目を覚まして、熱を測るとすっかり良くなっていた。
「うん、学校行っていいよ」
姉さんも了承してくれて、大量の仕事を持って学校へ行く。
電車に乗っているときも、ずっとあの人のことを考えていた。
……会いたくない。
いや、会いたい…けど、まともに会える気がしない。
まだ本当に仲直りできた訳ではない、かもしれないし、お見舞いに来てくれたお礼も言ったほうがいい。
でも会ってちゃんと話せるか、そもそもあっちだって会いたくないんじゃないか。
いや、意外とあっちは意識してない?私だけ?
それだったらなんか恥ずかしい。
電車を降りて歩いているときも、つい同じ制服の人がいると気になってしまう。今までこんなにキョロキョロしながら歩いたことなんてなかった。
「あ、雪乃ちゃん。おはよう」
「ひゃっ!」
朝から心ここに有らずといった体で落ち着いていなかったから、声をかけられて挙動不審になってしまった。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込まれる。
「あ…大丈夫、だけれど……」
正直、隼人くんと一対一では顔を合わせづらい。本人は「気にしなくていい」と言ってくれているが、あんなことがあって、気にしないで生きていけるほど私のメンタルは強くない。それを言うと、あの人関係の話を持って来られるとどうなるか分かったものじゃない。
「荷物重そうだね。持とうか?」
こういう気遣いが隼人くんはとても上手い。あの人は…やろうと思えばできるのにあえてやらない。それでも時々すごくカッコよくやってくれるから質が悪い。
「いえ、大丈夫よ。ありがとう。……ふふっ」
あの人のことを考えたらつい笑みがこぼれてしまった。
「……雪乃ちゃん、機嫌が良さそうだね。何かあった?」
「え、あ…いや、その……。べ、別に何もない、けど……。私、そんなに顔に出やすい?」
もしそうなら気をつけないといけない。あの人にあったとき、よりひどいことになってしまうかもしれない。
「顔に出やすいというより、声に出やすいかな。今のは楽しそうな声だったよ」
声に出やすい、か。確かにそれは自分でも分かるときがある。冷たい声と、温かい声みたいな感じで、かなり違う。そういえば、あの人と喧嘩したときは冷たい声だった。
……謝った方が、いいかな。
「あ、比企谷。おはよう」
「比企谷くん、おは……え?」
「あっ……」
上げかけた手が固まる。ついでに開きかけた口も。
正面にいる比企谷くんも固まっている。
とっさに自分の靴を確かめる。上履きに履き替えている、ということは、今から教室に入ることが出来る。
かたや比企谷くんは。今来たばかりだからまだ上履きに履き替えていない。
――よし、逃げよう。
私は振り返ることなく走り始めた。
こんな状況でまともに話せる自身がない。
ちゃんと、話すから。ずっと言いたかったことも、本当は言ってほしいことも。
今はまだ、心を落ち着けさせる時間が足りていない。
「あっ……」
会ってしまった。ダメだ、ここから逃げなくては。今顔を合わせる勇気なんて俺にはない。俺の豆腐メンタル舐めんなよ。
元来た道を引き返そうとしたが、その前に雪乃に逃げられてしまった。
「ゆ、雪乃ちゃん?」
葉山が驚いた顔で俺を見る。
もちろん雪乃が逃げた原因は俺にある。でもそれを説明出来る気がしない。
というか、俺避けられてる?
意識して避けているのか、ただ俺がキモくて逃げているのかは分からないが、とりあえず逃げられた、という事実だけが残った。
「まだ喧嘩中か?」
「いや…別に」
俺たちは今、喧嘩中なのだろうか。一応お互い謝った。どっちも返事はしていないが。
「昨日雪乃ちゃんに会ったみたいだな」
「え、なんで知って……」
「雪乃ちゃんの顔を見れば分かるよ。すごく楽しそうだった。声音もな」
俺は特に喋っていないから分からなかったが、楽しそうだったのか。それはそれで昨日行ったかいがあった。
もしかして、彼女は俺を許してくれたのか?
俺は、言わなければいけないことは言った。それなら、言いたいことも……。
「……なぁ葉山。お前雪乃に告白したとき、どんな感じで言ったんだ?」
一応経験者の話を聞いておくか。
「そうだな……。割と普通だったな」
普通ってなんだよ。分かんねぇよ。
「俺のやり方よりも、雪乃ちゃんがしてほしいやり方の方が参考になるんじゃないか?」
雪乃がしてほしいやり方。好きな人にプロポーズ、か。
レベルは高いが、雪乃の望みなら仕方ない。
それきっり俺と葉山は一言も話さずに教室に入った。
放課後、授業時間全部使って考えた結果、一応文実に顔を出すことにした。全体のことなどを知っておかないといけない。
緊張しながら入ったが、特に注目されることはない。全員自分の仕事にきちんと取り組んでいるみたいだ。
なるほど、俺があんなこと言ったから、全体のやる気を引き出したのか。
しかし、相模だけは見当たらない。
雪乃の席にゆっくり近づく。一応俺は心の準備はした。後は雪乃次第なのだが……。
「き、来てくれたの?」
「あ、あぁ。邪魔だったら帰るけど……」
すると、雪乃は小さく首を振って、にっこりと笑った。
「仕事、たくさんあるわよ?」
「……今すぐやります」
なるほど、そういうことか。俺が裏でやっていたのは、雪乃が押し付けられていた仕事。ということは、本来俺がやるべき仕事は他にある。
まぁ雪乃に何の責任もない。俺が勝手にやっていただけだ。
しばらく社畜と化していると、平塚先生が入ってきた。
「まだやっているのか。今日は会議があるから、早めに撤収してほしいのだが」
それを聞いて、全員が片付け始める。仕事を家に持って帰っている人も結構いるようだ。
俺も残った仕事をカバンに詰め込んでいると、先に支度が調った雪乃が来た。
そっと俺の耳もとに口を近づけ、囁くように言う。
「この後…私の家に、来ない?」
え……。
これはどういうことでしょうか。なにかうらでたくらんでいるんですか?
そんなことを考えるくらいテンパっていた。
それでも誘われたら絶対に断わることなんて出来ない。
「仕事のため…だよな?」
そう、俺が呼ばれたのは仕事のため。他の可能性なんて考えてはいけない。勝手に妄想するのは俺の悪い癖だ。
「それも…あるけど……」
え………。
これはどういうことでしょうか。
「それも」ということは、他にも何かあるの?何があるんだ?
「ほ、他の用事があるの、か?」
雪乃が小さく頷く。え、だから何があるの?というか、そんな恥ずかしそうにうつむかないで!
「……き、昨日のお礼に、ご飯を御馳走しようと思ったのだけれど…嫌、だった?」
「い、嫌じゃない!むしろ嬉しい!」
つい理性よりも本能が飛び出してしまい、雪乃に抱きつこうとしてしまうところを、平塚先生に止められた。
「……ここでいちゃこらするな」
「すびばぜん」
怖えよ。目が完全にイッてたぞ。
というか怒る理由が個人的過ぎる。
こんなおとなにはなりたくないとおもいました。
「じゃあ…行きましょうか」
手を繋いで歩くこと数分、周りからの視線が痛いです……。
それでも「離して」と言えないのが男の弱いところ。視線が痛くてもこの子さえ隣にいれば生きていけるよ!と言っても、この子が隣にいるから視線が痛いんだけど。
マンションに着くと流石に緊張してくる。さっきから身体がガチガチだ。
部屋の前まで来たら、もう何も見えないくらい緊張してきた。
「ちょっと、待ってて」
そう言って、雪乃は先に中に入ってしまう。まぁ色んな準備とかがあるのだろう。俺も心の準備をしなければいけない。
そういえば、ここで言う「ちょっと」とは、何分くらいなのだろうか。普通に1時間くらい待たされそうで怖い。それでも俺は待つぞ!なんなら忠犬ハチ公を通り越して、忠犬八公になっちゃうくらい。それって通り越してんの?逆に退化してる気がする……。
そんなことを考えていたら、意外と早く扉が開いた。
「ど、どうぞ……」
おずおずとリビングダイニングに通される。
雪乃の格好を見ると、俺がこの前買ったエプロンをしてくれていた。
「それ…使ってたんだな」
「えぇ……」
ここは似合っている、などと言うのがいいのだろうが、俺は理性がどこかへスッ飛んで、本能が飛び出していた。
「そのエプロン姿、毎朝見たい……」
「え!?」
雪乃が後退りする。そして、「こいつ正気か?」というような目で俺を見てきた。
「そ、それはどぅ…いぅ……」
「あ…いや……」
慌てて否定しかかる。
……本当に良いのか?今の言葉は俺が本能的に言った。それは、俺の本心なのではないだろうか。いや、考えるまでもない。紛れもない俺の本心だ。そんな本心を否定して良いのか?ここで否定して、いつ肯定するんだ?それに、ここで否定したら本当の時にも信じてもらえなくなるんじゃないのか?
「そ、そのままの意味、だ。毎朝エプロン姿が見たい。だから、その…け、結婚してほしい!」