ガレージの奥にソイツは居た。
セミブロックタイヤを装備し、数本のパイプと底板でガードされた剥き出しのエンジンと、座席の前に鎮座するマットグリーンに塗られた燃料タンク。そして、本来タンデムシートなのをシングルにして、廃された座面は、大型の荷台となっている。故にこの鉄騎は軍馬と呼ぶに相応しい程に堂々たる風格を醸し出していた。
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野営準備[下]
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田舎の山道と言うのは、いつ走っても気持ちが良い。街の喧騒から切り離され、エンジンの音やロードノイズや鳥のさえずりがよく聞こえて癒やされる。その上渋滞とは無縁のストレスフリーな道を征ける。
して、今何をしているかと言えば、端的に言えばバイクに跨っている。ただ、一概にバイクと言っても爺様から受け継いだコイツは違う。
見た目は只のネイキッドバイクに近しいが、積載能力向上の為に、本来タンデムシートだったのをシングルにして大面積の荷台を設けている事で、荷物が多くなりがちな長旅にも十二分に堪える事ができる。
そして、最大の特徴は見た目じゃわからない。排気量六五〇の排気タービン*1付の直列二気筒ディーゼルエンジンを搭載している点にある。このエンジンは爺様が特注したエンジンで本来は排気タービンは付いていない設計だったが、叔父が設計変更して取り付けた上に、燃料加圧噴射装置も取り付けられ、本来の性能以上の性能を発揮する事が出来ている。故に低中速域のエンジン回転速度では、一律で最大トルクを発揮可能で、一五キログラム・メーターものトルクを発揮する事が可能だ。故に計算上での最大牽引力は、四八〇キログラム・メーターもの力を発揮し、最大登攀角度は六三度としている。(まぁ、そんな崖は登らんが)
しかし、難点があると言えば、巡航時やアイドリング時にディーゼル特有のガラガラと言った、ノッキング音を打ち鳴らし、加速時には、キュオォォォ!!と言った、ターボの音?が凄まじくよく聞こえる為に、人目を惹いてしまうというのが欠点だった。
だが、優秀な"軍馬"である事に変わりはない。これからは俺の相棒として働いて貰う所存である。
暫く走り続け、細くクネル上り坂を駆け登ると、草花の緑が萌えるなだらかな丘陵地帯に出る。広がる景色の一面に幾千幾万もの羊の群れと見紛うばかりの白亜の岩が群れを成す。そう、ここはカルスト台地。そして、国内最大の面積を誇る秋吉台だ。
「おぉ……」
暫く走った所にある。広い駐車場にて軍馬を停める。そこから徒歩で西の方に見える丘に向かう。
駐車場の北の林の道を行き、道路の下に穿たれた人道トンネルをくぐって西側に抜け、その先の道も人が歩けるように草が刈られて、路肩には小さな花が健気に咲いているのが見れる。それを暫く行き、登ろうとしている丘の中腹に、それはある。
そこには旧帝国陸軍の演習場だったという看板が立っていた。その傍らの緩やかな斜面に、草に埋もれてこそいるが人工的に土を掘り返して作ったであろう、そこそこの深さがあって細長い溝体がある。その幅は人が二人ほど行き来できれば良い程の幅しかなく非常に窮屈な作りだ。しかし、それでこそ塹壕と言うもので、この狭さが驟雨の如く降り注ぐ砲弾から、確率の盾としても、物理的な盾としても護ってくれるのだ。しかしながら、よくもまぁこんな所で八十年程も風化せずに遺ったものだなと感心させられる。
塹壕に別れを告げて更に登り、その頂きへと到達する。そこそこに高い丘なので、遠方までよく見渡せる。ウエストポーチから取り出した単眼鏡を覗けば、遥か遠くまで続くカルスト台地の風景が一望できる。
その、八倍率の単眼鏡で見える景色も格別であるが、一点惜しいのはミルスケール*2のレティクル付故に、景色にそのレティクルが反映されてしまうのだ。
しかし、地形図片手に、山頂の構造物やランドマークを用いて距離を求め、コンパスグラスで角度を、そしてそれをベースプレートコンパスで単一標的から己の位置を割り出してそれを記す……そう言うことをするなら楽しめるであろう。
そんな事を思ってた矢先、スマホがバイブした。
『恭介さん!今日は何をされてますかっ!(≧▽≦)』
なでしこからだ。この娘は忘れん程度に連絡してくるなと思いながら、返答を打つ。
『今日は秋吉台に居る』
『秋吉台?』
『山口にある日本最大のカルスト台地……言うなら、クソデカイ石灰の一枚岩だよ』
『めちゃデカ一枚岩?!?!(; ・`д・´)』
手前の岩のその向こうにピントを合わせ、それっぽく撮り送る。
『ふぉぉぉ!!キレイな所ですね!!(๑•̀ㅁ•́๑)✧』
『んで、地下には鍾乳洞が無数にあって、これもまた国内最大の秋芳洞という大きな鍾乳洞もある』
『へぇ、行ってみたいなぁー』
『そのうち、来たらええ』
『いつか絶対行きます!では。 ノシ』
独りで居る時は、緑も蒼も白もすべてがただの色でしかなかった。しかし今、輝きに満ちて見えるのは、孤独じゃないからだろうなと思わずには居られなかった。
*****
帰宅して、次回の遠征に持ち出す物品の選定を行う。
今回はこの軍馬で行ってやろうと思っているが、トラックの様に常に何でもかんでもガン積みという状態にする訳にはいかない。それも当然、幾ら重貨用でも、面積もトラックのその量に遠く及ばないのだ。故に必要最小限の、着替えと寝床と調理する為の火に照明暖房と鉈やナイフやライターと言った物を確保したい。
暖房は着るものと、白金カイロで済ませるがコンプレッションバッグに詰めとけば、嵩張らないから良しとしよう。
して、大幅に削られるべきは照明である。ランタンはデカく嵩張る上、ガラス製のホヤを使用している故に移動中に割りそうだ。仮にホヤが破損した際は高級かつ巨大な不要物として、ただでさえ狭い面積の内の大面積を占拠する様になってしまうだろう。よって、ヘッドライトで十分だし、それで済ませよう。
次にテントとタープだが、こいつらは必要装備なので削れないが、タープのポールを六本だったのを二本に減らす事で軽量化を図る。
次に寝具だが、新たにダウンの物を調達したのでこれを使うが、今まで使っていた同性能の冬用シュラフに比して、かなり収納面積が小さくなって、今まで春秋用として、ボーイスカウトに入ってから十年来使っていた物よりも小さくなってしまった。ダウン恐るべし……後は、コットとマットだが、コイツラはそもそも面積を、喰わない作りなのでそのまま持っていく事とする。あと、ダウンシュラフと同メーカーの防水透湿シュラフカバーも調達したので、ほぼ野晒しで寝たい時にでも使うとしよう。
次は炊事具だが、炊飯用コッヘルを除いた、コッヘルニつとコップと箸とスプーンフォークと言った通常通りのセットで運用しようと思っているが、今回は米を持って移動する余裕が無いと見ているのでそれで十分だ。故にガスストーブは小型なので緊急予備としては持っては行くが、原則としてケロシンストーブのみを運用していくつもりだ。
あと、焚き火台は外せないので持っていくが、薪を持って長距離移動するのは余りに無謀で、湿気らせたら終わりなので、近くで薪を調達できる時のみの運用とする。
*****
アイテムを車庫に続く勝手口に並べたので、晩飯の支度としよう。よって作業はそれからだ。しかし、手元にあるのは冷凍うどんと麺つゆのみだ。よって釜揚げうどん安定と言う訳だが……まぁ、ウドンスキー・ススロノフ(だからそのロシア人誰や?)にとっては、全く苦でもなく毎日うどんでも飽きることは無い。故に問題ない。
「たいちょー、居ますかー?」
玄関から、さやかの声が聞こえたが、なぜ奴は呼び鈴を鳴らさない?そんな疑問を懐きつつも、対応するには折角温めたばかりの鍋の火を止めざるを得なかい事に、少々不服を覚えるが仕方がない。
「居るぞー」
玄関にの引き戸を開けると、何やらビニール袋を提げたさやかがそこに居た。
「たいちょー!ご飯ご一緒しても良いですか?」
「お前は何を言うとるんだ?年頃の娘が?はよ、家帰れや」
引き戸を閉めようと取っ手に手を掛けた刹那、さやかが首を挟む事で阻止してくる。
「いいや、待ってください!!」
「待たん!!」
さやかの頭を右手で押し返しながら、左手で戸の取っ手を掴んで閉めようとする。しかし、さやかも負けじと、右脚を差し込んで来る。それは流石に対処不可能……しかし、意地の張り合いでは同等故に拮抗。その応酬の末に、ガッ!!と音が響いて、戸が動なくなる。戸がレールから外れたのだ。
「ワヤするでお!!*3」
「隊長!!いい加減諦めてください!!」
「いいやのぅた!!」
「じゃあ!訊きますがっ!なんで、お姉ちゃんは良かったのに、私は駄目なんですかっ!」
「ぐっ……」
余りに真当な反論を喰らった刹那、終ぞ脱力し、さやかの侵入を許してしまった。俺の敗北である。
「お前……それ言うのは反則ど……」
「へんくうな國守隊長には、言われたかありませんよーだ!」
さやかは俺の態度に腹を立ててるのか、頬を膨らませている。ならば、ここから去るのが合理的な判断だろう。しかし、女の子という生き物は違う。
「……そねぃに、はぶてんなーや*4」
「じゃあ、ご飯作らせてくださいよ……」
「……好きにせぇ……」
そう言うとさやかは、勝ち誇った様に鼻歌歌いながら、台所へと歩いて行った。つくづく、女の子という生き物はわからない。
思えば、就職した年に爺様が亡くなった後、広い家で独りぼっちになった俺は、家の事を全てしなければなくなった。そんな折、撫子が俺が寂しくない様にと、家に来ては弁当作ってくれたり晩飯作ってくれるようになった。有り難かったが、同時に気を使わせてる様で非常に申し訳なかった。だけど楽しかったのも事実だ。
流石撫子の妹だと思うのは、そういう所で人に要らん世話を焼きたがるところか……
*****
手伝おうとしたものの台所から追い出されてしまった俺は、車庫の中で軍馬に荷物を搭載する準備を進める事にした。
車体の後部の左右にニ五ミリ機関砲弾が百発収まりそうな大きさで、米軍放出品としてよく見かける様な構造をしたODマットなステンレス製の弾薬箱を取り付ける。荷台には、底面が硬質樹脂でできた、バイク用シートバックを括り付けたが……如何にもこう……前線に機関砲弾でも輸送しに行くんかな?と思う様な格好になってて少しばかりか愉快に思えた。
「まぁ、こんなもんやろ……」
それに荷物を詰め込んでさあ戻ろうと思った時に勝手口が開く。
「ごーはーんー!」
「おう、今行く」
「あっー!それ!!例の?!」
さやかは目の色を変えて、慌ただしくバタンと戸を閉めた途端に、ドタドタと走る音が響き渡る。しかし、家ん中で走るな!!と怒鳴りたかったが時既に遅し。玄関から出て来た所で拳骨を一発落とすのがやっとだった。
「あーいたよー……」
脳天を擦りながら涙目で、なんで拳骨喰らったのか解らないと訴える瞳と目が合うが。
「己の所じゃ、家ん中で走ってもええと習うたんか?」
俺は忽然と教育者としての態度は崩ささぬ。何故なら俺は隊長であり指導者であり、コイツ等の模範でなければならないからだ。
「うぅー、ごめんなさい」
「ならば宜しい」
教育は以上である。
「んで、お前アレが見たかったんじゃろ?」
「はいっ!」
さっきまでしばかれてしょぼくれてたのも忘れ、目の前の物に興味がある物が映ると、すぐそれに意識が指向する。
「お姉ちゃんが乗ってたバイクと同じネイキッドだけど、後ろはシートじゃなくて荷台なんですね」
「そりゃ、誰も乗せる必要がないからな」
「彼女とか乗せる気無いんですか?」
と言われても、俺の性格的に一生独り身だろうし、縁のない話だ。
「バカ言え、儂にそんなんできると思うか?」
そう言うと、さやかはくふふと笑う。
「まぁ、國守隊長へんくうですしね。…………。」
「へんくうで悪かったな。あと、なんか言うたか?」
「いいえ、何も言うとりません」
さやかはそう言いながらそっぽを向く。何なんだ?と思いながらまぁいいやと流す。
「なら宜しい」
「はいっ!」
さやかは返事を返し、目の前の軍馬に視線を戻す。
その暫くの後。
「エンジン掛けてみても良いですか?」
と訊くので許してやる。
では早速と、キーを回すがセルは回らずエンジンは掛からず、表示灯が点灯するのみである。
「えっ、うそぉ!なんでぇ!」
と必死に始動ボタンを探すが見当たらず、困惑している様子をひたすらに眺めほくそ笑む。……まったく己も悪い奴だ。
そもそも、なぜエンジン始動ボタンも無ければ、キーでセルが回らないかと言えば、そもそもこのバイクはセルを搭載していないからだ。良い加減、可哀想に思えてきたのでネタバラシしてやるか。
「悪いがソイツはセルモーターは積んどらん。キックスターターのみや」
「あっ、ホントだ!……てっ、重すぎィ!!」
さやかは全体重をキックスターターに掛けている様だが、姉同様低身長故に体重が軽くてスターターが回り切らず途中で止まってしまっている。
「まぁ、貸してみぃさんせ」
さやかから始動役を交代し軍馬に跨ると、スターターを踏む右脚に力を込めて蹴り出す。
ドルッン!!ドルッン!!ドッ!!
三度蹴飛ばして、車体右下を水平に伸びるマフラーより黒煙を一瞬吹き出し、ようやく掛かったディーゼルエンジンが、特有のガラガラといったノッキング音を打ち鳴らす。
「ウワサには聞いてましたが、本当にディーゼルなんですね」
「良うわかったな」
「そりゃ、この音聴けばわかりますよ」
ディーゼルエンジンはガソリンエンジンよりも馬力も出ないし回転速度も上限が低い、しかし、低回転から中回転までの広い範囲で、トルクを発揮できるの特性を持つのが最大の強みにして長所だ。そして、排気圧が高い故に排気タービン(ターボ)との相性が良く、それと制御機構を組み込めば相当の性能を発揮できる特性を持つ。故にどんな道もどんな坂も走破できると確信する。
「これでどこへでも行けますね!」
「泥濘地以外はな」
「ふふ、満足したんで、ご飯にしましょう!冷めちゃいますよ?」
「ホンマに優柔不断なやっちゃのう」
「何をいまさら〜」
「別に褒めとらん」
「ほらほら早くして下さい」
「分かった分かった」
そう、さやかに急かされるままに、軍馬のキーを抜いて、勝手口から家に上がる。さやかのコロコロと鈴の様に笑う、その声が鼓膜を優しく撫でる。それが撫子と過ごした懐かしき日々を思い出させてくれる。もしここに撫子や爺様が居たなら。どれ程良かっただろうか?そんな事を思わずには居られなかった。
車両名称 : 浪漫号(恭介は頑なに軍馬と呼ぶ)
種別 : 大型自動二輪車
諸元
全長 : 2.180m
全幅 : 0.780m
全高 : 1.075m
質量
空虚 : 250kg
最大 : 450kg
乗員数 : 2人 ※荷台に座面を付ければ。
機関
発動機 : D650(ハンドメイド品)
形式 : 直列2気筒ディーゼル
過給方式 : ターボ
冷却方式 : 空冷(強制冷却ファン有り)
排気量 : 648cc
出力 : 72ps(3400rpm)
トルク : 15kgf•m(1400〜3400rpm)
牽引力 : 480〜137kgf•m
登攀角度 : 63〜23deg(定格車重350kg時)
変速機 : 5速マニュアル
駆動形式 : 後輪駆動
特装品
300Wインバータ
解説
國守恭介の祖父國守忠光が生前、某社のネイキッドバイクをベースに造ろうとしていた大型バイク。忠光の死後、恭介が引き継ぐが、親友田原撫子の事故死を受けて、放置されていた。
その後、大金を得て退社した折に、メカニックである叔父に組み立てを依頼し完成させた。