『──大前提として、傍仕えの存在は上に立つものに必要不可欠である。些事に気を払う必要の無くなる上、有事の際には殿にも肉壁にも成り得るから。
しかしそれら全てを卒なく熟す存在が簡単に見つかるわけがない、というのは周知の事実である。故に優秀な素質は逃してはならない。要は信賞必罰。奉仕には見返りを、失態には厳罰を与えなければならない。つまり飴と鞭である。そして、その効果を最大にするためにカリスマである。つまり、カリスマこそ最大の必須要素なのだ──』
フランははぁ、とため息を吐き、重厚な装丁の施された本を閉じた。表紙には銀字で「帝王のためのカリスマ学 著:アイリ・メラ」と箔をされている。
別にフランは、誰かの上に立って導いてやろうなんて思っていない。しかし、しかし自分に仕えてくれる相手に対して何も返してやれないのはどうなのだろうか、とは感じていた。
それで図書館からいくつか本を拝借してきたのだが──フランの心は読み始める前より暗くなった。『失態には厳罰を』と言うのならば、罰を受けるのは私であるべきではないのか?
「罪と……罰。私が、
思わず左腕を強く掴んだ。爪が皮膚を突き破り、鋭い痛みが走る。『けれどこんなもの、あの子の痛みに比べたら』という考えは暮葉の前では意味を成さない。だって痛くないのだから……。だから、フランは自分がどれほどの罰を受けるべきか分からないのだ。
腕から手を離せば、すぐに血は止まった。吸血鬼の回復能力はたとえ体がちぎれようとも、肉片一つになろうとも完全に消滅しない限りは再生可能だ。こんな自傷償いにもなりはしない、ただの自己満足だとフランは心の内で自嘲した。どんどん深みと濃さを増す思考の渦からフランを引き上げたのは、ノックの音だった。
十中八九暮葉だ。フランの表情にほんの僅かに赤みが差した。
「紅茶準備したよ……っと。なんか隈凄いけど。寝れてる?」
「大したことではないわ」
「ふーん」
「な、なによ」
「なんでもないよ」
暮葉が部屋に入ると同時、フランは半ば無意識に背筋を伸ばした。そんなフランの顔を上下左右からしげしげと見つめて、暮葉は何か考え込む。やがてうんうんと頷き、紅茶を淹れる作業に入った。フランはその姿をぼうっと見つめる。
……やはり、拙い。少なくともフランの目にはそう見える。
だが、暮葉はまったく気にしないらしい。慌ただしく砂時計をひっくり返しカップを温めながら、それでも表情はどこか楽しそうだ。と、フランの目が見慣れないものを見つけた。
「何かしら、それ」
「何って……ああ、これ?」
暮葉は小さな石板を持ち上げた。フランにはその中に魔力が渦巻いているように見える。
「パチュリー様に融通してもらった火の石板。出来立ての紅茶を追求するためにどうしたらいいか考えててね、メイド長に相談したら──」
暮葉が何か話しているが、フランは上の空だった。思考は「パチュリー」という単語に引きずられた。実のところ、フランとパチュリーの間には深い交流はない。もちろん狂気について知ってはいるし、何ならそれを抑えたり能力の制御などを進めているのはパチュリーなのだが、どうにも仲良くはなれていない。
理由は自覚している。実に子供らしい話だ。パチュリーはフランのためにやっているのではなくて、レミリアに協力しているだけだから……
「どうぞ」
「……頂くわ」
受け取って、カップの取っ手を摘まむ。ふわりと鼻腔を暖かな香りがくすぐった。吸い込めば胸に柔らかな熱が灯るようだ。ああ、香りにも温度はあったのだなと思わず顔をほころばせて、ふとフランは暮葉の視線に気づいた。目が合うと、珍しく暮葉は狼狽えた。
「何か顔についているかしら?」
「ん、あ、いや……上手くできているか気になっただけなんだ。他意はないんだよ、ほんとに」
「ふーん?」
今度はフランが暮葉を見つめる番であった。
▽
仕方ないじゃないか、と暮葉は心の中で言い訳した。こうしてフランに紅茶を振る舞う時間は、私にとって安らぐ時間でもある。
それにここに来た初めてフランを見たときにも感じたけれど、とにかくフランは綺麗なのだ。七色にしゃらりと揺れる羽も、ふわふわした金髪も、血を溶かし込んだような瞳も、どれをとっても今までで一番と言える美しさ。
だから見つめてしまうのは仕方ないじゃないか、なんて──
言い訳しつつも、暮葉は自分がなぜこんなに焦っているか良くわからないのだった。
「ぴゃっ」
突然、フランが随分とかわいい悲鳴を上げた。片手にカップをもち、舌を出している。
「思ったより熱かった……」
「ああ。本当に申し訳ない。ごめん!」
反省である。つまり温めすぎたのだ。昨日までは紅茶の器具や湯が地下室へ運ぶ間に冷めないように、すこし余分に加熱していた。ところが、今日はその場で加熱できるのだ。フランの目元の隈のことを考えていた私はうっかり
手を合わせて頭を下げたが、反応がない。顔を上げてフランを伺うと、何やら小声でつぶやいている。
「はっ。信賞必罰。失態には、罰……?」
やがて顔をあげ、フランは少し自信なさげに、それでも精一杯の威厳をもってこう口にした。
「ば、罰を与えるわ! ええと、その……今日一日はここで過ごしなさい! 寝る時も一緒よ!」
「……それ、悪くないな」
「!?」
数秒口を開けて固まったのち、フランは目を見開いた。口から言葉が流れ落ちる。
「怖くないの? 私がいつ前みたいになるか分からないんだよ?」
「怖くないよ。もしそうなっても、フランに殺されるならいいかな。初めは野良妖怪に食われて死ぬことを覚悟してたから、これはこれで儲けものじゃない?」
「……どうして、貴女は、そう……!」
フランは続けて何かを言ったみたいだ。唇が動くのが見えたが、何と言ったかまでは聞き取れなかった。
▽
「ほう。知っているぞ。お泊り会というやつだな」
「なぜ自室で見ないの?図書館では静かに、常識だわ」
また来やがった、とあきれ顔のパチュリーを無視してレミリアは水晶玉を覗き込む。中には金髪の少女と黒髪の少女が映し出されていた。
「フランに火傷させたときは捻り殺してやろうと思ったが、この展開は悪くないぞ。さすが私だ」
「正確には貴女の能力でしょうが。それにそこまで心配なら貴女が面倒を見ればいいのではなくて?」
するとレミリアは珍しく、本当に珍しく諦観を顔に浮かべた。
「私だからな、分かるんだよ。もうどう関わったってフランを救えないし、問題の解決にもならないことが。はるか昔に親が死んでから、私は早急に権力と暴力を身に着ける必要があった。脇目を振る暇もなかった……いや、これは言い訳だな。ともかく、そのせいで私とフランの距離が遠ざかったんだ。私は早く年をとりすぎた。『頼れる姉』の範疇を飛び越してしまった」
「……だからフランに従者を付けたってわけね。貴女と同じステージまで引っ張り上げようと」
「それもあるが、あまり期待しちゃいない。分岐ルートの一つみたいなものさ」
パチュリーは本を閉じた。気づけばテーブルには湯気の立つ紅茶が置かれている。そういえば咲夜、最近ぼうっとしていることが多いけれど……何かあったのかしら、とパチュリーはここ数日のメイド長の挙動を思い出した。
レミリアはパチュリーに、或いは紅茶に返事をするように、こう言った。
「けれど。言ったろう? アレはペットに過ぎない。従者は上に立つ者、つまり私みたいな王にこそ相応しいのさ」
「王は弱音を隠すのが上手いものね。ああ、首輪をつけたペットなら聞いてくれるかもしれないわ。呼んできましょうか?」
「冗談。王の愚痴を聞くのは気の許せる親友の役目だぜ?」
「光栄ね。でも騒がしいのはいただけないわ、念話の魔法でも覚えてから帰りなさい」
レミリアは苦い顔をした。活字ばかりに触れているからか、昔からこの本の虫に言い争いで勝てた試しがない。そのうち黴でも生えるんじゃないか?外に出て多少は散歩でもしたら──
「あら、テレパスでも口喧嘩したいの?」
内心を見透かしたようなパチュリーの目に、レミリアは両手を上げて降参した。
王の降参も、親友の前でだけは許される。
アイリ・メラ=aili・mer
次回はフランちゃと暮葉のお泊り会を予定しています。