思っても見なかった事に大変恐縮しております()
今後ともよろしくおねがいします。
炊飯中のコッヘルから粘り気のある水滴が滴り始める。
それは、中身が沸騰したという証左であり、弱火にせよという合図でもあるのだ。
ただ弱火にした後が勝負で、勘だけを頼りに焦げを作りながら炭化させぬ手前で炊き上げるという、絶妙さを求められるのが野外炊飯の醍醐味だ。
それが普通にできるというのが飯炊きの誉れだ。
俺はそう思っている。
なぜなら、飯炊きの道は深く険しいものだと知っているからだ。
ボーイスカウトに入りたての頃は、失敗しては隊長によく叱られた。
一年経った頃にはまともに炊ける様になり。
終いにはお陰で団内は元より県内でも、その技能では最高のスカウトとして名を馳せる名誉を得た。
今はもう指導者として教える方側になってしまい、極力子供らにやらせて手出しせぬ立場になってしまったが……
しかし、なんでも己でやりたくてたまらない人間には辛い。
指導者という立場が辛いものだと知った。
それで始めたのがソロキャンプだった。
安月給で仕事している頃に始めたものだから、己のテントやランタンにストーブ等のアイテムを揃えるのにかなり苦労した。
今手にしている道具は全てその時に手に入れた物だ。
今こそ、なんの苦労もせず一生遊んで暮らせる程の資産を手にしてるが、金の価値を知ってるだけに散財はしないと心に堅く誓っている。
何故ならば、成金主義は究極にダサく嫌いだからだ。
それに俺はスカウトである。
掟に"スカウトは質素である"とある様に、俺もそう生きていく。
それを辞める時はスカウトであること以前に人としての名誉を棄てる時だろう。
そう言えば目の前のこの娘は資金の調達をどうしてるのかわからない。
が、少し考えれば大体わかる。
暇なので考察してみよう。
焚き火台は"友達から借りる"と言ってた様に、何点かは借り物だろう。
既に見えている物では、あの大事そうにしているガスランタンと恐らくイスのみが彼女自身の財産で得られたアイテムなんじゃないかと考察する。
特にガスランタンの扱いを見ればよくわかる。
何よりも丁寧に扱っているから。
恐らくバイトか何かして、それで得た資金で初めて買ったものなのだろう。
俺もバイトすれば高校時代でも多少は彼女みたいにアイテム得られたんじゃないかと思うが、障壁がある。
バイトと言えば大半接客業だ。
故に人嫌いで、理屈の通らぬ事は絶対認めず、正義感の強い俺が客と揉めて追い出される未来しか描けずやらなかった。
その後高卒で社会人となり仕事している時にも、理不尽や不条理が抗う俺を何度も襲来し挫折しかけた。
あの時は地獄だった。
同調圧力も凄まじく、誰も今起きている異常に声を挙げなかったし、俺が言えば下っ端の言うことだからと容易に揉み消される。
あれは地獄だった。
余計に人が嫌いになり、宝くじ当てたその日に辞めてやった。
今思えばあの企業が異常だったのかもしれないが。それ以外は知らないのでなんとも言えない。
……それを思えば、この娘がバイトしているなら、凄いことだと純粋に思えるのだ。
箸を聴診棒に米の入ったコッヘルの音を聞きながら、他に見るものもないので娘の方を見ているが。
本当に楽しそうに作っている様子が伺える。
俺の視線に気が付いてか、時より笑顔を覗かせ「うふふ、まだですよぉ」と戯けて言うので、「そうかい楽しみにしちょるけぇな」と返す。
その他愛もないやり取りが、楽しい。
……他人と居て楽しいと思ったのは何年ぶりなのかもうわからない。
が、今日彼女と過ごすこの時間が究極に楽しいと言うのは紛れもない事実だ。
……そう言えば、鍋は「秘密です」と言ってたものの、その少し前には「水炊き」ってハッキリ言ってた気がする。
それは当人が忘れてなのか、うっかりなのかわからない。
が、何も言うまいと心に誓った。
暫くの後、炊飯中のコッヘル内の音が変わったので、最後の仕上げに掛かる。
バーナーのコックを全開。
コッヘルの底全体に火が伝わるように動かすことものの数秒で火から下ろす。
すると、焦げの香ばしい香りが辺りに漂い食欲を誘う。
今日もいい具合に決まったとニヤリと口角を上げほくそ笑む。
米炊きのこの瞬間がたまらなく良いのだ。
米は終わったので、よくわからん汁の方の作業を進める。
こちらもセセリに火が通ってたので、最後の具材のモヤシを放り込む。
が、蓋がちゃんと閉まらない。
が些細な問題でしかないので無理やり閉めて、さっきまで炊飯の蓋抑えとして従事していたスキレットを乗せる。
スキレットは重しとしても優秀なのだ。
ヨシと顔をあげたら、綺麗な水色の双眸と目が合った。
ワクワクに満ち溢れているそんな目でこちらを見つめている。
「きょうすけさん、できましたよー」
「あぁ、モヤシに火が通ったらそっちに行く」
机を挟んで互いに向かい合う格好を取る。
二人で鍋をつつくなら常套だろう。
んで肝心の鍋だが、旨そうな水炊きに仕上がってる。
まだ、口に運んでないからわからんが、既にこの芳しい匂いだ。
絶対旨い。
それを食す権利を得る条件として、己の汁と飯半分を彼女に分ける。
キラキラとした目で皿を用意して待っている。
が、まるで待てを言い渡された犬っ子の様だ。
かわえぇ……
「ほら」
「ありがとうございます!!」
彼女は注がれた器を覗き込み。
「ふぉぉぉ!! おこげ!!」
「こっちは、せせりの汁!!」
「鶏さんづくしだ!!」
物や状況についての感嘆の声を一つ一つに挙げてゆく。
本当におもしろい娘だ。
大人になってもこのままであってほしいとつくづく思う。
「いただきます‼」
元気に合唱した彼女は早速、俺のよくわからん汁を口に運ぶ。
先ずはモヤシから。
「ん~~~!! おいしいっ!!」
「そうかそうか」
旨いと言われりゃ俺も嬉しい。
彼女はキャベツ、セセリ、モヤシを箸で絡めて一餅にしたのをそのあんぐりと開けた大口に放り込む。
早速やりよったと見守る。
「ふぉれっ、ふぇっほっうほぉいしぃふぇふぅ‼」
口にもの入れたままryと説教臭い言葉が浮かぶが、せっかく楽しそうにしとーのに折るなーやという声が優勢なのと、単純にその様子がおもしろいのでそのままとする。
お次は、飯のようだ。
物珍し気に且つ興奮気味に煎餅状の焦げを観察した後、それを口に入れる。
「ん〜〜!! おこげおいしい‼」
「そりゃええ、飯炊き命理に尽きるのう」
「そう言えば、お米コッヘルで炊かれてましたけど、難しいんですか?」
「まぁ、慣れるまでちと掛かるが、コツさえ掴めば誰でもできる」
「後で教えてもらっても良いですか?」
「えぇよ、教えちゃろう」
「ありがとうございます‼」
その後もほっちゃっこほっちゃっこ口に駆け込むように食べる娘の黄色い歓声を聞き。
あっけにとられつつ、良いもんだなと見とれてた。
……が、気が付いてしまった。
あんまり悠長にしとる余裕はない。
既に水炊きの半数を吸い込む様に食べている……
はよ食わねば、俺の分ねぇと戦慄を覚え、既に空と化したよくわからん汁のコッヘルに水炊きをよそい、手を合わせる。
「んじゃこっちも、いただきます」
早速エノキを口に入れる。
鳥出汁を吸いその上、コリコリ感があって素晴らしい。
シメジは素材の香りそのままに出汁と合わさり絶妙な風味に、豆腐はしっとりとして旨い。
で、鶏モモとミズナを絡めて口に運べば、鶏の感触もさることながら、ミズナのシャキシャキ感やその風味も大変美味で、米を駆け込めば幸福感が絶頂を迎え爆発する。
"うますぎるッ!!"とか"もっと食わせろッ!!"という裸の蛇のセリフが脳裏をよぎり、こんなの反則やと思いながらに、喋る為にリソースなんぞ割いてられねぇと、黙々とガツガツ運ぶ。
そんな俺の様子を見てか、娘は満足気な笑顔でこちらを見ている。
これでも旨い飯はそうそうねぇよと、深く味わっているのだ。
具材が少なくなって汁がそれなりに残っている状態になる。
もう終わりかと、少し名残惜しさを感じる。
一方娘は食材持って来たバッグをゴソゴソと漁っている。
なんやなんやと見てると、出てきたのは冷凍うどんだ。
ここでうどん投入とはよくわかってるなこの娘。
「……ようわかってらっしゃる」
「〆食べますか?」
「ゴチになります」
「やった!」
水炊きの汁に醤油を加え、煮立らせる。
そしたらうどんを投入して火が通るのを待つ。
暫くしてうどんと化した水炊きを啜る。
具材の出汁が絡んだ、コシのあるうどんがめちゃくちゃ旨い。
関西圏の人間だから薄口のだし醤油になれてるのか、関東醤油での濃い味付けに新鮮味を感じる。
……にしても我ウドンスキー•ススロノフ(誰やそのロシア人)にはたまらん〆だ。
「これぞ鍋の醍醐味っちゅうやっちゃのう。 よーわこうとる」
「えへへ」
「わしゃ外でこねぃにちゃんとした料理食ったの、初めてやったわ……ありがとうそして、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした!」
楽しい飯の一時が終わりを告げ、腹いっぱいながらにまだ名残惜しさを禁じえない。
しかし鍋は綺麗に空っぽで。もう何も残ってない。
しかしながらによう食ったものだと、互いにゆっくりしながら片付けに備える。
彼女はスマホをしきりに弄って、笑顔になったりしている。
友人とSNSで話をしているのだろう。
斯くいう俺は今何もすることがないので、そんな彼女のぐるぐる回る表情の変化を見て静かに楽しんでいる。
暫くすると彼女がすくっと立ち上がる。
なんや片付け開始か?と思って立ち上がろうとした。
……が手で制され一言。
「一緒に写ってもらっていいですかっ!」
どうやら俺と一緒に写りたいらしい。
が、こんな成りの男とか?と疑問が生じる。
「なんで儂と?」
「だめですか?」
あからさまにしょんぼりする。
そんな眼で俺を見るな。
俺の成りが悪いのだと。
「駄目と言う訳じゃぁないが、こんな顔が酷いのが君と写るのは場違いな――」
「場違いじゃないですよ!! それにきょうすけさんのお顔はオオカミさんみたいに凛々しくてかっこいいんです!! だから一緒に写りたくて……」
力の籠もった青い目は泳ぐこと無く真っ直ぐ俺の眼を見ている。
嘘を言っていないのは明白であった。
思えば、他人に"かっこいい"だなんて言われた事がない。
"怖い"といつも避けられる側の人間だから。
それが今、格好いいと本心から言われた事で。
一千もの敵の中で、漸くたった一人の味方を見つけた。
そんな感激を禁じ得なかった。
「……わかった、すまんな」
「自分を否定しちゃだめですよ、きょうすけさん」
「……」
まさかこんな若い子に説教貰うとは……
己が一番諦めとるのが、駄目だということか。
この娘には逆らえん、そんな気がする。
そう思ったもつかの間、彼女はすっと俺の右脇に立つと、右腕に抱き付き身を寄せる。
顔のすぐ右には彼女の顔が並んで、彼女の香りが鼻孔をくすぐる。
伸ばした彼女の右手のスマホには互いの顔が収まっている。
彼女は笑顔だ。
迷いのないそんな顔だ。
そんな彼女に降参だよよ思いながら、笑顔を作る。
「じゃあ、とりまーす!」
「おう」
「はいちーず!」
「カシャッ」
撮られた一葉には、屈託のない満面の笑みの少女と、優しげに微笑む隻眼の狼が写っていた。
二度と還らないその時間を写したこの画は、生涯の思い出の表紙となるような場面だ。
その写真は、まるで俺が孤独な一匹狼じゃないよと語ってる様だった。