ある所に一人の非業の死を迎えた一人の男が居た。
しかし、幸か不幸か彼は別の世界へと生まれ変わることになる。
彼が望んだのは彼が生前熱中していたMMORPG『GrowTreeOnline』。
その空想の世界で己が育て上げたキャラクターになること。
故に彼は真の意味で消えてしまうことになった。
己のキャラクターと同じ恩恵を得ることではなく、『キャラクター自身になること』。
そこにはもはや彼自身の意思はなく、彼の存在は只々消え去ってしまうだけ。
後に残ったのはキャラクターメイキングにおいて、肩まで伸ばした桜色の髪の毛から安直に決められた名前の少年。
キャラクターネーム:サクラ。
「ん……ここ、どこ?」
サクラの目の前には見慣れない街並み。
大量に行き交う人々と見慣れない建物。
勝手に開くコンビニの自動ドアに見たことのない材質のもので舗装された道。
「……とても不思議。サクラは興味津々」
サクラにとっては理解出来ない不思議な物は日常的に溢れていた。
魔法に錬金術、そしてドロップアイテム。
他にもどこからか聞こえてくるシステムアナウンスと呼ばれている代物など。
作られた世界で生きてきた彼にとっては世界は不思議と理不尽で満ちていた。
「――アイテムボックス……出て来て、アイテムボックス」
いつもならどこからか沸くように出てきたアイテムボックスが出てこない。
これは彼を絶望させるに足る出来事だった。
全身の防具を強化の為に外していたので今あるのは衣装アイテムである彼の髪と同じ桜色のローブと一本の白銀の杖のみ。
サクラは自分の小学生低学年ほどの身長とは不釣り合いな大きなの杖を背負いながら歩き出す。
〈聖竜の杖〉上級ダンジョンの最奥のボス、聖竜からランダムドロップする杖。
『GrowTreeOnline』においては属性魔法、特に聖属性の魔法への多大な補正が期待出来る代物であった。
その、まさに『コスプレ』としか言えない状態の彼を通りがかる人々は時に胡乱げに、又は微笑ましげに見守っていた。
「……お金も装備もアイテムも全部、ない」
何よりもサクラにとって絶望的だったのがアイテムボックスに入っていた筈の『帰還のスクロール』によって、元居た場所に帰ることも出来なくなってしまったからだった。
「モンスターを狩って稼ぐしかない……居そうな場所を、探す?」
とぼとぼと覚束ない足取りで歩き始めるサクラ。
当然のことだが、サクラが歩けど歩けどフィールドが見えてくることはない。
「……この街には冒険者が、居ない?」
サクラが居た世界では服装にかなりの偏りがあった。
ある程度のキャラクターはレベル帯に合ったテンプレートな装備が見受けられた。
だが、この街にはそれがない。
何よりも武器を担いだ人が一人も居ないのだ。
これでは襲撃イベントがあった時にプリーストの自分一人では防衛出来ないなどとサクラは一人、ぶっ飛んだことを考えていた。
「おい!早く詰めろ!」
サクラが怒声がした方に振り向くと遠くに全身を黒のスーツで包んだ男たちが少女二人の腕を掴んでいるのが見えた。
二人の少女のうち、金髪の少女が悲鳴をあげようとするが、男のうち一人に口元を押さえつけられている。
しかし、サクラには何が起きているのか分からなかった。
道を走っていたものと同じ、無人の馬車のような物に金髪の少女が押し込められる。
そこで紫の髪の少女がサクラの存在に気づいた。
何事か口を開いていたが、距離が離れていてサクラには聞こえない。
だが、サクラには少女が『助けて』と言っているようにしか見えなかった。
紫の髪の少女が無理やり馬車に投げ込まれるのと同時に残っていた男がそれに乗り込み、走りだした。
「……助けなくちゃ」
この街は不思議に満ちている。
これがサクラの感想だった。サクラの常識が通じない街だと。
それでも彼女が本当に助けを求めているのならさっきの出来事はこの街の『常識』ではないのだろうと判断した。
「……『フェアリーブレス』」
ゲーム中では全体ステータスを引き上げるスキルであった『フェアリーブレス』。
それを駆使してサクラは駈け出した。
しかし、魔法系等の最上位ジョブのうち一つであるビショップであるサクラだが、筋力に関しては当然の如く全くアビリティーポイントが振られていない。
ゲーム内では上がったことのない息が上がり始めるサクラ。
サクラは本来ゲーム内のキャラクターに過ぎなかったが故の剥離。
だが、そんなことに気づいてもサクラにはどうすることも出来ない。
「んぅ、これ、不思議……『ヒール』」
瞬時に金色の光がサクラを包み、疲労を癒していく。
サクラは交通ルールや赤信号を華麗に無視し、駆ける度に運転手や、周囲の歩行者から怒号が上がる。
よく分からないがとりあえず怒られていることは分かったのでサクラは半ば泣きそうだった。
「……みんな、怖い」
それでも二人の少女を乗せた馬車を追いかけることは辞めない。
サクラが馬車に追いついた頃には既に中には誰も居なかった。
「……廃墟の中、もう、入った?」
サクラは『ヒール』を自分自身に掛け直して、破れた窓から顔を半分だけ出して覗きこんでみる。
少し見渡してみると後ろ手に縛られた二人の少女が見つかった。
金髪の少女の方がサクラを見つけて目を大きく見開く。
そして持ち上げた自分の肩を片耳につけて口をパクパクと動かす。
もしも彼女たちを見つけたのがサクラ以外の人間だったなら『電話しろ』だと気づいただろう。
だが、見つけたのはサクラである。現代人どころか異世界人ですらない。
ひたすら困惑するしか無かったサクラだが肩と同時に縛られた腕も動いていたので『早く助けろ』だと曲解した。
「……『フェアリーブレス』『フォーカス』」
クリティカル率を上げる『フォーカス』を発動するサクラ。
途端にサクラの視界が明瞭になり、遠い所まで細かく見通せるようになる。
転生者の男はこのスキルを取るためだけに弓術士のスキルツリーを取ったのだが、サクラには当然知る術はない。
「アンタたち一体何のつもりなのよっ!」
「ちっ、全くもって煩いガキだな。誰かこの馬鹿の口塞いどけっ」
それと同時に布を口元に噛まされる金髪の少女。
黒服の人数は七人。ナイフを持ったアサシン系統が三人、黒い正体不明の恐らく飛び道具の類を持った弓術士系統の男が二人と不明な男が二人。
そう冷静に、だがどこまでも残念な思考でサクラは断定する。
「その可愛い顔のまんまで居たかったら大人しくしてろ」
「というかこっちの煩い方のガキは邪魔なんじゃないのか?」
男がそう言いながら右足で今にも少女を蹴り上げようとしているのがサクラの目に入る。
「……っ!『シェルプロテクション』」
見ていられなかったサクラは破れた窓から内部に侵入し、補助魔法を金髪の少女に掛ける。
同時に、薄い光の膜が金髪の少女を包み込むように現れた。
プリーストの下位ジョブ、アコライトのスキルであり、自身のHPと同じだけのダメージを無効にする『シェルプロテクション』。
男の蹴りは当然の様にその範囲内に収まり、男の足にむしろ蹴ったことによる鈍痛を与えるのだが、拳から龍が飛び出してくるようなスキルを乱発する連中なのだと思っていたサクラは気が気では無かった。
ちなみにゲーム内では膜が壊れる一度限りならボスの即死攻撃すら無効に出来る仕様だったのだが、後のパッチにより余剰ダメージが入るように修正され、多くのプレイヤーに涙を流させた。
「ア、アンタ警察は、というかさっきの何よっ!」
金髪の少女はそう言うが度重なる勘違いのせいでサクラの脳内では戦闘職七人vs補助職一人という地獄絵図なPvP、つまりプレイヤー同士の抗争になっていた。
「『サモンユニコーン』……弓術士二人をお願い」
突如光と共に現れた全身を白の毛皮で覆い、一本の鋭い角を持った一角獣が現れる。
一角獣は鋭い角を振り回しながら二人の男に迫っていく。
全力で駆けていったユニコーンが一人目の男を轢き飛ばし、二人目の男に勢いを乗せた猛烈なタックルを叩き込む。
ユニコーン一頭で完全に戦力過多である。
だが、そんなものは時間稼ぎにしかならないと勘違いしていたサクラは早くも二人を完全に昏倒させ、主の次の命令を待つように後ろで待機しているユニコーンに気づかない。
「……勝てなくても、諦めない」
『なんなんだよお前はっ!』
気絶させた二人を除いたその場に居た男たち全員が叫んだ。
「……『セイントギア』」
サクラは数少ないプリーストの攻撃スキルを放つ。
神々しい光を放つ回転する歯車がサクラの周囲に無数に現れ、踊るように飛び回り、残った五人の男たちそれぞれに迫る。
三つの歯車は抵抗もなくアサシンの男たちの胸部に当たり、吹き飛ばした。
残りの二人の男たちは逃げようと背中を向けた所に一撃貰い、倒れ伏す。
倒れた五人の男たちの元に油断なく残りの歯車が追撃を加えた。
舞い上がった砂煙が止んだ先には完全にノックダウンした五人の男たち。
それと同時にユニコーンは役目を終えたと言わんばかりに嘶きながら光の粒子になって消えていった。
「……むぅ、戦闘終了?」
残ったのは完全に沈黙した七人の男と呆然とするサクラ。
そして、口をあんぐりと開けたままの金髪の少女となぜか熱の籠もった瞳でサクラを見る紫の髪の少女だった。
「アンタ一体なんなのよっ!?」
警察を呼んでくれたのかと思えば突如不思議な力によって七人の男たちを打倒した桜色の髪の女の子。
その叫びは目の前で誘拐よりよっぽど理解不能なことが起こったアリサからしてみれば仕方ないことだった。
「……ん、サクラは、魔法使い」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張るサクラ。
だが、サクラからしてみれば先程の男たちの方が不可解だった。
Lv150にしてカンストに至ったサクラからしても『セイントホイール』の威力は同レベルの他職に比べれば二十レベルの差があってやっと五分五分の威力の筈なのに一発で五人を撃退出来た。
それほどまでに彼らと自分との間にLv差が開いていたのだろうかと。
そう思いながらもサクラは二人の縄を四苦八苦しながら解いていく。
アリサの縄を解き終わったサクラは紫の髪の少女、すずかの縄を解きに掛かる。
「あの……魔法使いって他にも居るの?」
すずかは目をまん丸にして問うがサクラからしてみればパーティーに一人は居るような存在を知らない方が不思議だった。
「……魔法使い、沢山居ない、の?」
「世界中探したって本当に使えるようなヤツは居ないわよ!」
「……モンスターが襲ってきたら、大変?」
「すずか、やばいわこの子」
真剣な面持ちでですずかに告げるアリサ。
そして、サクラの言葉に心底困った顔をするすずか。
「アンタ、これからどうする気なのよ」
「……帰れない、ユニコーンに乗って他の街、探す?」
「いや、やめたほうがいいんじゃないかな、それは…」
ユニコーンに乗って車道を爆走するサクラを想像しまい、頬を引き攣らせるすずか。
「とりあえず常識が致命的に足りないことは分かったわ。アンタ名前は?」
「……ん、サクラは、サクラ」
「苗字は?」
「苗字、多分無い」
サクラの言葉に大きな溜息を吐きながら頭を抱えるアリサ。
「親はどうしたのよ?」
「……親、チュートリアル。ん、分からない」
サクラの最初の記憶は今の杖よりもずっと粗末な木の棒を振り回していた記憶。
一般的には『チュートリアル』と呼ばれている時期のものだった。
当然サクラに親や家族といったものは存在しない。
「……一般常識から教え直さないと駄目ね、これは」
「アリサちゃん、どういうこと?」
「サクラはあたしが預かるわ。このままじゃ下手すると実験施設行きよ」
「あ、あはは……」
サクラには実験施設の意味はよく分からないが、二人の表情から少なくとも良くない場所であることだけは伝わった。
「という訳で今日からはあたし、アリサ・バニングスがアンタの飼い主よ、サクラ」
「えと、私は月村すずか。宜しくね、サクラちゃん」
「……サクラは、男の子」
「アンタその容姿と格好で男だったの……」
こてんと首を傾けながら答えるサクラ。
そして、それとは対照的にげっそりとしたアリサ。
「……ん、アリサはサクラの飼い主。サクラはアリサの使い魔?」
「なんか良く分からないけどもうそれでいいわ」
そして、この時、飼い主発言によりサクラの中でアリサこそが自分の主人〈マスター〉だと刷り込まれた瞬間であった。