。そう彼女は暗い所が大の苦手なのだ。
パキッ。枯れ枝を踏む。カサッ。落ち葉を踏む。ガサッ。鼬か何かが走る。
その度になでしこは「ヒィ〜」等と悲鳴を上げ怖がった。
林を抜けたなでしこは、月明かりと街灯の明かりに胸を撫で下ろした。あー怖かったと。
怖いものがなくなったなでしこは、いつもより少し早い足取りでトイレへと向かった。
用を済ませホッとしたなでしこは、せっかくここまで来たのだしと、展望公園の方まで足を伸ばす。
すると公園の方から、甘い匂いが微かに漂ってきた。
「チョコレートみたいな匂いだ……でもちょっと違うような……?」
なでしこは鼻を高くして、匂いを嗅ぎながらに匂いの元へと接近する。
すると、道路のカーブした所にある手摺りの部分に人の影が佇んでいた。
一瞬幽霊かと思ってビックリして、ランタンを取り落しかけた。
が、よく見ると両足もあるし影もあるしで幽霊の類いではない様だった。
ガスランタンの灯りを消して、そーとそーと近付いて観察する。すると、その人はタバコ?を吸っていた。
「恭介さんだ……」
なでしこはそれが恭介であることに気がついたが、声を掛けるべきか躊躇する。
何故なら、その背格好はとても哀しそうだったから。
なので物陰に身を隠して暫く観察してみることにするが。
「……別に取って喰ったりはせんけぇ、出て来ぃさんせーや」
上手く隠れていたつもりだったが、バレてしまった。
「バレちゃいました……」
なでしこはてへへと笑って誤魔化す。
「……眠れんから出てきたんか?」
「いえ、トイレで目が覚めちゃって……」
「そうか……」
恭介はそれ以上聞かず、本栖湖の向こうに聳える富士の方へと向き直った。
「月も富士山も綺麗ですね!」
「嗚呼」
「あ!」
「なんね?」
「実はここから見える富士山は千円札にもなってるんですよ!」
「ほう、それは知らんかったな」
恭介は千円札を取り出すと、今見えてる景色と見比べた。
「うむ……本当だな」
「でしょ!でしょ!」
なでしこは嬉しそうに笑う。
「それと、ここがわたしがキャンプ始める切っ掛けになったとこなんですよ!」
「ここが?」
「はい!でも、本当は千円札にもなってる富士山見に来ただけのはずだったんですけどね……」
なでしこはここまで自転車で来たのは良いけど、富士山見えなくて疲れたしとトイレのベンチで寝てしまって、気が付いたら真っ暗になってたと恭介に話した。
「それでね。真っ暗で怖かったし、スマホも忘れちゃっててお姉ちゃん呼ぼうにも呼べなくて……そしたらね。たまたまその日にキャンプしにきていたリンちゃんに出逢って、焚き火に当たらさせてくれたし、カレー麺も恵んでくれて、富士山も見れて。わたしすっごく楽しかったんだ!キャンプってこんなに楽しいんだって!」
彼女に初めて会った日もそんな話をしてたなと思うも、それは野暮って物だとして大人しく聴いていた。
「それは良い経験だったな」
「わたしもそう思います!それと恭介さんの切っ掛けも聞きたいです!」
なでしこは満面の笑みを恭介に向ける。
恭介はそう言えば、己の馴れ初めは話た事なかったなぁとぼんやり思った。それ故にお返しに話す事にする。
「儂か?儂ん場合は……小五の秋口だったかに、親友にボーイスカウトに一緒に行かんか?と誘われたんが全ての始まりじゃったな……」
なでしこは相槌を打って話を促す。
「儂は元より集団に属するのを嫌う質でな。付いていくつもりはなかったんだが……アイツは何処か危なかしくて、一人にするのもどうかと思って、ついていくことにした。でだ、体験入隊の時がそうだったんだが、お互い気が付いたら、妙にそこの団に馴染んでしまってた」
「心の居場所を見つけたんですねぃ」
「まぁ、教わる立場から教える立場になっても、まだそこに居るのだから。そうに違いないな」
「恭介さんは立派な人だなぁ」
「立派なんは儂じゃのぅて、親友の方じゃ……アイツがいなけりゃ、本当にただの木偶坊に成り下がってたじゃろうしな……」
「……恭介さんのご親友ってどんな方だったんですか?」
「天真爛漫で、何かと世話焼きで、おっちょこちょいで……小もうて可愛い
恭介は胸ポケットに忍ばせていた免許証入れから、一葉の写真を取り出した。その写真には紋付き袴の出で立ちで太刀を佩用する恭介と、色鮮やかな振り袖を着た小柄な女性が写っていた。
なでしこは成人式の前撮りであろうと解る写真に釘付けになっていた。丸で幸せその物を切り出した様なそれを。寂しさの欠片なく、心の底から笑えていた頃の恭介の表情を。天真爛漫に彼に微笑みかける小柄で綺麗な女性の表情を。ただただじっと眺めていた。
「綺麗で可愛い人ですね」
「はは、そうじゃろ。儂唯一の、自慢の友じゃったしな」
恭介は懐かし気に微笑する。それと同時に何処か哀しげであった。
「今はどうされてるんですか?」
恭介は深く嘆息して告げた。
「もう、この世には居らん……三年前に事故で死んじまった。バイクの単独事故じゃった」
「な、亡くなっちゃたんですか……」
なでしこは思い出した。昼間に彼がボソリと零した「儂に生きとる友が居ればな」という言葉を。
「ああ。アイツ在ってこその儂じゃったから、途方に暮れたよ……まぁ、今でも途方に暮れとるかと言えば、真じゃけどのぅ」
なでしこは恭介に掛けるべき言葉が見当たらなかった。唯一無二の友を喪ったことが無いから。故に彼の哀しみを完全に理解する事はできないし、下手な同情は逆撫でする事に等しいと。
「まぁ、それでも生きれる所まで行かねばならんがの」
「生きれる所まで?」
「ああ。自害は友への背信じゃからな。じゃからこの余生を有意義に使いたい……」
なでしこは恭介の言う『余生』という言葉が引っ掛かった。大病を患ってて時間がもう限られてるならまだしも、彼は至って健康に見えるし……と、小首を傾げた。
「なんね?」
「恭介さんの言う『余生』ってどんななのかなって……」
「……儂の言う余生はこれから八十年位はあろうかと言う、寿命の事じゃ。何せ、儂の爺様は百迄生きたけぇのう」
「百歳?!」
「そうじゃ」
「そうなんだ……あ、それと!」
「何ね」
「その余生って……お独りで生きられるから、余生ってことですか……?」
なでしこは余りに攻めた質問だったかな?と反芻し少し後悔する。しかし、もう口頭で訊ねてしまった今の言葉はもう取り消せない。
恭介は紫煙を深く吸い込んで、風に漂わせる様にゆっくり吐き出すと「そのつもりじゃ」と静かに答えた。
なでしこは悪い事を訊いてしまったと悪怯れる。
しかし、恭介はなでしこの頭に左手を置くと「別に怒りはせんし、恨みもせんよ」と呟いた。それに「事実じゃしな」と付け加えて。
なでしこは恭介の人生観が余りに寂しすぎると感じたと同時、放っておいちゃ駄目だと直感する。
なでしこは自身の頭の上に置かれた恭介の左手を手に取って降ろさせると、彼の手を自身の胸に両手で抱き込んだ。
なでしこの大胆な行動に恭介は「なにを?!」と目を丸く見開き激しく動揺する。彼女の心臓は力強く鼓動して、その秘めたる熱意を伝搬せんとする。
なでしこは恭介の顔を見上げて微笑む。
「恭介さん。わたしはもう貴方のお友達です。だからもう独りじゃないですよ」
なでしこの宣言に恭介は胸を打たれる。自身が要塞化までして閉ざして来た心の城門を破城鎚で抜かれた様な衝撃だった。
「わ、儂が君の友人でええんか?」
「もちろんですよ!」
なでしこは屈託のない満面の笑みで答えた。
恭介は天を仰ぎ、一つ己の行いを改めると誓った。
真の友一人だけが唯一の友ではない。それは勝手に設けた自己制約だ。友が増えた所で己が嘗ての友の事を忘れ無ければいいだけじゃないか?そうだろう。恭介よと。
恭介は自身の中の壁が氷解して行くのを感じていた。何故こんなに難しく考えてたんだと。増えったっていいじゃないかと。
「ははは……そうじゃな。わしゃ飛んだ思い違いをしちょったな」
恭介はなでしこの手に右手を重ねる。
「儂の新たな友人なでしこよ。ありがとう。お陰で気が楽になったよ」
「これからも宜しくお願いしますね恭介さん!あと、やっと心の底から笑ってくれましたね!」
「そ、そうか?」
「ええ。とっても優しい笑顔ですよ!」
「フ、そうか」
えへへ、はははと湖畔に二人の声が谺する。
そして、恭介は左手に鼓動以外の感触を覚え始めた。それはとても柔らかくマショマロの様な……
「な、なでしこよ」
「何でしょうか?」
「そろそろ、左手を離して欲しい……」
「左手?あ……」
なでしこは丸で茹で蛸のように真っ赤に頬を染め、慌てて恭介の左手を開放した。
思えば恭介は異性だったとなでしこは失念していた。そして、胸に残ったゴツゴツとした男性らしい手を抱いていたというのもまた、羞恥心を加速させる。
一方で、開放された恭介は自身の心拍数が確かに上昇するのを感じていた。そしてまだ指に残った柔らかな感触が、触ってしまったという背徳感に繋がり、心拍数に加速を掛けた。
「す、すまん!」「ご、ごめんなさい!」
お互いぱっと離れて顔を背け、それぞれが羞恥と背徳で悶絶。
暫くの沈黙の後、最初に笑い出したのはなでしこだった。恭介もそれに釣られて笑いだし、お互い一通り笑い終えた頃には羞恥や背徳なんてどうでも良くなっていた。そして、お互いの言葉で改めて謝罪した。
「何だか気が楽になったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
「……それにしても、随分と大胆な手段を講じてくれたな?お陰で目が醒めたというのもあるが……」
「えへへへ……ああしたら恭介さんの心に直接呼び掛けられるのかと思いまして……」
「……君は凄いな」
「そんな、またまた〜」
なでしこは嬉しそうに手をブンブン振る。
「ぐぅ〜ぐるる〜」
なでしこはハッとした表情で腹を押さえると「お腹空いちゃいました……」と困った様に微笑んだ。
「……あ」
恭介は自身が本来晩飯とする筈だったうどんの存在を思い出す。
「儂の晩飯に使う予定じゃったうどんがあるんじゃが……」
「良いんですか?」
恭介の提案に、なでしこはその青き双眸を輝かせて期待を膨らます。
「とは言え、素うどんじゃけどええか?」
「大歓迎です!」
「よっしゃ。じゃあ、戻ろうか」
「はい!」
恭介はパイプを手にしていた事を思い出すが、既に火は消えてしまっていた。しかし、また今度でいいやと思えていた。
「帰り道は君が照らしてくれるんじゃろ?」
「もちろんです!任せてください!」
なでしこはガスランタンにマッチで火を灯した。そしてそれを両手で抱きかかえると、軽やかなステップで恭介の前へと歩み出す。
恭介はそんな彼女の背中を追いかける。華奢で小さなその背中を。新たな道標となってくれたその背中を。