暮葉はメイド長である咲夜に仕事を教わって、徐々に紅魔館になじんでいった……が、その姿はフランが見ても危なっかしいものだった。なにせ左腕がないのだ。利き腕ではなかったことだけが唯一の幸いか。
片腕のないメイドは誰にも違和感を与えるようで、妖精メイドは遠巻きに暮葉を眺めてはひそひそと噂などをしているようである。暮葉はどうも全く気にしていないようだが。
さて、そんな彼女の仕事は紅茶と共にはじまる。フランが自室のベッドに腰かけて本を読んでいると、ノックの音と共に扉が開いて暮葉が入ってきた。
「紅茶の準備できたよー」
「……ありがとう」
「どしたの、暗い顔して」
理由を語ったところで理解されるか怪しいし、されたらされたで恥ずかしいのでフランは押し黙った。彼女の内心はこんなところである。
フランはレミリアにどこか憧れを抱いていた。特にその周囲から忠誠と信頼を向けられる姿が好きだった。そう思うたびに『ではそのお姉さまを困らせている自分は何なのだろう』と自己嫌悪に陥ることも少なくなかったが。
その姿に憧れるからこそ、せめて自分のメイドにだけは『憧れのお姉様』のように立派に接したい。
けれど、その思いは自分が暮葉の左腕を破壊した、という事実ですぐ塗りつぶされる。暮葉がフランのために頑張ろうとするたびに、フランは自分の犯した罪を見せつけられているように感じた。
いっそ恨んでくれたら楽なのに。
「つらくないの?」
「? ……あぁ、この腕のこと?
「そんなこと、って」
「私は別に気にしてない……というよりはよくわかんないって感じだね、同じようなこと前も言った気がするけど。起きちゃったことはしょうがないよね、みたいに流すことがほとんどだから」
フランはようやく気付いた。暮葉は本当に自分の体に興味がないのだ。それはなんて──
不幸なことだろうか。
フランはそう思って、その不幸に加担したのが自分だとすぐに思い出して、吐きそうになった。
罪悪感と迫り上がる胃液から思わず下を向いたが、暮葉の手がその顔に触れたことですぐに顔を上げる。
「いいんだって。そんなことより私は、フランが私のことで悩んでいるのを見るほうが嫌だな」
「だって、暮葉の腕を壊したのは私なんだよ?」
「里の奴らは私を傷つけたって気にも留めなかったさ。フランのほうが何倍もいい。フランのほうが何倍も優しい」
暮葉は──最初っから諦めていた。人里でしか生きられないはずの少女は、もう全部投げ出してしまった後だったのだ。
親も、友人も、約束された安全すらも。離れてゆくものを引き止めるための左手はすでに砕かれ、残った右手で何を掴めば良いのか、暮葉自身もまだよくわかっていない。
でも、この幼い主人は、どうにも──腕を壊した張本人であろうとも──なんだか恨むに恨めない。そんな暮葉の心中を理解できないフランは、濁った目を手元の本に向けた。
「……そんなことない。あり得ないよ。だって私はもう何人も殺してる」
「私にはさ、出会ったばかりのフランとこうやって話すフランが同じように思えないんだ。今のフランはだれか殺したい?」
「ううん」
暮葉は首を傾げた。
「じゃあいいんじゃない、気にしなくて。どうもフランは気にしすぎなとこあるよね」
「……暮葉は気にしなさすぎだわ」
「それもそうだ」
そういって暮葉は紅茶を淹れた。片腕で、たどたどしく。フランの前に出されたカップからは、濃い香りと僅かな渋みが立ち上っている。
フランはそれを一口含んで、眉をぎゅっと寄せた。
「……にっがい」
「まさか。フランがお子様舌なんじゃない?」
「飲んでみるといいわ。すぐに自分の過ちに気付くから」
「では一口」
暮葉も自分の淹れた紅茶を啜った。
「暮葉は変顔が上手なのね」
「くっ。次はもっと美味しいの出すよ……」
フランは笑った。
従者の淹れる紅茶は主のためにある。当然といえば当然のことだ。
紅魔館でもそう。咲夜の淹れる紅茶は、その技術も含めすべてレミリアを楽しませる為だけに存在する。もちろん優先順位の話で、特に昨夜はだれに紅茶を出す時でも妥協など一切しないが……そこはフランの気持ちの問題だ。
誰のために磨かれた技術なのか、を考えるとやはり、咲夜の紅茶はレミリアの為だけに存在する。
つまり……フランにとって『フランのためだけに』紅茶の淹れ方を練習している、という暮葉の姿勢はたまらなく嬉しいものだったのだ。
それと同時に、改めてフランは決意する。
紅魔館における誰もがフランの狂気を知っていて、それと長く付き合ってきた。
故に、フランを『狂気持ち』という
暮葉は日が浅いのと本人の性格も相まって、フランに偏見を持っていない。今は、まだ。
だから、二度と暮葉の前で狂気なんて見せない。暮葉に汚い面を見せたくない。
それは、フランにとって初めての従者という存在がもたらした、主人としての自覚の芽生えだった。
▽
ここは紅魔館内部の図書館。赤い絨毯、堅牢なことで有名な赤い木材を用いた本棚、ついでに司書の小悪魔まで赤い紅尽くしの大図書館である。
レミリアは用事があってここを訪れていた。
「やあ親友」
「……あら。大方あれでしょう? あの無痛症患者」
「その通り」
レミリアが親友と呼ぶ少女──パチュリー・ノーレッジは、読んでいた本を閉じて眼鏡を外した。こと察するという点において、レミリアとパチュリーほど深く通じ合う仲は紅魔館にいない。
つまり、話がとにかく早いのである。元来の気質と蓄えた知識量のために、パチュリーはレミリアお気に入りの話し相手だった。期待に満ちた視線を受けて、パチュリーはため息を吐きながら口を開く。
「まあ人間としては不良品だわ。あの首輪である程度の生命維持はできるけれど、大きな傷やそこからの出血、さらには連鎖して起こる感染症のリスク。飼い主が丁寧に管理しなければならないという点では、まさにペットね」
「ああ、だからこそフランに与えた。あれにとってフランは生命線だろうから、依存せざるを得ない。そう思っていたんだが……」
「自分の命に執着が薄い、と。でも見た感じ目的は果たせたんじゃないかしら」
「というと?」
レミリアはパチュリーにフランと暮葉の様子の観察を任せていた。珍しくパチュリーが水晶玉を持ち出してきたのが記憶に新しい。本ばかり読んでいるがこれでもれっきとした魔女であり、その辺の魔術なら身につけているのである。
「人里で排斥されていたから、自分の腕を心配してくれたフランに情でもわいたみたいね。咲夜に紅茶の淹れ方なんて習い始めたみたいよ」
それを聞いてレミリアは昔を思い出した。咲夜もその能力の異質さから排斥され、それをレミリアが拾ったのだ。どうにも似ている……ような。
「似てるわね、咲夜の居た場所と。本当につまらない種族だわ」
「人間はすぐ死ぬからな。周りの危険は排除しないと気が済まないのだろう」
「そうやって排斥されていったという点では、私たちも同じだけれど。この館、案外似た者同士の集まりなのかもしれないわね」
「違いない」
レミリアは快活に笑って見せた。
パチュリーは笑い声がうるさいからとレミリアを追い出した。